地球散歩

地球は広いようで狭い。言葉は違うようで似ている。人生は長いようで短い。一度しかない人生面白おかしく歩いてしまおう。

コーヒー

2010-09-30 00:00:00 | フランス語(チュニジア)
café(カフェ)

  チュニジアへ行ったら、絶対に行くべきとも言えるのは、バルドー美術館。タイルのコレクションで有名であるが、19世紀、オスマントルコ時代のベイの宮殿も中に納まっている。
  コーヒー好きだったベイは、寝室の隣にコーヒー沸かし室を作った。
  寝室の脇にバスルームは無くてもいいけれど、こんなちょっとしたミニキッチンがあったら素敵!と、幼いころ病弱でよく寝ていた私は思った。
  オスマントルコであるから、当然ここで飲まれていたのもトルココーヒー。
  ひしゃくのようなコーヒー沸かしが並んでいる。
  これは現在も同じで、チュニジアでコーヒーと言えばトルココーヒーである。
  他のアラブの国とちょっと違うのは、ジャスミンやオレンジ・フラワーウォーターを入れること。コーヒーの香りを純粋に楽しみたい人は、いれないものももちろんあるが、チュニジアでは、フラワーウォーターを飲み物などに入れるのは珍しくない。
 旅の話に、かぐわしい花の香りのコーヒーはいかが?[a]




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2010-09-26 00:00:00 | フランス語(フランス)

写真:Miah

ami(アミ

よく私のフランスの思い出話に出てくる友であるが、実際に一緒に過ごした時間はほんの1年ほどにすぎない。しかし、彼女がこの「地球散歩」へ参加する切符を握る、大変重要な人だったことを考えると、本当に神様とは、思わぬタイミングで思わぬめぐりあわせを用意するものだな、としみじみ思う。

 

自分の人生にとって、重要な鍵を握る友は少ない。大体は、あるときに必然的にめぐり合い、時間が過ぎると自分の前を通り過ぎていく。

 

今回も、あるタイミングが過ぎ、潮時が来た、と思っていた。

しかし、友が去ってからの私は、陸に引き揚げられた魚のようだった。それに気づいたのは、過ぎ去ったと思っていた友が、再び手を差し伸べたときである。

 

羅針盤さえ携えていれば、目的地には必ずたどり着くとわかっている。しかし、ときどき手を休ませ、夜空を見上げ、お互いの輝きで交信しあう星の友がいなければ、船はたちまちボロボロになり、先へ進めなくなる。

人生の彩りには、休憩が必要だ。そして、星の友の存在も…

 

時空を超えて存在する、人生の旅の仲間。あなたの周囲にも、きっとそんな友がいることだろう。もしも、いないと感じているならば、ひょっとするとここにいる私たちがそうなのかもしれない。(y)

 

 

 

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2010-09-22 00:00:00 | ギリシャ語
Φιλος(フィロス)

 ギリシャで暮らしはじめて最も嬉しかったのは、出会う人々が皆とても明るくフレンドリーだったことだ。それは外国に初めて住む私の不安を吹き飛ばしてくれた。マンションの住人、近くの商店や青空市場の人、タベルナ(レストラン)、カフェ、観光地の人・・・覚えたてのギリシャ語で挨拶をすれば満面の笑みで応対してくれる。

 ギリシャ人の優しさや大らかさに安心し、一人であちこちのギリシャコミュニティに出没してみると更に深い交流が生まれた。かなり適当な英語とギリシャ語を使った会話でも、いつの間にか心が触れ合う。彼女達は皆、私のことを「φιλη μου(私の友)」と言ってくれた。つながりは今も続いている。特に近しい人とは今でも週に1度は必ずお茶を飲みながらウェブカメラでおしゃべりするほど。だから今でもギリシャの空気をいつも感じることができる。

 異国の人をあたたかく受け入れるギリシャ人の素晴らしい気質を表現するのが「歓待・手厚いもてなし」を意味するφιλοξενια(フィロクセニア)。φιλο(友)とξενια(外国人)がつながった私の大好きな言葉である。短いパック旅行でもどこかで必ず彼らのフィロクセニアを感じることができるはずだ。

 もう一つ面白いのは哲学を意味するのφιλοσοφια(フィロソフィア)で「友」+σοφια(知恵)。こちらはソクラテスやプラトンが生まれた国ならではの言葉である。(さ)

写真はソクラテスとプラトンの像があるアテネ大学。

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2010-09-17 00:00:00 | 日本語

yuuが日本海のことを想っていた頃、私は、日本海の雄大な景色に臨んでいた。
日本海側で生まれ日本海側で10代までを過ごした私だが、こと海に関しては、なぜだか太平洋側に思い入れが深い。自分の現在の精神性を形作る土壌となった土地、東京に長く暮らしたせいかもしれない。

しかし、新潟に暮らす今、当然のように日本海の風景にも興味が湧いた。
会う人会う人、「佐渡には絶対に行った方がいいですよ」だとか、「夏の日本海岸のドライブは気持ちがいいですよ」という言葉を掛けてくるものだから、ますますその想いは募ったものだ。

そして、実際に訪れたのは、「日本一海に近い駅」で有名な青海川駅近辺。中越地方に位置するこの場所は、あまりイメージは良くないが柏崎の刈羽原発にほど近い。
しかし、そのイメージを完全に覆すような、シュールで静やかな風景がそこには広がっていた。周囲には黒く険しい岩山が聳え、切り立った岩山の陰影と、碧き海の上にぽっかりと浮かんでいるかのように見える駅名標が、なんとも絵になる。

汐に侵されて錆びのこびりついた階段の鉄骨や、簡素な造りの駅舎など、日本のそれではなく、ヨーロッパのどこか田舎の駅の風景を彷彿とさせるその駅の佇まいは、無人駅のひっそりとしたその空気感と共に、あたかも海の「鼓動」までもが聞こえてくるかのような、風景との親近性を感じさせてくれる。

風景そのものの中に埋没するこの駅のホームからは、天気がよければ日本海に沈む燃えるような紅い夕陽を仰ぎ見ることが出来る。地平線いっぱいに残照を漂わせながら陽が沈みゆくその光景は、yuuも感じているように、心締め付けられる光景に違いない。

しかし、残念ながら私が訪れたその日、海は台風前のどんよりした空の色をそのままに飲み込み、太陽が姿を見せることはなかった。(m)


日本の海の記事が続きましたが、夏も終わり。次は秋の話題が読みたいな?!
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2010-09-13 00:00:00 | 日本語

 

 

海といえば地中海。いや、太平洋。いやいや、大西洋。

 

私が今この季節に思い浮かべる海は、日本海。

 

この時期、空全体を覆うような巨大な太陽が、海に沈んでゆく様を見ることができる。
夏が終わり、雪国の厳しい冬が来る少し前、ほんの一瞬に、日本海は一年で一番美しい輝きを放つ。

 

空を赤く染めながら、海にのみこまれてゆく太陽。その光をゆったりと受け止め、金色に輝く海原。
やさしく肌をなでる潮風と、絶え間ない波の音が、どうしようもなく私を切なくさせる。

 

それは、今この瞬間に光り輝く、はかない命に似ているから…

 

深遠なる美しさを秘めた、生命の営み。それが愛しくて、人はまたこの海に還ってくるのかもしれない。
永遠に続く、魂の旅を思わせる日本海の夕日を、あなたにも見せてあげたい。[y]

 

 

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2010-09-09 00:00:00 | スペイン語(ペルー)
Agua(アグア)

暑い夏、思い出すのはインカ帝国の水道網。
紙一枚入り込まない、きれいに積み上げられた石組みで有名なインカ帝国。
縦横無尽に走る水道は、長い年月を感じさせず、今も昔と変わらない。
遺跡で見られる水道は現役で、今も人々のどを潤している。
マチュピチュの遺跡では、働いている人たちがおいしそうに飲んでいた。「ご先祖様からずっと飲んでいるよ。うまいから飲んでみな」と言われて飲んでみると、アンデス山脈から流れてくる水のおいしいこと。
水の味も、昔から変わらないことだろう。
遺跡の水を飲むことは、私のような胃丈夫ならばともかく、おすすめしない。(日本とは成分が違うため)
ただ、ペルーでは水分補給は非常に大事である。クスコやリマなど、高度の高いところでは、高山病になりやすい。高山病予防には水分補給が必須である。
ちびちび、年中飲んでいるのが効果的なので、水よりはペルー名産のコカ茶を水筒に詰めて、持ち歩くのがいいだろう。
クスコで、私自身はちょっと胸が苦しくて、いつでも眠い感じがしていて、一緒に行ったマダムと「なんだか初恋気分!」などといって、ベットでごろごろしていたが、軽い高山病である。
マチュピチュまで来ると俄然元気になり、子どもみたいに走り回った。
 
遺跡の中の水道は、水が段々に落ちていくのを見るのも楽しく美しい。マイナスイオンを発生させるし、水の音は心を和ませる力も持っている。
はるか昔から、人々ともにあり続ける水の流れが、永遠でありますようにと願わずにはいられない。



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2010-09-05 00:00:00 | フランス語(フランス)

写真:Miah

maison(メゾン

「家」と聞いて、真っ先にイメージするのはどんな家だろうか。

フランスの友の家は、コンクリート製の5,6階建てのアパートのような所だった。内部は大変広々としていて、それぞれの階には1,2家族ほどしか住んでいなかったように思う。強い日差しよけのグリーンのシャッターが印象深い。大きな居間が、家族団欒の時間を大切に守ってくれているように思えた。

私自身が思い浮かべる家はというと、かつて住んでいた東京の我が家である。現在の家も大好きだが、夢の中では必ず生まれ育った家が舞台となる。木製の2階建て、内側の壁はロッジ風で、目の前の森林が都会の隠れ家的な雰囲気を一層強めていた。

しかし、どうも私には、自分の記憶していないところで、たくさんの家を持っていたように思う。それは、ある時は砂漠だったかもしれない。また別のときは、海の上だったかも…

「家」という響きは、私の中では秋の季語にふさわしい。いつも心の奥で「帰りたい」と願う、郷愁の場所。だけどそれは、たった1か所ではないと、おそらく生まれる前から知っていたであろう友たちが、私を家路の旅へと誘う。

こうして私は、自らの記憶の「家」をたどり、今日も地球散歩に出るのである。(y)

 

 

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2010-09-01 00:00:00 | 日本語
古都を想う。

奈良の桜井市というところに多武峰(とうのみね)という山がある。
北西には、大和三山(耳成山・香具山・畝傍山)を臨む素敵な場所だ。
その中腹にあるのが談山神社(たんざんじんじゃ)。
中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌子(後の藤原鎌足)が
豪族の蘇我蝦夷・入鹿親子をいかに倒すか・・・を談合した場所ということから
この名前がついたらしい。

このあたりの日本史の出来事は各自で調べて頂くとしよう。


子供の頃、談山神社は探検ごっこをするのには
もってこいの遊び場だった。
春夏秋冬、どの季節の談山神社も大好きだった。
家族で出かけては、嬉しくて夕方まで帰るのを渋ったものだ。
それくらいその境内は広く、秘密基地のように入り込んでいて
しかも山頂には古墳まである。

この談山神社の正面から東に下がったところに
城郭の名残の、ものすごい古い門がひっそりと建っている。
両袖付きの高麗門、切妻屋根は本瓦葺きというもの。
享和三年(1803年)建立の「東大門」。
もう朽ち果て寸前のようにも見えるのだが、これがものすごく素敵。
ここからは境内どころか、十三重塔も見えないのだが
確かに外囲いの一部だったんであろうと思う。
この門をくぐったとたんに、違う時代に行けそうな気がする。

ちなみに、中大兄皇子と中臣鎌子が知り合ったのは、
この近くの飛鳥という場所にある法興寺(現・飛鳥寺)で行われた蹴鞠会だとか。
談山神社では秋にけまり祭りがある。
昔の装束をまとってのけまりを見ているのもノスタルジックなんだけど、
私は是非とも、この東大門の前で佇んで欲しいと思う。
誰一人いないことが多いので、好きなだけ佇んで心を静かにしてみて欲しい。
そして、風と自然の音を楽しんで欲しい。


今年の奈良は平城遷都1300年ということで大賑わいなのだが、
奈良の本来の魅力は、観光客が少ない、ということだと思う。
とても静寂なのである。
お隣の古都、京都との違いを問われた賢い方の言葉を借りるならば
「奈良には闇夜がある」という。
陽が落ちると、とたんに静まりかえり、山の影だけが四方に浮かび上がる。(ミ)


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