地球散歩

地球は広いようで狭い。言葉は違うようで似ている。人生は長いようで短い。一度しかない人生面白おかしく歩いてしまおう。

ワイン

2010-05-21 00:00:00 | イタリア語

VINO(ビーノ)

私は誰か一人でも殿方が同じテーブルにいると
決してワインボトルを持ちません。

イタリア人女性に教わった、
「ワインは男が注ぐものである」

それ以来、私は頑なに守っています(笑)
ワイングラスは持ち上げず、手を添えるだけにして、
あとは殿方が注いでくれるのを静かに待ちます。

だから我が家では、ワインを注ぐのは夫の仕事であって、
私は「ワインをお願い」と言うだけなのです。

時々、街中のリストランテなどで
女性同士がワインを注ぎ合っていたり、
空になった男性のグラスに、女性が気を利かせてワインを注いでいるのを見かけますが
ビールや日本酒じゃあるまいし、
ここは一つ、ソムリエか、殿方にお願いしたいところです。

ヨーロッパ全般に言えることだけれど、
女同士で夜にご飯を食べに出かける・・・というのがまずあり得ない。
それを日本に当てはめるのは無理なので、女性同士の愉しみもOKなんだけど、
もしももしも、殿方がいたら、ソムリエがいたら
「ワインをお願いしていいかしら?」と囁くあなたを見てみたい私。

殿方は、自分も食事を愉しみながらも、女性のワイングラスに気を遣うべし。それ自体が、殿方の愉しみであるかのように。(ミ)

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コーヒー

2010-04-19 00:46:15 | イタリア語

 

Caffe(カッフェ)

昔の絵ハガキを読み返していたら
碧がイタリアからスペインに国境越えした時のコーヒーの話や
さらさが出会ったイタリアのbarで美味しそうにコーヒーを飲む紳士の話に
私もちょっと書いてみたくなり、このハガキを出すことにしました。

スペインの友人たちは、決して熱い飲み物を飲まないんです。
「猫舌」なんです。
私の知っている外国人は、殆どがこの「猫舌」ってやつで、
だからコーヒーの味も香りも飛ばないんですよね。
日本茶みたいに熱いと、コーヒーは美味しくないんです。

さて、スペインには友人・知人がたくさんいますが朝食をちゃんと摂って出かける人がいない・・・(笑)
まずはBarへ行って、
ドーナツやトルティーリャ(スペインオムレツ)と一緒にCafe'solo を一杯。
または、Cafe' con leche をのんびり飲むとか。

そうやって、仕事に出かけたとしても、
また11時頃になるとみんな街角に出てきて、
休憩のためにコーヒーを一杯、そして何かつまむ。

イタリアでも同じような光景が目に付きます。
私も語学学校の授業の前に、傍にあるBarで、
Caffe latte(カフェ・ラッテ)や Cappuccinoを飲んだものです。
美味しいPane(パン)なんかと一緒にね。

Caffe latte もCappuccinoも、食事のあとには飲まないものだとご存知でしょうか?
私は一番大好きだった先生に、
「どちらも朝10時以降は飲むものじゃないわよ」と教えられました。
イタリア人に言わせてみれば、
「なんで食事の後に牛乳なんかが入ってる飲み物を飲むんだ~。 
そんなものが入るのなら、もっとちゃんと食べろ!」と言われちゃう訳です。
なので、Dolce(ドルチェ)の後は、
Caffe normale(カフェ・ノルマーレ) か、macchiato(マッキアート) を!

Cappuccinoの由来はカプチン修道会士の修道服の薄チョコレート色からきています。
macchiatoは、汚れた、とか 染みの付いた、とかいう意味ですなわち、
コーヒーの色が少量のミルクで変わった・・・ということから。

ちなみに私のBarでの一息は Cappuccino senza schiuma (センツァ・スキューマ)
カプチーノの泡を立てないでくださいっていうやつですね。
午後のおやつの時間なら、許されてよ?!と、勝手に決め込んで。
この場合、長いグラスに入れてもらいます。
ぬるくて、泡もないので飲みやすく、ホッとします。(ミ)

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復活祭の後

2010-04-05 00:00:00 | イタリア語

Pasquetta(パスクエッタ:復活祭後の休日)

イタリア語で、復活祭はPasqua(パスクァ)と言います。
今年は4月4日ですね。

去年のpasquaは、pesaroというマルケ州にある美しい街で過ごしました。
地方によっては、まだウサギ肉を食べる習慣が残っていて
私もこの日は友人たちとウサギを食べに
山間のトラットリアへ行きました。

復活祭の挨拶は「buona Pasqua!(ブォナ・パスクァ)」と言い、
知らない人同士でもこの挨拶を交わします。
私が一番最初に挨拶をされたのは、ずいぶん昔、飛行機の機内で。

さて、復活祭の次の日の月曜日は、Pasquettaという休日です。
小さな復活祭とでもいう意味になるでしょうか?!
この休日は、家族連れ、友人同士でピクニックに行ったり、
持ち寄りで仲間とご飯を一緒に食べたり、おしゃべりしたり、
とにかく人があちこちで集まっています。

ミラノのような都会でも、花の市場が出たりして人出が多くなり、
どこからこれだけの人がやってくるのだろうかと思うくらいなんです。

空いてる商店もあるけれど、殆どが閉まっていて、
行列が出来るのは、その空いてる店と教会の入り口くらいかしら。
人は多いんだけれども、なんとものんびりした雰囲気なのが
pasquettaの良いところ。
ちょっと幸せな気分になります。 (ミ)

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祭り

2010-02-10 00:00:00 | イタリア語

Festival(フェスティバル)

carnevale(カルネバーレ)

「とうとう始まったね!カーニバル!!
 早くレンタル衣装の予約をしに行ったおかげで
 今年もまたお気に入りの衣装を借りることが出来て良かったよ。」

ベネツィアでは観光客でもカーニバル用の衣装を貸してくれるところが
たくさんあります。
もちろん、maschera(マスケラ:仮面)も、靴もなんでも揃っています。
mascheraくらいは思い出のために購入してもいいかもしれません。
フルマスケラ(顔を全部覆うようなタイプ)は、皆さん一年くらい前から
注文している場合が多いのですが、
目だけを覆うものや、顔半分を覆うマスケラはいつでも買えます。

私は顔半分のマスケラを購入していて
衣装は朝8時半に着付けてもらいに貸衣装屋さんに出向きます。
所々にゴブラン織りを施したシルクのドレスに(これが結構重いっ!)
ベルベットの黒いマントを羽織ります。
ドレスの下には今ではもう見ることもない木製のパニエを履きます。
パニエとは、ウエディングドレス等の下につけるペチコート、
ドレスをより広げるために履くんですね。
そして口元にはなぜだか、黒いほくろを描くのがお決まりのようで。
完成した姿はまるで別人!中世のお姫様も顔負けの出来栄え!!!

男性の正装は、黒マントにハット、そしてステッキですね。
(でもどういうわけか、フルマスケラをして女装する殿方の方が多いのです)

これで朝から夜までベネツィアの街中を練り歩きます。
途中、いろんな国の人々から「写真を撮ってもいいですか?」と
お声がかかり、その度にポーズをとらなくてはなりませぬ。
カーニバルの仮装って、本当に楽しいんです。究極のコスプレですね。

その仮装のまま、みんなが決まって集まる場所は
サンマルコ広場のカフェ・フローリアン。
ここでお茶をするのが、最大の楽しみなのです。
店の内装と、そこに集う人々を眺めていると
「いったい今、いつの時代にいるんだろう?!」とタイムスリップしたような
感覚に陥ります。

最後の日には、サンマルコ広場で仮装コンテストなるものが行われ、
いつもどんなすごい仮装の人が選ばれるんだろうと思うのですが
疲れてしまって見に行った試しがない(笑)
途中で家に戻って、ガラーニを食べながら熱いコーヒーで
体を温めます。
ガラーニはベネツィアの方言で、カーニバルの揚げ菓子のことです。
フリテッレとか、キアッケレとも言いますが、同じ種類です。

私は中にカスタードクリームが入ったフリテッレが大好物です。
シュークリームを揚げたような・・・・と想像してもらうのが
一番近いですね。
ガラーニは中に何も入っていませんが、バニラ風味の粉砂糖が
これでもか!っていうくらいかかっていて、たまらなく美味しいです。
たーくさん種類があって、毎年美味しいガラーニを見つけてくる友人がいます。

もしあなたがベネチアのカーニバル時期に旅をすることになったら
是非ぜひ、仮装していにしえのお祭りを体験してみてください。
忘れられない思い出になることでしょう!(ミ)
 

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日本

2009-08-01 00:00:00 | イタリア語

 Giappone (ジャッポーネ)

もう随分昔の話ですが、
イタリアの家でテレビを見ていたら
日本の習慣をパロディで紹介している番組が放映されていて、
二人のパロディストが「日本人ってさぁ~、麺を食べるのにズルズルと音を立てて食べるんだぜ!?」
そう言いながら、蕎麦をこれ見よがしにズルズルとものすごい音を立てて食べ始めました。
そのシニカルな態度に、一瞬イラっときた私。

「だって、それはね、蕎麦を食べるのに、音を立てて食べないなんて、あなた!
それじゃぁ、ちぃっとも美味しくなかろう?美味しそうじゃないじゃないか!日本はそういう文化なんだよぅ!」
誰も居ない部屋でテレビに向かって反論したのでした。

イタリアで、スパゲッティを食べる時に、音を少しでも立てて食べると
本当のホントウに嫌な顔をされることを覚えておかなければなりません。
彼らはそれをされると、露骨に嫌な顔、軽蔑した顔をします。
たとえ顔には出さずとも内心、ものすごく嫌がっているのです。
それはスペインだって、フランスだって同じ。
バルセロナの友人宅でラーメンを作り、ツルッと食べた瞬間、彼らの視線は私に釘付け。
「あなたが、そういう食べ方をするなんて!!」そういう目の彼らに私は言ったのです。
「日本ではね、麺類は音を立てて食べるという文化なの。あなた達が日本で蕎麦を食べるときに
しずか~~~に食べてたら、気持ち悪がられるよ?!もちろん誰も何も言わないし、注意もされないけどね」
「へぇ~、そうなんだ、みんなそうなの?」そんな不思議な話、今まで聞いたことがない様子の彼ら。
彼らには、この「音を立てて、麺類を食べる(すする)」ということが出来ないのです。
今までやったことがないのですから、どうやったら音が出るのか分からないらしい。

難しいこと、と言えば、フォークだけでスパゲッティを食べる行為。
スプーンとフォークを使って器用に食べるのは、アメリカ人と日本人だけだとか。
あなたがトラットリアでスパゲッティをオーダーしたとして、スプーンをくださいと言ったらば
お店の人は黙って持ってきてくれるし、まわりのお客さんも知らん顔していることでしょう。
でもイタリア人ととても仲良くなったら「なんでスプーンなんか使うんだーー」と、きっと言われるはず。
ちなみに「美味しい~」の意味で、頬を人差し指で押すあのゼスチャーも、大人はあまりやらないほうがいい。

さて、前出のカタロニア人が日本に遊びに来たとき、お箸の使い方はとっても上手だったけれどやっぱり麺類を食べるときには音は出せず・・・でした。
知らないでいたら彼らは「日本人って食事のマナーが悪い」って思ったことでしょう。
蕎麦を音を立てて食べてみようとする彼らの真摯な態度を見て、
私もスパゲッティはフォークだけで上手に綺麗に食べられるようになろうと思ったものです。(ミ)

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2009-06-22 00:00:00 | イタリア語

ESTATE (エスターテ)
 
L'estate と書きます。ちょっと難しいお話をしますと
イタリア語の名詞には、男性名詞と女性名詞というのがあって、
それぞれに定冠詞というのがつきます。
ESTATE(エスターテ) 夏は、女性名詞なので、定冠詞のLa (ラ)が付き、
省略してL'estate(レスターテ)となるのです。
 
夏にイタリアを旅すると、夜がなかなか来ないことにすぐ気づきます。
20時、21時になってもまだ明るいんです。
だから夜遊びがしたくなるんですね。
どの通りのBAR(バール)にも人々が集まって賑やかに楽しんでいます。
 
イタリアの夏はとても暑いのですが、日本のように湿気がなく、
日陰に入ったとたん、ひんやりして汗がスッと引くのが分かります。
麻の生地で出来た服が、これほど涼しいものなのかと
感心してしまう気候なんです。
 
そして、果物がとっても美味しい季節。
日曜になると、小さい広場に果物売りの屋台が出て、
好きなだけ買うことが出来ます。
アプリコットなど何個か買って、食べながらお散歩します。
 
太陽が一番高い時間はご注意あれ。
いっぺんに日焼けして、あとで痛い思いをすることになります。
午前中か、少し日が傾いた時間に、のんびり散歩するか、
夕刻にBAR(バール)で、プロセッコ(発泡白ワイン)など
飲んでみてはいかがでしょうか?(ミ)

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エジプトスペイン日本の夏もお楽しみください。


ブドウ

2008-09-25 23:51:35 | イタリア語

 Uva(ウヴァ)

 旬のお題「ぶどう」をイタリアで・・と考えたときに思い浮かんだのは、ローマのボルゲーゼ美術館にある絵画、カラヴァッジョの「病めるバッカス」である。バッカスとはギリシャ神話に登場するブドウ酒の神「ディオニソス」のローマ名。アテネ国立博物館にある大理石のディオニソス像は細面の端麗な顔立ちに髪がブドウという姿。そんなイメージを持っていた私にとって強烈な作品であり、描いたカラヴァッジョという画家の存在も強く記憶に残った。

 ブドウの葉の冠、果実を手にした姿は定型とはいえ、筋肉質の肉体やこちらに向けられた眼差し、血の気のない肌や唇が「病める」という言葉と共に生々しく迫ってきた。美術館の解説には風刺的自画像と書いてある。

 カラヴァッジョはバロック絵画の巨匠。徹底したリアリズムでルネサンス以来の流れに革新を起こした。通例であった美化を捨てて聖人を庶民やみすぼらしい姿で描き、また静物は枯れ朽ちる葉や腐敗する果実をも写し取ることで表現。劇的な明暗の世界も大きな特色で、後続のレンブラント、フェルメール、ルーベンス、ベラスケスに大きな影響を与えている。あまりの現実主義に教会の祭壇から取りはずされたこともあったそうである。

 彼の激しさは絵画表現にとどまらず、私生活で度々問題を起こしている。35歳の時に殺人で告発されて賠償から逃れるため、ローマを離れてナポリ、シチリア、マルタを転々とさまよい、恩赦を嘆願する為に描いた絵画を教皇庁に送って返答を待っている間に熱病に倒れて、38歳の短い生涯を閉じた。

 カラヴァッジョの肖像画は最後の10万リラ紙幣に採用されたが、人殺しを紙幣の顔にするのかとの批判もあったそうだ。しかし彼の残した絵画に揺るぎない価値があることは、絵の前に立つと深く理解できる。

 ボルゲーゼ美術館は枢機卿の荘館(写真)で、代々収集してきた数々の美術品を展示している。かつては広大な敷地にブドウ園やワイン倉もあったということでバッカスが住むにふさわしい邸宅だったようだ。(さ)

参考文献 『ボルゲーゼ美術館ガイド』 『絵画の見かた』(視覚デザイン研究所)

いつもありがとう!Grazie !  旬のブドウは日本イランエジプトトルコ沖縄ギリシャなどなど目白押し。また賞味されていない方は是非!ぶどうだけでなく、ワインも飲みたいな。ディオニソス(バッカス)に乾杯クリックよろしくね。人気blogランキングへ

 

 

 

 


2008-04-03 15:35:46 | イタリア語

 Macchina (マッキナ)

  イタリア車といえばアルファロメオ、フィアット、フェラーリとイカした車が沢山。アテネに住んでいた時、知人が「こういう機会にしか乗れないから」ということで、中古のアルファロメオを購入した。他の日本人が乗っているフィアットの故障話は聞いていたが、予想以上の展開。オイル漏れとエンジントラブルで2度のレッカー、車ごと船に乗って行った島で修理工場にお泊まり。それがイタリア車だからなのか、以前の故障時に行ったギリシャの修理が悪かったのかはわからない。

 修理代、レッカー代ととんだ出費に見舞われたにもかかわらず、彼はアルファロメオに乗っていることが幸せだという。200キロ近いスピード(勿論、高速道路)で魅せる軽やかな走り、洗練されたデザインのボディに輝くエンブレム・・。愛車アルファロメオの魅力を語る姿が少年のようで微笑ましくもあった。

 そんなこんなで気になったのがエンブレム。右側の蛇は何と人を口にくわえているではないか。調べてみると左の十字がミラノ市章、右が貴族ヴィスコンティ家の家紋。ローマ教皇グレゴリウス10世を出した名門で、映画「ヴェニスに死す」のルキノ・ヴィスコンティもこの一族の流れだそう。

 市章は、第一回十字軍遠征の折、聖地エルサレムの城壁に最初に辿り着き十字架を立てたのがミラノ人であったことに由来。また家紋は十字軍で闘ったサラセン人(イスラム教徒)を飲み込む竜(大蛇)という説が一般的。

 ミラノを本拠地にして始まったアルファロメオだから、ミラノ人の誇りや名門貴族の紋章を車のシンボルにしたのだろう。イスラムの人には複雑なのでは・・と思ったり、現代を走る車が十字軍の歴史を背負っていることに驚いたり・・。車種の区別がつかない私もアルファロメオだけは目ざとく見分けるようになった。日本では、めったに走っている勇姿にお目にかかれないのが残念でならない。(さ)

 参考・アルファロメオHP・Wikipedia

 「車」をテーマに更なる旅を。 エジプト    

                  ギリシャ 

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クリスマス

2007-12-29 20:39:53 | イタリア語

 Natale (ナターレ)

 クリスマスが終わって日本は既にお正月モード一色。一方、ヨーロッパではまだキリストの誕生を祝う静かであたたかい雰囲気が継続、1月6日までは飾りつけも残って新年はその中で迎える。

 ヨーロッパのクリスマス装飾の中で最も印象深いのは、キリスト生誕の場面を再現した人形「プレセピオ」である。この人形飾りは教会、ショーウインドー、各家庭といろいろな場所に登場。起源は12世紀にアッシジの聖フランチェスコが文字をほとんど読むことのできなかった当時の民衆にキリスト教を理解してもらう為に始めたと伝えられている。

 私が初めてプレセピオを見たのはローマ滞在経験のある友人宅を訪ねた時。高さ20㎝くらいの木製の馬小屋にマリア、ヨセフ、赤子のキリスト、天使、馬や羊の小さく精巧な人形が配され、まさに聖書の一場面「聖夜」を表現している。12月になるとナヴォーナ広場にプレセピオをはじめとする様々な季節用品を販売する市が立ち、そこで購入した思い出の品であるという。

 またこんなエピソードも聞かせてくれた。クリスマス前にイタリア人の家に招かれると広いリビングに大きなプレセピオが飾ってあったが、飼い葉桶の中に肝心のキリストがいない。尋ねると「まだ誕生していないよ」と、奥さんが赤ちゃんのキリストを大事そうに持ってきて当時幼稚園児だった友人に「置いてみなさい」と声をかけてくれた。そっと寝かせると「Buon Natale!」(クリスマスおめでとう!)という拍手とキスを受け、クリスマスの意味がはっきり刻まれた瞬間として40年近くも前のことなのに鮮明に記憶しているそうだ。現地の友人を通して異文化を家族で体験、理解した日々はかけがえのないものに違いない。何とも素敵な思い出、うらやましく思った。

 私もギリシャに住む機会に恵まれてクリスマスの意味を同じように実感。アテネの街でもプレセピオが飾られ、等身大の大きさのものがあることも知った。これはなかなか迫力満点である。写真は夏にローマを旅した時、バチカンの宗教用品を売る店のショーウインドーで見つけた時のもの。この辺りでは場所柄、通年置いてあるらしい。ローマとアテネで購入した我が家のプレセピオも日本で過ごすクリスマスの時間に行事の持つ深い意味ととヨーロッパの香りを与えてくれている。(さ)

 いつもありがとう。Grazie ! 今年も『地球散歩』に度々おいでいただき、ありがとうございました。ゆっくりの更新ですが、楽しく丁寧な記事を目指して頑張りますので来年もどうぞよろしくお願い致します。皆様、よいお年をお迎えください!碧・mitra・さらさ

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パン

2007-11-16 13:38:04 | イタリア語

 Pane( パーネ)

 イタリアのパンは歴史も古い。メソポタミアからエジプト、ギリシャへと伝わる中で発酵技術が進んでローマに至る。ポンペイ遺跡の発掘では、パン工場や金持ちの邸宅のパン焼き場が見つかっているし、ローマ市内にも多くのパン屋があったそうだ。料理を地方色豊かに、多彩にしている長靴型の地形は、風土により様々なパンの味を生み出してきた。かつては、足を運ばなくては味わえなかった味も近年のイタメシブームで日本に上陸、お馴染みのものも増えてきている。

 細長い棒型でクラッカーのような「グリッシーニ」は16世紀のトリノが発祥。病弱な王子が医師から食生活の改善を指示され、御用達のパン職人が消化の良い粉で発酵して焼き上げた。食べやすい形とサクサク感が好みにあったせいか王子は健康で立派な王になったそうだし、当時の貴族の間でも人気のパンとして広がったというエピソードを持つ。

 ミラノ生まれの「パネトーネ」は、クリスマス時期ならでは。コモ湖周辺の自然環境で生まれた天然酵母を使い、長時間発酵させて焼いている。大きなパン(パネトーネ)という意味の通り、大きな円筒形のパン菓子である。柔らかい中にも弾力があり、たっぷりの干しブドウと砂糖漬けフルーツがケーキと違った独特の風味を楽しませてくれる。もう一つ、フルーツを入れず卵とバターをたっぷり使ってギザギザ型に焼き上げたのはヴェローナ生まれの「パンドーロ」で、金のパンという意味。初雪を思い起こさせる粉砂糖をたっぷりまぶして食すのが、いかにも冬の風物という感じだ。

 他、「パニーニ」や「フォカッチャ」という名前も珍しくなくなった。しかし「ロゼッタ」だけは、さすがの日本でも流通していない。薔薇の花という優雅な意味を持つローマの名物パンである。表面に切れ目があってパリッとした焼き上がり、中が空洞なのが特徴だ。旅行中はホテルでロゼッタとカプチーノが朝食の定番。バターだけでも勿論いけるが、横に切って空洞部分に生ハムやモツッアレラチーズなどを挟んだら立派な軽食になる(写真)。小さい頃、ローマに住んでいた友人はこのサンドイッチを持って現地幼稚園に行っていたそう。いかにもイタリアっ子のお弁当!友人の中では特別な思い出のパン、日本で簡単に手に入らないから旅で再会した時の喜びはひとしおになる。(さ)

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2007-10-17 09:17:26 | イタリア語

riso(リソ)

 イタリアの米料理といえば、リゾット。ご自慢の一品であることは、riso(米)とottimo(最高)の組み合わせから成立した言葉ということからもうかがえる。

 何度もイタリアに行ったのにリゾットの記憶がないことに今回、気がついた。米の炊き加減は堅めが一番、粥は病気の時(旅先の朝粥や正月の七草は別)、雑炊は鍋の後くらいの私にとってリゾットのイメージは「洋風雑炊」。様々な種類、調理法のパスタなどが目移りするくらい並ぶメニューの中で、とりたてて選ぶチャンスがなかったと分析したものの、本場のリゾットを味わわなかったことが今となっては心残りに・・・。でも大丈夫、イタリアンといえば今や日本の定番、近々、秋にふさわしいポルチーニ茸のリゾットでも食す機会を作り「最高の米(料理)」を実感してみたい。

 他に何か・・・と記憶をたどって浮かんできた風景は、ローマの下町トラステヴェレ地区のピッツェリア。かまどから出したばかりの薄焼きのマルガリータ(トマトとモッツァレラのピザ)をペロリとたいらげたあと、昔ローマに住んでいた友人が注文した米料理が「スップリ」である。簡単に言うと小さく丸いライスコロッケ、トマト風味のピラフの中にチーズを入れたもの。もともとはリゾットの残りの活用として生まれた料理だそう。揚げたてはサクッ、中のチーズがトロリと糸を引いて、ピザの後でも止まらない美味しさだ。こちらの方は街歩きで小腹がへった時に手軽なスナックとして、何度も口にした。テルミニ駅の売店で温めてもらったスップリを持ってナポリ行きの列車に乗ったことも懐かしく思い出される。

 写真は北部パドヴァの街で開かれていた青空市場で、米や豆、乾燥ポルチーニ茸などの乾物がびっしりと並んでいる。ローマ在住経験のある友人の話では、日本から送られてきた「せんべい」を「米から出来た菓子」の説明で世話になったイタリア人に配ると「buono!美味しい!」と大変喜ばれたそうだ。(さ)

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2007-04-23 10:37:46 | イタリア語

Primavela (プリマヴェーラ)

 イタリアの春と聞くと一枚の絵が浮かんでくる。ルネサンスを代表する画家の一人・サンドロ・ボッティチェリが描いた「春](http://www.h6.dion.ne.jp/~em-em/page177.html・フィレンツェのウフツィー美術館蔵)。双璧である「ヴィーナスの誕生」と並んだ展示室は、思わず溜息がこぼれるような贅沢な空間であった。絵画好きでなくても、まっすぐに飛び込んでくる美である。それは花の大聖堂のもとに広がる街に色濃く残るルネサンスの空気と同じ、ローマでもミラノでもない、フィレンツェ独自の色を呈している。

 「春」「ヴィーナスの誕生」、どちらも愛と美の女神を主軸に据えた神話画。初めて「春」を目の前にしたとき、その大きさにも圧倒された。縦2メートル、横3メートル、画面のあちらこちらに散りばめられた花々がいかにも春。たわわに実るオレンジの木々の下にいる人物は多く、以下の通り。

 まず、中央は薄い衣に緋色のマントをまとったヴィーナス(アフロディーティ)。右には花の冠と首飾りをした花の女神フローラ、そしてフローラの前身といわれるクロリスと春を運ぶ西風の神ゼフェロス。ゼフェロスはクロリスを抱擁しようとし、彼女の口元からは花が溢れ出ている。左には三美神の女神達、更に神々の使者・マーキュリー(ヘルメス)、木の下にはキューピッド(エロス)・・と揃い、優美な神話の世界にいざなわれる。それぞれの女神達の表情、髪型、衣服などに見られるボッティチェリらしい繊細な描写も圧巻。

 ギリシャの神々をテーマにした絵画や彫刻に名だたる作品が沢山あり、あちらこちらの美術館の目玉となっている。文学や演劇もしかり。時代を問わず、神話が芸術家たちにとって汲めども尽きぬ創作の泉であることを感じる一枚である。(さ)

*写真はアテネの近代美術館にボッティチェリのヴィーナス(ベルリン美術館蔵)が来た時のもの。

参考文献 『西洋美術史』 美術出版社

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ワイン

2007-03-12 13:32:09 | イタリア語

Vino(ヴィーノ)

 イタリアは生産が世界一、消費はフランスに次いで二位のワイン大国。ギリシャから伝わったワイン造りは紀元前2000年までさかのぼる。温暖な地中海式気候に肥沃な土地は葡萄栽培に適していた。ギリシャ人は美酒を生み出すイタリアを「ワインの天地」と呼び、南イタリア産の葡萄酒を古代オリンピック競技の勝利者に与える褒美の一つにしていたそうである。

 輸入品を珍重するのは、いつの時代も同じ。逆にイタリアではギリシャ産ワインがもてはやされていたらしい。ローマ時代は、市民が水で割ったワインを飲み(古代ギリシャと同じ飲み方)、当時、既にあったビールは奴隷の飲み物だったそうだ。

 ローマ帝国として、領土を広げると共に植民地に葡萄畑の開拓とワイン造りを推奨したことで急速にヨーロッパに広がり、フランス、ドイツ、ポルトガル、スペイン産ワインの基盤となった。イタリアでは、その後、帝国が崩壊。葡萄畑も荒れて廃れそうになった時代もあったが、ワインが「キリストの血」と称される聖なる飲み物であったことから、中世の修道士達がそれを再興したという歴史がある。

 現在、キャンティはじめ様々なイタリアワインが日本で購入可能。そんな中で、二つを紹介してみたい。まず、面白い名前が印象的なのは「エスト!エスト!!エスト!!!ディ・ モンテ・ フィアスコーネ」。ワイン好きのドイツ司祭がイタリアを旅することになった時、先に従者を送り出し,今でいう「ワインガイド」を作らせた。あちこちを旅してお気に入りがあったら、その街に「エスト(ラテン語で「ある」という意味)」と書くよう指示。このワインを飲んだ時、あまりの美味しさに「ある!」を三回も書いてしまったというエピソードによるネーミングだそう。辛口の白で、値段も1160円と手頃。

 もう一つは、「ラクリマ・クリスティ・デル・ヴェスーヴィオ」。こちらは、ヴェスーヴェィオ山の噴火で廃墟となったポンペイの街を見て、キリストが涙した跡地に生えた葡萄から造られたというエピソードだ。同じく辛口の白で、2050円。今や日本人の大好きなイタリアン。今週末はモツァレラチーズとトマト、フレッシュバジルのサラダに、簡単パスタでも作って、小さな逸話で広がるワインの世界を是非お試しあれ。あるいは、間もなく始まるお花見のお供にいかが?(さ)

 *参考文献 『イタリア遺聞』 塩野七生 新潮文庫

         『ベスト・ワイン』 野田宏子 ナツメ社

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コーヒー

2006-09-25 12:24:47 | イタリア語

 Caffe(コーヒー・カッフェ)

   イタリアでコーヒーといえば、バールでの一服。私が好きなのはカプチーノ。今でこそ珍しくもないけれど、アメリカンやブレンドしかなかった少し前の日本では飲む機会がなかった。初めての旅先ですっかり魅了され、ミラノのデパートの家庭用品売り場を探してミルクを泡立てる道具を購入して帰ってきたほど。この泡立て器は紅茶のサーバーのような形で、蓋に突き出ている突起をつまんで上下すると中のミルクがフワフワになるという仕組みになっている。いつものコーヒーに出来上がった泡をのせただけで気分はイタリア。長い間使用していて、今も家でのコーヒータイムに欠かせないが、現在の日本ではミルク泡立ての道具も輸入雑貨の店で手に入るし、街のカフェでも簡単に飲むことが出来るから時代は変わったものである。

 最後にカプチーノと共に思い出される小さな場面。美味しそうにすすったあと、口髭に泡をつけていた老紳士の姿。またある時は飲み干した後、やおらスプーンをとってカップに残った泡をすくって食べ始めた青年。とても不思議な動作に思えた。イタリア通の知人の話では沢山の砂糖を入れてかき混ぜずに飲み、下に沈殿した砂糖をスプーンですくってちびちびと食べる人も多いそうだ。どちらも冬。灰色がかった曇天の街に溶け込むようなシックな装いのイタリア男であった。(さ)

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2006-05-17 03:16:01 | イタリア語
Te(テ)

 イタリアで一服といえばバールでのカプチーノやエスプレッソ。でも今日の話題は茶道、キリスト教との関連の話である。今年の1月にとても興味深い新聞記事があった。
 1984年12月に裏千家の千玄室氏が,昨年逝去されたローマ法王ヨハネ・パウロ二世に個人謁見された折りのこと。バチカンの聖アンセルモ教会のミサで献茶をされた氏は、ミサの過程で神父様が儀式に用いる容器を聖壇の上で清める動きに茶道の「袱紗(ふくさ)さばき」の所作を感じられたという。
 袱紗は茶道で茶器や茶杓などの道具を清めるのを主な用途とする布。袱紗さばきとは、その布を決まった手順で折りたたむ動作のことである。氏は「期せずして東西の文化が融合した」とその瞬間を表現された。
 自ら敬虔なキリスト教信者であり、それが独自の作風となっている小説家・三浦綾子氏の小説『利休とその妻たち』の中にも同じような見解があったことを記憶している。キリスト教の学校でミサを見て育ち、茶道を勉強していた私にとっては自分の身につけてきたものに意外な「つながり」があると解って大変驚いた。日本の伝統文化とキリスト教という一見、無関係なものが歴史の流れの中で触れ合っていたという不思議である。

 その歴史について千玄室氏は、キリスト教伝道者ジョアン・ロドリゲスの著書『日本教会史』から「武将のたしなみである茶道は日本で一番大事な文化であるから、利休に弟子入りし、お茶を通してキリスト教を広めたら良い」という記述に言及されている。つまり布教の地盤作りに茶道の世界に近づいてきた宣教師達がいたということである。
 また利休七高弟といわれる優れた弟子の5人が高山右近をはじめとするキリシタン大名であったという事実。いずれ厳しい禁令と弾圧が行われたキリスト教の歴史を考えると本当に短い期間の交わりといえる。しかし仏教、禅宗を背景にした茶道が時代の流れの中でキリスト教と深く関わったということは間違いないのである。

 先に述べた袱紗さばきや茶を点てるまでの手順は一見するととても複雑で覚えるのが大変そうに思えるようだが、実際に習ってみると全く無駄のない動きで合理的にさえ感じられる。茶道は手順ではなく「もてなしの心」。亭主と客が思い合い、尊敬しあう関係である。形ではなく精神。
 千玄室氏は「一碗からピースフルネス(平和)」をテーマに活動されている。謁見の際にローマ法王から「どうぞあなたの一碗のお茶で世界の人の平和を祈ってあげてください」というお言葉をかけられ、ロザリオをいただいたそうである。そんなところにもキリスト教の精神、ひいては宗派を超えた「人の生き方」につながる奥深さを垣間見ることができるような気がする。(さ)
(読売新聞 2006年1月25日 「時代の証言者」記事参照)


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