地球散歩

地球は広いようで狭い。言葉は違うようで似ている。人生は長いようで短い。一度しかない人生面白おかしく歩いてしまおう。

2005-10-25 13:53:36 | ギリシャ語
κρεας (クレアス)

 ギリシャの肉料理。味の決め手は新鮮さである。スーパーではパック入りも沢山並ぶようになったものの、まだ肉の対面販売コーナーがあり、その場で肉を注文する。そして何といっても街のあちこちにある肉専門店(肉屋)で買う人が多く、それが一番。
 あらかじめ並んでいるものもあるが、注文を聞いて大きな塊からその部位を切ったり、機械にかけて挽いてくれたりする。オーストリアの名物である薄いカツレツ「シュニッツェル」などはその名のまま普及していて、切った後に肉たたきでたたいて更に機械にかけて薄くしてくれる。切りたて、挽きたての肉で作れば少々料理の腕が悪くても味はお墨付き。

 肉は牛、鳥、豚、羊の他、山羊やウサギも食べる。塩、こしょうで焼き、レモンやリガニをかけて食べるほか、トマト味やレモンと卵を使った独特なギリシャ風ホワイトソースで煮込んだり、ハーブを沢山入れた肉団子にして揚げたり・・といろいろな肉料理がある。羊はお祝いの御馳走。また、ちょっと変わったところで、ウサギは冬の味。旬の小タマネギと一緒にトマト味で煮込む。
 日本の焼き鳥に似て串に刺さっているのが「スブラキ」。どこのレストランにもある代表料理である。またハンバーグは、ギリシャ語で「ビフテキ」。どちらもハーブを使い、塩、こしょうのシンプルな味付け。熱々に薫り高いレモンをギュッと絞るとジューシーで爽やかな肉汁が口一杯に・・。
 戸外のテーブル席にスブラキ、山羊チーズのフェタがのったグリークサラダ、ワイン、そして家族や仲間が揃えば、のんびりとしたギリシャらしい食卓となる。

Στην  Ελλαδα υπαρχουν πολλα  φαγιτα  με  κρεας.
(ギリシャには沢山の肉料理がある)
  <スティン エラーダ イパルフーン ポラ ファギタ メ クレアス>

Τρωνε το μοσχαρι, το χοιρινο, το κοτορουλο, το αρνι
καμμια φορα το κατσικι, το κουνελι.
(牛、豚、鶏、羊、時々、山羊やウサギも食べる)
  <トローネ ト モスハリ、ト ヒリノ、ト コトプロー、ト アルニ、 カミア フォラ ト カツィーキ
   ト クネーリ>

Μαγιρευεται  το  κρεας  ψιτο ,  τιγανιτο,  βραστο.
(料理方法は,焼く、揚げる、煮る)
 <マギレーウ"ェテー ト クレアス プシトー 、ティガニト、ブラストー>

Το χοιρινο η το κοτοπουλο ψηνεται στη σουβλα
και ψιτο.
(豚、鶏肉は串に刺して焼く)
 <ト ヒリノ イ ト コトプロー プシネテー スティ スーブラ ケ プシトー>

Αυτο  ειναι  το  σουβλακι.
(これがスブラキである) <アフト イネ ト スブラキ>

  *ギリシャ語メモ*肉の名前を覚えよう!
  
μοσχαλι<モスハリ>牛    χοιλινο<ヒリノ>豚
κοτοπουλο <コトプロー>鶏    αρνι<アルニー>羊
κατσικι <カツィーキ>山羊    κουνελι <クネーリ>ウサギ


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2005-10-23 22:51:43 | 日本語
  私の住んでいるところは、かつての宿場町の裏側。近所の婆様の話では、駅に行くには森を抜けていったという。そして、そして、日光に続く細く長い道の両端には牧場があったとか。現風景からは想像も出来ない。森や牧場があった気配は全く感じないし、さらに遡って江戸時代になると、刑場があったというが、それも今や昔。庚申様や馬頭観音の碑が風化していくのを通り過ぎながら見ている。
 そんな街道沿いと打って変わって、裏の住宅街に迷い込むと大変だ。人がすれ違えるかどうかという道がひしめき、さんざん歩いた挙句に行き止まりと言うところも少なくない。かつての農道のままに家を建てた結果である。
 消防車が通れないところに、現在の法律では家は建てられないことになっている。しかし、家が減ることは無い。そして、家はちゃんと生まれ変わって、人々は住みつづけている。家の骨組みをそのままに、リフォームするのは問題ないからだ。どう見てもリフォームの域を越えている家がたくさんある。
 夕暮れの中、豆腐屋のラッパが響く。犬の散歩で迷い込む路地の奥。ふと庭先を覗き込むと小さなお稲荷さんの社があったり、こんにゃく屋や麺屋さんがひょっこり顔を出す。
 振り返るとサンシャインの脇に富士が見える。東京にもそんな風景がまだ残っている。建築法違反万歳と心の中でつぶやき、この古い町並みがなくならないことを願う。[a]


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2005-10-22 22:50:30 | 英語
 way(ウエイ)

 英語の道を書くにあたって、私はavenueとstreetについて書くつもりであった。内容を書く前に、何語の場合でも必ず辞書をひくようにしている。
 今回も何気なく辞書を引いて、ギクリ。
 avenueもstreetも「通り」良く考えてみればそうなのだが、ごっちゃになっていた。
 道を意味する単語はwayのほかに、rode,path,laneと4つある。あまり意識したことが無かったが、どれも結構使われていると思う。
 日本でも道、路、途とある。日本語がバラエティーに富んでいるのは驚かないが、英語でこれだけ種類のある単語は幾つあるのだろうか。それだけ道に対する思い入れがあるのではないか。なんとなく、開拓時代のアメリカを思い浮かべた。荒地に道を作るのは大変だっただろう。

 さて、私が書こうとしていたのはニューヨークの話。
 アメリカの都市の一部では南北の通りをavenue。東西の通りをstreetという。
 散歩の途中で迷子になったら、軌道修正に役立つかも?[a]

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2005-10-21 01:11:12 | アラビア語(エジプト)
مطر(マタル)

アラビア語圏で雨はまさしく恵みの雨。雨が降って憂鬱ということは殆ど無い。近頃やっと普及し始めた傘。(異常気象で雨が多くなったためと思われる)これをさすのも楽しみの一つ。とはいえ、濡れて歩いている人の方がまだまだ多い。

 ある時、お客さんに消防士さんがいた。エジプトの子ども達が、彼の職業を聞いて質問した。「日本は今たくさん雨が降っているよ」
「テレビで見た!雨がたくさん降って、車も水の中に沈んでいたよ」
「日本は雨が多いからすずしいの?」と、とにかく雨についての質問が多い。
 なぜかと思ったら、彼らには気になることがあったのだ。洪水が起きるような台風などの映像を見ている彼ら。日本の消防士をとても心配していた。
 「あんなにたくさん雨が降ったら、火事なんておきっこないから消防士さんは失業しちゃうよ!」とついに一人の子が言った。
 「お仕事無いのに、エジプトまで来て大丈夫?」
 「お給料はもらえるの?他にもお仕事しているの?」と、子ども達の質問はとまらない。
 日本は火事がけっこうたくさんあると言ったが、聞いている様子は無い。とにかく、あの台風の中で火がでるとは思えないのだ。子ども達の感想は「お仕事しなくても給料が出るなんて日本はすごい国だ。やっぱりお金持ちの国だ」と意見がまとまったようだ。
 雨が年間2パーセントのところに住む子ども達のはなし。[a]

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トマト

2005-10-18 22:30:53 | スペイン語
 tomate(トマテ)

 スペインでトマトといえば、アンダルシアの代表的メニュー、ガスパチョ。火を通さない冷たいスープ。日本にも冷汁というのがあることを知るまで、冷たいスープはヨーロッパにしかないと思っていた。 スペインのランチは定食が定番。ボリュームがあるので一品めはサラダかスープにするのがベスト。二品目はメインで肉か魚。そしてデザートがついてくるので、夜ご飯もいらないぐらい。 一品めにガスパチョがあると迷わず選ぶが、これが結構ずっしりとくる。ガスパチョはトマトやズッキーニ、パプリカなどをミキサーにかけたものだが、食パンが入っている。食べるスープと言われる所以か。  
 スペインでトマトといえば!これもはずせないと言うのがLA TOMATINA(トマト祭り)バレンシア県にあるブニョールという町で毎年8月に行われる。65年ぐらい前から行われるようになった祭りで、誰でも参加できるらしい。町じゅうがトマトジュースの洪水になったような映像をテレビで見ていると、それだけでトマトの匂いがしてくる気がする。 この祭りの見所は、トマトを投げるところだけではないそうだ。実際にトマト合戦をする時間は1時間ぐらいらしい。その後、トマトを洗い流すために、散水車がでて水がまかれ、町はあっという間に何事も無かったかのようにきれいになってしまうと言う。百聞は一見にしかず…いつの日か散歩で立ち寄らねば。[a]


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2005-10-15 23:52:22 | スペイン語
 agua(アグア)
 スペインは湧き水が豊富である。町のいたるところに水のみ場がある。マドリードやバルセロナでは水がかれてしまっているのか止められているのか、水の無い水のみ場もあるが、大抵はチョロチョロでも水が出ている。新しく作られたものだと、蛇口がボタン式で、一定の水が出ると止まるものもある。
 田舎に行くと、「No agua portador!」(水汲み禁止)と書いてあるにもかかわらず、大きなタンクを持って水を汲みに来ている人たちがたくさんいる。
 昔は馬等に水を飲ませたのだろう。大きな水槽がついた水のみ場が多く残っている。今では、散歩の途中のおじいさんたちのちょっとしたベンチになっている。まさしく井戸端会議をしている。
 お昼ご飯が近くなると、どっこいしょと立ち上がり、ちょっと水を飲んで家路に向かうおじいちゃん達。その後姿を見送って、私もランチに。スペインのランチは一日のメインの食卓。ゆっくりととる。店を出てくると町に人がけはなし。シエスタの間、町は静まり返っている。水のみ場の水音だけが響く。どんなに激しく太陽が照りつけようとも、陽炎が立つ暑さでも水は冷たい。[a]

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トマト

2005-10-14 23:59:29 | アラビア語(エジプト)
طماطم (トマーティーム)

 これは本来、集合体をさすが、口語ではもっぱらトマーティムである。一個だけだとطماطمة(トマーティマトゥ)。これはエジプト方言。トマトを一度に一つだけ食べるという習慣は無いので、集合体で言うのか?
 シリア方言では بندورة(バンドゥーラ)。
 エジプト人はトマトが大好きである。トマトとキュウリのシンプルなサラダ。トマトと豆の煮込み。トマトとジャガイモの煮込みと、トマト尽くしの昼食も珍しくない。
 トマトが南米原産であることを忘れてしまいそうなほど、トマトのない食卓は考えられない。古代遺跡のレリーフを見ていると、つい供物の中にトマトを探してしまう。食生活において、エジプト人は、古来からの習慣を変えたがらない傾向がある。そのため、体型が古代からほとんど変わらない珍しい民族である。そんなエジプト人を虜にしたトマトはまさにエジプトのルビー。
 完全に熟した真っ赤なトマトしか市場に出回らない。エジプトに旅行したら、是非トマトスープを飲んでみてほしい。外れることはまずない。日本が忘れた、トマト本来の味が、そこに凝縮されている。[a]

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2005-10-13 23:43:05 | アラビア語(エジプト)
شجرة(シャジャラ)

 アラビア語の「木」を書くときは、絶対この木の写真を使おうと決めていた。いかにも南国という感じの木である。しかし、こんな木がエジプトにたくさんあるかというと、殆ど見たことが無い。カイロのゲジラ島にあるこの木の下は、かつて馬車屋の休憩所であった。カイロタワーに来た客を乗せて、島を回った観光馬車が、この木の下で休んでいた。木が面白いだけでなく、木陰の馬車はとても印象深く、絵葉書のような光景を良く思い出した。と、これは一昔前の話。
 写真を撮るために久しぶりにゲジラ島へと散歩。あら?何か様子が違う。まず空気がきれい。(馬糞の匂いがしない)道が舗装されている。しばらく立っていたが、木の下を潜り抜けるのは車だけ。馬車の馬の字も無い。
 かつて、カイロの道路には車に混じって、ロバや馬も走っていた。しかし、そんな風景は急速に消えつつある。近頃では殆ど見ない。
 
 暑いこの地で木陰は何よりの憩いの場。町中にある売店は木に寄り添っている。木の下の売店で貸し電話を借りての電話。日なたの公衆電話で干からびそうになるより、落ち着いて電話ができる。しかし、こんな風景も消えつつある。携帯電話が普及し、公衆電話は乱立。貸し電話屋も姿を消しつつある商売である。

 木陰とあらば、中央分離帯でもお構いなしに昼寝していたエジプト人。しかし、そんな姿も消えつつある。

 唯一消えることが無いと思われる、木の下の小さなお茶屋でエジプトの西洋化をちょっぴり寂しく思いつつ、コップに透けるシャーイ(紅茶)の向うに懐かしいエジプトを見る。[a]

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2005-10-11 23:11:56 | 日本語
 「日本人は水はタダだと思っている」とは、かの有名なイザヤ・ベンダサンの言葉。『日本人とユダヤ人』を読みながらこの人は日本人なのかユダヤ人なのか何度も考えたことを思い出す。もっとも近頃の若者はこの本を知らない人が多い。良い悪いは置いておいてぜひ一読を。面白いので。
 昨今の日本は決して「水はタダ」ではない。むしろエジプトの方が「タダ」感覚が大きいとアラビア語の「水」を書いていて思った。
 果たして日本人は「水はタダ」が当たり前で生きたきた民族なのだろうか?いやいやどうして!それは昭和になってからのことと思われる。
 江戸時代から明治にかけての記録によれば、水売りや水屋という商売があった。水を運ぶ船も運水船と呼ばれ、飲み水を供給していた。
 家の近くでいい井戸を掘り当てられればよいが、無い人たちは朝夕水を買うのが日課だったようだ。
 鴎外か漱石かどちらか忘れてしまったが、「顔を洗っては歯磨くのにはコップ一杯の水で事足りる」と言っている。きっと水を買う生活を幼いころしていたに違いないと思う。「水は大切に」そう育てられたのであろう。

水は万物の源。我らも水あって生まれてきた。そして、水なくして生きてはいけない。大事に使いたいものである。[a]
   
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トマト

2005-10-10 19:48:41 | ポルトガル語
Tomate(トマテ)

 ポルトガル料理。ギリシャ料理と同じように「はて、どんな料理だろう?」という疑問がわいてくことだろう。様々な海外情報が手に入る日本でもあまり馴染みのない料理の一つである。

 旅行先で初めて食べたポルトガル料理は美味しい!の一言。長い海岸線を持つ土地だけに魚貝が豊富で新鮮、庶民的な食堂で出会う全てに舌鼓を打った。オリーブオイルを使った地中海の料理の仲間に入るものの、意外にあっさりした素朴な味わい。そういう意味では日本人好みかもしれない。
 ギリシャでも見かける塩漬けして干したタラはポルトガルの国民食。街の食材店で必ず見かけた。これを塩抜きして芋と混ぜたコロッケはショーウィンドーに並べてあるものを買って歩きながら何度もほおばった。他にもアサリのワイン蒸し、魚貝のスープやリゾットなどなど。変わり種の「アサリと豚肉の炒め物」はオリーブの実も入った珍品。ミスマッチのようなアサリと豚肉が不思議と調和し、しかもさっぱりとした風味であった。

 そして旅が冬だったので煮込みやスープをよく頼んだ。大ぶりの鍋に入ってドンと出てくるスープは鰯、白身魚、アサリ、海老やイカなどとともにタマネギやジャガイモ等の野菜もたっぷりと入っている。温かくホッとする味。そしてリゾットなども含め、煮込みなどには、やはり「トマト」が味の決め手として使われていた。
 トマトには昆布と同じ種類の「旨み成分」が沢山あるそうだ。昆布が「だし」として使われるように煮込みなどで美味しさに一役買っている。100グラムあたりの旨み成分の量は昆布が約180ミリグラムに対してトマトは約250ミリグラムというカゴメ総研の調査結果である。(ベネッセ『世界なるほどファイル』より)
 ペルーが原産のトマトは初め観賞用としてヨーロッパに伝わった。イタリアで食糧不足のときにトマトを食べたのがきっかけで食用となったという説があるそうだ。今では料理には欠かせない味の万能選手に成長、全世界の野菜総生産でもトマトが一位に輝いている。

 身体の芯からあたたまる魚貝スープ。トマトと昆布が同じような働きと聞くと日本の冬の定番・鍋料理を思い出し、ポルトガル料理の中で最も懐かしいものとなっている。[さ]
 
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2005-10-08 13:11:29 | アラビア語(エジプト)
ماء(マーヤ)

 「なん人にも例え敵であれど、水を欲するものには水を与えよ」というのがイスラームの教えである。砂漠の厳しい暑さの中で飲む水は、何にも勝る「命」の味である。
 エジプトを旅された方は気がついたであろうか?道のあちこちに置かれた小さな壷から、ポリバケツまで、ありとあらゆる入れ物に水が汲み置かれ、水を飲みたくなった人は、いつでも何処でも飲むことができる。
 近頃は電気でいつでも冷たい水が飲める給水機がいたるところに置かれている。しかし、元々はマシュラベーヤというアンフォーラを太らせたような壷に水を汲み置いた。
 
 ここで「ん?」と思われた方は中々のアラブ通。マシュラベーヤとは、イスラーム伝統の木で出来た格子の窓枠のこと。イスラームの女性は人前に素顔をさらすのを良しとはされなかった。それでも外の様子は知りたい。そんな時、マシュラベーヤはとても役に立った。中からは外が良く見えるが、外からは中が見えにくいのだ。
 そして、この格子を通る風は、冷たくて気持ちが良いのでクーラーの役目も果たした。このマシュラベーヤの前に水壷を置いておくと水も良く冷えたことから、水壷もマシュラベーヤと呼ばれるようになった。
 そして、水のみ場のことをمشربة(マシュラバ)という。マシュラベーヤから戸外を見下ろし、冷たい水を飲みながらクスクスと噂話に興じるイスラーム王朝時代の美姫を思い浮かべるのは楽しい。

 ただ壷に入れただけの水と侮ってはいけない。この壷は電気の給水機が普及されている今でもまだ現役である。私など、並んでいたら壷の水を選ぶ。なぜか?それはとても冷たいからである。気化熱の原理で、壷の水は常に冷たい。
 飲んだ瞬間、思わず「アッラーはまことに偉大なお方である」とつぶやいてしまうぐらい冷たくて美味しい水がそこにある。[a]

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2005-10-05 23:25:58 | アラビア語(エジプト)
 شارع (シャーリア)

 この道は何処まで続いているのか?
 というか、何処からが道なのか?
 この道もローマに続いているのか?
 エジプトで道について考えていると、時の経つのはあっという間である。
 ナイルの川に沿ったまっすぐな道は、何処までも続く。
 カイロのごちゃごちゃとした雑踏の路地は迷宮への入り口。
 そして、砂漠の中。砂砂漠の、風紋の中をランドクルザーで飛ばすものほど、スカッとするものはない。そして、地平線をじっと見つめながら運転するドライバーの横顔もいい。私たちには一面の砂漠。そう、どこをどう見ても砂漠。砂漠に生まれた者にしか、砂漠の中の道はわからない。やみ雲に走れば、足をとられる。
 そして、何処からとも無く現れるタイヤの跡。そして消えていく。一体このわだちは何者がつけ、何処へ行ったのだろう?
 想像は何処までもふくらみ、砂漠の如しである。

 シャーリアが一般的に使われている「道」であるが、他にطريقة(タリーク)と言うのも使われる。こちらは、方法や手段という意味もあり、同じ道でも、歩く道を指す場合にはあまり使われない。小道も路地も、大通りも人々が使うのは大抵シャーリアである。シャーリアの語根はشرعで、行く、始めるという意味である。
 さて、我道は何処に続くのか…[a]

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