地球散歩

地球は広いようで狭い。言葉は違うようで似ている。人生は長いようで短い。一度しかない人生面白おかしく歩いてしまおう。

コーヒー

2008-06-29 20:14:05 | ペルシャ語

قهوه (ガフヴェ)

イランで愛される嗜好品と言えばまずは紅茶(チャーイ)。一般家庭を訪問し供されるのも、またバーザールの店の軒先やチャーイハーネなどで人々が寛ぐ時に手にしているのも紅茶である。
しかし勿論、イランでもコーヒーが飲まれないわけではない。
「チャーイハーネ」と言ったらイランの「喫茶店」の代名詞のようにもなっているが、喫茶店のことを「ガフヴェ
ハーネ(ハーネは「家」)」と呼ぶこともあるのだ。

イランにコーヒーが入ってきたのはトルコ語系(アゼルバイジャン系)の王朝サファヴィー朝(1501-1736)の時代。イラン北西部に興ったこの王朝は、人々の流れだけでなく、様々な文化をアナトリアの地からイランへともたらした。
その後も、近代のガージャール朝(1796-1925)を経て、イラン最後の王朝パフラヴィー朝(1925-1979)までコーヒーは愛飲され続ける。イスラーム革命(1979)後、かつての西洋贔屓の王に愛されたコーヒーは、西洋文化を象徴するものとして排斥され、現在に至っているが、今では徐々にコーヒー文化も復活の兆しを見せている。

コーヒーにまつわる歴史的エピソードをここでひとつ。
イランでは「ガージャール朝スタイルのコーヒーは如何?」と人に勧めることがあるそうなのだが、これは内憂外患で終始安定することのなかったガージャール朝の時代、政敵を暗殺するために毒入りのコーヒーがしばしば供されたことに由来するブラックジョークなのだとか。
ガージャール朝と言えば、現在のイランを象徴する文化の数々が生み出された時代でもあるのだが、イランの「暗黒時代」の記憶も、こうして人々の日々の会話の中に残されているのが興味深い。

さて、最近では伝統的なチャーイハーネ(ガフヴェハーネ)以外に、西洋風の「カフェ」もテヘランではちらほら散見されるようになった。そこで出されるコーヒーの種類は他の国同様、実に様々。
イランでコーヒーと言った場合一般的なのは、お隣の国トルコの影響か、デミタスカップで出されるトルココーヒーである。次に一般的なのはインスタントコーヒーで、いわゆる「ネスカフェ」と呼ばれるものである。私が知る限り、ネスカフェはあらゆる国のカフェメニューに堂々と加わっている。おかしいのはイランでネスカフェを注文すると、カップに注がれたお湯とスティック状のパッケージのインスタントコーヒーが別々に出てくること。せめて厨房で入れてから持って来てほしいものだ。
他にはフレンチコーヒーやカプチーノ、カフェラテなども、カフェでは定番のメニューとなりつつある。写真はテヘランのアート系カフェで出てきたカプチーノ。ふわふわの泡の下にはアラブ風の濃い目のコーヒーが控えている。人間観察をしながら少し濃い目のコーヒーを口に運ぶ瞬間は、私にとってイランで一番の息抜きの瞬間となっている。(m)

*この文章は、以前こちらに書いた記事を転用しました。

コーヒー文化は実に多様。世界のコーヒー文化を楽しまれた後は、応援クリックをどうぞよろしくね!アラビア語イタリア語英語オランダ語ギリシャ語スペイン語日本語ポルトガル

人気blogランキングへ

 


電話

2008-06-25 00:17:20 | ペルシャ語

تلفن (テレフォン)

イランは「間違い電話国」である。まだペルシャ語での会話に慣れない頃、携帯電話にさえ頻繁にかかってくる間違い電話に閉口していた。間違い電話の主が求める通話相手は男性。明らかに女性の声で応えるこちらの「間違い電話です」という言葉にもまったくひるむ様子は見せず、「~さんのお宅ではないですか?」を繰り返す。固定電話ならいざ知らず、携帯電話に向かって「~さんのお宅・・・」なのである。
上の例は別としても、イランで間違い電話が多い理由のひとつは、ペルシャ語の数字の聞き取りづらさに一因があると思われる。以前から、文字と共にペルシャ語を勉強していた私には思いつかなかった事実であるが、ペルシャ語を新たに耳から覚え始めた日本人の言によると、ペルシャ語の数字は似た発音のものが多いのだという。例えば、7と8。それぞれ「ハフト」「ハシュト」なのだが、語尾は消え入るように発音するため聞き取りづらいことがあるという。そう言われてみれば、ペルシャ語ネイティブのイラン人でさえ、どうも電話番号を人に訊ねる時に、聞き間違えていることがあるようだ。

一方、間違い電話に見せかけて、故意に見知らぬ人に電話をかけるケースも見受けられる。
適当に番号をプッシュして、通じた場合、そして相手が女性だと解った時、「しめしめ!」と呟いている電話の向こう側の顔が目に浮かぶようだ。電話の主の第一声は「今何してるの?どこにいるの?」つまり、どうも電話は「出逢い系」の役割を果たしているようなのだ。電話をかけた相手が外国人だと気付いた時、一瞬ひるんでいる相手の姿を思い浮かべると、思わず笑い出しそうになるが、彼らはそれでも決して諦めない。お喋りが「特技」のひとつであるイラン人は、ここでも饒舌ぶりを発揮して、知っている限りの英語を駆使し、なんとか出逢いのきっかけをつくろうと頑張るのだ。「日本人は素晴らしい!日本人大好き!」電話を通して見知らぬ人にほめちぎられるのも、たまになら悪い気はしない??

また、イランでの電話にまつわるエピソードのひとつとしてご紹介したいのが、以前「」の記事でも書いたお世辞・社交辞令・へりくだりの類。
ペルシャ語にも「お疲れ様です」の表現が存在すると言ったら、驚かれる方もいらっしゃるだろうか。
「ハステ・ナバーシーン」がそれにあたるが、直訳すると「あなたがお疲れではありませんように」という表現になる。イラン人が電話をかけている様子を見ていると、この言葉を頻繁に耳にすることになる。
電話をかけたらまず「元気ですか」、そして「ハステ・ナバーシーン」と続く。電話を切る時には必ず、「羊」でご紹介した「ゴルバーネ・ショマー(失礼します)」で電話を終了する。
おかしいのは「ハステ・ナバーシーン」と言いながら、受話器を持ってお辞儀を繰り返すイラン人の姿。これまた日本とソックリな風景ではないか。
イランで電話をかけると、社交辞令が続きなかなか本題に入れないこともしばしば。「お喋り」が最大の楽しみであるイランでは、時はいくらかゆったり流れているようだ。(m)

「ハステ・ナバーシーン」への返事は「サラーマット・バーシーン(あなたが健やかでありますように)」。気遣いの言葉の数々にペルシャ語の豊かさを読み取られた方はイランに応援クリックを!
エジプト日本の電話の記事も参照ください。
人気blogランキングへ


 


絵葉書~旅の夢

2008-06-21 23:32:25 | コラム

 mitraと夢みた薔薇の世界。

 mitraからの「碧が来る前に咲いちゃった。薔薇がどんどん咲いていく!」と、嘆きの便りが何度も来た、寒い日本の春。
 遠いペルシャでは、薔薇の莟が柔らかく、花開き、そして散っていった。
 テヘランについて真っ先に飛んでいった薔薇園。
 mitraに逢うよりも前に駆けつけた薔薇園で、私は、残りの薔薇と二番花の硬い莟を目にした。
 照りつける太陽の下、なぜか噴水も上がらず、静まり返った緑の薔薇園で、ぽつりぽつりと咲く薔薇を、私は追いかけた。
 花びらが、ひとひら、ふたひら、風にそよぎ、散ってゆく。
 満開の薔薇園だけが薔薇園ではない。かわいい莟や、芳しい花びらをりんとさせているだけが薔薇でもない。
 散りゆく花の美しさこそ、詩的であると感じられるのは、日本に生まれたからかもしれない。
 二人で訪れたイランの薔薇の里。
 月夜の晩、満開の日に訪れたらどんなにか良かったか。

 二人の切ない想いを秘めて、そして、期待と共に私はトルコの地を踏んだ。
 トルコの薔薇農園に、私は何の手がかりのなく向かった。ただ、mitraの「碧に、満開の薔薇を!」という、強い願いに支えられて。
 トルコの薔薇の町。
 私はそこで一言訴えた。

 「私は薔薇を愛しているんです」

 薔薇の町で、私が初めてそのことを告げた人は、にっこりと微笑んだ。
 「あなたは何て、幸運の持ち主なの!」

 その若い女性に連れられ、私は満開の薔薇農園にたどり着いた。
 夕焼けの中、農家の小さな女の子と、犬と、子羊という、完璧な取り合わせの中で、私は畑の中を歩き回った。
 思い出は、今も私のすねに残っている。
 鋭い刺でできた蚯蚓腫れに、私はしばらく気がつかなかった。

 薔薇の町へたどり着いたことを、
 そして、イランからの絵葉書が、昨日あたりついたとの知らせをあちこちからいただいて、今、私は旅の終わりをしみじみと感じている。

 さらさ、留守番をありがとう。
 そして、mitraとの出会いを感謝して…

                                 碧

 

絵葉書、ご好評をいただきまして感謝、感謝です。
引き続き、お楽しみくださいませ。
人気blogランキングへ

碧のイラン・トルコ紀行、またこの薔薇の町の詳細は、イスラミック・ブルー
にて、徒然に書いてゆく予定です。


絵葉書~トルコより

2008-06-17 00:32:53 | コラム

碧さま

古代ペルシャの「夢の跡」を、碧が土産噺として持ち帰ってくれたあの日。徒然に語られた絢爛なペルシャの物語世界は、私が普段目にする「イラン」とは一味も二味もちがったものでした。ともすれば、砂粒のように手のひらから零れ落ちて行く物語の断片。ひと言も聞き漏らすまいと耳を傾けた夜。

数々の置き土産を残し、碧がテヘランを去って行ったあの日。
碧が残した言葉の数々を反芻し、次にふたりの再会すべくあの場所へと、想いは一気に飛んでいきました。

そう。そこは全てが碧いイスタンブール。日差しが日に日に強くなるこの季節、文字通りイスタンブールは「青」に包まれる。「青」は私たち3人が共通して思い入れのある色。眩しいほどの紺碧の空、少しくすんだモスクの蒼、タイルの鮮やかな青、そして想いはマルマラ海を越えてどこまでも碧い初夏の地中海へ・・・西の果てへ・・・

しかしふたりが再会したイスタンブールは小雨模様でしたね。
垂れ込めた空の下のイスタンブールは、不思議なことになぜかいつも私に
メルジャン・デデの曲を想起させるのです。

新市街の広場で束の間の再会を喜び、同じ広場で肩を抱き合い互いの良き旅路を祈りあって別れた夜。暖かい余韻が私の中に残りました。

今頃きっと、アナトリアの大地を風を切りながら颯爽と歩いている碧へ

                                  mitraより

さらささま

デコレーションケーキのロウソクのように、そこここから突き出るオスマン・スタイルのほっそりとしたミナーレ。 目の前にアジア大陸を見渡せる港が 旧市街の喧騒が 魅惑的で退廃的な夜の街が 私たちをすっぽりと飲み込み 魅了し この街を離れられなくなる頃・・・
2回目の別れを告げ、碧と私はそれぞれの目的地へ、思い入れのある地へ向かい、「碧い街」を旅立ちました。

碧は西へ 私は東へ

碧が目指したのは、古代文明の交流の跡が残るギリシャ神話の世界。
私が目指したのは、メソポタミア文明と旧約聖書、そしてクルド人の世界。

今は動乱の地となってしまったチグリス川上流のクルド人の土地は、本来なら
数ヶ月前、「ジプシーを求めて」訪れようと思っていた場所。

クルド人の集落を訪ね、細い路地を闇雲に徘徊し、地元の人々とチャーイのグラスを傾け、穀物の青々と茂るチグリスの河岸を城壁から見下ろし 土色の低い丘を
仰ぎ見・・・

荒涼とした大地の向こうに私が見たのは さらに東。
国境を挟んですぐそこは我が国、イラン。

旅の終わりを意識するのに、トルコ東部に位置する文明のふるさとは、いかにもぴったりの土地。
同じく、碧の旅もそろそろ終焉へ向かっている頃でしょう。
それぞれの想いを抱え、同時に、いつか出逢っていた共通の過去(前世?)を
思い返しながら共に旅したこの一ヶ月。

イラン、トルコ。そして、その延長線上に位置するギリシャの地。
いつかの3人の夢のために、今はこの地を大切に胸にしまっておこうと思います。

ギリシャの碧い海と空に恋焦がれるさらさへ

                                  mitraより

もうすぐ旅を終える予定の碧からはどんなお土産話が聞けるかな?
期待してクリック!
人気blogランキングへ


 


弦楽器

2008-06-13 14:30:13 | ギリシャ語

Εγχορδο(エグホルド)

 ギリシャで弦楽器といえば、音楽の神でもあるアポロンが手にする竪琴が思い出される。それはヘルメスが、亀の甲羅に9本の弦を張って作ったものだ。ちなみにヘルメスは翼のついたサンダルをはく神々の伝令。泥棒の神とも言われるだけあってアポロンの牡牛を盗んでしまう。父ゼウスの前で裁きを受ける時に竪琴を弾いて美しい音色でアポロンの怒りを静め、詫びとして贈って事を丸くおさめている。ギリシャ神話らしい人間味溢れる神々のエピソードだ。

 心を穏やかにする音楽の普遍的な価値を物語るように、古代の壺(大英博物館蔵)にはアポロンが奏でる竪琴の音色に女神達だけでなく鹿や豹までが聴き入っている場面が描かれている。またアテネの考古学博物館には、エーゲ海の島から出土した「竪琴を弾く人」という紀元前の美しい大理石の彫刻もある。

 古代から愛されてきた音楽、現在は中東の匂いが色濃く漂っている。複雑な歴史や東西文化の交差点という地域性によって変遷を経てきたが、基本的な音源はトルコの宮廷音楽とギリシャ正教の典礼音楽。時代とともにクラシックや民族音楽、ポピュラーなどジャンルが広がってきた。

 中でも民衆から生まれた歌謡曲やギリシャを代表する弦楽器ブズキ(写真)音楽は、旅の途中でも耳にすることが多いだろう。どことなく哀愁を帯びたメロディーと熱唱という感じの歌いぶりは日本の演歌に近い雰囲気。また観光地のタベルナで流れるようなBGMの中には海や太陽をイメージするような明るい弦楽器の調べである。

 興味のある方は以下のサイトからギリシャのラジオにアクセスしてギリシャ音楽に触れてみて欲しい。実際に音で感じるのが一番。ラジオから流れるヒット曲にあわせて歌いながら髪を切っていた美容院のおばちゃんが懐かしい。(さ)

  E-Radio Greece

        http://www.e-radio.gr/                                                     

参考文献 「ヨーロッパカルチャーガイド ギリシア」 トラベルジャーナル社

 エジプトの弦楽器イランの弦楽器で更に広がる音楽の世界。

いつもありがとう。間もなく夏休み到来のギリシャがうらやましい!長い休暇に乾杯クリックよろしくね。人気blogランキングへ

 

 

 

 


絵葉書~イランより

2008-06-09 20:10:35 | コラム

旅の空の下より さらさへ

路地裏で言葉を交わした、いつもの昼さがり。
「またね」と、閉めた扉の木目をじっと見つめ、
それが最後とは思わず、また日常へ戻ってから、はるか数千年。
おそらくその当時、憧れであったペルシャを、
時を経て二人でまた再会し、旅しようとは…

大好きだった薔薇の花を求め、薔薇の山へ出かけてみれば、
一足早く咲いてしまった、薔薇の山。

かくれんぼするように、顔を覗かせる芳しい薔薇が、一輪、二輪…

『王書』、『薔薇園』細密の美しい本を、盗み見て、夢見たペルシャ。
噴水の香は薔薇。しぶきの向こうに糸杉の緑。

さらさ、私たちはこの薔薇の地に立って、最初になんと言ったと思う?
「ここには生まれたことが無い」
面白いでしょう?妙な実感と共に、旅をしています。

                        碧

まだ暑さの残る夕暮れ時、どこからともなく漂ってくる芳しい薔薇の香に導かれ、薄暗い回廊を通り抜け辿り着いたのはモスクの中庭。そこから碧と私の「ペルシャの旅」は始まりました。
砂漠の真ん中に位置するオアシス都市カーシャーン。そこには、乾いた土色の世界と、かつての瀟洒な邸宅の跡が残り、薔薇の可憐な花がひっそりとその姿を覗かせていました。

早朝訪れた山奥の薔薇畑(ガムサル)では、朝露に濡れたゴレ・ムハンマディ(薔薇)の芳香に酔い、「満開の時、満月の夜に訪れることが出来ていたら!」と二人で夢想。

既に初夏の陽気に包まれたけだるい昼下がり、薔薇色に彩られた村(アブヤーネ)の小さな路地裏で、いつかのように私たちは別れを告げ、碧はひとりで古代ペルシャの夢の跡へと旅立って行きました。

碧はきっとそこで、天に聳える古代の柱を見上げ、痛いくらいの碧空に抱かれながら、遠い日本でギリシャに恋焦がれるさらさのことを思い浮かべたことでしょう。
アレキサンダー大王により歴史の終焉を迎えた彼の地には、時がいつの日からか止まってしまったかのように、今もギリシャの記憶が刻まれています。

いつか3人で同じ想いを抱え、碧い空の下、旅が出来たら・・・
そんな想いがどこまでも広がっていきます。
薔薇の香と歴史の足跡、さらさにもきっと届きますように・・・

                                     mitra
写真は薔薇水屋のショーウィンドウ。(撮影:碧)

碧とmitraの旅もそろそろ終焉へ。
共通の想いを抱え、今回初めて共に旅したふたり。
今後ますますの『地球散歩』の記事の充実をめざしています。
応援クリックよろしくね!
人気blogランキングへ


 

 

 


絵葉書

2008-06-04 13:38:48 | コラム

 絵葉書

 イランを散歩中の碧とmitraへ

 碧が旅立って2週間。今、どこを散歩していますか?日本は紫陽花や花菖蒲の季節。昨日、関東は梅雨入りしました。そちらの気候はどんなでしょうか?

 イランは私にとって遠くて縁のない国でしたが、アテネに住んでから古代ギリシャの時代にペルシャ帝国として栄えた彼の地がぐっと近づいてきたのです。ペルシャとの戦争で活躍して戦死したスパルタのレオニダス、アケメネス朝の宮殿であり聖域であるペルセポリスを占拠したアレキサンダー大王。紀元前に大きな足跡を残した英雄たちを身近に感じてきました。写真は北ギリシャのペラにあるマケドニア王国の王宮跡。アレキサンダー大王もここで誕生しているそうです。

 mitraから「地球散歩」に届く様々な絵葉書が、更に私をイラン、遙か昔のペルシャ帝国へと誘(いざな)ってくれています。正倉院に伝わる螺鈿紫檀の琵琶木の下で向き合う羊の文様やガラスの白瑠璃碗もペルシャから・・と考えると私の大好きな奈良とも深いつながりがあるのですよね。

 詩と薔薇の国を楽しむ二人からの便りを待っています。

                                    さらさ より

 いつもありがとう。イランを旅する碧とmitraからの絵葉書、届くかな。旅の写真と報告を期待してクリックをよろしくね!人気blogランキングへ