地球散歩

地球は広いようで狭い。言葉は違うようで似ている。人生は長いようで短い。一度しかない人生面白おかしく歩いてしまおう。

2011-05-25 00:00:00 | フランス語(フランス)

 

fleur (フラー)


 

 

写真:Miah


 

もうすぐ日本は梅雨になる。この季節になると、私は欧州の美しい庭園を思い出す。 

 

日本では、春に一斉に花が咲いた、と思ったらすぐに散ってしまい、気が付くと梅雨に入る、というパターンが一般的だろう。一方、少なくとも私の知っているイギリスやフランスでは、比較的長い間穏やかな気候が続き、花を楽しむことができる。 

 

もちろん、梅雨の時季にも、神様が用意してくれたとしか思えないような、それは美しい花が咲く。花菖蒲や紫陽花は、梅雨の曇り空、水の滴る姿がこの上なく似合う。 

 

同じ頃、遠く離れた欧州では、それとはまったく違った風景が広がっている。教会や、かつての貴族の館等では、広大な敷地内にある花園が開放され、誰でも気軽に訪れることができる。柔らかい日差しの下、心を包むように咲いている花が、大小を問わずあちこちで見かけられる。散歩するもよし、サイクリングするもよし。青空と庭と花が、私たちを待っている。 

 

一方で梅雨に濡れる花を楽しみ、他方で庭園の花園を愛でる。花は、どこにいようとも、そしてその姿を想像しただけでも、心を温かくしてくれる、自然界の贈り物なのである。[y]


 

★写真はレンヌの花園です。詳細はコチラをどうぞ^^


 

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よい年の瀬を

2010-12-29 00:00:00 | フランス語(フランス)

Bonne fin d'annee (ボヌ ファン ダネ)

 

高層ビル群の間を歩いているとき

太陽に近い山を仰ぐとき

古代の人々の息吹を感じるとき

言の葉を綴りたくてたまらない自分を見つけます

 

そんな、旅の隙間で見つけた言葉たちを

拾って集めた地球散歩

 

愛と感謝をつなげる言葉を届けたい

そんな気持ちに寄り添って読んでくださる皆様に

一年間、ありがとうございました

 

来年はどんな地球にめぐり合うのでしょう?

できることならば、これを読んでくださっている

あなたの言葉も聴きたい…

 

そう願いつつ、来年も皆様と一緒に

地球散歩に出られますように。[y]

 

 

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2010-09-26 00:00:00 | フランス語(フランス)

写真:Miah

ami(アミ

よく私のフランスの思い出話に出てくる友であるが、実際に一緒に過ごした時間はほんの1年ほどにすぎない。しかし、彼女がこの「地球散歩」へ参加する切符を握る、大変重要な人だったことを考えると、本当に神様とは、思わぬタイミングで思わぬめぐりあわせを用意するものだな、としみじみ思う。

 

自分の人生にとって、重要な鍵を握る友は少ない。大体は、あるときに必然的にめぐり合い、時間が過ぎると自分の前を通り過ぎていく。

 

今回も、あるタイミングが過ぎ、潮時が来た、と思っていた。

しかし、友が去ってからの私は、陸に引き揚げられた魚のようだった。それに気づいたのは、過ぎ去ったと思っていた友が、再び手を差し伸べたときである。

 

羅針盤さえ携えていれば、目的地には必ずたどり着くとわかっている。しかし、ときどき手を休ませ、夜空を見上げ、お互いの輝きで交信しあう星の友がいなければ、船はたちまちボロボロになり、先へ進めなくなる。

人生の彩りには、休憩が必要だ。そして、星の友の存在も…

 

時空を超えて存在する、人生の旅の仲間。あなたの周囲にも、きっとそんな友がいることだろう。もしも、いないと感じているならば、ひょっとするとここにいる私たちがそうなのかもしれない。(y)

 

 

 

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2010-09-05 00:00:00 | フランス語(フランス)

写真:Miah

maison(メゾン

「家」と聞いて、真っ先にイメージするのはどんな家だろうか。

フランスの友の家は、コンクリート製の5,6階建てのアパートのような所だった。内部は大変広々としていて、それぞれの階には1,2家族ほどしか住んでいなかったように思う。強い日差しよけのグリーンのシャッターが印象深い。大きな居間が、家族団欒の時間を大切に守ってくれているように思えた。

私自身が思い浮かべる家はというと、かつて住んでいた東京の我が家である。現在の家も大好きだが、夢の中では必ず生まれ育った家が舞台となる。木製の2階建て、内側の壁はロッジ風で、目の前の森林が都会の隠れ家的な雰囲気を一層強めていた。

しかし、どうも私には、自分の記憶していないところで、たくさんの家を持っていたように思う。それは、ある時は砂漠だったかもしれない。また別のときは、海の上だったかも…

「家」という響きは、私の中では秋の季語にふさわしい。いつも心の奥で「帰りたい」と願う、郷愁の場所。だけどそれは、たった1か所ではないと、おそらく生まれる前から知っていたであろう友たちが、私を家路の旅へと誘う。

こうして私は、自らの記憶の「家」をたどり、今日も地球散歩に出るのである。(y)

 

 

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2009-11-29 00:00:00 | フランス語(フランス)

hiver(イヴェール)

写真:Miah

 唐突だが、イギリス人には旅好きが多い。出発の数時間前、半額まで値の下がったツアーに参加を決め、とっとと飛び立つ。そんな身軽さを携えて、どこへ行くのか。もちろんまさに地球の裏側まで、なのであるが、当然フランスにも飛んでゆく。“仲が悪い”わりには、結構行き来している。

 私も彼らの旅好きの趣向が身に付いたのか(元々だったのかもしれないが)、よくパリへ飛んだ。特に冬。暗くて、全体的に灰色で、寒くて、服装もシンプルでダークなイギリスから抜け出し、寒くてもきらびやかに輝いた、金色の光で染まる美しいパリに出かけた。
 
 今から何年前の冬になるだろう?私はその時も、フランスにいた。そんなつもりはなかったが、たまたま自分の誕生日だった。記念すべき日に、世界の都パリにいることができるなんて。というほど深くは考えなかったが、さて、せっかくなのだから、何か思い出に残るようなことをしようではないか。そう思って向かった先は、エッフェル塔だった。

 エッフェル塔は、つい数年前まで、私の中で最も美しい建造物だった。何を言っている、ビッグベンだって美しいではないか。それに比べたら、あんなの、ただの鉄塔だ。そういう輩もいたが、初めてエッフェル塔を訪れ、シャイヨ宮から広がるその完璧なまでに整えられた風景は、心に深く刻まれた。

 エッフェル塔を上ると、パリ中を見渡すことができる。寒い風が吹いていたが、夕暮れで、あちこちの光が美しかった。しかし、なぜだか、満たされた気分にはならなかった。

 自分は、ここに何をしに来ているんだろう…

 実は、当時も分かっていた。あれだけ情熱的に憧れたパリは、現実逃避の手段だったのだと。その頃の私は、イギリスと名の付くものは全て嫌いだった。そんな自分の気持ちを同情的に慰めてくれると思っていたのが、フランスだった。もし今、当時とは全く反転し、大好きになってしまったイギリスと共に、フランスを訪れることになったら、どんな感情を抱くのだろう?

 来年の冬、もしかしたら私はパリへ行く。今度は逃避ではなく、必要な旅として。その散歩では、きっと当時の、物悲しくてどこか切ない冬とは、また違った風景が広がるのかもしれない。[y]

 寒くても温かい。そんな旅ができるといいネ☆

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パン

2009-10-20 11:15:48 | フランス語(フランス)

painパン

写真:Miah

 人は忙しい時ほど寄り道をしたがるものだ。“寄り道”の手段は人それぞれ。趣味のお稽古であったり、温泉であったり、スポーツであったり…私の場合は確実に、妄想の旅に出ることである。そんなわけで、今回はパンをめぐる地球散歩に出るとしよう。

 誰もが知っているフランスパン、外は硬くて中は柔らかいあの独特の食感…なんとも一筋縄ではいかないグルメなパリジャンにそっくりではないか。なんて勝手に思い込んでいたが、フランスの小麦粉にはパンを柔らかくするための成分が足らず、ふっくらとしたものを作れなかったのだという。気候や土壌から来る性質だそうで、あの作りは、何かこだわりがあってのこと…ではなく自然体だったというわけだ☆。なるほど、急に親しみが湧いた

 私はフランスパンも好みではなかった。よくよく考えると、チーズもワインもフランスパンも、余談だがイタリア料理に欠かせないトマトも元来苦手であった。つくづく西欧向きではない嗜好の持ち主だったのだが、フランスパンの美味さは周知の事実、好みでなくてもその美味しさは分かるというものだ

 地中海沿岸の眩しい朝日の中、市場に出かけ、バゲットとサラミを必要な分だけ購入。眩しい朝日を避けるため何気なくかけたお洒落なサングラス、何気なく交わされるフランス語の会話になんだかとっても憧れた。こんな絵に描いたように美しい所で日常を過ごす人たちがいるんだなぁ…フランスパンというと、ヴェルサイの庭園とその光景が目に浮かぶ

 フランスパンを見ると、あの時間の流れ方の違った空間を思い出す。あれは夢だったのかな、現実だったのかな…そんな妄想の旅へといざなわれてしまう。そしてつい、いろんな国で食べたパンを頭に思い描く。思い浮かべたらきりがないパンをめぐる旅、結構深遠なのである。〔y〕

☆参考文献:Wikipedia

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2009-09-26 00:00:00 | フランス語(フランス)

marron(マロン)

 写真:Miah

 秋といえば栗。栗といえば昔、冷え込む夜に故郷のタクシースタンドのそばで売っていた焼き甘栗…と、これではローカルすぎる。主題はフランスなのだから、マロングラッセ(Marron glacé)と来るのが当然だろう。

 砂糖液とブランデー、あるいはラム酒に全身を漬かったマロンは、ほんのり柔らかい栗の風味、濃厚だがいやみのない甘み、そして臭覚を刺激するブランデーの香り…想像しただけで高級感が漂い豊かな気分になれる菓子だ。

 洋菓子に多用される砂糖だが、インドで最初に発見され、紀元前2000年にはすでにサトウキビの栽培がなされていたという。その後時を経て、アメリカ大陸の植民地における大規模な栽培により砂糖の生産が飛躍的に伸び、従来の蜂蜜を使用した菓子に加え、砂糖を用いた菓子類が増加したというわけだ。マロングラッセが誕生するのは17世紀頃といわれている☆。

 マロングラッセは全国津々浦々で手に入るが、もしこの季節にパリに行く機会に恵まれたならば、フォション(Fauchon)を訪れてほしい。あまりにも有名なブランド食品店だが、ここのマロングラッセは誇張なしに絶賛に値する、と私は思う。

 ただし、パリに行く幸運に恵まれなかったとしても、大した問題ではない。ありがたいことに日本にも栗の木は生息しているし、楽しみ方もマロングラッセに限るわけではない。栗をふんだんに使ったモンブラン、栗きんとん、栗饅頭、栗羊羹などの和洋菓子から、おなじみ栗ご飯でも楽しめる。これだけある中から自分の好みのスタイルを味わう瞬間、どこにいようとも栗を楽しめる幸運を実感できよう。

 それにしても、栗と聞いて、真っ先に故郷のタクシースタンド前の、薄汚れた出店を思い出すとは、なんとも郷愁の秋なのである。さて、今宵も甘栗をいただくとしようか。〔y〕

☆参考文献:yahoo!百事典

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ワイン

2009-09-18 00:00:00 | フランス語(フランス)

vin(ヴァン)

 パリからバスに数時間ほど揺られ、のどかな田園風景の広がる地帯へ向かった時のこと。美しい古城を見学した後、ワイナリーへ訪れた。

 やや辛口のワインをテイストして、ふんわりといい気持ちになると、やがて葡萄畑へといざなわれた。そして、見渡す限り広がる畑のうち、目の前のほんの一区画が最も味がよく、品質のよいワインの生まれる地であるということを知った。

 この小さな一区画から生まれたワインは、世界中の愛飲家のもとへと旅立ってゆくのか。人間の私よりもずっと遠くへと旅立つであろうその葡萄の実を見つめ、なんとも奇妙な気持ちに陥った。

 いつ頃から、人々はワインと共に過ごしてきたのだろう?その昔、ワインの起源についてなど考えてみたこともなかった。なぜならワインといえばフランスで、それ以上考える必要などなかったからだ。しかしある時、ワインがエジプトと関係があると知り、少なからぬショックを受けた。あの砂漠に浮かぶピラミッドと、私の中では「西欧」コテコテの代表的イメージであるワインが、どうしても結びつかなかったのだ。

 ワインの歴史を紐解くとき、我々は思いもかけぬ壮大な歴史の仮想体験をすることになる。コーカサス地方にその起源を持ち、メソポタミア、エジプト、ギリシャ、ローマと、気が遠くなるほどの昔から、神への捧げものや貿易品として、僧侶や商人、十字軍の手によって広がった。時間的流れ、空間的広がり、人々の交流、地中海の役目…ワインの歴史は、同時にメソポタミア文明、エジプト文明、そして地中海文明をまたがって展開する、ダイナミックな人間の歴史を物語るのである。

 ワイン自体を眺めてみると、各時代に生きた人々の意思など全くお構いなしに進化し続けてきたようにも見える。人間は、政治、経済、宗教における目の前の目的を達成させようとする傍らで、ワイン文化拡大の担い手となり続けてきた。そして現代では、地中海はとっくの昔に飛び出し、大西洋を横断して、はるか遠くの南太平洋の国々においても豊かな発展を遂げている。まさに世界を駆け巡っているシロモノなのだ。

 そんな古い古い歴史を持ったワインを、今目の前で口にできることの喜び。フランスのワインも、国産のワインも、膨大な歴史を秘めた遺産の一部であると思うと、そこに存在していること自体が神秘的にさえ思えてくる。フランスのワイナリーで、小さな葡萄の実が世界に飛び立つことに違和感を感じたが、今出来上がった一瓶のワインを手にすると、なんという偉大な歴史の遺物に出会ってしまったのだろうと思う。ワインを手にできるわが身の幸運に乾杯だ。

 時に過去の幻影を見、時にワインの辿った歴史のロマンを感じながら、今宵も受け継がれてきたその味を愛でようではないか。

 

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2009-08-25 00:00:00 | フランス語(フランス)

 été(エテ)

 フランスの夏été(エテ)といえばvacances(ヴァカンス)。フランス人は最も長期にわたって休暇を取る国民である。高温多湿の国で汗水流して働くのが「当たり前」の日本人からすると、何とも羨ましい、いや、恨めしいほどの「国民性」だ。

 長期休暇の滞在先は、海であったり山であったり、大概は田舎でのんびり過ごすものらしい。プロヴァンスに住む友は、前を行く車がパリから来たものだとわかると、とたんにその美しい顔を歪めた。彼女の説によると、パリジャンはどこへ行っても嫌われているらしい。気の毒な話だが、嫌われてでも訪れる価値のある魅力的な場所がフランス中にある、ということには間違いない。

 フランスの夏は確かに魅力的だ。今でも忘れられないひと時は、ヴェルサイユ宮殿を訪れた日のこと。
 
宮殿内はいわずとしれた大混雑。早々に引き揚げ、暑くて眩しい日差しの中、私と友は広大な庭園を散歩したいと望んだ。しかし尋ねてみると、徒歩で巡ろうと思ったら2時間はかかるという。そこへ現れたのが、レンタサイクルだ。渡りに船、とばかりに我々は自転車に乗り込み、やわらかな風の中を優雅に巡った。

 夏とはいえ、湿度が低く、背の高い木々からこぼれる光が何とも言えず心地良い。ちょうどお昼を回る頃、人々がピクニックしている涼やかな木陰で休憩することにした。他の人たちに習って我々もサンドウィッチを買い、野原に座って思い切りほおばった。その時のサンドウィッチの味といったら…フランスパンの美味さを知ったのは、実はこの時である。

 今、ミンミンゼミがせわしなく鳴く中、ヴェルサイユの夏を思い出し、ああ、あれぞまさにヴァカンスであったと思う。その時はそれと知らずに過ごしていた、振り返れば輝かしい記憶。時を経た今、改めてその記憶に感謝の気持ちを感じるとは…不思議なものだ。

「最高」と思える夏の思い出は、その眩しい日差しと共に、いつまでも胸に輝くものだ。そして暗い道を歩かねばならない時でさえも、きっとその輝きで導いてくれると私は思っている。〔y〕

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チーズ

2009-08-17 00:00:00 | フランス語(フランス)

 du fromage(デュ フロマージュ)

  チーズといえばフランスのBrie(ブリー)。癖がなく、やわらかく、白い姿には高級感さえ漂う。しかし私がその考えに至るには、こんな経緯がある。
 
実は私は、チーズが嫌いだった。ピザも大人になってから、それも我慢して食べる、そんな勢いだった。しかしある時、試練がやってきた。それはオーストリアのザルツブルグに滞在していた時のことである。
 
宿で出される朝食は、ゼンメル(ドイツの白パン)とチーズだけ。来る日も来る日も、それだけである。最初の三日は耐えた。しかし、やはりそれだけでは心もとない。四日目くらいから、チーズに手を出した。一つでいっぱいいっぱいだった。五日目には、別のチーズに手を出した。割とあっさりしていると感じたのはこの頃から。その後、毎朝いろんなチーズを口にし、自分がこれまでに食べたものとは全く違い、後味に全く嫌味がなく、食べやすいものであると発見した。二週間後、旅立つ頃にはすっかり「チーズ大好き」人間に生まれ変わっていた。
 
その後フランスに訪れた時、これ幸いと、あらゆるチーズを物色し、自分の好みのチーズを調べていった。その結果、誰もが認めるブリーチーズに至った、というわけである。
 
フランスに限らず、スペインの生ハムとチーズという組み合わせは最高である。スイスのチーズフォンデュは、ワインの香りとチーズのとろけ具合が食欲をそそる。塩味が独特のギリシャのフェタチーズは、チーズの深遠さを物語っていた。私たちが寝込んだ時、粥をすするという発想があるが、西欧の人はチーズを食すると聞いたことがある。あの美味いチーズなら、なるほど寝込んだ時でも口に入るかもしれない。
 
ただ、残念なことが一つだけある。それは、ザルツブルグで開眼し、パリで極めたと思っていたチーズを、イギリスではあまり食する機会がなかったことである。ブリーは世界のブリー。イギリスでも高級食品なのだ。結局よく食べていたのは、色も形も歯ざわりも、全てが画一的で庶民的な、イギリス産チェダーチーズであった。チーズでさえ、フランスとイギリスではこうも香りが違うのか…と感じた出来事である。
 
チーズが好きだと思っている人はもちろんのこと、苦手だと思っている人も、是非フランスのチーズを味わってみてほしい。そのまろやかな風味と共に、きっとフランス独特の香りを感じるはずだ。(y)

写真:Miah

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日本

2009-08-05 00:00:00 | フランス語(フランス)

 Japon(ジャポン)

 私たちがイメージするところの「フランス人」があるように、彼らにも私たちに対する何かしらのイメージがあることだろう。極東にある国、柔道・空手の国、サムライの国、ハイテクの国。サブカルチャーも人気があることだろうし、最近では「東京はうまい」と言ってミシュランがガイドブックを出版、東京は世界で最も星の多い美食の都、と目されている。

 こんな面白いエピソードがある。碧は、フランス人が「日本人は盆栽という木をいじめる文化を持つ人だと思っていた」と言ったのを聞いて、衝撃を受けたそうだ。

 私と香港の友人は、フランスの友人のアーモンド色でふわふわした髪の毛をたいそう素敵だと話した。そうしたら彼女はこう答えた。「あなた達のその艶のある豊かな黒髪に、とっても憧れる」

 
社交辞令かと思っていたが、そうばかりでもないらしい。黒に憧れる傾向があるので、黒髪の子はモテるのだそうだ。資生堂の宣伝文句「アジアンビューティー」は、的を射たキャッチコピーなのである。

 これは私の見聞きした、とあるフランス人の見た日本人(アジア人)像であり、他にもきっと「イメージ」にまつわるたくさんのエピソードがあることだろう。ただイメージというのは、「比較的」「概算すると」「こんな傾向がある」、くらいにとどめておけばよいと私は考えている。

例えば出会った友が、料理下手で、芸術的センスのかけらもないフランス人だったとしても、それはさほど問題ではない。重要なのは、自分と気が合うかどうか、それだけなのだから。

 相手をイメージで括ることなく、一緒に笑い、一緒に涙する友を見出す。それは、ガイドブックやインターネットに氾濫している決まり文句ではわからない。自分のハートを頼りに世界を巡る、それが地球散歩の醍醐味なのだ。[

 

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2009-06-26 00:00:00 | フランス語(フランス)

eau(オ)

 フランスにいる間、私はフランス人になりたいと思った。もちろん、観光客として名所旧跡をまわって過ごすのもよい。しかしパリでは、まるで地元の人のように美しい公園を散歩し、時にセーヌ川を眺め、時にショーウインドウの前で足を止め、ゆったりとした時間を過ごしたいと願った。
 あるとき、私はcaféに入り、水とホットチョコレートを頼み、葉書を何枚も書いて過ごした。書いた内容は覚えていない。けれど、その時間がとても愛おしかった。何人もの客が店を出入りし、表通りではせわしなく人々が行き交っている。その間、私は一人の客として、何時間も彼らを眺めている。人々を眺め、目の前の水を味わい、しみじみ、私は今、パリにいる。そうかみ締めた。
 水は、フランスでも例外なく貴重なものだ。当然有料で、水一杯でも十分に長居することができるし、それが一つの「お洒落」であるとされた時があった。
 一方で、放っておいても水の湧き出てくる町も各地に存在する。南フランスのエクス・アン・プロヴァンスAix-en-Provence)がその例だ。町の名も、ラテン語のアクア(水)から転訛したエクスがつけられている。
 友人に案内された泉の町は、パリとはまた違った美しさを携えていた。陽光の降り注ぐ中、一面に広がるひまわりを揺らす風が心地良い。町に点在する噴水と、木陰で耳にするその清々しい音色は、旅の疲れと喉の渇きを十分に潤してくれる。
 パリのカフェで味わう水。自然に湧き出る泉。どこで水(eau)を味わってもいい。どちらも、愛すべきフランスではないか。いつかフランスへ訪れたならば、水と共にゆったりとした時間を過ごし、心の渇きを潤してほしい。[

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