地球散歩

地球は広いようで狭い。言葉は違うようで似ている。人生は長いようで短い。一度しかない人生面白おかしく歩いてしまおう。

2009-10-28 00:00:00 | フランス語(チュニジア)

lune(リュン)

『チュニジアの夜』というアフロキューバン・ジャズの名曲がある。本来はトランペットで演奏されるインスト曲だが、異国情緒溢れる歌詞が付いたボーカル・バージョンも存在する。
『チュニジアの夜』の歌詞で歌われるのは、夕闇迫る砂漠、グラデーションなす茜の空と溶け合うように昇り行く月、一刻の後、すっかり暮れてしまった空に煌々と輝く月と、導き手となる星たちの瞬き・・・天国のように平穏で美しい世界である。
日本で砂漠を詠った曲と言えば、言わずと知れた『月の砂漠』だが、この曲の節回しや歌詞に漂う寂静感・物悲しさは、『チュニジアの夜』では全く感じられない。むしろ、砂漠の夜が生み出す昂揚した幸福感と生命力を、血が沸き立つようなリズムで表現している。

遠い旅路を照らし導く月。
砂漠の民ではなくとも、砂漠の旅路で旅人は、いつも以上に月の満ち欠けを意識することになる。

夜半過ぎ、中空に昇りきった月が静かにナツメヤシの葉を照らす。
月はまだ完全に満ちてはおらず、続く旅への期待感を煽る。

満月の夜。
サハラの砂丘を舞台に繰り広げられる饗宴。
ベンディール(枠太鼓)と手拍子が織り成すリズムの連鎖。
野趣溢れるベルベルの歌が、静寂の砂漠に響き渡る。
夕暮れの砂漠を渡る金色の風は、夜になってもおさまることなく、むしろその勢いを増してナツメヤシや砂丘の縁にぶつかり音を立てる。
永遠に続くかと思われる3連のリズムに重なるように、風と大気と流砂が新たな生命のリズムを生み出していく。
砂漠の地では、至上者の存在さえも飲み込む天空が、永遠に廻り続け、月の軌道が、大地に生命のリズムを刻み込んでいく。アラブのリフレインする旋律。ベルベルの単調なリズム。残るのは、ただ、それだけ。全ては夜のしじまへと消え行く運命。そして、人々の営みと夜の旅を、ただ月の光が静かに照らし続ける。

 永久に廻り続ける時間。永遠の中の一瞬の時間を過ごすため、一生のうち一度は月の照らす砂漠に身を置くのも悪くない。
砂の街ドゥーズで毎年12月に行なわれる砂漠の祭典「サハラ・フェスティバル」は、参加する者に、生命の躍動と砂漠の月夜の静かなる饒舌を感じさせることだろう。

徐々に欠け始めた月が、旅の終わりを意識させる。
しかし、満月の夜に出逢った色の氾濫、音の洪水は、きっと一生、砂漠を旅したものの心の抽斗にしまわれ続ける。月の砂漠の光景は、一枚の絵。そしてその絵は、地球上の全く別の場所でふと夜空の月を見上げた時、「ここに在る」ものとして、音や光と共に、鮮やかに立ち現れてくるものなのだ。(m)

*世界の月夜の光景を!
ギリシャイラントルコエジプト日本

ベルベルの人々が生み出す手拍子に載せて、三連のリズムでクリック・・・クリック・・・応援クリックをお願いします!
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唐辛子

2009-10-24 00:00:00 | つれづれ帳

 고추(コチュ)

 近所のおばさんから紫蘇のキムチを貰った。なんでもキムチにしてしまうんだな~と感心。
 韓国と言えば、唐辛子抜きに考えられず、いつから食べていたのかも気にしていなかった。そんな私の目に、今年驚きの新聞記事が飛び込んできた。
 なんと、韓国に唐辛子を持ち込んだのは日本というのが通説だったというのだ。最新の研究で、その通説を覆す証拠がみつかったという。
 唐辛子の道は、コロンブスが中央アメリカから持ち帰り→ヨーロッパ→日本→朝鮮→中国→インドというのが、今までの通説。今回の説では、韓国固有の唐辛子に、コロンブスが持ち込んだ中央アメリカの遺伝子は入っていないとのこと。
  韓国では画期的な新説。それはそうであろう。なくてはならな唐辛子が、朝鮮半島に民族と共にあったとなれば。
 この研究、続報も楽しみであるがぜひとも、外国人の研修者の話しを聞いてみたい。[a]


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パン

2009-10-20 11:15:48 | フランス語(フランス)

painパン

写真:Miah

 人は忙しい時ほど寄り道をしたがるものだ。“寄り道”の手段は人それぞれ。趣味のお稽古であったり、温泉であったり、スポーツであったり…私の場合は確実に、妄想の旅に出ることである。そんなわけで、今回はパンをめぐる地球散歩に出るとしよう。

 誰もが知っているフランスパン、外は硬くて中は柔らかいあの独特の食感…なんとも一筋縄ではいかないグルメなパリジャンにそっくりではないか。なんて勝手に思い込んでいたが、フランスの小麦粉にはパンを柔らかくするための成分が足らず、ふっくらとしたものを作れなかったのだという。気候や土壌から来る性質だそうで、あの作りは、何かこだわりがあってのこと…ではなく自然体だったというわけだ☆。なるほど、急に親しみが湧いた

 私はフランスパンも好みではなかった。よくよく考えると、チーズもワインもフランスパンも、余談だがイタリア料理に欠かせないトマトも元来苦手であった。つくづく西欧向きではない嗜好の持ち主だったのだが、フランスパンの美味さは周知の事実、好みでなくてもその美味しさは分かるというものだ

 地中海沿岸の眩しい朝日の中、市場に出かけ、バゲットとサラミを必要な分だけ購入。眩しい朝日を避けるため何気なくかけたお洒落なサングラス、何気なく交わされるフランス語の会話になんだかとっても憧れた。こんな絵に描いたように美しい所で日常を過ごす人たちがいるんだなぁ…フランスパンというと、ヴェルサイの庭園とその光景が目に浮かぶ

 フランスパンを見ると、あの時間の流れ方の違った空間を思い出す。あれは夢だったのかな、現実だったのかな…そんな妄想の旅へといざなわれてしまう。そしてつい、いろんな国で食べたパンを頭に思い描く。思い浮かべたらきりがないパンをめぐる旅、結構深遠なのである。〔y〕

☆参考文献:Wikipedia

忙しくってもパンは食べるもんね♪あなたもパンをめぐる旅に出かけよ~☆人気ブログランキングへ


2009-10-16 11:00:01 | ギリシャ語

Φθινοπωρο(フスィノポロ)

 ギリシャの秋は夏の名残を強く残し、雨をもたらしながら足早に過ぎていく。晴天なら太陽が照りつける9月はまだ夏。学校の休暇が中旬まで続き、海で泳ぐ人さえ見かける。少し秋らしくなった10月が過ぎて11月になると、突然、冬が来る。とてつもなく冷え込んだ朝に慌てて暖房を入れ、厚手のコートを出す。雲に覆われた空はギリシャには珍しく鉛色。慣れない寒さに体を縮めて歩くと昨日まで半袖シャツの「へそ出し」で歩いていた若い女性たちが皮のコート姿で街を闊歩するという変わりようだ。バカンス後の挨拶が「カロ・ヒモナス(よい冬を)」となってしまうことが暮らしてみるとよくわかる。

 それでも市場に出ると夏の終わりから旬を迎える葡萄に始まり、柘榴、無花果、洋梨、栗と秋の果実が色とりどり。特に淡い緑や紫の葡萄はデザートとして食卓に上るだけでなく、酒神デュオニソスがもたらした美味しいワインに。そして、葡萄の搾りかすは水を入れると白く濁る酒ウゾになる。また発酵前の果汁を使って作る素朴なクッキーやゼリーが街のパン屋に並ぶのもこの時期。

 もう一つギリシャの秋の風物詩はオリーブの収穫だろう。街路樹の木々にも沢山の実がつくと、我が家の近所でも自宅前の木から家族揃って収穫する姿が見られ、こんな住宅街で!と驚きながら眺めた。オリーブがぎっしりと入った大きな籠が道路に並ぶ様子は、実りの秋。こちらはアテナ女神からの贈り物である。

 晩秋から初冬の頃には、マンションの壁に這う蔦や街路樹、遺跡を囲む木々が赤や黄色に染まってくる。写真はアテネの中心地にあるゼウス神殿。薄雲を帯びた空色は夏の深い青ではない。色づいた葉とともにギリシャの短い秋の風景である。(さ)

イランチュニジアの秋もお楽しみくださいね!

 いつもありがとう!Ευχαριστω! 葡萄、オリーブ、柘榴、栗・・・秋の実りに乾杯クリックよろしくね。人気ブログランキングへ

 

 


2009-10-12 12:45:39 | フランス語(チュニジア)

automne(オトン)

秋の風景・風物詩を求め・・・というわけでもないのだが、私が地中海諸国を訪れるのは偶然にも初秋の候が多い。チュニジアを訪れたのもやはり、ナツメヤシの実(デーツ)の収穫の季節を迎えた9月末だった。チュニジアの秋とは言っても、地中海に面した北部と内陸のサハラ砂漠では気候も全く違う。爽やかな秋風が肌を通り過ぎる地中海沿岸を離れチュニジアの奥へ奥へと向かうと、初秋と言えども日中は夏場のような強い日差しに照らされた、土色の乾いた風景に出逢うこととなる。
ナツメヤシの林から放たれるエメラルドグリーンの光、日干し煉瓦の建物と舞い上がるサハラの砂のベールが織り成すサンドベージュ。そのコントラストがなんとも美しい。
そして、オアシスの内部へ一歩足を踏み入れると、たわわに実る秋の恵みに目を奪われる。今まで在った緑と土色の2色の世界が、一気に華やいだ気配を纏い眼前に出現する。
ナツメヤシのオアシスは三層構造。天高く聳えるナツメヤシの林。その下には、オレンジやレモン、柘榴、無花果などの背の低い木々が涼しげな木陰を作っていて、中でも収穫の季節を迎えた柘榴が、赤くはち切れそうな実をいくつもいくつもぶら下げている。そして、夾竹桃などの夏を想わせる鮮やかなピンクの花々が未だ盛りの季節を保ち、絵画のように美しい景色を彩っている。そういった木々の根元では、地植えの野菜が群生している。

そして再び上を見上げると、少しだけ高くなった空を幾層にも覆う、ナツメヤシの天井。通常私たちが口にするデーツは、干し柿のように甘く熟した柔らかいこげ茶色の実。しかし、初秋にナツメヤシの林を訪れたなら、鮮やかな黄色の実が次々に枝から切り離され地面に放り出される光景を目にし、採りたてのデーツをお裾分けしてもらえる機会にきっと出逢えるはずだ。
熟していないデーツは初秋ならではのオアシスの味わい。その実は硬く、渋柿同様、未熟の果実特有の渋さが舌に残るものの、収穫したばかりの新鮮な木の実を食すという意味での喜びが大きい。
チュニジアのデーツと言えば、Deglet Nourが有名だ。「デーツのシャンパン」という異名さえ持つDeglet Nourは、甘みも深く柔らかい果肉が特徴的だった。この種のみは、枝付きのまま販売される点も一風変わっている。旅路の途中、枝付きのデーツをインテリアのように壁に掛けているお宅も拝見した。秋口には熟していない黄色の硬い実も、季節が進むごとに段々に熟し、栄養価の高いこのフルーツは、冬場の保存食としても重宝されることになる。

また、チュニジアの家庭で頂いた柘榴の味も忘れがたい。直系30cmほどの平皿に、丁寧に皮から剥がされた美しいピンク色の柘榴の実がたっぷり盛られていて、大きなスプーンでざくざくと頂く。種は出さずにそのまま飲み込むのが柘榴の正しい食べ方。乾いた砂漠地帯で口にした柘榴のみずみずしい甘みは、今でも記憶にしっかりと焼きついている。

滋養豊富なデーツ、乾きを癒す柘榴、いずれも極度に乾燥した砂漠地帯では重宝される食物だ。収穫の季節を迎え自然の恵みに感謝する。緑豊かなオアシスを一歩抜ければ厳しい自然が待ち構えているサハラでは、日ごろ何気なく購入するフルーツも楽園の果実そのものに思えてくる。(m)

秋の恵みに乾杯!ペルシャの柘榴もお楽しみください。
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二つのフランス語

2009-10-08 11:36:16 | インフォメーション

 日本語は、日本だけで話されている。日本は、公用語という概念もなく、当たり前のように日本語だけを話している国である。
 しかし、世界には、自分の国の言葉の他に、他の国の言葉を話さざるを得ない歴史を持つ国が少なくない。
 フランス語を公用語としている国は多い。
 その中で、mitraと碧は、チュニジアへ散歩することがあり、「チュニジアで話されているフランス語」で、書き始めた。
 そこへ通りかかったyuuと、写真提供をしてくださるMiaさんが、フランス本国を散歩して、まめに便りを送ってくれるようになった。
 「フランスのフランス語」と、「チュニジアのフランス語」は、似て非なるもの。
 話題も違うものである。
 地球散歩では、3通手紙がきたら、つれづれ帳から引っ越して、門を構えることになっている。
 2つのフランス語、フランス本国とチュニジア、別々にお楽しみ頂ければと思う。(タグが2つになります)
 さて、チュニジアのアラビア語ネタが出てきたら?う~ん。それはその時考えたいと思う。[a]

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2009-10-04 00:00:00 | 日本語

 中秋を迎え、月の美しい季節がやってきた。奈良・京都に月の名所は多く、ライトアップされた塔と月の組み合わせなど考えるだけで雅である。最近は桜や月の時期に夜の拝観を行う寺があるそうで、遠くに住んでいるのが残念でならない。行ってみたい場所が多々ある中で一つを選ぶとすれば、夜間拝観が許されるのなら庭に「向月台」という盛砂がある銀閣寺の月夜を味わってみたい。

 慈照寺銀閣は京都の東山、哲学の道の最も北に位置する。室町時代中期、八代将軍である足利義政が造営。観音像を安置した銀閣(観音堂)と茶室・持仏堂がある東求堂は、一度も火災に遭わずに創建当時の姿をとどめている。義政は能、茶道・作庭・華道などをこよなく愛し、東山文化の礎を築いたといわれる。それは金閣に代表される貴族的・華麗な北山文化と対照的に、「侘び、寂び」の美意識に通じる文化だ。

 銀閣を背景に広がる白砂の庭園は、江戸時代の改修の際に作られたそう。中国の西湖を模したといわれる銀沙灘(写真の手前)と向月台(中央)からなり、他の寺院の枯山水庭園とは異なった存在感を示しながら美しく調和しているように思える。

 銀沙灘と向月台は、月の光を反射して銀閣を照らすと言われているようだが、その用途目的は明らかではない。小説家の阿部知二氏のように「相反している」と評する人がいる一方で、岡本太郎氏は「ユニーク、感動、芸術的」とべた褒めしているのは面白い。

 いずれにせよ白い銀沙灘と高く盛られた向月台が皓々たる名月の光を受けている様子は、明らかに昼間の銀閣とは異なった趣。まさに東山文化を象徴し、日本人の心に強く訴えかける幽玄の世界に違いない。(さ)

参考文献:『古美術読本 庭園』 竹西寛子 編

月も国によっていろいろ。月と関わりの深いラマダーン(断食月)・エジプト、モスクと月・イラン、国旗の由来・トルコ、月の女神・ギリシャ、和歌に詠まれた冬の月

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