地球散歩

地球は広いようで狭い。言葉は違うようで似ている。人生は長いようで短い。一度しかない人生面白おかしく歩いてしまおう。

クリスマス

2007-12-29 20:39:53 | イタリア語

 Natale (ナターレ)

 クリスマスが終わって日本は既にお正月モード一色。一方、ヨーロッパではまだキリストの誕生を祝う静かであたたかい雰囲気が継続、1月6日までは飾りつけも残って新年はその中で迎える。

 ヨーロッパのクリスマス装飾の中で最も印象深いのは、キリスト生誕の場面を再現した人形「プレセピオ」である。この人形飾りは教会、ショーウインドー、各家庭といろいろな場所に登場。起源は12世紀にアッシジの聖フランチェスコが文字をほとんど読むことのできなかった当時の民衆にキリスト教を理解してもらう為に始めたと伝えられている。

 私が初めてプレセピオを見たのはローマ滞在経験のある友人宅を訪ねた時。高さ20㎝くらいの木製の馬小屋にマリア、ヨセフ、赤子のキリスト、天使、馬や羊の小さく精巧な人形が配され、まさに聖書の一場面「聖夜」を表現している。12月になるとナヴォーナ広場にプレセピオをはじめとする様々な季節用品を販売する市が立ち、そこで購入した思い出の品であるという。

 またこんなエピソードも聞かせてくれた。クリスマス前にイタリア人の家に招かれると広いリビングに大きなプレセピオが飾ってあったが、飼い葉桶の中に肝心のキリストがいない。尋ねると「まだ誕生していないよ」と、奥さんが赤ちゃんのキリストを大事そうに持ってきて当時幼稚園児だった友人に「置いてみなさい」と声をかけてくれた。そっと寝かせると「Buon Natale!」(クリスマスおめでとう!)という拍手とキスを受け、クリスマスの意味がはっきり刻まれた瞬間として40年近くも前のことなのに鮮明に記憶しているそうだ。現地の友人を通して異文化を家族で体験、理解した日々はかけがえのないものに違いない。何とも素敵な思い出、うらやましく思った。

 私もギリシャに住む機会に恵まれてクリスマスの意味を同じように実感。アテネの街でもプレセピオが飾られ、等身大の大きさのものがあることも知った。これはなかなか迫力満点である。写真は夏にローマを旅した時、バチカンの宗教用品を売る店のショーウインドーで見つけた時のもの。この辺りでは場所柄、通年置いてあるらしい。ローマとアテネで購入した我が家のプレセピオも日本で過ごすクリスマスの時間に行事の持つ深い意味ととヨーロッパの香りを与えてくれている。(さ)

 いつもありがとう。Grazie ! 今年も『地球散歩』に度々おいでいただき、ありがとうございました。ゆっくりの更新ですが、楽しく丁寧な記事を目指して頑張りますので来年もどうぞよろしくお願い致します。皆様、よいお年をお迎えください!碧・mitra・さらさ

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クリスマス

2007-12-22 22:48:11 | ペルシャ語

كريسمس(クリースマス)

厳格なイスラーム国のイメージが強い現在のイラン。ゆえに、この地における過去の宗教的習慣が、実はクリスマスの起源となっていると言ったら驚かれる方も多いだろうか。あるいは、過去の「ペルシャ」という国と、現在の「イラン」という国の文化の間に、一定の断絶を認める方もおられるかもしれない。

イスラーム化以前の古代ペルシャでは、ゾロアスター教が民族的宗教であった。日本ではいわゆる「拝火教」として知られる宗教である。ゾロアスター教は、アフラマズダー(光明神)を最高神とする宗教だが、それ以前から存在する神格も、自らの中に取り入れながら成立していった。そのひとつが、ゾロアスター教においては天使という存在に降格した「ミスラ(ミトラ)」である。ミスラは古代イラン=インドに共通する神格であり、本来は「契約」を司る司法神であったが、太陽神としての側面も持つ。正統なゾロアスター教神学では神としての地位を否定されたものの、民間ではミスラ信仰が盛んであった。特にミスラの太陽神としての姿は、人々の間で大変な人気があった。この信仰が、ペルシャ文化とヘレニズム文化との交流により地中海世界にもたらされ、後にローマ帝国で隆盛を極めたミトラス教の原型であると考えられている。

キリストの聖誕祭として祝われるクリスマスが、実際にはキリストの誕生日と一致しないことは有名な話であるが、それは後にキリスト教を国教としたローマ帝国が、ミトラス教徒を懐柔するため、彼らの習慣をキリスト教に取り入れた結果と言われている。本来12月25日は、ミトラス教徒にとって冬至を祝う日だった。冬至は、ミトラス教の母体となった古代ペルシャにおいて、太陽の「死と再生」の儀式を行うための重要な意味を持つ日である。太陽の再生とは、この日を境に昼が夜よりも長くなることを意味する。

また、キリストの公現(生誕)の際、祝福に訪れたとされる「東方の三博士」が、ペルシャの聖職者「マギ(ギリシャ語ではマゴス)」であったことをご存知の方は多いだろう。

現在世界中で盛りあがりを見せるクリスマスの背景に、ダイナミックな古代の文化交流の跡が隠されていることを知るのは興味深い。そして、クリスマスを太陽の再生の日と捉えれば、夜の長い真冬の一日も、特別の意味を持って心に響いてくる。
現在、イスラーム指導体制下のイランでは、クリスマスを祝うことは勿論奨励されない。しかしここ数年、子供達の間でクリスマスの飾り付けをするのが人気だという。嬉々とした表情でクリスマスの準備をする子供達の笑顔は世界共通。文明の衝突ばかりに目を向けがちだが、他文化にも敬意を表し、その習慣を愛する人々の姿は、クリスマスのイルミネーションよりも輝いて見える。(m)

写真はテヘランのアルメニア人が経営するお店。ショーウィンドウはすっかりクリスマス・モード。『地球散歩』にも煌くクリックをお願いします!
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クリスマス

2007-12-17 21:58:26 | ギリシャ語

 Χριστουγεννα (フリストゥーゲナ)

 皆さんにもお馴染みであるクリスマスの表記「Xmas」。英語なら「CHRISTMAS」、では「X」は何?と思ったことがある方も多いのでは。それはギリシャ語のキリスト「ΧΡΙΣΤΟΣ」(フリストス)由来の「X」なのである。「Christ」の省略として頭文字を代用し、mas」は礼拝という意味の英語で合成語となっているそうだ。何故、このような表記がなされたのか私が調べた限りは不明である。ただ、日本で見かけるXとmasの間にアポストロフィーを入れて「X’mas」とするのは成り立ちから考えると誤りで、正しくはXmas。この表記は正式なものではなく主に商業通信文や広告に使われることが多く、なるほどポスターやチラシなどの派手な文字が浮かんでくる。

 さて、12月となりギリシャの友人からの便りにも「クリスマスの準備」という言葉が度々登場。家庭の主婦は雪のように白いクラビエデスや蜂蜜と木の実たっぷりのメロマカロナというクッキー風のクリスマススイーツを焼き始める。部屋を片づけて飾り付けもスタート。

 小学校低学年や幼稚園ではキリスト生誕にまつわる物語を読んだり、誕生の場面の劇を行う。友人の子供(男の子)は幼稚園時代は「羊飼い」、小学校に入ってからは「東方の三博士の一人」の役を演じたそうだ。写真を見ると衣装も凝って、羊飼いの持つ杖や博士が持参した贈り物などの小道具もしっかり揃い、絵本から飛び出してきたかのよう。

 街はショーウィンドーに赤や緑、金色をベースにした装飾が施され、天使やサンタの飾りがお目見えする。シンタグマ、オモニアの中心には大きなクリスマスツリーが登場、広場にはメリーゴーランドやイベント施設が設置されて小さなテーマパークのようだ。決して広くない広場は大混雑。私が滞在していた時には、カラフルな「お菓子の家(店)」がところ狭しと並んでいた.。ツリーの前で記念写真を撮る人、メリーゴーランドから手を振る人など皆、思い思いの時間を楽しんでいる。写真は国立庭園の南隣にある国際展示場・会議場のザピオン。神殿を模した新古典主義様式建築の前にツリーが飾られると、いかにもギリシャのクリスマスという雰囲気となる。ちなみに建物正面はスケートリンクで、こちらも大混雑。雪や氷が珍しいギリシャ人に大人気のスポットとなっていた。(さ)

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2007-12-11 00:20:50 | 日本語

 日本人にとって「山」と言えば富士山である。
 私はなぜか富士山に登ることを拒否されている。いつもいつも、富士山へ行く日は天気が悪い。大雨が降り、深い霧が立ち込め、一歩も寄せつけないのである。
 そんな私だが、実は富士山登頂は何度も果たしている。
 言っていることに矛盾がある?いいえ、とんでもない。ウソはついておりません。
 江戸時代の富士講という、富士信仰の一つとして江戸ではやったころ、各地で作らせた山がある。元々あった塚や古墳を利用したり、小山を作って富士山の溶岩を並べたりと、山自体はいろいろであるが、富士山が見えるところにつくるというのは共通していた。目下は、高層の建物が多く、私もいくつか登頂しているが富士山が見える富士塚は皆無と言ってよいだろう。
 現在富士塚は、区などの重文に指定されているところが多く、また、保存のために登頂できないところがほとんどである。中にはいつでも登ることができる富士山もある。神社の一角にあるので、春は桜、秋は紅葉を楽しみながらの登山が楽しめる。
 富士山の山開きの日にお祭りをして、近隣住民に登頂を許すところもある。
 
都内の富士塚一覧表によると、120もの富士山が確認されている。
 江戸八百八講と言われていたが、関東に現存しているのは300ぐらいという。
 富士塚は、螺旋を描くように登っていくと、一合目、二合目の碑が置いてある。塚にもよるが、祠や、碑が所狭しと置いてあり、山頂に近づくころには、一汗かくことも。
 富士山自体の信仰は、今尚細々とではあるが続いている。日本人の大好きな山がなぜ今も、信仰と結びついていないのかは、大変疑問であるが、それには富士山とその周辺が、単純に観光地として発展を遂げたことに理由があると思う。
 富士山があまりにも日本人にとって身近であったために、神や信仰に結び付けなくても、富士山界隈の町が廃れることはなかったのである。
 そして、それは富士信仰が栄えない理由ともなった。
 私たちが海外に出て、戻ってきた時に見る富士の山。旅先で遠くに見える富士の山。いつでも「あ!富士山だ」と言ってしまう、日本人のお山。
 江戸幕府は富士信仰を良しとしなかった。もし、時の権力者が富士信仰に熱い人であったら、日本も、いや関東では、富士信仰の信者であることが当たり前の世の中があったかもしれない。[a]

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2007-12-06 17:55:08 | ペルシャ語

چای(チャーイ)

イランを旅した経験がある方はご存知かもしれないが、イラン人は一日に何杯も紅茶を口にする。ロシアのそれで有名なサモワール(サマーヴァル)は、イランでもかなりの割合で一般家庭に普及していて、サマーヴァルの上であらかじめ蒸された濃い目の紅茶を、お湯でその都度薄めて飲むのがイラン式紅茶の作法である。
昨今日本でも有名なイランの喫茶店チャーイハーネでは、透明の小さなグラスに注がれた熱々の紅茶が供される。チャーイハーネと言えば、水タバコの煙を燻らす男達の姿も思い浮かぶだろうか。幾何学模様の絨毯の上でお喋りや水タバコに興じながらゆっくりと紅茶を啜る人々の姿からは、社交場としてのチャーイハーネの役割と、紅茶好きな国民性が垣間見られるのである。

イラン人の日常に溶け込んでいる紅茶文化。ゆえに長い伝統を保持しているだろうと思いきや、イランで紅茶が普及したのはガージャール朝(1796~1925)時代のこと、つまり近代に入ってから。サファヴィー朝(1501-1736)時代にトルコからイランに入ったと考えられているコーヒーよりも歴史が浅いのである。イランでの紅茶の浸透度を鑑みると、紅茶の方が歴史が新しいというのは意外な気がした。

さて、前回イランの詩について書いたが、かつてはチャーイハーネでも詩が娯楽のひとつとして存在していたことに言及せねばなるまい。ここで詠まれた詩は、神話上の英雄や殉教したイマームについて。中でも、国民的叙事詩『王書(シャーナーメ)』(11世紀成立)は人気があった「演目」。勇猛なリズムを持つペルシャの英雄叙事詩は、少々大袈裟な身振り手振りも伴い、一種の演劇として存在してきたのである。『王書』を「演じる」専門の職業家も存在した。彼らは約5万行からなる『王書』の全てを記憶していたというから驚異的だ。残念ながらイスラーム革命(1979)後、この伝統は徐々に廃れてしまい、今ではチャーイハーネで『王書』の朗読を聞く機会はほぼなくなってしまったようだが、それでも尚、イラン文化を知りたいなら、ぜひ旅程にチャーイハーネ巡りを入れて頂きたい。チャーイハーネの扉を開くということは、深淵なイラン文化の扉を開く鍵ともなるのだから。[m]

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2007-12-02 23:47:29 | 日本語

 現代日本人にとって、米はなくてはならないものである。米は世界中で食されているが、「日本型」と「インド型」がある。「インド型」は、いわゆるタイ米や、外米のことである。
 面白いことに、日本人移民の多い国で食べられている米は、「日本型」である。これは単なる偶然であろうか?行ったのは偶然でも、定住した理由の一つとはいえないだろうか。
 「日本型」は、中国北部から中部、中米や南米。スペイン、イタリア、エジプトなど。
 もっとも学術的には、もっちり系は「日本型」と「ジャワ型」に分けられて、スペインなどで食されているのは、「ジャワ型」である。日本型を意味する「ジャポニカ米」の呼称はよく聞くが、ジャワ型は「ジャバニカ米」という、なんとも紛らわしい区別がされている。
 「インド型」は、中国南部、東南アジア、アメリカ南部など。
 国民食である米を日本人が主食としてきたのは、太古の昔からのような気がするが、意外にも、昭和になってからである。かつては「銀シャリ」と言ったりして、とにかくお腹いっぱいの白米を食べることは夢のような時代が長かった。米を食べられるのは富裕層の人々であり、粟や稗、イモ類が主食の時代は第二次世界大戦ふが終わり、復興するまで続いたのである。
 千年の時を超え、米が主食となることを願った日本人。その願いは、米に力を与え、神聖なものとするに十分であった。
 日本人にとって、米とは魂の再生復活をさせる食べ物であった。冠婚葬祭において、米が登場しないことはまずない。また、食べるだけでなく、生米をまいて邪気を払うのも、祭りや地鎮祭などで見られる。

  米の字は、アメリカの略語としてもよく使われる。亜米利加と書くのに、なぜ略語は「米」なのか?実は、黒船がやってきた時、耳のいい当時の人達は「アメリカ」の発音で、「メ」にアクセントが来るのをキャッチし「米利堅(メリケン)」と字にあらわした。それが今に残っているわけだが、小難しい話は置いておいて「おにぎり」と「おむすび」について。
 我が家では、お寿司のように片手で握ったものを「にぎり」といい、両手でむすんだものを「おむすび」と言う様に言われて育った。どうもこれは関東に多い考え方のようで、コンビニなどで売られているものは、圧倒的に「おにぎり」の呼称である。
 現在、どちらで読んでも間違いはないのだが、結局のところどちらも神聖な意味を持っている。
 おむすびは山岳信仰と結びつき、山を模した三角形であるという。山の神の力を得るために食べたのがそもそもの始まりという。
 またにぎりは、鬼を切るとのごろあわせで、魔よけの意味合いがあったという。
 はたまた古くはおにぎりと呼んでいた物を、宮中の女房たちが、丁寧語でお結びと呼び変えたとも言われている。真相は定かでないが、いずれにしても、米は日本人にとって神聖な、なくてはならない食べ物であることに間違いない。そして、現在のようにあって当たり前の時代ではなく貴重な食べ物であったからかもしれない[a]

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