地球散歩

地球は広いようで狭い。言葉は違うようで似ている。人生は長いようで短い。一度しかない人生面白おかしく歩いてしまおう。

2011-02-25 00:10:49 | ポルトガル語

Carro (カーホ) 

 ヨーロッパの冬は鉛色の空の日が多く、歴史ある重厚な建物も沈んで暗い印象がある。リスボンを訪ねた日も真冬の曇天、しかしケーブルカーが街を明るく活気づけていた。黄色の車体がひときわ目を引く。石畳の坂道が多い街をガタゴトと走るケーブルカーは利便性だけでなく何とも旅情を誘う乗り物であった。

 リスボン市内の低地と高地を結ぶケーブルカーが地区別に3路線ある。写真は新市街の大きな広場と展望台を結ぶグロリア線。胸突き八丁の坂を5分ほどかけてゆっくりと上がる。展望台のある小さな公園からは赤い屋根瓦や教会、古代ローマ軍が築いた砦を基に作った城、遠くにテージョ川までを望むことができる。

 更に上がりきったところにあるのがサンロケ教会。メジャーな観光地ではないが、天正遣欧少年使節団の伊東マンショ・中浦ジュリアン、千々岩ミゲル、原マルチノが訪れた場所ということで日本人にとっては特別な場所といえる。彼らは1582年、九州のキリシタン大名の名代としてローマへ派遣された。インドを経由しリスボンに到着した時にサンロケ教会が宿舎として提供されたそうだ。その後、ローマへ移動して教皇グレゴリオ13世に謁見。1年4ヶ月の間にキリスト教を学び、印刷機や楽器、海図など多くのヨーロッパ文化を持って帰国した。

 派遣された当時の伊東マンショは13歳という若さ。西欧の全てに瞠目したことであろう。日本から遠く離れたポルトガルにおいて、幾多の年月を経た21世紀の今も安土桃山時代に生きた少年達の足跡を感じることができる場所である。リスボンに行った折りにはケーブルカーに乗って訪ねてみてはいかが。(さ)

 

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クリスマス

2009-12-15 00:00:00 | ポルトガル語

Natal(ナタウ・クリスマス)

 年末の時期に旅行したポルトガルでクリスマス限定スウィーツに出会った。ドライフルーツと粉砂糖で化粧をしたリングケーキが、デコレーションリースのように華やかに店先に並んでいる。ボーロ・レイ(BOLO=ケーキ  REI=王様)と呼ばれるこのスイーツは12月24日から1月6日の期間に食べるポルトガルの伝統菓子。キリストが生誕する日に始まるクリスマスは、東方三博士がお祝いを持って訪ねた日と言われる1月6日まで続き、その中で新年を迎えるのである。

 イーストを使って発酵させた生地の中にはアーモンド、胡桃、松の実がたっぷり。特別なのは、ケーキの中に乾燥したソラマメ一つと人形や動物の小さな飾りを一つ入れて焼くこと。切り分けた時にソラマメが入っていた人は翌年のボーロ・レイを用意する役となる。また人形があった人は一日、王(王妃)様でいられる、つまり新しい年の幸運を当てたことを意味する。

 フランスのガレット・デ・ロア(同じく王様のケーキ)やコインを入れたギリシャのヴァシロピタも同じ趣向。あっという間に過ぎる一年とはいえ、平凡な中にも悲喜こもごも様々な出来事がある毎日。新しい年に幸あれと願う人々の気持ちはどこの国でも共通、そんな思いを大いに盛り上げてくれるスウィーツである。今年のクリスマスケーキをホームメイドされる方、幸運の飾りやコインを入れて焼いてみてはいかが?初詣のおみくじとは違った楽しみ方ができるはず。(さ)

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スウィーツ

2009-01-24 00:58:12 | ポルトガル語

 bolo (ボーロ)

 ポルトガルスイーツの代表は、最近、日本でもお馴染みの「エッグタルト」。卵と砂糖、粉で作られるシンプルで優しい味わいが好まれるのだろう。また同じ材料から作られ、南蛮菓子にルーツを持つカステラも今や老若男女を問わず愛されるスウィーツとなっている。

 カステラの起源は、室町時代末期、南蛮船により伝えられたポルトガルのパン・デ・ローやスペインのビスコチョという菓子にあると言われている。これらは栄養価が高い上に日持ちが良く、大航海時代の船乗りの保存食であった。カスティーリャ地方から持ってきたと説明をしたところ、カステラという名前の菓子であると思ったという説が有力らしい。当時、織田信長に仕えた茶人が異国人をもてなす際に高坏にのせたカステラを茶とともに出している。実際のところ、抹茶が飲めなくて白湯を出すことになったそうだが、「堺から取り寄せたカステラ」での饗応は興味深い。

 ところで、偶然にも私が今、はまっているのが炊飯器で作るカステラ。材料は4個の卵に砂糖、強力粉(いずれも140g)、牛乳・蜂蜜(各大さじ2)、ミリン(またはブランデー小さじ1)だけ。卵と砂糖をハンドミキサーで5分泡立て、牛乳、蜂蜜、ミリンを入れて更に2分、泡で字がかけるくらいまでしっかり泡立てる。ふるった粉を入れて更に中速で1分かきまぜた後、炊飯器に流し込んで普通に炊く。我が家の場合は炊飯2回で完全に焼き上がり、蓋を開けると甘い香りと共に黄色いカステラがふっくらと顔を出す。しっとりと仕上げる為に、あら熱がとれたらビニール袋などでしっかりと密封するのがポイントだ。

 驚くなかれ、これはまさにカステラ。家庭にある材料を使い、ハンドミキサー任せで簡単に出来上がるのが嬉しい。早速、自家製カステラでのティータイム。室町時代の茶人ように抹茶といただくもよし、ポルトガルのカフェのようにグラスで飲むカフェ・レイテとの組み合わせもよし。いずれも南蛮菓子であったルーツに思いを馳せるにふさわしい。(さ)

参考・・・文明堂、福砂屋HP    『洛中の露 金森宗和覚え書』 東郷 隆   写真はカフェの入り口を飾るポルトガルのアズレージョ(装飾タイル)

いつもありがとう!Obligado ! 「カフェ・地球散歩は、 いろいろなスウィーツを取りそろえております。甘~い中東菓子系列はエジプトイラントルコギリシャ、その他、話題の生姜味・日本の冷やしアメ、こちらもお楽しみください。カステラ作りのハンドミキサーから生まれる泡の数だけクリックよろしくね!人気blogランキングへ


ワイン

2007-02-27 12:52:58 | ポルトガル語

V inho(ビーニョ)

 ポルトガルにワインをもたらしたのはローマ人。小国ながら世界第8位の生産量を誇るワイン国だ。代表は、まず食前酒やデザートワインとして愛されるポルトワインであろうか。これは途中でブランディを加えることにより発酵が止まって、葡萄の糖分が変わらずに残るという製造工程のよるもの。独特の甘味と香りを持ち、美しいルビー色は「ポルトガルの宝石」と称されている。

 次に有名なのは、女優・壇ふみさんの父である壇一雄氏が「自分の名前と同じ」と喜んで嗜んだことで知られる「ダン・グラン・ヴァスコ」であろう。また、ロゼ好きをうならせる「マテウス・ロゼ」、ポルトガル領マディラ島の特産「マディラ」などの銘酒も。

 私の場合、リスボンのレストランで出会った微発泡の白「ビーニョ・ヴェルデ」。緑のワインという意味であるが、この場合の「緑」は若さや新鮮などを意味するそうだ。ポルトガル食材の代表・干しタラをはじめとする様々なな魚介料理にぴったり。あまりの美味しさに飲み過ぎてしまうほどの逸品である。

 また、ポルトガルワインは16世紀半ばに宣教師ルイス・フロイスによって日本にももたらされている。ポルトガル語で赤ワインを意味するTinto(ティント)から「珍陀(ちんた)」と呼ばれ、戦国時代に織田信長や豊臣秀吉が珍重したと言われている。南蛮渡来の酒は権力者達の心を捉えてやまなかったようだ。

 明治の詩人、北原白秋の「邪宗門秘曲」から、南蛮の空気が目にも鮮やかに浮かび上がる詩の一節をどうぞ。日本人が初めて触れた西欧文化への憧憬が耽美的に表現されて、その中に「珍陀」の文字を見ることが出来る。(さ)

     われは思ふ、末世の邪宗、切支丹でうすの魔法

     黒船の加比丹(かぴたん)を、紅毛の不可思議国を 

     色赤きびいどろを、 匂い鋭(と)き あんじゃべいいる

     南蛮の桟留縞を、 はた阿刺吉(あらき)、 珍陀の酒を 

  (注釈)邪宗・・・キリスト教  でうす・・・天主  加比丹・・・キャプテン

      あんじゃべいいる・・・カーネーション(ポルトガル語)

      桟留縞(さんとめじま)・・・細縞木綿布   

      阿刺吉・・・南蛮渡来の蒸留酒                              

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クリスマス

2006-12-26 15:35:22 | ポルトガル語

Natal(ナタウ)

 日本にいると忘れてしまいそうになる、クリスマスの本当の意味。しんと冷え込む夜の街に点滅するイルミネーションやショーウインドーの装飾は私たちを華やいだ気持ちにさせる。宗教的背景が違うからそれで十分かもしれない。でもキリストの誕生を祝う神聖な日であることを心のどこかにとめておきたいといつも思う。

 臨月のマリアは夫ヨセフと共にユダヤのナザレから住民登録の為にベツレヘムへと旅立つ。登録のために人出が多く、宿はどこも一杯。産気づいたマリアが立ち寄ったのが馬小屋。牛や馬、羊が見守る中、イエス・キリストが誕生した。夜空には天使が歌い、大きな星が輝いて救い主の生誕を人々に知らせ、それに導かれて東方三博士が祝いの品を持って訪れた聖なる夜だ。

 リスボンの博物館で、聖夜を描いた美しいアズレージョ(装飾タイル・写真)に出会った。街のあちらこちらで出会うことが出来るタイルはポルトガルを代表する伝統工芸。旅情とせつなさを誘う青と白の魅力は言うまでもなく、落ち着いた色彩を使った優品も沢山ある。(アズレージョに関してはポルトガル語「花」の記事をご覧ください。)

 命の力と希望、ぬくもりに満ち溢れている赤ちゃんの誕生。そこに聖夜としての風格が備わったアズレージョは、まさに一幅の絵画である。かつては教会の祭壇画として用いられたという解説があり、無名のタイル職人の手による作品であることを知った。深い信仰によって成し遂げられた仕事である。(さ)

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25日が過ぎて日本はお正月一色ですが、欧州では1月 6日までクリスマスの装飾もお祝いムードもそのまま。『地球散歩』もクリスマスの記事が続きます。ヨーロッパを旅している気分で、またのお越しを!お帰りにはクリックもお忘れなく。

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コーヒー

2006-09-20 11:39:32 | ポルトガル語

Cafe (コーヒー・ポルトガル語)

 ポルトガルはコーヒーが安くて美味しい。大航海時代に早くからブラジルを植民地にしてコーヒー豆を集め、ブレンドや焙煎の技術を培ってきたそうだ。エスプレッソを飲む人が多いようだが、私は「カフェ・レイテ」(ミルクコーヒー)をよく注文した。普通のコーヒーがカップ・ソーサーで出てくるのに対し、ホットでもグラスに入っている。こんな「意外」が大好きだ。

 カフェの壁を飾るアズレージョ(装飾タイル)はイスラムが起源であり、スペイン経由で伝わった・・そんなことを考えていると、目の前のグラスに入ったコーヒーと中東などでよく飲まれるグラスに入った熱いチャイが重なった。定かではないけれど、熱い飲み物をグラスで飲むアラブ人の習慣が、こんな風に残っていたとしたら面白い。

 グラスのコーヒーにまつわる物思いは、街に点在する印象的な建造物の記憶とつながった。華やかなりし頃の王・マヌエル一世の名前をとった「マヌエル様式」は、隙間ないイスラム風の文様と世界に開けた大航海時代の壮麗さが融合した建築様式。ゴシック、ロマネスクなどの枠にはおさまらない個性的な姿は、ヨーロッパの他の地域では見られない。街を彩る装飾タイル同様、イスラム支配の残り香が、ポルトガルに独特な情緒を生み出している。

 カフェでの時間は、ゆっくりと濃密。冷たくなった手でグラスを包むようにして飲むのが寒い時期の旅にぴったり。砂糖を入れて、ソーサーにのっている柄の長いスプーンでかきまぜる。甘めのミルクコーヒーが体を芯まで温めてくれた。(さ)

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2006-07-14 04:06:50 | ポルトガル語

 Cha(ポルトガル語)

 ポルトガルはコーヒー国。カフェや菓子店など、あちこちに安くて美味しいコーヒーがあった。短い旅だったこともあり紅茶の印象は全くない。

 しかし、世界史を紐解くと、優れた航海術で新しい大陸へ繰り出したポルトガルは16世紀頃、いち早くアジアで茶に触れて、オランダと共にヨーロッパにその情報や茶葉をもたらしている。そして両国はイギリスの紅茶文化のスタートに大きく関わった。

 まずイギリスに初めて持ち込まれた茶葉はオランダから。コーヒーハウスでの売り出し時には「古い歴史や文化を誇る国々は東洋の茶をその重量の二倍の銀で売り買いしている」と大々的に宣伝、万病に効く東洋の神秘薬として紹介している。

 そんな折り、1662年ポルトガル王の娘キャサリンが持参金の一つとして茶葉を持ってイギリスのチャールズ二世に輿入れした。彼女は茶を飲む風習のみならず、日本や中国の茶器などをイギリス宮廷に広め、それが貴族、市民へと伝わって大ブームを巻き起こしたのである。当時の茶は、まさに東洋への憧れや富の象徴。世界に誇るイギリスの紅茶文化の発端はここにあったのである。ちなみにポルトガルは航海の目的が香辛料だったこともあり、意外にも自国に茶は根付かなかった

 ところで、キャサリンの持参金。ポルトガルの黄金期を感じさせるものばかりで、茶葉の他には七艘の船に満載した砂糖である。これはサトウキビの栽培できないヨーロッパにとっては南国からの高価な品で、やはり銀と同等価値であった。また後に東インド会社の本拠地となるインドのボンベイも贈られたそうだ。

 リスボンの街を歩くと、そんな大航海時代の華やかさを感じる当時の大きな建造物が残っている。「マヌエル様式」と言われるスタイルは、ロープや貝、異国の植物など船や航海、新しい大陸を連想させるモチーフが装飾として用いられている。それらが、かつてのアラブ支配の残像と溶け合って、壮麗な中にも何ともエキゾチックな雰囲気を醸し出している。写真はジェロニモス修道院の中庭。

 東洋への思いをかきたてた茶。見知らぬ国々への憧れを写し取った建築物。世界の情報が溢れる現代の私たちも同じような異国への思いを抱き、旅をする。(さ)

〔参考文献 『一杯の紅茶の世界史』 磯淵 猛 文藝春秋)

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この記事は英語の「茶」ともリンクしています。お時間があったら読んでみてください。そして異国への思いをかきたてられたら、クリックよろしくね。                 

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2006-06-20 09:16:45 | ポルトガル語
Peixes(ペイシェシュ)
 
 ポルトガルを代表する魚はタラ。これは塩漬けになっている干しタラで、365日違う料理を食べられるだけのレシピがある、いや1000を越える調理法があるなどと言われる国民食である。
 街の食料品店の店先に大粒の塩がゴロゴロとついたタラ(写真)が山積みになっているのを見かけることも多く、レストランではメニューのbacalhoada(バカリョアーダ・タラ料理)という見出しの下にはサラダからグラタンやコロッケ,リゾット、スープなど様々な料理名が並ぶ。オリーブオイル、サフランやハーブなどを使っても、ポルトガル料理全般が日本人の口に合う素朴な味わいだ。

 旅の途中、最も手軽に楽しめるのはタラのコロッケであろう。マッシュしたジャガイモに塩出ししたタラを混ぜ込んで揚げたものが街のスタンドや食堂のショーケースに並べられ何とも食欲をそそる。石畳の坂道を走る黄色いケーブルカー、壁のアズレージョ(装飾タイル)などを眺めながらコロッケをほおばれば、ポルトガルならではのそぞろ歩きとなる。

 ポルトガルは約500年前から遠洋でのタラ漁を行っていたそうである。タラは捕獲の容易な魚であるが、日持ちが悪い。古くはウ"ァイキングたちが長い航海の間、干し物にして蓄えた。その後はスペインのピレネー山脈に住むバスク人達が更に日持ちを良くするために塩して加工し、交易品としても用いたそうだ。ポルトガル人も同じように塩蔵で持ち帰ったのであろう。
 食材として広まった塩タラは、16世紀半ばに全ヨーロッパで消費される魚の6割を占めるようになり、北海の漁業権を巡っての「ハンザ同盟」や新たな漁域の発見に伴う「コッド・ラッシュ」なる言葉が世界史に登場する。
 
 彼らがそれほどまでにこの魚に惚れ込んだのは、栄養素にある。脂肪分が少なく、魚には珍しくタンパク質の含有率も高い。これを干物にすると体重の大部分を占める水分が蒸発、濃縮されて80%の高タンパクになるという。保存の為に絞った人間の知恵が豊かな食材を生み出したようだ。
 安くて高タンパク。畑の肉といわれる日本の豆腐同様、国民食として広く愛されてきたことがわかると、異国のタラ料理に親しみがわき、更に美味しく魅力的に感じられた。(さ)

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2006-03-02 22:09:32 | ポルトガル語
Carnes(カルネシュ)

 街にはその国の歴史を感じる場所がある。ポルトガル史で最も華やかであった大航海時代を象徴するのは、リスボンにある「発見のモニュメント」だろう。造船や航海術の発展など航海事業に大きく貢献したエンリケ航海王子の没後500年を記念して建てられた記念碑は大きな帆船の形をしている。彩色の全くない船は空と水の色だけを背景に白く輝いていた。
 テージョ川に向かうように位置するこの船には航海に深く関わった人々の姿が刻まれている。この川がいずれ大西洋へとひらけ、新しい世界が待っていることを知っていた人たち。先端に立ち、手に船を持っているのがエンリケ航海王。その後ろにはインド航路を発見したバスコ・ダ・ガマ、世界一周を果たしたマゼラン、学者や宣教師など27人の像が並ぶ。
 
 彼らが大航海へと繰り出した大きな理由の一つが今日のテーマの肉である。14世紀頃からヨーロッパでは食肉の習慣が広がったものの、肉の保存が大きな問題となった。そこに防腐剤として用いられたのが胡椒や丁字(クローブ)などの香辛料。香りや風味以上に重要な役割となっていたのである。しかし、ヨーロッパでは採取されないもので、専ら東南アジアからの輸入に依存していた。香辛料の貿易は「香料貿易」という歴史用語にもなっているのだ。
 それを一手に掌握していたのは当時世界商業を制覇していたイスラム商人。買い付けた香辛料はインド洋から紅海を経てアレキサンドリアに運ばれ、後はイタリア商人(ベネチア人)が買い取ってヨーロッパ各地で販売するというルート。とにかく高価な物で、当初は同量の金と交換していたそうである。
 ポルトガルは独占されていた香料貿易を独自の直接貿易によって打破し、大きな利益を得ることを国家を揚げて行った。香料主産地は胡椒がインドやスマトラ島など、クローブ、ナツメグはフィリピン南方のモルッカ諸島である。独自の航路発見により、一時はモルッカ諸島を占領、香料貿易を独占し15-16世紀の全盛時代が訪れた。(中央公論社『世界の歴史』7 参照)

 肉の保存の為に始まった大航海。巨万の富は、危険を承知で大海原へと旅立った多くの挑戦者達のパワーによって築かれた。(さ)

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日本

2006-02-03 10:41:53 | ポルトガル語
Japao(ジャパゥン)

 リスボンの博物館に日本とポルトガルのつながりを感じさせる南蛮屏風がある。鉄砲(1543年)やキリスト教(1563年)の伝来などポルトガルと日本の関係は深く、島原の乱の二年後(1639年)年徳川幕府により入港が禁止されるまで交易が続けられた。
 南蛮屏風の主題は、桃山時代から江戸時代にかけて我が国に来航した西欧人の風俗。背が高く鼻が長い独特の顔立ちに洋装・・いかにも異人さんという雰囲気。

 ところで「南蛮」という言葉。辞書には様々な意味が出ていた。
(1)南方の野蛮人。古く中国で南方の異民族をいやしんで呼んだ語。
(2) 室町時代から江戸時代にタイやルソン、ジャワなどの南洋諸島を指し
た語。また、その地域を経由して渡来したポルトガル人やスペイン人のこと。
(3)南方から渡来した文物や珍奇な物、異国風の物。
(4)南蛮煮の略。
(5)唐辛子、トウモロコシの別称。
(6)歌舞伎、日本舞踊で、右足を出す時に右手を振り上げるような歩き方。
                             (大辞林)
 
 寒い季節に美味しい鴨南蛮やカレー南蛮はネギを用いることから(玉葱は南蛮渡来の野菜)、また酒のつまみにぴったりの「南蛮漬け」は、油を用いた新しい料理法でありネギや唐辛子を使うからということになるのだろう。

 最後に当時の南蛮屏風は宝船のような「招福」の縁起物と見なされ、大変な人気を博していたとか。旧所蔵者には堺や日本海側の回船問屋などの商家が多い。鎖国の後も屏風の制作が減少はしても完全に途絶えることなく続けられていたのは、西洋人の描かれた屏風のテーマがキリスト教ではなく縁起物と認識されていたからだそうである。
 (歴史博物館 本館情報資料研究部・大久保純一氏の資料による)

 遠いポルトガルの地。遙か海を渡って届いた「幸せを招く屏風」に会うのも、また旅の楽しみである。(さ)

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2006-01-12 09:48:58 | ポルトガル語
flor(フロール)

 冬のポルトガルの街。散歩をしていて目にとまったのは「アズレージョ」。これは14世紀にイスラム圏から伝わって以来、街を彩ってきた装飾タイルのことである。アズレージョのアズール(azul)は青い、または青という意味。そしてアズレジャー(azulejar)で青色にする、彩色タイルを張るという意味があるそうだ。
 タイルは建物の壁、店の看板や道路表示、教会やカフェ、レストラン、駅の内装、公園のベンチや噴水のある水場にまで・・街の至る所でで見ることができる。
 
 アズレージョを眺めながら歩くのは楽しい。大きさ、形、色、デザインが様々、それぞれに趣向を凝らしている。それらの特徴は制作の時代を表しているということが調べてみてわかった。
 16世紀後半は、フランダース地方(ベルギー西部、フランス北東部、オランダ南西部)のタペストリーの影響を受けて教会、修道院、貴族の邸宅などの壁面装飾に使われた。17世紀後半はオランダから伝えられた中国風の白地に青のモノクロタイルが主流になり、18世紀には病や災害から守ってくれる聖人や聖書を題材にとった絵画をタイルで描くことが好まれる。そして1755年のリスボン大地震のあとは多彩で華やかなタイルが人々の都市再興への想いを支え近代都市へ。そして現在に受け継がれているという。(金七紀男『ポルトガル史』より)

 名もない職人達が長い年月をかけて作ってきた美しい文化。出会った全てのアズレージョは冬枯れの街に咲く花のようであった。(さ)

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クリスマス

2005-12-12 14:46:55 | ポルトガル語
Natal(ナタウ)

 クリスマスの頃のリスボンを訪ねた。キリスト教を信じる人にとってクリスマスは大切なお祝いの日である。
 「キリストの生誕を祝う」という明確なものがあるので日本のお祭り的なものと違い、華やかな中にも厳かな空気が漂う。特に夜は派手なネオンはなく、街の中心部の通りの上には星やツリーに下げる丸い飾りなどをモチーフにした単色の電飾が密に続く。夜の闇に沈む古い石造りの街並みや石畳の中、この単色の光のトンネルは何とも静かな祝いの雰囲気。

 そしてこの時期、街のショーウィンドーは、どこも様々な趣向を凝らし洗練されている。中でも目を惹いたのは「キリスト生誕の聖なる夜」の人形飾りであった。生まれたてのキリスト、マリア、ヨセフ、時にはお祝いに駆けつけた3人の博士、天使、馬小屋の牛や羊まで揃っているものもあった。店先だけでなく勿論、教会の祭壇の前にも飾られていた。キリスト教の国であることと日本では忘れられがちなクリスマス本来の意味を実感。
 
 写真はリスボンの「サンロッコ教会」祭壇前。この教会にはキリシタン大名がローマ法王のもとに送った天正遣欧使節団が立ち寄ったそうである。はるばる日本から来た16世紀の少年達はどんな思いでリスボンの街を歩いたのだろうか。(さ)


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砂糖

2005-11-23 18:28:53 | ポルトガル語
Acucar(アスーカル) 
 
 ポルトガル・スイーツの代表は写真の「パスティス・デ・ナタ」、カスタードクリームのタルト。街のあちこちにある菓子店で見かける。中でも世界遺産であるジェロニモス修道院近くの「ベレン」という老舗が有名。修道院に古くから伝わるレシピ通りの製法を今でも守っているとか。タルトには好みで粉砂糖とシナモンをたっぷりとふってくれる。甘さは控えめで日本人好み、2つはペロリという感じだ。

 話を日本に移してポルトガルとゆかりの深い菓子といえば「カステラ」。室町時代に長崎の出島に伝わった。名前もポルトガル語の「castella」(城)からきているそうだ。修道院で尼僧が作り、主に祭礼の時に食したという「パン・デ・ロー」という菓子が原型。また一説にはスペインのカスティーリァ地方の「ビスコチョ」が起源とも言われている。(福砂屋「カステラの文化誌」)
 旅行中、このカステラの原型に出会うことはできなかったけれどグラニュー糖をまぶした揚げドーナツやスイートポテトによく似たものを見つけて食べた。懐かしい味であった。

 15-16世紀の大航海時代にスペイン、ポルトガルは世界の海へ繰り出し日本へも渡来、キリスト教はじめ多くの西洋文化を伝えた。欧州の言語に対しての日本最初の辞書はポルトガル語の「日葡辞典」(1603年)というから深いつながりを感じる。ボタン、シャボン、コップ、ブランコ、オルガン、タバコ、ボーロ、金平糖、パン、カルタなどはポルトガル語が語源の日本語と言われている。中でも面白いのはミイラ。「mirra」は没薬(もつやく)という名の防腐剤だ。(フリー百科事典『ウィキペディア』・「英語教師の基礎知識」)
 遠いポルトガルをとても身近に感じることができる。(さ)

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2005-11-09 23:19:28 | ポルトガル語
Caminho(カミィーニョ) 

 ジブリの映画「魔女の宅急便」で主人公の少女キキが魔女としての修行をするために暮らした場所は、ポルトガルの首都リスボンの街をイメージしているそうである。街中にある小さな展望台から見渡すと赤い煉瓦の街並みが丘の上の城趾から広がり、遠くに海を臨む絵画のような風景。ほうきにのったキキが空から見た雰囲気に似ている。
 特に中世の面影が残るアルファマ地区の石畳の細い路地や坂道、色褪せた赤やピンクの壁と装飾タイルの残る街並みを散策していると物語に迷い込んだような気持ちになる。
 この映画の主軸はキキの成長。13歳になると親元から離れて自分で街を探して修行を1年間するという古いしきたりのっとり、ある晴れた満月の夜に旅立つ。新しい街で戸惑いながらのスタート。パン屋の「おそのさん」という心優しい女性との出会いをきっかけに彼女は「魔女の宅急便」という仕事を思いつき、いろいろな出来事や人との触れ合いを通して多くのことを学んでいく。
 そんな誰もが通る独り立ちの道。大事なのは心と笑顔、頑張れ!と自分のほうきを手渡すお母さん。辛かったらいつでも戻ってきていいんだよと抱きしめるお父さん。新しい世界での人々との出会い。沢山のあたたかなものに包まれてこそ健やかに成長していく。日本の全ての子供達もどうかまっすぐに、と願わずにいられない。(さ)
 
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トマト

2005-10-10 19:48:41 | ポルトガル語
Tomate(トマテ)

 ポルトガル料理。ギリシャ料理と同じように「はて、どんな料理だろう?」という疑問がわいてくことだろう。様々な海外情報が手に入る日本でもあまり馴染みのない料理の一つである。

 旅行先で初めて食べたポルトガル料理は美味しい!の一言。長い海岸線を持つ土地だけに魚貝が豊富で新鮮、庶民的な食堂で出会う全てに舌鼓を打った。オリーブオイルを使った地中海の料理の仲間に入るものの、意外にあっさりした素朴な味わい。そういう意味では日本人好みかもしれない。
 ギリシャでも見かける塩漬けして干したタラはポルトガルの国民食。街の食材店で必ず見かけた。これを塩抜きして芋と混ぜたコロッケはショーウィンドーに並べてあるものを買って歩きながら何度もほおばった。他にもアサリのワイン蒸し、魚貝のスープやリゾットなどなど。変わり種の「アサリと豚肉の炒め物」はオリーブの実も入った珍品。ミスマッチのようなアサリと豚肉が不思議と調和し、しかもさっぱりとした風味であった。

 そして旅が冬だったので煮込みやスープをよく頼んだ。大ぶりの鍋に入ってドンと出てくるスープは鰯、白身魚、アサリ、海老やイカなどとともにタマネギやジャガイモ等の野菜もたっぷりと入っている。温かくホッとする味。そしてリゾットなども含め、煮込みなどには、やはり「トマト」が味の決め手として使われていた。
 トマトには昆布と同じ種類の「旨み成分」が沢山あるそうだ。昆布が「だし」として使われるように煮込みなどで美味しさに一役買っている。100グラムあたりの旨み成分の量は昆布が約180ミリグラムに対してトマトは約250ミリグラムというカゴメ総研の調査結果である。(ベネッセ『世界なるほどファイル』より)
 ペルーが原産のトマトは初め観賞用としてヨーロッパに伝わった。イタリアで食糧不足のときにトマトを食べたのがきっかけで食用となったという説があるそうだ。今では料理には欠かせない味の万能選手に成長、全世界の野菜総生産でもトマトが一位に輝いている。

 身体の芯からあたたまる魚貝スープ。トマトと昆布が同じような働きと聞くと日本の冬の定番・鍋料理を思い出し、ポルトガル料理の中で最も懐かしいものとなっている。[さ]
 
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