地球散歩

地球は広いようで狭い。言葉は違うようで似ている。人生は長いようで短い。一度しかない人生面白おかしく歩いてしまおう。

2008-07-30 16:12:28 | 沖縄方言

 沖縄の花。旅をした3月でもブーゲンビリアやハイビスカスが眩しく輝く太陽のもとに咲き誇っていた。私の住んでいる地域では、野辺に咲く小さな花が浅い春の訪れを告げる時期。ここが南国であることを実感した。街路樹の鮮やかな黄色の花をはじめ、見たこともない植物が生き生きと花を咲かせ枝葉を伸ばしている。

 そんな沖縄の自然を染色の中に表現したのが、琉球紅型(りゅうきゅうびんがた)である。「びん」は紅だけでなく朱・紫・藍・黄・緑を基調とする色を指し、「型」は文様を意味するそうだ。植物や動物など自然を図案化した下絵を小刀で細かく掘り型紙を作る「突きぼり」の技法と、糊を絞り出して生地に文様を描く「筒描き」の手法があり、染色には砕いた鉱物や、ウコンやヤマモモ、琉球藍などの植物から採取した顔料を用いている。

 染色の技術は14-15世紀頃、海外貿易によって中国の印花布やジャワ・インドの更紗から伝えられた。紅型(びんがた)で染められた布は琉球王朝時代に王家は黄色、貴族は水色と身分に応じた礼服として、また一般庶民は長寿の祝い着として用いられたそうだ。その後の苦難の歴史の中でも大切に受け継がれて現在に至る。この紅型は、庶民の日用品として使われる工芸品の中に「用の美」を見出した昭和の民芸運動に大きな影響を与えている。

 写真は空港の出発ロビーを飾る紅型の大きなタペストリー。中央のハイビスカスを囲むように広がるのは沖縄の太陽に映し出される鮮やかな自然、下部にはタツノオトシゴや魚など海のモチーフも描かれている。そしてハイビスカスの花芯の部分には長寿が多いといわれる「うちなー」(沖縄)のお年寄りの顔。夫婦であろうか。ほのぼのとした幸せそうな表情である。自然と人が一体化した、おおらかな雰囲気。旅の中で出会った南の島らしい花々や木々、市場に並んでいた食用とは思えない熱帯魚のような魚、観光地で生き生きと働いていた人々の姿がよみがえって、沖縄を発つのが名残惜しい気持ちでいっぱいになった。(さ)

 参考 「沖縄いまガイドブック」 岩波書店・沖縄観光WEBサイト・

 いつもありがとう・ニフェーデービル!内地もハイビスカスの真紅が似合う夏になりました。猛暑の折、皆様、くれぐれもご自愛くださいね。お帰りの際にはクリックをお忘れなく!人気blogランキングへ

 どこの国の人も花が大好き。オランダ語アラビア語ギリシャ語英語スペイン語日本語ポルトガル語トルコ語・・様々な国の花をお楽しみくださいね。

 

 


すいか

2008-07-26 23:27:55 | トルコ語

 karpuz(カルプズ )

 イランで見たすいか屋さんに衝撃を受けた私は、トルコに出てから、すいか屋さんが気になること。気になること…何に衝撃を受けたかは、ペルシャ語のすいかの記事に書かれるかもしれないので、今は内緒にしておく。
 トルコでは、写真のような行商や、道ばたにすいかと秤を置いているおじさんも見た。
 八百屋さんというか、果物屋さんにあるのも見たが、すいか屋さんがあるような気がする。
 すいかだけをうず高く積み上げたお店。瓜屋さん?と言うのかどうかわからないが、すいかとメロンだけを売るお店も良く見た。
 宿の朝食にも良く出てきたし、すいかを持って帰る人も良く見たので、トルコ果物として、印象深い一つである。
  もっとも、トルコのすいかの生産高は、世界第2位(2004年、2005年)。それだけ美味しいすいかが育ち、なお且つ、需要があるということだろう。
 トルコのすいかと言えば、「地球散歩」仲間のyokocan21さんの住む、
ディヤルバクルのすいか を思い出す。何しろディヤルバクル県の紋章にもなっていて、すいかコンテストもあり、とにかくどこ向いてもすいかだらけだと言う。すいか好きとしては、一度は訪ねねばなるまい。
 日本人になじみはないが、ここでもたね屋さんでは、すいかの種を売っている。ひまわりなどと同じく、歯で器用に皮を割って、中の核を食べている。[a]
 

 アラビア語英語ギリシャ語スペイン語日本語のすいかも美味しいですよ!
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2008-07-22 22:23:29 | ペルシャ語

آب (アーブ)


イランに住み始めて1年。私にとって初めてのテヘランでの夏は、初っ端から過酷であった。7月半ばにはすでに気温40℃を越え、カラカラに干上がった街路樹を見ていると、なんだかこちらまで干し魚にでもなった気分。比較的雨が多い春先に今年は殆ど雨が降らなかったため、イラン全土、この夏は水不足で悩んでいる。このままだと断水という事態まで予想されている。


高い山脈に囲まれていると同時に、国土の大半が水の乏しい沙漠地帯に位置するイラン。しかし、古代から人々は様々な努力とアイディアにより、沙漠の水不足を解消してきた。有名なのが、歴史の授業でも登場した地下水路カナート。ペルシャ語では「ガナート」だが、これはイランが誇る古代の発明のひとつ。遠くに位置する山脈から流れ出す伏水を、地下水路を使って街まで運ぶ。沙漠のど真ん中に位置するガナートは残念ながら未見だが、干からびた土漠の地下数百メートルを、何十キロに渡って流れる水脈は、想像するだけで圧巻。オアシス都市の中では、モスクの中庭などで地下水路の一部を見ることができる。


また、地理的にちょうどイランの真ん中に位置する沙漠都市ヤズドは、バード・ギールのある光景で有名。「バード・ギール」とは、直訳すると、「風採り」。これは、日干しレンガで作られた四角の塔の形状をしていて、てっぺんの部分に風を採り込む格子がある(写真)。バード・ギールの地下には、「アーブ・アンバール(貯水庫)」があり、ガナートを通って遥か遠くより辿り着いた水はアーブ・アンバールに保存され、バード・ギールが採り入れた風により自然に冷却される仕組み。バード・ギールは沙漠地帯では、一般の家屋にも完備されていることが多く、かつてはクーラー代わりになっていた。伝統家屋が多く残るヤズドなど沙漠都市の路地を巡るとき、ふと上を見上げると無数のバード・ギールが目に入る。沙漠に宵闇が迫る頃、夕陽に赤く染まる日干しレンガの街並みと、濃い藍色に沈み行く空に聳える無数のバード・ギールの風景は、なんとも言えない郷愁の念を私の中に呼び起こす。(m)


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トルコ語

2008-07-18 23:14:18 | インフォメーション

 誰も住んだことはないけれど、
 なんだか、うろうろしています。
 どこかの国へいくときに、ちょっと立ち寄るトルコです。

 行ってみたら、気がついた。
 食べ物、文化、言葉など、
 お隣さんだとしみじみ実感。
 さらさの住んだギリシャと、mitraの住むイランにはさまれ、
 碧の大好きなアラブのど真ん中。
 トルコはどうも、私たちの散歩コースにあるようです。

 トルコを新たに追加します。
 つれづれ帳から独立し、トルコからの手紙もお楽しみください。

 

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2008-07-14 23:01:04 | トルコ語

 çiçek(チチェック)

 トルコ語で花はチチェック。そして、トルコの花と言えば、国花でもあるチューリップである。チューリップが生まれた国で、ぜひとも見たかったのだが、私は外でお目にかかることなく帰国してしまった。
 とはいえ、モスクの美しいタイルにその姿はしばしば見受けられた。
 トルコと言えば、ブルーモスクでおなじみの青いタイルを誰しも思い浮かべるであろう。青いチューリップ柄もあるが、チューリップと言えば赤。赤い色を抽出できるようになったのは、16世紀になってから。
 モスクのタイルが青いのは、涼やかに見えるようにとか、水を表しているとか言われたのは過去のこと。タイルは青色から始まったと言うのが本当のところ。
 青い花柄はとても素敵だが、その中に赤い花が入ると、全体が締まって見える。そして、トルコと言えば真っ赤な国旗を思い浮かべる人も多いだろう。血に浮かんだ月と星。赤い花にも、トルコの国旗と同じ、トルコ人の情熱の血を感じたのは私だけだろうか。
 情熱的と言えば、トルコの男性は情熱的で有名である。どこの国にも、情熱的な殿方はいるが、私が感心したのは、花を贈りなれていること。
 トルコはイスラームの国。イスラームと言えば、薔薇である。トルコはブルガリアに並ぶ、ダマシュク・ローズの産地としても知られている。
 トルコ中に咲き乱れる薔薇は、大輪のもが多く、また背も高い。
 とにかくどこでも咲いているので、かわいい女の子が通りかかると、さっと一輪手折って、「一緒にお茶でもいかがですか」と、さりげなく差し出す薔薇。
 来て見て判った。日本の女性がトルコの男性にイチコロな訳が…
 写真の男の子は、かなりシャイな子だったが、それでも花を差し出すときの姿はきまっていた。
 若い子だけでなく、お爺様に至るまで世代や職業を問わず、花を愛で、贈ることがスマートに出来るところに、トルコ人はイスラームの人なんだと思った。
 何しろ、トルコのイスラーム教徒には、本当にイスラーム教徒なの?と、疑いたくなるような人たちがいる。お祈りは願い事だけ。洋服はピチピチ、露出大好き。昼間のビールもやめられない。そんな中で発見した、花を贈るトルコ人。
 隣は詩と薔薇の国イラン。さらっと作詩して、愛を語ることが出来る、これもイスラームの文化。この隣り合った二つの国は、宗教的ではなく、イスラームの文化を色濃く残していると感じた。[a]

 

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各地の花が咲き乱れております。チューリップと言えば、オランダ語、同じイスラームの薔薇アラビア語、そして、ギリシャ語英語スペイン語日本語ポルトガル語もお楽しみください!


コーヒー

2008-07-10 13:29:43 | トルコ語

kahve(カフヴェ)

前回の記事で、イランのコーヒーを取り上げた。イランとトルコは歴史上、常に影響を与え合って来たが、嗜好品もそのひとつであった。

しかし、現在コーヒーが愛飲されている国々を見渡すと、コーヒーが辿った道のりにおけるトルコの役割の圧倒的な大きさに想いを巡らせずにいられない。それは、かつての強大なオスマン帝国の栄華と東西文化交流に果たした役割の大きさを振り返る旅ともなる。

肌理の細かいコーヒー粉を水から煮出したドロドロのトルココーヒーは、今や日本でもある程度知られるようになった。同じスタイルのコーヒーは、トルコのお隣の国ギリシャでも一般的であるし、バルカン半島全土にわたって、あるいは北アフリカの国々でも同じ形式のコーヒーに出逢う機会が殆ど。いわゆる「トルココーヒー」文化が残る国々を見渡してみると、目の前に、かつてのオスマン帝国の領土がくっきりと浮かび上がって来る。

しかし、コーヒーの歴史を辿っていくと、そのオリジンに近いのはトルコではなくアラブ。コーヒーが最初に発見されたのはエチオピアだと言われるが、コーヒーが文献において言及されるのは、9世紀にペルシャ人医者が記したのが最初。つまり嗜好品ではなく薬用だった。
その後15世紀のこと、地理的にエチオピアに近いアラビア半島のイエメンで、
神秘主義者の夜間の勤行における覚醒飲料として愛飲されるようになり、広くアラビア半島やエジプトにも広がっていく。

現在のトルコ共和国があるアナトリアの地にコーヒーが伝わったのは、16世紀、オスマン帝国の時代である。その時代、オスマン帝国の領土であったイエメンからイスタンブールに豆がもたらされたのが、トルコでコーヒーが飲まれるようになったきっかけ。
その後オスマン朝を介し、ヨーロッパ諸国でコーヒー・カフェ文化は一気に広がりを見せていくのである。

写真は、バルカン半島ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都、サラエヴォの街角の露天で売られていたコーヒー鍋。トルコで目にするものより幾分大きいものの、材質や形はトルコと似ている。そして、私がかつて訪れたバルカン半島の国々、北アフリカのいくつかの国々では、いずれも小さなカップ、あるいはグラスに注がれた「トルココーヒー」で旅の疲れを癒したものだ。

強国オスマン帝国がこれらの地域に残した豊穣な文化の跡は、音楽、モスクや尖塔の形、バルコニーが張り出した伝統的木造家屋など多くの点に見られるが、コーヒーを始め人々が日常口にするものにこそ、より強くその痕跡が残されていると言えるのではないだろうか。(m)

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電話

2008-07-06 16:23:43 | ギリシャ語

 Τηλεφωνο (ティレフォノ)

 滞在して間もなく友人が出来て電話番号を交換。初めて電話をかけたときの第一声は「ネー」だった。発音は短く、語尾がぐっと上がる面白い響き。電話を受ける応答の言葉(もしもし)を会話帳で見ると「Παρακαλω(パラカロー)」となっている。友人の使った「ネー・Ναι」は「Yes」を表す言葉なので「はい」と言って電話をとる感覚だろう。その後、いろいろな友人に電話をかけたがほとんどの人が同じ応答だった。

 この「ネー」という言葉は会話の中で「そうそう!」という雰囲気を表現する時にもよく使う。平坦なイントネーションで「ネーネーネー!」と連発する(多い時は5回くらい)のがユニーク。日本語で「ねぇ、ねぇ」と呼びかけたり、「~だよねー」と語尾につけて頻繁に使う言葉だけに耳に残る。同じような例として、公園で小さな子供が「ババァ」と叫んでいると程なく父親がやってきた・・・「パパ」が「ババァ」であることを知った時は大受け。(父親は「ババス」で、その呼びかけの形)まさに、暮らしながら言葉を学んでいく楽しさである。

 さて、ギリシャで電話(携帯も含めて)をかける時の注意事項は時間。シエスタの時間は親しい仲でも避けなくてはならない。昼食の後に昼寝をする習慣は私の住んでいたアテネ郊外エリアでは、しっかりと残っていた。3時過ぎにマンションのエレベーターに乗った時、ネグリジェ姿の住人に遭遇した時は度肝を抜かれたが、確かにこの時間帯は近隣の商店も閉まって深夜並の静けさ。友人に話すとそれはごく普通のことだと笑う。

 シエスタは一日を元気に過ごすための重要なリラックスタイムで、眠くなくてもパジャマに着替えてベットでコーヒーを飲みながら新聞を読んだりするそうだ。再び起き出すのは6時過ぎ、この頃に電話をしたら「今、起きたよ」である。夏ならば、コーヒーで一服した後は家族揃ってのボルタ(散歩)、9時頃にようやく夕食となるので勿論、電話もまだまだOKだ。忙しく時間に追われる日本人には夢のような暮らしである。(さ)

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パン

2008-07-03 13:57:24 | トルコ語

 ekmek(エキメッキ)

 
トルコで最も印象に残ったのが、パンのショーケース。
 キオスクから、スーパー、製粉所の前、サンドイッチ屋さんの前にも置かれていた。
 電子レンジぐらいの小さなものから、身の丈くらいの片扉の物が一般的であろうか。ガラス張りで、中はたいてい三段。その中のパンの大きなこと!
 子どもの頃、本を読んでいて、荷物を背負った後、パンをロープで縛って担いだというくだりに、どうしても想像が出来なかった。フランスパンを、大根を干すように何本も下げたのかしら?などと想像したものだ。
 トルコに来て見て納得。直径40センチはあろうかというパンが、ごろごろしているのである。これなら、パンを十字に縛って持っていくことが出来る。
 この大きなパンが、200円もしないことをうらやましく思う。
 そして、生活必需品が異常に高い日本の将来を憂える。きちんとした食生活こそ、良い社会を作る一番肝心なことであるはずなのに。
 そしてこのパンは、いくらでも食べられる。その点でも大きさに納得。大きくないと足りなくなってしまうのだろう。事実、トルコ人に聞いたら、「私たちはパンを一度に沢山食べるわ。小さなパンだったら、毎日けんかになって大変!」と言っていた。
 トルコでは、パンは買い置きしないで、食べる前に買ってくるのが一般的だという。それではなおさら美味しくて、争奪戦になるに違いない。
 「パンは大きくなくちゃ」という、トルコ人の言葉はうなずける。
 パンと言えば、パン屋さん。
 このショーケースはまさにパン屋さんのウィンドウの縮図。
 パン屋さんの壁面は大抵、ガラス張り。そこに並んだ大きなパンの数々。丸いパン、フットボール型のパン、四角いパン。そして、その地方の形と穀物で作ったパンなどが、並んでいる。
 パン屋さんの中に入ると、チーズや、オリーブペーストを練りこんだパンなどもある。
 ああ、思い出したら口の中が唾で一杯になってしまった。[a]

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