地球散歩

地球は広いようで狭い。言葉は違うようで似ている。人生は長いようで短い。一度しかない人生面白おかしく歩いてしまおう。

太陽

2009-03-29 00:00:00 | ギリシャ語

Ηλιο(イリオ)

 青の天空に映える大理石の白い神殿。また輝く白い街並みの島とそれを包む海。みずみずしい野菜や甘く熟れた果物・・・全ては太陽によって生みだされるギリシャの魅力である。

 真夏は40度近くまで気温が上がる日が多いにもかかわらず、湿気がないせいか不快感はない。日陰や鎧戸を閉めた石造りの家の中はヒンヤリ。必然的にクーラーの必要性がなくなり、都市熱の弊害もなく夕方に気温が下がるという自然のリズムがしっかりと残っている。

 夏が大嫌いで、帽子に日傘、日焼け止めベッタリ・・という私が、ギリシャの太陽に魅せられた。北ヨーロッパの人たちがバカンスの時期にギリシャの島にこぞってやってくる理由がわかる。太陽を思いきり浴びたくなる不思議な力を持っているようだ。シエスタがあって酷暑の時間は無理して動く必要がないため、暑さが負担にならないという部分も大きいような気がする。

 だからか夏の浜辺では日本人のように日焼けを気にする人はあまり見かけない。北ヨーロッパの人だけでなく、ギリシャの人たちも夏は海。太陽の下で伸び伸びと過ごす。最も暑い時間はシエスタ。旅人はホテルやレントハウスの部屋で昼寝をしたり、海辺のタベルナやカフェで休んでいれば良い。朝から泳ぎ、シエスタ、夕方また一泳ぎ、そして夕飯前に散歩というのがギリシャバカンスの基本パターンだ。

 面白いのは女性の水着は大半がビキニであること、日本の浜辺では見かけないようなお年寄りも元気に海へ繰り出していることだ。おばあさんも勿論、ビキニ。温泉のようにのんびりと海につかりながら、おしゃべりをしている姿も見られる。はしゃいでいるのは子供だけではない。大人が水をかけあったり、浜辺でラケットボールのような遊具で遊んだり・・・海のそばでは皆が楽しそうで幸せそう。

 晴天をギリシャ語で「χαρα  θεου」と言う。χαραは喜び、  θεουは神。青空に輝く太陽が「神の喜び」を私達に届けてくれているような気がする。だからだろうか。ギリシャの太陽の下では、いつでもポジティブになれる。(さ)

 いつもありがとう。Ευχαριστω! シエスタの寝息の数だけクリックをお願いね!人気blogランキングへ

 


ギリシャへの新しい散歩道

2009-03-25 00:00:00 | インフォメーション

『地球散歩』は今から4年前、私がアテネから帰国した年にスタートした。ギリシャと日本のギャップに戸惑い、忙しい暮らしに溜息ばかり・・・そんな時にかけてくれた碧の言葉は「一緒に散歩をしよう」。気晴らしに出かけるという意味ではなかった。ブログを通しての散歩。

記事が絵葉書の形になっているのが『地球散歩』だ。旅先のカフェ、ホテルの部屋・・いろいろな場所で綴り、親しい人に送る手紙。日本に戻っても書ける旅の記憶。

早速、絵葉書を書くと心はギリシャへ。小さな散歩は、私にとって大きな慰めとなった。間もなくエジプトやスペインを旅する碧から、イランに住むmitraから返信が届いてくる。世界は広くて知らないことばかり。行ってみたい国や食べてみたいものが一杯。私もポルトガルや沖縄など短い旅の思い出を投函するようにもなった。

更なる喜びは、私達の絵葉書を読んで一緒に散歩をしてくれる仲間達との出会い。日本の、世界のいろいろな地域に住む方々からのメッセージによって、言葉や文化がどこかでつながっていることを感じたり、あたたかい言葉に励まされたり・・。

楽しいそぞろ歩きも早4年。ギリシャへの想いは尽きることなく、もっともっと表現していきたい・・ということで、新しい散歩道を歩き出したところである。こちらで始まる旅も是非、ご一緒に。(さ)

新サイト『ギリシャの光あふれる暮らしと旅』 http://luludia.exblog.jp/

 現在、ギリシャの春や復活祭の記事を連載中。『地球散歩』共々、今後ともよろしくお願いしますね。さらさ

いつもありがとう、Ευχαριστω!絵葉書の数だけクリック頼みます!人気blogランキングへ

 

 


新年

2009-03-21 00:00:00 | ペルシャ語

نوروز (ノウルーズ)

西暦の春分の日。この日は、古代から続くイランの伝統で新年の始まりを意味する。春分は、太陽が昼夜の均衡を取り戻す「完全なる」瞬間でもある。今年のイランの新年の始まりは20日の15時13分。日付のみならず時間まで決まっているのは、太陽が春分点を通過する時刻を数分数秒にいたるまで正確に計っていることに拠る。

ちょうど1年前、イランのお正月「ノウルーズ」の起源や、それにまつわる神話について書いた。今年は、その習慣について少し触れておきたい。

新年を目前に控えたイランの街角は、新年に向けた買出しの人々で大変な賑わいを見せる。日本の新年と同じように、新調の服や食器で新年を迎えたいと願う人々がバーザールに溢れ、道端には、新年の飾りつけに使うヒヤシンスや麦の新芽、イースターエッグならぬ、「ノウルーズエッグ」(?)、それから「ハフト スィーン」と呼ばれる装飾品が並ぶ。
ハフト スィーンとは、ペルシャ語のアルファベット15番目の文字スィーン(س [s]の音)が頭文字に付く7つのものを指す。上の写真にも見られるが、以下にハフト・スィーンの詳細を並べてみよう。
①セルケ(سركه)=
②スィーブ(سيب)=りんご
③スィール(سير)=にんにく
④サブゼ(سبزه)=麦の新芽
⑤セッケ(سكه)=硬貨
⑥センジェド(سنجد)=ななかまど
サマヌー(سمنو)=焦がした甘い麦菓子
ハフト・スィーンの内わけは、時にいくつか入れ替わることもある。他にコーランや鏡、蝋燭、卵、それから赤い金魚が共に飾り付けられる。
金魚は始原神話とも関連があり、原初、混沌とした水から生命が誕生した様子を表し、卵に関してもほぼ同じ意味合いが見られるようだ。
イラン映画「運動靴と赤い金魚」では、ノウルーズの習慣が描かれていたし、クルド人監督バフマン・ゴバディがイラク戦争とフセイン政権の崩壊を描いた映画「亀も空を飛ぶ」では、幸せの象徴とも言える赤い金魚が、物語中効果的に用いられていた(クルド人のお正月もまた春分の日である)。

また新年の13日目に、人々はこぞって郊外へピクニックに出かける。(スィーズダ・べダルسيزده بدر。これは、この日家の中にいることが不吉だとされているからだ。
この時に、サブゼ(新芽)を持参し、川などに流し捨てる週間がある。サブゼが、新しい年の悪運を全て肩代わりして引き受けてくれるとされているからだ。実はこれに似た儀礼が仏教でも見られる。詳しいことを知らないが、ちょうどイラン暦の新年13日目に当たる4月初旬、新芽ならぬ人形に穢れを移し、それを川に流す習慣が仏教でも存在するのだそうだ。
また1年最後の火曜日の夜、チャハールシャンベ・スーリー(赤い水曜日:火曜日なのになぜ「水曜日」というかは解らないچهارشنبهسوری)と言って、一年の無病息災を願って火を起こし、その上を飛び越える行事がある。この伝統行事は、昨今では若者の花火・爆竹遊びに摩り替わってしまったが、こちらもまた
仏教行事の火渡りや東大寺のお水取りへと繋がっているものだ。

古来から伝わる新年の習慣は、イスラーム以前のイラン独自の宗教・農耕儀礼と深く結びつき、そしてそれは、シルクロードを通り遥か遠く我が国までも伝わっている。(m)

*ラマダーン明けがイスラームの新年アラビア語ギリシャの新年はバシリス(聖人からの贈り物)と共に

!سال نو مبارک(新年おめでとう!サーレ・ノウ・モバーラク!)
ところで、イランにも干支が存在します。今年はやっぱり丑年!写真左端のモーモー牛のぬいぐるみにご注目!『地球散歩』の記事には「モーモー!」文句ではなく、暖かい応援クリックをお願いね!
人気blogランキングへ






 


太陽

2009-03-17 00:00:00 | アラビア語(エジプト)

 الشمس(アッシャムス) 

 アラブ世界で太陽は、必要ではあるが厄介な存在である。
 先だって、ガラス会社の社長さんに「エジプトではガラスは高価な物ですか?」と聞かれた。「生活必需品でしょうから、それほど高くないでしょう」と答えたものの、ちょっと引っかかっていた。
 エジプトの家を思い出すと、窓が極端に少なく、小さい。
 玄関扉にガラスが使われている事もほとんどないように思う。
 大きな窓ガラスも、ホテルやレストランなどで見るが、一般家庭ではほとんど見る事がない。
 レストランも、ピラミッドが見えるなど、景観重視のところでなければ窓はない。
 「ない」と言い切ってしまってもいいぐらいなのは、日をよける意識が高いからだろう。
 日干し煉瓦や、石造りの家は、日陰に入るとひんやりする。そのため、暑い日は日陰に入るとほっとする。
 ギラギラと光り、照り返しに目を細める。日本のようにじめじめとした感じがないので、日当たりに出た瞬間、焼け焦げるような日差しにぎょっとする。
 強い日差しの下で育つ作物は、果物でも、野菜でも甘く熟れたものが多く美味しい。
 熟れたものがと言うよりも、すぐ熟れてしまうといったほうが正しいだろう。
 イチゴなどは、売っている間に腐ってしまうので、食べごろを手に入れるのが大変である。
 どれだけ強い日差しかを表現するのに、「車のボンネットで目玉焼きができる」と、言う事もある。写真は、砂漠に広がる湖と太陽。この太陽の光りと日本の太陽の光りの違いがお分かりただけるかと思う。
 この太陽光の元では、炒め物も可能ではないかと思ってしまう。
 脱水症状も起こしやすく、あっという間に水分を奪われてしまう。
 アラブの人たちの服装は、理にかなっている。
 黒い衣装は、アラブでなくともギリシャなどでも見られるが、紫外線をよけるには一番の色だそうだ。
 そして、目だけ出しているのは、どこからも水分を奪われないようにする意味もあるだろう。
 アラブ世界に行くと、私たちも自然とスカーフをし、帽子をかぶるようになる。
 半そでや丈の短い服もだんだんと着なくなった。
 「なんだか、エジプト人みたいだねえ」と、言われるようになった。
 神がお望みだからというより、自然に習ってと言うところだ。
 ところで、このたび「太陽」を辞書で引きなおしたら、複数形があった。太陽の複数?あの暑さでは、太陽が5個も6個もあるように感じるかもしれないと妙に納得。しかし、どんなときに使うかは又調べてみたいと思う。[a]

 木漏れ日クリックよろしくね! 人気blogランキングへ


太陽

2009-03-13 00:00:00 | スペイン語

 sol (ソル)
 
 
スペインと言えば、太陽の国である。
 ホテルの星マークも、スペインでは太陽。高級ホテルは5星ならぬ、5太陽。
 アンダルシアは「スペインのフライパン」の異名を持つ、灼熱の太陽の国である。
 イスラーム支配が長かった事を打ち消すように、太陽の国である事を誇っている。
 スペインを表現するときに良く使われるのが「ソル・イ・ソンブラ(Sol y Sombra)」光りと影と訳される事が多いかと思うが、正しくは「太陽と陰」。
 スペインではこの「太陽と影」が重要である。
 闘牛場では、ソル(日当たり席)、ソル・イ・ソンブラ(そのうち日陰になる席)、ソンブラ(日陰席)と席が三段階に設定されており、日影席が一番高い。
 都心ではだんだんと廃れてきたシエスタ。アンダルシアの方へいくと、いまだに健在である。
 日中の半端ない暑さを体験すると、シエスタの必要性を実感する。
 たいてい午後2時を過ぎると昼食を取り、その後よろい戸を閉め、電気を消して、パジャマに着替え本当に寝てしまうのである。日本人の昼寝の感覚とは違い、明らかに「第2の就寝」である。
 ホテルで「シエスタの後で会いましょう」と約束したものの、ちょっとした用事を思い出してドアをノックしたところ、明け方に起こしたかのような姿に驚いた事がある。
 まさかパジャマに着替えて、本格的に寝ているとは思わなかったのだ。あまりの驚きに、すぐ寝かせてあげるどころか、たくさん質問して気の毒な事をした。ただ、相手もびっくりして「シエスタの時間なのに、着替えもせずに何しているの!」と言っていたので、所変われば常識が違うの、いい見本だ。 
 郷に入り手は郷に従え。シエスタの時間は、ゆっくりと休んで、日が翳った夕方から夜にかけて、1日の第2部を楽しむのがスペインでの利口な過ごし方と言える。
 ただ、真夏でなければ、
シエスタの時間の散策もお勧めである。
 小さな村などでは、人っ子一人姿が見えず、しーんと静まりかえっている。古きよき建物などをじっくりと眺めるにはもってこいである。
  写真はグエル公園のモザイク。こんな穏やかな太陽が照らす国であれば、情熱の国スペインにはならなかったかもしれないと思う。太陽と影のくっきりとした世界が、激しい情熱の国をよりいっそう際立たせている。
[a]

 人気blogランキングへ 木漏れ日クリックよろしくね!


2009-03-09 00:06:46 | 沖縄方言

ミジ(水)

 初めての沖縄旅行は3月。島にふりそそぐ日射しが本土よりも強いせいか、冷えた水や冷たいさんぴん茶が乾いた喉を潤してくれた。

 旅という非日常が「ただの水」を特別なものにしてしまう。「沖縄の水」といって思い浮かぶのは、何と言っても琉球ガラスの涼しげなグラスに入って出てきた冷水だ。シチュエーションは、こんな感じである。南部へのドライブはさとうきびの畑が続くのどかな風景。昼食の為に寄った店はブーゲンビリアとシーサーが出迎えてくれる沖縄らしい民家風。おばちゃんは「メンソーレ」と庭テーブルに案内してくれた。ギリシャに暮らした頃を思い出させる久しぶりの外での食事。珍しい庭木に近づいてみると実っているのはパパイヤ!おばちゃん曰く、沖縄では庭のある家にはパパイヤの木があることは普通で、果物ではなく野菜として料理によく使われるそう。運ばれてきたのは赤米や沖縄そば、ゴーヤーなどローカルフードの素朴な定食。

 昨日、慌ただしく本土を発ったのが遠い昔のよう。完全に沖縄時間と空間に魅せられて、琉球ガラスに入った水までが格別に美味しく記憶に残ったことは言うまでもない。米軍の廃ビンを利用したことから始まったガラスは様々な不純物で気泡ができる上、厚みを持ってしまうのが難点だった。しかし、海をイメージするような空気の泡や存在感とと共に手に優しくおさまるポッテリとした厚みが沖縄らしい特徴となり、今では紅型(びんがた・染め物)、壺屋焼き(陶芸)などと共に代表的な工芸品の一つとなっているそうだ。次回は是非、琉球ガラスで泡盛を飲んでみたいと思っている。(さ)

参考:『沖縄なんでも事典』 池澤夏樹編 新潮文庫

 いつもありがとう。ニフェーデービル!『地球散歩』は世界のいろいろな「水」をご案内します。壺の気化熱で冷たい水・アラビア語、水の旅・イタリア語 、『ヘレンケラー』と水・英語、水を入れると濁る酒・ギリシャ語、湧き水の水飲み場・スペイン語、江戸時代の水売り屋・日本語古代ペルシャ文明の地下水路・ペルシャ語

琉球ガラスに生まれる気泡の数だけクリックをよろしくね。人気blogランキングへ

 


2009-03-05 00:00:00 | スペイン語

 Luna(ルナ)

 
ラテン語由来、イタリアなども月はルナ。ルナが月を意味する単語である事は、よく知られているだろう。
 日本人でも、ルナちゃんという女の子の名前をよく耳にする。
  月の女神から取っていると思われるが、「気分屋さん」や「気の違った人」という意味もあることを知っておくといいだろう。月の満ち欠けと生き物の行動にはしばしば影響が見られるのは古今東西変わらないようである。
 スペインと言えば、太陽の国であるが、イスラーム時代のモニュメントには、やはり月が良く似合う。
 スペインには巡礼でおなじみのルートのほかに、銀の道、ワインの道などたくさんの旅のルートがある。アンダルシアには「カリフの街道(Ruta del Califato)」という、イスラーム時代の古城をめぐるルートもある。このルートには、やはり月が似合う。
 城はたいてい山の上にある。赤茶けた広大な大地に、ぽっかりと現れる斜面の急な丘に建つ城を、このルート上にいくつも見ることができる。
 ふもとから見上げる城と月の組み合わせ。辺りには何の障害物もない。小さなところでは、ライトアップもされていない。城からの眺めも最高にすばらしいが、月明かりにこうこうと照らされる城ほど美しいものはない。
 メディア・ルナ(Media luna)というと半月のことであるが、イスラムの国を意味する(主にトルコを意味する)。さらに、肉屋で良く使われている半月刀も指す。半月は、イスラームの象徴であるが、スペインに残る、イスラームのイメージがここにある気がする。
  写真はバルセロナ、ガウディ、カサ・バトリョの左上にかすかに見える月。[a]

ギリシャペルシャトルコエジプトの月も見上げてくださいね。
そして、ランキングも月明かりに照らされますように…
人気blogランキングへ


2009-03-01 00:00:00 | 日本語

 雪月花は、日本人の心を深く揺り動かす。月は和歌や物語の重要な小道具となり、いにしえ人は自分の想いや四季折々の情感を託してきた。その美意識や伝統文学が心のどこかに刻まれているような気がする。

 子供の頃に『かぐや姫』の物語を聞いて月を見上げた私達は、中学生になると初めての古文で『竹取物語』を暗唱する。「今は昔 竹取の翁 ありけり」という冒頭を懐かしく思い出される方も多いだろう。同じく古典入門にふさわしい百人一首。覚えやすい歌の一つが「あまの原 ふりさけみれば 春日なる みかさの山にいでし月かも」。遣唐使の阿倍仲麻呂が中国で眺める月に重ねた望郷の想いは最後まで帰国が叶わなかったという悲しい生涯と共によく知られている。

 「十三夜」「十六夜」「立待月」「寝待月」など月の満ち欠けの姿を一つ一つ異なる名称で呼んでいるのも日本ならではだろう。散りゆく桜や欠けたる月など移ろいゆくものに「もののあはれ」を見た「徒然草」の吉田兼好の感性も日本独特の美意識である。

 暦の上で春とはいえ寒さが続く三月の夜空には、まだ冬の名残がある。最後に冬の月を詠んだ歌をご紹介したい。

むばたまの 夜のみ降れる 白雪は 照る月影の 積もるなりけり 『後撰集』

冬の夜の 池の氷のさやけきは 月の光のみがくなりけり 『拾遺集』 

 月の光が降り積もっているような夜の雪、そしてキラキラ輝く凍った池の面を月の光が磨いている表現している。何て繊細な感性なのだろう。

 忙しくて月を見上げる時間もゆとりもなかなか持てない現代人。私も最近は月をしみじみ眺めることはない。しかし、こうやって古文のリズムを感じながら綴っていると自分の中に息づく日本人の感覚が呼びさまされるようだ。今夜は冴え返る空に浮かぶ月を眺めてみようと思う。(さ)

写真は京都・大徳寺の管長 萬仭(ばんじん)揮毫の掛け軸 (護国寺の茶会にて。)

参考;「和歌の総角」http://waka/or/tv ・『百人一首』新藤協三 監修

いつもありがとう。世界に目を向けると様々な月のとらえ方があります。女神とギリシャの月、モスクと満月・ペルシャの満月、国旗の意味・トルコの月。それぞれお楽しみくださいね。月と共に夜空を彩る星の数だけクリックよろしくお願いします。人気blogランキングへ