地球散歩

地球は広いようで狭い。言葉は違うようで似ている。人生は長いようで短い。一度しかない人生面白おかしく歩いてしまおう。

2010-08-28 00:00:00 | ペルシャ語

خانه (ハーネ)

ペルシャ語で家は「ハーネ」。そう、あの有名な「チャイハネ(喫茶店)」の「ハネ」と同じ。図書館は「ケターブ(本)ハーネ」、郵便局は「ポストハーネ」など、ペルシャ語ではあらゆる施設・場所の名称に、この「ハーネ」が用いられる。

さて、現代のテヘランでは、郊外暮らしならいざ知らず、市中心部に住む人の大部分が世界の標準的大都市同様、マンション・アパート暮らしである。テヘランを初めて訪れた人は、立ち並ぶ高層マンションの群れに、少なからず驚く。人口7000万を越える都市だと頭では理解していても、実際に目にするテヘランの街並みは、想像以上に大きく近代的だ。
テヘラン北部の高級住宅街では、瀟洒な外観のマンションがプラタナスの街路樹の間から見え隠れする風景に出会えるが、テヘランの多くの建物は、味も素っ気も無い(旧共産圏にあるような)灰色のコンクリートの塊。どこを見ても同じような建物が延々と立ち並ぶ。

そのマンションの一室を覗いてみよう。
多くの住居では玄関を入るとまず、だだっ広いリビングに出くわす。イラン人は家財道具にこだわる人が多いため、庶民でも豪華な家具やペルシャ絨毯を置いている家が少なくない。いつお客が来ても差し支えないように整然と整えられたリビングは、まさに接客向きのスペース。
しかし、リビング以外の部屋はどうかと言うと、リビングの広さとは裏腹に、そして家族の人数が多い少ないに関わらず、ベッドルームの数が極端に少ないし、狭い。場合によっては、家族5人が6畳ほどのひとつの部屋でベッドも無く雑魚寝、なんてこともある。テヘランでは核家族の家庭が多いが、子どもたちがそれぞれの部屋を持っているなどと言うことは非常に稀である。(尤も最近は1人っ子も多いため、自分の部屋を持っている子も居るには居るが)

それでは、利便性を完全に無視したイランの住宅において、この広いリビングで何が行われるのかというと、友人・親戚を集め夜を徹して行われるホーム・パーティーだ。
「ホーム・パーティー」とは言っても、食事をしてお茶をしながらお喋り、という大人しいものから、いつの間にか、音楽を大音量で鳴らし、イラン音楽特有の6/8のリズムに乗って踊り(暴れ?)まくるダンス・パーティーへと様変わりしている。
BGMの音楽は、大方イランのポップスだが、時に洋楽のロックが流されることもあり、そんなときはなぜか外国人の私が条件反射的にひやひやしてしまう。さすがに現在のイランで、洋楽を流しているくらいで警察が乗り込んで来て逮捕、なんてことは在り得ないだろうが、一昔前にはそれが現実としてあった話。現在のホームパーティーでは、よほど「アングラ」な行為に及ばない限り、その心配はなさそうだ。(現在劇場公開中のイラン映画『ペルシャ猫を誰も知らない』では、そういったアングラ・パーティーのシーンも見られる)

このように、イランのリビングの広さはひとえに公共の場での娯楽の少なさに由来するのだろう。私たちが日常的に触れることができるクラブやバー、レストランでの「享楽」が、イランでは各家庭の大きなリビングの中で、日常的に展開されているのだ。(m)

イランのホームパーティーに興味のある方は、応援お願いします!

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トマト

2010-08-24 00:00:00 | ペルシャ語

گوجه فرنگی (ゴウジェ・ファランギー)

夏真っ盛り。真っ赤に熟れたトマトが目にも鮮やか。減退した食欲を活性化させ、豊富なベータカロチンを補給し夏バテを予防するのにこれほど良い食材もない。サラダに入れるだけでなく、火を通してもバリエーション豊かな食卓を提供できる便利食材の代表格だ。

地中海諸国で一家族につき、年間どれくらいのトマトを消費しているのか知らないが、地中海地方の食材と言ったら、まずは誰もがトマトを思い浮かべるだろう。歴史を通じてそういった国々と交流のあるイランでも、やはりトマトは一般的な食材だ。
中でも、地中海諸国とのつながりを一番に感じさせるトマト料理は「ドルメ」である。地球散歩を訪れてくださる皆さんは世界の食に通じた方が多いので、名前を聞いただけでピンと来る方も多数いらっしゃると思うが、「ドルメ」は、トルコ料理の「ドルマ」であり、ギリシャ料理の「ドルマデス」のこと。名前はここまで似通っていないが、似たような料理は、碧がよく訪れるエジプトを始め、地中海周辺諸国やバルカン諸国には大概存在する。
トマトやピーマン、ナスなどの中身をくり抜き、その空洞に詰め物をする(あるいは、葡萄の葉で包む。ギリシャでは、包むものを「ドルマデス」、詰める方を「ゲミスタ」と呼ぶ)この料理は、おそらくオスマン朝の宮廷料理に端を発する。
ドルメは、宮廷料理だけに、作るのに時間を要する手の込んだ料理。私も何度も作ってはいるが、時間に余裕がある時でないと、なかなか創作意欲が湧かない。

また、トマトと言ったら、トマトペーストやホールトマトなど、缶詰になっているものも重宝するが、イランでホールトマトの缶詰を見つけるのは非常に難しい。ごくたまに、外国人が利用するようなスーパーでイタリアからの輸入品が売られているが、見つけたときには、大量に購入するようにしていた。次にいつ出逢えるかわからないからだ。一方、トマトペーストはとても一般的な食材で、多くの料理(煮込み系)に使用される。イランらしい食材で柘榴のペーストというのがあるが、それと同じくらいにイランではポピュラーな存在だった。

ところで、ペルシャ語でトマトのことを「ゴウジェ・ファランギー」というが、「ファランギー」とは、「ヨーロピアン(特に西側)」のこと。単に「ゴウジェ」と呼ぶこともあるが、辞書の中では「ゴウジェ」はプラムのこと。「西洋プラム=トマト」というのが、なんとも不思議な感覚だ。余談ではあるが、イチゴのことを「トゥート・ファランギー(西洋桑)」という。これらの食材は、「西洋のもの」と捉えられているということだろう。

現在、イランは40度を越す日々。ラマザーン中、一日の日課が終わり、栄養豊富なトマトが食卓を賑わせているのかと想像し、あの味の濃いトマト料理が無性に恋しくなる。(m)

屋台に並ぶトマトを数えながら、ワン・クリック・・・

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ジュース

2010-08-20 00:00:00 | 日本語
 「ジュース」という単語が日本に入ってくる前は、ジュースを一体なんて呼んでいたんだろう?と、和製英語ではなく本当の日本語を考えて、うなってしまった。
 そもそも、ジュースとは果汁100%のもののみをさすが、甘い飲み物であれば「ジュース」と考えるのが一般的であろう。
 そこで、ちょいとご年配の方になんて言っていたかを聞いてみたところ「絞り汁じゃない?」とのこと。そうなると、本来のジュースと同じになるのであるが、甘い飲み物の総称は?
ラムネなどの果汁が入っていないものはなんと総称で呼んでいたのか?との問いには、「ラムネはラムネでしょう。ソーダ水はソーダ水だし、サイダーはサイダーだし…」と「それをまとめてなんという!?」と聞いても答えはない。
 果汁でない甘くて冷たい飲み物は、昔はそんなになかったのかもしれない。だんだん思い出してきたが、私が子どものころは、麦茶に砂糖を入れる人がまだいた。さすがに最近では見聞きしないが、砂糖が貴重だったころは、え!?と思うものに砂糖を入れていることがあったし、郷土食にその名残は見られる。

 舞台が大正や昭和初期の本を読んでいて気になったのが「ひやしあめ」。中学生ころは、「ひやしあめ」に取り付かれ、それがどんな飲み物かを想像していたが、関東では誰も知っている人がいなかった。
 京都へ旅した折、やはり本に影響されて、文の介茶屋へ足を運んだ。そこでお品書きに「ひやしあめ」を発見。他のものは目もくれず迷わず注文。
 さて、出てきたものといえば、まったく想像だにしなかった、茶色いにごった液体。記憶が確かであれば、新ショウガがマドラーのように添えてあった。ショウガ??
 飲んでみるとえもいわれぬ、ドロッとしたような…表現しがたい液体。
 女将さんに聞いてみると、その正体は水あめと生姜。
 人間、想像と違うものが出てくると、得てして受け入れられないものである。
 想像が膨らみすぎていただけに、失望というか予想外のことに呆然。
 その後よくよく気をつけていると、自動販売機で缶のひやしあめも売っているのを見て、関西ではまだ大正が生きている!と、妙に感心したのを覚えている。
 ありがたいことに、大人になった現在は、ひやしあめの味がわかるようになった。
 もっとも、その正体を知っていれば、ジンジャークッキーなどの親戚と考えたら、何の抵抗も無く飲んだのではないかと思う。

 京都からひやしあめのお取り寄せが出来る
(由来も出ています)が、ここで摩訶不思議なことがひとつ。
 我が家にあるひやしあめ、なぜか麒麟麦酒の壜に入っている。(写真)
 お店のホームページでは違う壜に入っている。
 近所の家で、まとめて取り寄せているのをおっそわけに預かっているのだか、まさか詰め替えているわけでもあるまいに…
 こうして、私の中ではひやしあめに対する、想像が永遠に膨らんでいる[a]


夏ばて防止に冷やしあめはいかが?
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2010-08-16 23:14:45 | トルコ語

Deniz(デニズ)

トルコの海と言ったら、それはもう、歴史も逸話もあり過ぎて、何をどう書いたらいいのか、それこそ、気持ちばかりが先走ってしまう感じである。
実際、トルコで見た海は、重く、語りかけてくる感じで、「わ~リゾート!」という気持ちにならなかった。
もっとも、トルコは大きな国なので、海もいろいろ。リゾート的なところへ私が行かなかったという事もある。
地中海、エーゲ海、黒海と、その名を聞く限り、太陽にきらめく美しい海を、いくらでも彷彿とさせる事が出来る。
そして、トルコの玄関口イスタンブールの前には、マルマラ海という、小さな内海もある。
トルコのヨーロッパとアジアを隔てる、ボスポラス海峡。そこを通る、金角湾。名前の通り、角様に補足ちょっと湾曲した湾であるが、トルコ語からの訳ではなく、英語からの訳らしい。
トルコ人はただ「入江(Haliç)」と呼んでいる。こういう、芸がない言い方は、やっぱりもともとイスラームの国だけあると思ってしまう。アラブで「ここの沙漠は、何というのですか?」と聞いたら「サハラ」と返事が返ってきたので「サハラ砂漠」と、日本では言っているが、何のことはないサハラが「沙漠」の意味である。特に名前がないという事が珍しくないのである。

実はトルコでゆっくりと海を見られなかった。
イスタンブールで海を見ながら鯖サンドにありつく…は、日本人がトルコでやってみたいことの一つかと思う。私は相変わらず、マンホールだの、墓地見学だのといった、人があまり見ないようなものに気を取られ、ガラタ橋のたもとへはたどりつかなかった。
次に行ったら、鯖サンドを片手に、金角湾を堪能する予定である。[a]



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2010-08-12 00:00:00 | ペルシャ語

دریا (ダルヤ-)

世界地図を取り出しイランの地理を眺めると、ペルシャ猫型の国土の北にカスピ海、南にペルシャ湾を抱える地形を俯瞰することになる。四方を外国との国境に接していることと同時に、諸外国との交易が海を通して行われて来たこの国の歴史も自ずと頷けてくる。ペルシャ湾を通してエチオピアやザンジバルなどアフリカとの交流が行われて来たこと、またアラビア海を通してインド洋の国々へ繋がった軌跡が、ペルシャ湾岸地域の人たちの顔立ちを見ているとよく分かる。
その「ペルシャ湾」を巡って、近年、湾岸のアラブ諸国との間で軋轢が生まれている。ペルシャ湾を取り囲むのは、イラン以外は全てアラブ諸国。「アラビア湾」にすべきだというのが、湾岸諸国の主張。欧米諸国でも日本同様「ペルシャ湾」と呼び慣らし、地図帳にもそう記されているが、果たして近い将来「アラビア湾」と改名される日が来るのだろうか。

しかし、『地球散歩』を読んでくださる皆さんの関心を呼ぶのはむしろ、イランの海水浴場がどのようになってるか、すなわち、服装規定のある戒律の厳しいイスラームの国で、果たして女性が海水浴できるのかどうか、と言ったことではないだろうか。
正直に言うと、残念ながら、私は海水浴シーズンにペルシャ湾やカスピ海沿岸を訪れる機会なく帰国することになってしまった。しかし、友人たちから様々な話を聞いているので、少しだけ紹介してみようと思う。

イラン人の間で大人気のリゾート地、ペルシャ湾に浮かぶキーシュ島(オムニバス映画『キシュ島の物語』の舞台ともなった)を覗いてみると…
この島は、スキューバダイビングやセーリングなど、イラン国内随一のマリンスポーツのメッカとして知られていて、南国ムードも手伝ってか、イランの他の場所よりも若干規制が緩く感じられる。とは言ってもイランであることには変わりなく、ビーチに出ているのは殆ど男性の姿。浜遊びをしている女性の姿は稀である(その場合も、もちろんコートとスカーフは着用したまま)。男女が入り乱れるビーチで水着姿になるのはご法度だが、ビニールシートで仕切られた女性専用ビーチなるものも存在する。そこでは水着になるのも可能。他にも、事前に許可を取って入ることの出来る、家族専用のプライベートビーチを備えた場所も、リゾート地にはあるらしい。
しかし、浜辺だけ仕切っても沖に行けば女性の水着姿が見えるんじゃ・・・と思ったところ、どうやら、女性が沖に出る場合はやはりスカーフとコート着用の義務があるらしく、結局のところ女性に自由に海水浴をする権利はないのだなという結論に。

キーシュ島同様人気リゾート地であるカスピ海沿岸のビーチも、やはり同じような状況であるらしい。
どなたか、夏場にイランで海水浴を経験された女性の方に、ぜひ様子を教えていただければという想いから、この記事を書いてみた次第である。(m)

写真は、お正月(春分の日)明けのカスピ海沿岸。
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2010-08-08 00:00:00 | 沖縄方言
てぃーだかんかん(太陽燦々)
 
沖縄の夏。それはもう「てぃーだかんかん」で暑いのなんのって・・
(てぃーだかんかんとは「お日さまさんさん」みたいな意味の方言)
午前中、車に生卵入れておくと昼にはゆで卵になっている!
・・・なんてウワサも(笑)

本当に日差しが強いから夏の観光はそれはもう大変です。
暑くてまわってられない。一瞬でも車を停めて観光して戻ってくるだけでも
車内は恐ろしい暑さ。だからといって海で泳ごうもんなら、
しっかり日焼け対策しておかないと病院送りです(笑)
実際日中泳いでるのは(しかも水着で)観光客だけでしょう。
でも!やっぱりそこは夏の沖縄、海が美しすぎます♪
サンサンと降りそそぐ太陽の光にキラキラと輝いて
空の碧さと海の青さが一体化する・・・♪

それを体験するには・・・

橋です!

沖縄本島周辺には色んな小さい島々があります。
元々は船でしか行けなかったこれらの小さい島にも
橋が架かっているところが多くなり、車で渡れるようになりました。
伊計島方面に渡る海中道路のような大きな橋もありますが、
ほとんどが小さな橋です。そのなかでもいちばんのお勧めは
北部にある古宇利島へ続く「古宇利大橋」です。

2005年に出来たこの橋は、
手前の屋我地島から古宇利島まで約2キロに渡ってまっすぐに
伸びています。まっすぐといっても少しアールしているため
走っていくとまるで空に伸びているように見えるのです。
もちろん周りは青い海ですから、空の碧さと海の青さが
一体化して景色はブルー一色、かなりテンションがあがります!
その日が夏の晴天だと、もう言うことなしですよ♪

ちなみにこの古宇利島、アダムとイブのような神話が残っていて
琉球の人の祖先になったと言い伝えられています。
ロマンチックに恋島(ふいじま)とも呼ばれていたり。
ウニ丼が有名なんですよ~(笑)(s)
画像協力:にへーでーびる!vani!
 
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2010-08-04 00:00:00 | アラビア語(エジプト)
بيت(バイト)

エジプトの家と一口に言っても、いろいろある。
近代的なビルから、古代から変わらない日干し煉瓦の家に至るまで、歴史とともに、家の種類もさまざまである。
日干し煉瓦の家は、一昔前まで、遺跡か廃墟か区別がつかないと思って見ていると住人が出てきて仰天。さらに良く見れば、パラボラアンテナが見え、「本当に済んでいるんだ!」と、目を丸くしたものだ。
こうした家は、ファラオの時代から住んでいることが多く、壁を真下に向かって掘っていくと、延々と続いているそうだ。
王家の谷に近いクルナ村は、泥棒村で有名だが、家の中からお墓に直結していて、持ち出したものを売っていたという。家から持ち出すので、泥棒ではないと言う主張だ。
ファラオのころから同じところに住み続けているかのような彼らも、今では立派なイスラーム教徒。玄関前の外壁には、飛行機や船の絵とメッカの絵が描かれていることも多い。その家の人がメッカ巡礼に、何で行ったかが誇らしく描いてあるのだ。
こうした素朴な家に一歩足を踏み入れて、腰を抜かしそうになることがある。
オール電化、システムキッチン、民族衣装に、ターバンを巻いて、マックで仕事していることも。外に出て、空をあおいでまたびっくり。
屋根は陸屋根である。屋上ではない。柱部分が4,50cm飛び出して、さらに柱の中のさびた鉄骨がみえている。お金がたまったり、家族が増えたら建て増しするためである。
こういう家はカイロの田舎から、上エジプト(アスワン方面)に向かって多い。

下エジプト(アレキサンドリア方面)はどうかと言うと、ヨーロッパの影響を受けた、オリエンタルの空気と、
一番多いのは石造りの家だが、高価な木材を使った家が見られる。
都心で戸建に住むのは、エジプトでも大変なことだ。ほとんどの人たちは、フラットに住んでいる。ここで思い出して欲しいのが、アラブのでっぷりと太ったおばちゃん。
エジプトでは、5階や6階のフラットでエレベーターがないのはあたりまえ。
ひよこみたいにヨチヨチ歩く、買い物は男の仕事と言う世界で、おばちゃんたちが愛用する買い物システムがある。
写真の2階の窓のところに、かごが置いていある。
エジプトの庶民の家で、2階以上に住む人たちのベランダには、地面に届くひも付きのかご
が必ずがおいてあるといっても過言ではない。
欲しいものがあると、ベランダに出て、通りすがりの人に「ちょっと、○○買ってきて!」と叫ぶのである。OKが出れば、お金を入れてかごを下ろすと、下にいる人が買ってきて、かごに入れてくれるシステム。
狙われるのは、いつも路地で遊んでいる子ども達である。近所のおばさんの影が見えるや、蜘蛛の子を散らすように逃げるか、逃げるところを見つかって、おばさんがあきらめたころを見計らって戻ってくると、バケツの水を浴びせられ、結局買いにやらされると言うことも、下町ではあるそうだ。
このかごをサバトというが、私が「サバトのある生活をしたい」と言ったら、在日のエジプト人が「母はきっと、今でも言うことを聞かない近所の悪がきに水をかけていると思います」と、懐かしんでいた。[a]


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