地球散歩

地球は広いようで狭い。言葉は違うようで似ている。人生は長いようで短い。一度しかない人生面白おかしく歩いてしまおう。

2009-01-28 00:00:00 | ペルシャ語

ماهی (マーヒー)

イスラーム圏の食事と言えば羊を中心とした肉料理が有名で、魚料理と言ったら何を食べているか皆目見当がつかないという方が多いのではないだろうか。
イランで魚料理と言えば、塩・胡椒で味付けしたフライとキャバーブ(ケバブ)、これに尽きる。そう、予想に違わずレパートリーは少ない。

イランは南にペルシャ湾(アラビア海)、北にカスピ海を有する国だが、食べられる魚の種類はさほど多くない。もちろん、その理由のひとつはイスラームの戒律である。鱗がない魚はハラーム(禁止)の食材である。
では、鱗がある魚とは何か。例えば、カスピ海からあがるマーヒー・セフィードと言われる白身魚(トルコ語でアク・バルックと呼ばれることも.。どちらも「白い魚」の意)や、ゲゼララと呼ばれる川魚の鱒が、イランの一般家庭の食卓に上る魚だ。マーヒー・セフィードのフライは、イランのお正月ノウルーズ(春分の日)のご馳走として、サブズィ・ポロゥ(ハーブと一緒に炊き込んだご飯)と共に食卓に上る一品だ。

しかし、イランならではの魚を挙げるとすると、何と言ってもチョウザメである。イランの特産品キャビアは、チョウザメの卵。チョウザメはサメ特有のアンモニア臭がして、匂いに敏感な人にとっては食べづらい。
一方、イランのキャビアはロシア産に比べて粒が大きく味も良い。一般に日本に輸入されているキャビアはロシア産だが、ロシア産のものこそがキャビアだと思っている人がイランのキャビアを食べたなら、その味の良さに驚かれることと思う。
以前、イランの友人が言っていたことなのだが、チョウザメが獲れるカスピ海沿岸の地域では、朝食のパンにキャビアを乗せて食べるという話だった。いささか大袈裟に言っているだけかもしれないが、本当の話なら何という贅沢だろう!
ちなみに、チョウザメのことをイランでは「ウズン・ブルン」と呼んでいるが、これはトルコ語で「長い鼻」の意。名前の由来はチョウザメの長い顔の形。しかし、イランで食べられる魚の多くが、なぜトルコ語で呼ばれているのかは謎である。

さて、北の特産品がキャビアなら、南の名物はエビのキャバーブだろうか。
エビはテヘランの魚屋でも簡単に手に入る。しかし、イランの広大な国土ゆえか、テヘランに着く頃には、エビは不快な臭いを放っていて、臭覚が敏感な私は大好物のはずのエビをあまり食す気になれない。
以前、ペルシャ湾岸の街ブーシェフルを訪れた際にエビのキャバーブを試してみたところ、確かにテヘランで食べるものに比べ、臭いが気にならなかった。

ところでイランで魚屋というと、通常鶏肉も一緒に売っているお店が多い。スーパーマーケットでは肉も魚も同じ売り場で売られているので気が付かなかったのだが、バザールの魚屋では、確かに鶏肉が売られている。その事実を知らなかった頃、写真のように、魚屋の店頭に吊り下げられた鶏肉を見て、何のためのディスプレイだろうと疑問に思っていた。
なぜ、鶏肉のみが魚屋で売られるか、これまた謎なのだが、単純にどちらも白身の肉だから・・・?案外これが理由なのかもしれない。(m)

 *エジプトの魚はナイルの賜物・ フィッシュ&チップスのイギリス ・エーゲ海の幸ギリシャ・ マグロはスペインから ・日本の魚はやっぱり寿司!・ ポルトガルと言えば干し鱈料理

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スウィーツ

2009-01-24 00:58:12 | ポルトガル語

 bolo (ボーロ)

 ポルトガルスイーツの代表は、最近、日本でもお馴染みの「エッグタルト」。卵と砂糖、粉で作られるシンプルで優しい味わいが好まれるのだろう。また同じ材料から作られ、南蛮菓子にルーツを持つカステラも今や老若男女を問わず愛されるスウィーツとなっている。

 カステラの起源は、室町時代末期、南蛮船により伝えられたポルトガルのパン・デ・ローやスペインのビスコチョという菓子にあると言われている。これらは栄養価が高い上に日持ちが良く、大航海時代の船乗りの保存食であった。カスティーリャ地方から持ってきたと説明をしたところ、カステラという名前の菓子であると思ったという説が有力らしい。当時、織田信長に仕えた茶人が異国人をもてなす際に高坏にのせたカステラを茶とともに出している。実際のところ、抹茶が飲めなくて白湯を出すことになったそうだが、「堺から取り寄せたカステラ」での饗応は興味深い。

 ところで、偶然にも私が今、はまっているのが炊飯器で作るカステラ。材料は4個の卵に砂糖、強力粉(いずれも140g)、牛乳・蜂蜜(各大さじ2)、ミリン(またはブランデー小さじ1)だけ。卵と砂糖をハンドミキサーで5分泡立て、牛乳、蜂蜜、ミリンを入れて更に2分、泡で字がかけるくらいまでしっかり泡立てる。ふるった粉を入れて更に中速で1分かきまぜた後、炊飯器に流し込んで普通に炊く。我が家の場合は炊飯2回で完全に焼き上がり、蓋を開けると甘い香りと共に黄色いカステラがふっくらと顔を出す。しっとりと仕上げる為に、あら熱がとれたらビニール袋などでしっかりと密封するのがポイントだ。

 驚くなかれ、これはまさにカステラ。家庭にある材料を使い、ハンドミキサー任せで簡単に出来上がるのが嬉しい。早速、自家製カステラでのティータイム。室町時代の茶人ように抹茶といただくもよし、ポルトガルのカフェのようにグラスで飲むカフェ・レイテとの組み合わせもよし。いずれも南蛮菓子であったルーツに思いを馳せるにふさわしい。(さ)

参考・・・文明堂、福砂屋HP    『洛中の露 金森宗和覚え書』 東郷 隆   写真はカフェの入り口を飾るポルトガルのアズレージョ(装飾タイル)

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2009-01-20 00:00:00 | 日本語

 雪は日本文学に欠かせない。私の好きな雪のシーンは、『源氏物語』の末摘花の章である。

 謎の女性、末摘花。源氏の君が、彼女の顔を初めて見てしまった日が雪の日。白銀の世界にひっそりとはかなげに咲く、一輪の花を想像していたに違いない源氏のショックは女である私にもよくわかる。
 何しろ、琴の名手ということで、忍んでいってみれば、頭中将に出くわし、これはいかん、早く姫の気を引かなければ!と、屋敷に入り込む。嫌がるのも、初心な証拠と、強引に手をかける。待ちに待った、謎の姫の顔を、源氏はどこまでも美化していたに違いない。
 没落貴族の末摘花の家では、暖を取るのもままならず、姫は
狸皮衣を着ていた。源氏はこれを「妙な手触り」と思っている。何を着ているかも判らないぐらい暗かったのは、顔がわからないようにするための、女房の仕業か。
 困窮する生活を打開するには、なんとしても源氏の後ろ盾がほしい。しかし、顔を見られては後の祭り。
 ある意味、わなにはまった源氏。真っ暗闇から一転、朝焼けにきらめく雪の中で見たものは、白雪姫ならぬ、真っ赤な鼻をした不細工な姫。凍りついた源氏の顔が見えるようである。

 雪と言う字の、ヨの部分は鳥の羽を意味している。昔の人は、鳥が羽ばたく時に舞い落ちる産毛を空から舞落ちる雪とダブらせたのだ。そして、「ゆき」のほかに「セツ」とも読むが、これは喜びを意味している。
 今よりも寒く、厳しい雪の季節をおくったと思われるが、雪を目で、楽しむ姿は、昔の人のほうが上である。私たちも子どものころへかえって、雪の喜びや楽しみを感じたいものだ。[a]

 

大きな雪だるま、ごろごろイランエジプトギリシャ、もうひところがりギリシャ!
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2009-01-16 01:03:50 | ペルシャ語

برف (バルフ)

去年の冬のこと。
テヘランで初めて過ごす冬、私を迎えたのは新年早々の大雪であった。
高地のテヘランでは、秋深まる頃には市の北側に聳えるダマーヴァンド山の頂きが雪帽子を深くかぶり、12月を迎えると平野部でも少しずつ雪が降り始める。

イラン北部の冬は雪深い。イランのイメージとしては少し意外であろうか。いや、それどころか、イランでははっきりした四季の変遷が見られることさえ、案外知られていないように思う。イランの季節の変遷はいつもヴィヴィッドで、冬の訪れも、真っ白な粉雪と共に鮮やかな印象を私の記憶の中に残した。

さて、12月に降り出した雪は、1月に入るとその勢いを増した。テヘランの街中は雪化粧を施し、街路樹は日に日に真っ白に染まっていった。
道端や家々のベランダには、雪だるま(日本のように二つの球体を重ね合わせた雪だるまではなく、円錐形の土台に球体の頭部を乗せたもの)が登場し、道行く女性の纏う黒いチャドルが一面の銀世界に映える。軒下に下がる氷柱にも、日本の「南国」育ちの私は、温暖化の昨今、20数年ぶりにお目にかかった。

掃けども掃けども降り積もる雪・・・。
日が経つにつれ、テヘラン北部の積雪量は50cm近くにもなっていた。
テヘランの空港は、国内線・国際線問わず閉鎖され、「陸の孤島」と化した2日間をテヘランは迎える。
イラン北部でガスの供給が追いつかず、死者をも多数出したこの記録的な大雪は、国境を挟んでイラクのバグダッドでも、100年ぶりの雪を降らせたという。
イランの南西部、温暖なペルシャ湾に比較的近い位置にある、有名なペルセポリス遺跡でさえ、この時季には微かな雪を観測した。かつてアレクサンダー大王が、ペルセポリスの宮殿(春分を祝うための離宮)に火を放った時、この巨大な遺物の上には、しんしんと降り積もる雪のように
、静かに灰が降り続けたことだろう。

テヘランを含めたイラン北部は、もともと雪が多い地域である。標高5,671mのダマーヴァンド山は豊かな水源を湛える一方、冬の厳しい寒さをも、麓の街にもたらす。
ダマーヴァンド山では、冬にはスキー場がオープンし、イランのみならず近隣の湾岸諸国からもスキー客が訪れる。
そういえば、イランの小学校の国語の教科書には、「イランでは冬にスキーをします」という一文があるという。そして、「夏は屋根の上で寝ます」という一文も。こちらは酷暑を乗り切るための、イラン人の習慣。夜になっても熱気がこもる室内よりも、露天で眠る方が涼しいというわけ。まったく、イランの四季には曖昧さの欠片もない。(m)

*イミテーションの雪(エジプト白沙漠)、遺跡と雪の風景(ギリシャ)、アテネからの「雪レター」(ギリシャ鍛冶神の神殿に積もる雪)

 今年も美しい雪景色が見られるかな?
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2009-01-12 00:00:00 | アラビア語(エジプト)

 قمر(カマル)

 エジプト方言では「アマル」と言う。アラビア語には「カ」の音が2つあるのだが、この○の上に点が2つ付いた「カ」の音は、エジプトにおいて「ア」になってしまう。
 江戸っ子が「ひ」と「し」がごっちゃになって、「教室」を「きょうひつ」、「火鉢」を「しばち」と言ってしまうのと同じか。
 アラビア文字、28文字の半分が太陽文字(الحروف الشمسية)で、もう半分は月文字(الحروف القمريةと呼ばれている。
 この違いは暗記してしまうより他ほかないのだが、太陽文字で始まる単語に定冠詞が付いた場合は、定冠詞「アル」の「ル」が続く単語に吸収されてしまう。太陽(شمسシャムス)に定冠詞をつけると「الشَّمْسُアッシャムス」になる。
 月は当然のことながら、月文字である。月文字は定冠詞をつけた場合でも発音は同じで「القمر アルカマル」となる。
 
イスラーム世界では、相変わらず太陰暦を使用しているので、宗教行事などは太陰暦で行う。
 ただし、世界との足並みをそろえるため、太陽暦も併用しているのが多い。
 カレンダーには太陽暦と太陰暦が併記されているものもある。
 比較的有名な、ラマダーン(断食月)は、新月の確認を宗教指導者が行って始まり、終る。
 新月が出る日に曇ったして、月が確認できないと、ラマダーンの開始が遅くなることもある。
 英語でも日本語でも、天体の月と暦の月は同じ月が語源であるが、アラビア語の暦の月はشهر(シャハル)と、まったく違うイントネーションである。
 月の満ち欠けが生活に生きているイスラーム世界である。[a]


ギリシャの月の女神ペルシャの満月血に浮かぶトルコの月の輝きもご覧ください。
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スウィーツ

2009-01-08 00:25:10 | トルコ語

tatlı(タトル)

トルコの旅の楽しみは数多いが、食事もそのひとつであることは疑いない。ご存知の方も多いだろうが、トルコ料理は時に世界3大料理のひとつに数えられる。古くは中央アジアの遊牧民が、後には西アジアの農耕民がアナトリアの地に自らの食文化をもたらした。その後、西洋と東洋が、キリスト教とイスラームが交流と争いを繰り返したこの地では、その複雑な歴史において、食の変遷と融合もダイナミックに繰り返されてきた。

現在のトルコ料理の直接の祖先とも言えるオスマン帝国の宮廷料理は、この国の食卓に、華やかさと複雑さ、洗練をもたらした。
かつてスルタンが舌鼓を打った、王宮の食卓を彩る贅を尽くした甘味の数々。それらは、現在の甘党をも必ずや納得させる多様なスウィーツへと繋がっている。普段の旅ではあまり甘いものに目が向かない私でも、トルコのスウィーツには少なからず魅了されるのだ。

日本でもすっかりお馴染みとなった、のび~るアイス「ドンドルマ」を始め、アラビア語ペルシャ語 ・ ギリシャ語の記事でも登場したバクラヴァ。バクラヴァ(バクラワ、バクラバ)は、『地球散歩』の3人組がいずれも馴染みのあるスウィーツのひとつ。オスマン帝国の拡張により西にもたらされた文物の話はこれまでも再三書いてきたが、スウィーツも然り。「文明の十字路」イスタンブルを経由し、後にバクラヴァはウィーンにまでもたらされている。ウィーン菓子を代表するシュトルーデルだ。バクラヴァは、蜂蜜やシロップに漬け込んだ薄いパイ生地を何重にも重ね、中にピスタチオや胡桃などのナッツを仕込んだ菓子であるが、シュトルーデルもまた、林檎やレーズンを薄い生地で巻き込んだパイ菓子である。また、トルコの西の端、トラキア地方のエディルネ(ブルガリア・ギリシャとの国境の街)の名物アーモンド・ペーストは、後にヨーロッパへ伝わり、マジパンとしてスペインで花開いた。

さて、バクラヴァに代表される甘いトルコ菓子は、無駄に甘いわけでは決して無い。
イランでもそうだが、ラマザーン中、日々の断食明けにまず食されるのは、そう、シロップ漬けの甘いお菓子である。効率よくエネルギーを補給するのにもってこいだ。トルコの事情はよく知らないものの、一月近くに渡って続いた断食明けを祝う「小祭」は、トルコでは「砂糖祭」と称され、バクラヴァを始めとしたスウィーツが振舞われることを聞き知っている。

トルコのスウィーツは盛りだくさんで、とてもここに全てを書ききれそうにない。
街歩きやバザール巡りの時は、美しく飾られたトルコ菓子の数々に目移りして、甘過ぎてたくさんは食べられないことが解っていながらも、つい欲張って注文してしまう。イスタンブル新市街、イスティクラル通りをそぞろ歩きしながら、ショーウィンドウの向こう側を覗き見、時にスウィーツの誘惑に応じる。
旅の空の下、味の記憶は鮮烈である。半年前、碧と待ち合わせたイスタンブル新市街、タクシム広場近くのパスタネ(スウィーツ屋)で一緒に舌鼓を打った、チョコレートソースがたっぷりかかったプロフィテロール(トルコ風シュークリーム:フランスから渡来したと言われている)の味もまた、一生忘れられないトルコの想い出の味となりそうだ。(m)

旅空の下でもスウィーツは活力の源。
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スウィーツ

2009-01-04 16:19:18 | ギリシャ語

 Γλυκα(グリカ)

 ギリシャスウィーツは、エジプトイランと同じような中東系。甘くて頭がクラクラしてくる・・・碧の言葉を借りれば「脳天に突き刺さるような甘さ」である。街を歩いていて、やたらと長いギリシャ語表記の看板「ζαχαροπλαστειο(ザハロプラスティーオ)」が見えたら、それは菓子店。カフェを併設しているところもある。

 代表的なもので胡桃のパイ(バクラバ・写真左下)、細い糸状の生地でいろいろな木の実を包み焼きにしたもの(カダイーフィー・右下)は、どちらも蜂蜜のシロップがたっぷりかかっていて、とにかく甘い。でも怖がらずにトライしてみると味がよく、時々買ってきては「うわぁー!」と目を回しながらも数日かけて楽しんだものだ。一度に食べなければ結構、いけるのである。

 カフェで普通のケーキを注文するとフォークではなくスプーンがついてくるのもギリシャ流。これはスポンジにシロップが染みこんでいるためである。どれもこれも重たくどっしりとした味。ギリシャの友人を招待した折、手土産に持ってきてくれたホールのケーキが入った箱の重さは半端でなかった。砂糖が控えめで繊細なスウィーツを食べ慣れている日本人にとってはギョッとするものばかりであるが、今、こうやって思い出すと妙に懐かしい。「スウィーツ」という優しい語感が似合わない鮮烈な甘みのギリシャ菓子なのだ。

 他、街のキオスクで簡単に買える小さな菓子類を見ると、胡麻のおこし、ピスタチオやアーモンドをキャンディーやヌガーで固めたもの、薔薇水を使った小さな羊羹のような菓子などがある。胡麻おこしやピスタチオ菓子は馴染みやすい味であり、5㎝×15㎝の薄型長方形のハンディーサイズ。小腹が減った時に歩きながら食べるのにピッタリ、またお土産にもオススメである。

 ところでギリシャ語でスウィーツはグリカ。これは「グリコ(甘い)」の名詞形である。初めて聞いた時、大阪・道頓堀のネオンに輝くキャラメルのキャラクターを思いだしてしまった。江崎グリコHPをチェックしてみると商品名だけでなく社名にもなっている「グリコ」は、栄養素「グリコーゲン」からとっているということがわかり、更にグリコーゲンの語源を調べるとやはりギリシャ語にたどりつく。ポッキーやプリッツに親近感がわいてきた。(さ)

 いつもありがとう。Ευχαριστω! 

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『散歩』仲間のみなさんへ 新年のご挨拶

2009-01-01 00:00:00 | コラム

明けましておめでとうございます。

 紅白を見て、除夜の鐘を突き、お墓参りに行く我が家恒例のお正月。
 今年もまた、変わることなく新年を迎えられたことを嬉しく思います。
 さて、我が家のお雑煮、1日目は東京風、「名をとりに行く」、菜っ葉と鳥、サトイモに、
 四角いやきもちを入れたものです。
 3日目は、祖父の出身である新潟風に、具沢山の醤油仕立て、鮭のお雑煮です。
  碧(あおい)

 昨年は、碧とmitraが初めて一緒に「散歩」をした年となりました。
 ふたり一緒の散歩から「往復書簡」という新たな試みが生まれ
 「トルコ語」という仲間も『地球散歩』に加わりました。
 今年の『地球散歩』も何か新しい試みが出来るかな?
 去年も共に歩んでくださった皆さんに心から感謝。

  聖なる河に昇る穏やかな朝日のように
  暗い夜を越え、黎明に沼から顔を出す蓮の花のように
 新年を迎える皆さんの下にも 安らかで幸福な時間が
 きっと訪れますように・・・
  さらさ mitra(ミトラ)

*写真:ガンガー(ガンジス河)の夜明け
     (94年 インド ヴァラナシ(ベナレス)にてmitra撮影)

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