『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』横断車道(44)**<2007.3. Vol.45>

2007年03月07日 | 横断車道

学校の「いじめ」問題で、「いじめ」た児童・生徒に登校禁止措置を講じるそうだ。「いじめ」られる側の安全対策上の、緊急避難措置であれば納得する。しかし、「煙草一本吸っただけで停学なのに、自殺も在り得る「いじめ」に処分が無いのはおかしい。」と聞いて驚愕した。学校は教育現場であり、大人社会の刑罰をそのまま導入してよいものではない。まだ、充分な分別を養っているとは言いがたい児童・生徒に、刑罰を持って「いじめ」を抑制しようという発想に、混乱ぶりを感じる▼「いじめ」問題は総て「いじめ」る側に問題があり、「いじめ」られる側に何ら落ち度が無いことは明白である。しかしながら「いじめ」を行ったのが児童・生徒であれば、「いじめ」た者にのみ責任を問うのは論外である。その児童・生徒の成長過程で、社会や学校・家庭が如何なる影響を与えていたのかのを議論すべきだ。まさに大人社会の歪の投影が、「いじめ」となって現れてきたからである。生まれながらにして「いじめ」体質を持って生れた子供など、いるはずがない。登校禁止で「いじめ」た児童・生徒が立ち直れるのであろうか▼今日、誰が「いじめ」られるかわからないし、「いじめ」てしまうかもしれない。学校内にかかわらず、「いじめ」の陰湿さは一般社会でも深刻化しているのが現状であろう。教育現場が荒廃しているからと、教育基本法を変えてしまった、為政者にいかがわしさを感じる。問題は教育基本法を、為政者が守ってこなかった事にある▼現象だけを見て、その対処療法を処方する。道路行政でも同じことが言える。増え続ける自動車に対応する為に、道路を整備する。常に道路の整備を上回る、自動車の増加があった。まだまだ道路整備は不足していると、為政者は言いつづけてきたし、これからも言い続けることであろう▼自動車の保有が多くなれば、自動車税やガソリン税が納められる。また、有料道路の通行料金も支払われる。そのお金は道路整備につぎ込まれる。そうすると、自動車対応型社会の再生産に繋がり、又自動車の保有と使用が増える。その悪魔のスパイラル(螺旋形)は、今も廻りつづけている▼車社会のメタボリック・シンドロームは、便利・カッコよさだけが注目され、その負の遺産は無視され続けた。化石燃料の浪費・道路公害と環境破壊・交通事故の犠牲・増え続ける40兆の負債・公共交通の衰退・過疎と過密の進展・まちづくりの破壊・運動不足による成人病など、客観的には負の側面の方が膨大に見える▼物事は常に、その本質を見なければならない。そして、その根底にある問題点に取り組まなければならない。うわべの現象に対処するだけでは、悪魔のスパイラルと共に地獄へ落ちなければならない (コラムX)

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『みちるべ』路面電車は復活するか**<2007.3. Vol.45>

2007年03月06日 | 澤山輝彦

路面電車は復活するか

世話人 澤山輝彦

 ♪チンチン電車が走ります/ゴーゴーまちの真ん中を/走って行きますチンゴーゴー/ご順におつめを願います/電車は走るチンゴーゴー♪

 歌詞まちごうてるかもしれませんが、こんな童謡歌ったん思いだしました。

 チンチン電車、私達は市電と言いました。チンチン電車とは子供向けの言葉だったのでしょう。普段の会議でチンチン電車と言うた覚えはありません。

 そんな市電が全盛期だった子供の頃、大阪の福島西通という所から堺の出島や大浜まで市電に乗って海水浴につれて行ってもろたことがありました。大阪市内をどんどん南へ下り、大和川を越えて堺へ入りますと、畑の中で木の羽の風車が回ってるのが見えたりして、私ら子供には一寸した旅行でしたで。今考えたら市電をつこうたのは交通費が一番安かったからやないかと思います。おおきなって高校時代はずっと市電通学でした。だんだん陰りは見えてきていたようでしたが、まだまだ市電は元気で頑張ってました。

 「路面電車」と言うた覚えも無いんです。市電でよかったんです。「いや路面電車と言うたで」という方もおいでかもしれませんが、ここはまあ枕にひいただけで深い意味はございませんのでご勘弁いただくことにいたしまして、そんな市電は自動車に追われてばたばたと廃止されていきました。このあたりのことと、これからのことについては、みちじるべ第11号に「路面電車の今昔・そして21世紀へ」と題した資料が紹介されていますのでご覧いただくことにして、この資料のとおり21世紀に入った今、各地で市電が復活、いや路面電車復活の声が出てきたんです。「いまさら路面電車でもないやろ」そんな声が出るかもしれませんし、事実復活をめざしている所では反対する住民がいるのです。でも今これを見直し復活させるという声は、これから先の地球環境をも考えてのものでありますから、この声はまったく正しくたいしたものなのでございます。

******************○******************

 昨年12月、購読している毎日新間に路面電車に関する記事が3件続いて出た。路面電車の復活、このことは、道路交通、環境問題そのものであり、阪神間道路問題ネットワークの立脚点をふまえており、興味深く読んだものである。以下に紹介する。

 最初は12月13日、「阪堺線:堺市内存続LRTと相互乗り入れ」という記事。利用客の減少で廃上の危機にあった堺市内の路面電車(阪堺電軌)が、2010年度開通予定の次世代型路面電車・LRTとの相互乗り入れによって存続されることが事実上決まった。堺市が臨海地区と阪和線堺市を結ぶLRT路線を計画したものに、阪堺線の路面電車を乗り入れさせることによって、堺市内の路線を存続させるというもの。後日この件についてあの記事は間違いではないにしても、その通りの発言であったかどうか疑問ありという情報があった。なんだかややこしいことがあるらしい。

 二回目は12月16日、「パリ市電、69年ぶり走る渋滞などの対策で復活きめる」パリ市南部で16日、市電(路面電車)が運行を開始した。窓の大きなおシャレなスタイルで、パリに市電が走ったのは69年ぶり。渋滞と大気汚染緩和の切り札として左派・社会党のドラノエ市長が導入を決めた。なかなか洒落たデザインの電車前面の写真がついていた。

 三回目は12月26日、阪神版の記事で見出しは「阪急甲陽線の地下化計画、路面電車の対案提出 西官市に住民グループ」というものだった。

 この件には、私たちネットワークもかかわったのだ。阪急甲陽線の地下化計画で夙川公園などの大きな桜や松が伐られてしまうことがわかり、まず伐採反対という運動が起こり、ネットワークに協力要請があつたのだった。私たちは現場にも行った。その後連絡は途絶え反対運動がどう展開したのか不明であった。そこにこの記事だ。「ふうん」という感じで読んで驚いたのは、この問題の発端は、甲陽線と道路が平面交差しており、踏切閉鎖時に渋滞が発生するし、それに伴う通行の危険、そんなことが地下化の理由であった。ところがそれが否定されているのだ。「行政は渋滞解消と度々言うが、そんなに混雑していない」と住民が反諭しているのである。一体どうなってんねん、と言いたいところだが、これではっきりした。問題の発端が否定された、ということは甲陽線には手をつける必要はないのだ。地下化計画とは阪神淡路大震災を絶好の機会ととらえ過去に引いた筋による都市計画を実施しようと行政が思いついただけのことなのだ。それに乗れば儲かる誰かがいた、そいつらが一気に勢いに乗ったということ、それだけのことなのだ。

 現状でおこる踏切待ちの時間、長くても数分のことだろう。一体どれだけのマイナスがあるというのだ。福知山線の事故の反省が生きてないなあ。ゆったり生きようではないか、わずか数分、皆がそう思わないとこんな事故は根絶されない、あの時そう言ったのではなかったか、「私は言うてえへん、あれはマスコミの発言や」と言うならば、これに関してはマスコミ発言を全面的に支持したい。ゆったり生きなければならないのだ。

 私は甲陽線は現状のままでいいとしたが、路面電車化を持ち出した住民グループの案は甲陽線だけではなく広く西宮市内にも路面電車を進展させようとしている。難しい条件がいっぱいあるが興味をひく話だ。

 「路面電車――未来型都市交通への提言――」(ちくま新書286)今尾恵介著 680+税、が安くて、手頃で、いい参考書だと思うので紹介した所で終点で~す。

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『みちしるべ』熊野より(23)**<2007.3. Vol.45>

2007年03月05日 | 熊野より

三橋雅子

<牛の草鞋(わらじ)>

 古道の木の根に足を引っ掛けそうになりながら、同年輩の女性が、「よく牛の草鞋作りを手伝わされたわ」と言う。馬喰(ばくろう・牛馬の売買をする人)の父親が牛を連れて、田辺への道を始終往復したものだという。「牛に草鞋履かせて、それも途中で破れるから替えを持って行くわけよ。人間の足元は少々ほころびてもかまへんけど、牛の草鞋が破れたらえらね。」なるほど、こういう道なら牛も、あの大きな図体で足を痛めるわけか。

 牽いて行くのは一頭だが、十足ほどの履き替えを持って行ったという。それを編むのは馬喰う自身。それぞれの牛の足に合わせて分厚く大きく編んだのを爪にしっかり挟み、紐を後ろにまわして結わくのだと言う。一頭づつのお誂えとは!靴なら銀座よしのやの誂えか、さしずめ外反母趾用の特注か。

 子供たちはめいめい履物は自分で編み、雨降りの登校には、濡らしてはすぐ破れるからと藁草履を懐に入れて素足でぱーっと走ったというのに。子供の仕事は、藁を編みやすくする藁打ちと餌用の藁切り。

 群馬県、長野県など養蚕の盛んなところでは牛の代わりに「おカイコ様」が人間より大切にされたのであろう。軍隊でも「馬は高い」と大事にされたが、「人間は一銭五厘でいくらでも補給できる」シロモノでしかなかった。関東では嫁を牛と言うところもあったとか、熊野の牛同様労働力としては貴重だったのか?

 今、国道が通る本宮?田辺は約六〇キロ、そこを縫うように、上り下りがきつい紆余曲折の道のりは、最近でこそ「熊野古道」と脚光を浴びて大勢が部分的に歩くようになったが、当時は未整備でさぞ難儀な道行だったに違いない。所用で田辺に行くには、夜明け前に家を出て日の落ちる前に着くのがやっとだったと聞いたが、人間は一日行程でも、牛を連れては、途中で一泊。牛も草鞋を解いて足を休めたのであろう。

 牛への手間暇は草鞋にとどまらない。角には綺麗な布を巻き、背中には筵などで立派な覆いを被せて装ったという。保温や日除けも兼ねたであろうが、何より見栄えがして綺麓なもんじゃった、そうだ。

 当時田を持つ限り、牛のない農家はなかったという。牛が人間以外の唯一の動力であった。今、車がないと、ここらでは暮らせんのと同じや、とかつての馬喰の息子は言う。馬喰は車のセールスマンや。新型が出ると、まだまだ走る車でも、買い換えたがるのがいるやろ、そんなんが、いいお得意さんなんよ。とことん動けなくなるまで使いきる農家も、いずれは買い替えにゃならんし仔が生まれるとそれを売る…客が途絶えることはないんや、と。しかしキャリアカーに載せて行くのと違って、売り物を歩かせ、餌を与えながら運ぶのは、神経を使ったことであろう。

 牛の市もあちこちで賑やかに開かれたらしい。本宮町の庁舎(今、行政局)がある所もかつての牛市の跡地で、市がすたれてからは子供たちの溜まり場だったという。平地で屋根もあり、手綱をくくりつけた柱や柵にもたれて相談ごとをしたり、何かと集合場所にしたものだ、と牛市の実態は見たことがない世代も懐かしがる。

 山の雑木が萌え出して代掻きが近づくと、馬喰の足元も活発になったに違いない。

 装ひし牛の旅路の春熊野

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『みちしるべ』コンクリートの畦道**<2007.3. Vol.45>

2007年03月04日 | 川西自然教室

コンクリートの畦道

川西自然教室 萩原 敏

 猪名川町で20年前から棚田のお守りをしている。金銭のやりとりはせず、「自由に使ってよろしい」というわけでお守りをさせてもらっている。平均すると100坪ほどの長細い田んぼが7枚、7段の可愛らしい段々畑である。田んぼと畦道の見分けがつかない田んぼもある。大野山(標高753m)の麓の急斜面に関墾された集落と棚田の農村景観は正に日本の原風景で今もその玄郷が残っている。しかし、この集落もご多聞にもれず高齢化が進み、放棄された田んぼが増えている。比較的平地の緩やかな棚田は圃場整備が終わり機械化が始まっているが、中腹の田んぼは昔の狭い田んぼのままで大型機械が使えないために次々と放地されている。僕にとっては、大型化され画一的な四角い田んぼより緩やかなカープを描いた棚田を残してほしいと願っているが、圃場整備されずに残された田んぼにはススキが広がり、孟宗竹がにょきにょきと勢力を広げている 。野鳥が運んできた実生の木も旺盛で2~3年もすると山になる。村の人は「山が降りてくる」と呼んでいる。最近は山仕事をする人がいなくなって山の中は真っ暗で、20年前あれほど採れたマッタケも最近はほとんどお目にかからなくなってしまった。私たちに美しい農村風景を楽しませてくれた茅?の家も3軒だけになってしまった。一車線だった道路はバスが走行できるように2車線に拡幅され、白いガードレールが長閑な風景を断ち切っている。

 3月になって暖冬だった冬も終わりかけたところで、春の訪れを告げるオオイヌノフグリが我らの畦に咲き始めた。貴重種になってきた日本タンポポもちらほら咲いている。毎年フキノトウだらけの畦道が今年はどうも寂しく、季節感が足りない。暖冬と関係あるのかなと、お隣のおばあさんに聞くと「鹿が食べた」らしい。近くの畑でウサギの2倍も3倍もある大量のうんこが転がっていた。昼間農家の裏山で鹿が目撃されており、犯人は鹿に間違いない。犯人などと決め付けてはいけない。容疑者らしい。それにしても昨年はアライグマが出没してトウモロコシやイモ類が食い荒らされ、電柵では防ぎようがないと思っていたら今度は鹿である。黒豆を鹿が食べている現場を見た農家がいて、いずれはやって来るとは予想していたがやっばりお出でなすった。今年はどうやら猪ではなく鹿の当たり年になりそうだ。以前この村でも狩猟免許をもった農家が鉄砲の音をさせて追っ払ったこともあったが、今や高齢化で銃声が響くこともなく村人たちは獣たちの飽食を空しく傍観している。

 先日、畑仕事の帰り道車窓から道路下の田んぼで異様な風景を見てしまった。そこは所謂棚田ではなくて平地にある何の変哲もない小さな田んぼだが、その畦道がコンクリートで固められていたのだ。僕はまだ近づいて見るのが怖くってその「コンクリート製畦道」に立っていない。が、あれは確かにコンクリートで鋪装された畦道だ。圃場整備が進み機械化農業の普及とともに農道の拡幅、コンクリート化は時代の流れとして想像はしていたが、まさか僕の「キャンバス」の中に「コンクリートの畦道」が出現するとはタダならぬ事態である。じゃがいもの種芋を準備し春の畑仕事を楽しみにしていた僕の気分は暗く重い。間もなく顔を出すであろう土筆や秋の彼岸花も、もう咲くことはない。

 「米づくりの基本は畦づくり」といわれるほど、水田の畦づくりは大切で難しい。田んぼに水を入れ代かきを終えてから、鍬を使って、セメントで壁を塗るようにドロ土で周囲を固めるのである。畦道から水が漏れないように隙聞や穴を埋めながら丁寧に塗り込まれる。これだけはまだ機械化できないている。最近は塩ビで作られたアゼシートを畦の内側に埋め込んで水漏れを防ぐ工夫がされるようになり畦塗り作業は大分楽になったそうだ。が、若い人はあんなしんどい仕事はしないだろうな。今、農水省は分散した農地を集約して大規模農業を育てようと「農政改革」に取り組んでいる。もう効率の悪い中山間地農業はいらない。とは言っていないが何だか雲行きが怪しくなってきた。棚田100選の農業観光も必要だけど、都市住民の憩いの場でもある近郊農家の育成と、地産地消のスタイルを確立してほしいものだ。「美しい国ニッポン」のシンポルとしての中山間地農業は守ってほしいと僕は願っている。それよりも何よりも私たちの身近にある美しい棚田の風景が「コンクリートの畦道」で塗りつぶされてしまうのではないかと心配でならない。

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『みちしるべ』**自転車の専用道を**<2007.3. Vol.45>

2007年03月03日 | 芦屋道路問題ネットワーク

自転車の専用道を

芦屋道路問題ネットワーク 池浦康子

 住宅地での道は、交通量の多い所以外は歩道もなくて、車、自転車、歩行者が同じ道を通っています。歩行者は道路端を車に注意し乍ら。山手幹線の建設で22mの道路巾になって歩道は植栽帯を含めて4.5mの広さになり増す。広い歩道が出来ればゆったりと楽しみ乍ら歩けると思い、完成した地域の歩道を歩いていますが、“さにあらず”スピードを出して合図もなく自転車がすぐそばを走り抜ける時の恐ろしさを何度か経験しました。速さの異なるものが同じ所を通ることは事故の原因です。そこで市の街路課に自転車道と歩道の分離を要求しましたが、自転車交通量が500~ 700台/日を超えるか否かが判断基準になり、翠ヶ丘の場合は出来ないと回答がありました。道路交通法に拠るものでしょうが、環境問題が世界中で叫ばれている時、車優先でなく環境にやさしく、健康的な歩行者、自転車の利用を応援する道路法が必要です。自転車の交通量が多いから専用道をつくるのではなくて、専用道をつくれば自転車の利用がふえるのではないでしょうか。

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編者より

 上の記事と自転車に関する記事が3編(1/21,2/8, 2/11)添えられています。編者も目に付いた記事(毎日新聞)をとっておいたものがあるので、掲載日順に列挙し、3月7日毎日新聞「投書デスクから」のまとめ的記事も併記します。

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1月17日 自転車の歩道通行 歩行者の安全確保が第一だ 社説

1月21日 なぜ今「自転車は歩道通 自転車活用推進研究会理事・疋田智 発言席

1月24日 自転車、ママチャリで回れるサイズの暮らしがいい 萩原浩 いきいき生活

1月31日 ドイツで痛感 自転車日本の幼さ 投書欄

2月8日 歩行者脅かす「自転車の歩道走行」 専用道を造れば矛盾解消 環境にも健康にもいい 西村浩一 記者の目

2月11日 今後の自転車対策について 警視庁交通企画課交通安全企画官 早川治 発言席

3月7日 自転車の歩道通行「一部承認」に反諭 毎日新聞「投書デスクから」

● 飲酒運転やひき逃げなどの厳罰化を柱とする道路交通法改正案が2日(閣議決定されました。その中で自転車の通行区分の一部変更も注目される改正の一つです。幼児・児童が運転する場合や車道での運転が危険な場合は自転車の歩道通行を認めるものですが、昨年末に警視庁試案が発表されて以来、この欄でも歩行者優先の立場からの反諭が寄せられています。

● 2月に入っても、歩道で自転車にぶつけられ、けがをした体験談(8、21日)や「記者の目」(8日)の提案を受け、歩行者が安心して歩ける歩道に戻すことを訴えた投稿(28日)が日に付きました。自転車は「車道通行」が原則で、歩道通行が認められる場合でも「左端を徐行する」と定められています。しかし、それらを無視して歩道を猛スピードで走行する人が多いのが現状です。市街地の安全性をどう高めていくか、車道を含めた環境整備について、さらに議論が必要でしょう。

**************************************************

 さらなる議論の必要性はあるでしょう。しかし、車優先社会が産んだひずみの一つが人と自転車の関係に現れたのだということを理解しておかないと、むやみに人と自転車を対立させてしまうことになりかねません。このことに十分気を配るひつようがあります。

(編者)

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『みちしるべ』夜間の二酸化窒素濃度は昼間の9割**<2007.3. Vol.45>

2007年03月02日 | 神崎敏則

夜間の二酸化窒素濃度は昼間の9割

みちと環競の会 神崎敏則

風速が大きいほど、また降水量が多いほど二酸化窒索濃度は低い

 『みちと環境の会』では毎年5~6回二酸化窒素を測定している。測定方法はザルツマン法と呼ばれるもので、試薬を浸したろ紙をカプセルの中に入れて道路沿いの電柱などに吊り下げ、フィルターごしに大気中の二酸化窒素を吸着させて24時間後に回収し、測定器でデータを採っている。簡単ではあるが、数回測定しただけで測定地点の二酸化窒素濃度や排ガス問題の結論を出すことはできない、という難点もある。

 当初は尼宝線沿いに測定していたが、2001年からは山手幹線にも測定範囲をひろげ、6~7名で手分けして48~49ヶ所を測定地点にしている。20回を過ぎた頃から、気象条件と二酸化窒素濃度との相関関係が明かになり始めた。風速が大きいほど、また降水量が多いほど二酸化窒素濃度は低くなる傾向であることがデータから導き出された。

 

月日

2001

2/26~27

0.038

0.043

4/12~13

0.039

0.044

7/12~13

0.020

0.019

9/3~4

0.044

0.035

2002

1/28~29

0.041

0.019

2/18~19

0.029

0.017

4/30~5/1

0.028

0.025

6/6~7

0.043

0.037

8/27~28

0.028

0.017

12/16~17

0.058

0.043

2003

2/26~27

0.063

0.040

5/1~2

0.035

0.054

7/28~29

0.028

0.027

9/24~25

0.043

0.028

11/18~19

0.051

0.049

12/22~23

0.055

0.044

2004

2/18~19

0.057

0.059

4/24~25

0.026

0.027

7/22~23

0.030

0.028

9/27~28

0.037

0.032

11/25~26

0.046

0.040

2005

2/25~26

0.032

0.023

4/22~23

0.018

0.041

7/25~26

0.010

0.010

8/30~31

0.046

0.029

10/24~25

0.030

0.035

2006

2/23~24

0.035

0.034

3/28~29

0.039

0.017

5/23~24

0.028

0.026

7/31~8/1

0.026

0.021

9/3~4

0.036

0.026

9/30~10/1

0.026

0.029

2007

1/8~9

0.039

0.027

2/13~14

0.046

0.063

平均値

0.037

0.033

 

予想外の高濃度

 今回おこなった測定日(2月13・14日)の気象条件は、風速が大きく、しかも降水も確認された。「今回はいつもよリデータは低いだろう」と思いながら、運営委員の麻生さん、虫明さんとデータを測定していたら、予想以上の高濃度のデータが得られた。49ヶ所の平均を毎回算出しているが、その平均値は過去34回の平均が0,040ppmであるのに、今回は0,0671ppmで2番目に高かった。

 尼崎市環境対策部公害対策課のご協力をいただいて、当日の気象条件と、自動車排ガス測定局として行政が測定している武庫総合高校の二酸化窒素濃度を入手し、比較してみた。風速は3.2m/sで大きいと言えるほどではなかった。24時間総降永量も0.8mmと少なく、実感していた雨量とは乖離していた。しかしこれらの気象データから、いつもの1.5倍以上の高濃度となった原因を説明することはできない。

3連体あけは高濃度?

 高濃度の原因は当日のクルマの渋滞がいうもよりもはるかに多かったから、と素直に推測することも可能だろう。2月10(土)、11(日)、12(振替休日)と3連体が続いた後の測定なので、当日の通行量はいつもよりも多かったと推測できる。自動車排ガス測定局において、一日あたりの渋滞が普段は1時間あったとすれば、仮に3連休の余波を受けて通行量が1.1倍だったとしたら、渋滞率は飛躍して2、3時間になることも考えられなくもない。が、少し強引な推測なので裏付けるデータを探すことにした。

 『山手幹線沿線の環境を守る市民の会』のご好意によりいただいた甲子園口北町の2003年度の一年間の二酸化窒素データで確認してみた。

 3連休は7回あり、その翌日の平均値は0.026ppmで、一年間平均値は0.027ppmだった(厳密には、3連休あけの18時からの24時間とすべきだが、印刷物でいただいたので、3連休明けの0時からの24時間平均値をそのまま転用した)。結局この推測を裏付けるデータは得られなかった。3連休明けの二酸化窒素濃度はどうなるのか、今後もデータを蓄積していく中で判断するしかないようだ。

夜間の二酸化窒素濃度は昼間の約9割

 尼崎市から入手したデータも時間単位で採られているので、2001年からの34回分を昼間(7時~19時)と夜間(18時~翌6時)に分けてエクセルで再計算した。すると昼間よりも夜間の方が高かったのが9回になった。総平均では、夜間の二酸化窒素濃度は0.033ppmで、昼間の約9割に達している。

 常識的には夜間の方がはるかに自動車通行量は少ないはずだが、昼間の9割に達した原因として考えられることは2点だ。

 一つは、尼宝線の夜間の通行量が他の道路に比べて多いことだ。これは騒音値である程度推測できる。

 武庫総合高校での騒音は、夜間(22時~翌6時)68dB、昼間(6時~18時)71dBとなり、県道米谷昆陽尼崎線・砂田子ども広場の夜間65dB昼間70dB、市道尼崎豊中線・園和小学校の夜間66dB昼間70dBと比べても騒音が高くなっている。3 dB低くなると騒音発生量は1/2になると言われているので、(大型車の混入率を無視すると)武庫総合高校の夜間の通行量は昼間の1/2もあり、砂田子ども広場の夜間の通行量の2倍と言える。

 もう一点は、夜間の濃度のほうが高いのが9回あり、9回全てに当てはまるわけではないが、逆転層が形成されたことにより二酸化窒素濃度が高くなったと推測される。

 一般には、大気は地表面付近が最も温度が高く、上昇気流で100m上昇する毎に0.65℃温度が下がる。ところが、夜間の放射冷却により、地表面付近の空気が最も冷たくなりその上層部に比較的温かい空気の層ができると、地表面付近の空気層の中だけで対流が繰り返される現象がうまれる。逆転層は秋から冬にかけて発生しやすく、発生すれば、排ガスの濃度が高くなると言われている。

 特に2月13・14日の風速は、昼間5,0m/sに対して夜間は1.6m/sと約1/3になっていることからも、逆転層の発生の可能性がより高いと言える。また、夜間の風速が小さいことが直接作用して濃度が高くなったとも言える。

 いずれにしても、尼宝線における夜間の二酸化窒素濃度が高いことは深刻な問題だ。

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『みちしるべ』失われた40年の重み**<2007.3. Vol.45>

2007年03月01日 | 大橋 昭

失われた40年の重み

代表世話人 大橋 昭

 今年は4年目のエルニーニョの発生と地球温暖化の関係もあってか、記録破りの暖冬である。しかし、現在の異常気象や地球環境の異変への予測は、今から40年前の1970年、イタリア・ローマに於いて既に行われていた。

 折から深刻化しつつあった天然資源の枯渇化、環境汚染の進行、開発途上国における爆発的な人口増加、大規模な軍事的破壊力の脅威による人類の危機に対して、地球の有限性を共通テーマに当時の世界中の最高の英知を集めた、危機回避のシナリオが通称「ローマクラブ」により探索され、その成果は世界を震撼させた「成長の限界」に遺された。

 しかし、この人類の存亡を問う地球環境破壊を警告した「成長の限界」は、先進諸国による近代科学技術を駆使した地球への際限なき収奪を止めるには至らなかった。人類の欲望とエゴのおもむくままの大量生産・大量消費・大量廃棄のもとで、経済成長と利便性向上を追求して来たその帰結が今日の地球環境破壊である。

 この時期に高度経済成長期にあった日本も、資本の利潤第一主義による公害垂れ流しと自然破壊を生み、地域住民の健康や労働者の職場環境など歯牙にもかけず、労働災害を頻発させ、全国各地に公害反対闘争が巻き起こった。それら4大公害病「水俣病、第二水俣病(新鴻水俣病)四日市ぜんそく、イタイイタイ病」の顕在化は国に「公害国会」を開催させた。

 しかし、本格的な公害防止施策の実現には産業優先を掲げる行政の全体的姿勢を越えるまでに至らず、この時「ローマクラブ」の警鐘を主体的に提え、活かして行く方途が確立されていれば、以後の運動の内実も、大きく変わっていただろう。また、このころは「地球環境問題」なる言葉はまだ存在しなかった。

 2007年2月1日、マスコミはICCP(気象変動に関する政府間パネル)によって、地球温暖化の科学的根拠を「人間活動の仕業」とする注目すべきニュースを報じた。

 このまま化石燃料に依存し高度経済成長を続ければ、自然変動(火山噴火など)を外しても温室効果ガス増加による温暖化は加速し続けその影響は全地球規模に及ぶと言う。

 また、この報告とは別に出されたイギリス政府の諮問機関「スターン報告(気象変動の経済影響)」では、地球温暖化の速度を摂氏1度から5度の段階に区分し、地球温度が今よりも5度上昇した場合を想定した危機シナリオを作成した。二つの報告書は「今すぐ確固たる対策を採れば、悪影響を避ける時間は残されている」とし、その時間は10年から20年という衝撃的な報告を提出した。

 私たちが40年前に出された「ローマクラブ」の警告に真摯に耳を傾け、地球の有限な天然資源の枯渇、環境汚染に目を向け、人口増加と工業投資の加速度を抑える適切な政策を実現していれば、事態はここまで深刻化しなかっただろう。

 経済成長著しい中国、インド、ブラジルなど発展途上諸国の環境対策の不在と、アメリカのための経済のグローバル化が際限なき地球温暖化と環境汚染を拡大している時、今回のICCPやスターン報告を深刻に受け止めることなく、これまで通りの豊かさを追求して行くならば、人類は近い将来に必ず破滅の危機を迎えようとする中で、異常気象は地球温暖化が原因という警告は無視すべきではないと思う。

 今、私たちに求められるのは自らが「カネとモノ」の呪縛を解き放ち「足る」を知ることの意味を問い直し、人としての生き方と国のありようを、経済と環境とエネルギーの視点から見直す勇気だ。そして、一人ひとりがすぐに出来るエネルギー消費抑制への行動と、京都議定書の目標達成にむけたライフスタイルヘの転換と、地球環境危機の克服に立脚する政治への転換を促し、早急に国際的な視野から「地球環境税」創設に主体的に取り組む努力だ。

 急速に政治が右傾化してゆく中で、なによりも平和と生命の大切さを掲げ、地球は子孫からの預かり物であるという価値観に立って、危機に瀕する地球環境に対し、すべてにおいて大胆な変革を急がなくてはならない時だ。

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