『みちしるべ』100号までの記録
世話人 藤井隆幸
『みちしるべ』創刊までの経過
『みちしるべ』の創刊は1999年9月号です。当ネットワークは、それより前の1995.5.25.に初代の代表世話人 砂場 徹さん宅に、大橋 昭(南北高速道路に反対する会=当時)・澤山輝彦(川西自然教室=当時)・三橋康志(阪神高速北神戸線に反対する会=当時)の三氏と筆者の5人が集まったのが始まりです。詳しくは創刊号に記されています。
1995.12.に7回目の準備会を西宮市立中央公民館(震災後に「プレラにしのみや」として建て替わった)で行い、「阪神間道路問題ネットワーク」という名称がスタートしました。以後、ほぼ毎月の例会を続けて、現在に至ります。
例会で交流誌の必要性が話し合われ、名称を募集しました。『道標』と決まりましたが、他団体に同名の機関誌があることがわかり、ひらがなに変更されました。
創刊から100号まで、同じ題字が使われていますが、今は亡き砂場恵美子さんの筆によるものです。
初代編集長から現・編集長代理まで
初代の編集長は砂場 徹さんでした。当時はまだ存在したワープロ(Word Processor)を駆使されていたのですが……。バックナンバーをお持ちの方はわかると思いますが、結構、誤字も多かったりしました。非常にキータッチが早いのには驚きでしたが、既に普及していたパソコンとの互換性が無く、打ち直しが大変でした。
見かねた澤山輝彦世話人が、6号(2000.8.)から編集長を交代されました。そして55号(2009.1.)まで務められました。しかしながら、奥様が転倒による脳震とうで、しばらく任務が難しくなった経緯がありました。
とりあえずは筆者が編集長代理を引き受けたのですが、それが今日まで続いています。引き受け手があれば大歓迎なのですが、これから活躍が期待される若手に、お荷物を背負わせるのも悩ましいところ。
筆者が代理となった56(2009.2.)号は、初代 代表世話人の砂場 徹さんの追悼号でした。
『みちしるべ』30号記念レセプション
30号(2004.7.)は創刊から5年近くになり、何らかのお祝いをしようという事になったのです。8月1日に西宮市立勤労会館にて、メンバーの参加費1500円で運営しました。
既に14年も前の事になり、記憶も定かではないので正確なことはわかりません。既に代表世話人は大橋 昭さんが就いておられ、31号にお礼の言葉を掲載されています。それによれば、60名を超す参加者とあります。今となっては、驚きですが。
川西自然教室から、朗読の会「草笛」のみなさんが公演いただきました。南北高速道関係からは、「バウワウ」のデュオの演奏もありました。最後に「青い山脈」を皆で唄ったのは印象的でした。
『みちしるべ』60号記念レセプション
30号を記念したので、倍の60号(2009.9.)も祝おうという事になり、やはり西宮勤労会館にて9月27日に開催。開催後の次の例会案内の文章によれば…
記念集会は21名の参加で盛大に行われました。……南京玉簾の演技に、若手もエキストラ参加し、楽しみました。澤山さんのオカリナとトークショウで笑った後、自己紹介になりました。その後、那須さんのアコーデオンにより、“うたごえ喫茶”で発散し、大橋さんの挨拶で〆ました。池浦さんと山本さん、それに澤山夫人からの手料理の差入れ、ヨッシーからの差入れもあり、食べきれない贅沢をしました。ただ、500ml缶が2ダースでは、呑み物の方が不足……
とありました。
『みちしるべ』90号記念レセプション
さて、30号と60号を記念したのだから、90号(2015.7.)もという事になりました。しかしながら、多くの団体は運動が収束しており、西宮勤労会館にて9月26日に行われましたが、結局は10名の参加に終わりました。
会費は1000円で、巻寿司を用意し、呑み物と後は持寄りでした。
『みちしるべ』100号記念レセプション
さて、この『みちしるべ』100号は、30の倍数ではないのですが、キリの良い所で、やはり祝おうではないかという事になりました。
期日は7月16日(月)(“海の日”の祝日)で、西宮勤労会館という事になっています。午後1時から5時まで第4会議室を借りています。会費は無しという事で、お気軽にご参加ください。お昼を越えていますので、呑み物とおつまみを持参頂ければ幸いです。内容につきましては、この100号が配布される頃には決まっているとは思います。
これまでの総決算として、関係された皆さんにお伝えして、多くの方にご参加いただきたいものです。
『みちしるべ』30号発行記念レセプション の写真
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