『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』**世の中は三日見ぬ間の……(斑猫独語91)**≪2024年春季号 Vol.119≫

2024年06月13日 | 斑猫独語

世の中は三日見ぬ間の……(斑猫独語91)

澤山輝彦

 現住所に引っ越して3年になる。この3年間で周辺には大きく変わったものがある。最寄りの駅のプラットフォームにほとんど接して10階建ての消防庁舎ができ、それまで見えていた風景が、ある部分みえなくなった。今、住んでいる団地の中でも古い低層棟や耐震補強のための棟の建て替えも始まっていたが、その幾棟かはこの夏には完成、入居が始まるはずだ。色々変わっていくのだ。

 つい最近、阪神電車を利用する機会があった。最寄り駅(初めに書いた駅だ)が阪急電車であることから、阪神間の移動は主に阪急電車を使うが、この用件を済ませるには阪神電車が便利だとわかったからだ。久しぶりに阪神電車に梅田駅始発から乗ることにうきうきした。そんな子供っぽいこと、と思われる方もおられるだろうが、些細なことに喜びを感じ精神を愉快に保つことが、長生きの秘訣であると私は思っている。

 さて、私が乗るのは各駅停車だ。電光案内板を見ると4番線からの発車だ。4番線ホームに行くと、4番ホームは従来の部分と板張りされ拡張されたスペースとで広くなっている。もとはレールがあって電車が入っていたところを板で覆ってしまったのだ。線路を減らすやりくりをしてプラットフォームを広げたことは、混雑を緩和し乗客へのサービスを図ったのだろう。

 プロ野球セリーグ戦が始まれば阪神タイガースフアンは阪神電車で大移動するのだから。たまに阪神電車に乗りに来た私が気付いた変化である。記憶にある場所の様子が少し間をおけば、このように変化していることに驚くことがある。それは建物が建った、消えたという大きなものに限らず、小さな商店がなくなったり、別の店に変わっていたりすることなどでも同じことだ。高齢のため閉店しますとか何とか理由の張り紙で予告があっての閉店ならまだしも、突然無くなる店舗の異様さを見たことがある。こんな極端な場合、一寸怪しい商売と見たが。無くなるも、増えるも驚きの種になる。

 目に見える物ばかりが変わっていくのではない。人体細胞など日々の変化を遂げているのだ。小腸細胞は平均1日で入れ替わる。胃の粘膜は約3日、肌は10代で約20日、20代は約28日、30代は約40日、40代は約55日、50代は約75日、60代は約100日、70代や80代は記載無し。詳しい学術文献などにあたればわかるのだろうが、もうこの年では肌細胞の入れ替わりは、ほとんど無いとあきらめた方が賢明なのではないか。血液の中の有形成分である赤血球は骨髄で作られているが1秒で約200万個作られているそうだ。即席ラーメン1杯3分間待つ間に3億6000万個作られる勘定になる。一つの赤血球は100~120日で命を終える。脳細胞も一生そのままであるはずがないと思う。変化しているはずだ。でも夢に見る昔の事、あれらの記憶は変わることなく貯蔵・記憶されている。脳は不思議だ。ゆっくりと理解したい。コンピュータを電脳という中国語が面白い。

 色々変わっていくこと、面白いことも悲しいこともあるだろうが、そうして世は進んでいく。いつまでも変わらず世に逆行しているのは今の自民党である。私たちが世の中を変えねばならない。無関心でいてはならない。変化を私達の手で引き寄せあっと驚きたいものだ。

【投稿日 2024.3.11.】

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『みちしるべ』**あの人のあの一言の思い出(斑猫独語 90)**≪2023.冬季号 Vol.118≫

2024年02月23日 | 斑猫独語

あの人のあの一言の思い出(斑猫独語 90)

澤山輝彦

 あの時あの人から聞いた言葉、教えてもらったことなどで強く心に残っている、そんなもの、皆さんそれぞれお持ちではないでしょうか。私に起こったそんな事、二つを書いてみます。

 新聞社には「デスク」という職務があります。取材の指揮をしたり、記者が書いた原稿のチェックをしたりします。「九条の会・川西」の発起人の一人として参加した私と、そこで出会ったU氏が某紙の元デスクであったのです。元デスクだけあって、機関誌の編集をされましたが、さすがは元デスク氏です。書いた原稿のチェックはもちろん、苦労して頼んで書いてもらった原稿をボツにされてしまったこともあり、私は何度か“むっ”としたことがありました。

 そんな元デスク氏も亡くなられましたが、今、地政学という言葉を新聞などで見ると、これは彼から教えられた言葉である事を思い出さずにはおれないのです。どういう経過でこのことが話題になったのかは忘れましたが、「地政学という学問はよくないんだ」と言われたことをしっかり覚えているのです。

 そんな地政学と言う言葉を最近よく目にするようになりました。ロシア、ウクライナの間、パレスチナとイスラエル、一路一帯構想などに絡む話題の中でのことです。今朝(2023/10/28)の朝刊紙の書評の一つの見出しに“地政学的都市論としての日本通史”とあるのが目につきました。地政学について今頃になってブリタニカ国際大百科事典で調べたところ、「20世紀初めに現れた国家学の一形態」「ナチス・ドイツの侵略政策を正当化する為の御用学問として利用された」「大戦後、多くの学者によって、科学的用語としては不適当とされたが、アメリカの政治学者の間に地政学の影響が残っている」こんな解説がありました。

 これを見るとU氏はこれらのことを私に教えてくれていたのだったと思います。もう一つは私が中学生の頃(昭和29年だったと思う)、理科の先生が正月に家へ遊びにくればいいと言われたので、仲の良かった渡辺君と先生宅を訪ねたのでした。子供だから酒が出るわけではなし、お菓子とお茶をかしこまっていただき、各地の風景写真などを見せていただいたのを覚えています。

 その時、先生が話の中で、これからは鉄に代わってチタンと言う金属の時代が来る、といわれたのが強く記憶に残っています。今、チタンを考えると、チタンにもメリット、デメリットがあるようですが、宇宙器機や兵器などには非常に重要な資源であるのは間違いないようです。私は二十歳過ぎに日本画を始めました。日本画の白色絵具として胡粉があります。その胡粉の一種にチタン胡粉というのがあり、ふんわりした柔らかさのある白色ではなく、きりっとした純白という感じ(私感です)の白を出してくれます。これはチタン鉱石から取った酸化チタンで、白色顔料として使われている物の日本画絵具への適用版、それがチタン胡粉なのです。これを使う時、あの理科の先生の言葉を思い出します。

 私にとっての思い出の一言、何故かタ行のチで始まる二言でした。皆さんそれぞれこんな事の一言や二言はお持ちのことでしょう。一寸立ち止まって自分史の1頁を振り返ってみられたらいかがでしょうか。

【投稿日 2023.11.7.】

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『みちしるべ』**「雑」のいろいろ 斑猫独語(89) **≪2023.秋季号 Vol.117≫

2023年11月17日 | 斑猫独語

「雑」のいろいろ 斑猫独語(89) 

澤山輝彦

 植物など全く無関心だという人を除けば、彼岸花(曼珠沙華とも呼ばれる)を知らない人は無いだろう。名前のとおり秋の彼岸ころには必ず咲き、群がり咲く姿は、この時期の新聞やテレビに秋の風物詩として、必ず紹介されるのをご存知だろう。私が住むUR団地にも何箇所か数本だが彼岸花の咲く所があり、毎年楽しみにしているが、今年それを見ることは出来るだろうか、つい最近除草作業があったからだ。

 UR団地では、全ての芝生、樹木などの植栽はURの管理下にあり、その管理下に無い植物は原則的には雑草、雑木であり、年に二度か三度除草、剪定作業の対象になる。個人の土地ではないのだから、この作業、管理者の仕事として当然であり、勝手に生えた(過去に誰かが植えたのかもしれないが)彼岸花も雑草にすぎないから刈られる。でも除草当日、まだ花をつける茎は出ていなかったようだから、彼岸の頃には花を見ることができるかもしれない。

 このような管理下にあるとは言え、居住棟の周辺わずかな部分に小さな花や小木を植えることぐらいは、目をつむってくれているようだし、自治会等との話し合いで小さな花壇は許可されているようだ。そんな所では除草作業の通知があると、刈られないようにテープなどで目印をすれば、そこは残してくれる。私の部屋の窓の下にあった三本のオシロイバナは、結構大きな株になっていて花も咲いていたので刈られないだろうと思っていたが、刈らないでほしいとの目印もしていなかったので刈られてしまった。仕方がないが一寸寂しい。

 NHKの朝ドラで牧野富太郎への注目が高まった。その牧野先生の言葉「雑草と言う草は無い」はよく知られている。この言葉「世の中に雑草と言う草は無い。どんな草にだってちゃんと名前がついている」と言ったのが元になっている。そして、もう一人あのお方の口から、この言葉が出たものだから世に知れ渡る言葉になったのだ。とは言え雑草とはもう誰もが使う日本語の一つになっているし、植物学か農学の用語として、雑草学という用例もある。ここまでくれば、「雑草と言う草は無い」といちいちの発言に対して言っていると、それはもうお笑い、ギャグだ。

 草木に雑草、雑木と言う言い方があれば、虫にはどうか、雑虫と言う言葉はない。人にとって益なら益虫、害あれば害虫と言う。魚はどうか、雑魚(ざこ)と言う言葉がある。いろいろな種類の小魚をそう呼ぶのだ。日本国語大辞典には雑魚の説明第二例に、地位の低い者、つまらない者をたとえていうとある。これは、並ではない者を自称他称で大物と呼ぶ時、相手を見下した言葉である。いい言葉ではない。鳥にも雑鳥はない。益鳥と害鳥か、あまり害鳥は使わないな。食い物でも穀物には米麦以外を雑穀と呼ぶ。世話にならなくてはならない食い物にも雑を付けているのだ。でも雑煮はどうだろう。これはもう言い変えの出来ない言葉になってしまっている。雑炊もあるが、これは“おじや”とも言う。私など雑炊より“おじや”と言う言葉のなかで育ったのだ。草木魚鳥食い物の他にも雑の付くものはいっぱいある。

 雑貨と呼ばれる物器具などは別にして、生命あるものとして生まれてきたものに何の罪もないのに、人の利益、エゴによって「雑」をつけたのだ。こういう「雑」上手く付き合う、ここが大事、そこに人間の知恵があるのだ。

【投稿日 2023.9.14.】

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『みちしるべ』**6月例会から(斑猫独語 88)**≪2023.夏季号 Vol.116≫

2023年08月27日 | 斑猫独語

6月例会から(斑猫独語 88)

澤山輝彦

 阪神タイガース二軍球場の鳴尾からの移転先として、反対の声もある大物駅南側の工事現場と、大物周辺を6月例会として見てきました。

 この工事現場は元、緑の多い公園で、そこをつぶすのは許せん。というのが反対する理由なのですが、私はこの公園を見たことがないので、そこのところを具体的に指摘することはできません。が、東京の神宮外苑にも似たようなことがおきており、こちらは全国区的に、そのやり方に批判が上がっています。地方区尼崎でも、同じように反対されるのは当然のことだと思いますし、私たちの例会の場とした理由になります。

 みどりの日という国民の祝日を定め、「自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」とまで言いながら、どうも緑を破壊することには、さほど気にならないような事例が各地に多すぎるのが、この国の現状でしょう。原状回復と言う言葉で開発を進めることがありますが、原状回復を100%期待するのは難しいとおもいますし、そのためには時間がかかることも、知っておくべきでしょう。

 マイナンバー法を強行し、健康保険証を廃止するなど、平気でやる連中は「自然に親しみ、豊かな心をはぐくむ」ことが出来ない全く非人間的な心の持ち主で、こんな連中にいつまでも政治を任せておいてはいけません。参政権を大事に使う、ああいう連中を落として行かねばなりません。

 さて、工事現場へ戻れば、現場には囲いがはりめぐらされ、中は見えません。工事車両が出入りする門から中をうかがうのですが、整理のおじさんに注意され、ゆっくり見ることもできません。私は大物駅まで阪神電車本線で来たので、大物駅手前から車窓下に、この現場を見ることができました。大掛かりな地盤沈下を防ぐ基礎工事が行われているようでした。

 暑い日陰の少ない現場を切り上げ、周辺の古戦場であったか、なにかを見て、屋根のある建物、尼崎歴史博物館に到着、見学しました。元は中学校だったという建物が歴史博物館として使われているのです。

 ここで「みちしるべ」既報の、川西市の旧黒川小学校のことを思い出しました。規模、建築様式も違いますから、簡単に比較は出来ませんが、開発のために取り壊す、この短絡的な考えは馬鹿でも出来ます。残そう、何とかならないか、こう考えるのが普通でしょう。そこに知恵をはたらかさねばならないのです。

 歴史博物館の展示ですが、尼崎を総合的に理解して行くにはよく出来ており、じっくり観ていくといいと思いました。歴史教育に私が感じるのは、日本史は近現代史からはじめ、そこを徹底的に頭に入れる。ここが欠けていることがいつまでも「自然に親しみ、豊かな心をはぐくむ」ことの出来ない連中に、思いどおりの政治をやらせ続けることになる一因だと思うのです。

 この辺りは世界史でも同じように思います。ロシアのウクライナ侵攻は非難されて当然でしょう。だが、イスラエルのパレスチナ占領に対してはどうでしょう。ウクライナを支援するならパレスチナも支援しなければならないのでは。このあたりにも世界史としての近現代史、国際情勢の正しい判断ができる教育が必要になるとおもいます。

 そんなことを無視した政治家たちは、G7などとええかっこをしているつもりでも、諸外国から半分馬鹿にされているところがあるなど、気が付かないのです。縄文や弥生時代のことは後回しにしたって構わない、そんな気がします。

【投稿日 2023.7.7.】

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『みちしるべ』**けものみち(斑猫独語 87)**≪2023.春季号 Vol.115≫

2023年05月25日 | 斑猫独語

けものみち(斑猫独語 87)

澤山輝彦

 図書館で[狩猟用語事典]という本を見つけた。さすが狩猟辞典だ。鳥や獣の名を引くと、一般的な分布、形状、特徴などの解説に加えて〈食肉として〉〈捕獲〉という狩猟用語事典独特の項目が興味をひいた。

 例えばカラスを例にとってハシブトガラスをひけば〈食肉として〉には、「ジビエでは植物食の強いハシボソガラスが好まれることが多いが、本種も肉の質は似ている。詳細はハシボソガラスの項参照」とあり、ハシボソガラスを見ると〈食肉として〉「筋肉質で硬くレバーのような味だが、ミンチ状にすると食べやすい。かつて信州の上田地域では、ミンチ肉を棒状にして焼いた[ろうそく焼き(カラス田楽)]が食された」とある。

 どんな鳥類図鑑にもカラス肉の料理法まで書いてあるものはないだろう。それで、このことが道路と何の関係があるんだと思われそうだが、ここからその関係ありの説明を始める。実はキツネ、タヌキについて調べたいことがあり、上記事典でキツネ、タヌキの項目を読むためこの事典を借り出した。狩猟など全く縁のない私には、この狩猟用語事典は面白く、興味をそそられたものであった。

 そしてこの事典の中に、けもの道という項目があったのだ。【けもの道】「シカやイノシシなど地面を歩く動物の通行により踏みならされてできた自然の道。その部分の土が崩れて道のようになっていたり、枝が折れてトンネルのようになっているため一般的に[けもの道]とよばれる。ただし、狩猟者の間でそのように呼ばれることは少なく、単に[道]や[筋]のほか、[かよい][ノテ][うつ][うじ][とおり][とお]など地域や年代、所属するグループなどによってさまざまな言い方がある。

 頻繫に使われている道については[高速道路][国道]など、地域によって呼び方は異なる。この高速道路や国道と言う言葉を道路問題と関係づけてみたのである。ここでの「高速道路」「国道」は仲間同士で使われて仲間同士を確かめ合う、仲間以外には通じない言葉、隠語のような使われ方をしているなと私は思った。国道沿いにはイノシシのヌタバ・道の駅があり、シカも高速道路のどこかに休憩所・サービスエリアを持っているのだろう、こんな他愛のない事を考えた。

 ホモサピエンスが日常行動の中から自然に作ってしまった道、これはホモサピエンスという動物の作ったけもの道ではないかと私は思っている。けもの道とは言わず踏み跡と言うのが普通だろうが。道の始まりはここにあったのだ。現代でもホモサピエンスは二点をむすぶ最短距離を目視で確認し、それを結ぶことが出来れば踏みこむ。それがほんの数メートルの短縮でも立派に踏み跡は道になってしまう。私の住むニュータウン・団地でも所々にそれを見ることが出来る。都市設計に携わる者は、このことに気が付かねばならないと私は日頃思いながら、そんなふみ跡があれば、必ず踏んで行く。踏む、と、道という言葉があるだけのことだが、折口信夫の有名な歌の一つを紹介する。

葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり
(句読点は折口信夫のつけたものである)

 

【投稿日 2023.4.19.】

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『みちしるべ』**「人道橋」とは(斑猫独語 86)**≪2022.秋季・冬季合併号 Vol.114≫

2023年03月31日 | 斑猫独語

「人道橋」とは(斑猫独語 86)

澤山輝彦

 10月初めの四天王寺大古本祭で「人道橋の景観設計」(関西道路研究会 道路橋調査研究委員会編 鹿島出版会 1991)というのを買った。「人道橋」という語句は初めてだが大体の見当は付く。一応、橋とはどのように説明されているか日本大百科全書(ニッポニカ)を見ると「bridge 道路、鉄道、水路、パイプラインなどが河川、湖沼、海峡、凹地や他の交通路などの上を乗り越えるために建設される各種の構造物の総称。橋梁ともいう」とある。鉄道橋や道路橋はあちこちに大小数々あり私たちが「橋」といえばほとんどこれらを思い浮かべるだろう。武庫大橋と東灘芦屋大橋は私達の例会で検証している。紀の川に掛かった水道橋が落ちたのは去年のことか。10月に入ってクリミア大橋の爆破は大ニュースだった。

 さて、あちこちの横断歩道橋、橋がついているし人しか渡れないからこれは人道橋なのか、私には横断歩道橋は立体的横断歩道に過ぎないとしか思えないのだが、この本によれば「人と自転車のみが通行する歩行者系道路にかけられた橋梁建造物」と定義しているから横断歩道橋も駅に付随する歩道デッキも広い意味で人道橋に入れるとしている。人道橋とは自転車はともかく車は通れない人のための橋なのだ。千里丘陵を開発して生まれた団地には道路を越える橋が何箇所もある。私が利用する駅への道には「竹見橋」という名の人道橋が府道121号吹田箕面線をまたいでいる。すこし離れて「にれの木橋」という人道橋もある。つい最近久しぶりに大阪中之島近くを訪ねる用があり、ついでにあたりを歩いた。その時渡った錦橋という橋、両側に階段があり橋上には花壇とベンチがある。これは「人道橋」だ、と思ったらこの本の資料27に写真入りで載っている(本をちゃんと読むというより見てもいない証拠だ)。

 道路を越え、川を渡る橋の機能をそなえた橋を「人道橋」と呼ぶためには、単なる橋の機能だけではなく、人を集め憩いの場を提供する、景観を創造する、サインあるいはモニュメントとして人に訴えかける、と言うような要素が必要になる。この様な観点から昭和50年ごろから今までの橋の分野に無かった建築家の発想から設計されたものが出来たりして人道橋に新しい衝撃や、強い印象を与えたといわれる。

 そこを考えると先の中之島の錦橋は昭和6年の竣工だ。現代風な人道橋の発想があったとは考えにくい。この橋の架橋目的は可動堰(水門)として造られたのであり、すぐ下流に肥後橋もあるのでその目的だけをはたしていてもよかったのだ。そう言えば堂島川にかかる水晶橋も同じ架橋目的を持ったもので、今では人道橋として大阪観光に寄与している。この両橋を人道橋に使わせた大阪市の判断は良かった。

 要するに人道橋とは、かっこを付けた歩道橋である。先に書いた私の利用する「竹見橋」には何のかっこもついていないが。この本に人道橋資料として53の橋が記載されていて、そのうち16が大阪、兵庫にある。

【投稿日 2022.10.26.】

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『みちしるべ』**斑猫独語(85)**≪2022.夏季号 Vol.113≫

2022年08月25日 | 斑猫独語

斑猫独語(85)

澤山輝彦

 『つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ』 徒然草の始まりです。国語の時間に習った古典の一つですが、古典の時間は入試対策もあったのでしょうが、品詞分解などにこだわりすぎて面白くなかったのです。でも最近では現代語訳と称する物が色々出ており、年も取り古典への認識も変わりました。

 そんな私に助っ人になる本が出たのです。『野の古典』安田登著 紀伊国屋書店 2021  397p  1800円です。この本の帯に、俵万智が「古典は骨董品ではなく、日常使いの器なのだ。使ってナンボ。その使い方、楽しみ方、味わいかたが、本書にはたっぷり盛られている。安田節というユーモアとエロスのダシを効かせて」と書いています。その通りあちこちダシの効いたところがあり、面白く読みました。以下私のつれづれなるままに書いた物でございます。

 NHKTVの新日本紀行でしたか、日時もタイトルも忘れてしまいましたが、近江を紀行する番組を視たのです。近江と言えば近江商人の商魂の逞しさが語られますが、その一つとして次のようなものがありました。

 幕末文明開化の横浜、東京では牛を食うこと、牛鍋、すき焼きが時代の先端を行く食だったのですね。そこに目を付けた近江商人は東京へ生きた牛を運んだのです。まだ鉄道東海道線も出来ていない時代です。東海道を20~30頭の牛を二三人で14日ほどかけて移動させたそうで、鈴鹿峠や箱根峠をこえての道中です。箱根峠は主要な街道だったので人々の通行も多かったから、それらを狙った山賊、追い剝ぎが出た。そこで箱根越えには、侠客清水次郎長が子分を護衛につけてくれたそうです。こんな所で清水次郎長の名が出てきたのは意外でした。

 この牛を追った移動からアメリカTV西部劇映画、「ローハイド」を思い出しました。こちらはアメリカ西部を数千頭の牛を市場のある街まで運ぶカーボウイの一隊の道中話で、若い頃もう半世紀より前のことになりますが毎週視た番組でした。主題歌や俳優のことなど覚えています。近江牛を東京へ陸路移動させたという規模こそ小さいが、これは和製ローハイドだと思いました。横浜や東京へ運んだ牛は近江商人の才覚で牛鍋屋として人気を集め儲けの種になったと言います。

 東海道線が開通すると、牛達は貨車に積まれて送られます。その時の写真がありました。鉄道が輸送の主力になって行くのです。牛馬などを積む貨車には家畜のカという記がつけられました。私にも家畜車・カを見た微かな記憶があります。貨物輸送の全盛を受け持っていた鉄道の時代を懐かしがってばかりいたのでは進歩がありませんが、今のコンテナ列車には無い面白さが、当時の貨物列車にはありました。かっこをつけて言えば詩情があったのです。

 鉄道からトラック輸送にとってかわり、自動車交通量の増加に伴い道路網の整備、発達から私たちの問題とする道路問題も発生し、阪神間道路問題ネットワークが組織されたのです。名神湾岸連絡線が極最近の私達の問題としてあがっています。

 古典から学ぶのはそこから現代のありかたを考え、良い所はとることだと思います。単なる懐古趣味では時間の無駄だと思います。とってつけたような終わりですね。

【投稿日 2022.7.30.】

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『みちしるべ』**キエフにこだわる(斑猫独語 84)**≪2022.春季号 Vol/112≫

2022年07月18日 | 斑猫独語

キエフにこだわる(斑猫独語 84)

澤山輝彦

 ロシアのウクライナ侵攻はもっての外であることは言うまでもない。だが、「盗人にも三分の理」と言うことわざがあれば、凶悪犯にも弁護士がつくのである。ウクライナの後ろ盾になっているアメリカとロシアの関係には、私たちが日常得ている情報だけではわからない事情が数々あったはずだ。俗な言葉で言えば、過去に受けた仕打ちに対する恨みつらみが噴き出した、そしてアメリカとの代理戦争とも言える場になったのがウクライナなのだといえるのではないか。

 東西の冷戦時代にソビエト連邦に対抗するため出来たのが、西側の軍事同盟NATOだ。ソビエト連邦崩壊後、東側はバラバラになってしまった。ロシアも何とか西欧と付き合ってきた。そこへウクライナをNATOに入れてロシアと対抗させる最前線にするというのは、アメリカの国際政治における力学の発露であるとみるのは誤りではない。

 ロシアにとっては横腹にドスを突きつけられたようなものだ。変なたとえかもしれないが民主主義国の日本でも、暴力団の事務所は簡単に開設出来ないのである。と言って今回のロシアのウクライナ侵攻を弁護するものではない。その結果ロシアは西側から制裁をうける。アメリカ中心になって執ってきた「制裁」という手段、それは国際政治の上での罰なのだろうが、これまでの幾つかの「制裁」をみれば、私には「いじめだ」とみえるのだ。

 アメリカと政治制度が違うだけで制裁をうけたキューバはどうだ。キューバ国民はそれに堂々と耐えたから、大したもんだが。中南米でアメリカの気に食わない国には制裁どころか政権を転覆させたこともある。こんなことが平然と行われている。アメリカは自からの権益をこうして堂々と守るのである。我々が目に耳にするマスコミはこのあたりの肝心な所を報道していない。時々、コラム欄や読者の投書などで、お茶を濁してはいるが。

 マスコミがウクライナの首都キエフを、一晩でキーウとしたこともその唐突なやりかたに私は違和感を持った。「キーウ」と付けているが、単なるウクライナへの肩入れにすぎないと思う。キエフと言う呼び名には歴史的に重いものがある。ロシア憎し、というだけで、ウクライナ人でもない私たちがこう簡単に言葉を変えてしまうのは変なのだ。やりたければ歴史、言語などを詳しく説明してからでも決して遅くはないのだ。

 これを機会に現地語での発音と異なった国々の日本語表記を、順次現地語表記に切り替えるといい。一晩で「キエフ」→「キーウ」とやったマスコミには出来るのだから。ついでに一寸飛躍するかもしれないが、日本は日本であるはずだが、なぜかジャパンが国際的な呼称になっている。何処に恨みもないのだからそれでいいといえばそれまでだが、ジャパンは日本人が付けた名ではない。堂々と日本と呼ばせればいいのではないだろうか。日本の旅券の表紙は、「日本国」旅券と漢字で、JAPAN PASSPORTと英字で表記されている。NIPPONでは通じないのかな。

 急に国粋主義者になってしまったが、これは無理かな。私はジャパンからでたJRと言う呼称にいまだになじめない。駅名の「じぇいあーる何々」とある平仮名表記は見る度に嫌悪感を催している。

【投稿日 2022.4.8.】

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『みちしるべ』**生きてゆくために(斑猫独語83)**≪2021.秋季&冬季合併号 Vol.111≫

2022年03月01日 | 斑猫独語

生きてゆくために(斑猫独語83)

澤山輝彦

 「過疎自治体初の5割超」2022(令和4年)1月21日(金)の新聞第一面の見出しである。

 この記事に付けられた新たに過疎地域になる65市町村のなかに、大阪府豊能町、能勢町があるではないか。2007年(平成19年)には関西二府七県のうち大阪府には過疎市町村は存在しないとあるが、千早赤阪村が2014年(平成26年)過疎地域に指定されている。今度そこに豊能町、能勢町が加わったのだ。両町は私が住んだ兵庫県川西市の隣町である。以前、豊能町と接する所の不便な道を、道路問題として書いたことがあるし、豊能町、能勢町共に、自然観察や、旧蹟探訪に度々訪れた所であり、友人もいることで驚くと共に、とうとうか、と言う気もするのだ。目立つ休耕田や、バスの減便、あるいは路線の廃止など、過疎化とはこんな事か、それともこれは過疎化の引き金なのだろうか、などと考えたものだ。

 過疎地にはインフラの整備が必要だなどと単純に考えるのだが、これには国の本格的な、選挙目当ての看板の甘い言葉ではない支援が必要だ。思いやり予算というものがある。在日米軍をおもいやるのである。ならば、過疎地に暮らす人々同朋には思いやっている間もない緊急の対策が必要なのだ。でなければ国の五割は滅んでしまう。こんな事を考えていると原発の廃棄物を引き受けます、と言った町長がいたのを思い出した。わからんでもないなあ、この発想の根は深いのである。

 インフラの整備である。昨年暮れ近くの新聞の記事を取り出して見る。それはベトナムの首都ハノイ中心部に国内初の都市鉄道が開業したと言うもので、様々な事情が重なって開通、営業が遅れたものらしい。ベトナムは公共交通機関が未発達で、南部最大の都市、ホーチミン市でも日本が支援する都市交通が整備されているが、この開業もおくれるそうだ。記事にあったハノイ在住の女性、オアインさん(71)の言葉「この日を待ちわびていた。車両は綺麗で近代的。便利で、暮らしやすくなるだろう」と喜んだ、とある。素朴な喜びようが溢れている。

 日本におけるインフラの整備は、過疎地における道路や鉄道などは必要であろうが、都市部や都市間の高速化などは我慢、ゆっくり、まあまあ、こんな言葉で包んだ生活を心がけたらやっていけるのではないか。はっきり言って贅沢な要求が多いのだと思う。ここに私のリニア新幹線反対の理由がある。これにかける分を過疎地対策にまわせば、と素人考えの一端でお終い。

【投稿日 2022.1.23.】

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『みちしるべ』**トリニダーの道(斑猫独語 82)**≪2021.秋季&冬季合併号 Vol.111≫

2022年02月27日 | 斑猫独語

トリニダーの道(斑猫独語 82)

澤山輝彦

 キューバにトリニダー(Trinidad)という街がある。かつての植民地時代の支配層が砂糖貿易や奴隷売買で得た莫大な資力をもとに築いた街で、16世紀の街並を残す旧市街が1988年世界遺産に登録され、有名な観光地になっている。「世界街歩き」と言うNHK・TV番組 (2021年10月12日) で、この街が放送された。所どころ見覚えのある気がしたら、再放送だった。

 以前、見た時は気にならなかったのだが、この街には中央部に排水用の窪みまである、大きな石敷きの道があるのだ。いわゆる石畳と言う長方形の石を敷き詰めたものではなく、いびつな、丸に近い、形もさまざまな石を敷き詰めた道だ。取材者が現地の人にこの道について尋ねたところ、この石の出所はヨーロッパで、砂糖を輸出した船が帰途に積んできたものと言う。船の安定のための重りとして船底に積んできたもの、バラストだったのだ。そんな石を使って支配者層がヨーロッパ風の道をここに造ったのだ。

 こんな石材の出所を持つ道をここで初めて知った。川西市に石道と言う地名がある。いつごろできた道か知らないが、石を敷いた所のある道がある。ここの石はさほど遠くない所から運んだのだろうと私は考える。こんな事、石と道の関係を調べるのも面白そうだ、気が向いたらやってみようかと思ったのである。

 ところでこの街トリニダーは、トリニダード、Trinidadと書くが最後のd(ド)を発音しないでトリニダーとなる。一般的なスペイン語では語尾のdはほとんど発音しない。マドリードもマドリーが普通なのだ。でも、同じカリブ海のトリニダード・トバゴという国はトリニダード・トバゴと語尾のd(ド)を発音する。これは英語読みなのだ。スペインの植民地であったキューバ、英国の植民地だったトリニダード・トバゴ、その歴史がこんなところにあらわれるのだ。また、トリニダードはスペイン語でキリスト教教義の三位一体を、トリニダード島にある三つの山になぞらえたもので、植民地支配国が変わって行ったトリニダードの歴史を読むことが出来る。

 話は変わるが、「ナポレオンが敗れてフランス占領軍がダルマチアから撤退したとき、オーストリアのフランツ皇帝は国中を回って、フランス人の完成し終えなかった大規模な海岸道路を視察した。彼はしばらく、じっと、目の前の石ころと土の山に終わっている立派な道の線を見つめてから、おつきの者に言った。もっと長くいてくれなくて残念だったな。」これはシュライバーの「道の文化史」の中の、すべての道はローマへ通ずと言う部分の書き出しである。

 敷石道について何か参考になるものを探していて見つけた、道とも関係する笑い話なので、ここに引いてみた。この本、まだ古典には早いが訳本が発行されて58年になる。私が読み終えなければならない本の常連の一冊である。

【投稿日 2021.10.19.】

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