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『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』**新しいお札の誕生から(斑猫独語 93)**≪2024年秋・冬季合併号 Vol.121≫

2025年03月01日 | 斑猫独語

新しいお札の誕生から(斑猫独語 93)

澤山輝彦

 新しいお札が発行されたのは7月3日だった。私は今日(10月2日)まで、一万円札の渋沢栄一さんと千円札の北里柴三郎さんには出会ったが、あとのお一人、津田梅子さんにはまだお目にかかれないでいる。

 お札になる紙があれば、新聞紙、画用紙、トイレットペーパー、ダンボールも紙だ。私が日本画に使う雲肌麻紙という紙もある。お札になる紙の特性とはどんなものだろう。『暮らし〈紙〉』という積読本を思い出し、その中の紙幣の章を読んだ。紙幣の歴史、紙の原料、印刷術など、思ったより長い44ページ。その中に、紙幣の形と美をつくる紙の条件として、紙の強靭さ、紙の硬さ、紙面の滑らかさ、外観の優美、印刷適正に優れる、偽造防止の趣向にとむ、とあった。財布に入ったと思ったら、もう出ていってしまっているお札だ。ぐるぐる回るものだから、強度が要求されるのは分かる。偽造防止策としては世界初の3Ⅾホログラムが使われている。

 さて、先の本による紙幣の歴史をみていると、藩札の説明が案外多く図版もあり、その中に尼崎藩の藩札の写真があり、松本清張の初期短編の傑作「西郷札」、このタイトルの元になった西郷札の写真もあった。新札に絡めて、この事をある会で話そうと温めていた。その間、アメリカの南北戦争話に関する記述のある本を読んだのだ。

 そこには私が今まで知らなかったことが書いてあった。南北戦争は1861年から1865年、エイブラハム・リンカーンの奴隷解放運動は我々がよく知っているところだ。だがリンカーンの本当の歴史的功績は、南北戦争で文民初の軍最高司令官になったことにあると言う。彼は軍事戦略家として優れており、総力戦という戦法を初めてとった。それまでは、雇兵対雇兵、軍人対軍人の戦いだったのが、リンカーンは南軍だったら女も子供も高齢者も容赦はしない。皆殺しにする、生産拠点もつぶす、そしてアトランタが壊滅する。南軍は伝統的な戦法をとるから、勝てるはずはない。南北戦争以来、この総力戦という戦法が世界に広まってしまう。

 この戦法を広める元になったリンカーンは恐ろしい人でもあるのだ。そして南北戦争のために作った武器が大量に余ってしまう。それを戦争のあるところに売りつける。その戦争の一つが1877年の西郷隆盛の西南の役(西南戦争)なのだ。西郷軍は負けるが、その理由の一つに、明治新政府が南北戦争で余った兵器を、大量に買い入れていたからです。歴史にもし(if)は禁物だが、この兵器の流入がなければ、日本はまた違った歴史をたどっていたかもしれないと考えられる。武器買い、売りつけかも、は現代にも通用する話なのだ。西郷札を作らねば金の調達が出来なかった西郷軍。新札にこだわって、西郷札の写真を見つけたことから、話はここまできた。

 現在進行形の戦争は総力戦であることは誰の目でもわかる。ベトナム戦争を子供時代に経験したベトナムの老人がこう言ったのを、最近のテレビでみました。「戦争は死と貧困と停滞しかもたらさない、戦争はしてはいけない」と。我々は世界に誇る憲法九条を持っている。今度の自民党の総裁選に立候補した人は、誰一人「憲法九条」を口にもしなかった。戦争で儲ける奴がいるのだから。奴らが敵愾心をあおるのだ。騙されてはならない。

【投稿日 2024.10.3.】

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『みちしるべ』**風船ふうせん(斑猫独語 92)**≪2024年夏季号 Vol.120≫

2024年09月13日 | 斑猫独語

風船ふうせん(斑猫独語 92)

澤山輝彦

 紙風船やゴム風船は子どもの遊びのための物だと思うのですが、この頃、風船で遊んでいる子供を見ることはありません。蠟引きの五色の紙を貼り合わせた紙風船には、それなりの情緒があって、今では室内装飾などによく使われているようです。お祭りなどで買ってもらった浮かぶゴム風船、手を放してしまい、飛んでいく風船を泣きなが見ている子供の姿を思い出します。ただ一つ、現代に堂々と生きている風船、阪神タイガースファンが甲子園球場で飛ばすロケット風船があります。これは独特な風景を生んだ風船として、風船史があれば、そこに跡を残すかもしれません。

 俳句では風船は春の季語になりますので、夏の風船はどう詠めばいいのかな、など考えていたら、朝鮮半島の南から北へ、北から南へ、およそ平和とは無関係の挑発的な風船の飛ばしあいが報道されました。まあ口喧嘩のようなもの、殺傷能力が無かったのがせめてもの救いだと思います。風船に殺傷能力を付ければ兵器になりますからね。今考えれば笑い話ですが、先の戦争で日本は風船に爆弾、焼夷弾をぶら下げアメリカに向けて飛ばす戦法を「ふ号作戦」と名付け実行したのです。

 敗色近い日本は東京、大阪など各地に激しい空襲を受けました。(この無差別爆撃に、今も空襲補償を求める人々がいるのです。)それでもまだ指導者たちは弱音をはかず、当時の金で二億円もつぎ込んで風船爆弾を懸命に開発、作り続けたのです。敗北近い国に軍需資材は欠乏しています。そんな所で風船爆弾つくるのです。もちろん普通の風船ではありません。太平洋上の高空をアメリカまで飛ばさねばなりません。強度が要求されます。手に入る資材として軽量で強い和紙、繊維も長く強いコウゾをすいた和紙を、幾層に糊で貼り重ねた。それを貼り合わせる糊は、蒟蒻(コンニャク)を粉にしたものを溶いたもの。蒟蒻糊は軽くて強く、湿気にも強く防水力も合成材料を負かすものでした。蒟蒻糊を貼りわせて気球を作るのに、女子学生、女店員などが動員されました。素手で蒟蒻糊をすくって貼り合わす作業が続けられ、体調不良になる女性も出たそうですが、弱音をはかず頑張らされたようです。

 秘密の作業ですから、親にも作業内容を話してはならないという厳しさ。憲兵の目が光っていたのです。こうして出来た直径10メートルもの風船に、時限投下装置付きの爆弾や焼夷弾がつるされ、福島県勿来、茨城県大塚、千葉県一宮の三か所から約9000発がアメリカに向けて放たれました。上空の気流に乗ってアメリカ近辺には約1割が到達したと言われますが、確認されたのは285個でした。この中にハイキングに来た子供が見つけて触り爆発し、大人1人と子供5人計6人が死んだ1件があります。日本の兵器によってアメリカ本国で殺された民間人として、悲しい記録として残されているそうです。戦争がいかに狂気の産物であるかの証明でもあります。

 戦争を放棄した憲法を持つ日本です。そんな憲法をないがしろにした政治がとりおこなわれています。過去の戦争と現在進行形の戦争をみれば、風船が飛んでくることは無いでしょうが、それにかわってミサイルが飛んできます。それを防ぐ技術より、憲法第九条の精神を生かさねばなりません。仮想敵国を作り疑心暗鬼の人々はそんなことより今日も裏金作りに励んでおられるのだろう。

【投稿日 2024.6.17.】

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『みちしるべ』**世の中は三日見ぬ間の……(斑猫独語91)**≪2024年春季号 Vol.119≫

2024年06月13日 | 斑猫独語

世の中は三日見ぬ間の……(斑猫独語91)

澤山輝彦

 現住所に引っ越して3年になる。この3年間で周辺には大きく変わったものがある。最寄りの駅のプラットフォームにほとんど接して10階建ての消防庁舎ができ、それまで見えていた風景が、ある部分みえなくなった。今、住んでいる団地の中でも古い低層棟や耐震補強のための棟の建て替えも始まっていたが、その幾棟かはこの夏には完成、入居が始まるはずだ。色々変わっていくのだ。

 つい最近、阪神電車を利用する機会があった。最寄り駅(初めに書いた駅だ)が阪急電車であることから、阪神間の移動は主に阪急電車を使うが、この用件を済ませるには阪神電車が便利だとわかったからだ。久しぶりに阪神電車に梅田駅始発から乗ることにうきうきした。そんな子供っぽいこと、と思われる方もおられるだろうが、些細なことに喜びを感じ精神を愉快に保つことが、長生きの秘訣であると私は思っている。

 さて、私が乗るのは各駅停車だ。電光案内板を見ると4番線からの発車だ。4番線ホームに行くと、4番ホームは従来の部分と板張りされ拡張されたスペースとで広くなっている。もとはレールがあって電車が入っていたところを板で覆ってしまったのだ。線路を減らすやりくりをしてプラットフォームを広げたことは、混雑を緩和し乗客へのサービスを図ったのだろう。

 プロ野球セリーグ戦が始まれば阪神タイガースフアンは阪神電車で大移動するのだから。たまに阪神電車に乗りに来た私が気付いた変化である。記憶にある場所の様子が少し間をおけば、このように変化していることに驚くことがある。それは建物が建った、消えたという大きなものに限らず、小さな商店がなくなったり、別の店に変わっていたりすることなどでも同じことだ。高齢のため閉店しますとか何とか理由の張り紙で予告があっての閉店ならまだしも、突然無くなる店舗の異様さを見たことがある。こんな極端な場合、一寸怪しい商売と見たが。無くなるも、増えるも驚きの種になる。

 目に見える物ばかりが変わっていくのではない。人体細胞など日々の変化を遂げているのだ。小腸細胞は平均1日で入れ替わる。胃の粘膜は約3日、肌は10代で約20日、20代は約28日、30代は約40日、40代は約55日、50代は約75日、60代は約100日、70代や80代は記載無し。詳しい学術文献などにあたればわかるのだろうが、もうこの年では肌細胞の入れ替わりは、ほとんど無いとあきらめた方が賢明なのではないか。血液の中の有形成分である赤血球は骨髄で作られているが1秒で約200万個作られているそうだ。即席ラーメン1杯3分間待つ間に3億6000万個作られる勘定になる。一つの赤血球は100~120日で命を終える。脳細胞も一生そのままであるはずがないと思う。変化しているはずだ。でも夢に見る昔の事、あれらの記憶は変わることなく貯蔵・記憶されている。脳は不思議だ。ゆっくりと理解したい。コンピュータを電脳という中国語が面白い。

 色々変わっていくこと、面白いことも悲しいこともあるだろうが、そうして世は進んでいく。いつまでも変わらず世に逆行しているのは今の自民党である。私たちが世の中を変えねばならない。無関心でいてはならない。変化を私達の手で引き寄せあっと驚きたいものだ。

【投稿日 2024.3.11.】

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『みちしるべ』**あの人のあの一言の思い出(斑猫独語 90)**≪2023.冬季号 Vol.118≫

2024年02月23日 | 斑猫独語

あの人のあの一言の思い出(斑猫独語 90)

澤山輝彦

 あの時あの人から聞いた言葉、教えてもらったことなどで強く心に残っている、そんなもの、皆さんそれぞれお持ちではないでしょうか。私に起こったそんな事、二つを書いてみます。

 新聞社には「デスク」という職務があります。取材の指揮をしたり、記者が書いた原稿のチェックをしたりします。「九条の会・川西」の発起人の一人として参加した私と、そこで出会ったU氏が某紙の元デスクであったのです。元デスクだけあって、機関誌の編集をされましたが、さすがは元デスク氏です。書いた原稿のチェックはもちろん、苦労して頼んで書いてもらった原稿をボツにされてしまったこともあり、私は何度か“むっ”としたことがありました。

 そんな元デスク氏も亡くなられましたが、今、地政学という言葉を新聞などで見ると、これは彼から教えられた言葉である事を思い出さずにはおれないのです。どういう経過でこのことが話題になったのかは忘れましたが、「地政学という学問はよくないんだ」と言われたことをしっかり覚えているのです。

 そんな地政学と言う言葉を最近よく目にするようになりました。ロシア、ウクライナの間、パレスチナとイスラエル、一路一帯構想などに絡む話題の中でのことです。今朝(2023/10/28)の朝刊紙の書評の一つの見出しに“地政学的都市論としての日本通史”とあるのが目につきました。地政学について今頃になってブリタニカ国際大百科事典で調べたところ、「20世紀初めに現れた国家学の一形態」「ナチス・ドイツの侵略政策を正当化する為の御用学問として利用された」「大戦後、多くの学者によって、科学的用語としては不適当とされたが、アメリカの政治学者の間に地政学の影響が残っている」こんな解説がありました。

 これを見るとU氏はこれらのことを私に教えてくれていたのだったと思います。もう一つは私が中学生の頃(昭和29年だったと思う)、理科の先生が正月に家へ遊びにくればいいと言われたので、仲の良かった渡辺君と先生宅を訪ねたのでした。子供だから酒が出るわけではなし、お菓子とお茶をかしこまっていただき、各地の風景写真などを見せていただいたのを覚えています。

 その時、先生が話の中で、これからは鉄に代わってチタンと言う金属の時代が来る、といわれたのが強く記憶に残っています。今、チタンを考えると、チタンにもメリット、デメリットがあるようですが、宇宙器機や兵器などには非常に重要な資源であるのは間違いないようです。私は二十歳過ぎに日本画を始めました。日本画の白色絵具として胡粉があります。その胡粉の一種にチタン胡粉というのがあり、ふんわりした柔らかさのある白色ではなく、きりっとした純白という感じ(私感です)の白を出してくれます。これはチタン鉱石から取った酸化チタンで、白色顔料として使われている物の日本画絵具への適用版、それがチタン胡粉なのです。これを使う時、あの理科の先生の言葉を思い出します。

 私にとっての思い出の一言、何故かタ行のチで始まる二言でした。皆さんそれぞれこんな事の一言や二言はお持ちのことでしょう。一寸立ち止まって自分史の1頁を振り返ってみられたらいかがでしょうか。

【投稿日 2023.11.7.】

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『みちしるべ』**「雑」のいろいろ 斑猫独語(89) **≪2023.秋季号 Vol.117≫

2023年11月17日 | 斑猫独語

「雑」のいろいろ 斑猫独語(89) 

澤山輝彦

 植物など全く無関心だという人を除けば、彼岸花(曼珠沙華とも呼ばれる)を知らない人は無いだろう。名前のとおり秋の彼岸ころには必ず咲き、群がり咲く姿は、この時期の新聞やテレビに秋の風物詩として、必ず紹介されるのをご存知だろう。私が住むUR団地にも何箇所か数本だが彼岸花の咲く所があり、毎年楽しみにしているが、今年それを見ることは出来るだろうか、つい最近除草作業があったからだ。

 UR団地では、全ての芝生、樹木などの植栽はURの管理下にあり、その管理下に無い植物は原則的には雑草、雑木であり、年に二度か三度除草、剪定作業の対象になる。個人の土地ではないのだから、この作業、管理者の仕事として当然であり、勝手に生えた(過去に誰かが植えたのかもしれないが)彼岸花も雑草にすぎないから刈られる。でも除草当日、まだ花をつける茎は出ていなかったようだから、彼岸の頃には花を見ることができるかもしれない。

 このような管理下にあるとは言え、居住棟の周辺わずかな部分に小さな花や小木を植えることぐらいは、目をつむってくれているようだし、自治会等との話し合いで小さな花壇は許可されているようだ。そんな所では除草作業の通知があると、刈られないようにテープなどで目印をすれば、そこは残してくれる。私の部屋の窓の下にあった三本のオシロイバナは、結構大きな株になっていて花も咲いていたので刈られないだろうと思っていたが、刈らないでほしいとの目印もしていなかったので刈られてしまった。仕方がないが一寸寂しい。

 NHKの朝ドラで牧野富太郎への注目が高まった。その牧野先生の言葉「雑草と言う草は無い」はよく知られている。この言葉「世の中に雑草と言う草は無い。どんな草にだってちゃんと名前がついている」と言ったのが元になっている。そして、もう一人あのお方の口から、この言葉が出たものだから世に知れ渡る言葉になったのだ。とは言え雑草とはもう誰もが使う日本語の一つになっているし、植物学か農学の用語として、雑草学という用例もある。ここまでくれば、「雑草と言う草は無い」といちいちの発言に対して言っていると、それはもうお笑い、ギャグだ。

 草木に雑草、雑木と言う言い方があれば、虫にはどうか、雑虫と言う言葉はない。人にとって益なら益虫、害あれば害虫と言う。魚はどうか、雑魚(ざこ)と言う言葉がある。いろいろな種類の小魚をそう呼ぶのだ。日本国語大辞典には雑魚の説明第二例に、地位の低い者、つまらない者をたとえていうとある。これは、並ではない者を自称他称で大物と呼ぶ時、相手を見下した言葉である。いい言葉ではない。鳥にも雑鳥はない。益鳥と害鳥か、あまり害鳥は使わないな。食い物でも穀物には米麦以外を雑穀と呼ぶ。世話にならなくてはならない食い物にも雑を付けているのだ。でも雑煮はどうだろう。これはもう言い変えの出来ない言葉になってしまっている。雑炊もあるが、これは“おじや”とも言う。私など雑炊より“おじや”と言う言葉のなかで育ったのだ。草木魚鳥食い物の他にも雑の付くものはいっぱいある。

 雑貨と呼ばれる物器具などは別にして、生命あるものとして生まれてきたものに何の罪もないのに、人の利益、エゴによって「雑」をつけたのだ。こういう「雑」上手く付き合う、ここが大事、そこに人間の知恵があるのだ。

【投稿日 2023.9.14.】

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『みちしるべ』**6月例会から(斑猫独語 88)**≪2023.夏季号 Vol.116≫

2023年08月27日 | 斑猫独語

6月例会から(斑猫独語 88)

澤山輝彦

 阪神タイガース二軍球場の鳴尾からの移転先として、反対の声もある大物駅南側の工事現場と、大物周辺を6月例会として見てきました。

 この工事現場は元、緑の多い公園で、そこをつぶすのは許せん。というのが反対する理由なのですが、私はこの公園を見たことがないので、そこのところを具体的に指摘することはできません。が、東京の神宮外苑にも似たようなことがおきており、こちらは全国区的に、そのやり方に批判が上がっています。地方区尼崎でも、同じように反対されるのは当然のことだと思いますし、私たちの例会の場とした理由になります。

 みどりの日という国民の祝日を定め、「自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」とまで言いながら、どうも緑を破壊することには、さほど気にならないような事例が各地に多すぎるのが、この国の現状でしょう。原状回復と言う言葉で開発を進めることがありますが、原状回復を100%期待するのは難しいとおもいますし、そのためには時間がかかることも、知っておくべきでしょう。

 マイナンバー法を強行し、健康保険証を廃止するなど、平気でやる連中は「自然に親しみ、豊かな心をはぐくむ」ことが出来ない全く非人間的な心の持ち主で、こんな連中にいつまでも政治を任せておいてはいけません。参政権を大事に使う、ああいう連中を落として行かねばなりません。

 さて、工事現場へ戻れば、現場には囲いがはりめぐらされ、中は見えません。工事車両が出入りする門から中をうかがうのですが、整理のおじさんに注意され、ゆっくり見ることもできません。私は大物駅まで阪神電車本線で来たので、大物駅手前から車窓下に、この現場を見ることができました。大掛かりな地盤沈下を防ぐ基礎工事が行われているようでした。

 暑い日陰の少ない現場を切り上げ、周辺の古戦場であったか、なにかを見て、屋根のある建物、尼崎歴史博物館に到着、見学しました。元は中学校だったという建物が歴史博物館として使われているのです。

 ここで「みちしるべ」既報の、川西市の旧黒川小学校のことを思い出しました。規模、建築様式も違いますから、簡単に比較は出来ませんが、開発のために取り壊す、この短絡的な考えは馬鹿でも出来ます。残そう、何とかならないか、こう考えるのが普通でしょう。そこに知恵をはたらかさねばならないのです。

 歴史博物館の展示ですが、尼崎を総合的に理解して行くにはよく出来ており、じっくり観ていくといいと思いました。歴史教育に私が感じるのは、日本史は近現代史からはじめ、そこを徹底的に頭に入れる。ここが欠けていることがいつまでも「自然に親しみ、豊かな心をはぐくむ」ことの出来ない連中に、思いどおりの政治をやらせ続けることになる一因だと思うのです。

 この辺りは世界史でも同じように思います。ロシアのウクライナ侵攻は非難されて当然でしょう。だが、イスラエルのパレスチナ占領に対してはどうでしょう。ウクライナを支援するならパレスチナも支援しなければならないのでは。このあたりにも世界史としての近現代史、国際情勢の正しい判断ができる教育が必要になるとおもいます。

 そんなことを無視した政治家たちは、G7などとええかっこをしているつもりでも、諸外国から半分馬鹿にされているところがあるなど、気が付かないのです。縄文や弥生時代のことは後回しにしたって構わない、そんな気がします。

【投稿日 2023.7.7.】

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『みちしるべ』**けものみち(斑猫独語 87)**≪2023.春季号 Vol.115≫

2023年05月25日 | 斑猫独語

けものみち(斑猫独語 87)

澤山輝彦

 図書館で[狩猟用語事典]という本を見つけた。さすが狩猟辞典だ。鳥や獣の名を引くと、一般的な分布、形状、特徴などの解説に加えて〈食肉として〉〈捕獲〉という狩猟用語事典独特の項目が興味をひいた。

 例えばカラスを例にとってハシブトガラスをひけば〈食肉として〉には、「ジビエでは植物食の強いハシボソガラスが好まれることが多いが、本種も肉の質は似ている。詳細はハシボソガラスの項参照」とあり、ハシボソガラスを見ると〈食肉として〉「筋肉質で硬くレバーのような味だが、ミンチ状にすると食べやすい。かつて信州の上田地域では、ミンチ肉を棒状にして焼いた[ろうそく焼き(カラス田楽)]が食された」とある。

 どんな鳥類図鑑にもカラス肉の料理法まで書いてあるものはないだろう。それで、このことが道路と何の関係があるんだと思われそうだが、ここからその関係ありの説明を始める。実はキツネ、タヌキについて調べたいことがあり、上記事典でキツネ、タヌキの項目を読むためこの事典を借り出した。狩猟など全く縁のない私には、この狩猟用語事典は面白く、興味をそそられたものであった。

 そしてこの事典の中に、けもの道という項目があったのだ。【けもの道】「シカやイノシシなど地面を歩く動物の通行により踏みならされてできた自然の道。その部分の土が崩れて道のようになっていたり、枝が折れてトンネルのようになっているため一般的に[けもの道]とよばれる。ただし、狩猟者の間でそのように呼ばれることは少なく、単に[道]や[筋]のほか、[かよい][ノテ][うつ][うじ][とおり][とお]など地域や年代、所属するグループなどによってさまざまな言い方がある。

 頻繫に使われている道については[高速道路][国道]など、地域によって呼び方は異なる。この高速道路や国道と言う言葉を道路問題と関係づけてみたのである。ここでの「高速道路」「国道」は仲間同士で使われて仲間同士を確かめ合う、仲間以外には通じない言葉、隠語のような使われ方をしているなと私は思った。国道沿いにはイノシシのヌタバ・道の駅があり、シカも高速道路のどこかに休憩所・サービスエリアを持っているのだろう、こんな他愛のない事を考えた。

 ホモサピエンスが日常行動の中から自然に作ってしまった道、これはホモサピエンスという動物の作ったけもの道ではないかと私は思っている。けもの道とは言わず踏み跡と言うのが普通だろうが。道の始まりはここにあったのだ。現代でもホモサピエンスは二点をむすぶ最短距離を目視で確認し、それを結ぶことが出来れば踏みこむ。それがほんの数メートルの短縮でも立派に踏み跡は道になってしまう。私の住むニュータウン・団地でも所々にそれを見ることが出来る。都市設計に携わる者は、このことに気が付かねばならないと私は日頃思いながら、そんなふみ跡があれば、必ず踏んで行く。踏む、と、道という言葉があるだけのことだが、折口信夫の有名な歌の一つを紹介する。

葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり
(句読点は折口信夫のつけたものである)

 

【投稿日 2023.4.19.】

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『みちしるべ』**「人道橋」とは(斑猫独語 86)**≪2022.秋季・冬季合併号 Vol.114≫

2023年03月31日 | 斑猫独語

「人道橋」とは(斑猫独語 86)

澤山輝彦

 10月初めの四天王寺大古本祭で「人道橋の景観設計」(関西道路研究会 道路橋調査研究委員会編 鹿島出版会 1991)というのを買った。「人道橋」という語句は初めてだが大体の見当は付く。一応、橋とはどのように説明されているか日本大百科全書(ニッポニカ)を見ると「bridge 道路、鉄道、水路、パイプラインなどが河川、湖沼、海峡、凹地や他の交通路などの上を乗り越えるために建設される各種の構造物の総称。橋梁ともいう」とある。鉄道橋や道路橋はあちこちに大小数々あり私たちが「橋」といえばほとんどこれらを思い浮かべるだろう。武庫大橋と東灘芦屋大橋は私達の例会で検証している。紀の川に掛かった水道橋が落ちたのは去年のことか。10月に入ってクリミア大橋の爆破は大ニュースだった。

 さて、あちこちの横断歩道橋、橋がついているし人しか渡れないからこれは人道橋なのか、私には横断歩道橋は立体的横断歩道に過ぎないとしか思えないのだが、この本によれば「人と自転車のみが通行する歩行者系道路にかけられた橋梁建造物」と定義しているから横断歩道橋も駅に付随する歩道デッキも広い意味で人道橋に入れるとしている。人道橋とは自転車はともかく車は通れない人のための橋なのだ。千里丘陵を開発して生まれた団地には道路を越える橋が何箇所もある。私が利用する駅への道には「竹見橋」という名の人道橋が府道121号吹田箕面線をまたいでいる。すこし離れて「にれの木橋」という人道橋もある。つい最近久しぶりに大阪中之島近くを訪ねる用があり、ついでにあたりを歩いた。その時渡った錦橋という橋、両側に階段があり橋上には花壇とベンチがある。これは「人道橋」だ、と思ったらこの本の資料27に写真入りで載っている(本をちゃんと読むというより見てもいない証拠だ)。

 道路を越え、川を渡る橋の機能をそなえた橋を「人道橋」と呼ぶためには、単なる橋の機能だけではなく、人を集め憩いの場を提供する、景観を創造する、サインあるいはモニュメントとして人に訴えかける、と言うような要素が必要になる。この様な観点から昭和50年ごろから今までの橋の分野に無かった建築家の発想から設計されたものが出来たりして人道橋に新しい衝撃や、強い印象を与えたといわれる。

 そこを考えると先の中之島の錦橋は昭和6年の竣工だ。現代風な人道橋の発想があったとは考えにくい。この橋の架橋目的は可動堰(水門)として造られたのであり、すぐ下流に肥後橋もあるのでその目的だけをはたしていてもよかったのだ。そう言えば堂島川にかかる水晶橋も同じ架橋目的を持ったもので、今では人道橋として大阪観光に寄与している。この両橋を人道橋に使わせた大阪市の判断は良かった。

 要するに人道橋とは、かっこを付けた歩道橋である。先に書いた私の利用する「竹見橋」には何のかっこもついていないが。この本に人道橋資料として53の橋が記載されていて、そのうち16が大阪、兵庫にある。

【投稿日 2022.10.26.】

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『みちしるべ』**斑猫独語(85)**≪2022.夏季号 Vol.113≫

2022年08月25日 | 斑猫独語

斑猫独語(85)

澤山輝彦

 『つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ』 徒然草の始まりです。国語の時間に習った古典の一つですが、古典の時間は入試対策もあったのでしょうが、品詞分解などにこだわりすぎて面白くなかったのです。でも最近では現代語訳と称する物が色々出ており、年も取り古典への認識も変わりました。

 そんな私に助っ人になる本が出たのです。『野の古典』安田登著 紀伊国屋書店 2021  397p  1800円です。この本の帯に、俵万智が「古典は骨董品ではなく、日常使いの器なのだ。使ってナンボ。その使い方、楽しみ方、味わいかたが、本書にはたっぷり盛られている。安田節というユーモアとエロスのダシを効かせて」と書いています。その通りあちこちダシの効いたところがあり、面白く読みました。以下私のつれづれなるままに書いた物でございます。

 NHKTVの新日本紀行でしたか、日時もタイトルも忘れてしまいましたが、近江を紀行する番組を視たのです。近江と言えば近江商人の商魂の逞しさが語られますが、その一つとして次のようなものがありました。

 幕末文明開化の横浜、東京では牛を食うこと、牛鍋、すき焼きが時代の先端を行く食だったのですね。そこに目を付けた近江商人は東京へ生きた牛を運んだのです。まだ鉄道東海道線も出来ていない時代です。東海道を20~30頭の牛を二三人で14日ほどかけて移動させたそうで、鈴鹿峠や箱根峠をこえての道中です。箱根峠は主要な街道だったので人々の通行も多かったから、それらを狙った山賊、追い剝ぎが出た。そこで箱根越えには、侠客清水次郎長が子分を護衛につけてくれたそうです。こんな所で清水次郎長の名が出てきたのは意外でした。

 この牛を追った移動からアメリカTV西部劇映画、「ローハイド」を思い出しました。こちらはアメリカ西部を数千頭の牛を市場のある街まで運ぶカーボウイの一隊の道中話で、若い頃もう半世紀より前のことになりますが毎週視た番組でした。主題歌や俳優のことなど覚えています。近江牛を東京へ陸路移動させたという規模こそ小さいが、これは和製ローハイドだと思いました。横浜や東京へ運んだ牛は近江商人の才覚で牛鍋屋として人気を集め儲けの種になったと言います。

 東海道線が開通すると、牛達は貨車に積まれて送られます。その時の写真がありました。鉄道が輸送の主力になって行くのです。牛馬などを積む貨車には家畜のカという記がつけられました。私にも家畜車・カを見た微かな記憶があります。貨物輸送の全盛を受け持っていた鉄道の時代を懐かしがってばかりいたのでは進歩がありませんが、今のコンテナ列車には無い面白さが、当時の貨物列車にはありました。かっこをつけて言えば詩情があったのです。

 鉄道からトラック輸送にとってかわり、自動車交通量の増加に伴い道路網の整備、発達から私たちの問題とする道路問題も発生し、阪神間道路問題ネットワークが組織されたのです。名神湾岸連絡線が極最近の私達の問題としてあがっています。

 古典から学ぶのはそこから現代のありかたを考え、良い所はとることだと思います。単なる懐古趣味では時間の無駄だと思います。とってつけたような終わりですね。

【投稿日 2022.7.30.】

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『みちしるべ』**キエフにこだわる(斑猫独語 84)**≪2022.春季号 Vol/112≫

2022年07月18日 | 斑猫独語

キエフにこだわる(斑猫独語 84)

澤山輝彦

 ロシアのウクライナ侵攻はもっての外であることは言うまでもない。だが、「盗人にも三分の理」と言うことわざがあれば、凶悪犯にも弁護士がつくのである。ウクライナの後ろ盾になっているアメリカとロシアの関係には、私たちが日常得ている情報だけではわからない事情が数々あったはずだ。俗な言葉で言えば、過去に受けた仕打ちに対する恨みつらみが噴き出した、そしてアメリカとの代理戦争とも言える場になったのがウクライナなのだといえるのではないか。

 東西の冷戦時代にソビエト連邦に対抗するため出来たのが、西側の軍事同盟NATOだ。ソビエト連邦崩壊後、東側はバラバラになってしまった。ロシアも何とか西欧と付き合ってきた。そこへウクライナをNATOに入れてロシアと対抗させる最前線にするというのは、アメリカの国際政治における力学の発露であるとみるのは誤りではない。

 ロシアにとっては横腹にドスを突きつけられたようなものだ。変なたとえかもしれないが民主主義国の日本でも、暴力団の事務所は簡単に開設出来ないのである。と言って今回のロシアのウクライナ侵攻を弁護するものではない。その結果ロシアは西側から制裁をうける。アメリカ中心になって執ってきた「制裁」という手段、それは国際政治の上での罰なのだろうが、これまでの幾つかの「制裁」をみれば、私には「いじめだ」とみえるのだ。

 アメリカと政治制度が違うだけで制裁をうけたキューバはどうだ。キューバ国民はそれに堂々と耐えたから、大したもんだが。中南米でアメリカの気に食わない国には制裁どころか政権を転覆させたこともある。こんなことが平然と行われている。アメリカは自からの権益をこうして堂々と守るのである。我々が目に耳にするマスコミはこのあたりの肝心な所を報道していない。時々、コラム欄や読者の投書などで、お茶を濁してはいるが。

 マスコミがウクライナの首都キエフを、一晩でキーウとしたこともその唐突なやりかたに私は違和感を持った。「キーウ」と付けているが、単なるウクライナへの肩入れにすぎないと思う。キエフと言う呼び名には歴史的に重いものがある。ロシア憎し、というだけで、ウクライナ人でもない私たちがこう簡単に言葉を変えてしまうのは変なのだ。やりたければ歴史、言語などを詳しく説明してからでも決して遅くはないのだ。

 これを機会に現地語での発音と異なった国々の日本語表記を、順次現地語表記に切り替えるといい。一晩で「キエフ」→「キーウ」とやったマスコミには出来るのだから。ついでに一寸飛躍するかもしれないが、日本は日本であるはずだが、なぜかジャパンが国際的な呼称になっている。何処に恨みもないのだからそれでいいといえばそれまでだが、ジャパンは日本人が付けた名ではない。堂々と日本と呼ばせればいいのではないだろうか。日本の旅券の表紙は、「日本国」旅券と漢字で、JAPAN PASSPORTと英字で表記されている。NIPPONでは通じないのかな。

 急に国粋主義者になってしまったが、これは無理かな。私はジャパンからでたJRと言う呼称にいまだになじめない。駅名の「じぇいあーる何々」とある平仮名表記は見る度に嫌悪感を催している。

【投稿日 2022.4.8.】

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