『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』横断車道(54)**<2009.1.Vol.55>

2009年01月06日 | 横断車道

2009年の新春に当たり、今年を展望してみたい。我等が阪神間道路問題ネットワークとしては、道路行政が如何になるかが興味のあるところだ。戦後、一貫して自動車交通量は伸び続けてきたが、2008年度は減少に転じたことが明らかになった。既に自動車の保有台数は減少に転じていたのである。今後、自動車交通量は一貫して、減少傾向になることを、国土交通省も認めなければならなくなった▼日本の戦前は、鉄道主体の交通政策がとられていたが、戦後、GHQ主導で自動車交通主体に強引に転換させられた。歩行者対応型の日本の道路に、強引に自動車が導入されて、混乱が生じ今日にも続く社会問題になっている▼アメリカの貿易赤字解消策になると、大いなる錯覚があった為に、日米構造協議の場で日本の公共事業は、極端に膨大化させられることになる。また、大平内閣以後は国政の調整機能は消失し、「公共事業の7割は建設省(現、国土交通省の一部)所管、その内の4割は道路事業。公共事業の28%は道路事業。」と現在に至るも固定化されている。このような要素で、道路行政は肥大化を続けたのである▼高速道路計画は14000kmを造ると、目標を維持したままである。ところが、首都高速や阪神高速の『地方高規格道路』は、小泉内閣で2000kmから6000kmに計画が膨らみ、現在は7000kmに延長されている。首都高速新宿線に見られるように、1mにつき1億円もかかる、ベラボウな道路なのである。世間では全く知られていない、重大な事実だ▼かつて公共事業は経済活性化の旗頭であった。しかし、今日のゼネコンは不良債権の塊である。下請けには利益の出る仕事は回せない。ゼネコンの収益も100%、銀行に回収されてしまう。国民の税金投入で、銀行の不良債権は既に処理済であり、銀行にとってゼネコンからの回収は純利益となる。今日の公共事業は銀行だけが儲けるだけで、社会に還流する率が非常に少ない。つまり、経済効果は最低であり、経済活性化は期待できない▼国家財政の収縮で道路事業費も減少している。しかし、高速道路建設の縮小を防ぐ意図で、生活道路への配分は極端に減少している。自動車交通量が益々減少し、大型道路が不要になっているにもかかわらず。また、経済効果も期待できないにもかかわらず、道路行政の方向は変えられないのが日本の政治の現実▼道路公害に反対する住民運動は、70年代から経済的側面からも、道路行政の問題点を指摘し続けた。環境問題の改善や無駄な公共事業の抑制には、多少なりとも社会貢献をしてきたことに誇りを持っている▼この情勢になっても、脳梗塞状態にある道路行政は、自ら自浄する能力をも失っているのである。我々が止めを刺さなければ、事態の改善は期待できないというのが結論である。最後の頑張り時である。 (コラムX)

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『みちしるべ』斑猫独語(35)**<2009.1. Vol.55>

2009年01月06日 | 斑猫独語

澤山輝彦

<牛車はきしる>

 えー、新年おめでとうございます。暦というものが発明されるまで人類はただ延々と日々を送っていたのでしょうか。暦ができたことで、人類は個々の命を、流れる時間の中に印づけることが出来るようになりましたし、他の諸々の現象をも記録し共通の時間的確認をすることが出来たのではないか、なんて考えているのでございます。今、西暦が世界のものになっておりますが、それは地球も狭くなってきまして、色んな国と国が約束事をする、外国と取引をする、そんな上で共通の日付が必要になってきた、そこで「西暦を使おうではないか」となったのでして、各々の民族は独自の暦を持っている、今もそれを使っているところがあるのでございます。とかなんとか言っても兎に角、2009年、平成21年、己丑(つちのとうし)年なのでありまして、年頭には今年の干支(えと)の動物、“牛”を描いたり、牛の話を持ち出して年の初めを言祝ぐのが、私達のまあ習慣と言えば習慣と言えるものになっているのでございますから、私も牛の話をしょうと思いまして、それを無理矢理道路問題と関係付けて牛車(ぎっしゃ)の話を持ち出したのでございます。

 昨年2008年は「源氏物語」が文献に現れて千年目の記念の年ということで、あちこちで源氏物語に関する催しがおこなわれ、一般にも注目を浴びたのでございました。日ごろ源氏物語なんて全く無関係に過ごしている私でも、自宅から歩いて10分の所にある大阪青山歴史文学博物館で「源氏物語――千年の雅――」てな催し物が開かれると、そこは私も人の子、見ようかな見んでもええかなあ、と迷っていたところ、友人から招待券をもらいましたので出掛けた次第でございます。

 「源氏物語――千年の雅――」展は、源氏物語の絵巻物、源氏物語の情景を模様に付けた器具や道具、源氏物語を書いた“書”等が展示された全く渋い渋い展観でありましたが、絵巻や器具道具に牛車がかかれてあるのが目につきました。絵巻物には車を牽く牛まで描いたものは二つだけ、他は牛なし、器具や道具には牛なしの車だけ、図案的には牛はいらないのであり、動力源ではあってもやはり牛は軽んじられていたのでしょう。

 牛車は平安時代の貴族の乗り物であり、地位の象徴、ステータスシンボルだったのです。とは言え、貴族の中にも格の違いがあり、車の飾り部分などに階級的に色々取り決めがあったようで、勝手気ままに装飾をほどこす、という訳にはいかなかったようで、御者を始め周囲に付く人の数なども決まりがあったようでございます。エンジンや緩衝装置で差をつけるというわけには行かない時代でしたから、外装、内装で差をつけ、それを誇ったにちがいあっません。

 牛車の乗り心地なんて悪かったにちがいない、もちろんスピードはでなかったでしょう。牛車のスピードは八重山諸島の竹富島で乗った水牛の牽く観光水牛車、あれのスピードが近いのではないかと思っております。あの車を牽く水牛は行くべき道を覚えていて、手綱を意識せずゆったりと車を牽いておりました。御者は十字路や自動車との対向の時以外、三線をひいて民謡を歌っていた、いとのどかなものだったのでございます。京都の時代祭には牛車も行列の中にあるにちがいない、今まで気にしたことはなかったのですが、今年は丑年、こんな事を書いたのだからぜひ見たいものだという気になっております。

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 さて、現代アメリカの場合、ステータスシンボルは自家用ジェット機なのでございまして、それは広い広い国でございますから、移動に時間がかかることは理解できますが、ジェット機ときては、やはり維持管理にはたいへんな金がかかる、だからこそそれを持つことがステータスシンボルとなるのでしょうが、そんな自家用ジェット機で飛び回っていた米国自動車産業のビッグスリーといわれる巨大会社のトップ連中も、不況には勝てず政府に融資を泣きついたのでございます。ところが泣きつきに行くのに自家用ジェット機で行ったものですから、政府の関係者もむっと来た、金を貸してくれと言うのならもう一寸貧乏たらしくして来い、と言ったかどうかわかりませんが、まあ第一回目はうまくいかなかった、それで次回はもう自家用ジェット機は“捨てーたす”と自動車で行ったそうで、これが言いたかったから普段外来語使用には気を配る私ですが、ステータスシンボルなんて、使ってみたのでこざいまして、融資の結果などは新聞報道なりでご確認いただいている通りでこざいます。

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 それにしましても、金を集め持った者が勝手気ままにそれを運用し、その結果世の中ががたぴしする、となれば勝手気ままな運用を何らかの手段でもって、規制するなりしないと、こんな事の繰り返しが続いてはたまらない。派遣労働者なんて言葉が日常語になり、労働者の労力は安く買いたたかれ、あげくの果てはクビだ、なんてひどいことが行われるのです。ここをチャンスと公共事業による救済などと言って道路つくりの促進を言い出すかもしれません。何が原因か、どこが間違っていたのか、そう言うところをしっかっ見極めることが大事で、安易な道作りは決して許してはなりません。

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『みちしるべ』「反貧困」――すべり台社会からの脱出――**<2009.1. Vol.55>

2009年01月04日 | 藤井新造

『反貧困』――すべり台社会からの脱出――
(湯浅誠著 岩波新書)を読み考えさせられたこと

芦屋市 藤井新造

 時々私は人にすすめられて本を読む。最近では標題の本を読み教えられることが多かった。そのなかでも、生活保護受給の件であるが、どうしても今思い出し反省していることがある。

 私は69年から99年まで、医療生協で勤務していたが、当初ケースワーカーの類の仕事をしていて、組合員、患者さんから日常生活上のことで色んな相談を受けていた。

 そのなかで、患者さんが生活保護の申請の際、本人ともども行政の窓口担当者の所に行き、支給さすことも仕事の一つになった。

 職場の近くに尼崎での唯一の母子寮があり、20世帯前後の家族が入居していたと思う。ここに入居している母子家庭は色んな事情があり、急に引っ越してくる人が多かった。そして殆ど生活保護を受けていた。又、受給できないと生活できない人たちであった。そこで行政の方は生活保護費を打ち切るために、仕事に就くようにそれとなく催促する。それでも長期の受給者になると、執拗な催促の言葉がけからかなり強制的な言い方に変わり、その言動により受給者は屈辱的な精神的苦痛を受けることが多い。何故なら行政職の人間は受給者の気持、生活実態に思いをはせる人間は少ないからである。それと受給者に仕事に就くように催促する大きい目的は、尼崎市費支出の分担金、当時の支給額の四分の一を削ることにあったと思う。(又、国の方針もそうであるが)

 ある時こんなことがあった。母子寮に入居しているAさん(生保受給者)が何か用事があり、(多分本人の就職の件であったと記憶する)堺市の親戚の家を訪ねて行った。この件で市の職員が本当に親戚へ来たのかどうか堺市までわざわざ確かめに行ったという。本人がら私に役所から私生活を絶えず監視されているようで怖くなりどうしたものかと相談があった。

 さっそく本人と一緒に支所に行き担当者とその上司(課長)と談判した。行政の職員がそこまで私生活を調査しチェックしていいのか。又、その目的を聞くためであった。支所の課長はなかなか返答せず、最後に「実は近所からたびたび投書と電話が入るのです」と申し訳なさそうに言った。そして、それとなく職員の落度があることを認めた。しかし、担当者から納得できる説明は聞けなかった。担当者が下肢麻痺障害者であったので、私はそれ以上追求する気持がなえて、今後はこういうことがないよう言い放ち注意して終わった。と言うのは、その頃私は《障害児を普通学級へ》のスローガンのもと、障害者(児)運動にかかわっていて、担当者(障害者)に強く文句を言うのをためらった。何故なら担当者の障害者が、社会的ハンディキャップを持ちながら仕事をしている彼の立場(上司との関係)を考えながら交渉していたからである。従って私は当事者(生保受給者)の意見も十分聞かずに事態を終息さしてしまった。結果として私は彼女の意見を充分斟酌せず無意識のなかで代行したことになったのを、だいぶ後になって気づいた。

 このことは双方(生保受給者と障害者)に対して人間的対等の関係を維持することなく、逆に双方を弱者扱いする差別的態度をとる側にいたのでないかと反省している。

 それにしても40年前の話だが、今も誰かがつきそって行政の担当者とかけあえば生活保護受給が可能になることが多い(生活できない条件があるから受給申請するのだから当然支給されるのがあたりまえであるが)のをこの本でもあらためてわかった。

 この世界(福祉行政)は、あの時代の行政の姿勢よりもっと悪くなり、福祉担当者の職員が「生保受給者」の切り捨てが主な仕事とは、世の中本末転倒の具体例の見本だろう。尚、蛇足であるが、生活保護以下の給料で働いている人が多いとか、色々とこの基準金額が社会的な問題になったり話題になる場合があるが、あまりこの言葉は安易に乱用しない方がいいと思う。

 政府は、この金額を少しでも削ろうとしている。又、現に削りつつある。私が仕事をしていた時に、病院には医師の診断書があればわずかではあったが栄養加給金が支給された。みての通り、この金は栄養をとり早く身体がよくなってください、との加給金であるが、母子寮ではなかなかおおっぴらに使えない。と言うのは、母子寮は共同炊事、共同トイレなので、加給金を使って肉類でも食べたいと思って買い料理すると、すぐ他の人にわかるようになっていて、当人はずいぶんと気を使うのである。何を食べているかお互い知れる状況である。そのことをよく母子寮の入居者から愚痴として聞いたが、どうしていいかわからない時があった。その事情を入居者全員に説明できないし、管理者に言って通じず困ったことがあった。

 又、話は他へ飛ぶが、行政(福祉担当者)は組関係の人に弱いとの評判が飛んでいた。入居者の女性が水商売で夜働いて稼いだ金を申告しない人が多いとの噂である。このこともたまたま一人がそうであれば他にも多くいるだろうとの風評がすぐに広がる。生活保護受給者の一人の行為をあたかも多く存在するかのような印象を与える言動はよくない。このような偏見と差別は当事者の立場に立つことができず、そしてそこから離れた(距離、場所、位置)から無神経に発せられる言動が原因で発生するそうである。

 これは、医療生協で30年余仕事をしてきた私の結論である。

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『みちしるべ』**沖喜美恵さん ありがとう!!**<2009.1. Vol.55>

2009年01月03日 | 山手幹線の環境を守る市民の会

沖喜美恵さん ありがとう!!

山本すまこ

 沖喜美恵さんは山手幹線道路反対運動に常にご近所3人で参加下さっていました。会合のときはご主人もいつも参加していただいておりました。 ダンプが通ると家が揺れる。とお住いは二見交番所の少し西側で、二見町からの運動への参加はあまり多くない中、チラシ配りなど本当に一生懸命になってやってくれました。いつも笑顔で、やります。やっときます。といっていた顔が浮かんできます。

 中でも皆さんも忘れることの出来ないあの武庫川河川敷での攻防です。

 あれは平成8年5月20日早朝5時半ごろ、私宅のインターホンが鳴りました。こんなに早く誰だろう?「沖です。市が武庫川に来てます!!!」

 後のことはすでに“私の住民運動”に書かせいただいた通りです。が、このときの沖さんの様子を想像すると、どんな気持ちであの信号を引き返し私のところまで走って来たのだろうかと。私も最初に信号を渡り階段の上に立って120人ものガードマンがスクラムを組んで立ち並んでいる姿を目の当たりにしたとき、「コレはなんだ?」「コレをどうして打ち破れるかと?」と自問したくらいでした。それを沖さんが一人で見たときの衝撃はいかばりだったでしょう。

 沖さんはいつも早朝く起きていて、その日は9時集合がかかっていたが川まで行ってみようと思ったそうです。沖さんが見つけないで予定の9時に集合していればまんまと市の思い通りにことが進んでいたはずです。そして私たちの運動の第二の山場を迎えました。市当局も住民の結束に頭を痛める思わぬ結果となったのです。

 その後の戦いにも被り物を作ると言えば、ご主人が白い布をたくさん届けて下さいました。みんなで縫ってくれました。数えればきりがないほど 色々な場面でも沖さんの笑顔が浮かんできます。ネットワークの集まりにも声をかければいつも手伝ってくれました。

 そんな沖さんが2年半の闘病の末、去る平成20年12月21日にお亡くなりになりました。二週間ほどの入院でした。一時は驚くほどお元気な姿を見せておられましたのに、残念でなりません。最後は安らかな綺麗なお顔で寝ているようでした。

 心からご冥福をお祈り申し上げます。沖さんありがとう!!ありがとう!!

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『みちしるべ』道路公害反対運動はさらなる展開をめざす**<2009.1. Vol.55>

2009年01月02日 | 澤山輝彦

道路公害反対運動はさらなる展開をめざす
――第34回道路公害反対運動全国交流集会に参加して――

世話人 澤山輝彦

 道路公害反対運動全国交流集会は34回と回を重ねているが、この運動が大きく社会に向けて問題を発信し大衆に訴え運動を拡大拡散してきたか、と言えば私はそうではなかったと思う。私が道路公害問題に目を向けていなかったら、おそらくこの運動のあるのを知らなかっただろうからだ。えらそうな事を言うようだが、この言は正しいのである。それはこの34回集会の基調報告にある『やま・かわ・うみ・そら』を結ぶ、という言葉に現れている。ここで全国の公害被害者や有害な公共事業を止めさせるために闘っている仲間との連帯をうたっているからだ。そして、集会アピールでは、終わりの部分で、国民のみなさんと呼びかけ、

 ――今や自動車中心・高速道路建設優先の国づくりを、環境・福祉優先の国づくりヘ転換する重要性は誰の目にも当たり前になってきています。私たちは、公害被害の救済、そしてムダな公共事業の見直しを求める全国の運動と連帯を築き、世論を高め、新しい国づくりに役立つような新たな決意ですすむことをここに表明します、――と結んでいる。

 この決意はもっと早く出ていなければならなかったのだ。様々な策略、現象が複雑に絡み合った時代である。対象を拡大し広く世間に訴えなければならないのである。

 集会二日目、私は「まちづくりと道路問題」という分科会に参加した。そこで“まちづくり”という言葉にこだわりたい、と発言した。私は“まちづくり”という言葉は今では行政側がきりだし利用する言葉だと思っている。このタイトルでは行政側の行事であってもかまわないのだ。“まちづくり”という言葉は過去に住民が発案した言葉であったとしても、今は行政側の言葉になってしまっているのだ。まだ人の手の入っていない土地に新しい町、街を建設する、それに参画するなら“まちづくり”でけっこうだ。しかしもうすでに出来上がっているまちをことさら“まちづくり”なんて言い出すのは常に行政側で、その中身は、まち改造事業推進と、道路問題が多く、そこに言葉たくみに住民を巻き込み、住民の同意を得たとするためであり、この言葉はそんなことの偽装語にすぎないのである。今回第34回集会の報告集にある「平池まちづくり委員会」という団体が使っている“まちづくり”という言葉も行政側が平成4年にもちだした「まちづくり構想案」というのがもとにあるようだ。

 私の発言は、無視も同意もされなかったが、発言中にうなずいてくれた人が何人かいたし、私の隣に座った方は同感の意を伝えてくれた。

 ただ京都の人が、“まちづくり”という言葉は行政の発案ではないと言われ、京都はわれわれが結構“まちづくり”をやっている、まちづくりと言ってかまわない、ということを言われた。京都は古い歴史をもつ町、都だ。町衆という言葉まで生まれた所だ。京都の場合は歴史を踏まえており保存という面を持つ“まちづくり”などが考えられる。他のまちとは違う所があるだろう。何事であれ、立場を明確にするための的確な言葉がある。言葉にはこだわらねばならないのだ。

 この分科会では、さまざまな意見が出たが、道路問題は“車”をへらすことだと言う意見を述べた方がおられた。その通りである。ところで、この発言者まさか車で来たのではないだろうなと、分科会終了後そのことを確かめに行くと、なんと「車で来た」と言うのだ。私が「それであの発言とは」と言うと、「車を悪者扱いしてはならない」と的はずれの論で返答したうえ、名古屋、大阪を行き来するのに車がいかに早かったかを語ったのである。このお方は、交流集会では古株の人のようだったが、やはり、車を使わず公共交通を利用し、それが不便だったのならそれの解消を求める運動を道路問題に結び付ける、そう論を展開されれば、説得力十分なのだが、私との短いやりとりのような事を言われては、あの論は意味を持たない。この間の話をそばで聞いていた人の一人も「それでは説得力に欠けますなあ」と言っていた。せめて全国交流集会には車を使わずにやってくることが、今回のアピールの精神を個人的に具現する証しではないかと私は思う。

 過疎地に住む人や、身障者などには必要不可欠な車があることは承知しており、こんな車まで“車”をへらせの対象にしないことは当たり前だが誤解を招かない為に書いておく。

 “車”をへらすことと、昨今の経済事情下の自動車産業をみると、今はチャンスだが、ここでチャンスという言葉を軽々しく使うと兵庫県知事の二の舞になるかもしれない。労働者の就労を考えないといけないからだ。私自身今はまだそこをどう考えるのか答が出せないでいる。皆さんと共に勉強し教えを請いたいと思っている。

 地球温暖化、道路特定財源の在り方もアピールに盛り込まれ、今後の重要な問題になることが指摘されていた。今年は一つ阪神間道路問題ネットワーク主催で先のアピールに適う世間に向けての、講演会、一寸おおげさだがこれを行ってみればどうだろう。あの人なら講師にどうだ、もう1人いるな、いろんな写真や図表の展示をしてもいい、アトラクションがあってもいい、こんなことを夢みているが、案外正夢になるかもしれないな、なんて考えている。

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『みちしるべ』**2009年を迎えて**<2009.1. Vol.55>

2009年01月01日 | 藤井隆幸

2009年を迎えて

世話人 藤井隆幸

お正月雑感

 年々歳々、お正月が来るのが早くなったように感じます。歳をとったせいかとも思うのですが、実際は社会生活のテンポが速くなったのだと考えています。駅から僅か2kmの場所に行くのに、60年代なら歩いたであろうことは、我々の年代であれば知っていることでしょう。昨今、2kmも歩くということがなくなってきました。車で生活していると、5分で到達するところを、15分もかけて歩く時間のロスが許せない感覚が身についてしまったのでしょう。車を維持しなければならない生活は、余計な収入を稼ぐ労働時間を必要とし、その時間を換算すると、歩いた方が実は早いのですが。

お正月のトビックス

 さて、年末年始に話題となった日比谷公園。職と住居を失った派遣労働者の難民テント村が、社会問題となりました。この現象を如何に捉えたらよいのでしょうか。日本の労働者に占める、非正規雇用は38%にもなります。年収200万円以下の世帯に暮らす人口は、1000万人にも及び、人口の1割になろうとしています。一方で、資本金10億円以上の大企業だけで、内部留保(税金のかからない純利益)は、実に230兆円にも及びます。株式配当は10年で5倍以上という、驚異的な伸びを示しています。

今日の破綻に陥った政策

 橋本内閣から以降に進められた『金融ビッグバン』と、『労働法制の規制緩和』で、このような事態を招いたことは明らかです。いずれもアメリカの圧力によるものですが、信用金庫・信用組合は徹底して取潰しと合併が強要されました。銀行の使命が、預金を集めて企業に貸す、そのことに変更が加わりました。投資圧力と投資規制緩和で、株式取引量が極端に増加。投資税制の優遇で加速。会社乗っ取りであるM&Aが横行。多くの会社が乗っ取り工作に遭いました。

 このような投資過熱は、6~7割が外国の投資ファンド(基金)で、バックにはアメリカの大銀行がありました。サッポロビールにスティールパートナーという投資ファンドが、M&Aをかけてきました。幸い、結果は失敗に終わりましたが。株式投資やM&Aの多くはヘッジ・ファンドというものが行なっています。極短期に株式売買をし、差益だけが目当てになってゆきました。

 そのことにより、企業は長期的展望を考慮することなく、決算毎の短期の利益率のみに固執しました。決算で前期(年)比の利益率が下がると、一瞬にして株が売られて暴落します。株式配当を常に向上させなくては、また株が売られて暴落します。株価が下落すると、一挙にM&Aの攻撃にさらされるという事態に陥ります。

 このような極端な企業利益率向上を、底辺で支えたのが非正規雇用でした。同じ労働をしても給料は半分で済みます。正社員を解雇して、非正規に置き換えることで、利益率を向上させたのです。それに企業の長期的展望はなく、短期の目先の利益に執着するため、企業部門の新設・廃止を繰り返し、派遣社員・期間社員は都合の良い労働力の調整弁にされたのです。

失政加速の小泉・竹中『構造改革』

 90年代後半からはじまった労働法制の規制緩和は、99年の派遣労働の原則自由化で、一挙に進んでしまいました。04年の製造業への派遣労働の解禁で、日本は世界的にも稀な、非正規雇用率を体現することになったのです。これには舛添厚生労働相も、批判せざるを得ませんでした。

 日本はソーシャルダンピングの自動車や電機を、アメリカに大量に輸出し、アメリカからの貿易黒字で稼ぎました。その稼ぎの多くは、日本におけるマネーゲームで、アメリカの大銀行が吸い上げてしまいます。アメリカ国内の労働者は、製造業が消失してゆき、失業が蔓延していました。一方では、巨大金融資本がサブプライムローンに象徴される、住宅投資のバブルに踊っていました。

 日本では非正規雇用で国民の所得が激減し、消費能力が減退し、市場は不況の真只中。一方で、大企業は毎期々々、純利益を更新して利益を巨大に溜め込みました。富の蓄積は巨大化しているのに、市場は冷え切ってしまっています。

日本の将来への処方箋

 このような『金融ビッグバン』『労働法制の規制緩和』は完全破綻というベきです。アメリカの金融崩壊は底が知れず、日本の不況も政府の機能麻痺で、政治災害の様相です。しかし、完全に破綻した『構造改革』論者の竹中平蔵ごときが、テレビに出演してモノが言えるのです。人前に出れば、生卵をぶつけられるというのが、グローバルスタンダードなのですが。

 まず、非正規雇用の解雇が8万5千人を超えるようですが、この解雇を止めさせて正規雇用に戻させなければなりません。大企業の内部留保の0.3%で可能なことです。株式配当の数%で済む話です。そして市場の活性化を図ります。企業活動もアメリカ中心の輸出に頼るのではなく、国内需要に対応することが肝心です。

 そして何より肝心なことは、自動車の保有台数が暫減してゆく事態の中で、高速道路建設に代表する、公共事業の思い切った削減が必要です。日本の公共投資は世界的に異常な突出をしています。ニューディール政策の成功は過去のものです。公共工事による経済波及効果は、今日、医療事業の経済波及効果にさえ及ばないのです。福祉・医療・教育の公共支出で、経済活性化が何よりも必要です。膨大な儲けに追い金の、大銀行資本注入や大企業への補助金は、経済の沈滞にしか貢献できません。

私たちの出番

 ことしは衆議院議員の任期が9月で切れます。いずれにしても9月までに解散か、任期切れの総選挙です。現在のところ、政治評論家は自民党も民主党も、単独過半数は無理だろうという予想です。

 保守政治の特徴は、議会の討論で問題を鮮明にし、世論に訴えて政策を遂行することが出来ません。「拠らしむべし、知らせるべからず。」が、今もって基本なのです。そのことから、議会で過半数を取ることが、絶対条件なのです。しからば結論は見えています。選挙後は自民・民主の保々連合であることは明きからでしょう。そうした時には公共工事は突出して、高速道路だらけということになってしまいます。自動車の走らない高速道路が出現します。

 私たちのネットワークは政治団体ではありませんから、選挙に関わるというのは難しいと思います。しかし、高速道路造りが日本の経済活性化に、 逆噴射であることを世論にすることは出来ます。日本の将来の経済に、国民的注目が集るこの次期に、公共事業(特に高速道路建設)より福祉・医療・教育の方が、経済効果があることを訴える機会にしたいと思います。

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