木を伐る
澤山輝彦
神宮外苑の再開発に伴う樹木の伐採は、全国区的問題になり私達も話題にした。阪神間道路問題ネットワークでは、阪神タイガース二軍球場が大物に移転する、その先の公園樹木の伐採(移植)が問題になった。この事は『みちしるべ』116号で取り上げた。つい最近ではビッグモーター社による、除草剤の散布で枯れた街路樹の伐採が問題になっている。
良い環境の下での生活が大事とする市民意識が浸透してきた証である。環境を問題とする意識の無かった時代にも、木は大切なものだとして、景勝地の並木・巨樹、神社・仏閣の森、等々が大事に育てられていたのは、私達のよく知るところ。鎮守の森の木を伐採する政策に、南方熊楠が反対した運動はよくしられている。(明治政府の進めた神社合祀に反対した運動)
太平洋戦争も終わりに近く、日本の旗色は悪くなるばかり。艦船は米軍のレーダー探知による攻撃で、ボコボコ沈められていった。日本にはもう鉄の船を造る力はなく、木造船に目を向けるしかない。木が要る、戦争が巨木を要求したのだ。「戦争が巨木を伐った――太平洋戦争と供木運動・木造船」こんなタイトルの本を偶然図書館で見つけて読んだ。
太平洋戦争でガダルカナル島からの撤退に始まり、日本軍は守勢にならざるをえなかった。南太平洋、西太平洋と広がった戦線への人材、大量の物資を運ぶ船が必要だった。だが鋼鉄船は補修中が多く使えない、資材不足で造れない。そこで考え付いたのが木造船であり、そのための木材調達の手として、「軍需造船供木運動」というものを考え付いた。
この運動と言う言葉の使い方に意味があるのだ。政府が上から命令するのではなく、大政翼賛会がやる国民運動にする。国民が自主的に木を供出する、そう言う機運を盛り上げていく、なかなか上手いやり方である。国有林や民有林の木を伐るのはお上の仕事、運動の必要はない。狙いの木は「特殊材」と呼んだ、平地林・社寺林・道路並木・屋敷林、等の「けやき」「かし」の長く大きな木であった。
この運動の先頭に立ったのが大政翼賛会の実践部隊、大日本翼賛壮年団だから、大体どんな展開をした運動であったか見当が付くだろう。メディア、文化人のあおり、あの智恵子抄の高村光太郎も「軍需造船 供木の言葉」という26行の詩を書いている。(光太郎は戦後日本芸術院会員に推挙されたが辞退している)
戦時下の大日本翼賛壮年団の運動だから、全てスムーズに行ったかといえば、やはり問題はあったようで、伐った木の横流しが問題になったりもした。面白いのは日光杉並木が守られたのは、翼賛壮年団の中で伐木反対の意見が出た。その結果、論争は中央まで巻き込んだのだが、杉並木は残った。箱根の杉並木もある一人の人間の知恵と勇気で守られている。静岡県のある屋敷の杉は、陸軍が目を付けて伐りにきたが、その家の老婆が「伐るなら自分を切ってからにしてくれ」と、まるで現代でもドラマ仕立てになるようなやりかたで伐木を止めている。武蔵野の一端のある寺院も禅の修行には木が大事と、伐木を止めさせ武蔵野を守る一助になった。書中、木造船の記述も詳しくあるが、伐木の部分にとどめた。
さて、戦後何十年もたった今、情勢はどうだろう。為政者は結構強引になっている。こちら側はどうだろう。正確な情報が読めないイラつきもある。テレビは相も変わらず一億総白痴化の片棒を担いでいる。立秋も近いのに暑いなあ頭でも冷やそうか。
【投稿日 2023.8.6.】