『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』憎しみは愛よりも強し**<2014.9. Vol.86>

2014年09月30日 | 川西自然教室

憎しみは愛よりも強し

田中 廉

 最近の新聞、週刊誌、TVなどを見ていると、憎しみの威力は超大型台風のようである。つくづく、ルソーの言葉「理性、判断力は歩いてくるが、偏見は群れをなして走ってくる」(エミ-ル)の通りだなと思う。

 今は、従軍慰安婦問題に関しての朝日新聞バッシングに隠れてはいるが、この数年、嫌韓、嫌中報道はマスコミの絶好の「飯のタネ」であった。両国の事を批判的というか、悪く書けば「売れる」ので、マスコミは書き、報道する。

 これらの情報に接した人は、自分の感情に沿った話なので抵抗なく、気持ち良く受け入れ、憎しみに確信を深め更に新しい情報を求める。その繰り返しである。どの国にもはねっ返りというか馬鹿な人間はいる。彼等の相手の国を誹謗中傷する行為を書き立てれば相手に対する嫌悪感が生まれる。

 何度も同じようなことを読み聞きすれば、知らず知らずのうちに不法行為をするのが、一部の人間でなくその国の国民全体のように感じ、話の通じない、不道徳な国民性だという感情が芽生えてくる。差別意識、偏見の誕生である。その延長として恥ずべき「ヘイトスピ-チ」がある。

 「皆殺しにするぞ」とか、「国に帰れ」等、普通の人であれば口にしない言葉を平気で大声で叫び威圧する。醜いとしか言いようがない。今や、あの韓流ブームはいったいなんだったのかと思うほどである。

 私は、中国は大国主義的な行動が目につき、韓国は感情的すぎるし、主張の幾つかについてはおかしいと思う。が、今の嫌中、嫌韓は行き過ぎだ。100%正しい人や国がないように、100%悪い人や国もない。もっと冷静になり、相手と自分の国を観るべきである。もし自分が相手の立場であればどう感じるかということを想像してみるべきだ。

 村山談話、河野談話で戦前、戦中の行為に謝罪し、どの政権も口ではこれらの談話を引き継ぐと言っておきながら、政府閣僚が談話の内容に異議を唱え見直しを言う。これは「すみません」と謝っていながら横を向いて舌を出しているようなものである。

 内容に異論があろうとも、少なくとも政府高官が発言すべきことではない。相手に不信感を与え、中韓だけでなく世界で、「やっぱり日本は反省していない」と思われても仕方がない。こちらが嫌えば相手もこちらを嫌う。中国、韓国でも嫌日感情は非常に強いと聞く。

 このままでは、ちょっとしたボタンのかけ違いで武力衝突にもなりかねない。そして、憎しみが沸騰すれば、その衝突が戦争に突き進む可能性もある。特に、どちらかの国で経済的に行き詰まり、閉塞感があればなおさらである。そうならないために我々は、頭を冷やし賢くなる必要がある。

 とりあえずは、嫌中、嫌韓を売り物にしている週刊誌、新聞は買わないことである。

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『みちしるべ』ミヒャエル・エンデの「モモ」を読んで**<2014.9. Vol.86>

2014年09月30日 | 神崎敏則

ミヒャエル・エンデの「モモ」を読んで

神崎敏則

 この本は、時間とは何か、人生とは何か、幸せとは何か、を私たちに問いかけている。自分の時間の使い方をガツンと反省させられてしまった。

 いつもせかせかと仕事をしている。

 退勤時間は17時30分なので、できる限りその時間ピッタリに職場を出られるように25分ごろには作業着から着替え始めている。この習慣は以前の会社――以前の会社は6年前に、今勤務している会社に現場を丸ごと売り渡してしまった。やっている仕事は同じだが、現場への管理方法が全く変わってしまった――の良い伝統の一つだ。

 でも出勤時間8時30分前の1時間近く前には職場に入り作業着に着替えて、7時40分ごろにはパソコンでメールのチェックや昨日の勤務状況を入力している。当月の管理状況をフォーマットに従って作成しはじめている。トラブルや前日の工事内容をチェックしている。過去の資料と照合することも欠かせない。

 そんなこんなで、8時25分からラジオ体操が始まる。勤務時間前にラジオ体操を強制する雰囲気が嫌いなので、以前から勝手にストレッチをしている。ラジオ体操よりこっちの方がよほど有効だとひそかにアピールしている。

 ラジオ体操の後の8時30分から朝礼が始まる。しかし、チェックしたメールに返信しながら朝礼に臨んでいることが少なくない。パソコンで入力するのはそれほど苦にならない。自分でも入力作業が得意だと思っていたりする(実際には若い人と比べるとそうでもないのだが)。失礼になると分かりつつ、指先でキーを叩きながら、朝礼に参加して発言したりする。自慢したいのではないと自分では思いたいのだが、周囲にはどう思われているのかはなはだ不安だ。ただ単に、仕事に追われている、その強迫観念に突き動かされているだけなのだけれど……。いや本当はこちらの方が言い訳なのかもしれない。あくせく仕事をしていることを言外でアピールしたい、というのが本音ではないだろうか。

 この本を読んで、自分の時間の使い方って本当に嫌だなーって、つくづく思っていしまった。なんて薄っぺらな人生なのだ。

 でもこの生き方は変えられそうにない。自分にはとても無理だ。ただ一つ、変えることができるかもしれないのは、相手の話を一生懸命に聴くこと。そのためには、忙しい――と勝手に思い込んでいるだけなのだろうけど本人は相当に深刻なのだ――ことを言い訳にせずに、相手の思いにしっかりと正面から向き合うこと。ここだけは、しっかりと取り組んでいきたいと思っている。

 こんな感想の後で申しわけありませんが、本書はとても素晴らしい童話です。有名な本なのですでにお読みの方も多いかもしれませんが、興味のある方は是非お読みください。

 平出さんが良く言っていたスローライフという言葉が今頃身に染みています。

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 平出正人の「迷惑通信」より 【志賀原発ストップ・能登ピースサイクル】 

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『みちしるべ』2011年 宮城県石巻市支援紀行文**<2014.9. Vol.86>

2014年09月30日 | 山川泰宏

2011年 宮城県石巻市支援紀行文

山川 泰宏

 東日本大震災から既に3年4ケ月が過ぎています。今年も8月15~18日にかけて東日本被災地、宮城県名取市閖上地区の愛島東部仮設住宅での、夏祭りとお盆の追悼行事に参加の計画を進めています。

 神戸・市民交流会で東日本被災地への関わりは、故中島正義前会長の遺志を引き継いで、事務局長としての立場から始まりました。

 最初の訪問は東日本大震災の地。2011年3月11日の大地震、其の後に襲ってきた強大津波により、多くの犠牲者が出ました。宮城県石巻市で開催の川開き流燈の行事に、石巻市商工会議所と神戸市社会福祉協議会の小池裕部長の要請で、神戸・市民交流会が計画しました。私は内視鏡検査で胃に潰瘍が見つかり、6月下旬に内視鏡手術で1週間以上入院しました。手術前から決まっていた計画で、病み上がりの中、3泊4日の観光バスでの行程でした。

 

 石巻市内の街は津波被害からまだ4ケ月後、街中は津波被害の強大さを見せつける如くの惨状が至る所で見られました。

 7月30日(土)17:00神戸市役所前から関係者に見送られ、一路観光バスで石巻市に向かい、早朝、石巻市の目的地、旧北上川の会場に落ち着きました。

 会場である駐車場は7月31日毎年開催される川村孫兵衛の法要・東日本大震災供養祭の準備でした。

 神戸から持ち込んだ竹灯篭を3・11の文字に並べ、津波が襲来した時刻に追悼の黙祷をさせていただき、石巻市民の皆様の祈りと共に竹灯篭に灯を灯しました。又、夕方の流燈と追悼花火の際にも、竹灯りに再度、灯しての追悼式を執り行い、当日、千葉県流山から参加した皆様共に参加した一日です。

 市街地は津波被災の復興も手つかずの状況。昼食をする店は、中華料理店などの少数の店舗の営業であり、営業時間限定(昼食時間のみ営業)で、多くの被災地支援のボランテアで満杯状況でした。

 追悼花火を終えて、石巻市街を外れたビジネスホテルに向かい、コンビニで買い求めた遅い夕食をとり、永い一日が終わりました。

 旧北上川に面して発展した町は、堤防に守られていました。其の堤防の築造に情熱を注ぎ、今日の街の礎を築いた人が川村孫兵衛、その人。永く石巻市民が其の功績を讃えていたのです。

 被災地の人たちから津波の状況を聞きますと、旧北上川を遡上した濁流は、堤防を乗り越え、一挙に街中に押し寄せたと、2階建ての家に住む人は語ります。

 1階の車庫入り口から入った津波は、今にも2階まで届こうと暴れ、反対側の壁が水圧で破壊されました。このことが、家屋自体の破壊を守り、倒壊を免れたと語ります。その恐怖の時間は、今振り返るとほんの数分の出来事であり、助かった命はまさに奇跡としか言いようがない。又、津波から命を守れたのも、まさに奇跡の出来事としか思いません、と。石巻市民の方々の話が、今も私の耳朶に深く刻み込まれています。

 翌日(8月1日)の朝、石巻市内に観光バスで戻り、午前中は石巻市内中心部の清掃活動にあてました。また、JR石巻駅と市役所周辺で開催する復興イベントで、全国各地から支援に馳せ参じた皆様の食べ物や飲物、たこ焼きなどのテントブースを見学させていただき、石巻市民との津波被害等の状況など、交流の時を持たせていただきました。

 清掃活動で集めたごみや竹灯篭は、持ち帰る予定でしたが、折よく神戸市から派遣されていたゴミ収集車の職員のご協力を頂き、処分して下さいました。この偶然も、何かの縁と感慨深いものがありました。

 会場近くに住む市民のかたは、被災地神戸からの支援に感謝しますとの言葉もあり、長旅で帰る私たちが拾い集めたゴミなど、被災地の皆さんが処分してくださるとのことで、甘えさせていただきました。交通整理する警察官も他市からの応援の皆さまでした。

 竹灯篭や清掃活動、そしてイベントの風景と神戸から参加の皆様の写真を添付させていただきました。

 前の集合写真中のドーム型の建物は、石ノ森章太郎漫画館で、津波被害の為閉館中です。会場の駐車場は地震により地盤沈下が激しく、そばを流れる旧北上川が満潮時間帯に冠水します。

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『みちしるべ』広島市安佐南区八木地区の支援活動**<2014.9. Vol.86>

2014年09月30日 | 山川泰宏

広島市安佐南区八木地区の支援活動

神戸・市民交流会 事務局長**  
西宮市シルバー人材センター会員
山川 泰宏

 2014年8月20日、未曽有の豪雨に見舞われ、午前3時ごろ以降発生した土石流が新興住宅地に襲い掛かり、74名の尊い命が亡くなる大惨事に見舞われました。

 9月4日、広島市のボランティアセンターが、県外からの支援を求める報道がありました。神戸市社会福祉協議会は、支援のためのボランティアを募集。2014年9月16日、小型マイクロバス(広島社協チャーター)を仕立てたのに申込、支援に行って来ました。

 9月16日(火) 午前6時15分、募集ボランティア18名が、神戸市中央区々役所前に次々に集合。6時20分、早めに広島市安佐南区の八木サテライトを目的地として出発しました。募集ボランティア18名(老若男女)とスタッフ2名。別の先導のスタッフ2名からなる22名です。車内で予め作業班の班分けがあり、1班リーダー中林清氏(72歳)、2班リーダー山川泰宏(76歳)を決めて、支援活動に参加しました。

 途中のサービスエリア2ヶ所で休憩し、午前10時30分頃八木サテライトに到着。先導者の案内に従い、安佐南区八木4丁目44-10の被災地に徒歩で向かいました。

 現地到着、最初の作業は民家の物置の移動設置に5名と、道路わきの側溝の土砂の取り除き作業と被災家屋の片づけです。側溝掃除は道路脇の鉄格子を外して、詰まった土砂を掻き出しましたが、大部分を占める暗渠部分は、スコップで入るところまでの部分の掻き出ししか出来ませんでした。川に面した開放部の泥を清掃して、少しは流れるようなりましたが、本格的な清掃が必要です。大雨が来ると側溝からあふれ出た泥水が、再び被害をもたらす心配もあり、又、排水河川が巨石と流木で埋まり、重機での撤去が求められています。

 神戸常盤大学からの参加者は、個人宅の土砂の撤去と水洗い(この家は水道使用が可能)。家のそばには、流されてきた流木の貯留があり、土石流の凄まじさを物語ります。午後からも再び泥掻き出しの作業に従事。凄まじさを物語る、作業着の汚れは支援の証しでもあります。

 各々、1時間少しの作業で昼食時間になり、1時間の昼食と休憩をとり、午後から土石流で全壊した家から出た、辛うじて被災から免れた家財道具を庭で、溜まった泥掻き出し作業に当たりました。

 半月以上も過ぎた泥は意外と硬く硬化し、書籍、家財道具、子供のカバンなど、泥の中から出てきます。そして、全壊した家で暮らしていた一家のアルバムが、土中から出てきて、家族の今までの平和な暮らしを物語り、作業しながら、胸の奥が熱くなるのが止められない体験でした。

 東日本被災地で、津波で流された遺品や写真などを整理する、多くのボランティアの人たちの思いが、実感として身に染みました。


 安佐南区八木4丁目の被害状況 左は全壊 右は損傷を免れ

 被災地の現状をこの目で確かめた時、住宅地の中を通る高圧線鉄塔や山裾に広がる多くの宅地密集から、近年急こう配の山麓が住宅地になったのが分ります。まるで、森がいつの間にか住宅地に変貌した中で、このような土石流災害に遭遇すると考えた住民は、誰一人いなかったと思います。

 山裾から流れ出る水流の逃げ場に造られた人工河川を、急こう配の山裾を駆け下りてきた土石流に、夜半に逃げることも叶わず、多くの犠牲者が出たのと思います。

 昨日まで仲良く暮らしていたであろうと地域住民の多くに、紙一重で襲い掛かった被災による全壊、半壊、一部損壊。そして、昨日まで元気にしていた人の突然の死の悲しみ。将来に夢を抱いて歩んでいた、老若男女。特に若夫婦や子供達の命の儚さに、涙枯れる思いを抱きます。被害を免れた家屋の住民にとって、培った絆が再び戻ることを祈らざるを得ませんでした。

 4時間余りの人手による支援の空しさを感じながら、被災地の皆さまから「ありがとう」の言葉に送られて、帰りのバスは疲労の中に力不足の感が否めなかった。半面、ある種の満足と、お手伝いさせていただいた喜びの複雑な気持でした。

 最後に私なりに伝えること、阪神淡路大震災から伝えてきた竹灯篭による、多くの犠牲者や、生き残った人たちに贈るメッセージで、早い復興を祈ります。

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2014年11月例会のご案内

2014年09月28日 | 月例会案内

阪神間道路問題ネットワーク
11月例会のご案内

2014年11月1日(土) 1:30~3:30p.m.
西宮勤労会館 第1会議室 (2F)

今年の仲秋の名月はスーパームーン。15夜は曇りでも、前日は晴れた。うさぎさんは見えましたか? もうすっかり秋の気配▼さて、10月は全国交流集会(10/11~12)があり、9月の参加者の都合も付かず、11月初めの例会です。早くお知らせしなければ、ご心配かな? でも、余り早すぎると忘れるかも? とか何とか言い訳……▼ところで、台風12号以来の雨の多い夏。広島市安佐南区に象徴される、土砂災害・水害の多いのも特徴でした。高速道・幹線道は90~100mm/hの降雨強度に対応し、排水施設を整備しています。地方道などは60mm/hの対応しかしていません。それも未整備区間が多いのが現状。そこへ、100mm/hを超える雨が降ったのですから、各地で浸水するはず▼災害ボランティアのYさんは、早速、広島への支援に出かけたそうです。『みちしるべ』9月号に掲載します。その編集が進んでいないのですが、駆け込み投稿大歓迎です。全国集会に持って行くので、焦っています▼特定秘密保護法や集団的自衛権容認など、戦争の足音が聞こえてきそうです。消費税増税後は、庶民の生活は窮屈に。若者の低所得が究極を極めています。徴兵制を敷かずとも、食べるために自衛隊に入隊する若者が増えるかも。ヘイトデモなど、人種差別は戦争前夜とも言われています▼今、何を為すべきか? これまでやってきたことが成功していないなら、発想の転換が必要かもしれません。ご意見を求む! (F)

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「わたしの住民運動」のアップを終えて

2014年09月14日 | 日記

 「私の住民運動」のカテゴリーについては、関係者の方々以外には、面白い読み物ということにはならないかもしれない。日誌というか、記録を目的にしたものであるから、それは仕方のない事とは思う。

 阪神間道路問題ネットワークの初代、代表世話人であった、故 砂場徹さんは、このシリーズを何とか一冊の本にまとめたい、といわれていたのが印象に残る。それは、この記録をもとに、人々の物語や人生を書こうというものだったと、今頃になって気が付いた次第です。

 これを書かれた山本さんの御主人は、住民運動を提起されるような雰囲気の方ではない。「山手幹線拡幅・架橋に反対する市民の会」の代表を引き受けて、地域住民の先頭に立つなど、想像も出来なかったのは事実ではある。西宮市の戦後史に残るという出来事を、繰り広げる先頭に立った事実を、不思議なことと今も思っている。

 また、現役の職業人の御主人を支えた、ご本人も言っているように、住民運動など縁の無かった方ではある。が、そんな住民運動活動家ではないことが、奇想天外な運動を展開され、市当局も一歩も二歩も身構えた原因ではあったのだろう。

 甲子園口北町の三代にわたる会長さんが、この運動の最中、それぞれ急逝されたのは大変ショックであった。染原さんと黒住先生とは、大変親しくさせて頂いた。それぞれに、稀な人生の持ち主であり、本来、私などと親しくして頂ける人ではなかったのに。惜しい方々を、早くに亡くしたことは、記し様もない。

 また、横内さんや沖さんも、想い出すと、目頭が熱くなる。静かな中にも、熱い情熱の方たちであったのを、ありし頃の出来事と共に、走馬灯のように過ぎ去ってゆく。

 長年の道路住民運動に参加してきた中で、行政が素人と高をくくる地域住民であるが、ドッコイそうではないと思う。山手幹線沿道にも、なかなかの専門家が揃っていて、往々にして市当局を厳しく追及する場面に、何度も遭遇した。

 町会の役員をされた人々は、それぞれに責任感を持って対処されたのにも、敬意を表したいと思う。何の損得もなく、最後まで道理を通されたことには、脱帽という外はない。行政と対決する場面が続く中で、訴訟まで起こされても、筋を曲げなかったのは感激でもあった。

 この方々の生き様。座り込みや交渉、それに“武庫川河川敷合戦”と言われる場面での、心の葛藤などを振り返ってみる。もうこれは、ドラマ以外の何でもない。私に文才があれば、芥川賞ものの小説が出来たのは間違いない。人生で、このような出来事に遭遇するなど、そうあるものではないであろう。

 「私の住民運動」では、余り表現されていないことなのだが、市当局の役席者や職員にも、各場面での葛藤があった。山本さんも、「人がいいんだ」と思ったことも多かったのだろう。行政、住民、それぞれに立場はある。政治の歪みが、それぞれに割り切れない態度を強制する。そんなことも、書いてみる価値はありそうではある。

 当時、若かった職員も、もう中堅から幹部になっている。いまさら、彼らの過去の出来事を表に出すことはないのだろうが……。市長・助役(現 副市長)も退役されている。時に、道で出会ったりもするが、ただただ普通のご挨拶を交わすだけである。

 こんな奥深い中身を、「私の住民運動」から読み解いて頂きたいとは申しません。が、そんな一旦でも感じて頂ければ幸いだと感じています。

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 さて、「私の住民運動」は、なかなか長文で、アップに当っては苦労しました。デジタル情報が喪失されていて、ペーパーのスキャナーでの読み取り。次にデジタル化。変換ミスの点検や、誤字脱字の点検。眼精の老化と共に、かなり手強いシリーズでした。

 このシリーズのアップが終了して、『みちしるべ』の過去記事のアップも、75%程になった筈です。なんとか、総てアップして、新たな展開を考えたいと思っています。できれば、少しでも若手に、ブログ版『みちしるべ』の管理者をお願いしたいものです。

 みなさんからの御意見も、頂ければ幸いかと……。今後もよろしくお願いします。

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