『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』横断車道(40)**<2006.5. Vol.41>

2006年05月05日 | 横断車道

物事には道理というものがある。サッカーなど蹴りさえすればよいというのは、素人のサッカーである。今時、高度な攻守にわたる技巧など、中学生でも語る時代である。バットも振れないオジサンでも、プロ野球の試合を見て、監督の采配を言うのである▼ところで、音楽の理論を学ぼうとする時、誰も迷わずに音楽大学を目指すのである。しかし、音楽理論というのは100%物理と数学の分野である。音楽大学では物理も数学も教えられない。音楽大学では、音楽の演奏や作曲の感性を学ぶ所であるし、教授たちも演奏家であって理論家ではない。音楽理論は、音階に如何なる周波数を割り当てるかという、いわば技術論なのである。世界の音楽史では、この音階に割り当てる周波数(古くは弦長)が、色々と論議されてきた。ちなみに現代に於いては100%が十二平均律の音階である。如何なる現代音楽家も、この十二平均律を外れて演奏することは出来ない。ところが、クラシックの時代には異なる音階が使われてきたし、それを知らずして、クラシックなど語れるわけもないのである▼余談が長くなってしまったが、みんながそう思っているから、それが真相であろうと錯覚していることが多々ある。道路問題に関しては、国土交通省に聞けばよいと考える人が多い。実際には国土交通省は、国家予算・自治体予算に於いて、如何に多くの予算を分捕るかが最終目的である。そして談合を指揮してゼネコンに余剰な利益を与え、政治家にキックバックを成功させる。あわよくば官僚たちの天下り先を確保しておく。その専門家集団といって間違いない▼間違っても交通政策の専門家であると錯覚してはならない。交通政策に関しては、交通工学という専門分野がある。国土交通省に召抱えられてはいるが、学問的に有効な理論を一般に知られないように、発言を封殺する為に召抱えられている。道路予算を分捕る為には、渋滞解消も道路建設の理由にしなければならない。しかし、新設道路は交通工学の立場から見れば、面的な渋滞を促進させる働きになることが大部分である▼また、自動車の社会的価値においても、自動車メーカーに聞く人が多い。売れるのであるなら、一人に三台でも四台でも売りたいメーカーが、デメリットを言うわけがない。一生、一台の自動車も買わずに、免許も取らない方が客観的にメリットになる人は、日本人の過半数になるのは違いない。しかし、デメリットを承知で、というより覚悟の上で高価な車を購入する人が大半である▼政府の試算でも、20年後には日本の人口は半減する。果たして、その頃に道路と自動車が抱えた負の財産が、日本人に何をもたらすのか?考える時が来た  (コラムX)

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『みちしるべ』ニュージーランド旅行印象記(2)**<2006.5. Vol.41>

2006年05月04日 | 藤井新造

ニュージーランド旅行印象記(2)
――羊と牛と馬、そして牧草の国――

芦屋市 藤井新造

アカロア湾クルーズでイルカの泳ぎをみる

 三日目は、マウントクック一日観光とアカロア湾のクルーズ行きに分かれて別行動をとる。前者は朝6時過ぎに出発し、片道331kmの時間を要し夕方7時にホテルに帰着するとあって、私はこの方は遠慮して、柳田夫妻とアカロア行きを選択。こちらは2時間もあれば途中昼食時間も十分あり、アカロア湾に着くのでゆったりしたものだ。そして、日本製の中古のバンに3人だけの乗車なので気軽なドライブコースであった。まだ30代の運転する女性は、日本人でNZでもう既に7~8年住んでいて、この国のこともよく知っていて周辺の風景を色々と説明してくれる。見るものは、羊と牛の群、それに馬と自然の変化する景色だけなので、その単調さをおぎなって饒舌でなくそれていてガイド役を十分してくれた。郊外に入ると一戸建の新しい家が目につく。女性運転手によると、今NZではバブル経済なのでこうして次から次ぎへと郊外ヘと住宅が広がっていっていると言った。その間、中古の家があったがこれもどこかで見た建物によく似ている。

 モスクワから東にかけて12~18世紀のロシア正教会の古い寺院が点在する「黄金の環」に行く途中に見たものである。どちらも土地が広いので庭があり殆ど平屋である。真正面から見ると、家の中央の居間と思える部分が突き出て、両サイドが同じ位の長さでヘこんで凸型の家である。ロシアではいかにも古びた一戸建に見えたが、ここでは中古と言っても見かけはスマートな家である。昼食は山の中腹の小さい自家製のチーズを作っているレストランに案内してくれる。店は古い建物で客は店内で男性二人。二人はカウンターの椅子に腰掛け、一人は椅子に座って二人ともピールを飲んでいた。質素な建物であるが、L字型の室内は空間は広く落ち着いた田舎風の店であった。料理は野菜が大盛りで羊肉は半分位しか食べられなかった。ここで申し訳ない程度の小さいチーズを買い、今でも冷蔵庫に残っている。

 昼食後、30分足らずでアカロア湾に着く。女性ドライバーよリアカロアの地名の由来を聞いたがすっかり忘れてしまった。クルーズ船は50~60人位乗れる大きさでほぼ満員、アカロア湾を時計の針のようにな回りで巡航する。乗船者に日本人らしい人を見なかったが、英語圏の人々が多い感じである。20分も運航すると、イルカの一種であるヘクターズ・ドルフィンが海面に浮いたり、海中に沈んだりしてたわむれているのが見えた。

 この見学に船は移動し、ドルフィンの泳ぎを見せるのがこのクルーズ船の売りものの一つらしい。その間、他の船では男女4人が海中にダイプし、ドルフィンを近くに見られる光景に接した。そちらは少し豪華なコースと思えるが、お金だけでなく若さと健康さも必要のようだ。

 アカロア湾一周と言っても2時間も要し、周辺の半島の崖は屹立し火山層の断面がくっきりと見える位の近さを運航する。半島は私の故郷の近くの屋島の高さより大分高そうである。半周した後、北側の崖縁の斜面のところどころで見た白い羊は徳之島の西海岸の崖でもみた山羊のようにぽつんぽつんと点在して見える。

 アカロア湾の左右の半島はイギリスの記録映画『流網』に出てくるアイルランドの西海岸を連想させる。映画では岸面に昆布を敷き地面を作り野菜を植えていて、冬は吹きすさぶ寒風に身を晒していたが、ここはそれより気候が穏やかでやさしい表層の土地のように感じた。右岸に見た羊、岩を抱いているオツトセイに出会うのも珍しくあっと言う間に時が過ぎ、海は何時みても飽きない瞬時の変化を次から次へと見せてくれる。今回で外国でのクルーズは二回目であるが、ブダペストでドナウ河下りの船に乗った時、水は褐色でこれがかの有名な「青きドナウ河」かと嘆息したことがあったが、ここのハーバークルーズは楽しめた。それと湾内の説明は勿論英語であり、それを適宜日本語に訳し解説してくれた女性ドライバーにも感謝。

南島と対極のような北島オークランド

 4日目はクライストチャーチからオークランドヘ飛行機にて移動。オークランドの初日はバスの車窓より市街地を見学する。その後、地上328mのタワービルの展望台(186m)より市内を見渡す。現地ガイドの説明によると北側に位置するワイデマタ・ハーバーには2千隻以上のヨットが係習しており、港の拡大には日本企業が建設に関与したという。その後はオークランド博物館へ。ここで再びマオリ文化の遺産、NZの歴史博物を展示した品々を見学。この館で第二次世界大戦に出兵し戦死した人々の墓碑銘を刻んだ鋼板があり、心を痛めたが日本の零戦機と等比のものを置いていたのはちょっと意外であった。しかし、第二次世界大戦にまつわる戦闘器具の展示、戦争による被害についてビデオが多く流されており、この国からも多くの戦死者をだしたことを後世に伝えるためにドイツ兵器と共に展示されていることも、私なりには納得したが、他の被侵略国ではどのように受け止めているのであろうかも知りたい。

 オークランドはクライストチャーチと違い中心街は大阪市の繁華街を歩いている感じである。高層ビルが近年多く建ちNZはパブル経済の真っ最中ですと昨日女性ドライバーが言っていたのを思いだした。夕食は全員8人で海岸べりの店へ揃って行く。今夜が全員揃っての最後の夕食である。夕方になり薄暗い室内のなかテープルにローソクの灯をつけ、どことなく庶民的雰囲気が漂う店である。少ない店員が客と客の間を走るように行き注文をとり又配る様子であるが、騒々しさを感じさせない。

 私は一人で席を起ち、海岸に出て小船の出入りする暗い海を少し眺めていて、どことも変わらない港町の潮風に接してちょっぴり感傷にひたった。

 最終日はオークランド観光のこれまた目玉商品の一つであるワイトモ鍾乳洞に生息する土ホタルの見学。鐘乳洞に関しては、秋芳洞に何回か行っているし、東北でも見ているので珍しく感じなかったが、土ホタルが光を放つ洞くつを見学したのは初めてであり、何となく神秘を感じさせた。事前に「ここは文化遺産なので話し声を出さないで下さい」と注意された。暗い洞くつのなか小船に乗せられ女性らしき船頭(?)が、両手で船上のロープを操ってゆっくり移動し、無数の土ホタルが(青白い光)を放つのが見えた。でも案内書で書いている(青白い光)の青より白い光の方が強かったと思う。ガイドさんの説明によると、天丼の壁に張り付いているホタルの子供のお尻から発光していると言っていたが、自然科学の知識皆無の私にとっては、残念ながらそうですかと理解するしかできない。時間にすればわずか数分間と短い観察であったが印象に残る場所であった。この日は間歇温泉で有名らしいロトルアまで車は移動し、ここでもマオリ文化を伝承する施設と、羊の毛刈りの実演など見学し、車中での昼食とバスでの長距離走行を経験。アカロア湾のクルーズと違いこの日は多くの日本人に出会った。なかにはロトルア温泉に宿泊する日本の若いカップルがいたことを思えば、NZは日本から遠くても日本人がよく旅行する国かも知れない。10月31日より11月6日まで7日間のまあざっとしたおおまかな旅行記であるが、今までの海外旅行より短い日数でありながら楽しみの多い日々であった。

 特に南島のクライストチャーチの街は歴史が浅いせいか、中心街でも清潔さを感じさせた。街に広告らしきものは一切ないし、自販機もなくコンピニ店を見たのは1軒のみであった。商店街にバチンコ、ゲームセンターらしきものも見当たらず、但しカジノ店が二日目の夕食したレストランの前にあったが、賭博場があるのが不思議位に感した。それとタバコ店が見当たらない。勿論タバコを吸って歩いている人はいない。どこの国でもそうであるように(日本以外は)ホテル、レストラン等の公共施設はどこも禁煙である。次に、自動車は中古車で日本製のものが多い。それも埃をかぶり、塗装のはげた車が平気で走っている。同じようなことが、イタリアの南部、ロシアでも見られたが、車体の破損した部分を修理せず何かで覆い使用している。NZでは自動車製造工場がないからと聞いたが、それだけでなく国民性の違いをくっきり見せつけられた。粗衣粗食のみならず、万事自分流に生きている見本みたいな国のようだ。

 その他、同行の世話人(山地利明、正本紀通のご両人)の用意周到な事前調査により、夕食毎に羊、鹿、馬、ルーム貝と違った料理を食べる望外の楽しさも味わった。食通でない私でも各々がおいしく味わうことが出来た。

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『みちしるべ』奈良平城京跡と文化遣産(木簡)を見学して**<2006.5. Vol.41>

2006年05月03日 | 大橋 昭

奈良平城京跡と文化遣産(木簡)を見学して

代表世話人 大橋 昭

 去る3月26日「阪神間道路問題ネットワーク」と「みちと環境の会」は、初めての試みとして共同で、古都奈良に建設されようとしている京奈和高速道路の現地見学を行った。

 これは、昨年夏の道路ネットワーク主催の道路問題学習会に京奈和高速道路建設に反対する市民組織「高速道路から世界遺産・平城京を守る会」事務局長の小井さんをお招きした縁をきっかけに以後交流が進み今回の運びとなった。

 当日は幸い天侯にも恵まれ、総勢11名は春の日射しをうけながら、古都奈良を平城京跡から「奈良町」まで、市民組織の小井、浜田両氏から懇切丁寧なる案内と解説をしていただく。

 市民組織「守る会」は2000年12月に京奈和高速道路建設反対を掲げて結成され、世界遣産として登録されている、奈良時代の木簡(地下水によって守られている)が京奈和高速道路(渋滞緩和を理由)を地下トンネル方式で建設されようとしていることにより、損傷をうけることに危機感を強め現在も国際的な世論の喚起と広がりを求めて、宣伝活動を活発に展開されている。

 周知のごとく、平城京跡は1998年世界文化遺産に登録され、1300年前の奈良平城京と今もそこに貴重な歴史遣産(本簡)が眠る。平城京跡に立てば先ずその壮大さに釘付けとなる。「なぜこんな素晴らしい景観のところに高速道路?しかもこの地中には木簡という希少価値のある文化遺産が存在するのに。・・・」という疑問がわいて来る。

 日本には古都の奈良・京都を中心に歴史的遺跡・建築物が多数現存し、とりわけ神社・仏閣には貴重な古代の金属文化財の材料として、銀・銅・鉛が多用されている。これ以上の新しい高速道路の建設は大気汚染をより深刻化させ、人の健康破壊と金属文化財の腐食を進行させ、理蔵物まで破壊されようとしていることは看過できない。

 建設推進の官僚や政治家たちによる環境破壊をもたらすだけの高速道路建設よりも、貴重な建設費(我々の税金)で古都を樹木で埋めれば、多くの重要な文化遺産は保全される、という発想の不在が情けない。

 特に道路建設によって失われようとしている、この時代の国家の統治に欠かせない、情報の伝達に木簡(細長い木片の物が多く発掘されている)の存在は日本の古代研究に欠かせないもので、紙が貴重品であった時代に木片に墨書したものは、国家運営の重要な情報伝達に用いられ、租税のがれなどの荷札や物品の請求書、役所の公文書などに多用され、文献資料を補うとともに遺跡の性格や年代を知る手がかりとして極めて重要な価値を持っている。本簡のみならず、未発掘の木器、金属器、ガラス、動植物遺体、人骨などに秘められた歴史を解明して行く過程を知ることに限りない興味がわいてくる。

 そんな折り。3月29日の新聞各紙に「徳島県の木簡出土」を見て、木簡の持つ歴史的重要性を改めて学ぶことが出来た。

 記事では奈良時代、朝廷の地方行政機関「阿波国府」に所在したと言われる徳島県国府町の観音寺遺跡で、身元照会の手続き「勘籍(かんじゃく)」が記された8世紀の木簡が初めて出土。国内では最大級の木簡で文字数約150字も異例とされる。朝廷への回答の下書きとみられ、専門家は「律令国家による地方支配の詳細を解明する上で貴重な史料と語っていた。

 京奈和高速道路が出来れば古都奈良の景観も環境も台なしになるし、何よりもかけがえのない貴重な世界文化遺産である地下の本簡は、ことごとく破損されてしまうと言う。

 8世紀日本文化に多大な影響を与えた、中国、朝鮮半島との文化的関わりを示す建造物や芸術品が多く、政治的、文化的に重要であった平城京。これらは未来に向け遺して行かねばならない人類共有の宝物である。

 今回の交流会では次世代のためにも貴重な世界文化遣産の伝承と言う、共通の責務を痛感した現地見学でした。お世話していただいた「守る会」の両氏に厚く御礼もうしあげます。

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『みちしるべ』道路交通工学を考える*道路交通容量について③**<2006.5. Vol.41>

2006年05月02日 | 基礎知識シリーズ

道路交通工学を考える

道路交通容量について③

世話人 藤井隆幸

4-1 連続交差交通について

 前回は一つの交差道路の交通容量について考えてみました。今度は連続した交差点について考えてみましょう。下図のように、左右方向にセンターラインのある片側1車線道路と、上下方向にセンターラインの無い道路が2本交差しているとします。仮に右側の交差点を『尼崎交差点』とし、左側を『西宮交差点』と称します。

 

 各交差点の信号機の時間配分は、左右方向に30秒で上下方向に20秒が割振られています。市街地の一般道路における2車線の時間交通容量は4000台(平均時速40km/hで平均車間距離が20mの場合)です。信号機の制約を受けるため、左右方向が渋滞しないためには、時間交通量の限界は2400台(4000台×30秒/50秒)になります。上下方向は同様にして1600台(4000台×20秒/50秒)になります。

 西宮交差点では渋滞は無いことになりますが、尼崎交差点では上下方向に渋滞が発生します。1時間あたり200台の渋滞が発生します。上下方向共に100台とします。このような状況が、朝の通勤時間帯の2時間にわたったとすると、上・下行きの渋滞の最大車列は200台になります。平均車間距離が5mとすると、1000mの渋滞の列が出来てしまいます。

 このような渋滞を緩和するために、日本の道路行政当局は何をするかというと、尼崎交差点の上下方向道路の拡幅か立体交差化です。前回も説明したように立体交差では問題は解決しません。ここでは道路拡幅をした場合を検討してみます。次に示す図のようになります。

 

 単に尼崎交差点側の上下道路を拡幅しただけの話です。しかし、同時に信号機の時間配分を上下方向・左右方向共に、30秒と30秒にすることになるのは当然の成り行きです。その際の尼崎交差点の上下方向の時間交通容量は2000台(4000台×30秒/30秒)で、左右方向も同じ2000台ということになります。

 上下方向の渋滞は解消することになりますが、左右方向は1時間に400台の渋滞が新たに発生することになります。左右同数としても200台で、平均車間距離が5mでは1時間に1000m(200台×5m)、2時間に2000mの渋滞を発生させることになります。その渋滞は西宮交差点にも達します。西宮交差点では最悪の事態となり、上下方向に行く車の中に1台でも右・左折する車があると、1回の青信号で通過できる交通量は殆ど発生せず、総ての上下行き交通量は渋滞の車列となります。西宮交差点における上下時間交通量の割合が、同じとするなら800台で、1時間の上下行きの渋滞はそれぞれ800台に近くなり、渋滞車列は4000mにも達します。

 左右の道路が市街地の道路である限り、交差点は無数にあるはずです。渋滞解消といって、道路行政当局が行なう拡幅や立体交差化では、面的には渋滞を悪化させる結果にしかなっていないのが現実なのです。

4-2 面的な交差点の交通容量

 では、面的な道路の交差点における交通容量は、如何なることになるのでしょうか。その地域によって、道路の配置は違っています。歴史過程・産業立地・人の交流よって、道路は出来ています。一概に地域の道路網を模式化することはできません。が、交通容量の在り方をめぐる考察の上で、あえて次のページのような、格子状の道路網のある地域を設定してみました。

 

 交差方向にある自動車交通は、必ず、もう一方の交差方向における自動車交通の障害になります。これが自動車交通の抱える弱点です。歩行者を見た場合、大規模交差点のスクランブル信号(歩行者がどの方向にも渡れる信号)で、30秒の間に1000人程度があらゆる方向に移動しようとも、事故など起こる心配は殆どありません。また、鉄道であれば、立体交差にすれば交通容量は無限に近く拡大できるのです。

 上図のような地域に於いて、或る交差点の上下方向に渋滞が発生したからといって、その交差点附近の上下道路を拡幅しても、その道路の交差道路総てに負荷がかかります。負荷がかかった道路総てに、交通容量に余裕があれば問題はありません。現実には渋滞が我慢できない程度以下には、現実の交通量は減ってくれないのが一般的です。最近のように燃料高騰と不況の深刻化があれば、暫定的に交通量は減るのですが。

 或る道路の交通容量だけを増やすのは、渋滞の緩和どころか、渋滞の深刻化を深めるだけです。その地域全体の交差道路交通容量も含め、拡大することが必要です。それらについて、全く否定するつもりはありません。その地域の住民環境なり、産業立地プランに基づき、ある程度の整備は計画しなければなりません。

 しかし、一定の道路整備ができている以上、道路容量を増やすというのは、面的な道路整備が必要となり、膨大な道路予算を必要とします。そこで発想の転換が求められてくるわけです。お金をあまり使わず、地域住民や産業が納得できる方策を考えるのが、道路交通工学です。

4-3 交通容量を増やさずに交通量を減らす

 大渋滞が発生すると、大問題と考える人が多いです。ところが、先に見た限りにおいて、大渋滞の原因になっている交通量というのは案外と僅かなものです。この僅かな交通量を減らす手法について、次に考えてみようではありませんか。それがTDM(Transportation Demand Management)、交通需要マネージメントというものです。

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『みちしるべ』負の遺産は残すまい**<2006.5. Vol.41>

2006年05月01日 | 前川協子

負の遺産は残すまい

前川協子

 「阪神間道路問題ネットワーク」の有力な構成団体の一つ、尼崎の「みちと環境の会」が奈良の平城宮跡を見学されるというのでお伴した。平城宮跡は1998年に埋蔵文化財包蔵地として、日本で初の世界遺産(「古都奈良の文化財」の一つ)に登録されたものである。ところが国交省が、京奈和自動車道大和北道路のルートとして地下トンネルの通過を狙っているのだ。既にボーリング調査も終わり、着々と準備を進めているのだが、もし実現すれば地下の貴重な遺物(木簡群等)や遺構が破壊、損壊されると、「高速道路から世界遺産・平城京を守る会」が発足して、活発な運動をされているのだ。以前にネットワークが、その事務局長Kさんをお招きして、学習会を行った経緯があったので、一同は現地での見学や交流に大いに期待して参加した。

 当日には、思いがけなく高齢化(?)のリーダー格が体調不良で欠席というハプニングもあったけれど、無事に若手の引率で出発ができた。

 さて、近鉄大和西大寺駅に着いてみると、バス乗り場で小旗を振り、我々グループに必死の大声で早く乗るようにせかしている男性がいらして度肝を抜かれた。この方が代表世話人のお一人であるHさんで、学校の先生だったとのこと。その余りの勢いに他の乗客から色々と質問が出たが、闊達に運動の趣旨や今日の状況を説明していらしたので、その一徹な熱心さには感服してしまった。ご当人の弁によると、ボランティアだけどボランティアでは無いそうで、得難い人材だ。下車して見渡せば、農村に囲まれた広大な平城宮跡(125ha)で、所々に遺構や復元された建物が望見される。実にのどかな早春風景の中で、前述のKさんと落ちあう。共に歩きながら、ガイド役のHさんの博識と迫力、行動力に幻惑されてしまい、まるでそこらから古代人が現れるような不思議な感覚に陥った。やはり奈良の都は日本民族の故郷なのだろうか。

 地下トンネル化で懸念されるのは、今まで奈良盆地の豊富な地下水で守られてきた木簡類が、建設による地下水の低下で腐食してしまい、全滅の危険性があるらしい。しかもまだ過半数の文化遺産が未発掘で、地下1m位の所に眠っているそうだから惜しい話だ。既に出土した木簡からは、八世紀頃の政治、経済、社会、文化等に関する史実が色々解明されて、考古学に寄与したことは記憶に新しい。

 のびやかな平野の中の発掘調査で、太政官、兵部省、式部省、大膳食等々の役所跡や天皇の居所である内裏等が特定された。今は壮大な大極殿が復元中だった。感心したのは、現代にも優る都市計画が古代国家に存在したこと。平城京は朱雀大路を中心に碁盤目状の街路で構成され、宮内は朱雀門(古代工法で見事に再現されていた)で堅固に守られていたのだ。これほどの世界遣産や歴史的な環境を、一時的な渋滞緩和策としての高速道路地下化案で危機に曝すのは愚かな行為だ。人も車も少なくなる次代に負の遣産は残すまい。

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 2006年5月21日(日)毎日新聞朝刊6面は、この京奈和自動車道の一部区間(大和・御所道路。大和区間)開通記念対談と題した国土交通大臣と奈良県知事の対談、もちろん早全金区間開通をもくろむための財源確保も含めた宣伝広告であるが、を載せた。奈良の観光振興。まちづくりに貢献するとある。歴史遺産を生かし、海外からの観光客も呼び込むという “奈良”道路網が完備しなくても“今のまま”の奈良を生かさなければ“奈良”はないのだ。ちなみに今回開通した部分と、平行する国道24号線の利用時間の差は約4分である。JR宝塚線事故が私たちにつきつけたのは、安全確保は言うまでもないが、ゆっくり生きよう(スローライフ)ということではなかったか。あの事故から我々が得る教訓は、このことにつきるのだ。(編者S記)

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