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『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』横断車道(61)**<2010.11. Vol.66>

2010年11月08日 | 横断車道

今回は結論を先に書こう。「若い人を見たら、声をかけよう。」だ。国政選挙でも、都市部では40%程度の投票率しかない。地方選挙ともなると30%ほど。当選した人は喜んでいるが、実は少数派の支持しかなかったということだ。圧倒的多数派は、選挙に行かない人たちだ。日頃、声をかけた2~30代の若者の殆どが、選挙に行ったことがないというのだ。「投票しても変らない」▼その若者たちだが、社会に対する不満を聞くと、「満足している」との答えだ。身の上話になると、とんでもない悲惨な状況が珍しくない。しかし、「自分が悪いから」だそうだ。自己責任論が体の隅々にしみ込んでいる▼「今の若いもんは…」というのは、歳を取った証拠か。昔から言われてきたことのようだ。世代間格差は、何時の時代もあった。が、時代の進行と共に、その差が急速に開いているように思う。団塊の世代にとって、若者に声をかけるのは恐ろしいことになっている。切れてトラブルになると困ると思う▼近年になって、時間が許す限り、若い人に声をかけている。スーパーのレジのアルバイト、電車の駅でのグループ、スケボー練習中の子。特に男の子のグループは、いかめしくしている事が多いが、話してみると意外に素直だ。結構、目上を尊敬してくれる▼構造改革(国)や行財政改革(地方)で、徹底して貧乏人を締め上げた。そして金持ち優遇。格差社会は極限かと思いきや、まだまだ強化する政策が執られている。計画的に特定企業のみを優遇する、社会主義日本の企業は世界最大の国際競争力をつけ、円高が留まるところを知らない。内部留保という非課税の純利益は、国内総生産の半分もある。一方で、過労死や自殺が止まるところを知らず、増え続けている▼このような社会にあって、家庭環境が劣悪になっている。世帯を支える者の所得減退、失業。経済的混乱による離婚も後を絶たない。そのような社会にあって、最大の犠牲者は子供たちだ。若者は良かったと思う時代を一切経験していない。社会が信じられなくなったからといって、若者を責める気にはなれない。孤立無援の中で、自分がシッカリしなければ…。そう思っている。そして「自分が悪い」なのだ▼若者に限らず、団塊の世代も社会性を失ってはいないだろうか。地域社会などで、協力し合うことがなくなってきている。労働組合だってそうだ。個人主義的になっている象徴は、我が子や孫だけを、特段に可愛がる。社会の子供は総て可愛くて、大切にしなければならない。そんなところを、若者は見逃すことはない。しっかりと見られているのだ。青年層に社会性の欠如があったからといって、攻められるのか▼そこで結論である。選挙にも行かない多数派が、社会性に目覚めたとき、世の中に変化が生まれる。活力が生まれる。閉塞感一杯の社会に、光りを見出す一点は、そこにある。若者に声をかけよう。(コラムX)

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『みちしるべ』**二番煎じ、ゆっくりがいい**<2010.11. Vol.66>

2010年11月07日 | 藤井隆幸

二番煎じ、ゆっくりがいい

藤井隆幸

 『名古屋新幹線公害原告団』の人たちが上京する際は、バスをチャーターされていました。『大阪空港公害原告団』の人たちも、間違っても飛行機は使いませんでした。自らが訴訟する相手の交通機関は使わない。それに比べて『国道43号線道路裁判原告団』は、主には新幹線を使ったとはいえ、夜行バスやマイカーも使ったし、飛行機で帰ってきた人もいたようでした。夜行バスについては、前日に上京して宿泊する経費を削減し、早朝に、最高裁や建設省(当時)で門前ビラ配りが出来るので、理由有りとはいえますが。柔軟といえば柔軟です。『新幹線原告団』などからすれば、節操がないというか。「一番煎じ」の澤山画伯からは、ご批判もあろうかと………。

 さて、全国交流集会に参加するために、交通機関を何にするかという問題。今回の名古屋で行われた道路全国連・全国交流集会の参加者も、多くは新幹線を使い、車で来た人はなかったようです。東京・埼玉・千葉・神奈川の首都圏からは、やはり新幹線が便利なようです。反対の西から、広島の人たちも新幹線でした。大阪も新幹線でした。京都からは在来線の新快速で、安上がりで来られていました。奈良の人は、さすがに近鉄だったようですが、アーバンライナー(近鉄特急)でした。西宮から名古屋へは、最近開通した阪神難波線を利用することもできるようになりました。鉄道利用の費用と時間を調べてみました。

JR新幹線を利用の場合
JRさくら夙川→JR名古屋  約1時間30分  ¥5,980.

JR在来線(新快速など)利用の場合
JRさくら夙川→JR名古屋  約3時間00分  ¥3,570.

近鉄特急(アーバンライナー)利用の場合
阪神香櫨園→近鉄名古屋  約3時間00分  ¥4,520.

近鉄急行など乗継利用の場合
阪神香櫨園→近鉄名古屋  約4時間00分  ¥2,670.(¥1,870.)

 やはり新幹線が早いだけ高額です。阪神難波線で近鉄と直結しているのですが、近鉄特急のアーバンライナーを使うと、JR在来線と時間が変らず、割高ということになります。近鉄を特急券なしで利用すると、¥2670ということに。阪神香櫨園から難波まで¥370で、近鉄の運賃が¥2300です。急行や区間快速が利用できるのですが、時間帯によって3時間半から4時間もかかってしまいます。もうひとつ割安感がありません。

 そこで格安チケットショップで、1回乗車で区間制限なしのチケットを購入しました。何と¥1500でした。阪神難波までの¥370を足しても、¥1870ということです。これなら、4時間の長旅の苦労も消化できるかな? 今回はこのチケットを利用し、交通費は往復でも¥3740で済みました。香櫨園~難波間の安売りチケットが売り場になかったので、数十円の損ということになってしまいました。

 以前に、道路全国連の実行委員会が名古屋で行われた際に、JR在来線(新快速など)で行ったことを話すと、澤山画伯は近鉄の“一回乗り放題”のチケットを薦められた。やっと実現したものです。広島の福山に講演に呼ばれた時も、JR在来線で行ったりしました。

 JRの“青春18切符”を利用する旅行者は、私の周りに多くいます。いずれも「昔の青年」ばかりで、チケットのネーミングが現実と乖離しているのが、何とも面白い。とにかく、早いばかりが能ではないということだと、澤山画伯に同調しているのですが………?

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『みちしるべ』斑猫独語(42)**<2010.11. Vol.66>

2010年11月05日 | 斑猫独語

澤山輝彦

<ゆっくりがいい>

 リニア中央新幹線の路線が南アルプスをトンネルで抜ける直線コースに決まった。日本の土木技術の水準は高いからトンネル工事その他問題はないだろう。だが、開発される周辺の動植物には命にかかわる大きな環境変化が起きることだろうし、くりぬかれる南アルプスの水脈が変わって山容が変わったりしないかと気になるのだ。

 リニア中央新幹線は東京名古屋間を40分で結ぶそうだが、そんなスピードを必要とする人はどれだけいるのだろう。「時は金なり」を最高の信条とする人達が必要だと言うのはわかるが、時を買えない人、買う必要のない人にはこんなものいらないのだ。スピードには関係無いがもう一方にはこの事業にからむ諸々の利権に群がる人達がおり、彼等にはこの事業はなんとしてもやらねばならないものなのである。こんな勢力が推し進めている事業なのだ。だが出来上がれば、すばらしい技術国日本、とナショナリズムをかき立てる言葉があふれ、のせられた人々はぞくぞくと乗りに行くに違いない。「狭い日本そんなにいそいでどこへ行く」こんな言葉が流行ったことがあった。この言葉をもう一度流行らさねばならない。それが今生きる者にとって非常に大切な意味を持つのだ。

 新幹線が出来て喜んだら在来線の列車が減らされてそれを利用する人が不便なめにあったり、高速道路が出来て乗客を車にうばわれた地方鉄道は破滅に向かう、車を使わない人は迷惑をこうむるだけだ。明石海峡に架かった橋も車の利便さだけが取り上げられて、あげくの果てはタコフエリーを沈没させようとしている。都市間を結ぶスピードだけが追求された結果、地方住民の生活のために必要な足としてあった既存の交通手段が軽視、無視されてしまうのである。不便を解消して便利になるというのが普通の流れだ。便利になって不便が生まれる、こんな逆の流れは許されるものではない。

 そんなことで不便をこうむった人々のためにも、また、スローな移動手段を利用したい人のためにも、それを楽しみたいという人々のためにも既存のスローなものを残すべきである。それはおっとりとした国民性を育てる路線になり、そんな物に乗って育った人々が物に動じない、ゆとりのある未来をつくるであろう。

 新幹線で新大阪から東京まで、こだまを利用する人はほとんどいないだろう。これはスローなものである。私は一度それで東京へ行った。途中何度も後発の電車が追い越すために待避を繰り返したが、意地をはって乗ったのだから我慢我慢で東京まで行った。その時、私が案外これはいいなと思ったことがある。それは車内は空いているから座席を二三人分独り占めできること、そこで人目をはばかることなく飲み食いが出来たということだった。新幹線を使ってもゆったりとした気分の旅を味わうことが出来るのだ。

 在来線の列車の思い出は数々ある。大阪から松本や長野へ向かう夜行急行「ちくま」はそんな中でも特に思いの深い列車であった。夏の登山、冬のスキー行によく利用した。座席を確保するために乗る何時間も前から大阪駅コンコースで座り込んで待ったのだった。東京大垣間の夜行急行電車も人気のある列車だった。たくさんの「時は金なり」を必要としない人達がこれを利用した。これらをよみがえらせと言うのではないが、在来線はまだまだ工夫次第で客を呼ぶ列車を走らせることが出来るはずだ。

 四面を海に囲まれた日本は世界一の海運、造船国になり、海国日本と誇ったことがあった。大阪では木津川、尻無川の川筋にたくさんの造船所があったし、安治川の河口には日立造船桜島工場があった。狭い川へ進水する船は横滑りや重い鎖を引きずったりして対岸にぶつからないように工夫をして進水したのである。そんな時代には究極のスロー移動手段である船旅が、それも客船で出来たのである。大阪天保山は関西汽船の瀬戸内航路のターミナルであった。ここから別府、讃岐、小松島、徳島、高松へ行く航路があったのだ。別府航路は花形航路であり、瀬戸内海を行く船旅は新婚旅行によく利用されたという。高等学校の修学旅行で九州へ行った。帰りは別府から別府航路の船旅だった。一度乗りたいと思っていた船に乗ったのに、友達と遊ぶのに一生懸命だったから、船の中のことなどほとんど覚えていない。今考えるともったいないことをしたと思う。若かったのだ。

 淡路島まで関西汽船の船でいったことがあるし、神戸まで乗船することが出来る便があったので、それにも一度乗りたかったのだが、乗らずに終になった。今では、純粋の客船による近海の航路はもう無いはずだ。今はカーフエリーに旅客として車なしでも乗船出来るのでそれで船旅が出来る。もう十年も前の話になるが、西表島へ行った帰りに石垣島から那覇まで大型のカーフエリーに乗ったことがある。切符の購入に一寸したどたばたがあったが、おかげで買えた切符は二人部屋を一人で使う快適さを提供してくれた。船は宮古島に寄港し荷役をする。その間船を下り、町をぶらつき夕食をとった。船にもどるとまだ牛を積み込んでいる。黒い牛だった。やがて出港、暮れて行く海を、船室を出たり入ったりして見ながら過ごす。夜、船は相当揺れる。トイレへ行くには通路の手すりを持つほうが安全だと思われたし、トイレの中は洗浄水が船の傾きと共に波打ちながら流れていた。静かな海より海らしい。船酔いもせず、泡盛に酔って寝てしまった。この航路、会社の経営不振でもう無くなってしまったと聞く。

 〇〇クルージングとか言う船旅の広告を見ることがある。これには日本の新しい豪華な客船も就航している。この旅には食事時の衣装スタイルのきまりがあったりする。そんなこと私は嫌いだから、これに乗ることはない。気楽な船旅があればなあ。名古屋から出る太平洋フエリーがいいそうだ。

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『みちしるべ』熊野より(32)**<2010.11. Vol.66>

2010年11月04日 | 熊野より

三橋雅子

<本宮の大逆事件①>

 今年は1910(明治48)年に起きた大逆事件から100年が経つ。ここ本宮の地に来るまで、ここが、かの大逆事件に関わりのある地とはぜんぜん知らなかった。我が家から5~6㌔の国道沿いに請川(ウケガワ)という地があり、かつてそこをバスが通過する時は、窓際の乗客は袖で面を隠して通り過ぎる、という話を聞いた。その近くに掛かる成石橋界隈が、事件の謀議の一味と見なされた成石兄弟の在所である。

 本宮大社といえば神々賑々しいだけでなく、ここへ「蟻の行列」をなしてお参りに足を運んだ朝廷一族の末裔、天皇家との縁はいまだに深く、我が家のお風呂、湯の峰温泉は天皇家お忍びの温泉とか。その天皇家に謀議を企てた、などという由々しき事件には、永く緘口令が敷かれていたとしても・・・と納得がいった。

 成石兄弟とは成石勘三郎、平四郎のことで、天皇暗殺の謀議に加わった廉で二人とも検挙された。平四郎は「主謀者」幸徳秋水と共に死刑に処せられた12人の内の一人である。二人とも社会主義思想に関心を持ち、新宮の講演会や、勉強会などに足を運んでいたことは確かだが、とりわけその中で先鋭な活動家であったと見られる節はない。また、謀議を図るに足るグループらしきものも存在していなかったといわれる。

 捏造と言われる大逆事件は、これより7年前1903(明治41)年の赤旗事件に端を発する。社会主義者の堺利彦、大杉栄らが、同志山口孤剣の出獄祝いに「無政府共産」と大書した赤旗を押し立てて行進しようとしたかどで、女性4人を含む13人が検挙された。これを機に取締りの甘さを批判されて西園寺内閣が辞職、代わる桂太郎内閣が厳しい取締りを強めていく中で1907(明治40)年に新刑法の大逆罪が制定された。天皇家へ危害を加えようとした者の極刑の規定である。

 この赤旗事件の時、結核に冒されていた幸徳秋水は郷里の高知で静養中であったが、公判の開始に際して上京、その途中、新宮の医師、大石誠之助宅に立ち寄る。診察を受け、しばらく静養もするが、主な目的は財政援助の依頼であったといわれる。近くの寺で講演会を開いたり、熊野川に船を浮かべて「海老掻き」を楽しんだといわれる中に成石兄弟もいた。秋水は東京にたどり着くが、この新宮周りの道程と地元での接触が、秋水の足取りに沿って、「謀議」なるものの筋書きが形成されたもののようである。熊野川での川遊びは「月夜の革命談義」として検察による意味づけがなされ、調書に脚色されていった。折悪しく平四郎は、当時鉱夫などが自由に持ち歩き、漁法としても使われていたダイナマイトと導火線が自宅から押収され、爆発物取締り違反で起訴された。一旦は釈放されるが、やがて刑法73条(大逆罪の規定)違反に切り替えられて東京へ護送。兄、勘三郎は単なる平四郎の証人として召喚、取り調べられているうち、同様に刑法73条の被告人として、これまた東京へ護送されてしまう。本人も家族達も何のことやらわけが分からないまま、爆発物取締り違反事件が、大掛かりな「大逆事件」へと転換していく。秋水の講演会を開いた浄泉寺の僧、高木顕明も同様に検挙されていった。(死刑は免れて無期懲役となったものの、獄中で自害。)

 彼は被差別の檀家からはお布施が取れず、自らあんまの修行をして生計と寺の維持をまかなったと言われる。秋水が逗留し、資金的な拠り所としても頼りにしていた医師、大石誠之助もまた、毒を取ってくれるドクトル大石、と住民たちに慕われ信頼されていた。貧しい者からは治療代を取らず、窓口で3回ノックしたら免除(1回ノックは普通扱い)、というような約束事があったという。当時、紀州木材による「金の成る山」を持つ富豪の自由主義者や思想的な影響力の大きい僧侶が、虐げられた下層の人たちの信頼と尊敬を得ている図は官憲にとって誠に危険な、いち早く潰さなければならないターゲットであったのもうなづける。

 この医師、大石誠之助の甥が、西村伊作、『みちしるべ52号(2008年5月)』「新宮の文人たち」に登場した、東京市谷の文化学院の創設者である。伊作記念館の中で見つけた瀟洒な家具も作ったりする豊かな趣味の医師、大石誠之助にもその時触れたが、彼は傍目には資産家の優雅な文化人として、医療の合間に木工に費やす時間を楽しんでいたかに見えるが、実は心中、来るべき、否すでに身辺に迫っている暗黒の時代の苦渋をかみしめていたのだろうか?

 誠之助と伊作は単なる伯父、甥の関係でなく、伊作は両親を幼くして亡くした(地震災害)ため、誠之助に親代わりとして教育されて育った。思想的な影響も大きく、伯父と同様アメリカ留学を糧にして、個人尊重の「新しい家」を作り、絵画や陶芸の芸術教育を尊重する、自由な学び舎・文化学院を東京に創った。直接的な社会運動にこそ身を投じなかったが、その反権力行動は二度の投獄経験を招いている。

 誠之助が連行され東京に護送されたので、伊作は弟と二人でアメリカ留学から持ち帰ったオートバイ、ハーレイを連ねて東京に向かう。尾行の地元の警官は慌てて自転車で追うが到底追いつかず、隣の駐在に連絡、応援を頼むがこれも風を切るようなハーレイには歯が立たず、次々と沿道の、連絡を受けたおまわり達の自転車ををまいていった、と小気味良い東海道珍道中が淡々と描かれている。(伊作の自伝的著書『我に益あり』)

 時に伊作26歳、二児の父が虎革のジャンパーをひるがえしてハーレイをぶっ飛ばす光景は、おまわりだけでなく沿道の人々にも瞠目の図であったに違いない。しかし敬愛する伯父を案ずる彼らの心中は如何ばかりだったか。しかも伊作の、いささか古かったハーレイが途中で故障し、あえなくお縄になった。

 もう一回の投獄は文化学院の校長として、紀元節(現、建国記念日)や明治節(現、文化の日)といった祝祭日の儀式を行わなかったため、不敬罪のかどで、検挙される。のみならず、文化学院は遂に閉校命令を受けることになる(戦後再開)。戦前、祝祭日は今のように丸々の休日ではなく、登校して君が代はじめ「雲にそびゆる高千穂の・・・」などそれぞれの祝祭日の歌を歌い、教育勅語など賜り・・・、と退屈で「厳かな」儀式で半日近くが潰れるのであった。これを免れる点だけでも私は文化学院が羨ましい。

 いささか傍系に話が流れたが「大逆」の陰謀物語はこうして着々と作り上げられていった。戦後永く、本宮町になってからも、その前身本宮村というちっぽけな在所に、「本宮警察署」という和歌山警察署と肩を並べるような「格の高い」警察組織が歴然とあったのも、この事件の名残ともいわれる。(現、本宮幹部交番)

 今、請川には兄弟の<名誉回復を顕彰する碑>が墓の近くに建っている。勘三郎の孫に嫁いだ飯田久代さんは健在で、兄たちの無罪を信ずる妹とみの苦労や、義母(勘三郎の娘)の心痛を身をもって知る人である。

  生き別れ弟死刑にわれ終身長崎さして涙を呑みぬ  

と恩赦で無期懲役になった兄は長崎監獄に送られて行くときに詠んだ。家を出て20年後仮出獄したが、死刑の弟への無念さと長期の監獄生活で痛めた体は回復叶わず1年後に病没。

  行く先を海とさだめししずくかな   

成石平四郎 辞世の句

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『みちしるべ』**山手幹線開通あれこれ**<2010.11. Vol.66>

2010年11月03日 | 芦屋道路問題ネットワーク

山手幹線開通あれこれ

池浦康子

 山手幹線が10月24日全線開通しました。計画決定から64年の長い年月でした。ずっと夢物語りのように語りつがれていたのが平成7年の震災で多くの家屋が倒壊し、この時とばかり建設計画の発表がありました。震災の痛手と環境破壊とになやまされました。翠ヶ丘町の中央を南北に走る稲荷山線の建設反対で、結束していた人が中心になって山幹建設反対の運動が起こりました。

 不安一杯の地権者、沿道住民が集まり学習会をしました。出来ることからやってゆこうとNO2測定を始めました。これは貴重な参考になりました。学習会は道路問題に詳しい方の公演を聞いたり、道路問題に取りくんでいる地区の見学とか、情報を求め乍ら阪神間道路問題ネットワークの仲間に入れて頂きました。藤井隆幸さんに公演をして頂き、以後、毎月一回の例会で会員の方々の率直な意見やアドバイスを受け、今日まで辿りつきました。

 住宅地の中を貫通する幹線道路の反対は今も変りませんが、反対、反対と言っていても行政は話し合いに応じないので、これでは一人相撲の空廻りしているだけなので、自治会で行動しなければならないと、会長さん中心に翠ヶ丘町と月若町、西芦屋町の3町が平成10年、地域環境を守る会を結成しました。以後、行政との話し合いが続きました。真剣に素直な気持で話し合うことで、お互いの信頼が少しづつ出来ていくのを感じました。

 最初発表された予測値が43号線沿道にあった深江局の測定値を基に、予測交通量25,000台による増加濃度を加えたものでした。何故深江なのか? 翠ヶ丘は静かな良い環境の街です。平成9年から毎年NO2の測定をしていたので予測値が納得出来ませんでした。それではと芦屋市が一年間3町の環境測定をして、私達と一緒に環境についての勉強会をしました。各町の測定値を基に基準値を更新して、これを越えた時には対策を講じる事等、環境保全協定を市長と締結しました。

 開通後も環境を守ることの注意を怠ることが出来ません。環境問題では音や振動は体で感じますが、空気の汚れは目に見えないので喘息等の公害が広がったら騒ぎ出すのです。住宅地は幼児や高齢者の弱者が一日の殆どを過ごしている所、そして人々の憩いの場であります。生き物にとっては、かけがいのない大切な空気です。汚れた空気はジワジワと生き物をむしばんでいくことを忘れず良い環境を保持しなければなりません。環境を破壊しない車の実現を切望します。

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『みちしるべ』**山手幹線【芦屋川工区】の写真 その雑感**<2010.11. Vol.66>

2010年11月03日 | 藤井隆幸

山手幹線【芦屋川工区】の写真、その雑感。

 この写真、魚眼レンズで撮ったものではありません。5枚の写真をつなぎ合わせたものです。左側「月若橋」が芦屋川の上流で、右端の「大正橋」が下流になります。直線的に流れる芦屋川も、180度、曲げられてしまったように写っています。

 山手幹線から月若橋までは15m程度でしょうか。大正橋まででも、25m程度でしょう。芦屋の住民にとって、さして山手幹線の必要性はないようです。あくまでも「よそ者」の都合でしょう。

 写真を撮った私の後ろ側が神戸方面。神戸方面へ少し行ったところに、『東神戸トンネル』という、全線大深度地下トンネルの都市高速道路が、山手幹線と直行するはずでした。

 バブルに踊った計画は、当然のごとく破綻。『東神戸トンネル』のアクセス道路となるはずの、山手幹線のみが出来あがりました。

 「道路は沢山あった方がよい………。」という人があります。かつてフィリピンの大統領であった故マルコス氏、その夫人イメルダさんは、毎日履き替えても有り余る靴を持っていたそうです。

<藤井隆幸>

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『みちしるべ』**川西自然教室NO2測定再開**<2010.11. Vol.66>

2010年11月02日 | 川西自然教室

川西自然教室NO2測定再開

田中 廉

 川西自然教室で7月よりNO2測定の担当となりました。初めてのことで、良く分らないことだらけですが宜しくお願いいたします。前任者の中本さんの時は大体45地点で測定されていましたが、新体制ではマンパワ-の関係もあり、調査地点を絞り以下の目的で調査することになりました。

  1. 新名神高速道路(建設再開)の影響を調べる
  2. 今まで調査していた場所で引き続き調査し、大気汚染の年次変動を観察する
  3. 随時、マンションの上と下、上り坂と下り坂、幹線道路からの距離と汚染の違いなど、素朴な疑問に答える調査を行う
  4. 少しおこがましいですが、行政へのアピ-ルというかプレッシャ-
  5. 環境問題に関心を持ってもらうための啓蒙活動
  6. 測定方法の改善

上記の項目について少し補足説明をします。

  1. 川西市北部では新名神高速道路の工事が再開されました。政権交代により、また緊迫する国の財政事情より工事はこのまま中止になるのではとの希望的観測もありましたが、工事は再開されました。幹線道路が周囲に与える影響を調査したいと思います。NO2値は、天候、時期ほかにより大きな影響を受けるので、できるだけ沢山のデ-タ-を積み重ね、新名神高速道路完成後のデータ-と比較したいと思います。問題は観測地点が少ないことで、常時協力者を募っています。
  2. 今まで自然教室が取り組んできた豊富なデ-タ-がありますので、経年変化を見るにはこれは重要なデ-タ-だと思います。
  3. すでに各地で調査され答えが出ているとおもいますが、自分たちで色々な疑問について調査したいと考えています。たとえば、マンションの1階と10階では普通は上位階の方が空気は綺麗と思われがちですが本当なのか? マンションの立地条件により異なることも考えられるのでいくつかのマンションで調査を行っています。これも複数回実施し、傾向を見たいと考えています。
  4. 財源不足の名の下に公的な大気測定室に係る予算も削られ、行政の環境問題、大気汚染への取り組みが後退しています。民間で測定を続けることにより、其れだけ一般市民の関心が高いのだとアピ-ルを行い、行政の環境への取り組みを後押しできればと考えています。
  5. 自分の住んでいる場所の大気汚染の目安が得られることにより、環境汚染に対する関心が高まることを期待しています。その意味で、できるだけ多くの人に、短期であっても参加してもらえばと思います。毎月測定を行うのは結構、面倒で、特定の日にNO2測定キットを吊るし24時間後に回収するなどプレッシャ-もあります。これからはもっと気楽に、自分の住んでいる場所の大気汚染を一度調べたいという人の参加を図りたいと思います。
  6. 初めてで経験不足なので、キットを配布してから吊るすまでの時間、また、回収してから吸光計で測定するまでの時間(日数)はどの程度までが許容範囲かなど、自分で確かめたいと考えています。

以上、色々な抱負を語りましたが、いかんせんマンパワ-不足なので、上記を理想として無理のない範囲で、細く長く続けてゆきたいと思います。

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『みちしるべ』**36回道路全国連・全国交流集会 アピール**<2010.11. Vol.66>

2010年11月01日 | 道路全国連

36回道路全国連・全国交流集会 アピール

 私たちは、第36回道路全国連・全国交流集会を11月13日、14日、愛知で開催、全国から43団体142人が参加した。

 昨年8月の総選挙に向けて民主党は「コンクリートから人へ」をスローガンに、マニフェストには「自動車中心の街づくり政策を転換し、路線バスや軌道系交通(鉄道・路面電車・次世代型路面電車システムLRT等)を充実する」と掲げた。そして政権担当後は国幹道建設会議を廃止し、全国の国道130路線を凍結候補とするなど、自公政権の道路特定財源に依拠してひたすら道路づくりを推進する政策に対比して、大いに期待を抱かせるものであった。

 しかし半年も経過しないうちに凍結候補の6割、78路線の凍結を解除してしまった。民主党都道府県連の要望によるものという。これら民主党都道府県連が日本の、あるいはそれぞれの都道府県の交通政策について議論したかどうかは報道されていない。

 また、高速道路については、建設の可否を判断する事業評価の費用対便益(B/C)の計算過程で便益を過剰に計上し、建設ありきで計画が進められているとの指摘がされている。この度、行政刷新会議で公共事業評価の要であるB/Cが俎上に乗ったが、道路全国連はより一層の抜本的見直しを求め、それに基づいて全事業のB/Cの見直しを要求する。

 決定されれば状況が変化しても止まらない道路計画・建設に対し、道路全国連は、改めて徹底した情報公開と事業中止を含めた再検討を求めるものである。

 そもそも道路建設の理由としてまず挙げられる交通渋滞に対し、道路新設によって対応する政策は既にここ30年にわたり破綻が明らかになってきた。つまり道路を新設、拡大するたびに渋滞は拡大し続けてきている。

 いまや年々多様化し増大する国民の交通要求に対しては、道路増設によらず、公共交通拡充によるしか解決はあり得ない。これはこの間、世界で立証されている。CO2削減のためにも、PM2.5削減のためにも自動車交通の総量抑制は重要な課題となっている。

 この1年も道路計画見直しや道路公害に反対し粘り強い運動が全国各地で展開された。5月には広島の国道2号線訴訟で、道路の差し止めは認められなかったものの周辺住民の騒音被害に対し国の賠償を求める判決が出された。また、大気汚染公害裁判を闘ってきた公害被害者が要求する医療費全面救済を私たちも支持し、その成功のために闘うものである。

 道路全国連は、個々の道路に対する公害対策を求め続けると同時に、車優先の道路建設から本来あるべき交通政策の樹立を要求するものである。

2010年11月14日

第36回道路全国連・全国交流集会

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