『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』斑猫独語(37a)**<2009.11. Vol.61>

2009年11月06日 | 斑猫独語

澤山輝彦

<我輩は鉄ちゃんである!>

 私は鉄道が好きだ。交通手段にはまず鐵道を考えるし、一人で電車に乗る時には出来るだけ運転台の真後ろに立ち前方を見たいというささやかな欲望にかられる。いわゆる“鉄ちゃん”なのである。国鉄西成線や市電桜島線を見て使って育った結果こうなったのだと思っている。高齢鉄ちゃんは今、鉄道のすべてがわかる「ビジュアル大百科・鉄道データファイル」という週刊誌を毎週買い、過去、現在の鐵道情報を仕入れ楽しんでいる。そんな鐵道データファイル285号(2009.9.8)は、私に懐かしい思い出をよみがえらせてくれた。それはDD12型ディーゼル機関車の記事だ。そこを少し引用してみよう。

 「昭和20(1945)年8月の終戦時、米軍の予測では日本国内の鐵道は壊滅状態にあり、十分に機能していないはずだった。そのためフイリピンのマニラに鉄道要員2000人と各種資材を待機させており、この中には8両のディーゼル機関車が含まれていた。しかし、上陸後に列車が時刻表に従って走っていることが判明、米軍は鐵道の直接統治を止め、国鉄に対し指令を出して占領輸送を行う間接統治に切り替えることにした。」

 ぼかぼかにやっつけたはずの日本で列車が時刻表通り走っていたのだ。これにはアメリカ人は驚いた。びっくりしたアメリカ人の事は笑えるが、福知山線列車事故にまでつながる列車ダイヤ厳守の精神におもいが行けば笑いもひきつってしまう。

 さて私の思い出話だが、この時アメリカが用意した8両のディーゼル機関車の一つに私は乗っているのだ。続いて引用すると「昭和25(1950)年3月には、西宮球場で新聞社主催の「アメリカ博覧会」が催され、会場内の仮設線路で8500級(アメリカが持ち込んだ8両に与えた米軍標識ナンバー、後に国鉄のDD12型になる)が展示運転された。おもに航空機関係を主体とした博覧会であったが、当時ディーゼル機関車は多くの日本人にとって非常に珍しく、注目を集めたという」このアメリカ博覧会に仲良しだった渡辺君が兄さんと行くことになり、私も一緒に連れて行ってもらったのだ。たしか小学校5年生の時のことだ。ナイアガラの滝や大統領の顔を彫った岩山の野外模型、空飛ぶホテルと呼ばれた二階建ての旅客機の模型内部を歩いたことなどを覚えているが、なんと言ってもそこで先の展示運転ディーゼル機関車に乗ったこと、機関車の外側のデッキに乗って短い仮設線路を往復しただけのことだが、あのうれしかったことは今も忘れられないのである。それまで蒸気機関車と電車しか知らなかったから、ディーゼル機関車を見て、乗ったことに私の得意度は最高になっていただろう。その響きはしばらく体にしみついていたのであった。

 こんな話を歴史の一こまとして発達してきた鉄道も、衰退に向かって走るしかなかった。そこには様々な要因があったが、自動車の普及が引導をわたしたのである。大幹線はともかく地方鉄道の多くは廃止されて行った。鐵道を衰退に追い込んだ自動車が、今またフエリー業界を衰退に追い込んでいる。これには無定見な道路行政が荷担していることは明らかである。こんなことが平然と起こる日本に私は住み続ける。政治を怒るのは簡単だが、簡単に行かないのが、自動車に乗る一人一人についてである。

 自動車を利用する者一人一人が、その社会的に及ぼす影響を、もう少し深く真剣に考えなければならないのである。

 和歌山電鉄の“玉ちゃん”という駅長ネコが人気だ。これとて鉄道経営の困難から生まれた、人寄せ策なのだが、玉ちゃんを見るため車が殺到して駅周辺の人たちが困っているという。“電車に乗ったらんかい”あ!地が出てしまった。ついでや、1000円で走れる高速道路におしよせ、自らが渋滞の一員でありながら、全く他人事のように「しんどいです、へとへとです」などと差し出されたマイクに向かってしゃべる光景をテレビニュースで何度か見たが、あほか!これは貧しさのあらわれではないのか、私は思う。ゆったり、ゆっくり、堂々と行こう、これが貧しさの対極なのだ、と断言までする気はないが、ゆったり、ゆっくりのある状態、私はそこに少なくとも精神的には富者を感じるのだ。とか何とか意地を張るのである。

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『みちしるべ』**金仙寺湖からのたより**<2009.11. Vol.61>

2009年11月05日 | 北部水源池問題連絡会

金仙寺湖からのたより

北六甲台自治会環境委員会

 皆さん、盆踊り大会出店のジャンボ焼き鳥はいかがでしたか。お味は? 焼き加減は? 美味しく召し上がって頂けたでしょうか。私たち環境委員会は、金仙寺湖を主とした飲み水の安全と安定供給の監視・働きかけなどを行っています。盆踊り大会では、広く地域の皆さんとのコミュニケーションをはかり、より楽しんで頂くために焼き鳥店を出店しています。出店は当委員会発足1年後の平成6年からで、今年でもう15年になります。

 昨年、一昨年とも用意した1000本が8時過ぎには売り切れたため、今年は200本増の1200本を用意しました。それでも今回は焼そばが無かったこともあってか、順番待ちの長蛇の列が絶えることのない大忙し。夏の暑さと火の猛攻とのダブル暑さでスタッフ一同汗だくでした。奮闘の甲斐あって昨年より販売数が2割増えたにもかかわらず、逆に8時前には完売。そのため、後から来られた方にはご迷惑をお掛けしました。ジャンボ焼き鳥のファンの皆様、また来年も頑張りますので、これに懲りずに楽しみにしていてください。

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 この8月にお隣の中国陝西省、湖南省で立て続けに発覚。合わせて2000人を超える児童の鉛中毒問題の記事を目にしました。近くの金属精錬工場の廃水垂れ流しによる河川や地下水への水質汚染が原因の健康被害です。子供の体調異変に気付いた親たちが暴動を起こして問題化したために表面化した希有なケースです。多くの発展途上国では、このような環境汚染が恒常的に行われており、この発覚は氷山の一角と言えるでしょう。 

 わが日本でも約50年前の高度経済成長期において、水俣病、イタイイタイ病、大気汚染によるぜんそくなどの産業公害が発生しました。多くの方々が健康被害に遭われ、そして、この環境修復には本来の対策費用の何百、何千倍もの多大な費用が発生しました。

 前号5月31日発行の「とんがりぼうし」の「金仙寺湖からのたより」欄にも記載しましたように、世界では5人に1人がきれいな水を飲めないと言われています。そして、この傾向は加速度的に悪化しています。

 一度失った環境を取り戻すには、膨大な費用と労力、そして長い自然回復期間が必要です。子々孫々の代まで安心して住み続けることができる持続可能な地球環境を、私たち一人ひとりが心掛けたいと思います。

 10月24日(土)に、北部水源池問題連絡会(註)主催の「第7回原水(船坂川源流)クリーンキャンペーン」を実施します。昨年は、新たにボーイスカウト21名の参加もあり、「安全で美味しい水」を守るための輪が着実に広がっています。好評の焼き芋大会は今年も予定していますので、ご家族・ご近所お誘いの上参加して頂ければ幸いです。詳しくは、後日、自治会回覧にてご案内いたします。

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(註)北部水源池問題連絡会: 北六甲台、西宮すみれ台、新中野、名塩赤坂、緑が丘の五自治会で構成しています。

 ※  これは北六甲台(西宮市)自治会の会報『とんがりぼうし』に掲載されたものを、著者の承諾を得て転載したものです。北部水源池連絡会のメンバーである北六甲自治会、その環境委員会の活動を紹介したものです。

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『みちしるべ』**山手幹線熊野工区事業概要への意見書**<2009.11. Vol.61>

2009年11月04日 | 藤井隆幸

山手幹線熊野工区事業概要への意見書
(パブリックコメント)

世話人 藤井隆幸

<意見の主題>

山手幹線熊野工区は2車線供用とすべき

<意見の概要>

 山手幹線熊野工区拡幅は既に都市計画決定済みで、多くの沿道住民(法人)等は、拡幅予定地からセットバックして、その住居・設備を建設しているところです。従って、拡幅そのものに関しては、安易な賛否の意見はしないものです。あくまでも、沿道住民・地権者の意見を良く聞き、その意見に行政は真摯に耳を傾けられるよう希望するところです。

 近年に供用開始された芦屋市の全市と、同時期に供用された西宮市大谷工区・寿工区、それに熊野工区から東の尼崎市境までは、環境的配慮から2車線供用している実態があります。拡幅に関しては地元住民との話し合いに拠らなければならないものの、4車線にしなければならない理由がありません。

 近年供用された山手幹線の沿道住民の意見も尊重し、熊野工区も2車線の供用にすべきです。特に、武庫川架橋拡幅事業に際しては、沿道住民に多大な負担を与えたことも想起し、その際の話し合いの内容を反故にすることなく、現状の2車線の供用を求めるものです。

<都市計画の経緯>

 山手幹線の都市計画決定は、昭和21年です。敗戦後、日本が本来の施政権を回復したのは、ご存知の通り昭和26年のことです。アメリカ軍を中心とするGHQの指令の下に、日本全国を自動車対応型の社会にすべく、それまで鉄道中心に進められた日本の交通体系が変更になりました。その良し悪しは論じないまでも、歩行者中心に出来上がった日本の道を、急速に自動車中心に変更させた弊害は、今日まで尾を引いているところです。戦前の都市計画法により、GHQが考えた道路計画を、今日の日本で粛々と履行すべき理由は、全くないといえるでしょう。

 また、アメリカ発の世界同時不況で、自動車生産のバブルが現実のものとなり、現代社会に課題を突きつけています。国土交通省でさえ、全国的に交通量が減少していることを認めています。戦後一貫して右肩上がりで推移していた自動車の保有台数も、ここへ来て減少に転じました。環境の観点からも二酸化炭素の削減に、自動車交通量を如何に削減すべきかと言う課題を、現代社会に問いかけています。

 古の計画と旧態依然の考えの上に立った、道路計画を維持すべき時代は終わりました。山手幹線の熊野工区の事業に当たっては、過去の施策に拘り、未来志向を失った計画にすべきではありません。

<概要書の問題点>

①   2車線と4車線の交通容量の錯誤

 交通量が増大すると、車線を増やせば解消すると言うのは、自動車交通工学からは誤りであると指摘しなければなりません。そもそも行政の土木関係者は、道路造りのプロであっても交通工学には素人と言うのが現実です。

 単純に車線を増やせば交通容量を増やすことになると言うのは、現実には当てはまりません。道路の端から端まで単純な構造であって、総ての自動車が端から端まで通過すると言うのは、現実にはありえません。道路は坂があったりトンネルがあったりして、車速が落ちる部分があります。何より、一般道では交差点と言う、ボトルネックが当然あるわけです。車線が増えても、交差点の改良(右左折レーン又は溜り)がなければ、中間地点の車線増加は意味がありません。

 熊野工区に関する渋滞は、例外を除いて西端の中津浜線との交差点のみです。ここの右折車が停滞することによる車線減少が、最大の渋滞原因です。幅員を22mに拡幅するならば、2車線のままで、この交差点の右折・左折レーンを充分に取るだけで、4車線を想定した交通容量は充分に処理できると言うのが現実です。

 従って、4車線を確保しなければならないような理由は、皆無と言うのが自動車交通工学の立場です。

 ②   2車線にすると安全度は高まる

 22mの幅員で無理に4車線にすると、車線幅は道路構造令の四種一級道路としての3.25mを確保できません。例外的措置として、車線幅を3mにしなければならず、対向車同士の正面衝突の危険性が高まります。

 2車線にすれば中央分離帯を設置でき、安全度は極端に増加します。また、路側帯(歩道と車線端の間)も2mは確保でき、緊急時の停車も余裕を持って可能となります。無理な4車線化では、路側帯は0.5mしかなく、原動機付自転車などが追い越される際の、逃げ場もないという状態です。

 交差点の改良だけで、交通容量は確保できるわけですから、4車線の必要性の論拠もありません。

③   山手幹線の交通容量を増やすことは渋滞の原因

 土木行政は道路建設の際に、『渋滞緩和』を言いますが、これは素人のうたい文句で既に論破されているものです。事実、これまで汲々として道路建設に血道をあげてきた道路行政でしたが、道路ができるたびに渋滞が増えたのは歴史的事実です。道路容量の何倍もの自動車の保有台数がある以上、潜在交通需要の0.1%が喚起されると、たちまち渋滞は何倍にもなります。

 事実、山手幹線の武庫川架橋後に、JR甲子園口駅周辺の交通量が増えて、混雑がひどくなったと言うのが地元住民の感覚です。物事は思惑からの言い訳よりも、科学的根拠により議論すべきでしょう。

 熊野工区の拡幅事業そのものに反論するものではないのですが、交差点改良に資することは間違いなく、2車線供用にしたにしても交通容量を増やします。懸念されるのは、山手幹線と交差する中津浜線の、その先の国道2号線との交差点は、今でも渋滞のメッカです。ここの渋滞が増幅するのは確実です。武庫川架橋後に、武庫川右岸線の国道2号線との交差点の渋滞が、より多くなったことで証明済みといえるでしょう。

 幸か不幸か、投機でガソリンが高騰し、不況の影響で交通量そのものが相当減少する昨今、渋滞が緩和されているのは皮肉でしょう。

 ④   震災復興事業という問題

 山手幹線は震災復興事業で行なわれました。そもそも山手幹線事業は阪神淡路大震災前からの計画です。何故、震災復興事業といわれるのかの原因を見ておく必要があります。当時の村山内閣は総額14兆円の『復興予算』を計上しました。この14兆円の分捕り合戦が各省庁間で繰り広げられたのは、政界の常識でしょう。特に国土交通省は、その先頭に立っていました。

 しかしながら、東京の机上では震災現地の実情とかけ離れていたのは、被災住民として思い知った現実です。国道2号線以南の西宮市の復興は、被害の大きさもありましたが、以北のそれに大きく差ができました。幹線道路沿いは、震災復興が遅れたと言う事実は、忘れ去ることはできません。

 幹線道路が複数あれば、復興に役に立つと言うのは、東京の机上の論理に過ぎません。支援物資の輸送と言いながら、復興道路の国道43号線にひしめいた多くのトラックは、産業活動に過ぎませんでした。被災地にあって、産業だけの復興は目覚しいものがありましたが、住民生活は15年を経過する今も、復興したとはいえないのが現実ではないでしょうか。

 何より長田区の大火は多くの人命を奪いました。生きて焼き殺された人の無念を、道路行政は知っているのでしょうか。長田港と大火の一番遠いところでも、2㎞しかありませんでした。その間に水が送水できなかったのです。被災していない北部の西区・垂水区・須磨区・北区の住民が、神戸中心地をマイカーで目指したのです。そのマイカーに、消防車のホースはことごとく踏みちぎられました。

 マイカーを責めるつもりはありません。それらの地域と神戸中心部を結ぶ、自動車専用道路が震災直後に閉鎖されているとは、殆どの運転手は知りませんでした。その圧倒的多数のマイカーが長田区に乱入したと言うのが事実です。

 一方、長田区で発生した火災件数と、ほぼ同じ件数の火災が西宮市でも発生していました。しかし、西宮市では1件も大火にならなかったのです。それは消防活動を阻害するマイカーの走行が殆どなかったことに由来します。西宮市の南は海です。西の激震地からはマイカーの来よう筈もありません。北からの交通は、西宮北有料道路のトンネル崩落で、これまた皆無でした。東からの交通も、国道171号線の阪急電車今津北線の誇道橋の崩壊でストップしていました。国道2号線以南の自動車交通の混乱はありましたが、以北は震災直後から、いつもの交通が激減した状態が相当の間続きました。

 幹線道路があったために長田区は悲惨な目に遭いました。一方、西宮市では幹線道路がストップしたために、大火を免れました。東京の机上の空論により、間違った言動は仕方がないかもしれません。が、被災地の現地が、幹線道路を『復興道路』『防災道路』と称するのは、犠牲者に対する冒瀆と言うしかないでしょう。

 ⑤   その他

 全国の道路建設に反対する住民運動に関わって、道路ができる前と、その後を経験してきました。今回の熊野工区は既にある道路の拡幅ですから、言うほどでもないのかもしれません。幹線道路ができると街は分断されて、コミュニティーが崩れてきます。そのことにより、犯罪が増加すると言うのは顕著な現実です。

 山手幹線架橋・拡幅の現場でも、新聞報道で空き巣が増えたことがわかりました。現代社会では犯罪と自動車は高度にリンクします。また、武庫川を渡れば警察行政も変わり、犯罪者に有利と思わせるのかもしれません。

 道路ができることによるメリットを連ねますが、それも事実ではないことを説明しました。反対にデメリットは全く斟酌しないと言う、際立った不正義があります。市民に公平な行政として、メリット・デメリットを正確に開示して欲しいものです。

<まとめ>

 以上の論拠から、山手幹線の拡幅事業に関して、地元住民の意見を充分に聞き、その意見を最大限に尊重すること。地元のことは、地元住民が一番良く知っているものです。そして、拡幅が地元の総意であるならば、2車線供用にすべきです。その際も、地元住民の意向を反映させたものにすること。

 芦屋では歩道を広く整備することによって、自転車の暴走が問題視される局面もあるようです。また、将来交通を予測して、信号機の必要な交差点や横断歩道の必要性は、是非、地元の意見を聞いて欲しいものです。

 また、現在2車線供用している沿道住民の意見も、無視することの無いよう、強く要請するものです。道路は全線に影響のあるものです。説明会も計画ありきではなく、変更の可能性を担保して、充分に行なうことを求めます。

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『みちしるべ』**山手幹線街路事業 熊野工区に関するコメント**<2009.11. Vol.61>

2009年11月03日 | 山手幹線の環境を守る市民の会

山手幹線街路事業 熊野工区に関するコメント

山手幹線沿道の環境を守る市民の会
代表 山本 甫

 

 まずは基本的には四車線拡幅は必要なしであり反対である。

  最近の社会情勢を見ても車社会から環境優先に基軸が置かれていることは周知の通りである。車社会と謳われ道路重点に公共事業をなされてきた時代は今や考え直すべき時にきています。それを西宮市は旧態依然と同じことを住民の意志を無視して強引に押し進めようとしていることに怒りを覚えます。若者は職もなく、未来に夢を持てず、苦しい生活を強いられ車を乗り回して休日を楽しむことが出来るのはかぎられています。

 かつて日本の自動車5000万台、6000万台、7000万台と増加してきました。しかし今後10年、20年後の所有台数の予測を西宮市はどのようになされているのか。人口においても飛躍的に減少するだろうことを予測されています。

 又、高齢者が早4人に1人となりつつある今日、免許の更新はおろか返却を強いられています。このような現状は嘆かわしい社会ではありますが、事実として受け止めなければなりません。今後の道路事情に多いに影響があることは必至であります。

 この事業に22億円もの費用が必要であるそうですが、西宮市の負担金はいかがでしょうか。

 今年3月31日地域の住民の永年の念願であった甲子園口駅のバリアフリー化が達成されました。これは永年の住民の戦いの末、最後は住民が大臣のところまで陳情に行き着手されることとなった経緯は当局が一番良く承知されているはず。10年越しでやっとできたわけです。ではなぜそこまで時間がかかったのか、それは当局がいつまで経っても5000万円以上は出せないと頑なに住民を無視してきたからです。

 ではこのたびの熊野工区についてはどうでしょうか、22億円のうち1/2が市の負担と伺っていますが事実であれば10億円以上のわれらの税金を使うことになる。その上、コメントを出させてあたかも住民との相談の結果のような市のやり方はポーズとしか考えられません。一方的に事業ありきの文書を説明会で配布し、募集期間をすでに半分過ぎた時点での日程で行われたことは、いかに住民を蔑視した傲慢な姿勢といわざるを得ません。

 現政権においても、無駄な事業を極力廃止し、ソフトの面でのより充実した国民への支援を目指しております。私たち西宮市に於いても市民人口の増加に伴い、また、少子化や高齢化のためになさなければならない保育所の問題、学童問題のため、また介護問題の施策が優先されるべきではないのか。現在の熊野工区は地域住民のための生活道路として住民は満足しております。一部時間帯の渋滞についても受忍の限度を超えているとは考えられません。将来の子供たちに先輩として胸を張れる地域づくりのために市当局と相対してまいりたいと願うものであります。

 また、コメントを提出させるための第一段階の説明会で、この工区の事業決定もなされていない時点で、神戸までを現在二車線であるところも全て四車線に突っ走ることを言明するような説明会を開いた愚かな担当者というか、担当局長の行政マンとしての人間性を疑いたくなるような西宮市に落胆すら覚えます。過去の苦い経験が何も生かされていないと言わざるを得ません。まさしく住民の気持を逆撫でし、反発を招いているに他ならない行為であり、何のための、誰のためのコメント提出であるのか誠に遺憾であります。

 平成14年5月31日、山手大橋完成に伴い尼崎市とつながり、当然のごとく交通量は以前の3倍にもなっている。平成7、8年頃の市の説明会にて、平成22年に28,000台の交通量を予測してきたことはご存知の通りですね。現在20年度の調査で二車線供用で20,000台を超えている事実をどのように説明されますか。地域の住民との「環境基準を守れる道路にする」との約束もあってないが如しの状況であることは当局が一番承知している筈ではないか。その当時より熊野工区以西のフラットの地域については十分な対策が出来ないことを市も認めてきたことをまさか忘れたとは言えまい。

 現実に二見町以西。特に甲子園段上線以西については基準オーバーは常時である。平成8年の振動及び交通量のデータ、それ以後の市が毎年行ったデータの一覧表の提示を求める。上武庫橋工事期間また北口の大型商業施設の工事期間及び開業後のデータこれら全てを公開するよう要求する。

 大型商業施設の建設時には説明会にて大いに交通量の増加が懸念され、阪急側も調査を行い、予測も出したが住民としてはなかなか納得出来なかった。が、しかし、架橋後の交通量は土、日曜日の午後に集中している。

 昨年秋商業施設開業後についてもほぼ変わらない状態である。 当局は車が増えるから車線を増やせば解決するという将来の見通しのなさを嘆かざるを得ません。その考えは改めるべきであり、間違っていることを自覚すべきであります。

 過去の当局との話し合いの席上にてわれわれが散々指摘してきことです。現に、架橋されて増えた車が住宅街の抜け道を探し生活道路が脅かされていることをこの7年間実感している事実を当局はどのように解決の手を差し伸べてきたか。市民と一緒に協働し、より良いまちづくり、より住みやすい西宮を目指すならば、平成3年以来西宮市始まって以来の大住民連動において、市政始まって以来の、税金を納めている市民を裁判にかけ、罰金まで取るぞと脅してまで強行した行政の汚点を反省すべきではないか。

 真に市民のための行政を目指すのであれば、まずは市民の信頼を得るべく話し合いの持ち方の努力をすべきではないか。そして市民のための街づくり、道路づくりを共にめざすべきではないか。市の職員が一度でもこの山手幹線の通学時に歩道を歩いたことがありますか。自転車は車道を走れと言っても危なくて走れない状況であり、幼稚園から小、中、高校生までの通学時開帯はほぼ同じです。危険と隣りあわせでお互いに通行している状況であります。市民に優しい市攻とはこのような問題にこそ取り組むべきことであり、改善をなすべきではないのか。

 この山手幹線の都市計画をなされたのは昭和21年とか、戦後の野原に線引きした都市計画であります。今63年後の地域の形態は変わり、単に線を引いた計画を何が何でもその通り実行しなくてはならないという発想はナンセンセスです。時代は変わっています。以前、架橋をやめて貰いたいとある政治家に話しました。橋を作る話ならいくらでも国から金は取ってきてやるが、辞めろという話は乗れないといった故老がいました。今は違います。辞める勇気が求められています。それが出来る西宮市の市政を切に望みます。何がなんでも四車線ありきの話からはじめる当局に対して不信感を抱くとともに、その手法を改めることを要求します。

 今の二車線道路は生活道路としてわれわれには十分であると考えます。

 税金は市民が納めたものです。その税金は市民のために有意義に使われるべきであり、子供からお年寄りまで安心して、安全に暮らせる街、いつまでも住んでいたい街に、そんな街づくり、道づくりを市民とともに作る。そんな行政を目指していると信じている市民への裏切り行為であります。

 行政マンは市民と同じ目線で話し合いをすべきです。上から、オカミ、にお願いの時代ではありません。ひざを突き合わせての話し合いが出来て初めて信頼関係が生まれるものです。あなた方の仕事は市民のためによりよく働く公僕であることを自覚し、忘れてもらっては困る。

 過去の山手幹線街路事業、松並工区事業の際、市が市民に誇れるようないい道を作ると約束して出来たものです。熊野工区についてもそれと同じく地域住民にとって喜ばれるような道作りを期待するものであります。西宮市の中でも熊野町、二見町といえば最高の住宅地であります。又高齢者の割合も高い地域でもあります。そんな住宅地の中に通過道路としか言えない四車線道路は環境悪化を招くのみであります。

 又、交通事故が多発することを懸念し、地域の住民に害をあたえるだけの道路であってはならない。それを市の面子のために住民が犠牲にされることは断じて許すことはできません。

 最後に、今後の話し合いについては沿道住民を分断するような姑息なことをせず、全ての人が納得できる会の開催を要求しておきます。

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『みちしるべ』**二酸化窒素測定活動の中間総括**<2009.11. Vol.61>

2009年11月02日 | 単独記事

二酸化窒素測定活動の中間総括

 みちと環境の会

  私たちが二酸化窒素測定活動に取り組み始めたのは1999年9月からです。当初は尼宝線沿いに、イズミヤから稲葉荘2丁目までの区間の44ポイントで測定していました。2001年9月からは、従来の尼宝線での測定ポイントを20に減らして、その分を山手幹線でも測定することにしました。

 武庫川に武庫大橋が架けられて、山手幹線が西宮側と連絡されると交通量が増え、山手幹線の二酸化窒素濃度は増えるだろうから、それを自分たちで把握するつもりでした。ところが、現実には私たちの測定方法は、経年的変化をつかむには不向きでした。

風速が強く、降水量が多いと、二酸化窒素濃度は低くなる

 01年2月から09年7月までの計47回の二酸化窒素濃度測定値と風速との関係がグラフ①で、降水量との関係がグラフ②です。一見してわかるように風速が強かったり、降水量が多いと二酸化窒素濃度は低くなる傾向にあります。自動車から排出された二酸化窒素は、風が強ければ道路沿道からより広範囲にまき散らされ、また雨が降ると、大気中に滞留している排ガスの一部が雨水に吸収されて地上に落されていきます。当然すぎる結果がこの二つのグラフに表れているのです。

行政の測定では、減少・横ばいの傾向

 尼崎市は、市内に6か所の自動車排ガス測定局をおき、365日1時間平均値を測定し続けています。一日の平均値をとり、それを低い方から順番に並べて98%目つまり358日目(=365日×0.98、一年を365日として)の一日平均値が、0.06ppm以下であれば環境基準を達していることになります。尼崎市が測定している排ガス測定局の98%値のデータがグラフ③です。

 尼崎市は、「尼崎と環境(平成20年版)」で「二酸化窒素 年平均値は、前年度から僅かに減少したが、ここ数年ほぼ横ばいで推移している。日平均値の年間98 %値はここ数年はほぼ横ばいで推移してきたが、前年度からはやや減少となっている」と慎重に表現しつつも、「環境基準は全測定所において適合した」と結局は問題なしの認識をにじませているようです。

 しかし、私たちがおこなっている測定のデータは違うことを訴えています。

ほとんどのポイントで行政の排ガス測定局の濃度を上回る

 私たちが測定している方法はカプセル方式で、二酸化窒素濃度測定データの信ぴょう性は高いのですが、年5~6日分しかデータを蓄積できません。しかも二酸化窒素濃度は前述したように風速や降雨の影響を受けやすいので、毎回大きく変化していました。これに対し行政は、自動車排ガス測定局をおき、一年中測定し続けています。尼宝線と山手幹線で行政は1ヶ所の自動車排ガスの測定局を置いているのに対して、私たちは48ポイントで測定してきました。

 そこで、経年的な変化は行政の自動車排ガス測定局のデータにゆだねることにして、その排ガス測定局と、私たちが測定している48ポイントのデータを比較する、平面的な変化を把握することにしました。

 2003年5月から私たちは、行政が設置している武庫総合高校の排ガス測定局の南北にカプセルを設置して、その他の46ポイントのデータと比較を重ねてきました。行政との平均差を平面図に落とし込んだのが図①です。

 特に二酸化窒素濃度が高いのが安倉バス停(東・西)、イズミヤ交差点(東・西)、尼宝線と山手幹線の交差点(東・西)、5合橋線と山手幹線との交差点(南)、玉江橋線と山手幹線の交差点(南)です。この8ポイントを含め、自動車排ガス測定局(武庫総合高校)より1.3倍も高いのが12ポイントもありました。

尼宝線、山手幹線の平均値ですら環境基準を超えている

 さて、私たちが測定してきた48ポイントのうち、尼宝線20ポイント、山手幹線22ポイントを行政の測定個所の南北2ポイントのデータと比較して補正したのがグラフ④です(ここでは安倉4ポイントは除いています)。

補正の方法は、まず、年単位で

{(尼宝線20ポイントの平均)-(行政の測定個所の南北2ポイントの平均)}=A
{(山手幹線の22ポイントの平均)-(行政の測定個所の南北2ポイントの平均)}=B

を算出し、年ごとに

  A+(武庫総合高校の年間平均値)=A’
  B+(武庫総合高校の年間平均値)=B’

を算出しました。 また、年度単位で

(武庫総合高校の98%値)÷(武庫総合高校の年間平均値)=C

を算出し、

  A’×C={(尼宝線20ポイント平均)の年間98%値 補正}
 
 B’×C={(山手幹線22ポイント平均)の年間98%値 補正}

としました。これにより、私たちの測定個所の平均的な濃度のポイントでさえ、ゆるすぎる環境基準を超えていることが強く推測されます。

夜間も二酸化窒素濃度は低くない

 グラフ⑤は、私たちの測定結果を自動車排ガス測定局・武庫総合高校のデータと比較するために、その測定日分の市のデータを昼間(7時~18時)と夜間(19時~翌6時)に分けて、二酸化窒素濃度を比較したものです。

 このグラフからわかることは、31日のデータのうち、6日は夜間の方が二酸化窒素濃度が高く、昼夜がほとんど同じ濃度の日(12日)を加えると約6割に達します。

 一方、自動車交通量は、グラフ⑥に示すように、昼間の時間帯の交通量は、夜間のそれよりも1.8倍多いのです。このグラフでは、一時間当たりの交通量を縦軸にとり昼間(7時~18時)、夜間(19時~翌6時)のそれぞれの平均二酸化窒素濃度を横軸にとりました。交通量は昼間が1.8倍も多いのですが、二酸化窒素濃度に大きな違いは見られません。

 夜間は、交通量が圧倒的に多い昼間と同等あるいはそれ以上の高濃度になる日が6割も占めるのです。すなわち、二酸化窒素濃度は、夜間であっても安心できない日が少なくないのです。その理由は二つ考えられます。

 まず一つ目の理由は気象条件によるものです。大気は一般には地表面付近が最も温度が高く、100m上昇するごとに0.65℃低くなります。ところが、いくつかの気象条件がそろった時に、湿っている地表から水分が蒸発する際、地表面から奪われる気化熱が大きくなり、地表面に近い空気が冷やされて、その上層部の空気が地表近くの空気よりも暖かくなることが起きます。このことを逆転層の形成といいますが、これが起きると、排ガスがあまり拡散せずに滞留しやすくなり、高濃度のまま推移することがあります。

 二つ目の理由は、昼間に比べ、夜間は大型車の混入率が高いのではないか、という推測です。中長距離自動車貨物輸送では、昼間の渋滞を避けて夜間に運行する傾向にあります。尼宝線は、中国自動車道宝塚インターと阪神高速湾岸線末広ランプを南北に結びますので、特に夜間の大型車の混入率が高くなっている恐れがあるのです。

私たちのこれからの課題

 運営委員会で中間総括をおこない、今後に活かすべき課題も明らかになってきました。以下それらを列記します。

  1. 他の団体とも一緒に取り組むことを追求する。
  2. 市に対して、現状をどう考えているのか訊きたい。また行政との交渉をする上でも、あらかじめ論点を整理して、獲得目標を設定する。県道尼宝線の拡幅整備問題では、道路整備課との交渉を重ねて、自動車排ガスに無責任な姿勢しかうかがえなかったが、市には県とは違い、もっと住民の立場に立った対応を求めたい。市は県と住民との間で「第3者」ではなく、市民の健康被害をなくす立場を鮮明にしてもらいたい。
  3. 『みちと環境の会』と行政との話にしてしまうのではなくて、住民と一緒に行政と話し合っていくことが大事だ。周りの住民に広げていくことが問われている。
  4. 私たちも住民もそして行政も、ハイブリッドの宣伝でクルマ公害が終わってしまったかのようなイメージに流さないようにしたい。

 簡単にはいきませんが、これらの課題をこれからも追求していく予定です。

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『みちしるべ』**第35回 道路全国連交流集会集会アピール**<2009.11. Vol.61>

2009年11月01日 | 道路全国連

第35回 道路全国連交流集会集会アピール

 いま、道路行政は大きな転換のときを迎えている。

 第35回道路全国連交流集会は、10月24~25日横浜で開催され、41団体200名の参加で、「今こそ、チェンジ!クルマ優先の道路行政」と交通政策の転換を確信し、熱い討議を行った。

 いま、道路行政は大きな転換のときを迎えている。

 8月の衆議院選挙で、これまでの道路行政を担ってきた自公政権が退場し、新たに民主党中心の鳩山内閣が誕生している。新しい政権は、高速道路網建設にお墨付きを与えてきた国土幹線自動車道建設会議の廃止や透明性を持った道路づくりの仕組みとすることなど、これまでの道路建設ありきを見直すことを打ち出している。道路特定財源による補助金のバラマキで道路建設に依存する歪んだ経済構造をつくってきたこれらの体制や仕組みを見直すことは、道路全国連の主張であり、大いに歓迎する。

 しかし、他方では、高速道路の無料化や自動車関連諸税の暫定税率の廃止も掲げている。これらの政策は、車利用をさらに促すものとなり、電車やバスなど公共交通機関の衰退を招き、大気汚染やCO2の増加をもたらし、高齢化、温暖化の時代に逆行するものである。

 道路建設計画が進められている各地では、情報の非開示、説明会拒否、住民無視の測量強行などが相次いでいる。

 八ッ場ダムや川辺川ダムなどの建設中止、鞆の浦景観保全判決、泡瀬干潟公金支出違法判決など、公共事業における環境破壊、税金投入が鋭く問われている。公害の原点といわれる水俣の未認定患者、PM2.5などの大気汚染・道路公害患者などの公害被害者救済も待ったなしの課題となっている。

 いまこそ、必要のない道路をつくり続け、大気汚染公害患者を生むクルマ依存社会を招いてきた道路行政を、人や環境にやさしい公共交通優先の交通政策に転換させる大きなチャンスが生まれている。

 私たち道路全国連は、国民と住民が参画・討議する中で、便益だけでない新しい道路づくりの基準、仕組みをつくることを要求する。

 高速道路の無料化、自動車関連諸税の暫定税率廃止も、地球温暖化、公共交通へのモーダルシフトなどの国民的討議を経るまで実施しないよう要望する。

 道路行政の転換が始まっていることに大きな確信を持ち、その国民的流れをさらに強くしていくことを誓い、アピールとする。

         2009年10月25    

           35回 道路全国連交流集会 in 横浜

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