『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』横断車道(45)**<2007.5. Vol.46>

2007年05月06日 | 横断車道

なかなか暖かくならなかったが、相対的に暖冬であった。異常なほどに降雪が少なかったので、スキー場の開幕がなく終った所もあるとのこと。随分前から、スキーシーズンの中心が年末年始なのに、その時期に降雪量が間に合わないという話は多くあった。やはり地球温暖化なのであろうか▼気になるのは、今秋のお米の収穫である。暖冬の次の収穫は悪いものだと聞いた。充分な降雪がないと、病害虫の越冬率が高いとのことだ。また、田植えシーズンに期待できる雪解け水の量の問題もあるそうだ。食糧の自給率の悪さは、今に始まった事ではない。先進国では考えられない、カロリーベースで40%をきるところまできている。とはいえ、トイレットペーパー騒動や、米の緊急輸入騒動もあった。世界的な穀物不況があれば、ファンドマネーが異常相場を体現する可能性もある▼このまま夏も暑ければ、熱中症で亡くなる人も多くなる。パチンコ店の駐車場を、点検して廻る従業員も大変であろう。何より冷房慣れした都会の現代人にとって、ヒートアイランドの都心は、暑いというより危険という状態になるかもしれない。日本以上の格差社会の先進国、アメリカでは熱波で死ぬ人が大変多い▼南極の雪解けや海水の膨張で、海面が上昇し、国が消滅するところも出るそうだ。日本だって他所事ではない。太平洋に面した、日本の富の集積地は、海抜ゼロメートル地帯である。総ての防潮堤を50cmかさ上げするのは、不可能に近いという。必ず起こるとされる東海・東南海・南海地震では、津波に襲われる地帯でもある。その時は「日本沈没」かもしれない。津波は寄せては返すという波ではなく、数キロの長さの、寄せっぱなしの波である。数分の間ずっと、防潮堤を超えてくるのである▼炭酸ガスの排出量の削減は、ここへ来て現実味を帯びている。ハイブリッドや燃料電池、またバイオ燃料で、モータリーゼーションの質的変貌が可能なのか。結局の所、圧倒的な量的削減しか道はないようである▼「地球に優しい」という標語は、最も嫌いだ。地球は温暖化などで、人類が滅んでも何ともない。人類そのものが地球の癌だという人さえいる。環境問題は地球の為ではなく、人類の為だけの課題なのである。人類以外の絶滅危惧種を守るのも、生態系が崩れる事による人類生存環境の崩壊を懸念するからで、その種を哀れんでいるわけではない▼「子や孫の為に」という標語もあった。それは日本が憲法9条を破棄し、戦争をする国になって、徴兵する懸念である。地球温暖化は現実に車社会を支えた、我々に直接ピストルを突きつけてきているのだ。それでも君達は、マイカーに固執するのだろうか (コラムX)

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『みちしるべ』斑猫独語(29)**<2007.5. Vol.46>

2007年05月05日 | 斑猫独語

澤山輝彦

<「時は金なり」>

 チケットショップで1枚1400円で買った近鉄全線乗車券を使って、鶴橋から宇治山田行急行に乗り伊勢中川駅で名古屋行の急行に乗りかえ3時間半かけて名古屋へ行ってきた。傍から見ればけちで貧乏臭いが、安く、鉄道ファンの私にはたまらない。

 鶴橋を11時すぎの急行に乗った。電車はクロスシート(ロマンスシートとも言う)を期待したがロングシートだった。でもずっと空いていたから乗客を気にすることなく、楽々と横向きになって窓外の景色を楽しむことが出来た。榛原付近で見た山並みは友人と登ろう登ろうと言いながらまだ登っていない所だ。しばらく忘れていたがまた登りたくなった。沿線のあちこちに桜は咲いていて、室生口駅の桜には車内に乗客の感嘆の声が響いた。やはり桜はすごい。たしかにあれだけ山野を彩ることが出来る花は無い。青山高原通過時には、高校生の時ここへ遠足に来て6、7人で道を間違え先生方にご迷惑をかけたこと、その時の仲間に今はもう亡き者もいるな、など、しばし感傷的な気分に浸ったのであった。途中特急に抜かれるため停車すること度々であったが、大阪から奈良、三重へと電車は快走したのである。乗換駅、伊勢中川駅についての記事を少し前に鉄道雑誌で読んでいたので、乗りかえ時間を利用して駅を見て歩いた。人気の少ない軒をぶらつく私は、不審人物に見えたかも知れない。名古屋まではクロスシートの電車だった。津、桑名、四日市を過ぎる。このあたりあまり縁がなく土地勘に欠ける地だ。空いた車両に乗ったので左右の景色を楽しむことが出来た。名古屋駅には余裕の到着で、駅前や地下街をぶらついてから、所用を達成、歓迎され十分呑まされた。完壁である。

 誰も彼もが新幹線や特急などを使うのが当たり前のように移動(旅)しているこの頃だ。おそらくそうせざるを得ないようなダイヤが組まれているのだろうけれど、時間の余裕が無ければ仕方がないとして、余裕があればゆっくりとした移動(旅)を楽しみたいものだ。皆あわただしすぎる。それも金をかけて。ゆっくりすればいろんなものが見えるのになあ。

 もっとも、同じ車両にこうして名古屋まで行った人を4人みたから、ゆっくり動いている人はいるのだ。4人は道中ほとんど居眠っていたから鉄道ファンではない。きっとこういう移動(旅)に馴れた人たちにちがいない。

 帰りは新幹線を利用した。その日のうちに川西へ帰るにはそれしかないのだ。でも“のぞみ”には乗らず、“ひかり”に乗った。一寸時間はかかるが空いている。遠慮なくビール、つまみを楽しめるのだ。

 以上、考えれば変形「時は金なり」になっているのではないだろうか。

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『みちしるべ』私のモロッコ紀行(1)**<2007.5. Vol.46>

2007年05月04日 | 藤井新造

私のモロッコ紀行(1)

芦屋市 藤井新造

何故かアフリカ大陸の地に足を踏み入れてみたくて

 4年前にスベインヘ格安のパツク旅行に参加して行った。その時、スペイン南部の沿岸ミハスの街より、アフリカ大睦が幽かに見えた。今回モロッコヘ行ってわかったことは、スベインから見えたアフリカ大陸の土地はタンジェかセウタ地方(共にモロッコの北海岸)であった。距離にすればどれ位あるのか。ガイドの説明によると約70Km。それであれば宗谷岬からサハリンが見えた距離に近い。また晴れた日に東伊豆海岸から三宅島が肉眼で見られる距離にも近い。

 それはそうとして、スベイン旅行を思いたったのは映画『蝶の舌』(1999年スペイン・フランス/ホセ・ルイス・クエルダ監督)の魅力、それとも引力か、にとりつかれたからである。この映画について、私は短い感想文を書いた。要約すると「一言で言えば、この映画は1936年のスペインの時代背景、共和派(人民戦線派)とファシストの内戦時代に突入する前夜の揺れ動く社会突入個人が、教師と生徒を軸に見事に描かれている。

 そして1936年夏より2年間内戦により60万人の市民が死亡し(「スペイン現代史」若松隆著)最後にフランコ軍事独裁体制が36年間にわたり続いたスペイン政治体制の暗い時代の始まりを予兆している名画として紹介した。この映画を観てからいても立ってもおられなくなり、機会があればこの社会の外画だけでも覗きたい気持を抑えきれずでかけた。

 今回のモロッコ旅行も映画『カサブランカ』『モロッコ』『アラビアのローレンス』のロケーションの土地を一度は自分の足で踏んでみたかった。それとスペイン旅行の時、南部の沿岸よりみることが出来たアフリカ大陸に何時かは訪れてみたいと思っていたことを実現さしてみたかった。そのように単純な動機により出発した。

 軽い気持で出発したもののカサブランカ空港までの機中時間は、ドバイ空港での乗り換えれど21時間を要した。出発前に何時もと違い体調を悪くしていたせいか、機内食もほんの少ししか食べられず最悪の状態である。ドバイ空港内では夜中であるが、ターバンを巻いたアラブ人が雑踏のなか多数往来している。さすがここは中東の国であるのを実感する。それと空港内は赤黄色の電灯と石油で燃えるかがり灯で、昼間以上の明るさを感じさせる。サウジアラビアが石油資源で蓄えた富の象徴の如く煌々と輝いている。

 ここからまた8時間を要してカサブランカに着いたのは昼過ぎである。さっそくカサブランカの市内名所めぐりであるが、時間が無くこの日は2ヵ所のみであった。最初の見学はハッサン二世モスクの塔が建っている広場である。塔からすこし離れて眺めると、何の変哲もない徒に長方形の建物である。壁に特別きらびやかな装飾が施されてあるわけではなく、高さは100m余ありシンプルな様相をしている。しかしガイドブックを読むと「ベージュにグリーンの美しい緻密な彫り文様が施されている」建物と解説している。そうであれば、私の睡眠不足からきた視力低下により建物の特徴が見えなかったのかもしれない。

 このモスク前の広場は約10万人が一度に礼拝できる広場であると聞いたが、私にはちょっと信じられないように見えた。

 信仰心が薄い異教徒の私は、モスクを少しだけ眺め5分位西へ歩き、大西洋に面する海岸に向かった。海岸の堤防でどの国でも同じように男女のペアーが腰掛けて海の方に顔を一様にむけ並んでいる風景がある。おだやかな海の先には、日本に送られてくるタコが大量に獲れると聞いていたが、この海岸の近くには漁船のみならず、船舶の姿一つ見えない。さて、カサブランカではじめてカスバ街路を歩く。添乗員が、ここは迷路になっていて、一行からはぐれるとこの街の外には出られなくなるので、くれぐれも注意して歩くようにと脅かされる。後にこの言葉はタンジェの1日市街で歩く時にもきかされる。道幅が3m~4mと狭く、路面が石畳であるので歩きにくい。路上は紙くず、ビニール袋、ロバの糞で汚らしいことおびただしい。この狭い道を荷を積んだロバと手押車が頻繁に通るので、歩行者は両側の家並、店舗をゆっくり見ることも出来ず通り過ぎなければいけない。狭巷と言ってよい。

 そのような路上でありながら、老人が日本の昔のリンゴ箱の上にタバコの箱を並べて売っている。それもご丁寧に1本1本バラ売りできるようにしているのである。この国では街頭でタバコを吸って歩く人の姿はまずみなかった。さすが戒律の厳しい国と感心したのだが、それだけでなくて、多分タバコの値段が高いせいもあるのではないかと勝手に想像した。この狭い、多少高低のあるくねくねした路上の人通りの多いなかで、私たちツアー一行が歩いていると、必ず若者が絵ハガキと安物のブレスレットを売りに寄ってくる。寄ってくるというより、つきまとうという表現に近いものかも知れない。「3個、1000円 10枚、1000円」と言い買うように身を寄せてくる。この簡単な日本語のフレーズは、モロッコ旅行中いたる所で聞かされた。しかし、うるさいと感じるが、強制されると言う感じをさせない程度なので我慢するしかない。

 モロッコでは、東の果ての遠い日本国から来る観光客は皆んな金持と思っている。日常は慎ましい生活をしてお金をためモロッコへ来ているとは決して想像しない、とガイドが説明していた。従って、日本人には「物を売り付けて買ってもらうのが当然と思っている 。

 また、モロッコに観光で行く日本人が最近多くなり、実際土産物を沢山買う人がいるのであろう。このカスバでは、30分足らずの短い見学であったが、あまりにも猥雑で汚らしい雰囲気の街路なので、歌謡曲「カスバの女」の詞とはほど遠い印象であった。それとも、夜のカスバは、詞にあるように、庶民的情緒をもち、哀愁を漂わせる違った顔をみせるのであろうか。

 翌朝5時すぎに起きて、つれあいと二人でまだ人通りの少ないホテル周辺を散歩する。偶然にも公設市場らしきものを見つけ入って行く。早朝なので果物、魚介類など豊富な品物を店頭や棚に整えている店の様子がみられ、皆忙しそうに働いている。そのなかの一軒の花屋さんの前に立ち眺めていると父子が働いており、若くて格好いい息子さんが私の連を見て、つれあいにバラの花を一本にっこり笑ってくれるではないか。

 私は、さっそく若者とバラを手にしたつれあいの写真を1枚撮った。今日は朝から縁起のいい旅行日になりそうな予感を抱き嬉しくなった。

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『みちしるべ』私の住民運動(17)**<2007.5. Vol.46>

2007年05月03日 | 私の住民運動

わたしの住民運動(17)

山幹の環境を守る市民の会
山本すまこ

 平成9年6月8日、当局と話し合いをすることになった。しかし当局は、この運動にたくさんの人たちが関わっているマンションに、ゆさぶりをかけてきた。対策の条件をマンション側から、申し入れをしょうかとの考えのあることを知らせて来た。代表として出てくれている人とも話し合ったのですが、と。

 わたしは今、沿道を分断するように条件を出したら、市を喜ばせるだけです。市民の会が分裂してきたと見て取るだろう。条件を出す局面は必ず来ます。一マンションだけで交渉するのは、どうかと思います。最終には、どのように対策をしてもらいたいか、研究をしておいてください。ということで、納得してくれました。市民の会として、あくまでも一枚岩として戦わなければならない。5月末、全国の運動団体に西宮で起こっている状況をファックスで送った。6月に入って、ぼつぼつ激励の電話や、また市長に抗議の電話をしてくれたことを知らせてくれました。ありがたいと思いました。

 議会の中でも市民を訴えたことに対して、当局もやりすぎという意見もあるようです。直接市民の会に会って、話を聞こうといわれたが、議長・副議長に会うかどうか、1日の集会で、みんなにはかった結果、5~6人で会うということになった。6月6日、議長室に連絡を入れた。10日2時に行きます。

 6月8日、3月に訴えられて以来、市当局との話し合いの場が持たれた。今回の話し合いは、市の要請で、一応代表が10名ほど各町から出て発言する。しかし、すべてこの10名で交渉をするものではないことを、最初に確認した。きちっと議事録も取ること。市側からは資料のもとに

  1. 車線幅を3.25mから3.0mとし、歩道幅を広げるとともに美装する。
  2. 交通量予測28,000台。大型車混入率7.5%で環境保全目標は守れると思っている。
  3. 環境面で、つめて話をしろというのであれば、ご意見を頂いて詳細設計の中で取り入れていきたい。

 市民の会からは、道路が整備された後、予測を上回ったときの対策。保全対策をしても予測を上回ったときに、市がどのような対策をするかということの説明、を求めた。部長は環境調査(年2回実施)との要望については、やる方向で具体的なことについては相談したい。また、道路管理者が対応できることは、やっていきたい。今の予測で、問題なのは騒音であるかと思われる。先の説明で、それは守られるとおもうが、新たな遮音壁1m~2 m。低騒音舗装もするが、それ以上の技術が開発されればそれを採用していきたい。その他のことも、積極的に提起したい。全てできることはやっていきたい。

 それに対して代表は、予定どおり建設されたとき、①調査 ②遮音壁を高くする ③低騒音舗装をし、新しい技術を取り入れる。それらをなされてなお基準を上回ったときは、何をするのか明確にしてください。現在でも守られていないのに、将来28,000台を予測していて、どうして守れるのですか。信用できない。

 それらを含めて説明しますと、OHPを使って説明があった。交番所から中津浜線までの、事業認可が出ていない区間も、同じように低騒音舗装でやりたい。

 万が一、住民がこの説明に納得したとして、文書で確約できますか。道路の管理者は永久に西宮市です。

 その他、中津浜線以西も、同じようにするのか。4車線を2車線に。28,000台の予測や大型車混入率の根拠は?などの質問が出た。

 代表は、今回の話し合いはムダではないと思うが、納得のいくものではない。住民を訴えるような行政を、信頼せよといっても無理だ。取り敢えず、約束を文章化してもらう。

 局長は、やはり調査は今年度中にしたい。話し合いも続けていくことは大事と思う。市としては真剣に取り組み、環境対策については、国の補助を得られないので、市の予算をつけてでもやろうとしている。誠意を認めて欲しい。

 代表、市はやってあげている、というスタンス。行政は市民のためにあるんです。過小評価している?この事業は沿道住民が、今後、生命を脅かすような大きな事業であるのに、局長の態度は傲慢すぎる。

 局長、今日来るにあたっては、努力してきたことを分かってほしい。ご指機の通り、真剣に誠意をもって対応させてもらった。と部長も言った。

 会長、作る立場でなく、被害をかぶる人の立場をよく考えてもらいたい。本気でやってほしい。

 市も腹を決めて持って来た回答であったと思うが、私たちには訴えられたという、憤懣はぬぐえるものではなかった。話し合いは終わった。

 6月10日2時、市民の会6名で、市議会議長、副議長、議会事務局長、次長との話し合いに臨んだ。まず議長からは、今まで再三陳情などを出されて、必ずしもみなさんの希望に沿った結果ではなかったと思われるが、現状の成り行きに対しては心配しています。今日は、ざっくばらんに聞かせて頂きたい、と切り出された。議員の中にも、今の行政のやりかたに対し、やりすぎと批判している人もおられる。今まで勉強不足であったことも否めない。なんとか、住民と行政との接点をもって、不信感を取り除き、議会に何が出来るのか。行政と一体ではないことを、ご理解願いたい。住民からは現場を見に来て欲しいとの意見もあった。

 今日の話し合いを、市議会各会派の幹事長会に伝えたい。今後に道をつけたいとの思いから、今日の会をもつことにした。今までに市が開発した4車線の道路で、2車線共用しているところもある。などの話が出た。住民側は、今までの当局のやり方に、憤懣やるかたない思いをぶつけた。とはいえ、すこしでも住民を心配してくれている人もいることがわかり、悪い気はしなかった。

 6月11日、Yさんより武庫川の尼崎側で、クレーン車が動いている。橋の下の工事が始まっている。と連絡があった。尼崎のSさんに電話すると、場所が離れすぎていて、抗議は無理とのこと。道路建設部長に電話で「せっかく話し合いをはじめたのに、川の向こうで神経を逆なでするようなことされている。どういうこっちゃ?」と抗議する。しかし「他市のすることを、西宮市からやめろとは言えない。」一本の路なのに、そんな筈はないだろう。

 6月13日昼ごろ、裁判所からの書類が届いた。決定通知だ。ボーリング調査の妨害をしてはならない。調査地内に立ち入ってはならない。それらに違反行為をしたら、一日30万円の金員を支払え、というものだ。

 翌14日、集会を持った。決定に対しては、弁護士に相談することにした。6月8日から、話し合いに入っているのに、決定通知をふりかざして、我々を威圧する気か?今後の話し合いの方法など意見がでた。

 6月15日、ネットワークの集まりがあった。各地域が抱えている問題が話し合われた。私たちの問題にも、尼崎市に抗議にいったらいいなど、真剣に考えてくれた。

 13日に裁判所から決定が届いたことで、16曰夕方、弁護士に電話で相談した。言われたことはこうである。

  • ◎裁判所は誰の味方か分かったはずだ。
  • ◎つけさせない力は、今の運動の大きさにはない。たとえ6ヵ月引き伸ばせたとしてもプラスになるのか。
  • ◎行政訴訟を起こしても、勝負は決まっている。
  • ◎広く世間に訴えて、不当性を暴くことが出来れば意味はあるが。
  • ◎権力の不当性を暴いて勝つ方法はない。
  • ◎次々繰り返していく中で、住民が増えていけば、今頑張る意味はある。しかしそうではないでしょ。
  • ◎皆さんでこれ以上出来ない。無理だ。
  • ◎自分から引かないといっても、事実ひかされているではないか。だんだん手足をもがれていることを考えよ。
  • ◎ボーリング調査を止めることはできない。
  • ◎させてやるからと条件を取る方が賢い。
  • ◎文書で約束させるとよい。資料を出させる。協議会をつくるとか。
  • ◎今後も仮処分でやってくるよ。

 何ということだ。とことんやり合いたいと思い、がんばっている住民側にとって、希望的なアドバイスは一つも無いではないか。結局は、自分達の納得いくように、市に対決していくしかないと思った。

 6月19日・6月8日の議事録が届いた。議事録の点検も結構大変である。テープを全部聴き直して、チェックするのである。文書が抜けていないか、市と住民の解釈の違い、ニュアンスの違いの確認も取りながら、最終的に市が作成した。次回の話し合いを、6月29日とし、代表10人との交渉としたい旨を伝えてきた。住民側は全体で話し合いをする。市は困る、何とか代表制で願いたいと。

 6月20付けで、尼崎市長宛に抗議の文書を届けた。西宮市の現状をわかって工事着工しているのか。

 二回目の話し合いが6月29日持たれた。

 代表はまず、前回は市の申し入れで代表でしましたが、今回は全体でしたい。今後、代表ですることもあるかもしれないが。そして、誤解のないようにして欲しいことは、条件の話に入っているのではない。一応、市の説明を聞いている状況であることを確認してください。

 参加者がそれぞれに、今まで繰り返してきた交通量、大気汚染、騒音などの懸念される問題を問い詰めた。前回、市から提示された対策についても、「新たな対策というのなら、今までの説明で環境は守られると言ってきたことは何だったのか、と疑いたくなる。いくら市が予測データを説明しても、住民にとっては安心できるものではない。平行線はつつく。話は尼崎市が工事に入っていることに対して止めさせよ、との意見が出た。しかし、尼崎市が契約してやっていることに、止めよとは言えない。各市がそれぞれにやっている。芦屋市もそうだ。局長は監査請求も出されている。話し合いを大前提でしたい。というが、住民側は話をまとめたくないのだから、まとまる筈はない。

 平成9年7月17日、道路問題ネットワークのメンバー10名で、尼崎市へ要望書を提出に行った。皆それぞれに、西宮市の住民が訴えている現状を踏まえて、尼崎市が一方的に事業に入るのはどうかと抗議した。しかし、行政は地元尼崎からの要望もあるなどと反論した。

 メンバーからも、道路づくりの専門家として、43号線裁判やHIV訴訟、ミドリ十字などの問題について、どう考えるかを聞きたい、とせまった。

 実際、西宮市と尼崎市は、お互いに行政マンとして、他市のことまで心を配るほど余裕と言うか、親切心というか、そんなものは無いんだと思った。むしろ、ただ張り合い、ライバルとしての競争心のほうが、強いのであろうとの感想であった。悪く言えば、西宮市が住民運動にてこずっている状況を、高みの見物しているというのが、当らずとも遠からずであろう。信じるのは我が同志のみ。負けへんで。

 7月22日、部長から連絡があり、次回の話し合いの日程についてであった。議事録の点検にも日数がいるし、地域の行事もあったりで、8月10日となった。形式は代表制で、との当局の要望。過去、三回の話し合いで、市に対して宿題があったので、聞かせてもらうことが多いと思う。市の言うように、代表制でも良いと個人的には思うが、最終的にみんなの意見をきかないと。部長も、やりかたは交互にしてもいいように思っているようであった。

 8月10日の話し合いに先立って、質問状を出そうと相談し、8月5日、最初から問題になってきた騒音・振動・大気汚染などの環境に対する対策や、今まで我々に職員が言い放ってきたことなど、事細かく34項目の質問と資料の要求をした。同時に、8月10日の話し合いへの結集を呼びかけるチラシを、山幹ニュースとして配布した。そのニュースには、代表的な質問も掲載した。

 8月10日は、代表10人が前の席に着き、市民の会の人たちは見守るように座った。ほとんど質問項目に市が回答するに留まった。前進はみられない。何とか新しい手はないものか、大気の調査を要求しよう。8月19日、文書で大気調査を要求した。市が言う対策で、環境が守れるのか、実際に有効なのか。現状の大気汚染の数値を知りたい。当局が、誠意をもって努力するということが、ポーズに終わることのないよう、この要求に応じてもらいたいと。

 8月24日、市民の会として、いままでの報告の集会を持った。30数名集まった。F氏より、43号線判決を山手幹線に適用させるとよい。基準より判決の方がきついので、それを適用させることは容易ではないが、住民の声の強さによるのではないか、と激励された。

 9月16日、市が大気調査要求に対する回答を持って来た。10月1日から、二週間の予定を立てている。これでやらしてもらいたとの事。また、次の話し合いの日程を、早く決めたい。前回の34項目以外にも、あれば事前に出してくださいと。大気調査は移動観測車によるもの。沿道にチラシを配布するという。取り敢えず出来ることは何でもしてもらおう。結果が出たら、今までの物と対比すればよいでしょう。とはいえ、交通量が倍以上になると予測されているのに、大気の調査が一ヵ所ではダメだと、市長に訴えた。

 10月30日、二週間の大気調査の結果が届き、住民に報告をしたいと言って来た。11月2日、報告会が持たれた。たった二週間の調査では、数値が高いとか低いとかいうことは言えない。あくまでも常時計っている瓦本支所上でのデータを、今まで使ってきたことが妥当であるかどうかを見るために、今回調査した、と当局は説明した。結果、将来の予測値も、現在、常時計っている数値と、ほぼ変わりなしとしたが、今まで計算式で出して来た数値と、実測とでは基準値を越えなくとも、計算式の数値は低いものとなっていることが分かった。素人には、専門家がややこしい式(元の数字が果たして妥当なのかどうかもわからない)ではじきだしたものを、鵜呑みに信じよといわれても、納得出来ないと言ってきたことが正しかったと言うことだ。

 12月7日、上甲子園公民館で話し合いが持たれた。部長は最初に、今回で6回目になる。話し合いは継続していくつもりではあるが、測量調査については了解願いたいと述べた。

 住民側は、事実上、工事に着手することになる調査を実施するのであれば、出来ない。当局が9年2月に出した山手幹線ニュースNo.2の、大気の将来予測値は対策後の数値としている。大気の対策なんて出来るのか。とんでもない。

 環境を守る道路を作ろうと思っている。話し合いはあいまいなまま終わった。

 12月15日、市長宛てに要求書を出した。今までの市当局の住民を軽視したやり方、話し合いで理解を求めると言いつつ、9年2月には強行調査を実施しようとした。またその後、仮処分などという、行政が市民を訴える暴挙にまで出た。そのうえ上記の山手幹線ニュースNo.2に、対策後の数値などを載せている。対策が出来ないものを出来ると載せている。このことを追求されれば、単なるミスプリだと弁解した。その上、3月の仮処分申請では、そのニュースNo.2を証拠書類として提出している。このようなことで、最大限の努力をします、信じて下さい、と言われても住民は納得出来るはずはない。12月7日の話し合いで、当局は近くボーリング調査をすることを示唆した。強引に、そのようなことをするのであれば、当局の言う話し合いは、形式的なものであり、住民との話し合いを放棄するものと思わぎるを得ません。再び、以前のような混乱した事態を、引き起こさないためにも、行政のトップとして、十分なるご賢察の上、指導願いたい、と要求した。

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『みちしるべ』税金に汚いトヨタ自動車**<2007.5. Vol.46>

2007年05月02日 | 神崎敏則

税金に汚いトヨタ自動車

みちと環境の会 神崎敏則

 5月になると、大企業の前年度決算が次々に発表される。世界に冠たる巨大企業・トヨタ自動車は、自動車販売台数が世界1位となり、営業利益は2兆円を越えた。一方で、トヨタは税金に汚いこともよく知られている。汚いと言っても合法的な税務処理なので「まったく問題はない」と強弁することができるだけに、たちが悪い。

10社に約1兆円の輸出戻し税

 例えば、自動車1台を100万円で売るメーカーがあるとしよう。売上段階でメーカーは5%(=5万円)の消費税を上乗せして消費者に販売する。その5万円は消費者が負担をし、メーカーは5万円の消費税を預かる立場だ。そしてメーカーは自動車を製作する段階で、仕入れ材料や一般経費(人件費や税金などを除く)を支払う際に5%の消費税を負担している。それらの支出が仮に60万円だとすると、メーカーは3万円の消費税をすでに支払っていることになり、預かっている5万円から自分が支払った3万円を差し引いて2万円の消費税を税務署に納付することになる。

 このメーカーが同じ車を海外で販売した場合は、売上時の消費税が発生しない。メーカーが支出の段階で3万円の消費税を支払っているのは同じなので、この分の還付を受けるように税務署に申告することになる。

 巨大企業トヨタ自動車の場合はどれくらい戻ってくるのか。関東学院大学の湖東京至教授の試算によれば、(国内売上高)X5%から、(国内売上高に対する仕入高)X5%を引くと、374億円ほど納税額が出るという。ところが輸出戻し税の方は、2665億円になり、そこから国内の納める分374億円を引いて、2291億円もの巨額がトヨタに還付(図参照)されることになるそうだ。

 消費税全体の税収は、地方消費税も含めると、約13兆円になるらしい。平成18年度予算では、この13兆円の内、3兆円も大企業に還付され、上位10社だけで1兆円の還付を受けている。

トヨタヘの還付金赤字の豊田税務署

 ここで問題なのは消費税の特性だ。大企業は売上時に5%の消費税を上乗せすることはできても、中小零細企業は上乗せすることは容易でない。相手が大企業の場合は5%を上乗せする前から、単価を引き下げさせられる。請求書には5%の消費税が載せられて、会計処理上は大企業がその消費税を支払ったことになる。だが、実質的に支払ったのは中小零細企業ではないのだろうか。

 湖東教授は、「アメリカは輸出戻し税を、実質的には輸出補助金だと言っています。GATT(関税貿易一般協定)では、国が輸出企業に補助金を出してはいけないと決まっています。私は、消費税は輸出補助金にほかならず、GATT協定違反の税制だと思います」と指摘している。

 巨大企業トヨタ自動車に納品する何万という中小零細企業が実質的に負担をさせられている消費税を、ホクホク顔で還付請求するのだ。トヨタは一度も消費税を税務署に納めたことがない。管轄の豊田税務署は、トヨタのおかげで還付金が多く赤字の税務署となっている。実はトヨタにはもっと露骨で醜悪な税金問題がある。

税金を詐取できる優遇税制「みなし外国税額控除」

 「みなし外国税額控除」(注)とは、進出先で支払ってもいない税金を支払ったとみなして、日本国内の本社に対する課税を減免する、とんでもない優遇税制だ。

 税法の考え方として、一度課税された利益に対して再度課税するいわゆる「二重課税」を排除している。例えばA社の関連会社であるa社がフィリピンで収益を上げ、フィンピンに納税したとしよう。その納税後の収益を本社であるA社が株主配当として受け取り、A社の収益に計上すると二重課税されることになるので、フィリピンで納税した税額を日本で控除するという制度だ。ここまではごく当たり前のことなのだが、ここからが露骨で醜悪だ。

 フィリピンには本来の税率を減免する優遇税制がある。優遇税制は進出企業が税率を減免されるので、それだけで不公平税制と言いたくなるが、A社などはもともと日本でその税額を控除するつもりなので、フィリピンで納付する税額が少なくなっても恩恵を受けたと思えないらしい。そこで「みなし外国税額控除」が登場する。

 優遇税制をフィリピンにつくらせて納税額を減らし、日本の本社が税額控除する際には、優遇前の本来の税額分を控除できるという制度だ。払ってもいない税金分まで税額控除できるのだから、制度化された税金詐取と断言したい。

 この例えばなしのA社がトヨタでa社がフィリピントヨタだと名指しして非難しているホームページもある。

 安部首相は06年12月9日「所得に対する租税に関する二重課税の回避及び脱税の防止のための日本国とフィリピン共和国との間の条約を改正する議定書」に署名し、(1)日本からの投資に対する課税引き下げ、(2)フィリピンヘの進出企業に対するみなし外国税額控除の10年延長、の二つについて合意した。

 横田一、佐高信共著『トヨタの正体』によれば、トヨタ前会長の奥田氏について「フィリピンに左遷された駐在員時代、当時のマルコス政権に食い込み、豊田章一郎社長の信望を得て、一気にトップに上り詰めた」と解説している。現在のトヨタとフィリピン政府の関係は推(お)して知るべしだ。日本の政財界のトップとフィリピン政府のトップが手を結べば、これほど悪辣な制度を10年も延長させることができるのだろう。(文責著者)

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(注) みなし外国税額控除は、投資先の発展途上国等が自国の経済発展のため一定の要件を備えた外国からの投資について税制上の優遇措置を設けており、源泉地国と居住地国との間にみなし外国税額控除の規定を有する租税条約が締結されている場合に、適用される。2006年5月現在、日本との租税条約に有効なみなし外国税額控除の規定がある国は、アイルランド、インド、インドネシア、ザンピア、スベイン、スリランカ、タイ、中国、バングラディシュ、パキスタン、フィリピン、プラジル、ベトナム、マレーシア。

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『みちしるべ』**道路行政と住民運動の将来的接点**<2007.5. Vol.46>

2007年05月01日 | 藤井隆幸

道路行政と住民運動の将来的接点

世話人 藤井隆幸

はじめに

 道路建設計画に対して、それに反対する住民運動が組織的に起き始めたのは、70年前後のことです。それまで、戦前の政治体制を戦後も引きずり、「御上のする事に口出しするな」が通ってきました。一部の道路建設計画を含む差止め請求訴訟であった、『国道43号線道路公害訴訟』は、1976年8月30日に提訴されました。この裁判は、道路公害を象徴する訴訟として、全国的にも注目を浴びました。そして、1995年7月7日に最高裁判所判決が出て、原告の損害賠償請求勝訴という形で決着をみました。

 判決全般についての意見は別として、阪神高速3号神戸線(大阪~西宮間)の建設差止めという、原告側の主張はかないませんでした。19年の長い裁判の途中に、既に完成してしまったからです。提訴後、四半世紀が経過しました。その間、全国で無数の住民運動が展開され、今も多くの訴訟を含む運動が行われています。しかし、行政当局が発表した道路計画が、白紙になるということは、皆無といってよい状況が続いています。様々な環境対策が住民運動で勝ち取られるようになってきたのは事実です。しかし、それだけで住民運動に参加した人々が、納得している筈もありません。この問題に関して、如何に考えたらよいのでしょうか。

 私たちネットワークにおける、今後の課題とも関連するように思われます。如何にすれば、無駄な道路建設計画を中止させることができるのか。また、現在供用されている道路の環境問題をクリアーすることが可能なのか。考えてみたいと思います。

1.道路行政当局の強さの中身

 何故、道路行政当局はこれほど強大なのでしょうか。戦後、GHQの強力な指示のもと、道路整備が始まりました。戦災復興区画整理事業で、土地の収用に費用が必要ではなかった。今に引き継がれた道路特定財源(ガソリン税等)制度で、財源も手に入った。更には有料道路制度で、道路建設には無謀な借金が許されることになった。この三つの打ち出の小槌が、道路行政を強大にした根本でしょう。

 とはいえ、これらの制度は戦後間もない頃の臨時的措置でした。なぜ、今日に至るまでも強力に存在しえるのでしょうか。それに関しては、戦後の歴史観にかかわる間題でもあり、大いに意見の分かれるところでもあります。あまりにも私的な見解なので、読み流して頂ければと思います。思うに、日本の戦後政治は、アメリカに従属しすぎたものでした。MSA協定による、食の欧米化。ひいてはアメリカの余剰農産物の消費国に。エネルギーにしても、石炭から過度の石油依存体制へ。米ドルの垂れ流しを、為替相場で買い支えるのも日本。だぶついたドルの始末には、アメリカの赤字国債を買う。世界からは、アメリカヘの「ミツグ君」のように見られています。

 戦後政治の中で、良くも悪くもリーダーシップの取れる政治家がいなかった。アメリカにとって、存在してはいけないものでした。最近人気の小泉元首相がそれを象徴する存在。アメリカの要求を改革という名で、忠実に実行する。郵便局を解体し、保険業法も改悪し、アメリカの保険業界が日本市場を支配してしまった。アメリカのファンドが、日本市場で膨大なマネーゲームを展開し、巨額の利益をあげている。

 記憶に残る有力政治家といえば、田中角栄でしょう。好きではない人物ですが、彼だけは、唯一アメリカに反旗を翻しました。アメリカにお伺いを立てずに外交をしたのは、田中親子しかいないでしょう。その結末は、アメリカからロッキード事件を暴露され、あえない最期となりました。

 多少、私的歴史観に紙数を取ってしまいました。何が言いたいかといえば、政治に主導権をとるリーダーがいないということです。その中では、政治的利権の配分ができないということです。田中角栄後、国会での予算配分は固定されてしまいました。采配を振るえるリーダーがいない以上、シーリング(天井)で前年度比によって配分する機能しかないのです。

 道路族やゼネコンは、既得権益の上に、長年アグラをかくことになりました。建設省時代から、公共事業の7割は建設省の所管。建設省所管の公共事業の4割は、道路事業と今に続く権益です。この膨大な予算が、国土交通省の道路局・都市局の強さといえるのです。緊縮(?)財政の今年度予算でさえ、8兆7000億円の道路予算(国と地方の合計)規模。道路特定財源は5兆7000億円を見込んでいます。地方の自動車(軽を含む)税を含めると、7兆6000億円にもなります。その膨大な予算を背景に、全国2000余りの自治体に、国土交通省の職員が出向しているのです。毎朝彼らは、首長の話を聞く前に、本省(国土交通省)からのメールに目を通します。たいていの場合、彼らは幹部職員で、首長に指示さえ出しているといわれています。これが道路建設を強力に推し進める力の元であり、彼らの強さの原因なのです。

2.住民運動の現状での問題点

 一方、私たち住民運動はどうでしょうか、30年余の歴史を持ちながら、未だに公害道路の建設を阻止した実績に欠けます。運動の成果を否定しているのではありません。あくまでも運動の到達点が、条件闘争の段階であるということです。多くの住民運動を見てきました。当初は建設阻止を目標に運動が展開されますが、阻上した経験は殆どありません。

 道路問題での住民運動では、建設されるまでは頑張ります。近年では、環境対策などで、驚くほどの成果をあげている運動も多くあります。しかしながら現状では、運動に強力に参加した人ほど、公害道路沿道から去ってゆく人が多いのです。ここに住民運動、道路問題での限界があるように感じています。環境に強い関心をもっている人ほど、道路公害には我慢がならないのです。住民運動は、中心的人物を多く欠くことにより、力を減退させざるを得ないのです。また、長年の活動で、高齢化も避けることは出来ません。道路問題は10~30年という、長期にわたるものが殆どです。多くの先輩や仲間が他界する場面に、どれほど多く遭遇したことか。

 「道路公害反対運動全国交流集会」は、昨年で32回を経過しました。全国の住民運動の成果は、全国に普及させられてきました。それらの努力は、今日の到達点への大きな力となってきたことは、高く評価できると思います。

 しかしながら、道路公害の住民運動が、他の環境問題の運動との交流に欠けるものがあるのではないでしょうか。一般的に言って、環境問題の取組みは、行政と仲良しのソフトムードなものが多いものです。他方、道路運動は行政と対峙していて、当然ハードな雰囲気のものです。そこに両者がかみ合わないのは現実です。

 道路建設反対の場合、沿道となる直近の人だけの運動になりがちです。道路沿道から少し離れただけで、受ける公害の程度は天と地ほどの差があるからです。多くの人がマイカーを持つ時代ですから、道路が建設されることに期待感のある人が多数を占めることも事実です。これらの人々の道路公害に関心を持つ段階が、被害者への哀れみの程度から発達していないのが現状でしょう。ここにも、私たちが課題とするべき点があるように思います。

3.車社会が問い直される時代ヘ

 さて、今年の冬は暖冬でした。これが地球温暖化と関係があるかどうかは、科学的には検証のしようのないものです。とはいえ、多くの国民が地球温暖化に気を使い始めていることは事実です。自動車もハイブリッドだとか、燃料電池車の開発も進んできました。バイオ燃料の問題が、穀物の価格の上昇という現象で注目されています。

 このような時代には、高度経済成長の時代には振り向かなかった人々も、環境問題に注目するようになっています。多くのマイカーが、化石燃料を浪費し、大気汚染と交通事故を引起し、メタボリック症候群の主原因であり、生活の利便性には殆ど関係がない。これは客観的には殆どの場合、事実ではあります。が、多くの人々は、それを認めようとはしてこなかった。それが、多少不景気のせいもあって、変化を見せつつあります。大型乗用車から軽自動車に乗り換える傾向にあります。 ドライブも控える傾向にあります。

 このような情勢の下では、自動車の社会的存在を、公平な眼で見てもらえる好機です。道路行政当局が渋滞緩和を名目に、道路建設をしてきたが、それは渋滞を悪化させる要因にしかならなかった。マイカーを所有することのデメリットは、メリットの数倍になる。マイカーでメタボになり、フィットネスクラブにお金を奉仕する。車対応型社会を形成したために、まちづくりの単位が広大になり、コミュニティーの崩壊を余儀なくされた。

 自動車メーカーなどが過度に流す情報により、多くの国民は洗脳され、マイカーシンドロームに陥ってしまっていた。そんな時は、事実が客観的には見えなくなってしまっています。環境問題に取り組む入以外は、なかなか気がついてはもらえなかった。それが、この時代に来て、好機到来といえるのではないでしょうか。

4.行政も住民運動もやらなかった課題

 最近の行政当局は、「住民参加」「協働」「パブリックコメント」などの言葉を使うようになってきました。本来、最も民主的な手法が住民の直接参加です。直接民主主義が理想ですが、市民・国民が多くては現実に不可能です。ですから、間接民主主義として議会を設け、選挙により議員を選出しているのです。しかしながら、議員に総てを嘱託したわけではありません。直接民主主義の手法は、可能な限り有効に取り入れるべきです。「住民参加」など、行政から言われるまでもありません。主権者としての当然の権利行使です。

 それはともかく、欧米では交通需要マネージメントが多く採用されています。その採用に至るまでに、行政は徹底して住民に説明し、意見を聞いているところで成功しています。車社会は万能ではない。むしろ弊害に着目しなくては。それを民主主義では先輩格の行政が徹底している点です。自分に有利か否かではなく、社会にメリットがあるか否かを考えさせる。それが最終的には自分のメリットであるということ。

 JR伊丹駅から空港まで、LRT(路面電車)を走らせると兵庫県は言う。県の主張は「便利になる」というものです。考える視点は「何が変わるか」であるべきでしょう。費用対効果を考えれば論外。浪費する意味があるでしょうか。費用がかかっても「何かが改善される」、そのことが公共事業の本命である筈です。

 阪急甲陽線(夙川駅~甲陽園駅)の地下化問題。県道大沢・西宮線(建石線)の踏切立体交差事業の対案に、住民側からLRT案が出された。図面まで整えての提案には、敬意を表するものです。しかしながら、重要なのは県当局に認めさせることではなく、多くの市民に認めてもらうことであろうと思います。残念ながら、時間との勝負では、県の従来計画の押し切りになる可能性が高い。それでも、車社会に一石を投じる議論を、多くの市民に訴え理解してもらうことに意義はあるでしょう。

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