『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』横断車道(57)**<2009.5. Vol.58>

2009年05月08日 | 横断車道

この話は、何処かで書いた気がする。ここであったら申し訳ない。読み飛ばして頂きたい▼高校3年の時、社会人になっても困らないようにと、テーブルマナーの講習があった。ホテルでのフランス料理を頂いたと記憶している。食べ方は勿論、レストランでの作法や、一般家庭のディナーに招待された時のマナーなど、専門の講師から教わった。食べ方はさておき、招待された時の作法で、招かれた時間丁度に訪問するのは良くないと教わった。15分くらい遅刻してゆくのが一般常識だというのであった。先様のご都合も配慮して、それくらい余裕を持たせるのがマナーというのだった。勿論、1960年代末の話ではある▼仕事はピアノの調律で、顧客を訪問することになる。1970年代初頭は、ピアノがあっても電話を設置してある家ばかりではなかった。当然、訪問を予告するのだが、葉書で知らせることもあった。先輩の中には電話が苦手で、有ろうと無かろうと、総て葉書で知らせている方もいた。それで結構、仕事になっていた優雅な時代である▼いずれにしても、訪問時間を正確に示すことは無かった。「午前」「昼過ぎ」「午後」「夕方」などと提示し、顧客もいい加減で、「あっ、今日だったっけ。ほな、上がって。」なんてことが普通だった。そんな感覚が今も、私には残っている。何時と約束しても、早く着くと時間調整して、5分位は遅れて訪問することにしている▼ところが昨今、10分遅れてゆくと、来るのかと心配して、自宅兼事務所に留守電が入っていることが多くなった。最近の若者は、待ち合わせに時間や場所を正確に約束しないようだ。その場所や時間が近くなると、携帯電話で連絡を取り合うようだ。お客さんも、そのような感覚なのだ。リアルタイムにコミニュケーションできないと心配になる。何10kmも離れたお宅を訪問するわけで、申し開きをするのではないが、電車の接続が良くなかったり、途中で知り合いとあってしまい、10分程度の立ち話があることもある。1分1秒正確に訪問できるものでもない▼携帯電話が夢の未来ツールの実現と評する人もいる。一方で、何かしら失うものを懸念する意見もある。実は、私は未だに携帯電話というものを持たない人種。「大人が子供の玩具を持ってドースル!」とかわしている。多くの人と繋がっていると、携帯電話を所持していても、常に電源を切っておかねば、仕事は一切はかどらない。携帯電話が真に便利であるためには、誰とでもアクセスできなければならない。私のような存在は迷惑なのであろう▼車社会もここへ来て、冷静に判断されつつある。「20世紀の最大の発明」と評した時もあったが、車中心社会にして失ったモノの方が多かったことに気づきつつある。気づくのが余りにも遅かったのだが、未だに気づかない人も多数なのが現実である。    (コラムX)

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『みちしるべ』福祉政策は高速で行わねばならない**<2009.5. Vol.58>

2009年05月07日 | 澤山輝彦

福祉政策は高速で行わねばならない

澤山輝彦

 毎日新聞には、「経世済民術」と題した政治漫画がある。その2009年4月25日付けは、走り放題1000円高速道路を揶揄したものであった。

 ETCと掲げた高速道路のゲートの画面が写るテレビの前で、夫婦と子供一人が椅子に座っている。テーブルの上には、コーヒーカップが二つ置いてある。夫はガイドブックと書いた物を手に、よーし、と言っている。(1000円高速を走ろうと意気込んでいるのだ)その手前にハツカネズミの飼育籠、回転車のついているやつ、それに走り放題と書いてある、があり、一匹のハツカネズミが回転車をまわしており、それをもう一匹が見ている。回転車の中は父、外のネズミは子供らしい。それぞれに吹き出し(漫画のセリフを書いてあるかこみのこと)があって子供は、「父ちゃん、人間も「走り放題」でストレス解消するんだね」と言っている。親はそれに答え「やつらも悲しい生き物よ」と言っているのだ。私は車を持たないからハツカネズミに悲しい生き物よ、と言われることはないけれど、そんなことを言われる人間にはなりたくないなあ。

 この漫画、1000円走り放題を提供した政治を批判しているのだろうか、それともその策に乗って喜び走り回る人間を批判しているのだろうか。「やつらも悲しい生き物よ」の言葉にこれは人間批判である、と私は思うのだ。そうすることで間接的に政治を批判しているのだ、としたら、ここは間接的な物言いなど必要ないのではないか。新聞の政治漫画は、たった一こまでするどく政治に切り込む物なのだから、人間批判より先にずばりと政治批判をしなければ、新聞漫画の意味は無い。政治社会風刺の効いた一こま漫画は凡俗な記事よりずっと説得力を持つのではないか、と思うのだ。

 それにしても、あの1000円走り放題とは一体何なんだろう。あの件で儲ける奴は誰か、ETCに関わる奴はまあ儲ける方だ。走り回るドライバーそれはくたびれ儲けはする。ガソリン屋や食堂なんかも少しは潤うだろう。高速道路会社も決して損をしているわけではないのだ。走った車がきっちりETCで管理されるのだから、差額の補助なんて簡単だ。儲かっているのだよ。道路族だって顔が立つのだから儲かったも同じだ。誰が損したん。

 老老介護の悲しくつらい生き方をテレビで見た。NHKだった。最近NHKわりにがんばってるよ。月一度でもいいから、デイサービスを受けられるようにしてほしい、ささやかな悲痛な願いであった。そんなこともかなわない現実、金のばらまきはいらない。本当に必要な所へ回せ。道路特定財源という制度がなくなった。あの財源を分散してあちこちで使わずに、先の老老介護など社会の弱者むけ福祉に使うのだ。無かった物として全てを福祉方面に向けてしまうのだ。

 大戸川ダム反対でがっちりスクラム組んだ大阪と滋賀の知事、今度は新名神(旧第二名神)でがっちりスクラムを組み、新名神の整備凍結解除を官房長官に要望ときたものだ。「関西だけでなく日本のためだ」なんて、一体何考えてんねん。

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『みちしるべ』熊野より(29)**<2009.5. Vol.58>

2009年05月06日 | 熊野より

三橋雅子

《ジビエ》

 お風呂で、鹿肉食べる?と訊かれる。毎晩襲来する鹿が罠に掛かったのだという。男湯にいる連れ合いに訊く訳にもいかないから、取り合えず「いる、いる、食べたい」と言って、もらいに行く打ち合わせの電話番号を聞く。が、裸でメモするわけにも行かず、しっかり頭に叩き込んで帰った。早速明日にでも、とまだボケてないかと記憶の数字をダイヤルするが、肝心の相手の名前が分からない。これはボケではなく、訊いたことがなかったのだ。あんなにいろいろおしゃべりしているのに。先方も、こちらが名乗っても分からないだろうと、「さっきお風呂で………」ともらいに行く打ち合わせをする。

 大阪から、武住という所に移り住んでいる、その夫婦のことを我が家で話すときは「武住さん」で事は済む。かつて平家の落人を追って熊野の奥深くまで踏み込み、そのまま住み着いた「武士の住みか」という地名と言われる。同じ武士でも、我が家から一つ谷を隔てた、今や廃村跡の平治川は、これぞ平氏の落人が辿り着いて住み着いた所だという。確かに煮炊きの煙も見えないか、と思われる高い木々に覆われ、物見櫓(ヤグラ)が残っているのは、ここから武住のあたりの動向を見張っていたのだろうか。鬱蒼と山に囲まれた神秘的な「平治の滝」が有名で、写真家が時々迷い込んで我が家に辿り着き、慰めに出すお茶を飲んで諦めたり、おしゃべりに興じて、折角道を教えても「もうええわ」と引き返すことが多い。

 あちらが源氏、こっちが平治の末裔というわけ?と訊くと、大抵土地の人たちは、いやあ、もう平氏も源氏もなく仲よう住んでたんとちゃうやろか、と言う。追う方も追われる方も、こんな所まで踏み入り、何とか居を定めカツカツの食べ物を得て命をつないでいたとすれば、鹿でも猪でも猿でもない人間は懐かしく、人恋しさが先立ったかもしれない。いつか3日も雨に降り込められていた時、息子が、あ、猿でなくて人間が歩いてる!と、数日振りのよその人間を、懐かしそうに叫んだものだ。熊野も広く、ここは奥熊野なのだ。

 さて、武住夫妻を訪なうには、案内されたように、いつもの車が止めてあるところで、警笛を鳴らす。すると遥か上の方で声あって、やがてトロッコがコトコトと降りてきた。指示通りしっかり腰を下ろして掴まり、ガタンゴトンと揺られて、鼻先の植物に触れながら登っていく。降りた所はさすがに高く、魚がぴちぴち泳いでいた川はもはや見えず、車も心なしか小さく見える。

 ようやく表題のジビエにありつく次第。刺身用のヒレの部位も含めて、たっぷり冷凍保存するだけの肉をぶら下げ、帰りはトロッコの送りを辞退して、ぶらぶら正規の道を降りてくる。車までは、さすがになかなかの道のり、これでは毎日のお風呂も、まして買い物の荷物をぶら下げては………と、トロッコが酔狂の産物ではないことが飲み込めた。

 ジビエとは鹿や猪、兎など野生の動物、かつてフランスなどの王侯貴族が狩をして得た狩猟鳥獣である。第三階級など庶民の口には到底入らない贅沢な食卓を飾るものだった。食に贅沢三昧の今の日本でも、ジビエ料理を出すのは高級レストランなのだろう。<ジビエとなる野生動物は、自由に野山を駆け回り好きな餌を食べて育つため、養殖の家畜と比べ、素材それぞれに力強い個性があり、焼いた時や食べた時に感じる強い香りと味が魅力だ>などとさるレストランは宣伝している。また他のレストランでは、<近年出回っている飼育や半飼育された鹿や猪とは違い………>と本物の猟師がしとめた獲物であることを、最大の売り物にしている。おやおや?我らが口にする、隣の猟師と猟犬が山を駆け回って獲ってきた猪の分け前や、武住さんちの罠に掛かった鹿のおこぼれは、贅沢な、正に本物の奥熊野ジビエなのだ。

 しかしそのジビエの味も最近格段に落ちた。山が荒れている証拠であろう。来たばかりの頃、目の前で切りながら、何の変哲もない、醤油と砂糖だけのすき焼き鍋に放り込んでくれた、猪肉の素朴で深い味は、丹波篠山の高級料亭の、おそらくは猪豚であろうが、凝った味噌だれの猪鍋を遥かに凌駕するものだった。猟師は、自然のものは個体差が大きくてね、と気温と餌の状況次第で、味はうんと違う、と言っていたのが、今や年内など、こう冷え込まなくてボカボカしてちゃ、脂が乗らなくてとても食べられやしない、と全部猟犬の餌にしてしまう。年々ボヤキはひどくなる。冷えが本格的になっても、かつての味にはありつけない。

 確かに森の荒れは深刻になりつつある。水源に行くたび、周囲の山の崩れなど、荒廃のさまが目に入る。水の味も落ちているのではないか。簡単に枯渇することはなくても、水質の劣化は我々にとって死活問題である。彼ら、ジビエの提供者の餌も相当な不況に違いない。百年に一度やらの経済不況など怖くはないが、森の荒廃は恐ろしい。ジビエに舌鼓を打つことがなくなるより、文字通り、子孫達が生き延びる手立てが失われつつあるのだ。

 杉の伸び止まず春日の薄くなり

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『みちしるべ』私の住民運動(18)**<2009.5. Vol.58>

2009年05月05日 | 私の住民運動

私の住民運動(18)

山幹の環境を守る市民の会
山本すまこ

 平成10年に入り1月も末になって、市当局よりまたしてもボーリング調査を開始したい旨を伝えてきた。2月2日朝、住民たちが市に抗議に行った。2時間ねばって午後1時、助役・局長に会った。にも拘らず、道路課の課長以下が、個別訪問を始めたのである。さすが北町には来なかったが、北町を孤立させようとの意図が見えた。しかし、それぞれからすぐに報告が入ったのです。もちろん抗議をした。

 2月7日、チラシを配布し、市が9日からボーリング調査に入ると通告してきました。「9日朝8時30分、河川敷に集まってください。良識あるみなさん方の数の力で、市当局の強引な行為に断固抗議していきましょう」と訴えました。

 2月8日夜、市民の会の相談会をもった。個別訪問を受けた会長からその時の様子が話された。市の態度に腹立たしい気持はみんな持っていたが、河川敷でのパトロールのーテーションがきついなどの意見もあった。裁判所の決定は気になるが、1日30万円づつ町内会と市民の会から取るというが、どうしても納得がいかん!! とにかく1日分は支払えるから、1日は徹底して抗議し、抵抗しようと言う話になった。

 明けて9日朝7時30分、コンサルタント会社の作業員が、市と共に河川敷に到着。市民の会が発見、サイレンを鳴らして召集した。聞けば8時30分より作業をすると言う。突然飛び出して来たので8時15分までに家の用事を済ませて来てください、と連絡。変な話ですが、主婦の戦いなので………。

 作業員が8時45分から、フェンスを不規則に4枚立てようとしたが出来ない。無理やり2枚を強引にパイプでつなぐ。川べりには数枚のフェンスを、トラックを盾にしておろそうとするが、住民が迫ったので運転手が逃げて行ってしまった。そんな小競り合いを繰り返していたが、11時45分になると引き上げて行った。誰が言ったのか「昼食休戦」と。2時になって長い昼休みの末、市が到着し、約30分の攻防があったが、こう着状態が5時まで続いた。サイクルロードにはみ出して、斜めに無理に立てたフェンス。「こんなの危ないじゃないか」との抗議に、致し方なく取り払って帰って行った。

 2月10日、住民の集合があまり良くない。一箇所に座ると反対側をめくりに来る。川べりにも作業員が移動する。住民も手薄になり苦労するが、とにかく市も怪我をしてはと慎重になる。10日の夜、今日の人数を考えると、ちょっと明日が不安なので、再度地域の住民のみなさんの参加をお願いする連絡をした。明日は祝日なので男性のみなさんの参加をお願いします、と。

 ところが、連絡表で順次電話をかけていたのですが、ある法律に詳しい方に言われました。法的に決定されたことは無視出来ない。すでに書類が一人歩きしています。考えれば一日だけ抵抗しようということだった。2日経っているのである。その一言に、はたと考えさせられたのです。主だった人に相談をした。明日の座り込みを如何したらよいか。事実、このままでよいのかと皆、少なからず懸念を持っていたのでした。強行にやろうと言った勢いで、やめようとは口火を切って言い出せなかったが、皆この辺が? と思っていたようでした。話が早かったです。とにかく明日の朝は静観しようと言う事になりました。悔しい気持ではありましたが、仕方なかったのです。

 2月12日には早速、市当局へ抗議と要求の文書を出そうと、朝早くに集合して市役所に出発しました。私は電話などで少し遅れてしまいました。皆に先に行ってもらったのですが、ボーリング調査は河川敷だけでなく、我が家の前の空き地にもトラックが入ってしまいました。私は出るに出られなくて。と言うのは、作業の職員と顔を合わせたくなかったのです。あまりにも悔しくて。では、どうして外に出たか。裏のO宅に電話で事情を話し、塀の向こうに脚立をお顔いし、乗り越えて出してもらいました。

 昼ごろ市役所から帰って来たときに、思った通り若い職員が「どんなもんじゃ」と言う顔をして見せた。さすが役付きの職員は、そ知らぬふりをしていたが。市への抗議は2月9日からの強引なやり方や、ガードマンを連日配置し税金の無駄遣いであり、また多人数で住民を威圧したり、法の力を借りて市民運動を弾圧するような市の行為に対して、断固抗議するものでした。

 2月15日夜、住民の集会を開いた。11日から12日の経過報告、そして今後の活動をどのようにして行くかを話し合った。平成3年から運動をやってきて、結果として無駄になったのではないかと思われるかもしれませんが、反対があったからこそ市当局も、初めて対策の案も提示してきたのである。今後、市との話し合いにも人数が問題となる。現状の結果も、だんだんと人数が減ってしまったことが原因であると思う。

 今後について、公害調停? 抗議文を県、市に出す? 環境対策の市民としての取り組み? 運動のことを市民情報誌にのせる? 勉強会を開いて人を集める? アンケートをとる? 署名を? などなどであった。とにかく今まで市が騒音・振動・交通量の予測をしているが、それらの信憑性と守ると言う確約を取りつけるため、質問状を出そうということになりました。ただいえる事は、次回の市との話会いにどれだけの人を集められるかである。

 2月23日11時、市へ質問状を届けた。ABCテレビが来てくれました。その質問状について、私たちも勉強しないとだめだと、3月2日、F氏に頼んで勉強会を開きました。また3月10日には、市当局に現状の環境対策のないままに強引に推し進めないこと、行政が市民を訴えるなど恥ずべき行為を非難するとともに、今後このようなことのないように文書で確約することを要求しました

 つづいて3月12日、市議会に陳情書を提出した。市の強引な行為と、43号線訴訟で受任限度を超えて違法とされた、環境基準を大きく上回っていること。平成9年6月30日、道路審議会が出した中間答申に今後の道路環境政策の方向と題して、その基本的な考え方の転換、1.積極的に環境保全 2.地域社会や国民と連携を取った環境施策への転換、とにかく国民の道路行政に対する意見を広く聞き、行政に反映させるための恒常的仕組みを構築することが必要である。等云々。

 西宮市は住民の意見を聞くどころか、昨年5月には裁判の場にまで市民を引きずり出した。また、住民を個別訪問して反対運動に参加しないように促がしたり、河川敷に抗議に来た人たちの写真をとりまくる姿は、全く異様であり異常であります。さらに、職員による住民を威圧する暴言は許しがたいものです。平成9年3月、仮処分申請に続き、5月には間接強制の申し立てに対して、猛烈な世論の批判を浴びてか、市当局から話し合いの申し入れがあり、同9年6月8日より話し合いに入りました。しかし、またしても12月7日、一方的に打ち切りました。

 これらのことをふまえて、

  1. 民主主義の基本は話し合いである。関係住民と誠意をもって対話協議すること。
  2. 心豊かに暮らせる街づくりを市民参加で行うこと。
  3. 今後、このようなファッショ的な行為と、市民を弾圧するような行為を二度と繰り返さない。
  4. 市職員の権力などないはず。市民を侮辱したり、圧力をかけるようなことを二度としないこと。以上のような内容の陳情書を提出しました。

 3月13日夕方であろうか、河川敷の看板に市がビラを貼って行った。内容は3月20日までに看板を撤去するように。さもないとゴミとして処分すると言うものであった。市は何か行動をするのはいつも金曜日の午後遅くである。抗議をする余裕を与えないように、5時を過ぎると電話連絡も出来ない。自信があるなら堂々とすればよいものを。16日の月曜日、朝一番に部長に電話する。「角の立つようなことをするな」と。

 平成10年3月17日、建設常任委員会に陳情書がかけられた。午後3時、傍聴に行った。始まったのが午後6時38分だった。長時間待って、終わったのが7時10分。わずか30分あまりで終わった。結果は期待していなかったものの不採択であった。議長日く、最初からボタンのかけちがいから始まっているように思う。市民の会の人たちも反対ばかりではないと思う、などと勝手な解釈をして、とにかく対策にも誠意をつくしてやってもらいたい。市民とよく話し合って理解をえる努力を行政に望むと締めた。

 傍聴はいつもの事ながら、ただ聞いているだけなので歯がゆい思いを何度もする。担当局・部長は議員の質問にたいして、当然、建設ありきの回答ばかりである。市民側に立った回答などあり得ないのである。

 3月20日、監査請求を提出した。市当局は住民との決着のついていない、この事業の完成予想図を扱ったチラシを作り、配布したことの印刷費と配布費についてである。こんなことはいい結果が出るとは期待していない。あくまでも出来るだけ当局に抵抗したいというだけである。

 又、24日には河川敷の看板が勝手に取られていた。部長に抗議し、看板は我々のもの、返すようにと抗議した。すると、公園課が取ったのだろう。確認するとの返事。道路課がさせたのに違いない。

 4月3日午前10時より監査局にて陳述。こちらからは8人が出席し、それぞれの気持を述べた。質問をされたら答えられるのですが、一方的に話すのは結構難しかった。相手の意見が出されたら反論するのは易しいのだが。いやな気分で終わった。

 しばらくはネットワークの集まりなどで、日が過ぎていった。4月27日に2月23日提出の質問状の返事が遅すぎると、町内会長から抗議をしてもらった。すると28日、西宮市発行の山手幹線ニュース第2号を地域に個別配布した。5月に入って、会長宅に個別訪問して質問書の回答を配って回った。早速どうして勝手に市が配布するのか。いつもはまとめて会に持って来るのに、と抗議したところ、「団体名が質問書の最後にかかれていたから」と言い訳をした。どんな時も、常に市民の会の名前だけで公的な文書は出すことがないし、各会長に回答を出したことはない。勝手ないい訳である。

 そして、その後も市と局の行動には疑問を感じる。5月15日、局長・部長が会長を訪ね、「今後の話し合いの進め方」について相談に来たという。コレもおかしい。いつも窓口は市民の会の筈。「市民の会抜きで交渉するのは、おかしいではないか。」と抗議した。

 平成10年6月7日、市がニュースに出した内容の説明をするように要求し、説明会が開催された。交通量・騒音・大型車の混入率の予測について、住民側は納得出来ないといい、その予測の基礎となるデータを、市は平成6年のものをいつまでも使うのはおかしいではないかと詰め寄った。平成6年以降のデータが出ている筈なのに。全て市の説明は決め付けているのが、住民には納得できない。いつもの事ながら平行線である。

 続いて同年7月19日夜、市の説明会を持った。住民側はいつも通り質問を繰り返したが、回答は少しづつ具体的になってきた。

 1. 振動の被害が出たときは速やかに対応する。
 2. 低周波振動は起こりえない。
 3. 橋梁の継ぎ目はないのでジョイントによる振動は起こらない。

などであった。

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『みちしるべ』**衆議院国土交通委員会参考人陳述**<2009.5. Vol.58>

2009年05月04日 | 道路全国連

衆議院国土交通委員会(09/3/27)
道路公害反対運動全国連絡会 事務局長

橋本良仁 さん が参考人陳述

○望月委員長

 次に、橋本参考人にお願いいたします。

○橋本参考人

 私は、道路公害反対運動全国連絡会、通称道路全国連と言うんですけれども、事務局長をしております橋本と申します。かつて、道路公団民営化のときに仙台で行われた地方公聴会でも、私、参考人に呼ばれたことがあります。とりわけ、今度の一般財源化ということは、私、資料を皆さんにお配りしていますが、特定財源、道路しか特定目的を持たない財源ということは、長い間、日本でずっとやられてきましたけれども、現在においては、財政は逼迫化しているし、そして地方の財政なども大変な中で、もちろん国家財政もそうですけれども、そういう中で一般財源化するということは、私たちも、国民も大変望んできたことでありますので、これについては、私も大変賛成ですし、我々全国連としても、この声明に出したように、これを求めていたという経緯がございます。

 そして、きょう私が申し上げたいのは、やはり現場で、実際に道路建設が行われている、そういう沿線住民が、自分の望む望まないにかかわらず、建設問題が頭から急に降ってきて発表されるという中で、特に都市部の住民が大変困っているという状況がある、このことを私はちょっと申し上げたいと思います。

 そして、この全国連ですけれども、何でこんな、道路公害反対運動なんて、何か非常に化石のような名前がついているというふうに思われるんですが、実は、この連絡会は、1975年に名古屋で第1回の交流集会をやったときから活動しているんです。我々の先輩たちがこういうことをやられた時期というのが、やはり日本の中に大変大きな、いろいろな公害問題が発生し、車であれば、排気ガスからの大気汚染や振動等について悩まされた時期にあったということで、こういう名前をつけて運動をしたんだなということで、あだやおろそかにこの名前を簡単に変えるということもできない、私もそういう思いでおります。

 そして、皆さんも御存じかもしれませんけれども、都心からわずか40㌔足らずで、電車で一時間足らずで行くことのできる国定公園高尾山というところに、今、首都圏中央連絡自動車道という道路建設が進んでいます。ほぼ高速道路ですね。何とかこの貴重な自然、これは一昨年に、よくレストランなんかに星をつけて紹介するということで有名なフランスのタイヤメーカーのミシュラン社が日本ガイドをつくりまして、その中で、この高尾山が、大都市に至近な距離にあって、フランスのパリなんかでは考えられないすばらしい自然を持っている、特に日本の植物種のおよそ4分の1、1320種といいますけれども、これが日本一小さな国定公園の中に存在しているという植生の豊かさ、生物多様性の最も豊かな山として大変評価したということで、私ども、大変うれしく思っています。

 そういう山にトンネルを掘るということが現在もう既に進められているわけで、何とかこういう計画は、たとえ圏央道の是非はともかくとしても、高尾山だけは何とか避けてもらえないんだろうかということで、実は、私ごとですけれども、昨年1月にあった八王子の市長選挙にも、私、じくじたる思いで立候補して、つらい思いをしたということもございます。

 道路問題というのは、そういうふうに実際にいろいろなところで人の人生を大きく左右するような問題が実に起こるわけでして、私たちの先輩たちも、もう既に、長い人では、東京外郭環状道路の運動をされている方なんかは、実に大学院生ぐらいの20そこそこでこの運動に引き込まれて、あえて私が引き込まれてと言うことは、自分で好んでやったのではなくてやって、40年もたっちゃって、まだその運動から手が抜けないということでして、住民は大変つらい思いをしているというわけです。

 それで、私は、もう一つここではっきり申し上げたいのは、地域活力基盤創造交付金のことですけれども、これは、やはり今度の道路特定財源の一般財源化ということ、名を捨てて、そして実を、実際には道路予算に使えるそういう予算をきちっとつけたのではないかというふうに、私はちょっとこれについては疑問視しています。

 そういう点では、先ほど高知の町長さんがおっしゃっていましたが、私も国が北海道なんです。実に、旭川というところで生まれましたから、大学時代まで北海道で過ごしまして、東京に出てきました。こういう首都圏に、都心に住んでいると、車の利便性よりも、非常に公共交通網が発達していますから我々は余り感じないんですけれども、地方の疲弊というのは大変なものでして、私も、父親がまだ94で頑張っていますから、心配で毎年何回か戻るんですけれども、いろいろなところの小さな町に講演で呼ばれたりすると、そこの実情に本当につらい思いをします。

 やはり、道路を考えるときは、大都市部や中核都市の道路と、都市と都市を結ぶ道路と、それから地方の中山間部での、特にそういうところの道路づくりというのは、これは明らかに違いがあるわけでして、そこはまずきちっと分けてやる必要があるということを私は申し上げたいと思います。

 そして、どうしてもこれは申し上げなきゃいけないんですけれども、今の道路づくり、行政の手続の中で、例えばパブリックインボルブメントというものがあります。これは、住民との合意を求めるということで進められるということで、国土交通省も大変このことを重視しているわけですけれども、例えば、40年間ぐらい凍結されていた東京外郭環状道路の東京都内区間16㌔部分を、都市計画を外してもう一回やり直す、そして住民との合意形成のもとにこれを進める、そして、その前提としては道路をつくらないということも前提の中の一つにあったんですね。

 ただし、私、そういう中で、どうしても行政のやり方、東京都も国土交通省もそうですが、大前提としてまず道路建設ありきというのを先に置いちゃうものですから、これは、PI協議会というところで、住民が、沿線の住民の方もいろいろ勉強されて、どんなに一生懸命になって発言をされても、それが生かされない。結果的には、今度の国幹会議にも、もうかかるのではないかというふうな心配を地元の人がしているわけですね。そして、そういう中で私たちは、私は先ほど申し上げた高尾山のトンネルをどうしてもやらないでほしいという思いがありましたので、2000年の10月に、略称、高尾山天狗裁判という裁判を起こしました。実は、現在2000人に及ぶ原告で、私は原告団の事務局長も兼ねております。

 これの中で、道路の必要性ということに関しては、これは公益性ということがあるわけですから、それをきちっと吟味するということが必要になってくるわけです。ということになると、最近国会の中でもいろいろ審議されていますけれども、需要予測であるとか、それから道路をつくった場合の費用便益ということが大変問題になってきます。裁判の中でも、たびたび私たちが、例えば2.6とか2.9とかという高いBバイC比が出てきたときに、このBバイC比が出るに当たってのバックデータというのがあるわけですね。何も、コンピューターでぱっとやってすぐ結果が出るものじゃ決してございません。私も、もともと電子工学をやっていた技術屋ですから、その程度のことは知っているつもりです。そして、そのバックデータの要求に対して、一切それに対してこたえないという状況が裁判の中でもありました。現在でもその状況が続いております。

 ですから、費用便益分析マニュアルだけを見ても、どういうような前提条件で、整備あり、なしの便益を出しているのかということがわからないような状況になっています。これは、私は海外の事例が必ずしも全部それがいいとは思いませんが、イギリスとかオランダなんかでやられている、情報をすべて開示して住民とのコンセンサスを得るということをきちっとやっている国、そういうやり方がやられている国では、私が今から申し上げるような、日本全国でもう数限りない裁判に今なっているんです。東京都内でも、きょう傍聴席にたくさんの方が来られていますけれども、そういう当事者の方がきょうは多いんです。

 そういうような道路建設というときに、本当にやはり大事になるのは、コンセンサスを得るということなんです。そのコンセンサスを得れば、裁判なんということのそういう修羅場にならないというふうに私は思います。何と、国土交通省のやり方、行政の手続というのは、余りにもまだ強引だ。

 例えば、去年も国交委員会のところで、私たちの仲間である小井修一さんというのが参考人として出られたと思うんです。そのときに、奈良の平城宮という、日本にも世界にも誇るような大変すばらしい木簡がある、そういうところを地下でもって通すという京奈和道路という道路が進められていると。これは高尾山も同じなんです。そういうところもパブリックインボルブメントというのでやっているけれども、ここは、私が聞く範囲では、東京外郭環状道路のパブリックインボルブメントよりも、もっと形骸化しているというふうに聞いております。

 私は、アセスメントのやり方、説明会のやり方、そして公聴会の持ち方等々もすべてそうですが、全部そういう点では、これはやりさえすればいいという今の国土交通省の体質をやはりきちっと変えてもらいたいというふうに思います。そういうことさえきちっとやれば、私たちのようなこういうある意味では不幸な裁判ということにはならないというふうに僕は思います。

 そして、海外の事例をあえて言うわけじゃありませんけれども、それは結果的には、一度決定して、みんなで合意したら、建設までの期間がもう本当に早いんです。ですから、アクアラインみたいに1m1億円もかかるなんということをやらなくても、M25をつくったあのロンドン、片側4車線のああいう高速道路でさえも、わずか5千億もかからないでできている。圏央道は、1mで6千万、7千万のお金がかかるという、それも期間が20年も30年もかかる。計画をしたのがもう30年前、それで今でもまだ計画も終わらないし、ものの20%程度しか開通しないということでは、私はこういう基盤整備ではやはりまずいだろうというふうに思います。

 最後に申し上げたいのは、いろいろあるんですけれども、もともとやはりこういうことを進めていくためには、将来の日本のグランドデザインという、日本の国に国民が安心して生活ができて、平和な日本ということをみんなだれもが望んでいる。そして、都会の人間だけじゃなくて、北海道にいる人も高知の人も沖縄の人も、みんな安心できるということ。

 そして、それは、やはり大事なことは、めり張りをつけて、きちっと、道路づくりであれば道路をつくる、都市部であれば公共交通網というものがやはり発達しているんですから、これ以上、渋滞緩和をするという目的のために、本当に三つの環状道路が必要なんだろうかということを、もうちょっと立ちどまって考え直すことも必要なんじゃないだろうかというふうに思うわけです。

 そして、そういうことを議論するときに、私は、ある先輩の、尊敬するジャーナリストの方の言葉をちょっと最後に引用させてもらいますけれども、その方は圏央道の公聴会のときにこういうふうにおっしゃいました。これは、ジャーナリストはジャーナリスト、医者は医者、弁護士は弁護士、裁判官は裁判官、政治家は政治家として、国家公務員は国家公務員として、自分の良心に従ってきちっと仕事をするということが最も大切なことなんだと。

 私の今申し上げたことを、私も自戒の念を込めて申し上げましたけれども、ぜひともこれからの道路づくりや法案のつくり方に生かしていただけないかというふうに思いまして、そういうことで私の意見の公述を終わらせていただきます。

 ありがとうございました。(拍手)

○望月委員長

 ありがとうございました。以上で参考人の意見の開陳は終わりました。

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『みちしるべ』**大和北道路のP.I.について報告**<2009.5. Vol.58>

2009年05月03日 | 単独記事

【住民参加(P.I.=public involvement パブリック・インボルブメント)なし】
大和北道路のP.I.について報告

高速道路から世界遺産・平城京を守る会
事務局長 小井修一

この文章は「奈良民報」に掲載された一節です。筆者が活動する奈良においては、国交省が公言する住民参加(Public Involvement)さえ、まともに守られていない住民排除の論理がまかり通る実態です。国際常識として既に、中央も認めざるを得ないことでも、地方には道路族の旧態依然とした「御上意識」で、非民主主義が公然化されています。住民運動の要素として、地方レベルの格差という点で重要と思えました。筆者の承諾の下に転載させていただきます。解説=藤井隆幸

 全国で初めて行われた東京外郭道路のP.I.では、反対組織や、自治会代表など住民代表も参加した「協議会」をつくり、国・都と月2回のペースで全会一致制のルールをもとに協議されています。そして、都市計画決定済みの道路計画についても、道路の必要性などそもそも論からも「協議」されています。では道路で全国2番目のP.I.プロセス導入と宣伝された奈良で何が行われたのでしょうか。

 国交省はP.I.プロセスの導入として、まず「大和北道路有識者委員会」(02年9月~03年10月、大和北道路のルート案を国土交通省に推奨)をつくりました。当然、住民参加の委員会と思いきや、国交省が任命した、わずか6名の委員の構成でした。この「委員会」最初から問題だらけでした。02年9月の第1回会議で提案された規約第1条では「公正・中立な立場」を強調し、第3条で委員会は、「その目的に照らし、特定の行政機関及び特定の利害関係者等の利害を代表しない公正中立な立場の有識者をもって構成し、………」となっているのに、国交省は、傘下の近畿地方交通審議会の委員を委員長に任命しました。他の委員も地下トンネル賛成者や、国交省の息のかかった委員ばかりでした。公正・中立どころか、最初から規約にまで違反した「委員会」でした。しかも、委員長自らが、「P.I.プロセスとは何か。初めてのことなので………」という始末で、自主性のない素人(しろうと)の集まりでした。

 結果、「有識者委員会」が実施したのは、シンポジウムや、住民に対する、高速道路ありきの360万枚の新聞折込ビラ(ビラの号数は1回目、2回目が第1弾、第2弾となっており3回目から第3号になった、6号まで発行)やパンフレット、そして高速道路建設誘導のアンケート実施、指名されたヒアリング、また指名した聞き取り調査、そして公聴会でした。これらは今日、おざなりの各「審議会」でも一般的に行われている手法、形式に過ぎないものです。

 東京外郭道路の場合、「委員会」はP.I.と文書に書く場合、必ず(住民参加)と( )書きで直訳しましたが、奈良では(住民参加)と書かずP.I.だけでした。また、東京では「委員会」が「P.I.方式(住民参加)の進め方を提案」し、「P.I.協議会」に住民代表や反対の組織の代表も入って、協議しています。奈良では、一切の協議なし。それどころか、ルートの推奨案を決定するという権限までわずか6人の委員に与えたのですから、何をかいわんやです。この重大な、世界遺産の危機、そして奈良県民の生き方にまで関係する重大事項をたった6人の委員に全面委託することほど、非民主的な決定方法は今までになかったのではないでしょうか。

 世界遺産委員会への日本政府の報告は以上の事実を隠し、P.I.(住民参加)で実施したと報告しています。今回、日本政府の報告は驚いたことに、「守る会」との話し合いの実績が報告されています。2002年2月から2005年8月まで6回の話し合いの実績が報告されていますが、「守る会」は署名提出時と要望書等の提出時以外、国土交通省と会見していません。

 また、「守る会」にとって、署名や要望書等の提出時を「話し合い」の場とする認識はいささかもありません。署名や要望書等の提出時は窓口の担当者にその趣旨を述べ、提出することが中心です。しかも、会見中に言葉のやりとりから、国交省の担当者に「会場から出て行け」と命令されたことさえあります。これがユネスコに報告できるような「話し合い」なのでしょうか。

 一方で、「守る会」からの文書による意見交換の場、設定要望については何の返事も未だにありません。これらの事実こそ報告してほしいものです。

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『みちしるべ』**【参考資料】阪神間道路問題ネットワーク会則**<2009.5. Vol.58>

2009年05月02日 | 単独記事

【参考資料】阪神間道路問題ネットワーク会則

第1条〔名称〕この組織は「阪神間道路問題ネットワーク」と称する。

第2条〔構成〕このネットワークは第3条〔目的〕に賛同する団体で構成する。但し、例会の合意を経て個人の参加を認める。

第3条〔目的〕阪神間で、道路公害から生活を守るために活動する諸団体が広域に協働し、それぞれの団体の活動に寄与する。

第4条〔活動〕
  
① 構成団体・個人間の交流と親睦。他の組織との交流を進める。
  ② 道路問題、自然保護、まちづくり、などに関する学習、調査・研究。
  ③ 行政との交渉。活動の相互支援。
  ④ その他提起された事項。

第5条〔役員〕世話人若干名を置く。世話人で世話人会を構成し、事務局的役割を担う。代表世話人1名を例会で選出する。

第6条〔運営〕運営はすべて例会の合意によるものとする。各組織の自主性を尊重する。

第7条〔財政〕各組織の拠出と寄付による。会費の金額、その他詳細は別途「内規」で定める。

第8条〔事務所〕事務所を尼崎市??(掲載省略)丁目??-?? 砂場徹方に置く。

第9条〔施行〕会則の改廃は例会の合意によって行われる。

この会則は1996年1月14日より施行する(会費は未決定)
1999年6月20日改定施行する。

内 規〔会費〕
  
(1)会費を構成する費目  
交流紙費、事務通信費、資料費
  (2)会費額算定基準
     会員数 01人~19人=3,000円
     会員数 20人~39人=5,000円
     会員数 40人~59人=7,000円
     
会員数 60人~79人=9,000円
     会員数 80人~   =10,000円
  
(3)申し合わせ
     各組織の申告によって会費収入が決まる。
     人数は厳密なものではない。
     少数組織(者)の過重負担を避ける。
     宣伝・工作のための(注;『みちしるべ』配布)部数増を認める。

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『みちしるべ』**代表世話人の辞任と当面の体制について**<2009.5. Vol.58>

2009年05月01日 | 藤井隆幸

代表世話人の辞任と当面の体制について

世話人 藤井隆幸

  阪神間道路問題ネットワークの初代の代表世話人は、故 砂場徹さんでした。そして会則の規定に従い、2004年3月27日の例会(夙川公民館=西宮市)において、大橋昭さんに引き継がれました。会則第8条の事務所も大橋方に変更することが確認されました。その際に、世話人の補充も提案されましたが、今に至るも実現はしませんでした。

 かねてより大橋さんからは、代表世話人を降りたい旨の提言はありました。理由は体調が思わしくないことと、高齢であることでした。そして正式に、前回(09/4/5)の例会(今津公民館=西宮市)において提起があり、総意として受け入れることとなりました。しかしながら、新しい体制は即断することはできず、当面、代表世話人は空席とし、事務所のみ藤井隆幸(世話人)の住所に仮に置くこととなりました。お気付きの方もあろうかと存じますが、『みちしるべ』表紙の《事務局》も当面は、そのようになります。

 世話人の補強も提案され、「みちと環境の会」の神崎さんに要請することを確認しました。今後、世話人会などで相談し、代表世話人の選任をし、しかるべき例会で決めることになります。『みちしるべ』の編集長も、第60号の記念を区切りに、澤山さんが引退したい意向もありました。会計は藤井新造さんが引き受けてもらっていますが、当面は引き続きお願いすることになるでしょう。

 世代の交代という命題は、なかなか悩ましい問題です。代表世話人の人選、『みちしるべ』の編集長の人選。それに新たな世話人の補強について、みなさんのご意見・ご提案をお待ちしております。会則に従い、例会の場で決めることになりますので、宜しくお願いします。

 会則につきましては、既にお忘れになった向きも多いことと存じます。非常におおらかな会則ですので、特段、急ぐこともないのですが、変更すべき点もあろうかと思います。参考までに掲載しますので、ご意見があれば例会で出していただきたいと思います。

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