生まれて初めての経験
~老いに直面するとき~
T.K.
今年の3月から食事のおいしさを実感できなくなった。ある日突然その異変が訪れた。
阪急塚口駅南側のさんさんタウン2号館1階にうどん工房Yという小さなお店がある。老いに直面した出来事は、そのうどん工房Yに2度目に足を運んだ3月中旬だった。
初めてうどん工房Yに入ったのは今年の1月。外食時にもできるだけ野菜を摂るようにしていたので、かき揚げ定食の写真につられて注文した。写真のかき揚げは衣が薄く、しかも野菜が盛り上がるように、立体的な存在感を誇示していた。ごぼうと人参の千切りは2㍉角ほどの細さなのに、サツマイモの断面は5㍉以上ある。かき揚げ全体の大きさはソフトボールくらいだ。
お盆に乗せられて出てくると、まず視線はかき揚げに奪われた。かき揚げをうどんに乗せ、だしの香りをかいだ。風味がいい。だしを少し口に含んだ。あれっ、自分が作るうどんだしとは違うと一口で分かった。
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僕の作るうどんだしは、中鍋に半分くらい水をはり、昆布をそこに1~2時間浸けた後に火を入れ、沸騰直前に火を止めて(と書きたいところだが実際には沸騰してからあわてて火を止めることが多い)、鰹節を多めに入れて1、2分後にはキッチンペーパーで濾す。最初の中鍋に濾しただしを戻し、塩小さじ1杯程度、薄口しょうゆ、みりん、酒をそれぞれお玉に1杯ずつ入れる。これ以上ないおいしいだし汁ができる――このお店のだし汁をいただくまではそう思っていた。ところがうどん工房Yでは、別の何かがだしに加えられていた。アゴだろうかサバ節だろうかそれともイリコだろうか、お店の人に聴きたくなったが、一元の客がだしの作り方を教えてくれとお願いしたところで、いやな顔をされるだけだ。
だしを鼻と舌で感じてから、うどんとかき揚げを食した。うどんも腰がありおいしい。かき揚げはソフトボールサイズなのに、衣がまとわりつかず、さらりといただくことができた。味、風味ともに堪能できた。次回お伺いする日が愉しみになった。
2月後半に10泊11日もの間、東京へ出張研修に行かされていた。3月にやっと再訪することができた。もちろんかき揚げ定食を注文した。5,6分後にかき揚げ定食が出てきた。風味を感じる・・・はずなのに感じない。だしを一口含むが、味も分からない。えっ、うどん屋のだしが急激にまずくなることはあり得ない。自分の舌が感じなくなってしまったのは間違いないだろう。そう言えば、出張中にも1度だけ似た経験があった。
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ホテル近くで夕食をとるのに、一番野菜が摂りやすい中華のお店に入った。メニューを見ると、単品小皿2つと、おこげの中華あんかけ鍋と生ビール1杯で1300円だった。小皿の単品は8種類ほどの中から選ぶことができる。リーズナブルな価格に惹かれておこげの中華あんかけセットを注文した。
鍋の中のおこげにあんをかける音がバルバルジュジュッとお店中に響き渡ってから出てきた。中華らしい味のあんだ。具材はトマトとチンゲン菜とエビだった。おいしくて大満足だった。
2日ほどあけてまた同じ中華料理店に入り、同じ中華あんかけセットをたのんだのだが、おかしい、味があまりしない、おいしさを感じない。作り手が前回と違うのだろうか、と思いなが食べ終えた。ホテルに戻り、ユニットバスで体を洗い、ベッドへ入っていると、結構な汗をかき出した。その晩2,3度肌着を着替えた。風邪をひきかけていたので、味が分からなかったんだとその時思った。
それから出張中にもう2回ほど訪れたが、おいしさをしっかりと味わうことができた。
このあんの味なら自分でも出せそうだ。鶏がらスープの素を中さじ2杯、オイスターソースをお玉1/3、薄口しょうゆと日本酒(紹興酒の方が良いかもしれないが使いこなせそうにない)をお玉半分、塩小さじ1、胡椒少々、風味付けにしょうがの千切り少々、最後に水溶き片栗粉、だろうか。具材は、トマトとチンゲン菜のほかに玉ねぎとシメジも合いそうだ。絹サヤが上に乗ればなおいい。出張から帰り、予想通りの味が出せるか夕食時に作ってみた。ほぼ同じ味だと自分では納得した。
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あの出張中に味が分からなかったのは、風邪のせいではなかったのだ。うどん工房Yへ再訪してから以降、外食しても、自分で作ってもおいしさを感じなくなった。味がしているのはわかる。でもこれがおいしいのかおいしくないのか全然見当がつかない。以前なら、あと塩を少々、とか、塩が少し効きすぎだとか、良く感じていた。なのにそれ以来、塩を足した方がいいのか減らすべきだったのかさえ全く分からなくなってしまった。
おいしさを感じなくなると、料理したいという意欲も無くなってしまった。せっかく自分で作った料理がおいしいと感じられない――無力感の底が見えなかった。
友だちに話すと、すぐにでも病院にかかった方がいいと強く勧められた。同席していた別の友人がスマホを触りはじめた。A医大に味覚外来があることを教えてもらい、受診することにした。
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家に帰り、ネットでA医大の味覚外来を検索すると、火曜木曜しか診察日がないらしい。翌日の7月4日木曜日に受診することにした。しかしよく見ると、紹介状がないと実費5,000円+消費税がかかるとの注意事項があった。
年々膨らむ医療費を抑制するために、医療機関を日常的な診療を施す家庭医と、大病院の専門科に振り分け、大病院を受診するには紹介状がなければペナルティを課す制度だ。紹介状があれば、同じ検査を家庭医側と大病院側でダブっておこなうことはない、また、患者側が見当はずれな専門科を受診する無駄も省くことができるという主旨なのだろう。それでも5000円は僕にとって大きい。
翌朝、いつものように2、3回洗濯機を回してから、あわててB診療所に駆け付けた。僕は治療中の病気がなく主治医がいないので、一番身近な医療機関がB診療所だ。窓口で、受診歴はないがA医大への紹介状を書いていただきたいので、受診したいと伝えた。医療事務の以前から知る彼女は、難しそうな顔になって、「確認しますので少しお待ちください」と言われた。
5分ほどで受け付けに呼ばれ、「他に主治医はいないんですか?」「いないです」「先生に確認しましたら、初診の方に紹介状は出せないそうです」「やはりそうですか。分かりました」――常識的な対応であることは間違いないし、無茶をお願いしているのは織り込み済みなのですぐに引き下がった。
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A医大の1階の総合受付で、予約はしていないが味覚外来を受診したいと伝え、2階の耳鼻咽喉科の受付を案内された。耳鼻咽喉科の受付は小さく、溢れるように並べられているカルテの棚は天井付近まで聳えていた。
少し広めの廊下なのかと思ってしまうようなところが待合いだ。待っている患者さんは50人は超えていただろうか。
10分ほど待つと、受付の手前横の処置室らしきところから出てきた医療スタッフに名前を呼ばれ、行くと、次回の検査と診察を予約したいと言われ、8月15日の14:30~予約を取っていただいた。ただし、無理に予約を入れたので、時間が前後することがあり得るので、念のために14時ごろには受付を済ませておいてほしいと言われた。
その日は結局予約を取って帰っただけだ。
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いよいよ8月15日がやってきた。
1階玄関から入り、総合受付を素通りして2階の耳鼻咽喉科の受付に予約表を提出したのは14時頃。前回と同様に予約の患者でいっぱいだろうと予想していたが、待合の椅子に腰掛けていたのは5,6人程度。壁に接して3人がけ長椅子を3個ほど縦長に並べているところに一人。受付窓口のすぐに2列3行の長椅子のブロックに母娘の親子が一組。そのブロックから1メートル間隔の通行スペースを空けて、2列10行ほどの長椅子のブロックに2,3人いた。僕は、処置室らしき部屋に比較的近い椅子に腰掛け、リュックから本を取り出して読み始めた。
5分ほどたったころだろうか、受付窓口からスタッフが母娘に声をかけた。「今、担当の先生が手術に入りましたので、時間が遅くなりますが、お待ちください」とマスクのスタッフは受付から出てくることもなく話しかけた。40歳前後の母は「それやったら先に言ってや!」と強い口調で言い、スタッフは「すみません」と弱く返事した。母親の横で中学生らしき娘は長椅子の上でぐったりと上半身を横にしていた。
程なく受付手前横の処置室らしき部屋から僕の名前が呼ばれ、入っていった。医療スタッフが一人いて、検査の説明をし始めた。
「今から味覚検査を行います。甘い、しょっぱい、すっぱい、苦いの4種類の検査液をろ紙に浸して、それを舌の前の方と真ん中に載せます。どの味がしたか、指で指してください」と説明する手にA5版サイズほどの用紙に「甘い」「しょっぱい」「すっぱい」「苦い」と書いた文字が並んでいた。ろ紙のサイズは直径3ミリほどだ。
「それでははじめますので、まず、うがいをしてください」とコップを渡され、背中側のシンクでうがいをした。「これはどうですか」と問われるが、口をあけたままなので、首と手を左右に振りながら「わかりません」と意思表示した。「これはどうですか」「これもわかりませんか」。首と手をふる。「それでは味を変えますので、うがいをしてください」と言われ、うがいをし、また検査が始まったが、さっぱりわからなかった。舌先は無回答だった。
「次に舌の真ん中を検査します。これはどうですか」。首と手を振りっぱなしだった。「それではうがいをして」と言われたとき、背中側を振り向いて口を閉じたときに口の中の別の味来に触れたのだろう、ほんのかすかに甘さが感じられた。「今のは甘い、ですか?」とたずねると、「そうです。甘い味です」との返事。
結局、感じたのはその1回のみだった。
次に別の小部屋に案内された。そこでは電圧などを測定するテスターの針先のようなものを舌の先端と左右、奥の4か所にそれぞれ充てて、感度を上げていき、違和感を感じた時点で手に握っているボタンで応答する。この検査もほとんど反応することはできなかった。
次に症状の経過や既往歴などを記入する問診票を2枚もわたされて、そこで記入するように言われ、一人残された。
記入しはじめて間もなく、受け付けの方から女性の声が聞こえてきた。先ほどの症状の思わしくない娘をつれた母親の声だ。
「ちょっとおかしいんとちゃう。昨日この子が2回目に受診したら1回目の先生と違うし、その時処方された薬も変わっていたから違う薬です、言うたら、こっちの薬の方が合います言うんで、飲んだら気分が悪くなって、今日も症状が良くならへんから電話して聞いたら、処方した先生は今日は不在なので、別の医療機関に行ってください言われたんや。自分とこで処方しておいて別の病院を勧める病院がある~ぅ? うち、聞いたことないで。友だちに聴いても、それはおかしいわ言うから、もう一遍電話したら、来てください、診察します、言うたやんか。どうなってんねん」・・・なるほどというか、随分ひどすぎる内容だ。母親頑張れと応援したい気分になるし、そもそも、ぐったりしている娘の患者さんをみて、医療スタッフが何らかの対応をすべきだったのだろう。
問診票を書き終えたことを伝えると、待合いで待つように言われた。20分ほど待つと、また処置室らしきところから名前を呼ばれ、入っていくと、先ほどの小部屋ではなく、器具と机と患者用の椅子と流し台が複数セットおいてある中で、カーテン間仕切りもないままに診察が始まった。
30台前半くらいの女医だ。顔立ちは菅野美穂を少しぽっちゃりした感じだ。最初に問診票の内容の確認から入った。「味覚障害を感じはじめたときは、風邪をひいていませんでしたか?」 ぽっちゃり菅野によれば風邪が原因で味覚障害の症状が現れることがあり、それは全く違う病気で、その場合は別の科を受診してもらうことになるそうだ。「念のため耳と鼻を診せてください」と言われ、小型懐中電灯で右耳の穴を照らして覗き込む、続いて、鼻の穴に器具を挿入して穴を広げて診ていた。「耳も鼻も異常ありませんね。それではもう一度4種類の味を検査します」。ぽっちゃり菅野はてきぱきと進める。「口をあけて」と促されるままにあけると、今度はろ紙ではなく検査液を直接舌に1,2滴たらして、「感じませんか?」「感じません」、「これはどうですか」と同じ味の少し濃い検査液をたらし、「感じません」と答えると、さらに濃い液を垂らして「どうですか?」と聞かれ、「少ししょっぱいです」と答えると、「分かりました。では別の味になりますので、うがいをしてください」と言われうがいをした。結局4種類の味とも、3段階目でやっと分かる程度だった。ぽっちゃり菅野は、「普通の人は大体2段階目で感じますので、3段階目ということは、少し鈍っていると言えます」と淡々と説明する。「それはろ紙の場合であって、検査液を直接垂らしたら普通は1段階目で分かるのでは?」と心の中で思うが口には出さない。
「原因は分かってはいませんが、症状は確認できましたので、とりあえず、亜鉛を処方します。3週間や1ヶ月で症状が改善されることはありませんので、3か月単位で判断しましょう。3か月後に改善しない場合には、亜鉛でなく、例えば鉄を処方することも検討します。
一般的に味覚障害は発症から6か月ないし1年以内に治療を開始すれば改善する確率が高く、それ以降だとほぼ難しいと言われています。ですから、患者さんの場合はまだ大丈夫ですよ」とぽっちゃり菅野は落ち込まないようにフォローも手抜かりない。
「ところで薬ですが、今ちょうど治験段階に入った薬がありますが、医学の進歩にご協力いただけるのでしたら、治験に協力していただけませんか?」ぽっちゃり菅野から意外な提案がされた。言葉ではきいたことはあるがどんなものか知らないし、・・・好奇心がニョキッと頭をもたげて、「協力します」と返事した。ぽっちゃり菅野は治験の方法を説明し始めた。「飲んでいただく薬は、その製薬会社が開発した薬と、全く効能のない成分の2種類の薬のどちらかです。患者さん本人はどちらの薬を飲んでいるのか分かりませんし、処方している医者も知りません。それを3か月続けていただくだけで結構です。」とこともなげに説明した。3ヶ月間も治療薬を飲まなかったことを後で知ると後悔しそうなので、「協力は難しいですね」と答えた。ぽっちゃり菅野からどんな反応が返ってくるのか、とても興味があった。「そうですか。分かりました。では亜鉛を処方しておきます」とあっさりと方針転換を了承していただいた。
次回9月中旬の予約を取り、総合受付の清算機で9,910円を支払った。もちろん「紹介状なし」負担額5000円+消費税250円込だ。
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高校2年の古文の授業で「徒然草」を習った。その中の「死期は序を待たず。死は、前よりしも来らず。かねて後に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。」を教師は実感を込めて解説するのだが、聞かされている僕には文字面の意味は分かっても「それってどういうこと?」と思ってしまった。この意味が少し実感を伴うようになった。