『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』第80号(2013年9月号)印刷完了 配布開始しています

2013年09月30日 | 日記

『みちしるべ』第80号の印刷できました

 相変わらず月末近くになってしまいましたが、印刷が出来ました。各団体にはお渡しを完了しています。皆さんに届くには、少し時間が掛かるかもしれませんが、近々お届けできるものと思います。

 郵送分につきましては、印刷した日の深夜に、郵便局本局の≪ゆうゆう窓口≫にて発送済みです。本日あたりに、届くものと思います。

団体お届けサイクリングで

 今回も、印刷した『みちしるべ』の担当分を仕分けして、夕方から団体お届けのサイクリングに出かけました。いつものように、30~40kmの体力づくり?

 郵送をケチって、K子さんのところへも届けました。なにせ山の上ですので……。でも、ルートを変更してみると、意外に大したことがありませんでした。以前にお届けしたいた頃は、山の上から谷底まで下りて、また上がっていたのですね。

 水平的に地図で見ると、大回りに見えるのですがね。高低差でいえば、合理的だったわけです。物理的に言うと、水平移動に対して、高さのエネルギーは20倍ほどになる計算ですから、大回りの方が得なんですね。

団体お届けサイクリングで②

 ところで、配達中に自転車で転んでしまいました。登り12%程度で、数100mの坂道でした。対向2車線で、車線幅は3m程度しかなく、路側帯は0.5mほどです。歩道幅は1.5m程しかなく、植樹があったり、住宅車庫への出入りスロープも多く、段差が無数にあります。

 それでも、いつもは歩道を走っているのですが、歩道を完全に塞ぐように駐車があったので、車道を登っていました。対向車線の車は、交通量が少ないこともあって、60km/h程で下ってきます。後ろから追抜く自動車も、きつい勾配なので、思いっきりエンジンを吹かしてきます。

 駐車している車を通り越して、住宅車庫への歩道切込み部分から、歩道に上がろうとした瞬間、転んでしまいました。暗かったのでわからなかったのですが、段差は5cm以上あったようです。

 歩道を占拠して違法駐車しなければ、他の車の通行が確保できないドン臭い自動車。自転車を蹴散らさなければ、坂道を通過できないドン臭い自動車。自転車から1mの隔たりをとれない場合は徐行しなければ違法です。対向車(下り)が停止して、登りの車を優先するのが道交法です。総ての運転手が違法行為で、自転車が排除されているのが現実。

 まっ、何とも腹立たしい次第です。洗ったばかりのズボンが、明るいところに来ると血だらけ。また洗濯しなければ……。一番出血していた指先に気が付かず、他を止血していたので、そこらじゅうに血がついてしまいました。

 車優先をしてしまった歴史から、運転手の意識までが歪み切っています。「国土強靭化計画」で10年間に200兆円の公共事業をするのだったら、是正してほしいのですが……。消費税を増税して、景気悪化で税収が激減してしまうでしょうから、とん挫するのは明白ですが。

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『みちしるべ』第80号(2013.9.号)アップ完了しました

2013年09月23日 | 日記

  いつものことながら、大変遅くなってしまいましたが、80号のアップを完了いたしました。紙の『みちしるべ』に先駆けてのアップとなります。

 実は、今号の原稿につきましては、世話人の方々に精査をお願いしているところです。校正が終わりましたら、今週中にも印刷に掛かりたいと考えております。

 まっ、此処に書いても仕方ないのですが、ネット接続環境の無い方は、もうしばらくお待ちいただけますよう。また、配布担当の方々は、いつものことながら、よろしくお願いします。

 一応の編集を終えるまでは、どうなることかと心配しましたが、何とか原稿もそろって、完了ということになりました。新しい執筆者もおられ、複数の原稿を頂いた方もおられ、内容は豊富だったと感じています。原稿を頂いたみなさん、ありがとうございました。

 ブログのアクセスも、今回は良好だったようです。見て頂いたみなさん、感謝です。

編集長代理 藤井隆幸

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『みちしるべ』横断車道(71)**<2013.9. Vol.80>

2013年09月22日 | 横断車道

長崎大学が世界の核弾頭数を推計し、ポスターを作った。その数17,300発。実に94%をロシアとアメリカが保有する。存在する核弾頭のコンマ何パーセントが、地球上で炸裂した場合、人類及び殆どの生物は、生存可能な環境を失う▼再度、大統領に就任したプーチンは、核爆弾を搭載した戦略爆撃機の24時間365日のパトロール(飛行)を再開した。アメリカの攻撃型原潜は、百数十本のトマホーク(巡航ミサイル)を積載し、一旦、潜航すると2ヵ月間浮上しない。核弾頭装備のミサイルが何本かは不明だが、4000kmを飛んで標的を1mと外さない▼オバマ大統領はロシアに対して、核弾頭の総数を両国で5000までに削減することを提案したが、通常兵器で圧倒的に劣るロシアは同意しなかった▼米ロ両国の核攻撃指令は、大統領に権限が与えられているという。その大統領及び、準ずる指揮官が攻撃され、尚且つ、核攻撃を受けた時には、自動的に核反撃することになる。SFにおいて、核戦争で人類滅亡ストーリーが描かれる、その原因はヒューマン・エラーか、コンピュータの誤作動である。つまり、核戦争の原因は必ずミスなのである。核戦争に勝者はあり得ないから、核の発射は人類の滅亡を意味する。核の抑止力だとか、核の傘というが、実際には存在しない論理である▼そのような中で、日本も核武装などという、とんでもない輩がいる。長崎原爆はプルトニュームが用いられたが、原発の稼働によって、日本は長崎原爆の4000個分のプルトニュームを保有している。イプシロン打ち上げ成功は、喜ばしいのである。が、核弾頭を搭載すれば、地球上どこでも攻撃できるミサイルでもある▼ロケットの揚力(打上可能な重量能力)は、液体燃料の方が大きい。北朝鮮の弾道ミサイルは液体燃料である。しかし、液体燃料は腐食力(毒性)が強く、燃料は発射直前に挿入される。したがって、発射は容易に予測される。イプシロンのように固体燃料であれば、いつでもスタンバイしておける。それでも1.5トンの弾頭を打ち込む能力がある。そして、弾頭の照準能力は米ロしか持っていないといわれるが、日本は衛星の回収実績から、その能力を持つ第三の国と目されている▼人類は自ら滅亡できる力をもった。その滅亡を回避できる能力を発揮できるのであろうか?軍事産業は軍拡競争の中で巨大化してしまった。その縮小ができるかどうかは、アメリカが財政破綻の自滅国家になるか否かだ。オバマ大統領の力量が試されている。当面、シリアへの戦争は回避したかに見えるが……。軍事政財界の圧力をはね返すことができるか、暗殺という過去の汚点の復活か?▼日本は、その後追いをするのか、国民の英知が勝るのか?安倍政権による「集団的自衛権は現憲法下で可能」とか、石破幹事長の「徴兵拒否は死刑」など、他所事ではない (コラムX)

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『みちしるべ』パリのパン**<2013.9. Vol.80>

2013年09月21日 | パリ&東京&沖縄より

パリのパン

三橋雅子

 パリの食材は日本の半値、外食は倍値と聞いていたから、専らアパートで自炊をすることにした。私は飯作りはちっとも億劫ではないから、むしろ市場を徘徊して食材を眺めるのが楽しくて張り切った。無論スーパーもあるが、そこら中パン屋が多い、肉屋が多い。同じ通りの数件先にまたパン屋があって迷うが、人だかりの多い方が?と並んでみるが待つ間もなく、どんどん人がはけていく。その間にケースの中のおいしそうで安いのを、と選び、ブール位ならいいが、ちょっと込み入った名前を復唱してレジに進む途中で、はや自信を無くしてケースに戻ろうとすると、側で私が復唱していたのを聞いていた人が替わりに言ってくれる。メルシ、メルシ・・・。値段は1,なにがしかユーロで2百円しない、百円台で、こんな本格的なフランスパン(当たり前だけど)が買えるなんて、と早くも感激、日本では少なくとも2~3百円はする、いや気取った偉そうな所なら、この位のブールは400円台・・・ホカホカで固くて香ばしい匂いに包まれて…この位で人は十分幸せになれる…。さて肉屋もより取り見取り。多種多様に眩惑されて、まずは、オーソドックスにパルマハム、こんなに断面の大きい本格的なハムだもの、イタリアンの食材屋なら千円で、ちょっぴりの筈、という頭が失敗した。10ユーロといったらにっこり、布を剥いで切り始めたのがいつまでも止まらない…ああ、もうその辺で、と思ったが言葉が出ない、あっという間にてんこ盛りのハムになってしまった。

 ハムばっかりでもしょうがない。何か野菜を、と八百屋を覗くと、これまた色とりどりのピーマンやら、ブロッコリやら、きのこ・・・まではいいけど、訳の分からないものがカラフルに溢れている・・・とりあえず先ずは調理の見当がつくものを見繕っていそいそと家路に。両手に満載の豊かな食材はそれだけに幸せになる。

 失敗とは言え10ユーロののハムの食べ応えのあること、複数人で4~5日はたらふく楽しんだろうか。誠に美味極まる本物のハムを。これで千円台とは・・他の食材も推して知るべし。そして何より焼き立てパンの安くておいしいこと。2百円足らずで一人なら二日分はある。さすが「パンをよこせ」で革命が起こったお国柄か。消費税がかかっていないことが最大の理由であろう。日本でも、食費に掛からないなら、消費税いくら上げてもいいよ、と言いたくなる。

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『みちしるべ』二度と戦争はしません、この言葉大事(斑猫独語 57)**<2013.9. Vol.80>

2013年09月21日 | 斑猫独語

二度と戦争はしません、この言葉大事(斑猫独語 57)

澤山輝彦

あの戦争知る人また減って行く敗戦の日

 終戦記念日という言葉にはこだわらねばならない。敗戦の日なのだ。終ったのではない、負けたのだ。無謀、厚顔の日本だ、反省の言葉がまずここから無かったのだ。もう一つ、戦争で死んだという言葉もまちがっている。戦争で殺されたのだよ。戦争は殺人ごっこである。

 そうして今、平和ぼけという言葉が平和をまるで悪者扱いする。平和にぼけて何が悪いのだ。戦争ぼけや、好戦ぼけの恐ろしさを知れ。というわけであのころのことを少し。

小さくえぐい収穫もれのジャガイモ食った疎開の日

ムシイモ秤で分けた夕食戦後民主主義

水筒からかゆ出して食っていた人駅の階段

米食わぬ時代代用食という言葉で生きた日々

アカザ食い自慢にならぬ忘れもならぬ幼き日

ジャガイモの皮食う犬いて猫はネズミを食っていた

かんてきの熱でシラミをあぶり出していた姉がいた

傷痍軍人戦闘帽ゲートルの人野田阪神

闇市の芋団子甘かったことサッカリン

米軍の車列が続く続く見ていた日夕焼け

 ジャガイモの皮を食っていた犬とは、飼うでも無し家にいついていた犬で“シロ”と呼んでいた。人も食えない時代だがよくなついてくれた可愛い白茶のぶち犬だった。猫も実家は五軒先だが何故かうちにいそうろうしていた。名は“チビ”だった。彼等が記録を残せば何と書くだろう。私は食い物の事ばかり。飽食の時代という言葉も甘やかしを助長するだけのものである。決して世界はそんな甘いものではないのだ。

シリア情勢緊迫す見せつける英国民主主義

シリア攻撃降りる英国ポチよ真似よ     (9月2日現在)

 戦争は次から次へと起こされるのだ。

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『みちしるべ』赤い夕陽⑨**ソ連将校たちとの同居の日々**<2013.9. Vol.80>

2013年09月21日 | 赤い夕陽

赤い夕陽⑨ソ連将校たちとの同居の日々

三橋雅子

 

 

<たっぷり過ぎる別れのキス>

 敗戦間もない新京の町では、わが家を摂取され、間借り暮らしをしている先にもソ連の将校は入ってきて、追い出されこそしなかったが、同居を強いられた。最初はかなり老いぼれの将校二人、喘息持ち風の咳ばらいが聞こえる、陰気なナギバイロと、何を考えているか分からない、やや不気味なニキチン。おとなしく自室に閉じこもって、何かを要求するときだけ出てきて、身振り手振りで何とか用を足す。気持ちの良い存在ではないものの、有難いのは将校と同居している限り、略奪の兵士達に侵入されることが無いことだった。

 彼らが引き揚げる時が来た。別れのセレモニーには、先ずあるじの父が濃厚なお別れのキスの洗礼。プッチュン、プッチュンと音を立てて額に、ほっぺたに……と丹念な接吻に、父は悲鳴を上げんばかり。しかし、もう一人の洗礼が待っているのであった。ようやく解放された時には、青息吐息の態、早くタオル、タオル……と洗面所に駆け込んで顔をざぶざぶ洗ってからも、ひとしきり「気持ち悪いのなんの、このベタベタ……全くショウもない奴らだ」、とこぼすことしきり。私たちはおかしいやら、自分の番が思いやられるやら……次々と家族一人一人へ、キスのシャワー……ちゃんと長幼の序があって、最後の一番小さい私はもう十分覚悟はしていたものの、抱き上げられ、息が詰まるほど何度も抱きしめられ、最後の洗礼はひときわ濃厚だったようで、解放された時には、もう顔中ベタベタぐったりの態であった。しかし、念入りな、頬を磨りつけてくる、きついハグの合間に、表情の見えない、象のような皺深い皮膚の奥に潜む眼に涙が滲むのを見て、それがこぼれ落ちて頬を伝わり、私の頬にキスのよだれと混ざって伝わる気持ち悪さに耐えることができた。

 ふだん殆ど接触もなく、同じ屋根の下に少々の間過ごした、というだけなのに。永いこと家族と別れて暮らす彼らには、私たちが片言の意思の疎通を頼りに一生懸命作ったカルトッフェル ジョリジョリ(ジャガイモ炒め)や少しでも故郷の味に近づけようとして奮発したイチゴジャム入りのチャイに、そっけなく「スパシーボ」としか言わなかったが、彼らなりに感謝の念を蓄えていたのだろうか。

 「敵軍」も老いぼれてただ望郷のチャイに涙すひたすら哀れ

 

<若い将校たちとの日々>

 入れ替わりやってきたのは、若手の陽気な3人組。マレンスキー少佐と大尉のケレオとアリク。年中我々のところに入り浸って、不自由な会話でおしゃべりし、蓄音機を掛け、コーラスを楽しむのだった。彼らがひとたび歌いだすと、見事な男声合唱になって、かの、シャリアピンの声量が「梁塵を動かした」というのがなるほど、とそれほど大袈裟ではなく納得できるほど、そのあたり中が震えわたるのだった。それも日本の男性たちが酔っぱらってガナル、調子っぱずれの軍歌とは雲泥の差、その朗々と響きわたる即興の男声3部合唱の声量とハーモニーの見事さにはうっとりさせられた。あの、時計とお金を片っ端から強奪する野蛮な連中と、これが同じ民族なのか、と解せないほど。

 そういえば脱走して帰ってきた兄がある日、感心して外出から戻ってきた。四つ辻で交通整理をしている女警官か兵士が、すごい見ものだから見て来い、という。駆けつけてみると、まず驚いたのは、その時は既に冬で、我々は防寒着に身を包んでいたのに彼女は半袖、ミニスカートで四肢をさらしている。真冬の零下二十度には至らなかったかもしれないが、鳥肌一つ立てないむっちりした素肌に先ず度肝を抜かれた。更に、その凄い演技。ピーッと鳴らしては腕を伸ばしたり足を回しての方向転換、まだ見たこともなかったバレーの原型であったのだろう、その優雅さにうっとりして眺めていた。見る間に人だかりで瞬く間に交通は渋滞、まだ車はほとんどなかったが、交差点は身動き取れなくなって彼女は台から降りた。

 我々も、軍歌まみれの日常だったとはいえ、辛うじて知っている「ヴォルガの舟歌」や「ローレライ」など唱和出来るものに、こちらも女性2部や3部を添えて混声コーラスになると、彼らはブラボーと歓喜した。軍歌づくめの日常から解放された私たちも嬉しかった。そのうちロシヤ語の歌詞を覚え、やがて全く旋律を知らない歌も歌詞ごと覚えるようになると、彼らは更に喜んで♪明日は海に出ていく美しい街……恋人の振る緑色のスカーフ……♪と目を潤ませて、哀愁を帯びた歌声も響かせる。“ガルボイ”の緑色に辿りつくまで、この色じゃない、あれも違う、もう少し濃いとか薄いとか、振るプラトークは、さぞかしハンカチだろうと思えば、いや違う違う、と、もう少し大判の、今ならああ、スカーフとかバンダナね、と出てくるところ、当時はそれらになじみがなかったから、大判のハンカチね、ということにしたり、一小節の歌詞を理解するのに時間を要した。哀愁に満ちた歌を身振り手振りで、丹念にその歌詞を解説しながら、黒い目と髪のアリクは涙ぐむのであった。郷里のことを語り、恋人に8年も会っていない、と、はるか遠くに目をやって、「もう誰かと結婚してしまったかもしれない」と言っているらしく、肩をすくめて涙をぽろぽろと流した。こちらは時折分かる単語を連ねて、みんなで想像を逞しくしてああか、こうかと話を繋げるのだった。彼はグルジアの出身で「スターリンと同郷」が自慢。そういえばスターリンの髪も髭も黒い。彼らはドイツ戦線に参加したまま、ドイツの陥落後も戦後処理で留まり、帰還できるかと思いきや、満州に寄らされているのだった。彼らの涙を見て、私は子供心に、戦争って勝った方だって幸せではないんだ、と身に染みて思った。誰が幸せなんだろう?ドイツ戦線でソ連が失った兵は敗戦国よりも多い約660万人(さらに、ドイツの捕虜収容所で360万人死亡)にも上っていた、ということを当時の私は知らなかったけれど、戦争に勝ったって、悲しい人たちはたくさんいるのだ、としみじみ思った。そして戦勝国民として君臨している異国の地の孤独な彼らより、同じ異国で不安の中で暮しているとはいえ、家族一緒に笑ったり憤ったりしている私たちの方が幸せじゃないか、とさえ思った。

 どの国に幸せもたらすの?勝つ国も負けるも哀れ兵士の涙

 

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『みちしるべ』**ブログ版『みちしるべ』の活用について**<2013.9. Vol.80>

2013年09月20日 | 藤井隆幸

ブログ版『みちしるべ』の活用について

編集長代理 藤井隆幸

 まだ、御存知ない方もおられるかもしれませんね。阪神間道路問題ネットワークの交流誌である、この『みちしるべ』もネット上にアップされています。当初は、第76号(2013/1)からでしたが、過去記事もアップして欲しいという要望があり、既に過半数の記事をアップしております。

 昨年末から準備にかかり、今年の1月例会で承認されて開始しました。過去分のアップには、筆者に承認を得ることにしており、本名で掲載するかサイト名(ペンネーム)にするかを選択して頂いております。デジタル記録のあるものが、どうしても優先的になってしまうのは、ご容赦願いたいと思います。

 インターネット接続環境のある方は、グーグルやヤフーなどの検索エンジンで、<みちしるべ><阪神道路ネット>で検索して頂ければトップに出てきます。URLにつきましては、http://blog.goo.ne.jp/piano_tuner_f となっております。

 ブログという性格上、記事はランダムに掲載されています。アップした順番に、新しいものから載っているという事になります。目的の記事にたどり着くために、右サイドバーに掲載しているカテゴリーのトップに、<『みちしるべ』目次>のカテゴリーを載せています。目次を開いて頂くと、新しい号からの目次が見られます。目次のタイトルが黒字のモノは、まだアップされていない記事です。ピンクの文字になっているモノは、その文字列をクリックして頂けると、記事のページが開くようになっています。

 9/15現在で総計31,897ページの閲覧数(PV=Page View)がありました。一日の訪問者(IP=Internet Protocol=ネット接続番号)の総計も16,044人になりました。ブログの右サイドバーにも、前日の閲覧数や訪問者数が表示されています。ご覧ください。これまでの閲覧数と訪問者数の週間合計は、次の表の通りです。

 ブログには『みちしるべ』の記事の外に、月例会の案内なども掲載しています。また、不特定多数に案内するようなイベント告知も可能です。全く当ネットと性格を異にするイベントは、ご遠慮いただくことがありますが、月例会に諮ります。時間的に間に合わない時には、世話人の皆さんに電子メールでご相談します。

 イベント告知など、遠慮なくご連絡ください。尚、コメントに関しましては、反社会的なもの、商業目的以外は削除しません。ご自由に書き込み願います。

 ところで、ブログの管理人をして頂ける方を募集しております。ネット上で作業ができますので、複数での管理も考えております。興味のある方は、事務局までご連絡ください。お待ちしております。

期間<週>

閲覧数

訪問数

12月30日~1月5日

190 PV 

105 IP 

1月6日~1月12日

255 PV 

129 IP 

1月13日~1月19日

507 PV 

244 IP 

1月20日~1月26日

325 PV 

178 IP 

1月27日~2月2日

1281 PV 

557 IP 

2月10日~2月16日

1151 PV 

591 IP 

2月17日~2月23日

2055 PV 

781 IP 

2月24日~3月2日

2300 PV 

847 IP 

3月3日~3月9日

1604 PV 

770 IP 

3月10日~3月16日

1013 PV 

503 IP 

3月17日~3月23日

585 PV 

341 IP 

3月24日~3月30日

518 PV 

306 IP 

4月7日~4月13日

478 PV 

289 IP 

4月14日~4月20日

582 PV 

352 IP 

4月28日~5月4日

472 PV 

294 IP 

5月5日~5月11日

371 PV 

254 IP 

5月12日~5月18日

463 PV 

273 IP 

5月19日~5月25日

434 PV 

253 IP 

5月26日~6月1日

598 PV 

343 IP 

6月2日~6月8日

755 PV 

411 IP 

6月9日~6月15日

916 PV 

497 IP 

6月16日~6月22日

644 PV 

400 IP 

6月23日~6月29日

776 PV 

481 IP 

6月30日~7月6日

729 PV 

423 IP 

7月7日~7月13日

970 PV 

542 IP 

7月14日~7月20日

703 PV 

420 IP 

7月21日~7月27日

966 PV 

499 IP 

7月28日~8月3日

843 PV 

465 IP 

8月4日~8月10日

800 PV 

412 IP 

8月11日~8月17日

1856 PV 

863 IP 

8月18日~8月24日

777 PV 

426 IP 

8月25日~8月31日

1131 PV 

569 IP 

9月1日~9月7日

1653 PV 

521 IP 

 

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『みちしるべ』老いに直面するとき**<2013.9. Vol.80>

2013年09月20日 | 単独記事

生まれて初めての経験
 ~老いに直面するとき~

T.K.

 今年の3月から食事のおいしさを実感できなくなった。ある日突然その異変が訪れた。

 阪急塚口駅南側のさんさんタウン2号館1階にうどん工房Yという小さなお店がある。老いに直面した出来事は、そのうどん工房Yに2度目に足を運んだ3月中旬だった。

 初めてうどん工房Yに入ったのは今年の1月。外食時にもできるだけ野菜を摂るようにしていたので、かき揚げ定食の写真につられて注文した。写真のかき揚げは衣が薄く、しかも野菜が盛り上がるように、立体的な存在感を誇示していた。ごぼうと人参の千切りは2㍉角ほどの細さなのに、サツマイモの断面は5㍉以上ある。かき揚げ全体の大きさはソフトボールくらいだ。

 お盆に乗せられて出てくると、まず視線はかき揚げに奪われた。かき揚げをうどんに乗せ、だしの香りをかいだ。風味がいい。だしを少し口に含んだ。あれっ、自分が作るうどんだしとは違うと一口で分かった。

* * *

 僕の作るうどんだしは、中鍋に半分くらい水をはり、昆布をそこに1~2時間浸けた後に火を入れ、沸騰直前に火を止めて(と書きたいところだが実際には沸騰してからあわてて火を止めることが多い)、鰹節を多めに入れて1、2分後にはキッチンペーパーで濾す。最初の中鍋に濾しただしを戻し、塩小さじ1杯程度、薄口しょうゆ、みりん、酒をそれぞれお玉に1杯ずつ入れる。これ以上ないおいしいだし汁ができる――このお店のだし汁をいただくまではそう思っていた。ところがうどん工房Yでは、別の何かがだしに加えられていた。アゴだろうかサバ節だろうかそれともイリコだろうか、お店の人に聴きたくなったが、一元の客がだしの作り方を教えてくれとお願いしたところで、いやな顔をされるだけだ。

 だしを鼻と舌で感じてから、うどんとかき揚げを食した。うどんも腰がありおいしい。かき揚げはソフトボールサイズなのに、衣がまとわりつかず、さらりといただくことができた。味、風味ともに堪能できた。次回お伺いする日が愉しみになった。

 2月後半に10泊11日もの間、東京へ出張研修に行かされていた。3月にやっと再訪することができた。もちろんかき揚げ定食を注文した。5,6分後にかき揚げ定食が出てきた。風味を感じる・・・はずなのに感じない。だしを一口含むが、味も分からない。えっ、うどん屋のだしが急激にまずくなることはあり得ない。自分の舌が感じなくなってしまったのは間違いないだろう。そう言えば、出張中にも1度だけ似た経験があった。

* * *

 ホテル近くで夕食をとるのに、一番野菜が摂りやすい中華のお店に入った。メニューを見ると、単品小皿2つと、おこげの中華あんかけ鍋と生ビール1杯で1300円だった。小皿の単品は8種類ほどの中から選ぶことができる。リーズナブルな価格に惹かれておこげの中華あんかけセットを注文した。

 鍋の中のおこげにあんをかける音がバルバルジュジュッとお店中に響き渡ってから出てきた。中華らしい味のあんだ。具材はトマトとチンゲン菜とエビだった。おいしくて大満足だった。

 2日ほどあけてまた同じ中華料理店に入り、同じ中華あんかけセットをたのんだのだが、おかしい、味があまりしない、おいしさを感じない。作り手が前回と違うのだろうか、と思いなが食べ終えた。ホテルに戻り、ユニットバスで体を洗い、ベッドへ入っていると、結構な汗をかき出した。その晩2,3度肌着を着替えた。風邪をひきかけていたので、味が分からなかったんだとその時思った。

 それから出張中にもう2回ほど訪れたが、おいしさをしっかりと味わうことができた。

 このあんの味なら自分でも出せそうだ。鶏がらスープの素を中さじ2杯、オイスターソースをお玉1/3、薄口しょうゆと日本酒(紹興酒の方が良いかもしれないが使いこなせそうにない)をお玉半分、塩小さじ1、胡椒少々、風味付けにしょうがの千切り少々、最後に水溶き片栗粉、だろうか。具材は、トマトとチンゲン菜のほかに玉ねぎとシメジも合いそうだ。絹サヤが上に乗ればなおいい。出張から帰り、予想通りの味が出せるか夕食時に作ってみた。ほぼ同じ味だと自分では納得した。

* * *

 あの出張中に味が分からなかったのは、風邪のせいではなかったのだ。うどん工房Yへ再訪してから以降、外食しても、自分で作ってもおいしさを感じなくなった。味がしているのはわかる。でもこれがおいしいのかおいしくないのか全然見当がつかない。以前なら、あと塩を少々、とか、塩が少し効きすぎだとか、良く感じていた。なのにそれ以来、塩を足した方がいいのか減らすべきだったのかさえ全く分からなくなってしまった。

 おいしさを感じなくなると、料理したいという意欲も無くなってしまった。せっかく自分で作った料理がおいしいと感じられない――無力感の底が見えなかった。

 友だちに話すと、すぐにでも病院にかかった方がいいと強く勧められた。同席していた別の友人がスマホを触りはじめた。A医大に味覚外来があることを教えてもらい、受診することにした。

* * *

 家に帰り、ネットでA医大の味覚外来を検索すると、火曜木曜しか診察日がないらしい。翌日の7月4日木曜日に受診することにした。しかしよく見ると、紹介状がないと実費5,000円+消費税がかかるとの注意事項があった。

 年々膨らむ医療費を抑制するために、医療機関を日常的な診療を施す家庭医と、大病院の専門科に振り分け、大病院を受診するには紹介状がなければペナルティを課す制度だ。紹介状があれば、同じ検査を家庭医側と大病院側でダブっておこなうことはない、また、患者側が見当はずれな専門科を受診する無駄も省くことができるという主旨なのだろう。それでも5000円は僕にとって大きい。

 翌朝、いつものように2、3回洗濯機を回してから、あわててB診療所に駆け付けた。僕は治療中の病気がなく主治医がいないので、一番身近な医療機関がB診療所だ。窓口で、受診歴はないがA医大への紹介状を書いていただきたいので、受診したいと伝えた。医療事務の以前から知る彼女は、難しそうな顔になって、「確認しますので少しお待ちください」と言われた。

 5分ほどで受け付けに呼ばれ、「他に主治医はいないんですか?」「いないです」「先生に確認しましたら、初診の方に紹介状は出せないそうです」「やはりそうですか。分かりました」――常識的な対応であることは間違いないし、無茶をお願いしているのは織り込み済みなのですぐに引き下がった。

* * *

 A医大の1階の総合受付で、予約はしていないが味覚外来を受診したいと伝え、2階の耳鼻咽喉科の受付を案内された。耳鼻咽喉科の受付は小さく、溢れるように並べられているカルテの棚は天井付近まで聳えていた。

 少し広めの廊下なのかと思ってしまうようなところが待合いだ。待っている患者さんは50人は超えていただろうか。

 10分ほど待つと、受付の手前横の処置室らしきところから出てきた医療スタッフに名前を呼ばれ、行くと、次回の検査と診察を予約したいと言われ、8月15日の14:30~予約を取っていただいた。ただし、無理に予約を入れたので、時間が前後することがあり得るので、念のために14時ごろには受付を済ませておいてほしいと言われた。

 その日は結局予約を取って帰っただけだ。

* * *

 いよいよ8月15日がやってきた。

 1階玄関から入り、総合受付を素通りして2階の耳鼻咽喉科の受付に予約表を提出したのは14時頃。前回と同様に予約の患者でいっぱいだろうと予想していたが、待合の椅子に腰掛けていたのは5,6人程度。壁に接して3人がけ長椅子を3個ほど縦長に並べているところに一人。受付窓口のすぐに2列3行の長椅子のブロックに母娘の親子が一組。そのブロックから1メートル間隔の通行スペースを空けて、2列10行ほどの長椅子のブロックに2,3人いた。僕は、処置室らしき部屋に比較的近い椅子に腰掛け、リュックから本を取り出して読み始めた。

 5分ほどたったころだろうか、受付窓口からスタッフが母娘に声をかけた。「今、担当の先生が手術に入りましたので、時間が遅くなりますが、お待ちください」とマスクのスタッフは受付から出てくることもなく話しかけた。40歳前後の母は「それやったら先に言ってや!」と強い口調で言い、スタッフは「すみません」と弱く返事した。母親の横で中学生らしき娘は長椅子の上でぐったりと上半身を横にしていた。

 程なく受付手前横の処置室らしき部屋から僕の名前が呼ばれ、入っていった。医療スタッフが一人いて、検査の説明をし始めた。

 「今から味覚検査を行います。甘い、しょっぱい、すっぱい、苦いの4種類の検査液をろ紙に浸して、それを舌の前の方と真ん中に載せます。どの味がしたか、指で指してください」と説明する手にA5版サイズほどの用紙に「甘い」「しょっぱい」「すっぱい」「苦い」と書いた文字が並んでいた。ろ紙のサイズは直径3ミリほどだ。

 「それでははじめますので、まず、うがいをしてください」とコップを渡され、背中側のシンクでうがいをした。「これはどうですか」と問われるが、口をあけたままなので、首と手を左右に振りながら「わかりません」と意思表示した。「これはどうですか」「これもわかりませんか」。首と手をふる。「それでは味を変えますので、うがいをしてください」と言われ、うがいをし、また検査が始まったが、さっぱりわからなかった。舌先は無回答だった。

 「次に舌の真ん中を検査します。これはどうですか」。首と手を振りっぱなしだった。「それではうがいをして」と言われたとき、背中側を振り向いて口を閉じたときに口の中の別の味来に触れたのだろう、ほんのかすかに甘さが感じられた。「今のは甘い、ですか?」とたずねると、「そうです。甘い味です」との返事。

 結局、感じたのはその1回のみだった。

 次に別の小部屋に案内された。そこでは電圧などを測定するテスターの針先のようなものを舌の先端と左右、奥の4か所にそれぞれ充てて、感度を上げていき、違和感を感じた時点で手に握っているボタンで応答する。この検査もほとんど反応することはできなかった。

 次に症状の経過や既往歴などを記入する問診票を2枚もわたされて、そこで記入するように言われ、一人残された。

 記入しはじめて間もなく、受け付けの方から女性の声が聞こえてきた。先ほどの症状の思わしくない娘をつれた母親の声だ。

 「ちょっとおかしいんとちゃう。昨日この子が2回目に受診したら1回目の先生と違うし、その時処方された薬も変わっていたから違う薬です、言うたら、こっちの薬の方が合います言うんで、飲んだら気分が悪くなって、今日も症状が良くならへんから電話して聞いたら、処方した先生は今日は不在なので、別の医療機関に行ってください言われたんや。自分とこで処方しておいて別の病院を勧める病院がある~ぅ? うち、聞いたことないで。友だちに聴いても、それはおかしいわ言うから、もう一遍電話したら、来てください、診察します、言うたやんか。どうなってんねん」・・・なるほどというか、随分ひどすぎる内容だ。母親頑張れと応援したい気分になるし、そもそも、ぐったりしている娘の患者さんをみて、医療スタッフが何らかの対応をすべきだったのだろう。

 問診票を書き終えたことを伝えると、待合いで待つように言われた。20分ほど待つと、また処置室らしきところから名前を呼ばれ、入っていくと、先ほどの小部屋ではなく、器具と机と患者用の椅子と流し台が複数セットおいてある中で、カーテン間仕切りもないままに診察が始まった。

 30台前半くらいの女医だ。顔立ちは菅野美穂を少しぽっちゃりした感じだ。最初に問診票の内容の確認から入った。「味覚障害を感じはじめたときは、風邪をひいていませんでしたか?」 ぽっちゃり菅野によれば風邪が原因で味覚障害の症状が現れることがあり、それは全く違う病気で、その場合は別の科を受診してもらうことになるそうだ。「念のため耳と鼻を診せてください」と言われ、小型懐中電灯で右耳の穴を照らして覗き込む、続いて、鼻の穴に器具を挿入して穴を広げて診ていた。「耳も鼻も異常ありませんね。それではもう一度4種類の味を検査します」。ぽっちゃり菅野はてきぱきと進める。「口をあけて」と促されるままにあけると、今度はろ紙ではなく検査液を直接舌に1,2滴たらして、「感じませんか?」「感じません」、「これはどうですか」と同じ味の少し濃い検査液をたらし、「感じません」と答えると、さらに濃い液を垂らして「どうですか?」と聞かれ、「少ししょっぱいです」と答えると、「分かりました。では別の味になりますので、うがいをしてください」と言われうがいをした。結局4種類の味とも、3段階目でやっと分かる程度だった。ぽっちゃり菅野は、「普通の人は大体2段階目で感じますので、3段階目ということは、少し鈍っていると言えます」と淡々と説明する。「それはろ紙の場合であって、検査液を直接垂らしたら普通は1段階目で分かるのでは?」と心の中で思うが口には出さない。

 「原因は分かってはいませんが、症状は確認できましたので、とりあえず、亜鉛を処方します。3週間や1ヶ月で症状が改善されることはありませんので、3か月単位で判断しましょう。3か月後に改善しない場合には、亜鉛でなく、例えば鉄を処方することも検討します。

 一般的に味覚障害は発症から6か月ないし1年以内に治療を開始すれば改善する確率が高く、それ以降だとほぼ難しいと言われています。ですから、患者さんの場合はまだ大丈夫ですよ」とぽっちゃり菅野は落ち込まないようにフォローも手抜かりない。

 「ところで薬ですが、今ちょうど治験段階に入った薬がありますが、医学の進歩にご協力いただけるのでしたら、治験に協力していただけませんか?」ぽっちゃり菅野から意外な提案がされた。言葉ではきいたことはあるがどんなものか知らないし、・・・好奇心がニョキッと頭をもたげて、「協力します」と返事した。ぽっちゃり菅野は治験の方法を説明し始めた。「飲んでいただく薬は、その製薬会社が開発した薬と、全く効能のない成分の2種類の薬のどちらかです。患者さん本人はどちらの薬を飲んでいるのか分かりませんし、処方している医者も知りません。それを3か月続けていただくだけで結構です。」とこともなげに説明した。3ヶ月間も治療薬を飲まなかったことを後で知ると後悔しそうなので、「協力は難しいですね」と答えた。ぽっちゃり菅野からどんな反応が返ってくるのか、とても興味があった。「そうですか。分かりました。では亜鉛を処方しておきます」とあっさりと方針転換を了承していただいた。

 次回9月中旬の予約を取り、総合受付の清算機で9,910円を支払った。もちろん「紹介状なし」負担額5000円+消費税250円込だ。

* * *

 高校2年の古文の授業で「徒然草」を習った。その中の「死期は序を待たず。死は、前よりしも来らず。かねて後に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。」を教師は実感を込めて解説するのだが、聞かされている僕には文字面の意味は分かっても「それってどういうこと?」と思ってしまった。この意味が少し実感を伴うようになった。

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『みちしるべ』核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて**<2013.9. Vol.80>

2013年09月20日 | 平出正人

核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて

平出正人

『にんげんをかえせ』 峠 三吉 作

  ちちをかえせ
   ははをかえせ
    としよりをかえせ
     こどもをかえせ
   わたしをかえせ
    わたしにつながる
     にんげんをかえせ
    にんげんの
     にんげんのよのあるかぎり
      くずれぬへいわを
       へいわをかえせ

 この詩は圧倒的な迫力をもって、私たちの胸に迫ってきます。『人間の良心を拠り所として、人間が人間を殺戮する戦争という愚かしい行為に対する絶対的な否定の精神です。

 私は8月4日(日)~5日(月)、阪神医療生協の仲間と被爆地・広島へ行ってきました。68年前、広島で炸裂した原子爆弾は一瞬にして14万ともいわれる市民の命を奪い、これまでに20万人以上の人々が原爆の後遺症に苦しみながら亡くなっています。そして被爆後68年目に当たる今日でも、いまだ原爆の後遺症に苦しむ人々がいます。

  8月6日の平和記念式典で松井一実広島市長は核兵器を「非人道兵器の極みであり『絶対悪』」とし、対話による安全保障体制への転換と核兵器廃絶」を訴えました。しかし、今回の平和宣言も核兵器を「絶対悪」と断じつつ、「平和利用」の是非には触れていません。市長がめざす「信頼と対話にもとづく安全保障体制」への道筋は容易なものでないことを物語っています。

 私自身、今回の「ヒロシマ平和行動」に参加する中で、改めて原爆犠牲者の方々に心から哀悼の意を捧げるとともに、「核に頼る被爆国(原子力への依存・平和利用)」の矛盾と向き合い、被爆者の方々の思いや願いを世界に伝え、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて全力を尽くさなければならないことを痛感しました。

 最後に、広島に行くにあたり多大なカンパをしていただいたみなさま、心を込めて千羽鶴を織っていただいたみなさま、本当にありがとうございました。

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『みちしるべ』今年の全国交流集会のご案内**<2013.9. Vol.80>

2013年09月20日 | 道路全国連

今年の全国交流集会のご案内

※ 次号の『みちしるべ』は11月号となり、道路全国連の全国交流集会のご案内には間に合わないので概略報告します。8/31に名古屋で全国連の幹事会。今後、現地実行委員会が首都圏の幹事を中心に行われ、案内文書が発送されます。別途、配布します。

(1) 大会名称の表記について

今回は「21世紀道路政策研究会」関連の行事となりますので、会場表記は「21世紀道路政策研究会・研究交流集会」となってます。

(2) 日程

  • 11月9日(土)~10日(日) 現地見学と交流集会
  • 11月11日(月) 国土交通省交渉 *首都圏・福山など要望団体、参加可能者で。

(3) 会場

  • 東京経済大学・国分寺キャンパス<国分寺駅(JR中央線、西武)から徒歩15分>

(4) 宿泊

  • ビジネスホテルダイワ(30室)・ホテルメッツ国分寺(20室) いずれも駅前。

(5) プログラム ※詳細は現地実行委員会で検討。

【第1日目(11月9日)】

●現地見学:京王線高尾山口駅集合、高尾山へ。下山後は電車で国分寺へ。
●全体会:報告(首都圏から2件程度)、他地域から希望があれば入れる。
●懇親会:東京経済大学内にて

【第2日目(11月10日)】

午前:記念講演

五十嵐敬喜氏(法政大学教授)「国土強靱化でどうなる公共事業」

午後:分科会/分散会、まとめの全体会

  • 全体会(各地の報告)ではなく分科会/分散会とする。
  • 分科会の場合のテーマ(案) 「裁判と住民運動の連携」・「防災と公共事業・道路事業」・「住民合意と町内会・自治会」

【第3日目(11月11日)】国交省等への要請行動、又は国交省大臣官房要望。

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