『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』**横断車道(79)**<2015.7. Vol.90>

2015年08月09日 | 横断車道

横断車道―79―

ギリシャがマスゴミで騒がしい。大変な事態かのごとく。多重債務相談員をしている立場からは、笑い話だ。個人の債務整理には、特定調停・個人再生などの債務減殺処理、一気にチャラという破産も。多重債務に陥った人をイジメ倒しても、社会に利はない。もう一度ふりだしに戻ってもらおうということ。ギリシャも同じで、小国が債務を期限内に返済しないから、世界経済に何ら影響はない。実際に債務放棄の例は、星の数ほどある。日本で年間、何十万人、何万社もが破産しているが、経済界は馬耳東風▼日本の60年代は高度経済成長盛んだった。名神・東名高速道路や、東海道新幹線、それに黒四ダムなどインフラ整備が山ほど。しかし、敗戦国日本にはお金が無い。米国巨大銀行がバックの世界銀行からの借金で、それらは造られた。年利は何と14%も。世界銀行は戦後復興、開発に金を貸し、大もうけをしてきた。日本人は勤勉で良く働いて高利借金は返した。戦前、日本は世界で頂点に立つ鉄道王国。戦後、GHQが昭和21年に、全国の都市計画道路決定をしたが、日本に自動車を輸出する企みの外、道路事業で借金させる米国の企みが見える。その都市計画道路は、オリンピックを控えた東京で、「何でこんな道路を今造るねん?」という呆れた計画として、浮上している▼世界経済は製造・サービスの実態経済から、金融のマネーゲームという架空経済にシフトしている。実態経済の血液を循環させるのが、金融の本来の仕事だが。実態経済の幾何級数的倍率で、架空経済が肥大化。世界経済はマヒ。架空経済はコンピュータの信号以外に実態はないのだが。実態経済の吸血鬼と化した。生きるために働くのではなく、儲けるために経済を回す。ギリシャはそれに翻弄されたのだ。チャラで良いものを、国民から絞上げろとの神の声にIMF(国際通貨基金)に投資しているドイツはワメク。ならロシアに援助をもらう。ロシアにはギリシャの債務は小さい。それは困ったとフランスが乗り出すドタバタ喜劇▼ギリシャは他所事と、高を括っている人もおられよう。オッとドッコイ、今の日本は違った面から同じ危機が。米国はGDP(国内総生産)で、来年には中国に抜かれる。2012年末に「財政の崖」が訪れ、借金の限度枠を広げて泥沼化。軍事産業は「世界にもっと戦争を!」と要求。昨今、米国戦争戦略は、自国軍は出動しない。CIAが情報提供し、属国軍が戦場に出る。シリアやイラク、それにイエメンなど。相手のIS・ISIS・ダーイッシュ・イスラム国を陰からCIAが操っている。シリア政府軍に僅かなテロ組織が対等に戦える兵站は、誰がしている?さて、安倍が「宣戦布告なしの急襲」を可能とする「戦争法案」に必死。米軍の支援なんて笑い話。自衛隊が米軍に代わって上陸部隊。選挙権を貰った18才(240万人)は徴兵の覚悟が必要

(コラムX)

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『みちしるべ』**きなくささがただよっている(斑猫独語66)**<2015.7. Vol.90>

2015年08月09日 | 斑猫独語

きなくささがただよっている(斑猫独語66)

澤山輝彦

 居間と台所が相当な距離のある家ならいざしらず、庶民はほとんど居間と台所とがひっついた家に住んでいて、日々そこから漂ってくる様々な匂いにさらされています。不思議なことに365日食べ続けても飽きないご飯、その炊きあがる匂いにつつまれては幸せだなあと思うのですが、これはまず嗅覚が働くからです。嗅覚があるからこそ好ましい良いにおいとは逆に、独特のにおいを持つ食物、鮒寿司、ドリアン、くさや等食べたことがなくてもそれらを話題にすることが出来たりします。食物に限らず、移り香とか残り香なんて一寸艶っぽい方面を語ることが出来るのも匂いを介してですね。食文化の様々や香道等の雅やかな文化は臭気と共に発達してきたのです。人類はにおいを文化にまで高めたのです。

 創造文化とはかかわりのない他の生き物達にも当然嗅覚はあり、その感度は人を上回るものが多数あります。身近なところでは犬の嗅覚の優れていることで、警察犬、麻薬犬、災害救助犬など私たちのよく知るところです。犬のすばらしい嗅覚に限らず人以上の嗅覚能力を持つ生き物は、嗅覚を感知する組織が人よりも強力に進化したのでしょう。彼らにとって嗅覚は獲物を獲る時、また近づく敵を知るのに不可欠の感覚の一つであり、また種を維持するため繁殖相手を嗅ぎ付ける大事な感覚でもあります。彼らにとって嗅覚は生存そのものなのです。道具を使い自然に立ち向かった人類の嗅覚はある程度で進化が止まってしまったのかもしれません。なかには強力な嗅覚が備わりそれを職能に生かす人々もおられます。

 臭いといえば、病気には特有の臭いがあるそうで、私は糖尿病をその一例として小さい時から知っていました。町でもほとんどの便所がまだ汲み取り式だった頃、汲み取りの作業員が尿の臭いから糖尿病の疑いがある人がいると知らせてくれるのだ、と親が言っていたのです。ひどい口臭も歯周病を告げるし、汗臭さも程度がすぎると一種の病気です。ガンにも独特の臭いがあることは医学の世界ではしられていたことらしく、犬をつかってガンを探知することが試みられガン探知犬がうまれていました。私はこのことは知りませんでした。このガン特有の臭気を線虫に探知させる、という新聞記事をよんだのが、今回独語の発端でした。

 さて、その線虫とガンの記事ですが九州大学の新聞発表があり、私は毎日新聞で読みましたが、西日本新聞の記事を紹介します。

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 九州大などの研究グループは(2015.3)11日、体長1ミリの線虫に人の尿のにおいを嗅がせ、高い精度でがんの有無を判定することに成功したと発表した。尿が1滴あれば、いたみもなく安価にがんの検査が可能になるという。日立製作所などと検査装置の開発を進めており、早期の実用化を目指す。11日付けの米オンライン科学誌プロスワンに掲載された。

 ヒントはサバの寄生虫にあった。九大大学院理学研究院の広津崇助教(神経科学)と伊万里有田共立病院(佐賀県)の園田英人外科部長のグループによると、線虫は水中などに生息する微小な動物で、嗅覚が犬並みに優れている。がん患者と健常者の尿(1マイクロリットル)をそれぞれプレートの端に置き、中央に置いた100匹の線虫の動きを調べたところ、7~8割の線虫ががん患者の尿に集まり、健常者の尿からは逆に離れることから、がんのにおいに反応することが判明した。

 精度を高めるため、242人(健常者218人、がん患者24人)の尿を採取してテストを実施。線虫はがん患者24人のうち23人に「陽性」の反応を示し、発見率は95.8%だった。うち5人は採尿時点では、がんと診断されていなかった。初期の「ステージ0と1」のがんは、血液の成分を調べる腫瘍マーカーの発見率が0~33%にとどまるが、線虫による検査では88%以上の確率で発見できたという。一方、健常者をがんと誤って判定する確率が5%あることなどから、精度の安定化が今後の課題という。広津助教は「早期発見が難しい膵臓(すいぞう)がんを含む十数種類のがんに線虫は反応した。特定のがんにだけ反応する線虫をつくることにも成功しており、将来的にはがんの種類の特定も可能になる」と話している。

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 私はこれまで、生魚から感染し激痛をおこすアニサキス、松枯れをおこすマツノザイ線虫、ネマトーダという植物病害をおこすものでいずれも悪役である線虫を知っていました。まさかアニサキスにこんな能力があり人がこれを利用するなど考えもおよばないことでした。アニサキスはサケやサバなどに寄生していたものを人が生食したときに、体内で胃などに食いつき穴をあけ激痛を与えるもので、アニサキス症とよばれています。これの治療に当たっていた医者が、たまたまガン症状の位置にアニサキスが集合しているのを見つけたことから、こいつをガンの探知に使えるのではないか、ここに発想の転換があったのです。研究が始まり結果は以上のようになったのです。

 様々な外界の刺激を受け私たちは毎日を送っています。その中でも視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五つの刺激を五感と呼んでいるのはご承知の通りで、どの刺激一つを欠いても生きていく上の困難は大きいものです。視聴覚の欠陥は眼鏡、補聴器などの外部機器で補正することが出来ますが、味覚、嗅覚を補正する器具はないでしよう。薬剤による内部からの治療で機能を上げる方法がとられます。こんなことから嗅覚は五感の一つでありながら視聴覚の影にかくれているような存在であると私は思うのです。

 さあ、大事な五感の嗅覚にもう一つ第六感も働かせれば、どうです戦争法案のきなくささ、TPPの亡国臭の混ざった臭いがぷんぷんしていませんか。これらをきっちり嗅ぎつけることは、未来にとって大切なことです。少々嗅覚細胞の能力が劣ってきても、第六感がはたらけば十分嗅ぎ付けることが出来ますし、平和を希求し憲法第九条をまもる、このことさえしっかりしておけば、きなくささを嗅ぎ付ける能力は衰えることはありません。甘い香りを混ぜあわせてあっても、十分嗅ぎ分けることが出来ます。嗅覚大事にしましょう。

市中は物のにほひや夏の月  凡兆 (『猿蓑』より元禄三年頃の作)

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『みちしるべ』**赤い夕陽⑯**<2015.7. Vol.90>

2015年08月08日 | 赤い夕陽

赤い夕陽⑯

三橋雅子

ニーナと牛乳ぜめ

 このパーティーのあと、我が家には民間人夫婦が同居することになる。ニコライヴィッチ・なんとかかんとか・ステイパンソフとニーナ。ニーナは日本人くらいの小柄な体格で可愛らしく、刺繍が好きな典型的な「いい奥さん」だった。人なつこくて、子供がいない寂しさからか、始終私たち姉妹を呼んではトランプか、半分くらいしか通じないお喋りで時間を費やした。そこ、かつての応接間は最早ピアノも二組のソファーとテーブルセットも既になく、入れ代わり立ち代わりの接取やら同居で床のリノリュウムも随分荒れてしまっていたが、彼らはそこへ贅沢なペルシャ絨緞を敷き、家具も整え……と軍人たちとは違った暮らしを始めた。

 ニーナはあれこれ整える一環に、牛乳を毎日配達させるという。明日から新鮮なミルクが届くから、と得意になって、私たちも心待ちにした。ところが翌朝ニーナが悲鳴を上げる。馬車に積まれているのは大きいミルクタンクが二つ。なにこれ? 彼女は毎朝「絞りたての牛乳2リットル」を夫に頼んだという。夫が間違えたか牧場の取り違えか、「牛2頭分の牛乳」ということになってしまったそうだ。始めの何口かこそ美味しかったが、家じゅうガブガブを強要されては閉口でしかない。

 牛はどの位の乳を出すものなのか? 「牛1頭1年で9千キロ(リットル)がふつう、単純平均で1日30キロ」とある。70年前のこと、冬場に差し掛かってもいたから半分か3分の1に見積っても2頭分といえば20から30リットルが毎日来たのだから、10人前後でこれをこなすのは難儀だったのも当然。毎朝、馬車がパカッパカッと気持ちのいい音を立ててやってくるとニーナは悲鳴を上げた。

 ニーナがヨーグルトを作ろうと言い出した。当時、我々はヨーグルトを知らない。毎日、袋に入れて軒先につるしておくと、やがて固まって酸っぱいおいしいものが出来た。ヨーグルト菌はなくても恐らくノンパスチャライズ、ノンホモジナイズだから自然に固まったのか。これだとだいぶ楽にはけたが、軒下の白いコロイド状は殖える一方だった。しかも冬場に向かっていたから保存がきくどころかどんどん凍っていった。

 それにしても、始まったらひたすら「長続き」、変更ができない? あれがなるほど「雨が降っても水撒きを止めない……ロシヤ風」なのか、来る日も来る日も大量の牛乳は馬車に揺られてやってきた。もはやお腹を抱えて笑ってもいられない。いっそ牛乳風呂で、クレオパトラの気分になったら? と誰かが言ったが実現しなかった。永い戦時の「節約」精神が許さなかったのか。増え続ける軒下の「ヨーグルトの袋」はどうなったのだろう? まもなく始まる市街戦の射撃で白く飛び散ったのか? 誰も口にすることはなかった。

狩猟民族の末裔?~

 ある日、我が家の裏庭に豚が1頭入り込んできて、ニーナが喚声を挙げた。始め彼女は兄に仕留め方を命じたが、彼は追いつくのがやっと「一撃に眉間を」などには到底及ばない。下手に傷つけて始末悪くなるばかり。呆れたニーナは、まさかりを奪い返し自ら追っかけて2、3撃で手際よく仕留めた。ふだんの、甘えた「可愛い奥さん」からは想像もできない雄姿を私たちはあっけにとられて眺めていた。

 彼女はてきぱきと風呂場でごしごし洗い流し、いろんな部位に切り分け、最後は全員で腸詰造り。これまた詰めても詰めても終わらない、口元まで一杯になったと思うとニーナがぎゅうぎゅう押し込んで、まだまだ……とパンパンになるまで、気の遠くなるほど根気のいる仕事だった。豚の腸って長いんだな、いつまでも続く……と感心しながら、いやになった。それをニーナは黙々てきぱきとこなす。この日、腕力と見事な手さばきを見せる凛としたニーナの第2の顔を私たちは初めてみた。何もしないくせに、くたびれ果てた日本陸軍一兵卆のなれの果ては

「さすが狩猟民族の末裔だ」、と溜息をついて感心するばかり。

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『みちしるべ』**「老いへの道」ひとり言**<2015.7. Vol.90>

2015年08月06日 | 単独記事

「老いへの道」ひとり言

重親 明

三連結の台風が去り、その余波で一層、蒸し汗が肌にからむ。

空はどんより曇って蒸し暑い。そよとも風は無い。

時折、晴れ間が覗いたら、たちまち灼熱の真夏日だ。

庭の雑草を片手鍬で掻き取った。この作業が足腰を甚だしく痛める。

あら方取り除くのに小一時間掛かった。

じっとり汗ばむ体にシャワーを浴び、扇風機を点け、籐の枕で涼む。

クーラーを点けるにはまだ時期尚早と決めて、扇風機の風で良とする。

梅雨の昼下がりはこれに限る。癒しのひと時である。仰向けになって天井を見つめる。

天井板に樹木の年輪を模した同形の図柄が一面に嵌め込まれている。

大量に印刷した合板もので合理化による既成品であろう。言わば単調なインテリアだ。

自然の木目であればこうは揃わない、節目があったり、年輪が詰まっていたりする。

樹齢の苦節を想像し、成長過程を楽しみたいのだが変化に乏しい。

天井板を見飽きて、ふと「そうだ、宿題を抱えていた」庭の雑草を数えると14種類も有るので、予てより、この名前を調べようと試みたことだった。

これらの写真を撮っているが、残念ながらまだ一種しか分かっていない。

その一つ、とても小さく愛しい花を付けている、是非知りたい。

観察は図鑑と首っ引きになろうが、図書館に足を運ぶ事になる。これは億劫だなー。

些細なことで時を刻んでいる。老いへの道には社会性は無い。

老化は、細く長く休むことなく確実に進んでいる。雑草の様には往かない。

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『みちしるべ』**今こそ 憲法にもとづき いのちと暮らしを守る大運動を!**<2015.7. Vol.90>

2015年08月06日 | 単独記事

今こそ 憲法にもとづき いのちと暮らしを守る大運動を!

中の住環境を守る会 代表 西田正道

 私達の地域は、第1種低層住宅専用地域のもっとも良好な住環境のところに、現在、中国自動車道・山陽自動車道と神戸ジャンクションが供用され、今後、これに第二名神自動車道が接続するという、自動車公害のるつぼのところです。

 これは地域を三つに分断する、まち壊しとともに、騒音と第二のアスベストと言われるPM2.5など発がん物質を含む排気ガスを撒き散らし、人の健康・いのちを破壊するもので、公権力・社会権力による最大の人権問題です。

 住民は何よりも、自分や子、孫の健康のことを心配し、おびえています。

 こうしたなか私たち住民は、反対運動とともに住環境保全・改善と土地活用活性化のために、まちづくり構想を住民間で議論を重ね、住環境保全を中心とした地域計画を決定しました。

 そして神戸市のまちづくり条例にもとづく、まちづくり協定を神戸市と締結して、まちづくり協議会を中心に、住民が主体となって、その活動をすすめています。

 又、最近では、何の事前説明もなく、第二名神自動車道の工事に関連して高圧線鉄塔の移設で高さが69mとなり、航空法にもとづく赤白鉄塔が神戸ジャンクション東に設置された問題にとりくんでいます。

 これは、地域だけでなく、里山から百人一首にもうたわれた有馬山・六甲連山の美しい一大パノラマをずたずたに寸断する重大な景観破壊であり、子供から大人まで豊かな人格形成・精神に大きな弊害をもたらしています。

 「美しい六甲山に落書きをしたみたい」と、子供たちは言います。

 住民は今日まで美しい景観の下、一日の疲れをいやし、明日への活力を養ってきました。私達は当局に提言をするとともに、抜本的解決を強く要求しています。

 今回『みちしるべ』7月号≪第90号記念≫となりますが、こうしたとき、2014年5月21日、福井地方裁判所は、関西電力大飯原発3・4号機の運転差し止めを命じる歴史的な判決を下したことを思い出します。

 私達の道路問題も、人格権の侵害として、こうした判決、憲法13条・人格権(個人のいのち、身体、精神及び生活に関する利益全体)を改めて適用し、ふまえた運動が、ますます重要であることを痛感します。

 阪神間道路問題ネットワークのいっそうの発展のために、力を合わせて頑張りましょう。

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『みちしるべ』**「抑止力」について**<2015.7. Vol.90>

2015年08月06日 | 川西自然教室

「抑止力」について

川西自然教室 田中 廉

 安保法案について何か書きたいという気持ちがあるのだが、資料を調べるという作業が進まず今回は諦めることにした。

 ただ、「抑止力」について疑問に思うので少し述べたい。「抑止力」には軍事面だけでなく、交渉力、経済、人的交流などがあると考えるが、今回法案推進派のいう「抑止力」の主たる部分は「軍事力」だと思うので、ここでは「抑止力=軍事力」として話を進める。「抑止力」が本当にその国を侵略から守り「平和」を保証するのだろうか?

 もしそうであれば、最大の軍事力を誇るアメリカは戦後70年間どうして戦争をし続けるのだろうか? 確かに自国は攻撃されていないが、多くのアメリカ兵が死傷し、また、その戦費(特にベトナム戦争)によりアメリカ経済は大きな痛手を被った。第2の軍事大国であったソ連もアフガニスタン戦争で双方に多大な被害を与え、結局その「抑止力=軍事力」維持のため経済が圧迫され、それが主因で政権は崩壊した。

 双方とも、その「抑止力」を使って海外で戦争を行い、自国民、他国民、そして戦場の生き物に甚大な損傷を与え、その国の国民の憎しみを買っている。少なくとも両大国では、自国侵略阻止の為に「抑止力」が働いているわけではない。資源を確保し、自陣営の経済圏を守るというが、それは粘り強い交渉で解決すべきものである。

 イラクのフセイン首相がいかに「ならず者」でアメリカに反抗的で、自国民の弾圧があったとしても、またイスラエルにとって目の上のたんこぶであろうと、「大量破壊兵器を所有している」などのウソの理由で戦争を仕掛けるなど、言ってみれば言いがかりでケンカを吹っ掛ける「ならず者」と同じである。アメリカの中東介入は「パンドラの箱を開ける」と中東関係の識者によって懸念されたが結局はそうなった。大きな重しを外された中東は収拾のつかない状態である。そして、アメリカは手を引けば親米政権は崩壊し、石油などのアメリカの権益を失うので、引くに引けず泥沼にはまった状態である。

 米国が安倍首相の訪米を上下両院会議で演説をさせるなど大歓迎したのは何故か? アメリカは、尖閣諸島は日本領土であると認めていない。そこで、日本のために、強大な市場出会を失い、国債(借金)の最大の購入国を失うデミリットを冒してまで中国と軍事衝突をする危険をとるとは非常に考えにくい。日本に期待するのはアメリカの戦費削減の穴を日本に埋めてもらう、つまり、一番金のかかる戦争、中東での「対テロ戦争」を手伝ってもらうことではないか。

 中東諸国は非常に親日的である。どんな理由を付けようともアメリカの手伝いをすれば自衛隊員が殺し、殺すこととなり、日本が営々と築いてきた平和国家のイメージは崩壊し、中東での日本の評価は庶民レベルでは大きく地に落ち、中東でのNPO・NGOの人たちが攻撃され、活動の大きな障害になることは間違いない。

 話が横にそれたので元の「抑止力」に戻る。「抑止力」が働くためには、少なくとも相手と同等の戦力を保持するか、攻撃に対しては相手にもそれ相当の被害を与える程度の軍事力を持つ必要があるという。ただ、そこに落とし穴があるような気がしてならない。両国間に何か重要な権益にかかわる問題が起こった場合、特に、領土などではお互い「自国だけが正しい」と主張し、「メンツ」がかかるような場合、交渉による妥協が難しくなるのではないか。

 機密保護法で、国民には政権に都合の良い情報しか与えらず、交渉が難航するとお互いの国のマスコミが、相手の国に対する憎悪を高め、勇ましい意見が幅を利かすようになる。反対意見に対しては「国賊」、「非国民」、「売国奴」などの汚い言葉が新聞、ネット、TVで叫ばれるようになるだろう。その時点では、政権内部であっても現実主義派がまっとうな意見は言いにくく、又は言えない雰囲気になる。相手に負けない「抑止力=軍事力」があればあるほど何故譲歩するのかとの大衆の不満を抑える為にも、軍事力をちらつかせた交渉になるのではないか。

 交渉には、相手はこう出るであろうという読みがあり、相手の反応によっていろいろと戦術を練る。先の両大戦、そして湾岸戦争などのいろいろな戦争、紛争の後、講釈というか、記録、証言などを見ても、相手の意図を読み違えたり、望んでいないのに戦争に引っ張り込まれたなどの記述がある。

 「抑止力」が強力であればあるほど、自国に都合のいいように状況を解釈し、妥協できず武力衝突に流されていく可能性が高くなるのではないか? 「抑止力」がなければ常に交渉で譲歩を強いられるというのは果たしてそうだろうか? 弱ければ常に妥協を強いられ最後は侵略されてしまうものだろうか?

 そうであれば、圧倒的な軍事力を持つ、アメリカ、ソ連が戦後も国土を広げていたであろう。戦後、国際的に認められている国境を越えて国土を広げようとしたのはフセインのクエート侵略、そして現にパレスチナ領に侵略し続けているイスラエルぐらいではないだろうか。

 軍事力には国によって差が大きい。だからと言って強い国の意見がいつも通るわけではない。ごり押しすれば失うものも大きいからである。自国の安全ということを考えると、隣国と友好関係にあるのは最大の安全である。軍事的な脅しで解決しても友好関係は築かれない。結果、おのずから双方に少し不満がくすぶることもあっても、妥当なところに落ち着くのではないだろうか。

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『みちしるべ』**ちゅら海③**<2015.7. Vol.90>

2015年08月03日 | パリ&東京&沖縄より

ちゅら海③

三橋雅子

<嘉手納(かでな)防衛局包囲>

 7月24日、ここを人間の鎖で取り囲み、防衛局への抗議と要請文を手渡す集会「7.24沖縄防衛局大包囲集会」。丁度、読谷発バス(辺野古行き)の出る金曜日とあって私は迷った。今までも何回か大きい集会がぶつかったが、その都度迷いながらも、地元優先を選んできたから。しかしこの日は嘉手納を取った。この隣町の馬鹿でかい基地が、どれだけひっきりなしに飛行機の騒音を轟かせていることか、いつまでも「馴れない」で日々驚かされことに沸々と憤っているし。

 沖縄防衛局は県内の防衛行政の拠点(2007年、全国8ヵ所に防衛省の地方組織、地方防衛局が新設され時、新たにスタート)。日ごろ、近くの58号線は読谷への行き帰りの通り道だが、この「立派な施設」を見るのは初めて。フーン、威風堂々なかなか立派なものだなあ。

 この日の目的は「防衛庁、工事を止めろ」の「要請文手渡し」であるが、その時間までの正面前で、次々といろんな出し物。檄演説よりも絶え間ない歌や踊りや、思いのこもったサンシン………面白いよー、中の職員諸君出てきて一緒に見ない?と呼びかけたくなる………。職員といえば、ステッカー係が、剥がれてパクパクするのを、止めるものに事欠いて難儀していた。あっちの方に行ったら何かあるかも………はカンカン日照りの遠そうな道のり………ここに入っていくのもなあ、と大のおのこ二人の思案顔………。

 「あらなぜ?ここで調達が一番早道、拒まれたら、なぜ?を聞いて来るのもいいチャンス」と思わずお尻を押した。立派な躯体の沖縄おのこ達、正面玄関に向かう足はやや鈍く、と映ったのは気のせいか?………ややあって、おふたり、修理成ったステッカー持って足取り軽くニコニコと。ホーラ、成功!

 「なにか抵抗ありました?」「少しブツブツ………迷っていたけど………でも結局はやってくれた」反防衛庁ステッカーに、しぶしぶ手を貸した職員にも、内心の葛藤に幸あれ!

 防衛庁で思い出すもう一つのお笑い。読谷発のバスが出た初日、まだどれだけ集まるかも見当がつかないからであろう、乗り物は大型のバスチャーターでなく、村職員組合のマイクロバスだった。ところが、何やら大勢で布切れを胴体に巻くのに必死の作業。それは「日本一大きな村、読谷村」と大書された垂れ幕らしい。今頃、まだ宣伝して走る?と皆怪訝に。訳は胴体に大書された「沖縄防衛庁」の文字。お古をもらったのだとか。反対運動に向かうには、これを隠して………とせめてもの礼儀?皆大笑いして、防衛庁よ、貴重な足をありがとうね、と作業を見守った。あの、座り込みの防寒を気にした2月9日の初日から早くも、もうすぐ半年。今や熱中症対策。

 集まった三百数十人で防衛局を取り囲む。そしてこの人間の鎖はうねりを立てる波に。手を繋いで立ったりしゃがんだりも、いいスクワット訓練。

 アラッアラッ?見慣れた面々が、なーんだこんなところに、皆どうしたんだろう?と心配してたよ、と、いつもの辺野古行きメンバー達がちらほら姿を。あちら早退でこっちへ駆けつけて来たハシゴの読谷勢。だって、足の確保ままならぬ身に、そんな離れ業を当てには出来ないもの………。始めから嘉手納行きの便に乗せてきてもらうしか。  

<焦る? 防衛庁と陸からの応援>

 埋め立て承認に瑕疵があったとする報告(第三者委員会から)を翁長知事が受けて、承認の取り消しを検討している間に、しかも海外出張の留守中、防衛局は「本体工事の実施設計」他を県に出した(24日)。何やかや、防衛局は多分あせりもあって、「強引な」攻勢をどんどん。これも当初、昨年11月に予定の調査完了が、遅れに遅れて、2月だの6月だの………遂に9月も危うき?とずるずる後退している工事への焦り、と見てよいのでは?とはカヌー隊現場の実感。「微々たる」やも知れぬが………小さく、弱いとは言えども、ひっくり返されても返されても巨体に喰らいついていく、若い女性を交えた老人から若者までのチクチクと間断なき攻撃と抗議に、精神的に閉口しているに違いない。物理的には、なんとも太刀打ちできないほどの相手なのだが。カヌーはひっくり返されても、拘束されても、這い上がり、フロートを越え………可能な限り、作業員達に「止めなさい、手を抜け」の声を投げかける。この間はついに、女性隊員が本船の調査機器の一部?何とか棒とかに触れてきた、という。皆どっと歓声と拍手。何より、作業員達にはいやというほど、「やめろ!やめろ!」が。

 海上保安隊員達には「この恥知らずのウミザルたち………」の抗議の声が、間断なく届いているはず。精神的に参っているらしい先方も、年度替りに新人が交代すると、闘志満々が漲(みなぎ)って、やや手ごわいとか………。陸からは、声をからしての声援と抗議しかできないもどかしさ、しかし海での、巨体相手の孤独な闘争では、遠くても陸の応援の声に励まされて闘志がよみがえる………と。

 ゴツゴツの岩を登って、少しでも高みからエールよ届け、とシュプレッヒコールをわめくことも。私は脱いだ下駄を小脇に、よじ登ったり………でなかなかのトレーニング。カヌーが帰るまでのお出迎えには、ほてった足を海に漬けたり、珊瑚のかけらを拾ったり………国会前のデモより退屈しない。

 この頃、海上保安隊は、毎回のことで面倒になったのか、以前は拿捕(だほ)の後わざわざ遠く沖まで連れて行って解放したカヌー隊員たちを、岸に運んで放す。我々は拍手で彼らを迎え、ねぎらいと感謝のエールを。きびすを返す「防衛庁」には、しっかり罵倒と非難のエール(?)を。

 この間は、荒れてカヌーも出なかった海へ、読谷といえども荒れには変わりなかったはずなのに、勇敢にもあいごを捕らえに出た御仁………それを4時起きして、から揚げにしたという荷が読谷発のバスに積み込まれた。よだれを垂らしそうになったが、これは浜辺での出迎え時の捧げもの。おこぼれが廻ってこない我ら陸族は、指をくわえて………の一幕も。「今度はバスにも持ってくるから………」と。いつか「海の闘争ビデオを観る会」に差し入れられた、この魚てん、こたえられないおいしさが忘れられない。

 テント前もいつも何かと食べ物が絶えない。誰かの誕生日、とかにはケーキまでも、おこぼれにあづかる。近頃は専ら、熱中症よけの黒砂糖。

<「恵みの」台風?>

 台風の到来は痛し痒し?しかしトータルでは「蒙古襲来」時に優る幸運か?とも。キャンプシュワブ前のテントの撤収、隠し場所(秘密)の調達工面、如何に現状復帰を可能にするか?(現に前回の台風後、キャンプ側の金網前テントは再建不能に)。なかなか難儀多々ではあるが、海に浮かぶ図体のでかい「敵」はカヌーの片付けどころではすまない大難儀。何事簡単には移動も避難も困難で大ごと。台風の直接被害がなくても、引っ込めたり出したり………の対策だけで、大幅な無駄。恵みの台風なのである。しかも波風で荒らされると、いろいろやられてガタもくるらしい。でもこれは海底の珊瑚その他もやられるから痛ましい限りなのだけど。何より、若者といえども疲労の溜まったカヌー隊員たちに恵みの休暇がやってくる。

 台風再来は、またもやこれで期日延期間違いなし、とほくほく。あちらはずるずるの引き延ばされに、かなり頭にきているとか。天は正しきものに味方? 前回の9号では、私の東京行きは欠航でフイになったが、まあ良しとしなければ。

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『みちしるべ』**徒然なるままに**<2015.7. Vol.90>

2015年08月03日 | 山川泰宏

徒然なるままに

甲陽線地下化を考える市民ネットワーク
神戸・市民交流会 事務局長                     
山川泰宏(西宮在住77才)

 東日本大震災から、早4年5ヶ月目の追儺式の灯が目前に控えています。今年も宮城県名取市閖上地区 愛島東部仮設住宅(222世帯数)で暮らす遠藤一雄自治会長はじめ多くの皆さまが私たちの訪問を楽しみに待っております。

 阪神淡路大震災から20年目の「1.17のつどい」で使用した、東遊園地の竹灯篭を前の年と少し、趣向を変えて持参、仮設の人たちに萎えた気持ちに寄り添うべく活動を計画しています。

 しかし、2015年のはじまりは何かこの日本国内に不穏な空気が漂い始め、自然災害の火山の活動(御嶽山噴火、口永良部島噴火、浅間山、箱根山等々)に加え、70年間の平和が蔑にされるような政治の動きが見られます。本当に困ったことが多すぎないだろうか、東日本被災地を支援活動に関わった人間にはもっと大切な遣るべきことが忘れられているように思えてなりません。

 安全保障関連法案の国会審議で数の倫理で可決しようと目論む自公連立政権、そして維新の党が甘い蜜に群がる今の現状はいかがなものでしょう。ましてや、今一番の問題は多くの情報を国民から隠蔽しようと画策する報道管制に従う、日本放送協会はじめメデアの弱腰の体たらくを嘆きます(中には紙ペーパーで書く勇気に感謝します)。国立競技場の莫大な建設費負担、静かに稼働に向けて原子力発電所、放射能汚染の進む首都圏や東日本被災地を含む関東の現状、見ざる、言わざる、聞かざる でなく。東日本被災地の復興から大手の建設業者は撤退しつつある、東京オリンピック開催は政治の具になってしまった感が否めません。

 日本列島が悲鳴を上げているのに多量の放射能汚染物は海岸近くに放棄され、今、自然災害が日本列島に大きな打撃を与えた時を想像します。与野党議員、アスリート議員の皆さん、今、目を覚まそうではありませんか?この日本の本当の平和を愛する国民として!スポーツ選手であるならば、平和をことさら大切にしていた筈です。何故、命を大切に守ってきた日本国憲法9条の改憲に賛同する議員から声を挙げてください。

2015(平成27)年7月7日

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『みちしるべ』**宮城県被災地復興状況視察報告**<2015.7. Vol.90>

2015年08月02日 | 単独記事

宮城県被災地復興状況視察報告

木村 嘉三郎

■ 行 程(平成27年5月12日~14日)

5月12日  仙台空港→名取市閖上地区→(塩釜亘理線)→七ヶ浜町→東松島市野蒜地区→石巻市→女川町(東野副町長面談)→仙台市泊

5月13日  仙台市→南三陸町→(神割ロード)→石巻市大川小学校→石巻市雄勝地区→(リアルブルーライン)→女川町→石巻市(石巻専修大学山崎教授面談・開成ネットワーク会議参加)→仙台市泊

5月14日  仙台市→石巻市(「やっぺす」兼子代表面談)→石巻市復興商店街→石巻市蛇田地区災害公営住宅→石巻市(「BIGUP石巻」原田代表面談)→岩沼市玉浦西地区災害公営住宅・千年希望の丘プロジェクト→仙台空港

■ 女川町(東野眞人 副町長 面談)

 現在基盤整備事業(平成25年~27年)が行われていますが、事業は遅れています。町の年間予算は震災前の約50億円から約600億円に膨れ上がり、既に総額2,000億円を注いでいます。しかし、駅舎や災害公営住宅の一部が完成しているだけで、まだ造成工事を行なっており、町の全体像は全く見えてきません。被害総額が785億円と報告されていますが、その3倍近くの2,000億円を投入していることに驚くとともに、いくら投入すればよいのかという不安が過ぎりました。このまま復興事業を進めれば、総額約4,000億円は必要だと言われています。事業費全額を国の補助金で賄うといっても、余りにも掛かり過ぎです。また、町の職員(派遣職員を含めて)は一日も早い復興を目指して頑張っていますが、後4年はかかると言われています。

 私が問題視しているのは、復興事業が終わってから出てくる問題です。国は道路などのインフラや公共施設などの基盤整備には支援を行いますが、それ以降、その維持管理や生活再建への支援は行なわないのが原則です。阪神淡路大震災やその他の震災の被災地でも、基盤整備以外の支援は行っていません。

 一般的にはインフラや公共施設整備費用の約3倍のお金が、今後50年間にわたり維持管理に掛かると言われています。女川町で言えば、1兆円を超えるお金が必要となります。しかし、女川町の年間予算は震災前で約50億円程度であり、住民の高齢化や人口の町外流出が止まらないことからも、さらに減ることが考えられ、維持管理費用を確保していくことはできません。近い将来、新しいインフラや公共施設の増大する維持管理に対応できなくなります。

 女川町の復興事業は自治体の身の丈を越えた事業であると言えますが、町内部からは事業を見直すべきとの声はあがっていません。また、派遣された西宮市の職員の話では、町の将来のことを考え事業見直をすべきと言える雰囲気ではないとのことでした。国が復興事業終了後も支援を続けない限り、維持管理費用負担による財政破綻に陥ることが考えられますが、国は支援を続けることはしないと思います。

 今年3月にJR女川駅が完成し、2時間に1本の列車が運行されています。駅舎は有名な建築家の設計であり、2階部分には温泉温浴施設が、駅前広場には足湯の施設が併設されています。開所当初は割引券を配布したこともあり、温泉にはかなりの利用者がありましたが、今はほとんどいません。また、駅前には海が見えるプロムナードが整備される計画ですが工事は進んでおらず、駅前は閑散とした状況です。プロムナードの両側に商店街、物産センター、地域交流センター(まちづくりの拠点施設)を整備する計画ですが、住民は高台に分散して移転する計画となっており、駅周辺には住民が住む地域はありません。完成予想図を見れば、賑わいのあるアーバンデザイン的にはすばらしい計画のように見えますが、住民が集まって賑わいが創出できるような計画ではありません。また、商店街はまちづくり株式会社が施設を整備し、テナントが店舗を借りて営業する形になりますが、営業は厳しいですし続けられるかどうかも疑問です。余りにも地域コミュニティーを考慮していない計画です。さらに駅前広場には「女川フューチャーセンター」も完成していましたが、この施設は若者の創業支援や仕事場(会員制)の提供、町民のつどいの場として利用できる施設です。しかし、住民が住む地域から遠く離れていることや、住民の営みや賑わいがない地域に若者は移住し起業などしませんし、この施設の整備は時期尚早だと思います。

 副町長もおっしゃっていましたが、水産業関係の事業所は順調に施設を整備し、活気を取り戻しつつあります。しかし、水産業だけで女川町を支えることはできませんし、他の産業の誘致も必要ですが、そのメドは立っていません。

 災害公営住宅は集合住宅602戸、戸建193戸、計795戸建設する計画ですが、町人口規模から言っても多すぎる戸数です。既に平成26年3月に完成している「運動公園住宅」(200戸)を見に行きましたが、団地内にはコミュニティーカフェ、集会所は整備されていますが、周辺地域に店舗はありません。買物は「イオン移動店舗」の車が巡回してきた時に行なっています。団地は満室とのことですが、入居のほとんどが高齢者で、駐輪場にはほとんど自転車はなく、団地内には全く活気が感じられませんでした。

 また、避難所から仮設住宅に移る時、さらに仮設住宅から災害公営住宅へ、入居者同士のコミュニティーを一切考慮せず、公平性の担保という観点からの抽選のみで選考したことが、入居後のコミュニティー形成を難しくしています。阪神淡路大震災での教訓が全く活かされていないと言えます。行政の支援がなくても、団地内で住民同士が支え合って生活できるコミュニティーづくりに取組むことが大切です。そのために同じ地域の住民を集めることや、若い世帯から子どものいる世帯、高齢者世帯など様々な世帯が一緒に暮らせる仕組みを考えていくことが必要です。しかし、災害公営住宅は被災者に限られていることや、入居者選定は抽選のみで、ほとんどを高齢者世帯で占めていることなどで、持続可能なコミュニティーづくりの取組みが難しい状況です。今後、女川町が災害公営住宅を計画通り整備すれば、現在の西宮市(震災後20年経った)が公営住宅の維持管理費に年間27億円という多額の一般財源からの繰入を行なわなければならない状況に陥り、苦しんでいるのと同じように、高齢者が多くを占める災害公営住宅入居者への支援や、建物の維持管理費用が町の大きな負担となって圧し掛かってくることは明らかです。

 ソフトの面のまちづくりについては、商工・社協・復興住宅など縦割りで各担当課が担当しており、全体を統括している組織がなく、連携した取組みができていません。そのために全体のビジョンが見えてきません。ずっと住み続けられる街にするためには、人が人を支えあう持続可能なコミュニティーづくりに取組むことが必要ですが、その取組みを担当する組織が設置されていないことが問題です。

☆ 女川町は中心部地域以外に半島部に12の集落があり、集落ごとに高台移転による居住地整備や低地部の津波浸水区域での水産施設等の整備を進めています。住民の意思を尊重した計画だと思いますが、余りにも広範囲に分布しており、効率的な復興事業とは言えません。半島部を見て回った時になぜこんな場所にスーパー堤防が必要なのかと思う場所がありました。

 今後、駅周辺地域に新庁舎、地域医療センター、新小・中学校などが新たに整備されますが、女川町の復興事業は国の100%補助(=借金をしなくてもよい)という落とし穴にはまり、自治体の身の丈を超えたお金を掛けた事業になっていると思います。国の復興事業のメニューに問題があったことが原因していると思いますが、後で維持管理や行政サービスにどれくらいの負担が掛かるのかを綿密に検討していない自治体にも問題があると思います。

 今からでも復興事業計画や災害公営住宅の整備計画の見直しを行い、身の丈にあった事業を考えていくとともに、人が人を支える地域コミュニティーづくりに早急に取組むことが必要です。女川町の復興事業を見て、町は財政的・人的両面において大きな負担を抱え、町が破綻することが危惧されます。そして次の大きな津波が襲来する前に、女川町がつぶれてしまうのでないかという心配もあります。

 国は基盤整備という名目で「器」はつくりますが、その「器」に魂を入れることはしません。国の復興支援のあり方については、見直すべきです。

■ 南三陸町

 女川町と同じ復興事業メニューで、国道の嵩上げ(スーパー堤防)と土地の嵩上げ、高台集団移転の工事が進められており、女川町と同じ景色でした。おそらく女川町と同じような予算規模で基盤整備工事が進められていると思いますが、工事の進捗状況は女川町より遅れています。また、新庁舎、地域医療センター、新小・中学校など公共施設を整備する計画があると聞いていますが、インフラや公共施設、災害公営住宅の維持管理費、災害公営住宅の入居者への支援や住民の高齢化による行政サービスの増加により、女川町と同じように人的・財政的両面で町に大きな負担が圧し掛かることは明らかです。今からでも復興事業の見直しやこれらの課題に対する対策、人が人を支える地域コミュニティーづくりに取組まなければ、南三陸町も将来財政破綻する道を歩むと思います。

 南三陸町に派遣されていた西宮市の職員も、事業を見直すべきだと感じていましたが、それを言える雰囲気ではなかったとのことです。

■ 石巻専修大学 山崎泰央教授との面談

 山崎教授は「石巻市開成・南境地区の仮設住宅における東日本大震災後の生活と復興に関する調査」を行い、以下のような調査結果を公表しています。

① 仮設住宅の住み心地について、全体的に満足度が低いこと、

② コミュニケーションに苦労している様子がうかがえること、

③ ほとんどの回答者が復興を実感できていないこと。

 以上の結果から先生は、仮設住宅から恒久的な災害公営住宅への移転を進める際に、コミュニティーの維持を重視した対策をとるべきだ。人間らしい生活を送るためには、ハードの整備以上に、ソフトであるコミュニティーの再生や維持の方法を考えておく必要がある。行政は住民コミュニティーの維持・再生を意識しながら、移転できる方策に知恵を絞るべきだと提言しています。

 先生は災害公営住宅入居後のケアの大切さも強調されていました。石巻市でも災害公営住宅での孤独死が確認されている。起こるべきして起こったという印象、市は入居前に説明会を3回開くなど顔合わせに力を入れているが、入居後のケアが手薄だ。住民が部屋から出て来なくなったら、目が届かなくなる。行政は災害公営住宅入居を「自立」と位置づけているが、災害公営住宅は高齢者など支援を必要としている人が入るケースが多い。移転したら終わりという訳にはいかない。行政だけの対応に限界があるのは確かだが、入居が本格化する今後の対策に今回の孤独死の問題を生かさなければならない。また、市内の仮設住宅で実施した調査では、団地内で人間関係がなく、外部の人と連絡も取っていない人が7%いた。こうした人たちは災害公営住宅で孤立しても支援を求めない可能性がある。これらの対応としては、看護師や臨床心理士といった専門職をはじめ、多様な人たちが関わらないと解決できない。人と人との関係だから、無駄に見えて色々な人が関わることが一番大事。NPO法人や地元の自治会などが立ち上げることも求められる。行政はそういった団体が動きやすいよう、話合いの場をつくり、支援態勢を整えるべきだと提言しています。

 西宮市も震災後に始められた被災高齢者の生活相談・支援を行う「被災高齢者支援事業」や、入居者の安否確認・相談・援助を行う生活援助員(LSA)を派遣する「高齢者住宅等安心確保事業」は、震災後20年を経過した現在でも止められずにいます。行政がいつまでもこのような支援を担うのではなく、地域で高齢者を見守る体制を創っていくことが必要です。

 先生は市の災害公営住宅の入居者選考方法についても、東北地方の人々は地縁関係が強いのに、人のつながりをバラバラにしている今の選考方法には問題がある。避難所から仮設住宅に、また、仮設住宅から復興住宅に移る時に、公平性という観点からのみの抽選・選考のやり方が、入居後の地域生活の再生や維持を難しくしている。一定の大きさのグループで災害公営住宅への移転ができる方法を考えていくべきであると提言されています。しかし、石巻市はこの提言に全く対応していません。

 また、入居は被災者に限るといった国の方針にとらわれず、入居構成は若い世代から高齢者までの世帯が、バランスのよい割合で入居し、行政の支援がなくても団地内で人が人を支えあうコミュニティーが成立するような仕組みづくりを、最初から考えておくべきだと思っています。西宮市は震災後、このような地域づくりに配慮した入居方法を採らなかったために、入居者の高齢化とともに地域民生委員や市の担当者の負担が増大しています。

 東北の被災地の中で福島県いわき市豊間地区では、入居者の選定は抽選ではなく、いろいろな世帯が入居できるように、いろいろな状況を考慮した配点によって選定し、コミュニティーの融合を図る取組みを行なっている事例もあります。

■ 開成ネットワーク会議参加

 開成ネットワーク会議は、石巻市の開成・南境地区の復興支援の状況や課題などの情報交換を行なう会議で、月に1回程度開催されています。出席メンバーは、石巻スポーツ振興サポートセンター、石巻専修大学・山崎ゼミ、石巻市包括ケアセンター、ピースボート災害ボランティアセンターなどの方々です。

 石巻地区復興応援隊が主体となって活動されているようで、主な活動内容は、親子スポーツ、小学生対象ティーボール大会などを開催する「こども元気プロジェクト」、クラフトフェアや情報誌の発刊を行なっている「まちなか復興プロジェクト」、健康体操や農園プロジェクト、ウォーキングなどを実施している「仮設住宅支援プロジェクト」などです。

 石巻市内には多くのボランティア団体が各地域で支援活動を行なっています。石巻市役所にはこれらの団体を統括する担当課はなく、一つのNPO団体に委託して統括を図っています。しかし、そのNPO団体に統括する能力はなく、ボランティア団体間の連携が取れていません。また、市役所の財政面での支援も不十分で、各団体とも活動資金の確保に苦労しています。復興庁の「心の復興」事業に毎年応募している団体もありますが、復興庁の支援は単年度予算であり、継続性に欠ける点が問題であるとのことです。ボランティアへの積極的な支援が必要ですが、国はソフトの面の支援については十分な予算をつけていませんし、市もハード面の整備に手をとられ、ソフト面への支援には人的・財政的両面で難しい状況にあります。

 石巻市の高齢化率は全国平均より高い状況ですが、半島部など比較的地域の結びつきが強い地域では、住民相互の支え合いの中で高齢者も安定した生活を送ることができていました。しかし、震災によって高齢者のケアを担ってきた地域コミュニティーが崩壊し、市の主導で高齢者の住まい・医療・介護・予防・生活支援を地域ぐるみで一体的に提供する「地域包括ケアシステム」の構築の取組みを新たに始めています。市は市内最大規模の仮設住宅が並ぶ開成・南境地区に「包括ケアセンター」を設置し、医療・介護従事者の連携はもとより、地域住民を巻き込み、地域全体で連携して自助・互助の力を発揮する、そして高齢者だけではなく障害者や子育て世代も視野に入れた「次世代型地域包括ケアシステム」の構築を始めました。

 その取組みとしては、高齢者宅を訪問する医療・介護事業者が、タブレットで患者の状態を記録すると、ほかの関係者も共有できる、一人の患者を複数の専門職や家族の「チーム」で、リアルタイムで一元的にケアできる「ICTを活用した在宅医療体制」の構築や、包括ケアの重要な担い手である地域住民の人材育成に取組んでいます。「ICTを活用した在宅医療体制」の構築はすでに千葉県柏市で取組みが進められていますが、システムの構築やその後の運用に多額の費用が掛かることから、柏市でも全市展開ができていません。この取組みは発想的にはユニークであり、全国的に展開していくべき事業だと思いますが、多額の費用が掛かることから国の継続的な支援がなければ全市展開はできません。さらにこの取組みは国の「新しい東北」先導モデル事例にも紹介され、積極的にアピールしていますが、財政面・職員体制の両面において絶対数が不足している石巻市にとっては、国の支援打ち切りが事業の打ち切りに繋がります。地域コミュニティーが崩壊した地域にとってこの取組みは重要であり、国が他の被災地と同じように数年後に支援を打ち切らないことを望みます。

■ 特定非営利活動法人 石巻復興支援ネットワーク「やっぺす」

 「やっぺす」は石巻の方言で「一緒にやりましょう」という意味です。この団体は震災の10年以上前から市民活動を行なっており、震災後はそのつながりで外部の支援者の方々とともに、いち早く避難所、仮設住宅の支援を行ってきました。市の復興工事は住宅再建や産業の復旧を優先しており、子育て環境整備は後回しにされ、このままだと若者の流出を早め、若者のいない街になってしまうという危機感から、母親ならではの視点で、女性や子ども、若者の育成・サポートの活動を中心に展開しています。

 活動としては石巻の復興のために4つの分野の活動を行なっています。

① 小さなお子さんを持つお母さんが楽しく子育てできるためのサポートと子育てしやすいまちの実現に向けた環境づくりを行なう「子育て支援」、

② 誰もが笑顔で暮らすことができる多様性のある石巻を目指し、女性や子ども、若者を中心とした担い手の育成を行なう「担い手育成」、

③ 仮設住宅内でのカルチャーセンター、市民農園、子どもの遊び場運営等を行い、住民の方々がお互いに支えあえる仕組みづくりを行なう「仮設住宅への支援」、

④ 被災地での支援活動を希望する企業やNPO等のニーズと現地のニーズをマッチング及びコーディネイトする「復興コーディネイト事業」。

 具体的な活動としては、

 子育て中のママたちが集い、ゆっくりできる場であり、子どもと一緒に食事を食べたり、女性を応援する様々なイベントや講座を行い、ママたちの夢を応援する「ママカフェ」の運営、

 石巻市及びその周辺地域で、地域に住む人が趣味や特技、地域の良さを活かした体験プログラムを実施し、地域資源や人材発掘・育成を行い、石巻の魅力を体感することで、郷土愛を育む「石巻に恋しちゃった事業」、

 仮設住宅を中心とした地域全体の「コミュニティーづくり」、石巻のママたちが作ったハンドメイドアクセサリーを販売する「Amanecer」の運営、輝く女性を応援する「Eyes for Future by ランコム」などの幅広い活動を行なっています。

 活動の財源は市からの補助金では賄えず、その多くを企業からの寄付や販売収益などで賄っています。企業からの人材育成依頼(主に仮設住宅でのボランティア活動)にも積極的に受け入れています。「やっぺす」の活動は女性が中心となった活動であり、全市域やその周辺地域を巻き込んだ活動に拡大していきたいとのことですが、市の支援は当てにできず、今後の活動の財源確保が課題となっています。特に復興が一段落し、企業からの寄付が集まらなくなった時に、活動が続けられるどうか、苦慮しています。

 国の子ども・子育て新制度が施行され、石巻市は子育て支援の拠点づくりに積極的に取組まなければなりませんが、市はハード面の復興工事の影に隠れて子育て面の取組みを全く進めていません。そのため「やっぺす」の役割は大きいと思います。

■ 一般社団法人 BIG UP 石巻

 「BIG UP 石巻」は、

 石巻市釜・大街道地区(約6,000世帯)の在宅被災者への支援活動を行っている団体です。団体の事業内容は、釜・大街道地区に特化した情報誌「ゆくゆく輪」(毎月3000部)発行、

 地域活動の拠点、町内会の会議の場、情報交換や交流の場、新たなニーズの発掘、地域防災拠点等に使われている「街の駅コスモスの家」「街の駅たんぽぽの家」の運営、

 児童公園への美化清掃活動、道路計画予定地で畑を耕し植栽や野菜などを作り空き地の有効利用と同時に街に彩りを増やす「街に彩りを増やす活動」、

 地域の課題を話し合いながら住みよく新しいまちづくりを住民主体で目指す「街づくりワークショップ」、

 クリスマス会、遠足、カルビー株式会社とジャガイモ作り、放課後や季節休みの居場所作りなどを行っている「子ども支援活動」などの活動を行っています。

 釜・大街道地区は石巻市の沿岸部にあり、津波でほとんどの家屋が流出しました。復興事業として南側に高盛土防波堤道路を新設し、道路の海側は一般家屋は新築できない居住禁止区域に指定し、産業地として工場や企業の誘致を進める計画です。また、道路の北側には避難道路を新設する他、一部地域で区画整理事業と災害公営住宅の整備を行う計画になっており、今年度予算は通っていますが、多くの家屋が残っているために移転交渉が難航しており、事業が予定どおり進んでいません。さらに住民が整備をいち早く望んでいる高盛土防波堤道路(県事業)については、総論賛成各論反対の状況で地主交渉が進んでおらず、4年が経過した現在でも工事が進んでいるのはほんの一部で、道路の計画線の線引きさえできていない状況です。地区内では下釜第一地区で区画整理事業が進められている他には、地元住民がこんな街にしたいといったまちづくりビジョンを持って積極的に活動しているまちづくり協議会的な組織は立ち上がっていません。市の地域協働課が地区を4つのブロックに分けて「釜・大街道地区まちづくり懇談会」を今年3月に開催しましたが、それ以降開催されておらず、市のまちづくりの方針が全く示されないまま現在に至っており、地域住民はどうしたらいいのか戸惑っています。このように地域においては復興事業が停滞していると言えます。

 この団体は石巻市地域づくりコーディネート事業補助金と寄付金、物産販売等で活動資金を賄っていますが、厳しい状況にあります。また、活動の拠点である「コスモスの家」「たんぽぽの家」共に、地主より5年間の無償貸与で借り、企業の寄付金で施設を整備しましたが、地主より明け渡しの請求を受けています。地域の公民館が流され使用できない状況で、ボランティアが地域で活動するための活動拠点が必要です。しかし、市はその確保のための支援を行っていません。また、この団体は地区のできるだけ多くの被災者に情報を伝えたいという思いから、情報誌を発行していますが、市が個人情報保護の立場から被災者の移転先などの情報を公表しないために、被災者への情報提供に苦戦しています。

■ 石巻市蛇田地区災害公営住宅

 石巻市は各地区で災害公営住宅を整備していますが、蛇田地区の新立野復興住宅を見に行きました。三陸自動車道石巻河南ICの北側「イオン石巻店」の横に広がる敷地に、多くの災害公営住宅が建設されています。平屋建て連棟から3階建て、4階建てなどいろいろなタイプの災害公営住宅が建設されており、今でも建設が続いています。復興住宅とは思えないようなデザインや贅沢な建て方をした集合住宅が多くあり、効率的な維持管理を考えた設計とは言えない建物がほとんどです。将来公営住宅を払い下る制度があるために、平屋建て連棟のような贅沢な公営住宅を建設したのかもしれませんが、入居者の高齢化や公営住宅であれば維持管理費が要らないことを考えれば、払い下げを求める入居者はほとんどいないと思います。

 さらに西宮市では復興住宅の入居者のほとんどが復興住宅を「終の住処」と考えており、高齢化に伴い、入居者に対する支援(行政サービス)が増加していますが、これと同じことが石巻市でも起こると思います。また、西宮市では仮設住宅解消のために一時期に2,700戸もの復興住宅を建設したために、全体の市営住宅の戸数は1万戸となり、震災後20年が経過した現在では年間約27億円ものお金を市営住宅の維持管理費として一般財源から繰入れており、市の大きな負担となっています。さらに復興住宅を一時期に集中して建設したために、大規模修繕の時期が重なり、その財源確保にも苦労しています。

 石巻市も災害公営住宅の建設は必要最低限に抑えるべきであり、維持管理に多額の費用がかかるようなデザインの災害公営住宅は建設すべきではありません。また、民間住宅借り上げによる災害公営住宅への転用を考えているようですが、西宮市でも問題になっているように、事業収束の時期、事業収束による入居者の再移転の問題などを、前もって検討しておくべきです。国の100%補助(=借金をしなくてよい)による、多くの災害公営住宅建設ですが、今後、建物維持管理と入居者支援などで財政・人的両面で大きな負担が掛かり、対策が後の大きな重荷になると思います。

■ 石巻市渡波地区津波避難タワー

 この施設は石巻市内では始めて整備された施設で、今後、他3ヵ所で整備を計画しています。この施設は高さ約13mの鉄骨造で、付近は震災で高さ4.5mの津波が襲来したため、地上約10mの位置に床面積約120㎡の居室を設け、屋上(約110㎡)と合わせて、214人が収容できる施設となっています。居室には水、食料などの緊急物資を備蓄、女性や子供連れに配慮して移動式の仕切りで3つに区切ることができます。停電時に備えて太陽光発電設備と蓄電池で3日間の照明電源を確保できる他、2ヵ所の階段が設置されており、普段は階段の扉は施錠され、鍵を入れた容器は震度5弱以上の地震で自動解錠するシステムなっている上に、他の鍵を自治会役員にも預けています。事業費は約2億円で、国の復興交付金による全額補助で整備されました。

 この施設は避難に遅れた被災者のための施設であると思いますが、そのためには階段ではなく高齢者・障害者・車椅子などのためのスロープを設置すべきです。階段だけでは多くの人が短時間で避難できません。さらに上階に設置された居室には便所も給水設備も整備されていませんので、平常時の居室使用ができません。津波避難だけのためにこのような施設を整備するのは問題であり、計画段階から平常時の有効活用を考えておくべきです。

 また、石巻市は津波避難ビルの指定にも取組んでいますが、指定において1,000万円(?)の補助金を出す代わりに50㎡の居室を常時確保しておくことを条件付しており、常時部屋を空けておくことが難しいことから、指定を受けている避難ビルは少ない状況です。避難ビルは津波が襲来した時の一時避難の場所であることを考えれば、西宮市のように建物の廊下や屋上を一時的に開放することで十分だと思いますし、石巻市の整備方針(国の方針?)では、指定は進まないと思います。何でも予算を付けて過剰にするという考え方は止めるべきだと思います。

■ 岩沼市玉浦西地区災害公営住宅

 宮城県内でいち早く集団移転を完了した地域です。住民が自ら再建を手掛け、農地を埋め立てて、自力再建の戸建て住宅と災害公営住宅が混在する住宅団地が仙台東部道路岩沼ICの近く玉浦西地区に出来上がっていました。元々被災者が大きな住宅に住んでいたこともあり、災害公営住宅は戸建て感覚の2階建ての建物で、配置も余裕を持って配置され、災害公営住宅とは思えない印象を受けました。団地内には立派な公園も整備され、閑静な住宅地が出来上がっていました。

 今回の視察を通して全体的に言えることですが、どの地域も災害公営住宅の多くが将来の効率的な維持管理を考えた建物ではないと思いました。国の100%補助(=借金をしなくてよい)であったために、このような立派な建物を整備したのだと思いますが、今後、多くの被災地自治体が公共施設や災害公営住宅の維持管理の費用確保に苦しむことになると思います。

 沿岸部の高盛土防波堤道路(空港三軒茶屋線)は順調に工事が進んでいました。また、その東側に広がる岩沼海浜緑地での千年希望の丘プロジェクトも広範囲から人々を集めて植樹祭を開催するなど、順調に工事は進んでいるように見えました。

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