『みちしるべ』100号を記念して
山手幹線沿道の環境を守る市民の会
山本寿満子
昭和生まれの者にとっては、いつまで経っても、今年は昭和何年と数えてしまいます。今や、昭和で言えば93年、平成30年になってしまいました。来年には、又新たな年号に変わっていきます。益々計算が難しくなりそうですね。“笑”
平成3年、非常に環境の良い私たちの住む北町にパチンコ店が出店するという、実に寝耳に水という問題が持ち上がりました。おとなしかった住民もこれには黙ってはいませんでした。反対運動が始まりました。そこに、翌平成4年道路拡幅問題が一方的に行政から通達され、住民が怒ったのでした。『みちしるべ』には“私の住民運動”として連載して頂きました。
今から考えれば、よくも154日もテントを張って座り込みをしたものだと、また武庫川河川敷で一晩すごしたことも。又、こんなこともありました。運動を始めて間もなく住民の集会がある夜、小学2年になる息子が腹痛で隣の病院に入院。盲腸といわれ、翌日手術すると言われましたが、集会を欠席するわけにいかないので、息子を一人病院に残して集会に出ました。親としては無茶なことでした。ところが、息子は看護婦さんに浣腸してくれといい、それで直ったと、翌朝退院しました。本当に笑い話です。
このように色々なことがありましたが、長きにわたって運動を続けられたのは、決して私たち地域住民だけではできたことではありません。ネットワークの皆さんが遠いところから応援にはせ参じて下さったおかげだと思い、感謝の気持ちは誰もが持っています。全くの素人がここまで行政を相手に8年近く戦い続けることは無理なことだったと思っています。
その間に阪神大震災がありました。北町で21名の方が亡くなられたのです。地域住民も避難されたりして、随分少なくなりました。その上、会長までマンションで水が出ないといって海外の息子さんのところに避難されて行きました。副会長であったので、役員さん達と奔走したことも、今となればいい思い出です。震災から23年、その時の会長もいません。次の会長もいません。第一線で戦ってくれた人達も今はもういなくなりました。寂しい限りです。
応援団長だった砂場さんもいなくなりました。2人で一人のように走り廻っていた彼女も、去年お盆に亡くなりました。ご主人が先に亡くなられ、気の毒でした。
最後の市との終結については、多くの関わって頂いた方々全てのお思いを満足させることができたかどうかはわかりませんが、当時の判断としてはやむを得なかったのではと思っています。
市との話がすべて終わってみると、近くの買収地は大きなお屋敷だったから、広い空き地になってました。市はその空き地をポケットパークに予定していました。私はかねてから小さくても住民が集まれる場所が欲しかったので、市と交渉を始めました。
しかし、答えはいつまで経っても0か100です。との返事しか帰ってきませんでした。私は友人たちのグループで、ひとり暮らしのお年寄りのへのお昼のお弁当作りをし、配達する活動を平成6年6月から始めていました。最初は代表者の家で料理をしていました。地震でその方の家が壊れてマンションに越された時も小さな台所で、先ずは公園の仮説住宅に避難されているお年寄りに、スープやおつゆを届けました。
私はこの素晴らしい活動を続けるためにはどうしても、小さくても皆が集まって料理ができる場所が欲しかったのです。個人の家では長く続けるには眼界があります。ねばり強く交渉を続けました。しまいには、部長が言いました。運動の最終の文章に、この建物の件も一文入れておいてくれればやりやすかったのに、って。
これを建ててくれれば運動を辞める、みたいなことは絶対にできないと、部長に言いました。私はそんな性格ではありませんと。全てが解決してからでないと出来ない話だと思っていましたから。
同じやりとりが続いて最終的に市が出した答えは、建物の中に環境調査の機械をおいて年間を通じて調査をすると言うことでした。何回も説明会の場で環境調査所を設置するよう要望してきましたが、こんな市道には作れないと言ってきたのに、それを大義名分に建物が建つことになりました。
一年かかりました。中の設備も調理が出来るように、無理を言っていわゆる集会所の湯沸かしだけのレンジでなく、大きいのを入れて頂きました。出来れば電子レンジが欲しい。欲張りだと思いましたが、市には頼めないだろうから、工事をした建設会社に寄付を頼んで欲しいと市職員に相談しましたら、いくらって言われたので、お金は貰えません。現物を寄付して貰いたいと伝えました。希望通り電子レンジが届き、今も活躍しています。感謝です。
この建物が出来た暮れに、町内会の役員会で年末の食事会をみんな持ち寄りでしました。その時に今は亡き黒住先生が“山本さん、ここが出来て良かったですねえ。何時になっても帰れって言われませんね”としみじみ言われました。この言葉が忘れられません。
平成13年11月20日から現在に至って、マザースポットの活動は25年目に入りました。本当に皆様に感謝の気持ち大です。心からありがとうございます。