『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

2020年1月例会のご案内

2020年01月04日 | 月例会案内

 

阪神間道路問題ネットワーク
1月例会のご案内
 
2020年1月24日(金)13:30~15:30
西宮市立勤労会館 第6会議室(3F)
 
2月例会のご案内
2020年2月21日(金)13:30~15:30
西宮市立勤労会館 第5会議室(3F)
 
新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします▼新年早々、とんでもないニュースが入ってきました。イラクのバクダッド空港近くで、イランのソレイマニ司令官らが、米軍のドローンによるミサイル攻撃で暗殺されました。中東に詳しい専門家らは、火薬庫の導火線に米国が火をつけた、と評しています▼財政・軍事で窮地の米国の焦りか無知か? 訴追を受けているイスラエルのネタニヤフの、トランプへのそそのかしなのか? いずれにしても世界的危機が迫ったことは間違いないのでしょう▼さて、年末の例会には、S画伯・芦屋のFさん・「みち環」のH代表・「川西自然」のT代表・「北部水源池」のN代表・「中の自然」のN住職、それに私の7人の参加でした。皆さんの持ち寄りで、結構贅沢な飲食になりました。少しは持ち帰りがありましたが、食べ呑み残しはほぼなく、エコな忘年会となりました▼『みちしるべ』104秋季号は編集終了しているのですが、Hさんは出張で、印刷が遅れています。少しお待ち願います。既に、冬季号の編集にかからねばなりませんが、まだ原稿がありません。新年、気合を入れて執筆にお励み頂けるよう▼当ネットの会計年度は、1月1日が始まりになります。2019年の会計報告はまとめましたので、例会やその他の機会に、構成団体や個人にお渡しします。「みちと環境の会」から、昨年は大きなカンパを頂きました。多額の現金の保有は、歳出とのバランスを考えざるを得ません。今年度の会費につきましては、例会にてご相談させていただきたいと思っています。ご意見があれば、ご連絡を。 (F)
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『みちしるべ』**横断車道(96)**<2019. 秋季号 Vol.104>

2020年01月03日 | 横断車道

横断車道―96―

AI(artificial intelligence)「人工知能」という言葉を、よく聞くようになった。AIがプロとの囲碁戦に勝つ。AI顔認証装置を、東京五輪で導入する。AI自動運転車はテスト中だ。そしてAI兵器が実戦配備可能となっている。これらの技術は、まだ完ぺきではないといわれている。が、その内に人事採用にも適用されそうだという▼これらのAIは「特化型人工知能」と言われる。一方、「汎用人工知能」の研究も盛んに行われている。後者が進歩して完成すると、シンギュラリティ(人工知能が人間の知能を超える臨界点)を迎えることになる。スティーブン・ホーキング博士は、AIが人を支配することが可能と予言している▼この背景には、IT産業の苛烈な競争、先端軍需産業の飽くなき利益追求がある。人の理性がコントロールを失いつつあるのだ。人々は我々がやっているのではないと錯覚している。が、それを許しているのは、まぎれもない我々なのだ▼携帯電話が普及しだした頃、脳の近くで電磁波を受け、脳腫瘍の危険があると言っていたのだが。今やスマホにモテアソバレない人はわずかだ。移動通信技術は4G(第四世代)から、5Gが中国では実用化され、米国や韓国では一部実施、日本では実用化を研究中だ。既に中国では6Gの研究に取り掛かっている▼5Gは4Gの3~5倍の通信容量があり、6Gは5Gの10倍の容量である。ネット上のHPの規模は年々大きくなっており、それだけできることは多くなっている。IoT(internet of toolネット上で動かせる機器)の数と可能性が大きくなれば、それに対応する通信容量が必要なわけだ▼しかしながら、その通信に使われる周波数は、それだけ高周波になる。5Gは安全だというが、その実証はない。目下、人体実験中。6Gは全くの未知数ではある。対技術競争で露中に欧米が越されないように必死だ。日本は取り残された感がある。そんな競争心理が、理性を欠いていると懸念するのは異端だろうか?▼人々はスマホで検索し、わずか数行の回答で満足している。果たして、その数行で何が判ったのか? リベラルなHPには権力側の関与するネトウヨのバナー広告が入る。ネット上は洗脳合戦の戦場なのではある。その数行の意図するところの背景は何なのか、検証すべき事実はあるのか、判って納得しているのではあるまい▼わずか数行の回答で理解したつもり。それが落とし穴、洗脳のシステムなのだ。TVのバライティー番組で、意識を誘導され、誰が制作誘導しているのか知らない。数十年前まで、そこそこ信頼されていた紙の新聞。それしか頼れない高齢者は、もう滅亡するのを待たれている▼人の為せる業なのだが、AIが人の過当競争の中で、人を支配するようになるのは時間の問題か? ホーキング博士は正しかったのだろうか? 悩ましい時代を迎えたものだ。  (コラムX)

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『みちしるべ』**横断車道(95)**<2019. 秋季号 Vol.104>

2020年01月03日 | 横断車道

横断車道-95-

 

「民主主義」とはよく言うが、その意味は案外答えられない。ある人が「多数決だ」と言ったことがある。多数決は、民主主義を実現する、一定の場面での手段に過ぎない。「人民が主権を持ち行使すること」というのが正解である。この取り違えが、昨今、深刻になっている気がする▼受験にマークシート方式が行われたことがあった。何故そうなるかは如何でもよく、正解であればOK。採点作業からいえば、合理的ではあろう。そうした効率優先の考え方から、人々は考えなくなったように感じる▼鯖缶が健康に良いとTV放映があると、スーパーの棚から鯖缶が無くなってしまうのだ。ファミレスのメニューのカロリー・塩分表示を、やたらと気にする。何故そうなのかを知らなければ、逆効果だってあり得るのに▼凶悪犯罪の際、被害者や、その遺族に寄り添うのはもっともだ。犯罪者側の事情を分析する必要を言うと、バッシングに合う。「即刻死刑にすればいい」と叫ぶ人もいる。犯罪をなくす観点からは、非常に必要なことなのだが▼昨今の新聞は大衆迎合というか、権力忖度で、あまり評価しないが、それでも読む人が少なくなった。学術書など、流行小説に押されて、存在すら知られなくなっている▼急速に圧倒的に普及したスマホは、人々の思考方向を決定しているように感じる。TVもそうであるが、一方的・受動的である。ニュースに背景や分析はなく、結果だけが存在する。当然、大多数の人々が知ったと思い込ませられるのではある。SNSの知り合いからの情報だから、信じてよいと思うのも錯覚であろう。知り合いもSNS情報だったのではないのか?▼ここで「多数決」を思い出してもらいたい。SNSで多数になるのは、多くの人の思考結果ではない。商業ベースでは、必ず売手企業の利益計算結果でしかない。政治的背景でも、権力側と情報産業の結びつきは、大衆のSNS情報の幾何級数倍の情報量になるのは必然である▼〇か✕か、何故そうなるのかの過程を踏まず、人々は結果だけで判断する。多くの情報があるから、間違いないと思い込まされる。非常に危険だと感じている。「ネトウヨ」などと言っているが、その情報操作は誰がやっているか知る必要があろう▼ケネディー大統領暗殺は、オズワルド容疑者だという公式説明を、7割のアメリカ人は信用していないそうだ。だが、9.11の場合は、数々の不都合な事実があるにもかかわらず、殆どのアメリカ人は、イスラムテロであると信じているらしい。日本でも、田中角栄首相(当時)のロッキード事件は信じるのだが、「桜を見る会」の不都合には目をつむるのではある。情報操作の時代の差と感じるのだ▼日本や先進国と言われる国々が、「民主主義」であるのか否か? このままスマホ洗脳の事態でよいのだろうか? 考えさせられるのではある。(コラムX)

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『みちしるべ』**「都市と自転車」ひとつの新聞記事から**<2019. 秋季号 Vol.104>

2020年01月03日 | 澤山輝彦
「都市と自転車」ひとつの新聞記事から
 
澤山輝彦
 
 毎日新聞12月11日の朝刊7ページ、経済面の「経済観測」というコラム欄に「オランダの自転車事情」という記事を読んだ。こんな記事が経済欄の片隅と言っては悪いが、そんな所に出ているのはもったいない。もっと一般的な目の届く場に掲載されるべきではないかと思った。

 オランダでは1970年代の自動車の急激な増加、交通事故の多発に対し、73年の石油危機をチャンスとして、自転車中心の都市交通網の整備方針をとった。以下、記事を引用する。

現在、全土にわたる自転車専用道路のネットワークは、道路計画の中に位置づけられ、自動車が通行する道路とは分離された専用ゾーンとして整備されてきた。道路との交差点では自転車優先の場合が多く、オランダでは自転車が自動車よりも優先された交通手段となっている。学校では、自転車に慣れ親しむ教育とともに交通ルールを徹底して学ぶ。小さい頃から自転車は生活の一部であり、当然、小学生の自転車通学は当たり前だ。市街地では駐車場も少なく、自動車の乗り入れもかなり制限されていることから自転車は市民の足として定着している。自転車が優先される一方で、自転車にも厳格な道路法規が義務付けられ、無謀な運転、赤信号無視等には罰金が科せられる。日本でも最近、道路に自転車優先ゾーンが整備されて自転車交通への期待が高まっているが、車道と明確に区分されておらず、安全性が確保されていない。同時に体系的な自転車交通計画も確立されておらず、場当たりの感が強い。また子どもたちだけではなく、大人に対しても自転車の交通ルールの学習機会も少ないように感じる。オランダの事例から、都市交通の明確な戦略と、それを使いこなす自己責任の重要性がみえてくる。

 NHKに対する風当たりは強い。当然だと思うことは確かにある。だがドキュメンタリー番組などには優れたものがあるのも確かで、そんな中で私は「世界ふれあい街あるき」という番組が好きで殆ど見ている。そこで見たオランダかベルギーだったか、あのあたりの国の都市風景での自転車の量は半端ではなかった。坂の少ない地理的条件があるからできるんだ、などと言ってはならない。
 
 さて、場当たり的と断定されている日本だが、私が経験しただけでも消失する自転車レーンがあった。分離されていた所を走っていたら、いつの間にか消えてしまっていて、車道に合流しているのだった。また交通安全週間ともなれば、交通警官が学校に出張して子どもに交通ルールを教える風景は、まるで歳時記のように新聞に載る。自転車は車両だから歩道を走るなと言っても、大型トラックやバスの横を走るのは恐怖である。だから歩道部分に自転車レーンか引かれているところがある。そこを走る自転車の速いこと、そしてはみ出してくること、ここでは歩行者が恐怖をおぼえる。まさに先の引用記事の終わり部分どおりの対策が必要であろう。そのためにも冒頭にも書いたが、ジャーナリズムはあのような記事を経済欄の片隅においておくようなことを続けていてはならないと思うのだが。

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『みちしるべ』**自動車のヘッドライトと自転車のLEDライト**<2019. 秋季号 Vol.104>

2020年01月03日 | 藤井隆幸
自動車のヘッドライトと自転車のLEDライト

藤井隆幸
 
 普通乗用車と自動二輪の運転免許は持っているが、もう何年も運転していない。最近、ハイブリッド車など、マイコン制御装置がやたらと多い車が主流となった。どうすれば運転できるのか判らない。高齢者の事故が多くなった昨今、次の免許切り替えは、しないでおこう。それまでは身分証明書というところ。
 
 先頃、10年も世話になった自転車を買い替えた。チェーンが伸びて、後輪の車軸を一杯下げても、チェーンケースを擦る状態になった。チェーン交換を自転車屋さんで相談すると、ペダルのクランクのベアリングが消耗し、クランク軸がガタついている。もう買い替えですよ、と言われてしまった。
 
 自転車は仕事でも日常生活でも、非常によく使っている。年間4000kmは走行しているのではある。6000kmも走っていたころもあった。前後のタイヤは、合計10本ほど交換してもらった。車体買替の値打ちはあったのだろうとは感じている。
 
自転車に乗っていて感じる交通マナー
 
 40年ほどはマイカーを持っていて、毎日のように乗っていた。時代とともに、道路状況も変わり、誰もが自動車を運転する時代になった。交通量も多く、とんでもない運転も多くなった。
 
 あおり運転の厳罰化が検討されている。そもそも、運転適性がないのであるから、免許を与えること事態がおかしい。近年のスマホ操作中の運転で、事故が多発している。これも厳罰化が言われているが、完全に病気というしかない。
 
 自転車とて、インチキ自転車(アシスト電動車)が普及し、暴走運転が顕在化している。また、普通の自転車なら、とても前進させられないというお年寄りが、右に左に揺れながら、トボトボと走っているのも目にする。
 
 高校の下校時に、校門から出てくる大量の自転車には、閉口したことがある。歩道の完全占領というのか、しばらく停車して待たねばならなかった。また、脚力がないのに、若い子たちは立ち漕ぎで、暴走する。立ち漕ぎでは体重が限界の力である。ハンドルを引っ張る力と体重を加えた運転には、とてもかなわないのであるが。
 
自動車のライトの使い方
 
 運転マナーについて書けば、10頁でも書けそうではあるが、今回はライトの使い方にとどめておこう。
 
 朝食をとりながら、ラジオを聴いていることが多いのだが、交通安全を言っていることが多い。その中で、早めのライト点灯やハイビームの有効活用を言っている。冬季は日没が早い。法令では日没から日の出まで、運転中は車の前照灯の点灯が義務付けられている。信号待ちなどの一時停止の間も、前照灯は点灯しておくのが法律だ。日没前から点灯するのは、異議のないところではある。
 
 ところで、ハイビームの有効活用であるが、これには異議がある。法規では、対向車や前走車がないときは、ハイビームにするとなっているらしい。しかし、歩行者や自転車も、ハイビームには幻惑されて、とても危険になる。
 
 そもそも、交通事故が起こらないのは、車の運転手の注意力と、被害者となる歩行者や自転車の注意力の総合力である。個人的には、今の交通事情では、歩行者や自転車の危険回避の方が、安全に貢献していると思う。それだけ、車の交通事情が悪化していると思われる。
 
 であるならば、街中で車のハイビームが許される場合は、99.99%有り得ない。友人の多くも、ハイビームなど使うことはめったにないという。それでなくとも、車道が歩道より1m以上高くなっているところでは、対向車のロービームでも、歩道では前方が全く見えなくなる。とても危険な状態だ。
 
 警察がハイビームの有効活用を言うわけは、法規にあるようだ。ハイビームは100m先まで照射し、ロービームは40m先までしか照射しない。安全な制動距離を確保しても、その距離を視認しなければならない。が、街中では40km/hの制限であるから、制動距離としては充分なはずだ。高速道路でも、街路灯が整備されており、ハイビームの必要性はほとんどない。
 
 法規の見直しが必要になっているようだ。
 
自転車のLEDライトの事情

 無灯火自転車の多いことには問題がある。街中は結構明るいので、本人は必要性を感じていないのかもしれない。が、事故回避は運転者の努力だけではなく、むしろ周囲の努力の方が上回る。無灯火の自転車は、周囲からは極めて判りづらい。
 
 最近売られている新車の自転車は、殆どが自動点灯のLEDライトである。無灯火であるのは、古いものか中古のものだけではあろう。が、多いのには困ったものだ。
 
 ところで、LEDは低電力で明るい。発電機も当然、軽くなる。前輪軸内装の発電機は、全く抵抗がなく、ペダルへの負荷はない。また、偽物自転車(アシスト電動車)は、バッテリーで点灯するので、これまた抵抗負荷はない。
 
 それは良かったのではあるが、LEDライトの光は指向性が強く、直接眼に当たると健康を害する。それに、偽物自転車は特に強力なライトである。自動車のように照射角度に規定は無いようで、結構上向きで点灯しているものが多い。
 
 自転車は免許がいらないので、交通ルールを知らなくても、何の心配もなく使用されている。しかしながら、自転車も車両なので、交通ルールを守らなければならない。そして、自転車のライトの角度は道具も工具もなく、手で数秒の努力で調整できる。マナーとして、5m程度先の路面を照らすよう、調整してほしいものである。
 
 自転車のLEDランプでも、水平より上向きで対向してくると、とてつもなく障害になる。事故を誘発するだけでなく、他者の眼の健康を害するのであるから、これも法的処置があってもよさそうである。

 自転車愛好家としては、まだまだ書きたいことが一杯ありますが、とりあえずはこの辺で、一旦終わることにします。

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『みちしるべ』**がん告知を受けて**<2019. 秋季号 Vol.104>

2020年01月02日 | 山川泰宏
 
がん告知を受けて

2019(令和元)年8月吉日
                                       
神戸・心絆 会長 山川 泰宏
 
 2019(令和元)年5月5日、10連休なかばの早朝、寝覚め悪さに突然痰が絡み、洗面所にて喀痰を吐き出したところ、思いもかけず潜血交じり。喀血に、一瞬気が引けるほどの衝撃を受けました。掛かり付け医は休診中、連休明けまでの毎日、喀血を我慢続きの日々でした。昨今、日本国民の二人に一人が罹るといわれる「がん」。これに罹ったのかと不安になりました。
 
 齢81年の人生。70代に初期の胃がん、大腸がんの内視鏡治療の結果、何事もなく人生を送らせていただいていました。しかし、肉体の彼方此方に問題が生じ、加齢黄斑変性で左眼の視力障碍、帯状疱疹による顔面右側の神経障害が現在も継続しています。
 
 4年前に妻をすい臓がんで見送り、後期高齢者の独身生活の日々を送りながら、ボランティア活動。宮城県名取市閖上地区の震災後8年目の復興住宅で開催した、「閖上まちびらき」(主催:兵庫県社会福祉協議会)に、神戸・心絆として参加 (協賛)。主治医から旅行の許可を受け、最後のボランティア活動の締めくくりと思いながら参加させていただきました。しかし、想像以上に体力の消耗が激しく、宿舎について食事、飲酒も寄せつけずに吐血も多くなり、寝込んでしまいました。思えば無茶苦茶な行動でした。
 
 神戸から名取市まで往復28時間の観光バスの旅。吐血に悩みながらも何事もなく、神戸・心絆の会長としての役目を果たせたと信じています。
 
 5月27日、宮城県名取市から帰宅後の翌日、気管支内視鏡検査の予約。ボランティアに参加した直後に検査入院、31日に退院しました。検査入院後も数週間、各種CT・MRI検査、そしてPET検査を受け、通院再診日の6月中旬、主治医より以下の告知を受けました。

病名:非小細胞肺がん 肺腺癌 ステージⅢB(原発)
   リンパ節数ケ所転移、多臓器転移認めず

 年齢から考慮すれば、腫瘍とリンパ節の手術は体力的な問題で、以下の治療方法を決めました。

抗がん剤:TC療法 パクリタキセル・カルボプラチン併用抗がん剤
放射線照射:週5回照射 30回(30GR)
 
 2019年6月24日、抗がん剤併用投与6クール、放射線照射30回(60グレイ)にて入院治療が始まりました。5月5日に始まった吐血症状は、ようやく7月10日頃から止まり、治療効果が認められたようです。しかし、肺腺癌の影響は、今まで健常者として急ぎ足で歩行していたのが、息切れや坂道での休息行為などが起き始めています
 
 入院治療、44日間三食昼寝付きの治療入院でした。8月6日、無事生きて退院しましたが、放射線照射治療の副作用にて、退院後10日以上微熱続きの肺炎症状。ステロイド投薬でようやく肺炎症状も収まり、9月中旬の抗がん剤第二クールの治療に入ります。
 
 44日間の治療期間、抗がん剤や放射線治療の副作用で起こりうる、脱毛、食欲不振、吐き気などもなく順調に治療できました。約2ヶ月間の禁酒生活は、65㎏が60㎏に減少、昔の背広が着用できる喜びに感謝しています。
 
 人生100歳時代に入り、認知症で永らえる人生か、それとも癌でポックリ人生を終えるのか、夫々の人生があると思います。癌という病に懸かり、癌で命を失うことが決まり、一先ず、残された家族に迷惑をかけずに満足な人生を送れるのかと安堵しています。肺腺癌は50%の脳に転移するリスクがあると医学書で学びます。
 
 断捨離、4年前に見送った妻、泰子の衣類関係を古着チャリテイに送り続けています。しかし、永年共に生活した妻の遺品整理は涙と、侘しさと、望郷の念に押しつぶされる日々でした。
 
 放射線治療の副作用で生じた、肺炎症状も一先ず癒えてきたので、9月中旬に新しい抗がん剤投与の第二クールの治療が始まります。


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『みちしるべ』**韓国で思ったこと**<2019. 秋季号 Vol.104>

2020年01月02日 | 川西自然教室

韓国で思ったこと


田中 廉


 2019年11月8日より11日まで、教会(日本聖公会)の「31独立運動100年・信仰の交わりから学ぶ=韓国の旅」に参加し韓国のソウルを訪問した。今回の旅行で三つのことが強く印象に残った。一つは韓国の発展であり、もう一つは教会で見た1枚の写真、最後は西大門刑務所博物館での展示である。

 まず、韓国の発展だが、2018年の韓国の国別名目GDPは10位(日本は3位)、一人当たりGDPは3.3万ドル(日本は3.9万ドル)で28位(日本は26位)である。一人当たりGDPが3万ドルを超えると先進国と言われるので、先進国に属する。一人当たりのGDPが日本とほぼ同じということに少し驚いたが、一流企業の給与は日韓に差はないそうである。買物をしていても物価は日本と大差はないような気がした。只、食事は韓国の方が安かった。現地ガイドの人が安くておいしい店に案内してくれたこともあるのだろうが、夜は腹いっぱい食べても2000円を越えなかった。

 日韓の経済発展の過程はよく似ているように思う。韓国は朝鮮戦争、日本は第二次大戦で壊滅的な被害を受け、ともに資源の無い国だったが驚異的な発展を遂げた。韓国の経済発展の契機になったのは、1960年代中ごろからの日本からの有償・無償の援助と、ベトナム戦争参戦の代償としての米国からの援助と、ベトナム戦争特需と言われている。日本は朝鮮戦争特需で基礎を固め、その後の発展につながった。そして両国共に、色々弊害があったにせよ政府が主導権を持ち、外資の導入に慎重で民族資本を優遇した結果、世界に通用する自国資本のグロ-バル企業が育ち国の発展に寄与した。

 もう一つの教会で見た写真は、韓国聖公会のもっとも古い教会である江華聖堂(教会)の壁にかかっていた、江華聖堂の歴史を伝える写真の一枚である。それは、韓国聖公会が1897年、朝鮮王室海軍士官学校のイギリス人教官の所有する土地と官舎を購入し、布教の拠点としたときの写真で、十数人の海軍士官学校の生徒の訓練風景が映っていた。

 私は今まで、日本に遅れて開国した韓国が、近代化のためどのような努力をしてきたのか知らなかったので、「士官学校もあったのか」と認識を新たにした。帰国し調べると、1910年の日韓併合まで、西洋列強と対等な外交関係を樹立し、殖産興業と富国強兵により近代的な主権国家に生まれ変わるために、必死に努力をしていたことを知った。

 アメリカのワシントンDCをモデルに新しい都市計画を立て、首都の道路を拡張し、公園を作り、1899年には電車が開通した。これはアジアでは京都に次いで2番目で、東京より早いという。1894年には身分制度が廃止され、政府機関の顧問や、電機・鉄道・鉱山・電信などの技術者として約200名の外国人を雇用した。外交面では、アメリカ・イギリス・フランス・ドイツなどに常設外国公館を置き、万国郵便連合やジュネ-ブ条約にも加盟した。

 日露戦争勃発の直前に、中立宣言を世界に打電した。が、日本は数万の兵士を朝鮮に派兵し不法占領した。そして日露戦争に勝利した日本は、アメリカ、ヨ-ロッパ列強に朝鮮に対する権利を承認され、1905年に宮殿を兵士で囲み、調印に抵抗する大韓帝国の高宗を脅し保護条約を締結した。そして、1910年には日韓併合となり、日本の植民地となった。日本の植民地支配は、韓国にとっても悪いものではなかったという人が居る。確かに、鉄道が整備され、沢山の学校が設立され、耕地面積が増え、農業生産も増え、人口も平均寿命も延びたなどプラスの面もあり、それを評価してほしいという気持ちはわからぬではない。しかし、この意見には忘れてはならない重要なことが二つ抜けている。

 それは、日本は韓国を植民地にすることにより、韓国が自分の力で、自国を豊かにする機会を奪ったことである。当時の日本と韓国の国力を比べれば、韓国独自では、財源不足等で近代化のスピ-ドは遅かったかもしれないが、時間がかかってもそれを納得する形で成し遂げられたと思う。戦後の韓国の驚異的な発展が、それを成す底力を示している。大韓帝国時代、韓国は近代化のため歩き始めたが、その時、足払いをかけその歩みを止めたのは日本であることを忘れてはいけない。

 もう一つは、そもそも、帝国主義時代の植民地の目的は、武力を背景に他国の領土と主権を奪い、自国のための原材料、労働力、市場の確保、軍事上の安全確保などを目的に行うことであり、その目的達成のための改革だったという事である。鉄道は生産が増えた米を日本に運ぶのにも使用され、学校では徐々に日本語が強要され宮城遥拝など日本に従順な国民を作ることが重要視された。植民地主義は、それによる現地への多少の恩恵はあったにせよ、本質は現地の収奪であり、『悪いこと』であることを認識しなければいけないと思う。戦後、ほとんどの植民地が独立し、旧式の帝国主義が亡んだことが、現地の人たちにとっては耐え難いことであり『悪い』ことであったことを証明している。

 最後は西大門刑務所博物館での展示で、ハングルで辞書を作ろうとした二人の国文学者が獄死したことである。日本は植民地化以降、同化政策をとり韓国・朝鮮人の民族意識を徹底して排除しようとしてきた。それはだんだんエスカレートし、1938年には学校では日本語で授業が行われるようになった。その中で1942年に朝鮮語学会事件と呼ばれる、ハングルを学び普及させようとする民族主義者に対する大規模な弾圧が行われ、上記の国文学者が獄死することとなった。

 日本の植民地政策で一番罪深いのは、「日本化政策」で、韓国の文化・伝統を蔑み、韓国・朝鮮人の民族独立の誇りを奪ったことだと思う。其れがどれだけ韓国・朝鮮の人々に筆舌に尽くしがたい苦しみを与えたかを、日本人はもっと深く考え、敏感になる必要があると思う。


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『みちしるべ』**道路ができたら便利という意見について**<2019. 秋季号 Vol.104>

2020年01月02日 | 藤井隆幸
道路ができたら便利という意見について
 
藤井隆幸
 
 道路が近くにできるという場合、付近の住民運動は反対でまとまる。特に大型幹線道路であったり、高架高速道路である場合は、その反対運動は強力になる。住み続ける住民にとって、環境悪化は避けられないものであるからだ。

 しかしながら、環境悪化影響がない人々などから、便利になって良いのではないかという意見が、当然のごとく言われるのではある。実際のところ、ある意味で、その意見には間違いはなく、住民運動をする者からは、難儀な課題となるのではあろう。

 この問題をいかに解決するべきなのか、戦後の日本史を紐解きながら、考えてみるのも大切なことと思う。

歴史的な観点から

 日本の近代史を見るうえで、明治維新の大転換は重要な事柄である。欧米の言うままに開国してしまった結果、富国強兵が急務となってしまった。ここで明治政権が考えた交通機関は、鉄道網の整備であった。馬車交通さえ禁止していた江戸時代の遺産で、道路交通網は歩行しかできないという実態であった。
 
 結果は終戦後、日本は世界に稀な鉄道王国であった。日本各地に幹線鉄道が敷かれ、都市部には路面電車が網羅されていた。日本国中どこへでも、鉄道で誰もが行くことができた国なのではあった。
 
 ところが戦後日本は、公共事業天国という、世界でも特異な経済国家となった。第一次・第二次世界大戦で、本土が無傷であった列強はアメリカだけ。ヨーロッパと日本の復興で、アメリカ資本はぼろ儲けをしたのは知られていない。

 世界銀行を牛耳るアメリカの巨大銀行は、戦後復興にサラ金の貸し付けをし、巨額の利益を上げてきた。特に日本では、鉄道のおかげで必要なかった道路網の未整備に着目したというのが、巨大銀行の着目点であったろう。
 
 現在でも、ご近所に道路計画が持ち上がると、必ず昭和21年(1946年)の都市計画決定である。日本が施政権を取り戻したのは、昭和27年(1952年)であるから、GHQの決定であったのは言うまでもない。それも、戦前の軍国国家日本の都市計画法で決められたのではある。
 
 日本は高度経済成長の中で、対米貿易黒字を拡大してきた。アメリカは「貯蓄投資バランス論」という、今では相手にされない理論で、対日貿易赤字を抑えるためと、日本の公共事業の拡大を押し付け続けてきた。田中角栄以降、財政を左右できる政治家がいなくなり、財政の硬直化が生じた。公共事業費の7割は建設省、その4割は道路事業として固定された。詰まり、必要かどうかは別に、公共事業の28%は道路を造り続けなければならないのである。
 
道路の費用対効果
 
 国家の計画をする場合、歳入と歳出を考えなければならない。それが歴史的経緯で、固定化されているのが災いの元である。道路ができたら便利であるという理論だけだと、国土のすべてを道路と駐車場にすればよいのではある。
 
 日本の最大産業である自動車業界は、放置すればそれを実現するだろう。道路住民運動は、その程度の馬鹿さ加減に、理性を与えている必要性を尊ぶべきだ。
 
 B/C(benefit効果/cost費用)が民主党政権下で発案された。多くの高速事業がお蔵入りしたものだった。が、自民党政権に戻って、それらはゾンビのごとく蠢き出した。北海道の道路を造るのに、沖縄の交通渋滞解消の効果という、馬鹿げたことも言ったりしている。
 
 道路を造る計画段階でのコストが、完成後は10倍にもなるのは、計画段階でのB/Cを意識したものであることは間違いない。工場の一部を土地買収するときに、その地価だけを計上する。が、その工場プラントの総てを建て替えなければならなくなる。工場側と道路建設側では、内々の話はまとまっていたりする。
 
 そもそも、自動車一台当たりの、その所有者が払わない社会的費用(主に税金)は、1000万円になるという。車のオーナーが自覚しているとは思わないが。この道路ができたら便利と思う人は、その費用を100万円払ってくださいと言われたら、誰も造ってくれとは言わないはずだ。
 
 高度経済成長下で造られた道路の修復費は、道路建設費の何倍にもなっているという。が、費用がないから放置している状態である。世界では高架道路の崩落などが起こっているが、日本でも対岸の火ではないのではある。笹子トンネルの天井崩落事故は、まだ記憶に残るところだ。
 
 それでも便利になるという意見が、それほどまともとはとても思えない。

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『みちしるべ』**第45回 道路住民運動全国連絡会 交流集会アピール**<2019. 秋季号 Vol.104>

2020年01月02日 | 道路全国連
第45回 道路住民運動全国連絡会 交流集会アピール
 
道路公害に対する住民の全国運動は半世紀に及び、毎年行われてきた全国集会も45回を数えました。毎回「集会アピール」を採択してきましたが、ここに掲載します。
 
集会アピール

 第45回全国交流集会は、横浜市の神奈川県立「あーすぷらざ」で開催され、29団体、78人(延べ115人)が参加した。

 当集会の横浜開催はこれまで5回あったが、当会場では5年前の2014年10月に続き2回目となった。この間当該地区の横浜環状道路(圏央道)の進捗状況概要は次のとおりである。5年前には当局による土地収用法に基づく事業認定申請に向けた事業説明会が強行された。これに対し住民は意見書の提出、公聴会での意見陳述を行い法的範囲内で本計画の白紙撤回・抜本的見直しを拠り所に抵抗を試みたのである。抵抗も空しく翌15年10月に不本意ながら事業認定された。その後事業説明と工事説明が各工事区域で行われた。連協加盟沿線区域では都市計画決定から20年間にわたり、工事の着工を一切許すことはなかったのである。事業認定決定を契機に連協の運動方針は白紙撤回から大きく転換し、当局の事業認定に基づく具体的な工事に対し厳しく対応し住民の環境への影響や不安を取り除くべく国交省、NEXCO東日本、横浜市と質問回答会議を随時開催し意見交換の場で依頼・要求等を行ってきた。そして今も継続中である。

 こうして素案発表から30年以上を経過した現在、建設計画区域全線で工事が着工されることに。この間運動の最大の成果としては30年間高速道路を造らせることなく住環境が守れたことは住民の自負するところである。圏央道では裏高尾をはじめあきる野等々で何十年にもわたって建設阻止の運動が展開されてきたが、横浜を含め数年後に全線開通を余儀なくされることに対し今なお多くの関係者は忸怩たる思いがあるのではないだろうか。

 本集会ではこれまで全国で繰り広げられてきた「住民参加の道路事業」の中で「住民が主人公であったか、何を未来に伝えるか!」をテーマに分科会で取り上げることとした。全国で住民参加の事業を展開してきたが、その中で住民が参加したがうまくいかなかった事例、住民の参加により良かったこと等を踏まえ住民参加への提言など何を未来の運動に伝え、いかに進めていくかのヒント・助言に少しでもつながればとの思いからの企画であった。これは道路住民運動の現状の問題点を明らかにするとともに将来の方向性と展望を切り拓くことに役立つことを切に願うものである。

 近年、大規模な災害が相次いでいる。今年に入っても台風・豪雨による河川の決壊、氾濫など風水害の激甚化は、多くの犠牲者と被害を出したのは記憶に新しい。地球規模での気候変動が影響していることは否定できない。自然災害が多発する日本列島で、国民の命と財産を守ることは政治の要であり、従来の延長線上ではない、防災・減災対策の抜本的な強化が求められるところである。こうした状況のもと公共事業を、これまでのように大型開発・新規事業優先ですすめていいのかが問われている。私たちは、安全・安心の防災・減災対策、老朽化対策を公共事業の基本に据える抜本的な改革が必要だと考える。そして実現化するために全国の市民運動と連帯して国等行政に訴えていくことをここに宣言する。
 
     2019年11月24日

第45回道路全国連全国交流集会参加者一同
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謹賀新年 2020

2020年01月01日 | 日記

 

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

 元旦の昼前に、西宮浜まで散策に行ってまいりました。日頃と変わらず、ジョギングやウォーキング、犬の散歩の人々が行き交っていました。西宮浜と本土をつなぐ跳ね橋ですが、祝日の適用なのでしょうか、船など航行するはずもないのに、帰りに通行止めとなっていました。寒い中、しばし待たされました。

 さて、『みちしるべ』104秋季号ですが、年始早々に印刷にかかりたいと思います。今しばらくお待ちいただきますよう、お願い申し上げます。いつものことながら、原稿が集まらずに遅れ遅れです。季刊になりましたので、合併号というわけにも参りませず。既に冬季号の編集に取り掛からねばなりません。みなさん、原稿をよろしく。

 今年は如何なる年になりますやら。皆さんの予想をお送りいただければ幸いです。「バブルの崩壊」や「リーマンショック」で世の中が一変しましたが、それが何であったのか? いまだに世間では理解されていないようです。昨年9月にアメリカがデフォルトに陥るはずでしたが、借金の限度を撤廃して、何とか持たせています。が、トランプ政権の法秩序を無視した強引な政策をしても、歳入低下と歳出増加に歯止めはかかりません。「アメリカが風邪をひくと日本は肺炎になる」と言われますが、アメリカが肺炎になると如何なるのでしょうか? 安倍政権がどうこうと言っていますが、その程度の問題ではなさそうですが……。

 原稿はE-mailでもFAXでも郵送でも構いません。宛先が判らないブログの読者の方は、非公開のコメントで頂いても結構です。反社会的な内容でない限り、いかなる立場の投稿でもボツにならないのが慣習になっています。皆さんの投稿をお願いします。

 

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