ちゅら海⑤(辺野古からの報告)
三橋雅子
<宜野湾市長選敗れる>
1月25日、投票日の翌朝、私がどこへ電話を入れても無反応??? 一体どうしちゃったのだろう? 今日は後片付けに行かなくては? と覚悟していたけど……やがてぼちぼちと連絡が入る。どれもこれも、布団かぶってふて寝してた、と。呆れた。純情な沖縄おのこ達の意気地なし! と言いたいところだが、ヤマトおなごとて同じ心境。あーあ、と疲れがどっと出てしまった。
この選挙、翁長知事を先頭に、オール沖縄としてどうしても勝たなければならない、辺野古の先行きがかかっている選挙だった。それなのに、やられてしまった。私は選挙の手伝いは初めて。それでも、猫の手も借りたい、仕事は山ほどある……と。読谷発辺野古行バスの日も、近頃空席が目立ってきて赤字が痛々しいが辺野古は先が長い、こっちはもう限られた日数しか……と、後ろ髪引かれながら宜野湾に向かった。コンコン作戦と称する戸別訪問も、路地裏演説の旗持ちで街頭に立つのも、雨の中破れかぶれのずぶぬれのポスター貼りも……初体験のノリで何とかこなした。
それにしても相手陣営への本土中央官邸とその周辺からの、ひそやかで強力な実弾はものすごい、というのは単なる噂なのか? 否、そうではない迫力があった。何しろ相手陣営は、パリっとした揃いのシンボルカラーの紺のジャンパーで見栄えがいい。これが、ずらーっと国道のかなり長い距離を埋め尽くして勢ぞろいしているのは、敵ながら壮観だった。こちらのシンボルカラー、グリーンのジャンパーは、ほんの幹部だけのちょぼちょぼで、我々助っ人組など、自前でグリーンと思しきものを何とかまとっている位。お昼も遅くなって帰ってみると何もなかったり。コンビニ弁当は苦手だからいいものの、私は懲りて、自前でお弁当を持って行ったことも。だが通常は手作りのカレー、豚肉たっぷり、ほかほかのけんちん汁やポテトサラダ……などがつつましく並んでほほえましくも嬉しい。ほかに自家製サータアンダギーやら、おかずもろもろとか……お菓子やミカンの個人差し入れ。ここは総本部ではないけど、ほかの事務所もこんなものなのかなあ? 未経験者には分からない。が、ど忙しい最中、そんなこと訊く間もなかったが、いま終わって虚脱状態になると、そんな、しょうもないことが懐かしく思い出される。
とにかく一番の痛手は、最大の争点である「辺野古」がぼかされた、もしくは見事にかわされた事。「基地のことは国に任せよう」にはなんて馬鹿な、裁判を争っている相手だよ、国が躍起になっているのは、とにかく辺野古建設……などと言っても、もはやここでは通じない(?)もどかしさがあった。加えて現職の強み、これと言って目立つ失政がなかった、なんでわざわざ変えなきゃならない? 給食費ゼロ……等々良いことずくめの財源は? 基地の補償金ももらわずに……。かくて辺野古建設の危機は見事にうやむやのまま、カスミの彼方へ、こんなばかなこと、と地団太を踏んでもすでに遅かった。何か打つ手はなかったのか? ○○学会と思しき宗教団体の、巧みな話術には参って、いささかへこんで帰ると、そんな戦術に引っかかって、かかずらわっていてはだめだ、と叱られた。「さっさと切りあげて次に行く!」確かに。おかげで回るはずのノルマが回り切れてない。はめられたか!!
私の入った地区は相手候補のお膝元、というからとりわけ厳しかったのも当然か? 相手は徹底的に企業を落としていった、という。これには何といっても実弾の強み、やられたなあ、のため息のみ。相手の後押しは黒子黒子の暗躍で、進次郎をよこすくらいがギリギリ? さぞ躍起になって、実弾投入を陰に陽に効果的に放ったことだろう。この悔しさと教訓を県議選と参院選へ、のエネルギーにするしか? ああ、どっち向いても 厳しいなあ!
加えて「翁長知事の埋め立て承認取り消しに対して国が県を訴えた代執行訴訟」の判決は「和解案」だと。何これ? 責任逃れの逃げ、に見えるけど。早速(この結果のせいかどうか?)安倍内閣の支持率が上がり、辺野古への移設賛成が半数を上回った、と。あな恐ろしや!
<ゲート前にブロックを積む>
ここはいち早くショックから立ち直り、新しい戦術に燃えている。昨秋から毎週水曜早朝のゲート前は、議員団も含む500人ほどが結集して、ゲートに入るトラックを阻むことに成功している。この実績に加えて、もう1日「阻む日」を加えようと。300人ほどは集まるが、これでは機動隊に排除され、作業車に入られてしまう。だが7時前のゲート前動員はなかなか辛い。
しかし、ここは選挙の敗北から何としても立ち直らなければ…の、むしろ勇み足の風が舞っている。すでに始まっていたブロック積み上げ作戦が加速、ゲート前に並び立つ県警たちの前に積み上げる。その前に座り込み。しかしこれも比較的簡単に排除されてしまった。このブロック作戦には反対の意見もある。あくまで我々人間自らの力だけで阻みたい。頼るのは我々自身だけ、と。だがブロックは、何といってもかなり強力な助っ人だ。このブロックも「威力業務妨害容疑」とかで1400個が押収された。
ザーッと寄ってくる機動隊員が人間を連れ去るのは、一人に3人がかりであっさりと「人間の檻」の中に入れられてしまう。とは言え、この、体重30キロ台の80歳を移動させるのにも3人の手はかけさせる。両脇の男性にしっかりしがみつき、片方をもぎ離されると、もう片方の男性に、渾身の力でしがみつく。これまで、こんなに必死で男性にしがみついたことはあるだろうか? と苦笑しながら。無常にももぎ離されると、今度は「おばあちゃん立って歩いて」と言うけど私は歩かない。二人、時には三人で引きずったり、手足を持ったり……、「初夜のベッドへは一人で颯爽と運ぶのよ」と今度若いお兄ちゃんに言ってやろうか? 「執行妨害にはならないはず」の悪態つきで辛うじて、やるかたない憤懣を収める。抵抗らしい抵抗はしなくても、はずみで相手のどことかに歯が当たって傷つけた、とかのかどで名護署に連れて行かれてお泊りの人も。しかし、こういう事態は極力無くそうと。仲間が勇気づけや後始末に駆けつけるのに手を取られたくないから。しかし無駄な抵抗はするつもりなくても、成り行きで「検挙」の事態になることもあるのだ。無駄な抵抗で、あられもない格好で引きずられて行くことにはプライドが許されないのか、機動隊員の手を振り払って、自らの足で「人間の檻」に向かう御仁もいる。気持ち、よく分かる。私も「毅然としたおばあ」になろうか? と迷うことも。
今や、こうして前に座る人間たちが片付けられた後、次はブロックの上に座り込んだ人間たちを引きずり下ろし、次に、積み重ねられた、手足のついていないブロックを一つ一つ排除するまでには、かなりの時間稼ぎになる。明らかに効果はあるのだ。それでもやがては、すべてが排除され、トラックはゲートを入る。
しかし何といっても朝一番と午前中を阻むことが勝負。昼からの仕事では効率が悪いし、一体3時からのゲート入りなんかで業者の日当は? 半日とか、夕方○時間なんて計算もあり? なんて全くおせっかいな相手の都合などを忖度するのも、いくらかの発散になる。「ブロックの追加が来たぞー」の掛け声に、休憩中の重い腰を持ち上げて、ブロックのリレー運搬。本土から、ブロックの送料、と称して5000円のカンパがあったとも。
結局午前中は一台も入らなかった、大成功! の喜びに、昼をぬかるな、の注意にも拘らずゲートは簡単に1台入られてしまった。ここで感心するのは、「だから、ぬかるな、と言ったじゃないか!」のごとき怒声が聞こえないことだ。「しまったな」くらいで、誰をも咎めたりはしない。もっとも注意を喚起した本人も、それを実行にまで果たせなかった責任もあるのだし。
<あの手この手と縁の下の力持ち>
あられもない格好で引きずり出され、見苦しく運ばれるのは嫌だという者も、それなりの役割はいくらでも。座り込みの隊列から離れ、機材を積載して待つトラックの周囲をウロチョロしているだけでも十分役に立つ。彼らには目障りで、いざゲートが開いてスワ、と侵入する時にいち早く排除しなければならない対象だから、陰に陽に嫌がらせをやって、一人でも二人でも大の機動隊員をひきつけておく。かくて間接的に「排除の手」を減らせる役割もある。それぞれ分に応じた「すること」はいくらでもあるのだ。
更に、欠かせない、見えない縁の下の力持ちはいろいろ。参加増の嬉しい悲鳴は駐車場の確保と、遠い現場までの送迎の人手。また、ひっきりなしに「トイレ車あと二人」などのプラカードが行き来して「トイレ行き」の運搬車に誘導、このピストン運搬による「トイレ確保」は、年寄りの参加には必須。機動隊と取っ組み合いさながらの攻防の最中でも、このトイレプラカードは忠実に、往復して休むことがない。確かに、機動隊に揉まれている最中こそ何時になく、もよおしてしまうかも……。
さらに現場では見えないが、資材を運ぶトラックの動向を、あちこちの通過地点で、今○○積んだトラックが通過……とか観測、通知してくる孤独な人材達も。時には、複数人で少しでも通過地点での抵抗をして、遅らせもしているらしい。
500人の早朝動員があれば、資材搬入車、作業車の阻止は可能だが、これがなかなか難しい。今のところ、議員も出動する「総動員」の水曜日だけが阻止を成功させている。だから私も水曜はいかない。あちらも余計なエネロスは避けるのか、水曜日は来なくなった。この日は止めたのだ!! 週1回といえども。次は木曜日を止める!
かくて、読谷勢もようやく次のステップに。
<早朝参加への組織づくり>
これまで行ける者がうまく起きられたら、とにかく一人で突っ走る。足のない私が拾ってもらうくらいのものだった。しかし高速代まで一人、二人では勿体ない。そこでようやく、行ける者が集合地点に赴き、行ける人を効率的に乗せて一人でも多く現場に、という体制づくりに何とかこぎつけた。帰りの足もいろいろの時間帯に。行ったら最後夕方まで帰れない、という「活動家」と常に一緒では足も鈍る。永い抵抗に向けて、息の長い体制を組まなくてはならない。ここでは、いつも「戦いはここから」なのだ。これが軌道に乗って人数が増えれば、早朝バスも出せる。隣町嘉手納も巻き込んで一緒に、とか。木曜日も「完全に止める日」も近か近かのはず。
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今私は、サラサーテのチゴイネルワイゼンを聴きながらこれを打っている。演奏者は古沢巖。別に誰でもいいのだ。昔はハイフェッツだの、シゲティだの誰でなくちゃ、とか気取ったものだが、そんなことより、ジプシーの、荒々しくも哀愁に満ちた、泣くような弦の躍動が聴ければ、もう簡単に私の涙腺は全開……。この曲に、特別の思い出があるわけではないが、何故か昔から、心が深く揺れるような時、この曲を選んで聴いたような気がする。私の「いまわの際」にはこれをかけてもらおう、と前から決めているが、そろそろちゃんと頼んでおかないと……。しかし、こんなのかけたら、せっかくの静かな最後の息……が、また吹き返してしまうのでは? との懸念も。最終の幕のとじ方は、なかなか難しいらしい、と思うこの頃である。だが、そんなことに心煩わすことこそ、余計なエネロス。眼の前の私のノルマをこなすのみ。何故かチゴイネルワイゼンは辛さ、悲しさを愛撫しつつ、いつも私を奮い立たせてくれる。