『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』横断車道(70)**<2013.7. Vol.79>

2013年07月22日 | 横断車道

「ナンチャラの会」とかいう政党、東の老害と西のハシストが、言うことは全く違うのに一緒になった。ともかく明治維新の名を汚しているので、そのことについて一言▼学校では黒船の来航で、明治維新が起ったような錯覚を植え付けられている。当時の日本は、何百万人の兵を擁する世界で有数の軍事大国であった。黒船なんぞは、高々、数百人しか乗組めない。何十隻で押寄せようが、数千の兵でしかない。上陸作戦では、敵の10倍の兵力が必要なのは常識。とても上陸敢行は出来なかった。もし、上陸したとしても、一夜にして殲滅されるのは当たり前。多勢に無勢なのだ。但し、江戸城への砲撃は可能であったらしく、本丸を傷つけられるのは、幕府にとっての威信に係ることではあっただろう▼幕末の体制は汚職と腐敗で、政治体制としては末期的であった。商人の台頭で、資本主義と封建武家社会の合成が悪くなっていた。親藩・譜代・外様の大名の中でも、親藩からも反発を食らう始末。異常気象の飢饉に際しては、財政的措置が思うに任せない、政治の停滞が起こっていた。尊王派であれ、佐幕派であれ、変化を渇望していたに違いない▼しかし、長く続いた徳川政権が、根本的に変化することなど、大方の庶民は考えもつかなかったであろう。その辺りが、戦後長く続いた政権に、不満があるが変わらないと信じている今日に共通する▼当時の若者を中心とする知識層は、革命的変化の計画を立てただろう。坂本竜馬を天まで持ち上げたのは、司馬遼太郎だとされる。が、そのような人物が多く輩出されただろうことは推測がつく。そこに付け込んだのが、欧米列強である。尊王と佐幕、それぞれに列強も争って付け入った。その思惑の入り乱れの結果は、幕府が天皇に政権を返すという結末となった。庶民にしてみれば、公方(将軍)は知っていても、天皇なんて知る由もない。冷や飯を食わされていた皇族が、棚ボタで権力を手中にした▼それは庶民にとって革命ではなく、単なる政権交代のクーデターでしかなかった。維新の志士達の多くは命を落とし、運よく生き残った者たちが公家などと、とりあえずの政権を立ち上げた。鎖国を解いて、欧米の進んだ技術を取り入れたことにより、文明の急速な進展のために、生活様式の革命は起こったのかもしれない。それは今日のスマホなどの通信革命のようなもの▼しかしながら、当時の若者は、言葉も解らないのに欧米へ留学し、短期にその技術文化を取り入れた。その優秀さは、欧米が驚嘆したに違いない。日露戦争に勝つなど、世界で誰も信じてはいなかった。中国(当時は清)が半ば植民地となったのに比べれば、列強の干渉の中で、日本の発展は目覚ましかった▼そのことを思い起こすと、閉塞感タップリの現在の日本。何するものぞと言うところだろう。立て若者たち、大志を抱け! (コラムX)

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『みちしるべ』踏切(斑猫独語 56)**<2013.7. Vol.79>

2013年07月22日 | 斑猫独語

踏切(斑猫独語 56)

澤山輝彦

 新橋、横浜間に鉄道営業が始まったのは1872年で、以後、鉄道は国策としてどんどん延びて行った。道路なんてたいして問題にならなかった時代なのだ。(この1872年を「いやな兄さん汽車しらぬ」こんな語呂合わせで覚えると受験雑誌に載っていて、まんまとのっかった私は覚えてしまったのであります。もっと大事なことはちっとも覚えなかったのに……。)やがて、歴史的な時間で考えればほんの最近のことなのだが、自動車と道路の普及、発達によって鉄道は落日の悲哀を味合うことになる。と言っても大都市圏における鉄道事情は少々異なることと、鉄道の持ち味を生かして人々を鉄道へ回帰させる手もうたれていることがあることはあるのだが。

 自動車と道路によってどんどん存在感を薄くして行った鉄道だが、鉄道と道路が地上で出会い、交差する場合には未だもって鉄道が堂々とまず走り抜ける、踏切である。道路はそこ踏切を横切ることになり、列車接近時には自動車はもちろん人も列車の通過まで止って待たねばならない。こんな踏切も都市や近郊では事故防止や渋滞解消とかで、どんどん高架化が進みその数は減少傾向にある。このことはスピードアップ、安全、渋滞解消と、鉄道、道路両者に悪いことではない。ただ私など、踏切に情緒ありと感ずる者にとっては、そこは人の叙情的精神涵養の場の一つだとするので、その減少は寂しいことになるのだ。

 私が今よく利用している能勢電鉄、阪急電車、JR福知山線の内、踏切を見ることが出来るのは、能勢電鉄では畦野⇔川西能勢口間、JR福知山線では尼崎⇔川西池田間であり、そこで踏切の数を数えると、前者20カ所、後者16カ所であった。そのうちこれらを渡らねばならないと思うとささやかながらうきうきするのだ。(阪急はまだ数えてない)

 今、見たい踏切は南紀へ向かう特急くろしお、関空特急はるか、コンテナ貨物が通過する、大阪駅西側にある踏切だ。カンビール又はお酒、ワインでもかまわない。つまみ、何がいいかな(?)、これを少々持って何本か列車の通過を見る、まさに酔狂な事である。

 カンカンカンカンと警報音がなり、赤ランプが点滅する。人手あるいは自動的に遮断機が下りる。待つことしばし、すぐそばを列車は通過しその風圧を感じる。踏切はそれが出来る公許の場なのだ。四季により、天候によって雰囲気も変わる。大人に抱かれたり、手をひいてもらった子供はいつまでもそこを離れず列車に見入る。こんな場が減ることは寂しいことではないか。私は車を持たないということもあるかもしれないが、車と道路との関係が人の情緒をたかぶらせるという場に出会ったことがない。インターチェンジなんて人をよせつけないし、道の駅なんてただの商業施設ではないか。

 踏切はいいぞ。踏切を楽しもうではないか、老人の繰り言かなあ。全日本踏切快楽倶楽部の立ち上げを宣言しようか。(言うだけです)

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『みちしるべ』フランスの階の数え方**<2013.7. Vol.79>

2013年07月22日 | パリ&東京&沖縄より

フランスの階の数え方
「みちしるべ」78号(2013年5月)の訂正

Yamamba.Mako.

 前号「パリの挨拶①」の冒頭「パリのアパート22階」のあと「(日本式21階)」とあるのは(日本式23階)の間違いです。どうして間違ってしまったのか、毎回の「訂正や」になってしまって面目ない限り、お詫びします。序に階数の数え方について、いろいろ厄介な問題があるので付け加えたいと思います。

 アメリカでは日本と同じく地面に面しているところから、一階、二階と数えていくので問題ないのですが、イギリスと欧州各国は日本の一階は地上階 = ZEROに相当、日本の二階からが1st floor=一階、二階……と数えるので、その後の二階、三階は日本とアメリカの三階、四階…と一階ずつずれていくという具合です。どうしてこんな厄介なことになっているのでしょう。

 矢島翠の『ヴェネチア暮らし』の中で、夫の加藤周一とここでしばらく落ち着くことになった住居のことが書いてありますが、この水の都では、少し川が増水すると地面に面した部分(日本の一階)はたちまち水浸しになるので到底居住空間にはならない、といいます。カートとか自転車などを置くスペースらしい。それで、なるほど二階以上からが居住部分として一階、二階というのだな、と納得しました。

 それでは水の心配のない他のヨーロッパはどうなのでしょう?私見ですが、おそらくヨーロッパのかつての「汚い道路事情」から見て、とてもそこから地続きの一階部分は居住には適さなかったのでは?と思われます。フランス革命以前の華やかな宮廷生活といえども、「ヴェルサイユ宮殿にはトイレがなかった」という。トイレを使えるのは王族以外はごく一部の高官だけで、他の下々の者は、一応「おまる」もあったが、とうてい足りる数ではなく、みなそこらに建物の片隅や庭先に平然と「垂れ流し?」だからいたる所悪臭だらけ、よって香水の発達を促したという説も。ヴェルサイユはある意味「糞まみれ」の宮殿でもあったとは、何だか興ざめですが。

 サー・ウォルター・ローリーがエリザベス1世お通りの足許にサーッと自分の真っ赤なケープを脱いで敷いた、という話を、私は若気の至りで、白馬に乗ってくる王子様より憧れて、ポーッとなって読んだものですが、何のことはない、イギリスとて似た様な、悪臭ふんぷんのビチャビチャ道だったに違いなく、見兼ねた彼の咄嗟の処置だったらしい、と知って興褪めしたり。ハイヒールとは、もともと紳士がこのバッチイ道を歩くために考案されたものとか。(私がチビのくせにハイヒールを履かないのはそのせいではないけど)

 フランス語で「ガルディ・ルー Gardy loo!」というのは「ガルデ・ア・ロー Gardez a l'eau」(水に気をつけろ)のことで、こう叫んで公道に汚水と汚物を直接ぶちまけていた、するとその窓の下を通るものは慌てて逃げてかからないようにしたといいます。

 そんな道路事情から、当然道路に面した階は居住部分にならず、次の階から数えるようになったのでは?と思うのですが。(今のところそれに関した情報は私には見つかりません。)

 そして後進国(ゆえに道路が始めからきれいだった)アメリカと高層建物のなかった日本で、道路に面した所から「一階……」と数えるようになったのではないかと思われます。

 今のパリの町は、堂々一階はしゃれたカフェやファッションの店に華やいでいますが、居住部分は恐らく二階より上のようです。

 

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『みちしるべ』東日本被災地住民への心の支援**<2013.7. Vol.79>

2013年07月22日 | 山川泰宏

東日本被災地住民への心の支援

神戸・市民交流会                  
   事務局長 山川 泰宏

 東日本大震災から3年目のお盆を迎える準備で、宮城県名取市愛島(めでしま)東部住宅団地の自治会長 遠藤一雄氏・ナガヌマ住設代表 長沼俊幸氏などから、ひょうごボランタリープラザの高橋所長代理を通じて被災者住民のお盆行事に、神戸・市民交流会としての協力要請が3月末に届けられました。

 8月14日の亡き人を送る供養である、盆の行事に竹灯篭で東部団地の人々の心の癒しに協力願いたいとの要請でした。

 ひょうごボランタリープラザは、8月13日~15日ボラバスを仕立てて支援に向かう予定なので、神戸・市民交流会の支援協力をして欲しいとの話でした。1月17日「1.17のつどい」で使用した竹灯篭と、不足分を兵庫県上郡町社会福祉協議会に協力願い、竹灯篭約200本で追悼行事に参加することにしました。神戸・市民交流会から4名の参加で計画中です。

計画中の訪問支援バス行程は以下の予定です(詳細は8月7日ごろ発表)。

  • 8月10日
    東遊園地希望の灯り(分灯)<報道関係者の取材予定>
  • 8月13日
    神戸クリスタルタワー出発式・募集ボランテア(観光バス1台)

    摩耶埠頭公園 神戸・市民交流会事務所 竹灯篭及びローソク積み込み
    宮城県名取市愛島東部団地に向け出発(夜行バス)<報道関係者の取材予定>
  • 8月14日
    宮城県名取市愛島団地でお盆の送り火<現地報道関係者の取材予定>

    竹灯篭(1.17 祈・3.11 竹文字作成)
    竹灯篭に津波犠牲者の御尊名そして戒名 177名
    灯りを灯し亡き人を偲び皆様にローソクで送り火を捧げます。
  • 8月14日 21:00~
    宿泊
  • 8月15日 (午前)
    一路、神戸に向けて帰郷します。

 今回の追悼竹灯篭に、津波犠牲者のお名前を書かせていただき、お盆行事の追悼供養をしたいと、愛島仮設団地の自治会長 遠藤一雄さんへ申しいれしておりました。

 ひょうごボランタリープラザに、先般、自治会長さんから承諾と資料を頂き、7月16日、摩耶埠頭公園内の神戸・市民交流会事務所で、第一陣の書き込みをさせて頂きました。

 犠牲者のお名前の中には、中学1年生―4名・中学2年生―7名・中学3年生―3名の14名の将来のある子供の名前が。書かせて頂いているうち、目頭が熱くなり、涙がこぼれ、自然災害での無念の死を思いやりました。

 人の死は悲しいです。特に、中学生や大学生の志や将来の夢を儚くも、露と消えた時、両親の悲しみは如何ばかりかと思います。幼稚園児や小学生は愛島の関係者に居なかったと聞いています。少子高齢化の事実が津波被害の犠牲者にも及んでいること、参議院選挙も終盤、福島原発の避難民のことを真摯に考えてくれる候補者の少なさに唖然とします。原発で汚れた国土や海岸、そして海の汚染等に何故、真摯に考えない政府に国民が審判を下すべきです。政治が国民の為の政治であることを強く要望したいと思います。

 この作業を聞きつけた、産経新聞の有年記者が取材して下さり、報道していただけると聞いています。

 尚、不足分の竹灯篭の提供に、兵庫県上郡町社会福祉協議会の竹内職員の尽力により、シルバーの皆さまの協力で、109本の竹灯篭が調達できたことを報告させていただきます。

2013年7月25日

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『みちしるべ』東日本被災地を訪ねて**<2013.7. Vol.79>

2013年07月22日 | 山川泰宏

東日本被災地を訪ねて

甲陽線地下化を考える市民ネットワーク
  事務局 山川 泰宏(西宮市在住)

 2013年3月9日から11日にかけて、東日本大震災で被災を受けた、宮城県名取市閖上地域を訪問しました。ひょうごボランタリープラザの東日本被災地支援ボラバスで、募集支援者とともに40名は、大型観光バス3台で3月10日、津波被害の犠牲者の追悼行事に参加しました。「1.17のつどい」で使用した竹灯篭と“神戸の希望の灯り”を灯す(分灯)追悼式を行いました。

訪問行程の概略

  • 3月7日(水)13:00~
    東遊園地「希望の灯り」分灯式(新聞記事掲載及びテレビ報道)
  • 3月9日(金)17:00~
    神戸駅クリスタルタワー集合・出発式
  • 18:00~
    摩耶埠頭公園 竹灯篭積み込み
    (1.17のつどいで使用した竹灯篭を再加工転用=新聞掲載)
  • 3月10日(土)08:00~
    宮城県名取市閖上到着・準備作業

    参加したボランテアの多くの方々と竹灯篭、絵燈籠並べ作業に参加したが、折からの強風で中止。
  • 15:46~ 
    トランペットの奏鳴にて犠牲者を悼み、黙祷をしました。
  • ~18:00
    追悼行事 終了(後片付けをして仙台市内へ)
  • 21:00~ 
    宿泊舎で入浴、睡眠(バス泊りの疲労回復)
  • 3月11日(日)10:00~ 
    宿泊地を出発 仙台市若林区 慈母観音像開眼式 前黙祷
  • 12:00~ 
    宮城区青葉区勾当台公園 追悼行事参加

    仙台市の追悼行事参加 竹灯篭で描く1.17~3.11の竹文字
  • 21:00~ 
    神戸に帰路の為出発

宮城県名取市閖上にて

 地震発生後、大津波は15:46に閖上の地を襲い、貞山堀で防護されているので安心していたと多くの市民は口々に言います。

 しかし、想定を超えた津波は瞬時に人々の命を奪ったとのことです。近くの幼稚園の園長は次のように答えています。園児の避難の為、定期的に避難路の確認と訓練は欠かさなかったことがみな無事に避難できたと答えています。常日頃の心構えの大切さと実践を語っていました。

 追悼式は日和山から閖上中学校までの数百メートルを、逃れようとして犠牲になった被害者の魂を、県外各地から提供された絵燈籠で作られた光の回路で灯しました。

 東北大学に在学中の吹奏楽部の女子部員が、大切にしていたトランペットを背負ったまま、数日後ご遺体で発見され、アルバイトで求めた楽器が遺体の背中に括り付けられていたと実行委員長は涙声で語ります。その逃げられなかった無念の魂に6名の学友が送る、トランペットの奏鳴で黙祷が行われました。

 閖上での津波被災者の死者は1027名(行方不明者119名)と伝えられています。いまだ遺体の見つからない遺族の悲しみに応えるすべさえありませんでした。

 神戸から被災地に届けられるのは竹灯篭の灯りによる、残された遺族への追悼の想いでした。集まった市民の皆さまは、ローソクの灯りに手を合わせ、涙を浮かべて灯を見つめる姿に、心の悲しみを少しでも癒すことが出来たのかと思ました。そして、参加して良かったと、我々の胸の奥底も熱くなったと、参加者は異口同音でした。

 被害を大きくした要因に、車で逃げようとした五差路の交通渋滞が、大きく影響したと伝えられています。

 再び、訪問した閖上は2012年3月に訪問した時のまま、時間が止まったように復興の槌音さえ聞こえない被災地の現状でした。

合掌   

2013年7月吉日

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『みちしるべ』道路と原発が止まらない共通の理由**<2013.7. Vol.79>

2013年07月22日 | 藤井隆幸

道路と原発が止まらない共通の理由

藤井隆幸

原発の世界三大メーカー

 トルコに原発が輸出されようとしている。トルコ国民はデモ・集会で抗議をするが、政府は実力行使の弾圧を繰り返している。インドでも同じ構図である。このトルコへの原発輸出は、フランスのアレバ社と三菱重工の企業体である。

 世界の三大原発メーカーは、フランスのアレバ社、アメリカのゼネラルエレクトリック社(エジソンが設立・GE)、それにアメリカのウエスティングハウス社であった。今日では、アレバ社と三菱重工の提携グループ。GEの原子力部門は日立が買収している。そして、ウエスティングハウス社は、廻り回って東芝が買い取っている。

 世界の原発メーカーの殆どを、日本企業が手掛けているというのが実態である。

世界で使用される原発の実際

 ドイツが原発から撤退をする計画であるのは、ご存知の通りである。そのことにより、自然エルネギー産業の活性化で、雇用が伸びて失業率が下がっている。それに、自然エネルギーを地域活性化策としていて、過疎化対策にもなっている。

 反面、発展途上国に原発が広がろうとしているが、産業の活性化と言うより、特に日本のODA(政府開発援助)などの金目当てと言う側面が強い。日本の巨大産業からは、政界に莫大な賄賂が期待できる。

 ところで、世界には430基ほどの民生用原発がある。アメリカ、日本、フランス、ロシア、それに中国、などが原発大国。だが、それだけでは片手落ちであろう。

 世界には軍事利用の原発がある。宇宙衛星など例外を省いても、原子力艦船に150基ほどはあると考えられる。もともと、原発は軍事利用から始まったものである。主なものは原子力潜水艦と、原子力空母である。

 今のところ、原子力艦船を保有するのは、アメリカ・フランス・イギリス・ロシア・中国に限られている。

軍事技術としての原発の威力

 原子力潜水艦は、一度潜航すると2ヶ月程浮上はしない。どこに潜航しているのか判らないのがメリットだ。衛星では察知できない。通常型潜水艦は、ディーゼルエンジンであるが、潜航中はバッテリーの電気が動力となるので、長時間の潜航継続は無理だ。したがって、簡単に位置を特定されてしまう。

 この神出鬼没の原潜に対し日本は、P3C(対潜哨戒機)が24時間365日、複数機で日本領海周辺を警戒している。電子ソナー(ブイ)を一定間隔で落とし、海中の音を拾うのである。複数のブイからの音波受信で、潜水艦の位置と国籍を特定するのである。捕捉すると領海は当然ながら、近海を出るまでは追尾するが、技術水準向上の静穏性で、ロシア・中国原潜の捕捉も難しくなっているという。

 このような原子力潜水艦であるが、戦略ミサイル潜水艦では中距離弾道ミサイルが搭載されている。米海軍の場合、16基の中距離弾道ミサイルを搭載していたが、弾道ミサイルの1つのサイロに、10基ほどのトマホーク(巡航ミサイル)を装備するように変化している。

 このトマホークは核弾頭を搭載した場合、4000kmを飛んで標的を1mも外さないという代物。通常火薬では重くなるが、それでも2000kmも飛ぶ能力がある。100本以上装備の巡航ミサイルの内、核弾頭が何発であるかは秘密ということだ。

 また、航空母艦の場合、全長数百メートルの巨艦の燃料は著しい。空母機動艦隊の燃料補給は、常に補給艦が各地で調達を必要とする。ところが、最新の原子力空母の場合、2基の原発を搭載し、建造時に核燃料を挿入すると、廃艦まで燃料棒の更新が不要といわれている。戦力の兵站、特に巨艦の燃料補給は重要になっている。原子炉は大変有利に働く。

 さて、これらの軍事利用の原子力艦の心臓部、原子炉の技術は日進月歩である。と言うより、原子炉技術はまだまだ未完成と言った方が正確だろう。この技術競争は、最先端の軍事競争と言うべきなのである。

 常に新たな原発を製造し、新たな技術開発をしなければ遅れる。福島第一原発事故で、日本国内で新設が大変困難になった。地元への賄賂攻勢で造ってきた過去の手法では、もはや地元を説得などできない。そこで考え付くのが、発展途上国への輸出である。安倍内閣が輸出に焦っているのは、米軍からの圧力が働いているのは確実であろう。新たな原発技術開発は、軍事競争の中では欠くことができないのだ。

 チェルノブイリ原発事故は、夜間の電力消費が少なくなる時間帯に、原発の稼働率を下げることができないか、それを実験している最中に起った。この忌まわしい事故のために、原発の出力調整はしないのが一般的だ。

 ところがである。米軍の原子力艦船が日本に停泊する際は、原子炉に制御棒を挿入し、原子炉の稼働を停止する。原子力艦船の停泊中は、地上から送電していたのであった。が、米軍基地の電力消費が減っていることから、停泊中も原子炉がある程度稼働していることが疑われている。チェルノブイリ事故の軽視か、原発の発電量調節と言う欠陥を、既に克服しているのか。このように、常に原発は軍事革新の中心にあり、その技術を米軍は日本企業に依存しているのである。

安倍内閣の国土強靭化計画

 話は変わって、日本の道路事情の問題である。東日本大震災を逆手にとって、安部内閣は「国土強靭化計画」なるモノを打ち出した。表向きは、震災に強い国土づくりということだが。復興資金が、沖縄の高速道路に使われるのが現実であろう。

 そもそも、天災に人間の造るハード面で対応できると考えること自体、浅知恵と言う他はない。例えば、東海・東南海・南海地震でも、超高層ビルは倒壊しないと豪語する。が、大きく振られる高層階で、人が生き残れると思う方が非常識だろう。万が一にも倒壊しなかったとしよう。二度と使用できず、解体しなければならないのは、ゼネコンも認めるところ。その費用たるや、想定には入っていないのが現実だ。

 ともかく、コンクリートと鉄で地震を防ごうということは、神に唾するに等しいといわねばならない。減災であるとか、天災に対応しやすい国土づくりなどという常識と、反対ばかりを主張する安倍内閣は、頭が狂っているとしか言いようがない。

 さて、日本の予算配分は、田中角栄以降、硬直化から抜け出せない。あの小泉内閣ですら、シーリング枠内であった。要は政財官を掌握する首相がいなくなったのだ。「オラが省庁に予算を」といった要求で、政府内の調整が困難なのだ。首相の指導力で、必要なところに必要な予算配分をするのが政治である。ところが、既得権益を主張する政財界の掴み合いの喧嘩を、取りまとめられない、世界でも珍しい現実がある。

 結果、公共事業の7割は建設省(現、国土交通省の一部)、その内の4割は道路事業と、大平内閣以降、変わらぬシーリングで推移。公共事業の28%は道路事業と決まっているのである。このために、世界の道路事業費で、日本は毎年ダントツの一位を占めるという、まことに不名誉な実態がある。

 「国土強靭化計画」を打ち出す安倍内閣では、10年間に200兆円の公共事業をという訳だ。10年間に56兆円の道路事業を行わなければならないのだ。眠っていた道路計画が、ドラキュラの如く、目を覚ますのである。

日本の経済活性化の特効薬

 単純に考えて、日本経済の失速は、実態経済の縮小であることは言うまでもない。正社員が激減する一方、非正規雇用が横行する。給与所得者や自営業者に、それぞれ差はあるにしても、所得が急激に縮小している。しかし、労働密度や時間は、70年代には考えられないほど多くなっている。この労働の価値は、一体どこに消えてしまったのか?

 一例をあげると、企業再編が急速に頻繁になっている。吸収合併や乗っ取りである。この際に、庶民には理解できないのだが、膨大な株式の売買があるのだ。株式市場を通さないものが多く、実態は不明だ。この間、数ヶ月で、マネーゲーマーは何十億、何百億円も稼ぐのである。

 いったい、その金は誰が支払うのか? 乗っ取った企業が払うということになるのだが、そこの従業員が、その分をただ働きしなければ、どこからも出ては来ない。マネーゲーム(架空経済)が儲ける分、誰かがタダ働きし、実態経済が縮小する。日本経済拡大分は、殆どがマネーゲームと言う、コンピュータの中の信号に消えてゆくのだ。したがって、実態経済は急速に衰退する。

 日本の株式市場の取引の7割が外国人投資家と言われている。これはアメリカの巨大銀行の手下のマネーゲーマーと、アメリカを中心とする保険業(機関投資家群)なのである。安倍ノミクスで上昇した株価はマネーゲーマーの仕業だが、既に叩き売られだしているだろう。その下落を支えるのは、日本の企業たちである。自社株が下がれば、四半期の決算が悪くなり、又株価が下がる。だから買支えるしかない。その損失は、経費の最大割合を占める、人件費の削減で穴埋めしなければならない。そして、コンピュータの中に取り込まれた、日本人の労働の価値は、アメリカに転送されてしまう。

 こうして、日本の実態経済が疲弊した中で、カンフル剤になるのは、もはや公共事業しかないのである。この公共事業は、税収を上げることが前提であるが、国民所得が減少する中で、異端な税金を盗るしかない。お金を動かすところに税金をかける、つまり消費税の増税である。これは経済の破綻に突き進むことに他ならないのであるが。

アメリカ支配層と日本のリーダーの思惑

 安倍内閣は、何を目指しているのだろうか? こうして見ると、田中角栄や鈴木宗男、それに小沢一郎などの大物政治家を除いて、概ねアメリカ支配層のご意向に従う日本のリーダーばかりだ。安倍晋三は岸信介の孫である。ご存知の通り、岸信介は「昭和の妖怪」と称された人物。60年安保改定の立役者であった。アメリカの日本支配構造の構築者の孫が、アメリカ支配層の傀儡であるということは、別に不思議なことではない。

 今日の地球規模の政治経済で、もはやアメリカの地位は崩れかけている。昨年末の「財政の崖」は克服できる目途の無いまま推移している。GDPは2016年にも、中国に抜かれる情勢だ。産業の7割を第三次産業で占めるという、国としての基礎構造をもたない。モノを作らない国で、輸入に頼らねばならないのだ。

 このアメリカの支配層のなかにも、方向転換を求めている者もいるだろうが、当面、日本と言う経済大国から生き血を吸わねば生きて行けないということである。巨大に見えるアメリカは、実は藁をもつかむモガキの最中なのだ。藁を提供させられている日本が、その崩壊を支える。

 日本の支配層のやっていることは、崩壊するアメリカ従属と言う点で合致している。

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神崎敏則さんの原稿アップ始めます

2013年07月16日 | 日記

 

 神崎敏則さんの過去原稿のアップを開始

 阪神間道路問題ネットワークの若手(?)のお一人の、神崎さんの過去原稿をアップ開始します。既に6原稿のアップを終えておりますので、過去分32原稿になります。

 最初の原稿は『みちしるべ』第25号(2003/9)でした。第56号からのデジタル・データ(11原稿)が残っていますので、少しは楽かなぁ~。

 『みちしるべ』神崎敏則のカテゴリーも新設しました。ついでと言っては何ですが、『みちしるべ』パリよりも新設です。Yamamba.Mako.さんの記事も続くようです。

ブログ版『みちしるべ』のアップも46%に

 創刊号より第78号までで597記事になりますが、既に276記事のアップを終えました。やっと46%のアップになります。神崎さんのアップが終われば、過半数ということになりそうです。

 紙の『みちしるべ』も堅持することが、5月例会で確認されました。紙媒体とブログ版の双方で、お手伝いをして頂ける方を募集中です。

 また、ブログ版では、各団体のイベント広報のお手伝いをします。各団体のHPやブログのブックマーク(リンク)も、ご相談に応じております。

『みちしるべ』第79号(2013/7)が遅れております

 7月も半ばを過ぎましたが、第79号の完成が遅れております。お願いしている原稿が、一部届いておりません。何かとお忙しい中ではありますが、お急ぎ頂ければ幸いかと……。

 既に頂いている原稿に関しましては、紙媒体の印刷前でも、順次ブログ版にはアップしてゆきます。もうしばらくお待ちの程、よろしくお願い申し上げます。

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大橋昭さんの過去記事のアップを終えて

2013年07月14日 | 日記

 多少、ダラダラしてしまいましたが、最終で一気にアップを終えました。全部で30記事になりました。これからも、大橋さんには記事を書いて頂きたいと考えておりますので、最終ということではありません。腰痛など、加齢もあって健康がすぐれず、なかなか原稿のお願いが出来ていません。

 大橋さんは歴史ものが得意で、何処へ行っても歴史的な目で見ることは得意なようです。尼崎や阪神間の歴史を、今後も発掘して頂きたいものです。大橋シリーズでは、戦争体験での平和への思いが多かったように思います。参院選真っ最中の時に、タイムリーであったのかもしれませんね。

まずは『みちしるべ』目次のカテゴリーをクリック

 このブログの見方ですが、『みちしるべ』創刊は1999年9月でした。このブログを始めたのは、『みちしるべ』第76号(2013/1)からです。したがって、記事のアップ順番がバラバラになっています。その為に目次のカテゴリーを設置しました。まずは『みちしるべ』目次のカテゴリーをクリックしてください。

 『みちしるべ』創刊から最新号まで、目次は整然と並べています。アップできている記事に関しましては、リンクを貼ってあります。クリックして頂けると、その記事に飛ぶことになっています。黒字のままの記事は、まだアップが出来ていません。アップのご要望があれば、コメントを頂ければ、優先的にアップをしたいと思っています。

 さて、次にアップする記事は如何にしましょうか? 戦前・戦中派が続きましたので、若干の若手の記事とは思っていますが……。コメントを頂ければと思っています。

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2013年8月例会のご案内

2013年07月04日 | 月例会案内

阪神間道路問題ネットワーク
8月例会のご案内

2013年8月3日(土)13:30(集合)~15:30p.m.
川西市の第二名神建設現場の視察会(雨天決行)
集合⇒能勢電鉄の畦野駅(改札を出たところ)

※ 今回はフィールドワークですので服装や履物は楽なものを。
※ 複数の車に分乗して回ります。車での参加も可。

例会当日は、参院選と兵庫は知事選の結果が出ています。如何なる情勢になるか?公共工事(道路建設)の行方は?▼7月末は行事が重なっており、8月頭になりました。お盆もありますので、その次は9月例会ということになります▼久しぶりの川西での例会ですが、今回は現地視察で第二名神の建設現場を見ます。巨大な構造物が、これまでの人の生活形状に割り込んできます。出来てみて、その変容に驚くというのが庶民の常です。先覚的に、住民として、違和感を体験しておきたいと考えています▼畦野(うねの)駅の改札は1箇所です。駅前で乗車していれば、短時間の駐車はできます。車で回りますので、雨天でも行います。天気が良ければ田舎道も歩きますので、歩きやすい靴と楽な服装でお越し下さい。複数の車になると思います。また、車でのご参加もあろうかと思いますので、助手席には携帯持参の方を配置したいと思っています▼6月例会は他に集会もあり、参加が少なかったのですが、世界情勢や国政問題なども、忌憚のない意見交換がなされました。また、ブログ版<みちしるべ>の閲覧数(日合計)が、半年で1万を超えたことが報告されました。<みちしるべ 阪神道路ネット>で検索してください。各団体のイベント情報などもアップします。お気軽にご連絡ください▼さて、「みちしるべ」7月号の原稿が不足しています。ブログ版の編集委員も募集中です。よろしくお願いします。原稿は「みちしるべ」の表紙の連絡先にお願いします。TELもFAXも同じです。電子メール・郵送も歓迎です。

連絡先piano_tuner_fujii★maia.eonet.ne.jp
                 のところを@に替えてください。

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