『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』**ククククク笑うてください、俳句です**<2012.3. Vol.72>

2012年03月07日 | 澤山輝彦

ククククク笑うてください俳句です

澤山輝彦

 「ご都合がつけば3句持参の上、OCATへお出まし下さい。6:00~8:30 句会***8:30~10:00すぎ 飲み屋さん、こちらが大事」 昨年二月こんな案内が来た。

 OCATと言えば亡き砂場さんと読書会に通った所だ。あの場に何かの因縁があるにちがいない、なんて思って俳句の何たるかも知らないのに無鉄砲にも顔を出した、夜の顔俳句会(リニューアル)それがもう一年たった。だらだらと俳句らしき物を作っては、5.7.5の定型のこと、季語のこと、など先輩諸氏に教えられながら、回を重ねている。最近は定型を破る試みとして24音の詩形なども取り入れて、従来の俳句形式と共に自身の言語感覚を磨こうということになり、新参者の私などようやく定型に慣れたかなあ、と言う矢先の新形式でとまどいもあったが、そこは新参の強み、24詩には案外素直に入れそうだ。

 最近の「みちしるべ」には詩歌の投稿がないとの編集長の言葉に、またまた無鉄砲、はずかし気もなく拙句を申し出たのである。ご感想ありましたらお寄せ下さい。

太陽風磁気嵐私は押されて梅を見に

24詩、水の惑星の異変の羅列、作者のほほん

サクラまだ咲きません私は同じ時間に乗って

24音詩では今回上出来の作品である

フジツボも交尾をします春の潮

短くて言い得ている、意外といい

白い波打ち寄すアオサ青い海かなた補陀落

24音詩、言葉のつらなりがうつくしい

アンダンテ客船横になる春の海

お粗末な客船の事故、春の海がきいている

初釜やチンチンの湯で焼酎割ろ

茶の湯の席に焼酎を持ち出したことを俳味ありとする人、いただけないとする人、評価分れるところ

月食や寒い物干写実論

取り合わせが面白い、「月食の」にする方が良い、三段切れになってしまう

素粒子の質量よりも鍋のフグ

素粒子の質量と鍋のフグとの言葉の取り合わせはいささか浮きます

この俺も99%の一人か赤のまんま

字余りがいかんともしがたい、字余りの場合も内包するリズムを見いだす努力を

名月を機関銃で撃つアルカポネ

名月、機関銃、アルカポネとモンタージュ仕立てで面白い、詩性は果たしてあるかどう

斑猫よ俺は左だグッドバイ

道おしへ、斑猫を詠みました

カダフィどうなるオオイヌノフグリ踏みつけて

初参加に持参した一句です。時事的な内容を取り扱ってなお、季語との詩的関連が感じられる秀逸である、こんな評をいただいて調子に乗ってしまうのです。

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『みちしるべ』斑猫独語(49)**茶人好み**<2012.3. Vol.72>

2012年03月06日 | 斑猫独語

茶人好み

澤山輝彦

 日常茶飯事と言う言葉がある。毎日経験する、ありふれたことを言う。飯を食い、茶を飲むことが珍しい事であれば、毎日毎日感動の連続で疲れはて、人の命は短くなるかもしれない。日本人の平均寿命が延びたのは、身のまわりのなにもかもがたちまち日常茶飯事となってしまい、感動する精神が減ってきているからかもしれない。

 のどの渇きをおさえるためなら水でいい。実際私が子供の頃には鉄管ビールなんて言葉を使って蛇口に口をつけて水道水を飲んだ。国語辞典「大辞林」初版には鉄管ビールは採られていて水道の水を洒落て言った語とある。今時の子供たちは過保護に育てられているからこんなことはしないだろうし、大人だってよほどのことがないかぎり恰好をつけるから鉄管ビールは飲まないだろう。もはや鉄管ビールは死語になる運命だ。そこで、お茶なのだ。果汁飲料、炭酸飲料、コーヒーといろんな飲み物が簡単に手に入る時代だが、やはりお茶がいい。後口のさっぱりした所、冷たくても、温かくても、熱くてもいい所、お茶だ。ペットボトル入りの茶が出来てから、テレビで各種おえらい方々の会議の席に茶のペットボトル出されているのが見えるのはご愛敬だ。茶は値打ちがあるのだ。

 アメリカの独立は茶とかかわっている。この茶は紅茶だが、茶は茶なのである。ボストン茶会事件とかなんとかがおこり、本国イギリスと植民地アメリカが戦争をはじめ、アメリカは独立宣言をするのである。茶から始まった独立戦争中、アメリカはイギリスから海上封鎖される。こんな歴史があるからアメリカはいまだにキューバを封鎖し続けているし、経済制裁だとかなんとかで敵対国に封鎖をしかけるのだが歴史だなあ。その茶会、ティーパーティーは今アメリカの保守的な運動にその名をよみがえらせている。彼等はチェンジのオバマを支持しない。アメリカの振る舞いはイラク戦後もあまり変わっていないと私は思う。内政にも我々には分らない問題があるのだろう、そこに茶会が出てくるのだろう。

 日本でのお茶がらみの歴史の一つに、茶壺道中というのがある。徳川家へ献上されるその年の新茶は壺に入れて権力を笠に着た者達によって人々を見下しながら江戸へ向かったのである。時代劇ではそんな道中で一悶着起きるのだ。これのどこまでが史実であったかは調べてみないとわからないが、そこは時代劇の世界だ。そんな時代劇が消えかかっているという。アメリカの時代劇西部劇はもうとうに消えている。これが時代なのだ。

 食後の一服、休憩の一服、それはいいが、同じ茶でも茶道というものを私はあまり評価しない。こんな事を言うと無知だ、粗雑な奴だ、などと笑われそうだが、茶なんて一寸行儀良く飲んだらそれでいいのではないか。実際千利休はこんな歌を残している。

茶の湯とは ただ湯を沸かし茶をたてて

飲むばかりなる もとを知るべし

 私は日常煎茶や番茶をのんでいる。心斎橋(ここだけとは限らないが昔からずっとそう思い込んでいる)のお茶屋さんの前を通ると茶を焙じるいい香りがしてくる。あの時は無性にお茶が飲みたくなる。ここでお茶とお酒のコラボ、私の創作カクテルを一つ紹介する。

 抹茶碗にたてた茶に2~3㏄のジンを入れる、ただそれだけのことである。ほとんど茶である。たくさん飲むと後で酔いがでる。“茶人好み”と名付けた。

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『みちしるべ』**ホタル・今年もたくさん飛んで**<2012.3. Vol.72>

2012年03月05日 | 単独記事

ホタル・今年もたくさん飛んで

高岡和男

 もうすぐホタルの季節です。尼崎から昭和40年代前半にホタルが消えて、多くの人たちがホタルの再生に取り組んできました。西武庫公園(平成24年4月から県から尼崎市へ委譲)では、平成10年ごろから、いろんな人たちが陰ながら取り組んできました。

 平成16年に「西武庫公園ホタルの会」が結成され、組織的な取り組みが始まり、平成17年には、一日最大200匹を超え、一年間では延べ2500匹を超えました。しかし、私たちの勉強不足もあり、平成22年には一日最大が25匹となり、年間でも370匹。このままいけば大変なことになるということで、増やすことを真剣に取り組むことを決定しました。

 勉強不足には学習会を開催し、ホタルやエサになるカワニナの増やし方、水路の管理の仕方も確認しました。早速、カワニナを増やすために水路にたくさんの石を入れ、流れを変化させるなど工夫を行いました。それだけではホタルは増えないので、多可町八千代区「ホタル宿路の会」との交流を深め、「親ホタル・幼虫・卵」を寄付してもらい協力をいただきました。

 その努力のおかげで、平成23年の一日の最大数は、110匹となり、年間では約1000匹と拡大させることができました。平成23年も「八千代区・ホタル宿路の会」との交流を継続し、平成22年以上のご協力をいただきましたので、今年は昨年以上の期待が持てます。

 例年は、5月10日ごろから出始め、6月中旬まで見ることができます。

西武庫公園のホタルについて

交通……阪急「武庫之荘駅」下車(北側改札を出る)、尼崎市バス、46番「武庫営業所」行きに乗り「西武庫公園」下車。

案内が必要な場合は、高岡まで。<ブログ版につき省略=コメント頂ければ、コメント欄でお返事します。>

見頃は、午後8時30分ごろです。

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『みちしるべ』街を往く(其の九)**清潔さはともかく公衆トイレの多い日本**<2012.3. Vol.72>

2012年03月04日 | 街を往く

街を往く(其の九) 清潔さはともかく公衆トイレの多い日本

藤井新造

 阪急芦屋川駅の公衆トイレが改修された。昨年の9月より今年の2月まで、およそ半年間工事を行い、やっと増改築された。このトイレは六甲山を芦屋川より高座の滝を通って登るハイカーにとっては、非常に貴重な存在である。改修中は、駅構内のB3位の大きさの掲示板に、北へ30分歩くと高座の滝に、もしくは南へ5分歩くと、公園に公衆トイレがある旨を貼ってあり、そこを利用するよう書かれていた。

 春から秋にかけての登山季節には、多くのハイカーがこの駅を起点として六甲山へ登る。その数は中途半端ではない。高座の滝より屏風岩を通過し頂上へ着き、有馬街道(俗に言う魚の道)を下り温泉を行くのが一般的なコースである。それ以外にもいくつかのコースがある。

 屏風岩から本庄橋を通り住吉川の方へ降りる短いコースもある。お多福山から奥池、そしてゴロゴロ岳、苦楽園へと降りるコースも変化にとんだコースである。バスでお多福山バス停まで行き、帰りはその人の脚力に合わせて、道を選べることができる。逆のコースで帰りはバスを利用することもできる。

 私も何回か、いくつかのコースを選んで友達と登った。仕事をしていた時は、休日に少し時間があれば、1人でお多福山まで昼から出かけることもあった。

 ずい分昔の話になるが、夏のある日、昼から1人で馬の背のコースを登り、お多福山へ行ったが、下ってくるグループの年配の女性かより、「今からどこまで行くの?大丈夫なの」と心配して声をかけられたことがあった。その親切心へのお礼ではないが、暗くなる前に山を降りますからと、言葉を返したのを今でも思い出しては苦笑することがあった。

 山では、見ず知らずの人間がすれちがう時、自然と「今日は」と挨拶をする。儀礼的と言えばそうだが、やはりそれだけではない。「今日は」のなかには、お互い怪我をしないで気をつけて歩きましょうと、双方の気づかいが、込められている言葉ではなかろうかと、思っている。

 それはさておき、上記のトイレの件であるが、改修前でも登山者(特に女性)は、男性、女性と二つしかないのでハイキングシーズンの時は、行列をして待っている人がいた。私は、その場に遭遇するたびに、もう少し何とかならないものか(便器を増やすこと)と思っていたが、他人ごとのようにみていて、その場を通り過ぎると忘れてしまっていた。

 そして今、芦屋市は休日に六甲山へ上る人が群れを作る程いるのに、何故トイレの改築をせず放置していたのだろうと考えてみた。一つには、そこへ投資する財政的余裕がないと行政側の答弁がある。次には、登山者は殆ど他からと考え、整備を怠ってきたのではないかと邪推したくなった。

 芦屋市の最近のスローガンは、市の広報をみる限り、ここでも書いたが『国際文化都市』の看板をおろし、『庭園都市』(ガーデンシティ)の名称をいつのまにか標榜するようになった。その名前の詳しい由来を聞いていないが、先の名前を語るのにはふさわしくないと、当局は熟慮したにちがいない。

 まあ、そのことを議論するより、この場所にトイレを増改築することは、海岸にヨットを係留する設備に金を投入するよりは、多くの人に喜ばれることは間違いないと思うが、どうであろう。

 たまたま、2月6日のラジオの深夜放送で、脚本家の小山内美恵子さんの話(再放送)――カンボジアの農村に学校を建てるボランティア――活動を聞いたら、あの地では学校を建てる前に、先ずトイレ設備を解決せねばならないと語っていた。17年間も長期にわたるボランティア活動を通じ、先ず一番大きい問題として、衛生状態の改善に手をつけていると言うのだ。

 このことは昨年の末に短期間のカンボジアへのパック旅行に私も参加して、実感したことである。私の短い、それこそこの国のほんの一部分しか見ていないことを承知の上での発言であるが、トイレの設備の悪さには辟易した。宿泊したホテルの豪華で清潔さに比し、屋外はあまりにもひどい状態である。あの広大な面積に横たわる遺跡群、アンコールワット内にトイレは一箇所もない。場外にあるトイレは水も流れず、大の方を放置されたままである。

 たしかキューバでもそうであったが、手洗いの水、大の方での流し水はゆっくりちょろちょろと流れていたので、少しましの方であった。ついでに言えば、キューバ観光の目玉商品の一つであるゲバラ記念館にトイレが無かった。場内をゆっくり見学するのを楽しみにしていたのに、トイレ休憩がゆっくりとることができなかった残念さは今も心の中にまだある。

 勿論、ヨーロッパのどの国へ行っても、公衆トイレは少ないし、有料である。御存知のように、花の都パリがよい例であろう。それにしても、カンボジアではもう少し何とかならないものかと愚痴を言いたくなった。

 カンボジアのトイレの使用で想い出したのは、阪神大震災の後、公衆トイレの「大」の方はどれもこれも便器の中が山盛りになり、外に溢れだしていた。さすが家の中ではそうできず、私は仕事が終わり帰宅次第、車で芦屋川まで行き、水を汲み持ち帰り、風呂に貯水し使用する度に流したものだった。1ヶ月間、そのような水汲み作業をした。大震災後、私と同じような苦労を体験した人は多いことだろう。その時のことを振りかえると、東日本大震災に遇った人の辛さが痛い程わかってくる。

 またまた、話をもとに戻せば、六甲山へ芦屋川から登るハイカーにとって、半年間もトイレが使用できなかったので、ずい分困った人がいたであろう。考えてみたら、狭い場所であることがわかりながらも、簡易トイレを置くこと位はできたのでないか、それ位の配慮をしてよかたのではないかが、私の言い分である。そうすれば、芦屋市もずい分いきなことをする小都市として感謝してくれた人がいたであろう。

 小さいことのようだが、大事なことであった。そうすれば「庭園都市」の名前も輝いていたであろう。桜の季節にいくつもの簡易トイレを用意しているのだから、できないとは考えにくいのだが……。

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『みちしるべ』東京より(2)**報道規制、北朝鮮以上?**<2012.3. Vol.72>

2012年03月03日 | パリ&東京&沖縄より

東京より② 報道規制、北朝鮮以上?

三橋雅子

 3・11の日比谷集会に参加したが、新聞もテレビも無縁なので報道はどんなかしら?と見に行ったら驚いたことに、どこも追悼一色でデモのデの字もない。辛うじて東京新聞だけが日比谷公園に集まった群集、国会周辺の人の鎖を載せているが、ほんの一重の一番まばらのとこを映した様子。我々のあたりは三重四重のぎっしりで、これだけの人が地下鉄に殺到したら、とてもじゃないけど乗れなくなる、と一足先に抜け出したが、容易なことでは脱出出来なかったのに。デモでも途中の応援盛んな沿道を過ぎて、銀座通りに入るととたんに通行人も冷ややかになって、今時銀ブラする人は、やっぱり体制べったり?なんて言いながら歩いたのに、新聞は、その「銀座通りを行くデモ」を載せていた。

 外国人記者の活躍が目について警官がしきりに列からはみ出してる機材を注意していたが、日本人ならさぞ小突き廻すことだろうと。報道規制のすごさは北朝並み、というより手がこんだカモフラ-ジュをされているから、もっとたちが悪い。これを感じさせないトリックに嵌められている。ということは、北朝以上の事態、と言えよう。若い人は今時、ネットやツィットで飛び交ってるから、マスコミなんか・・・と事もなげに言うが、知り合いを思い浮かべても、そんなものに縁の無い顔、顔が出てきてシュンとなってしまう。「追悼」という厳粛な痛みは誰も否定できない、反論できないから・・・敵にここまで付け込まれるとは・・・。3・11に発したとはいえ、別に原発が爆発した日時を確定して、それを、それこそ忘れまじ、と記録、記憶を呼びかけるべき、と痛感。

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『みちしるべ』東京より(1)**東京38年ぶり**<2012.3. Vol.72>

2012年03月02日 | パリ&東京&沖縄より

東京より①東京38年ぶり

三橋雅子

 折角東京に出てきているのだもの、と2.19原発反対デモに参加する。デモといえば波打つはずの労組と大学の旗は見えない。めいめい手作りのタスキがけなどで「ハイロ」とか「原発いらない」のアピールをしている。会場の人並を押し分けて歩き廻ると、チンドン屋まがいの鳴り物やカラオケ隊のけたたましさ、子供たちに配る風船で体が浮きそうなお姉ちゃん……とまことに賑やかなお祭り気分。しかし風船を手に走り回る子供達の側で「バアチャンこわいよー!ゲンパツやだ!」なんてタドタドしい字のゼッケンを胸にポツネンと佇む老女、こっちの方が迫力あるなぁ。どっち道60年安保とは、到底程遠く、様変わりなんてものじゃない、と感激しきり。

 同行の仲間はかつて同じ職場で「臨時職員組合」を作った同志だ。今でいう「非正規雇用組合」か。本当かどうかは不明だが、「日本初の臨職組合」と言われた。少なくとも、政府の将来はない、と必死だったのに、結果通してしまったのは我々世代の重大な責任なのだ。当時大学院生だった私は聴き逃したくない講義と「今日こそ関ヶ原、国会突入か?」と言われるデモとの間を引き裂かれる思いで毎日右往左往していた。やがてキャンパスは人気がなくなり、教室もモヌケの殻、現れた教授も「国会に行きますか」と苦笑する始末。身を翻して国会周辺に駆けつけ、旗々々を縫って探し当てれば、「保守反動」のレッテル付教授たちも炎天下に黙して坐り込んでおられた。

 さて、52年後のデモ会場は、どこが中央でどこで何をやっているのか、さっぱり分からない。誰かがしゃべっているらしいが、とりわけ高いところもなし、顔も見えない。ただ、しきりに「今日は、かの大物右翼鈴木邦男氏も見えてます」「鈴木さんですらだまってられない……」と右翼もち上げっ放しに苦笑。そもそもこの会場は、ネットで見る限り、主体は、若者の反逆原動力『貧乏人の逆襲』その他の著者松本哉(ハジメ)氏率いる会らしいが、この日の為の度重なる準備会は、主催者そっちのけで、飛入りの新顔達が司会をのっとり、議員の発言を遮り、見た事もない輩達で牛耳られてゆく……。遂に「誰でも来い、ウゾウムゾウの会」と自称するようになったというから、この無組織の混沌こそこの集りの特徴なのかも。でもしゃべる人の踏台位用意すればいいのにねェ……などと年寄りはつい。

 やがて出発するらしく、しきりに「キッズとお年寄りは先頭に、後にキックなります……」と言われては、若者たちの、たとえ駈足でもスネイクデモでも充分付いて行ける、と自信はあるものの、おとなしく従うか、と先頭集団の一員に。いきなり物々しい警察の群に一瞬ギョッと。思わず恐怖が甦る。かつて、あの猛々しい盾をビッシリ並べ、その陰に武器を持った警官・自衛隊の群れは、いつこちらを襲ってくるか……ホントに怖かった。ひとたびデモの隊列が乱れたり、スネイクデモの動きが激しくなると、たちまち盾も乱れ武装した輩が無防備の隊列に突入、乱闘になる。血がほとばしる。怖かった。

 今、極めておとなしく、たまさかのシュピレヒコールだけで黙々と歩く紳士淑女・老人・子供の群れに、警官達も又極めて紳士的に、ひたすら交通整理に励んでいる。複雑な気持ち。「所詮君達は権力の番犬じゃないか。一旦、兆候あれば、こっちに歯向かってくるくせに。(現に反原発デモで何人か掴まってるじゃん!)」と本性を暴きたい衝動に駆られる。原発ハンターイ!原発ハイロー!だけでいいんかい?

 仲間のマイク氏にも、「東電潰せ!東電の責任者出てこーい!」はないの?と言ってしまった。否、東電だけじゃない、原発で行こう!という日本の進路を進めて来た政・財・官の徹底的に責任を問おうじゃないか。「過去を水に流す」のは歴史に学ばない事、日本人の犠牲者を冒涜する罪悪だ。ドイツの現在はナチ批判とその断罪の上にある、とつくづく思う。

 デモ隊は青梅街道を進み、交差点では長蛇の車を止めてもブーイングのブーブーも鳴らず鈴生りの歩道橋からは声援と拍手と……。商店からは飴の差入れ、「トイレをどうぞ」のサービスも、と随所で応援を受けながら、幼い子供達も風船は離してしまっても、ぐずらず2時間のコースを完歩。

 阿佐谷駅に着いた。しかし……「お疲れさまー」の和気アイアイなんかであってたまるか。この瞬間にも原発推進派の巧妙な動きは着々。それにまるめ込まれるマスコミは、原発の危険性、無謀を説く学者達の口を封じてきた、懺悔に至る、これまでの贖罪をテンとして恥じていない。これでは安保を通した愚の二の舞もやりかねないのだ。唯一の救いは、アンポは難しかったが原発はその恐ろしさが分り易い。眼には見えないけど、余りにもむごい証明を見せつけられている。

 途中、福島人がむしろデモ隊に向かって叫ぶ懇願とも聞える悲痛な訴え、東電の、国の責任をきっちり追及してくれ、という涙ながらの現地報告に、こんなことやってていいの?と、その非力さに自責の涙が止まらなかった。

原発デモ 廃炉を託す 春風船

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『みちしるべ』**リニア中央新幹線と電気自動車と原発**<2012.3. Vol.72>

2012年03月01日 | 神崎敏則

リニア中央新幹線と電気自動車と原発

神崎敏則

にわかに進められているリニア中央新幹線

 「さいなら原発尼崎住民の会」のメーリングリストの中でWさんは、リニア中央新幹線建設が原発存続・推進を前提としてにわかに進められようとしていると警鐘を鳴らした。

 「脱原発をすすめる会かながわ」のホームページによれば、………

  1. 川崎市、横浜市、東京都町田市、稲城市で、リニア中央新幹線の工事が、3 年後から始まること、
  2. 地下約40mに設置されるが、地上にも5.1kmおきに巨大な立杭と通気施設がつくられ、通気施設からは、騒音・強い電磁波等の影響が考えられること、
  3. 原発がなければ運用は厳しい、とJR東海が明言していること、リニアの消費電力は、東京~名古屋27万kW、東京~大阪74万kWが見込まれる(国土交通省による)が、10月現在、東電中電あわせて7500万kWしか電力が作られていないという。説明会で「原発がなくてもリニア運用できるのか」という質問に対して「今の電力ではまかなえない。電力会社にはもっと頑張ってもらわないと厳しい」と、建設部担当部長がはっきり答えた。また、ドイツのリニアを例に具体的に試算した場合は、544万kW、つまり原発5基分の電力となる。また、JR東海会長は、5月に産経新聞で「リスクを承知のうえで、それ(原発)を克服・制御する国民的な覚悟が必要である(中略)原発継続しか日本の活路はない」と語っていること、

………と概略を説明している。

 重厚長大型の公共事業にいつまでもしがみついていく政界、官界、それにゼネコンや、製鉄業界、セメント業界、産業電機業界などの醜悪さが滲み出ているようで、嫌悪感を感じてしまう。けれども、脱原発を実現するためにもリニア中央新幹線建設にも反対していこうというWさんの提起には、正直なところ精神的にも物理的にも余裕を保てそうにないので、応えることができなかった(今でも申し訳ないとは思うが、それでもやっぱり無理な気がする)。

電気自動車と原発問題

 いま電気自動車が注目されているそうだ。電気自動車の日産「リーフ」が他車に大差をつけて「日本カー・オブ・ザ・イヤー」に選定された。しかし、自動車交通問題でおなじみの上岡直見氏は、電気自動車の普及は原発存続へ地ならしをするビジネスモデルであると断言する。「日本中で電気が足りないと騒いでいるときに、なぜさらに電気を必要とする電気自動車が、経産省の強力なバックアップで推進されているのか。電気自動車を推進する経産省の委員会等には原発推進学者が顔を並べている。常識を働かせておかしいと思わないのだろうか」と、憤懣やるかたないようだ。

 一方で、電気自動車は今や再生可能エネルギーとの親和性が強い、との主張もあるらしい。昨年から尼崎市の理事(尼崎市の場合は、市長1人、副市長2人、理事1人の4人が市の中枢部を担っているらしい・・・全然知らなかった)になった福嶋氏は、「尼崎版グリーンニューディールの基本的な考え方」の中で、改造電気自動車の開発や普及に連携する事業を紹介している。尼崎市内の中小企業でも既存の自動車のエンジンを外して電気自動車に改造し、しかもナンバープレートを取得するのは難しくないようだ。

 確かに太陽光発電や風力発電など再生可能エネルギーの普及には、蓄電池が欠かすことはできないし、その蓄電池機能として電気自動車に搭載しているバッテリーを活用することは理にかなっている。しかし、電気自動車の普及がそのまま脱原発に直結するのだろうか。

 そもそも太陽光発電や風力発電は、天候に左右され、不安定な電力だ。これで全供給電力の一定割合以上を賄おうとすれは、電力の流れを供給側からと需要側からとの双方から制御し、最適化する次世代電力ネットワーク=スマートグリッドが不可欠になる。そうでなければ、再生可能エネルギーシステムが最大に供給できる電力と最小にしか供給できない電力(=0)との差し引き分を、常に予備の発電設備や蓄電池設備をスタンバイさせておかなければならないことになる。

 だから現状のままでは、再生可能エネルギーシステムによる給電が増えれば増えるほど、予備用の発電設備や蓄電池の容量が増えていく。

 このスマートグリッドの開発がいま日本企業でも、どんどん進められているようだが、そこには、三菱や日立や東芝の原子力メーカーがしのぎを削っている。

 日立のホームページから本文と説明図を転載しよう。

 今後、風力発電や太陽光発電など、天候に左右される自然エネルギーの導入が進む一方、電気自動車の普及など新たな電力需要の増加が予想されます。スマートグリッドなら、それらをITでコントロールし、原子力などの従来エネルギーに加え自然エネルギーも上手に活用することでCO2の排出抑制に貢献できます。

 残念ながらと言うべきか、やはりと言うべきか、本文にも図にもしっかりと原発が書き込まれている。また三菱電機は、2010年から尼崎工場でも実証実験をおこない、4000kWの太陽光パネルと500kWの蓄電池を装備してきた。この4月には、「実験装置から生み出される最大50kWの電力を用い、三菱自動車名古屋製作所内にある生産本館の電力変動低減(変動幅180kWの33%低減を目標)」とする実験を1年おこない有効性を確認すると公表した。スマートグリッドの開発に前のめりだ。

 さて、「尼崎版グリーンニューディールの基本的な考え方について」の中には、経済産業省が作成したスマートグリッドの説明図をそのまま転載している。それが下図だ。

 残念ながら、この図でも原発が組み込まれているが、それは、尼崎市の意図したものではないと受け止めたい。そのうえで、尼崎市は脱原発へ進むことを宣言していただきたい。

 大飯3号4号原発の再稼働問題に揺れる福井県は、地元住民から「福井県は国から『新幹線の敦賀延伸と中部縦貫道路の一部区間の認可』のお土産を貰ってしまった」と非難を浴びている

 尼崎市は脱原発なのか原発推進なのか、表立っては問われてはいない。しかし、福井に立地する原発が発電する消費地であることは間違いない。市として、脱原発を宣言する意味は大きいし、改造電気自動車の開発普及はそのためのものだと「尼崎版ニューディール」で表明していただきたい。

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