『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』斑猫独語(50)**匂いは大事**<2012.5&7. Vol.73>

2012年07月07日 | 斑猫独語

<匂いは大事>

澤山輝彦

 杉花粉の飛散がほぼ終り、杉花粉症は楽になるはずなのに、その頃になって黄砂がやって来る。私には黄砂は杉花粉よりやっかいなのだ。そこで一句“仏教の来た道今は黄砂来る”であるからまだ当分アレルギー性鼻炎からは解放されず、点鼻薬やマスクの世話になっている。何かに集中していれば気はまぎれてすむのだが、ぼんやりしている時や深い睡眠の取れない時など、鼻づまりはかなり鬱陶しいものである。

 嗅覚がにぶくなると、物が美味しく食べられない。物を美味しく食べるということは、味覚、嗅覚の二大感覚と共に、舌触り歯ごたえ、見た目も関与する、感覚総出の働きであるのがわかる。嗅覚が鈍ると食事が楽しくなくなる。炊きたてのご飯のあの香りがもう一杯となるのだし、香の物はまさに香りを感じなければ、変な根菜を食べているようなものだ。パンを食べてもコーヒー、紅茶、牛乳いずれも香りがないとただの水、いや水にだって匂いがあるではないか。食べることで嗅覚の鈍い利点はフナズシが平気で食べられることだ。とは言えフナズシなんてそうざらに食べるものでない。これは一度だけ経験があるから書いたまで。さて酒だ。酒も香りで飲むものであるのが分る。匂いにむせると言う感覚なのか、それによって酒量は控える事が出来るが、匂いがしないと、変な水だなあ、という位の感覚でぐいぐいと飲んでしまい深酔いし苦しむことになる。これは何回かの経験があるから書いたもので、杉花粉症発症中の飲酒は十分注意しなければならないのである。おいしくないから飲まない、というのが一番なのだが。妻から、一寸これ匂ってと、総菜や食材の点検を頼まれることがあっても、臭いがしないとなんともならない。腐敗の見分けは臭覚によるところが大である。腐敗した物で死ぬことだってあるかもしれない。死といえば空気中の有毒ガスで臭気のあるものには嗅覚は無くてはならない、これ無ければ死に結びつくのである。

 嗅覚というものの大事さは、こんな事を書き始めるだけでも次から次へとあれもこれも嗅覚がらみのことではないかと、どんどん広がりそうだ。一寸それるがこれも匂い香りがからむこと。色香に迷う、と言う一寸危ない男女の仲を言う言葉があるではないか。嘘か本当か知らないし私には経験のないことだが、この香水の香りは私のではない、なんてことから夫婦喧嘩が始まるという話もある。ここに、五感の他に第六感というものの働きが出てくる。“一寸臭いぞ”と言うのは何も鼻孔粘膜を刺激されて感じるものではない。けれどもこの言葉、他の感覚ではいいあらわせないのではないか。一寸見た、一寸聞いた、では現実だ。一寸臭いとはまったく違う。匂いは大事で面白いのである。

 このように、大切な嗅覚なのだがその割に普段、いの一番の感覚になっていないと思うのだ。例えばこの間の竜巻の被害者の言葉を聞いたが、視覚的聴覚的な言葉はあったが、嗅覚的な言葉は出なかった。まあ臭気は消えるのが早いかもしれないが、きっと土の匂いとか、金属木材の破壊に伴う匂いなどあったはずだ。一つ鼻を効かせて、一瞬を嗅ぎとる人生を送ろうではないか。道路問題ネットワークの私達だ、ここの排気ガス臭いなあ、などと。

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『みちしるべ』東京より(3)**どじょう**<2012.5.&7. Vol.73>

2012年07月06日 | パリ&東京&沖縄より

東京より③ どじょう

三橋雅子

 折角東京に・・・のデモの次はどじょうを食べに。

 これは長い東京暮らしの間にも実行したことがなかった。にも拘らずどじょうが食べたかったのは、実家でどじょうが、よく食卓に上ったからかもしれない。父の好物で、しばらく途絶えると「どじょうは・・・?」の催促があったから、食べ慣れたものへの懐かしさなのかも。だが、どじょう屋に食べに行った記憶はない。しかし今どき、どじょうはどこに売ってるのか? 父が生きていたらどうしたのかしら? などとふだん考えたこともないことが頭をよぎる。

 駒形などは滅多に歩いたことがなかったが「どぜう」の大きい暖簾が遠くからでもたいした存在感。この「どぜう」、これでないとどじょうの感じが出ないが、てっきり旧仮名遣いとばかり長年思い込んでいた。しかし旧仮名では「どぢゃう」なのだそうである。思い違いというのは恐ろしい。どぜうになったのは、江戸時代のどじょう屋が暖簾に書くのに四文字では縁起が悪いと、苦心の表記とか。さすがに新聞はこうは書かなかったが、どこかの首相の看板表記みたいになったのは、どじょうのファンとしてはあまり嬉しくない。

 暖簾をくぐると一面、ずーっと奥まで、間仕切りなしの、めちゃくちゃ広い空間に、ヘリのない畳と言おうか、ござと言おうか、竹の上敷きみたいのが敷かれ、細ながーいテーブルとちっちゃい座布団が並ぶだけ。寺子屋ってこんなんだったのかしら? なんて妄想がふとよぎる。

 メニューはそう多くはないが、あちこちで鍋などが豪勢に湯気を立てているけど、こちらはとうに決めてきた、どじょう汁と柳川。何十年ぶりの食感だろう。大山盛の刻みねぎがいい。深谷の長い太ねぎに違いない。これが関西では滅多に堪能できない。肝腎のどじょうは、いかにも小さくて食べやすく、グロテスクとは程遠い。以前は、あのぬるぬるっぽい、大きくくねった様がどうにも頂けない、というどじょう嫌いが多かったが、これならいけるの? それにしても物珍しさに入ったものの、姿を見て口にできないお客はいないのかしら? こちらは、というと、やはりどじょうは、もう少し大きく、噛み応えが残るような歯ごたえがほしいなあ。

 昔我が家の台所では始終大きなボールにどじょうが入っていた。買ったその日には食べず、味噌を少し溶かした中に一晩泳がしておくと骨が軟らかくなるのだとか。貝も一晩砂を吐かせたものだし、何でもそう右から左に食卓に上るものではなかった。夜中に水を飲みに行ったりすると、飛び出したどじょうが床に転がっているのに遭遇して「なにこれ?」とドキッとしたものだ。戻してやると、また元気にピチピチ泳ぎ回るのを見ると、いつまでもそうしておいてやりたい、などという思いもよぎったりした

 一晩味噌の液を飲ませても、少しシャキッと骨の噛み応えが残っているのが、なんともおいしかった。今、目の前の、いかにも小さくてかわいらしい、それゆえにか、歯に当たるとはいえないどじょうは、私にはちょっと物足りない。でも私好みのどじょうでは、きっとお客はこんなには入るまい。

 紺絣に赤足袋姿できびきび動き回るお姉ちゃんたちは、どじょうと同じく一様に小柄だということに気がつく。確かにここでは、今どきの大柄な女性は似合うまい。私ももう少し若ければ、希少価値で、ここのウェイトレスに受かるかな? なんて思いがよぎるが、その「もう少し」はまあ、少なくとも50年以上か。足捌きには自信があるけどなあ。

 暖簾をくぐり出てそぞろ歩くと、ちょうど目の前、ずっと遠景ではあるが、なにやらばか高いもの、ちょっと戸惑うが、ああ、あれが話題の・・・・? と納得。そういえば、今東京にいる、というと、そのなんやら塔に行った? と訊かれるが、いやまだ。でなく、あんなとこに行くくらいなら・・・は飲み込んでおく。そういえば東京タワーにもとうとう昇り損ねた。一時勤めが近かったから、ふだんは直、地下鉄にもぐるのを、残業などの後、少し夜風に吹かれてそぞろ歩くと、ちょうど目の前に出てしまう。一度くらい昇ってみるか? と浮気心を起こしても、いつももう閉館、ちょうど好いや、と見上げるだけでやり過ごしていた。今でも昇れるのかしら?

 振り返れば、はや「どぜう」の暖簾は遠く・・・。気がつくと、嬉しや、どじょうは夏の季語。

   ちさきどじょう絣の娘運び来て

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『みちしるべ』街を往く(其の十)**<2012.5.&7. Vol.73>

2012年07月05日 | 街を往く

街を往く(其の十) この小さい街・芦屋市に淳久堂の本屋がやってきた

藤井新造

 昨年のはじめに、JR芦屋駅北筋向いのコープデイズの三階に、阪急西宮北口駅北(アクタ西館)ビル程ではないが、規模の大きい淳久堂の本屋が開店した。

 今まで買いたい本を求めて、時に神戸、大阪へと足をのばしていた時間が著しくはぶけるようになった。私にとっては好都合でありがたいことである。しかし、淳久堂の店の進出により(と想像できる)、駅ビル・モンテメールの三階にあった本屋が店を閉めてしまった。

 この本屋で短い時間であるが、本をよく立ち読みしていた私にとっては複雑な気持ちである。大手のスーパーの進出により商店街の小さな店が廃業をよぎなくされたようで、何となく侘びしさをともなう気持ちになる。

 と言っても大きい書店の方に沢山の本が棚に並んでいて、次から次へと新刊書を立ち読みができるし、数は少ないが木製のベンチも置いてあり、疲れるとそこで座って読めるし、やはり便利なのだ。

 本を雑読する趣味がある私にとって、本屋と図書館ぬきの日常生活は考えられない。どちらかに、2~3日も行かないと気持ちがいらいらして欲求不満が昂じて、家庭内でちょっとした諍いがおこる。勿論、私のさして意味のない挑発的言動によって起きるので困る。そういう時に、図書館か本屋へ足を運ぶようにしている。

 最近は遠くにある図書館より近くの市内の図書分館、神戸に所用がある時は三宮図書館、サークルで使っている宝塚西図書館を利用している。車を持っていた数年前には時たま芦屋市の本館、尼崎市までも行っていた。しかし、車を処分してからは、自然と徒歩と電車で行ける範囲に限定され、それも上述したように近くの所へと変わってきた。

 そこで、私が利用している図書館について軽い印象記を書くことにした。

 まず図書館の本館の所在地であるが、尼崎市を除き、芦屋・西宮市は市街地の中心からはずれていて交通の便がよくない。両市とも建設用地の確保ができずそうなったと推測できるが、あまりにも不便すぎる。特に芦屋市がそうである。そして、その不便さを補うために何ヶ所かに分館を配置しているが、本館との格差(本の冊数、月刊誌の数、読書スペース)があまりにも大きい。利用者の利便性を考えて建設されたとは到底思えない。私の家より1時間にバスは2本しか走ってなく不便きわまりない。若い時は歩くこともできたが(約40分の所要時間)、この年齢では無理になった。駐車場があるから、車を利用してくださいということであろうが、そうすると利用者の多くは近辺(南芦屋浜)の人々に自ずと限定されてこよう。それと小さいことだが、尼崎市では何時間駐車しても無料であったが、この市では有料(但し、1時間以上)である。芦屋市として少し「セコ」すぎると思うが、他市より市民の平均収入が高いので駐車料金を徴収してもいいとの行政の判断で決めたのだろうか。

 次に、先に触れたように図書分館の広さ、本の冊数、雑誌数、読書できるスペースは本館に比しあまりにもその差があり過ぎる。

 特に近年高齢者が多く(私もその一人であるが)、どこの図書館に行っても入館者が大勢いる。高齢者のみならず女性も増えている感じである。それ故立っている人が多いので、さすが芦屋では分館でもパイプ椅子を置くようになった。

 又、三宮の図書館、尼崎の本館などでは結構若い男女が多い。若い人のなかでは、携帯電話で短い仕事中の会話のやりとりが、それとなくすぐわかる。まあ読書に邪魔にならない程度のものであるから差しつかえはない。

 次に、閲覧できる雑誌類の種類であるが、各市によってまちまちである。一番多いのは、本館としては尼崎市である。それでも閲覧できる雑誌の数は減少している。係りの人に聞くと予算上によりそうしたと言っていた。新聞類にもそのようなことがあった。それとは別に、神戸三宮図書分館では、東日本大震災後と思われるが、東北3県の新聞(福島民報など)が閲覧できるようにした。さすが神戸市は大きい都市(?)と感心した。

 次に、尼崎市ではベストセラー類の書物など借りたい人が沢山いるので、その希望者の数を入口に明示している。それも時には約250人の借りたい人がいる場合があり、自分が読みたいと思ってもだいぶ先になり、借りる予約をしていたのを忘れてしまうのではないかと、つい心配してしまう。借りる希望者が多い時には、多分追加して図書館でも購入しているのであろう。そうでなければ、1年近く待たねば、希望する本を読めないのだがと、私が危惧することもなかろう。

 苦言を呈することのみに終始せず、私が以前より変化したと思う点をあげておく。

 今、殆どの人が知っているが、当該の図書館ではおいてないが他市(阪神間と神戸)にある本の場合、貸し出しの斡旋の労をとってくれる。但し、手元に届くには日数がかかるのが難点である。

 次に受付の人の対応がよくなった。特に言葉使いが丁寧になっただけでなく、こちらから色々と質問しても嫌な顔をしないで答えてくれる。又、相談にのってくれる。既に尼崎市、芦屋市では図書館運営が委託管理事業になって久しいが「事業」としては改善されたと言えよう。

 しかし、そこで働く人の人件費はあきらかに下がっていると言えよう(そのために「委託事業」に移行したのだから)。又、図書購入費は各市とも多分減額されているのではなかろうか。以上図書館について雑駁な私の感想である。

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『みちしるべ』**パレスチナ紀行**<2012.5.&7. Vol.73>

2012年07月04日 | 川西自然教室

パレスチナ紀行

田中 廉

 今年2月28日から3月14日まで私が所属する日本聖公会(キリスト教、英国国教会系)の「エルサレム教区協働委員会」主催の「新しい聖地旅行」に参加しました。参加者は女性7名、男性3名に、現地でヨーロッパからの3名が参加し総勢13名でした。「聖地旅行」に「新しい」と冠がつくのは2つの理由からです。第一は今までの聖地旅行ではイスラエル観光局認定のガイドが自分たちに都合の良いように案内、説明し、本当のパレスチナの現状がわからないこと、第二はエルサレム教区の主教が訪日された時の言葉「キリストが十字架にかかり、復活された土地で、観光客用の教会ではなく、生きた教会を訪問してほしい」に応える為です。今回は「イエスが歩かれた道を歩こう」ということでナザレ→ジェニン→ナブルス→ラマナ→エリコ→ベツレヘム→エルサレムの170kmコース(地図参照)でしたが、途中車での移動もあり、実際歩いたのは7日間で100キロ余りでした。宿泊はホテルだけでなく、クリスチャンの家、イスラム教徒の家、難民キャンプ、ベドウィンのテントに泊まりホストの人たちと交流を深めました。断片的ですが、自分が見聞きしたことを中心に気付いたことを記します。

1.シオニストのスロ-ガン「土地無き民に民無き土地を」の欺瞞

 イスラエル元首相のゴルダ・メイヤ夫人は「パレスチナ民族などは存在しない。……われわれが彼らを追い出し土地を奪ったのではない。彼らは存在しないのだ」(『サンデ-・タイムズ』69・6・15)と語りました。旧約聖書にはパレスチナは「乳と蜜の流れる土地」として描かれています。そのような豊かな土地に人が住んでいないとは論理的矛盾であり、また事実の歪曲ですが、学校でそう教えられユダヤ人は「自分たちが荒野を開墾した」と信じているか、そのふりをしているようです。

 ウオ-キングはパレスチナ自治政府西岸地区北部のジェニン郊外から始まりました。ガイドはパレスチナ人ですが、まず最初に畑の周辺に植えられているサボテンの垣根を指さし、「パレスチナでは畑の境界にサボテンを植えている。イスラエル兵が来て家を潰し、ブルド-ザ-で畑を更地にしてもサボテンは植物体が少しでも残っていれば再生する。もしこれからイスラエルに行き、サボテンが荒野に生えていたらそこにはかってパレスチナ人の村があったことを思い出して欲しい」と言われました。イスラエル政府はパレスチナ人から土地を収奪すると、そこを更地にし、地名もヘブライ語に変え、そこにパレスチナ人が住んでいた痕跡をなくし入植者に渡すようなので、入植者は自分たちが無人の荒野を開拓したと錯覚するようです。(イスラエルでは潰されたパレスチナ人の村の名称の入った地図の入手はきわめて難しいそうです。図書館にもないとか)パレスチナの春の野は豊かです。丘陵地帯ではアネモネ、ラナンキュラス、シクラメン、チュ-リップ、アヤメ、ムスカリなど園芸品種の原種たち、地生ラン、マメ科、キク科ほかの多種多様な野草が咲いていました。アネモネの咲く野で草をはむ羊たち、岩陰で風にそよぐピンクのシクラメンの群落、踏みつけねば通れないほどの小さなアヤメ類の大群落、陸ガメ3匹、蛇、大きなカエル、ミツバチの巣、猪(侵入あとのみ)などにも出会い、自然豊かでした。平地では主に麦、マメ類、トマトほかの穀物、野菜類や、ア-モンド、オリ-ブなどの果樹が栽培される農業地帯です。南下するに従い野の花は少なくなり、エリコ辺りでは礫砂漠でしたが、少ない草を求め放牧がおこなわれていました。ガゼル(野生のシカ)に出会ったのもこの礫砂漠です。ベツレヘム、エルサレム周辺ではオリ-ブが栽培されていました。このように、その土地の条件にあった方法で農業、牧畜がおこなわれており、決して無人の土地ではないことが良くわかりました。

2.年々広がる入植地

 エリコ郊外で入植地の横を通りました。高圧電流フェンスで囲まれた中は緑豊かです。今回4回民泊しましたが、どこでも水は貴重でシャワ-の設備はある(ベドウィンキャンプは無い)のですが使用した形跡がなく、シャワ-使用はホテル泊だけでした。しかし、入植地では街路樹、芝生の維持にもふんだんに水を使用しており、その水は地下水、またはヨルダン川からの水です。そして地下水の水位が下がると水位を上げるためにパレスチナ人の村に来て井戸のバルブを止め、パレスチナ人はその間高い水をイスラエルの業者から買わざるを得なかったそうです。ジェニン近郊の山の尾根沿いにフェンスがあり、その向こうはイスラエル軍基地で近づくだけで銃撃される危険があるのでその近くは通れないとの話でした。その基地も元はパレスチナ人の農地だったのが、イスラエル政府が「軍事的理由」で没収したそうです。農民は今自分が耕している土地がいつイスラエル政府によって略奪されるのか戦々恐々としているそうです。ベツレヘムでは小高い丘の上に入植地があり、フェンスにくっつくようにしてパレスチナ人の家屋があります。何度もこの地を訪れている同行者は「来る度に入植地が拡大している。拡大された土地に住んでいたパレスチナ人たちはどうなったのだろう」と心配していました。入植地拡大により、西岸地区では水の便のいい豊かな土地、水資源が奪われ続けています。水の量は一定なので入植地の緑が濃くなればその分、パレスチナ側が水不足に悩まされる場面が多くなります。緑豊かな入植地の本質は、「銃剣で奪った美田の移民村」(鶴彬[ツルアキラ]、1938年勾留中に29歳で死亡)だと思います。

3.友好的なパレスチナの人々

 パレスチナの人たちは非常に友好的です。丘の上まで一緒に歩いて見送ってくれたお祖父さんと、可愛い女の子、トマト農家では抱えきれないほどのトマトをもらい、パン屋では1枚買ったのにおまけが3枚、子供たちはすぐに寄ってきて話しかけてきます。村々では、挨拶すると“Welcome,welcome”と返事が返ってきます。ただ、男性は高校生以上の女性には声をかけないようにと、後で注意を受けましたが……。また、経済的に非常に困難な状況にあるにもかかわらず、パレスチナ人は誇り高く物乞いはいません。民泊で非常に良くしていただいたので帰りに謝礼を渡そうとしたら頑として受け取りませんでした。(プレゼントは受け取ります)

4.モスレムとクリスチャンの関係

 関係は良好です。民泊したクリスチャンの家はモスレムの多く住む地区にありますが、近所付き合い、安全ともに問題は全然ないとのことでした。奥さんは聖公会(キリスト教)系の学校の先生ですが、そこでは生徒の半数はモスレムの子弟だそうです。また、ベツレヘムの聖誕教会では、イスラエル兵に追われた多くのモスレムを匿い、何日もイスラエル兵に包囲されて、狙撃により数名の死傷者を出したそうで、壁にその時の銃弾の跡が残っていました。ただし、結婚はクリスチャン同士であれば宗派に関係ないが、クリスチャンとモスレム間は非常にまれとのことでした。

5.イスラエル国内のパレスチナ人

 イスラエル国内には約20%のパレスチナ人が住んでいます。彼らはイスラエル国籍を持ち、自治政府のパレスチナ人より国外に出るのは自由ですが困難な状況にあることには変わりありません。ユダヤ人には兵役義務がありますが、敵対的国民と見られたパレスチナ人には兵役“義務”はありません。(就職のため入隊しようとするパレスチナ人青年もいるそうですが、隊内でひどいいじめにあうそうです)兵役を終えるとさまざまな保障が与えられますが、パレスチナ人には無縁です。兵役を終えたことを条件とする企業には就職できないなど、まともな職業には就けません。ナザレの教会(聖公会)の牧師の話では「私たちは人生のあらゆるところで差別を受けています。予算はユダヤ人中心でパレスチナ人には少ししか使われません。兵役終了ではないのでマクドナルドの店員にもなれないのです。」と就職の難しさを訴えていました。

6.より困難な状況に追いやられているパレスチナ人

  • イスラエル政府は、パレスチナ人の自尊心を失わせ、従順な二級市民化も目指しているようです。国連で不平等ながらもパレスチナ人の領土とされた西岸地区の60%はイスラエル政府が治安・行政すべてを握っており、そこではパレスチナ人が自分の土地に自分の家を建てようとしても許可がいります。そしてその許可は実際おろされることはないそうです。イスラエル政府の陰険なところは、どうしようもなくなって家を建てようとすると、費用を使わせて建てた後でブルドーザーが来て家を破壊し、しかもその取り壊し費用を請求するそうです。その支払いを拒むとそれは犯罪となり、その住民を自由に投獄できるフリーハンドを持つそうです。土地の収奪にしても、ユダヤ人に都合のいい法律をいくつも作りそれを組み合わせ、放棄財産、治安、軍事を理由に“合法的”に土地を接収し、住民を追い出し無人にした後“民事転用”し、ユダヤ人にリースし入植地を増やしています。
  • イスラエル国籍を持つパレスチナ人が、西岸地区のパレスチナ人と結婚したらイスラエル国籍を失うなど、イスラエル国内でのパレスチナ人比率の現状維持か、下げようと必死です。
  • 分離壁も見ました。その90%はパレスチナ側に食い込んで建てられており、そのためいくつものパレスチナ側の村や町が分断されていました。
  • イスラエル政府は西岸地区のパレスチナ人統治に自信を持ち始めたようです。旅行中ガザで交戦が行われたにもかかわらず、検問所通過は容易で、かつてはタクシーで市内に入るには自治政府ナンバー車に乗り換えていたベツレヘム市内でもイスラエルナンバー車が走っていました。また、国際社会の抗議にもかかわらず、入植地は年々拡大し昨年の入植地での住宅着工数は過去最大でした。
  • パレスチナ人の一番の問題は仕事がないこと。パレスチナ人の起業は、物資の搬入、輸出がイスラエル政府の管理下にあり、ガザ・西岸地区でも検問所があり、その閉鎖や検査が恣意的なため、非常に困難を伴います。検問所が開かず、乳製品、農産物がトラックの荷台で腐ってゆく丹生-巣も見ました(日本で)。イスラエル政府のやり方は陰険で、パレスチナ側に投資させ、金を使わせてから材料や製品の輸送の妨害をし、企業の経営が成り立たなくするそうです。なけなしの資金で事業を始めた人は立ち直れないほどの打撃を受けます。いま、JICAは西岸地区のエリコで農産物を加工する工業団地をつくるプロジェクトを2006年から進めています。ヨルダン国境にある幹線道路までわずか3kmですが、そこまでのアクセス道路の建設や、工業団地に必要な井戸の掘削をイスラエル側は許可していません。英国のthe Guardian紙は本プロジェクトに対し「日本は納税者に対して援助費用の正当性を示す必要が英米ほどは無いので、高リスクのプロジェクトへの投資が可能になっている」と書いています。このようにパレスチナ側が自力で何かやろうとしても常にイスラエルの妨害を受け、高失業状態が続いているのです。

7.私たちに何ができるのか?

 微力であろうとも、機会を見つけてパレスチナ人の窮状と、イスラエル政府の無法ぶりを周りに訴えること。イスラエル政府のやり方は、猫がネズミをいたぶっているように私には思えてなりません。

 次に、パレスチナ人を精神的、金銭的に支えること。一番いいのは、彼らに仕事の場を提供できることですが、これもイスラエル政府の妨害があり、なかなか難しいのが現実です。ガザはかつてヨ-ロッパに切り花を輸出していましたが、今はイスラエル政府の“制裁”でゼロとか。

8.最後に車と恐怖の出国検査について

 西岸地区ではタクシーがすべてベンツの新車でした。聞けばドイツからの援助だそうです。それまではいつ止まってもおかしくないほどのポンコツ車だったそうです。それと西岸地区では自家用車は韓国車が多かったです。しかも新車です。日本車はかなりの年代ものしか走っていません。これが、イスラエル国内に行くと韓国車より日本車が多く、新車も多いです。やはり所得に大きな開きがあるのでしょう。

 出国検査は極めて懲罰的です。パレスチナ側からの視点で描いたパレスチナの歴史書(西岸地区の本屋で堂々と販売している)を持っていた女性がいましたが、その購入先を詮索され、コーヒ-粉や豆類の粉の袋に外から検査と称して針で穴をあけられトランクは粉だらけ、さては衣類をしつこく検査されました。そのくせ他の人でトランクに水の入ったペットボトルを取り出し忘れた人がいましたが、そのまま検査で引っかからないなどいい加減です。一緒に行った牧師さんは以前、イスラエルの核保有を内部告白したイスラエルの科学者の写真を持っているのが見つかったために、パソコンを調べると称して持っていかれ搭乗時間間際に返されましたが、日本に帰って動かそうとしたら完全に潰れていたそうです。それと出国検査では日本語のわかる係員がいますので注意が必要です。

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『みちしるべ』竹灯篭に思いを込めて**<2012.5.&7. Vol.73>

2012年07月03日 | 山川泰宏

竹灯篭に思いを込めて

 これは「大阪社会福祉協議会」発行のCOMV(コンボ)February.2012VOL.166に掲載されたものです。県道大沢~西宮線(通称;建石線)と阪急電鉄甲陽園線の立体交差計画で、桜や松の古木を切り倒すなとの計画変更を求めた「甲陽園線地下化ネット」に参加する山川泰宏さんに関する記事です。大震災以来、未だに震災ボランティアを続ける氏を取り上げた記事です。発行者の了解を得て、皆さんにご紹介します。
 
 阪神大震災が起きた1月17日、神戸・三宮の東遊園地では毎年、追悼行事「1・17のつどい」が行われています。竹灯籠にろうそくの火がともり「1・17」の文字が浮かび上がる時、被災者の悲しみに寄り添うように、多くの人々がこの場所を訪れます。

 この行事を支えているのが被災当事者でつくるボランティア団体「神戸・市民交流会」。例年11月から摩耶埠頭公園でろうそくを準備。大鍋で教会や葬儀場、個人の皆さま方などから提供された使用済みのロウを溶かし、型に流し込んで1日約2000個、今年はストックも合わせ、約10万個を用意しました。

 12年間、続けているうちに行事の意味合いが少しずつ変化してきたと振り返るのは、同会・事務局長の山川泰宏さん。「最初は亡くなった方の追悼、慰霊の意味が強かったんですが、10年が過ぎた頃から、街の復興にあわせて、心の復興を目指してきました。竹筒に書くメッセージも“追悼”“鎮魂”などから“希望”“夢”に変えていきました」

傷ついたのは遺族だけではない

 竹灯篭の点灯とともに、同会が大切にしてきたのは、つどいに参加した人たちの声を聴くことでした。「どんな思いでこられたのか」山川さんが世間話の中でさりげなく尋ねると、みな多くのことを語ってくれるそうです。

 「つどいの参加者は遺族の方々だけではありません。例えば『人を助けるために神戸へ来たのに、遺体を運ぶことしかできなかった』とずっと自責の思いを抱えている自衛隊や警察の方が何人もいらっしゃいます。ここは、1年に1回、素直な気持ちを言葉にすることで、区切りをつけ、悲しみやわだかまりから一歩前進してがんばろうという気持ちになれる場所ではないでしょうか」と話す山川さん。加えて「来る時より元気な表情で帰って行かれるのが一番嬉しい」と山川さんの顔はほころびます。

復興の姿を次世代に伝える

 「1・17のつどい」が長く続いてきた秘訣は何か。「つどいとは別に、観光都市・神戸をきれいにするため月1回『しみん・くりーん・うぉーく』を10数年間、継続しています。神戸をきれいにすることで外から観光に来ていただきやすくなり、それがまちの復興につながります。震災から立ちなおるという意味で、すべての活動は連動しているのです」と山川さん。

 山川さんの今の思いをお聞きしました。「悲しみの中からこうして立ち上がって来たことを次の世代に伝えたい。それは長く続けなければできないこと。そして、何十年か後、私たちが天国にいった時に震災で亡くなられた方々へそのことを報告できればと思っています」

新たな場とつながりが生まれる

 継続的な支援を行うことによって「ここに行けば安心できる」「原点に返ることができる」新たな“場”が築かれています。その場を通じて、レインボーハウスでは、成長した震災遺児が他の遺児をケアする世代間のつながりが、神戸・市民交流会では、立場や地域を越えた人と人とのつながりが生まれています。活動を続けるほどその輪は大きくなっています。

 2つの取り組みに共通するのは「10年たったらここまで回復する」「長い支援をしなければならない」といった目標や義務感で活動を縛りつけるのではなく、常に、被災者や支援者の“今の”“ありのままの”気持ちに耳を傾けながら活動していること。その結果が、息の長い支援につながっていることにあります。

「生の声」を聴き続ける

 富岡さんは発災後、神戸に入った支援者、山川さんは被災当事者という立場の違う2人ですが、共通して「気づいたら長きに渡って活動を続けていた」と話します。震災では息の長い支援は必要ですが「何か活動を続けなければならない」というよりは、できることをコツコツやっていくことが結果として息の長い支援につながるといえそうです。

 震災に関する報道が減少するのに比例して、震災への関心が薄れてきているかもしれません。できうる限り被災当事者との交流の機会を持つ、それがかなわないならば、被災者と接する支援者から体験を通じた報告を聴くなど、生きた声を共有することが大事なことかもしれません。そうして被災した一人ひとりのことを気負うことなく身近に感じられるような環境を周囲の人たちと共に工夫していくことが、息の長い支援の大きな支えになるのではないでしょうか。

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『みちしるべ』**国土交通省への要請書**<2012.5.&7. Vol.73>

2012年07月02日 | 道路全国連

2012年6月5日

国土交通大臣 殿

道路住民運動全国連絡会(道路全国連)
事務局長 橋本良仁

要 請 書

 今年度の道路予算はこれまでと変わらず大型道路優先で、昨年度と同規模の予算が組まれています。国土交通省は、今後50年間で必要な維持・管理・更新費用を190兆円としています。また、東日本大震災と福島原発事故の復旧・復興に多額の費用が必要とされており、道路全国連は、不要・不急の大型道路建設を大幅に削減すべきと再三にわたり要請してきました。

 以下の要請事項に対し、書面でお答え下さい。また、昨年時の要請時に要望しましたが、責任ある役職位の方の対応を強く要請します。

 なお、昨年6月1日の要請時に回答されなかった項目については、その後、回答要請をしましたが、何ら回答はありませんでした。未回答項目について回答願います。

1. 昨年度の政策仕分けで以下の論点を無視することは許されません。どのようにお考えなのかご説明ください。

  • 論点①② 公共事業について、現状では持続可能性がありません。新規投資は厳しく抑制し、選択と集中の考え方をより厳格に進めるべきである。また、民間資金の一層の活用を図るべきである。この前提として、公共投資の全体像について一層の説明責任を果たすべきである。
  • 論点③  既存ストックの維持管理・更新については、民間資金の一層の活用を図るとともに、重点化や長寿命化を図りつつ、見通しを立てた計画的な更新を行うべき。

2. 新規事業は上記提言に鑑み、震災復興を第一として抑制することが明らかなところ、どのように配慮されたか公表願いたい。先の国交大臣は災害時に有効な道路は高速ではなく地方幹線道路であると公表しています。

3. 首都直下型地震の備えに対して、傷んでいる既存施設の維持管理・更新が最優先とすることは言うまでもありません。どのように取り組んでいるか示してください。

4. 有識者を集めて結論ありきの政策を提言させて追認し、世論を形成する方法は時代遅れである。審議会も同様で、新しい時代に沿った一般市民を参加させる方式に改めるべきです。

5. 事業評価監視委員会で評価をチェックして事業の方向性を決定する方式は形骸化している。
 結論ありきの儀式であることは以下のデータから明らかである。法体制を含めて市民参加、公開性を含めて抜本的に見直すべきです。
  平成10年から23年までの道路事業の審議数300 内 中止0 継続274 事後評価 26

6. 環境影響評価方法の見直しが必要である。
 行政における大気の拡散モデルの採用方式について国土交通省のみが旧態依然のプルーム・パフモデルに固執している。なぜ他省庁と合せないのか。その根拠を示してください。

7. 限られた予算としながら直轄道路予算は23年度1.45兆円→24年度1.47兆円と東日本大震災復興を全く考慮していない。産業構造の転換に合せて見直すべき圏央道に992億円を振り向けている姿勢は問題である。財政悪化で今後もっと厳しくなる予算を見越して「今のうちに」の姿勢が丸見えである。総理の言う「復興第一」と整合性があるのか示してください。

8. 横環南はその大部分が軟弱地盤を縦断する土被りの薄いトンネル構造であり、三浦半島活断層に近く非常に危険である。改めてどのように安全であるか、具体的に説明してください。

9. 今後の生産人口減少、産業構造の変化を考慮して横環南のB/Cの根拠とする50年に亘る交通需要予測を根拠資料で説明してください。

10. 昨年12月、国は東京外環道路(練馬~世田谷間16km)は、2020年東京オリンピック招致のために必要な道路ということで、8年間での完成を発表した。しかし、五輪招致が失敗した場合、外環道建設をどうするつもりか。五輪招致が失敗した場合には、工事の大義名分がなくなる。外環道建設を中止し、東日本震災の被害復旧に向けるべきと考えるがどうか。

11. 平成20年に開催された関係7区市の地域PIで、各地域個別の課題が摘出されたが、平成21年1月、国交省と東京都は住民からの意見や要望への対応方針の素案を公表しただけで、この課題に対する回答は今日まで3年以上も何ら示していない。地域PIで出された課題に対する回答を速やかに行うよう求める。

12. 平成14年11月、「東京都環状道路有識者委員会」は、最終提言を発表。「移転戸数を少なくし、地元住民への影響を軽減化するため、インタ-チェンジ無し地下案を検討の基本とし、速やかに基本的方針を決定すべき」と答申した。ところが、東京都は目白通り~東八道路間(約9Km)の地上部を災害時における緊急輸送道路として幅員40mで事業着工を目論んでいる。国が有識者委の提言を受け、地下化を本線とし、インタ-チェンジを極力減らしたのとは大きな違いである。
 地方分権が謳われているが、このような東京都の理不尽な行為に対し、国が何らかの行政指導を行うことはできないものか。国はこの問題に対し、傍観者でなく当事者として、東京都と接触するよう求める。

13. 外環千葉区間の費用対便益比は1.0である。完成後50年先までの交通状況予測等不確実な要素を考えると便益が費用を上回るかどうかは「半々の確率」という程度の値である。事業費が1兆円に達するような大型事業をこの程度の便益見込みで推進することが許されるのか。

14. 事業評価監視委員会での審議では、費用便益比などの根拠データーに基づく検討が行われていない。これでは「監視委員会」の機能を果たしていないのではないか。

15. 行政と電力会社が一体となった「やらせメール」が発覚している。外環千葉区間の都市計画変更に際しても、国道事務所、企業などが一体となって「やらせ意見書」を大量に提出しているが、こうした事実をどう考えるか。

16. 外環千葉区間において首都国道事務所が暴力団関係者に数億円規模の過払い補償を行っていたことが明らかになった。現在国はこの暴力団関係者に過払い分の返還を求める訴訟を千葉地裁で行っているが、肝心の事実経過の公表を行っておらず、関係者の処分もない。これでは事業の公明性が疑われてもやむを得ないと思うがどうか。

17. 都市計画道路問題について

  1. 道路整備の必要性の評価基準における交通処理機能等の将来交通量の妥当な   基準について国交省の考え方を示されたい。
    東京都は6000台/日を評価基準としているが妥当であるかどうか。東京都の道路整備における基準交通容量は2車線、幅員15m以上は21,600台としているのに整備の指標を6000台とすることは明かに不合理です。
  2. 都市計画道路の整備方針のあり方について
    国交省は新中期計画および改定都市計画運用指針、今後の都市計画はどうあるべきか等の政策において、将来の社会経済情勢を踏まえて、将来交通需要に見合ったそして、格子状ネットワークにこだわらない都市計画道路の整備を行うことを方針として提示し、さらに地方版の経過を立案するように指示しているが、これらが十分に実行されていない。
    例えば東京都は50~60年前の都市計画決定ネットワークをそのまま全線整備する事業化を進めている。これは極めて不道理であるがこれらについて国交省として適正な計画に見直すよう措置を講じられたい。

18. 道路環境アセスメントについて

  1. 道路騒音等についての適正なアセスメントの実施及び環境保全措置について
    ① 第一種住専地域への幹線道路沿道の特例基準適用を廃止するように国交省道路アセス技術指針の評価の指標を改正すること。特例基準では住専地域の静穏な居住環境、生活と健康を守ることはできません。このことは特例基準施行後の実態から明白になっています。
     道路アセスにおける騒音・振動等の予測・評価及び環境保全措置について、大型車は別個に予測・評価し、適切な環境保全措置を講ずるように技術指針等を改めてください。大型車の定常走行時は70~80dB,交差点や坂道等での加速騒音は90dBにも達することは実態から明白です。等価騒音による平均値では60~70dBです。
  2. 複合(合成)アセスを行うよう技術指針を改正
    交差点、並行道路、幹線道路等に囲まれ、あるいは近接する住専地域について複合(合成)調査を実施するよう技術指針を改定してください。
    現行アセスでは事業本体しかアセスの対象にしていません。沿道住民は本体とともに既存の道路との複合した公害を受忍しなければなりません。複合アセスの実施は事業者の当然の責務です。
  3. 安全則に基く複数予測を技術指針に明記してください。
    環境省の基本的事項にも明記しています。「科学的知見の限界に伴う予測の不確実性・・」、これに対応する施策は複数予測です。交通量をはじめ、大気汚染、騒音・振動その他の環境要素について複数予測を行うことによって安全性を担保できます。

 以上の要請事項は各省等が独自に制定する技術指針に関する事項です。国交省として道路環境の保全のため検討し、よりよい施策とするようにしてください。

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『みちしるべ』**道路住民運動全国連絡会活動報告**<2012.5.&7. Vol.73>

2012年07月01日 | 道路全国連

 次の文章は、毎年6月の環境週間に行われる「公害被害者総行動」の集会に対して、「道路住民運動全国連絡会」が提出し、集会パンフレットに掲載された活動報告書です。「公害被害者総行動」には、水俣病・カネミ油症・予防接種禍・大気・道路・空港・新幹線etc.などの公害被害者団体が参加し、「道路全国連」も参加しています。
 後半部分は、「公害被害者総行動」で行われた中央省庁交渉において、「道路全国連」が国土交通省に提出し交渉した要請文です。

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2012年6月5日

道路住民運動全国連絡会活動報告

道路住民運動全国連絡会(道路全国連)
事務局長 橋本良仁

1 はじめに

 ムダで有害な公共事業の代表格である道路事業は、一向に止まらない。「コンクリートから人へ」を公約に掲げて政権を担った民主党も自公政権下で進められてきた公共事業のあり方を見直さず踏襲している。政・官・財癒着構造の下で強行される大型道路建設で沿線住民は終の棲家を追われ、日本の美しい山、川、海の自然破壊は進行している。

 こうした中、全国の道路住民運動団体は良好な住環境と自然環境を守るため、粘り強く運動を展開している。

2 東日本大震災を好機に高速道路建設を推進

 2012年度の道路予算は、昨年度とほぼ同額の予算を確保し、東日本大震災の復興・復旧予算を加えると前年度を大きく上回った。これまで費用便益比が低く赤字路線として財源が付きづらかった地方の未開通部分の高規格幹線道路や東京外環道路(250億円)、圏央道(992億円)をはじめとした全国の高速道路の復活を含め多額の予算を計上した。

 急速な少子高齢化社会の到来と産業構造の転換に伴う交通需要の減退を迎え2010年以降今後50年間の維持管理・更新費だけでも190兆円必要という状況下では新規高速道路建設を行うべきではない。

 2兆6000億円を投じて2012年4月に開通した新東名(三ヶ日JCT~御殿場JCTの162㎞)は、1980年代のバブル期の計画でありその経済効果にも疑問の声が挙がっている。

3 増加する傾向の裁判

 どうしても止まらない道路建設に対して全国の道路住民運動団体は、最後の手段として裁判を提起し、その数は年々増加している。しかし、司法は住民の主張に耳をかさず行政裁量権を最大限認める傾向が強い。暴走する行政に対し司法のチェック機能が働くことが求められる。

4 公共事業チェック議員の会

 超党派の議員連盟である「公共事業チェック議員の会」の活動は重要である。しかし民主党が与党になって以降、国民の声に十分応える活動になっていない。議員の会の活動を活発にするため、市民からの働きかけを強める必要がある。

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別紙1

第37回 道路全国連・全国交流集会 集会アピール

 第37回道路全国連・全国交流集会は40団体、103人が参加して、外環道路への建設反対運動が40年を迎えた千葉県市川市で11月5日、6日の2日にわたり開催された。
 ムダで有害な公共事業は一昨年の政権交代後も一向に止らず、多くの国民に失望を与えている。公共事業費の中でも道路建設のための事業費は突出しており、住民を無視して進められる環境破壊の道路建設をストップさせることは急務である。
 3月11日に起きた東日本大震災は東北地方を中心に東日本各地に甚大で深刻な被害をもたらした。国はそうした被害地域の住民を助け、1日も早い復旧、復興のためにこそ予算を振り向けるべきであったのに、今年度の当初予算における道路事業費は1兆4,536億円で昨年度とほぼ同じ規模であった。特に圏央道や外環道など大都市圏環状道路の事業費は大きく、この二つの道路だけで約1,200億円もの予算が計上されていた。これは津波で流された鉄道や地震で寸断されている生活道路の全てを復旧させるために必要な予算を上回る規模である。国土交通省は当初、公共事業予算の5%を震災復興費捻出に備えるためとして執行を保留にしてきたが、10月7日、それさえも解除してしまい、さらに災害対策を名目に高速道路建設を一層進めようとしている。国がこうした予算の立て方を改めずに、震災復興を名目に新たな税負担を国民に求めることは許されない。
 福島第一原子力発電所の原子炉事故は政・官・業・学・報(メディア)がつくり上げてきた「安全神話」を一挙に崩壊させた。私達は道路建設をはじめとする公共事業の中に原発と同じ政・官・業・学・報一体の「安全神話」の形成と住民への押しつけを見て来た。建設を前提とし、道路建設の影響を故意に低く評価する環境アセスメントや道路建設の効果を過大に評価する事業評価などである。また必要な情報を国民に隠す手法や公聴会や説明会で行政が音頭を取って情報操作をしてきたことも原発と同じ構図である。さらに言えばこうした行政のあり方をチェックし、その暴走を止める司法がその役割を果たして来なかったことも厳しく追及しなければならない。
自動車排出ガスと学童の喘息発症との因果関係が大気汚染被害者の粘り強い運動の結果、環境省のSORAプロジェクト(自動車排出ガスと呼吸器疾患との関連についての研究調査)でも明確な形で証明された。これによって自動車排出ガスの影響で苦しむ全国の公害被害者の国による救済は急務となった。また道路建設によって自動車排出ガスが新たな健康被害者を生まないよう、安全側にシフトした環境アセスメント制度を確立し、新規はもとより建設中の道路についても建設を中断しアセスをやり直すことが必要である。
今回の集会では公共事業の現状を分析し、その抜本的な改革に向けて日弁連が提案する「公共事業改革基本法(試案)」について高尾山天狗裁判弁護団長・鈴木堯博弁護士が特別報告し参加者で議論した。試案の目的は公共事業における徹底した情報公開と市民参加の保障そして客観的で科学的・合理的な評価システムの確立である。私達はこの提案に大いに勇気づけられた。
福島第一原子力発電所事故という災禍を機に公共事業のあり方が改めて問われている。私達はまちづくりや自然保護の運動そして子ども達の健康を守りたいと願う人々と連帯しムダで有害な道路建設を止めさせ、自然と調和した真に豊かな社会を構築するため、今後も粘り強く運動を続けていく。

2011年11月6日

第37回 道路全国連・全国交流集会参加者一同

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別紙2

2011年度の公共事業を精査して、
不要・不急な事業の予算を震災復興費へシフトしてください

2011年7月20日

菅  直人  内閣総理大臣
平野 達男  復興対策担当大臣
野田 佳彦   財務大臣
海江田万里  経済産業大臣
細野 豪志  原発事故収束・再発防止担当大臣
木 義明   文部科学大臣
大畠 章宏  国土交通大臣
鹿野 道彦   農林水産大臣

全国自然保護連合 
道路住民運動全国連絡会
ラムサール・ネットワーク日本
水源開発問題全国連絡会

 3月11日の東日本大震災は、大地震・巨大津波・レベル7の原発事故が重なり、未曾有の大惨事となりました。とりわけ福島原発の危機は、持続可能でない私たちの社会を象徴しており、今までの日本社会のあり方に根底からの見直しを迫っています。

 私たちは、被災した方々の生活再建について、市民として連帯と協力の意思を表明するとともに、国会と内閣が生活再建を最優先した政策・事業を採用すべきだと考えます。

 2011年度の公共事業予算は約5兆円になります。その中には以下記述のとおり、必要性が明確ではない事業、あるいは必要性があっても直ちに実施しなければならない緊急性がない事業が少なからず含まれています。

 東日本大震災の被災地の復興のためには、巨額の予算をすみやかに確保して、資材、人材等を集中的に投入しなければなりません。公共事業全般について真の必要性があるかどうか、緊急性があるかどうか、早急に精査し、必要性または緊急性が明確でない公共事業の2011年度予算を減額修正して、復興財源としてシフトすることが必要です。

  1. 幹線道路、空港整備、新幹線・リニア整備、湿地埋立などの公共事業は計画から完成まで数十年かかる事業であり、緊急性を要するものではなく、また、その必要性に疑問が呈せられているものが数多くあります。
  2. ダム事業は現在、検証作業が行われているように、その必要性が疑問視されているものであり、しかも、長期の建設期間を要し緊急性がありません。
  3. これらの公共事業には自然生態系に大きな影響を与えることが危惧されているものもあり、昨年10月の生物多様性条約締約国会議のホスト国である日本政府は、そこで議決された「愛知ターゲット」を守ることが求められています。よって、これらの事業の執行は慎重でなければなりません。
  4. 更なる原発事故の危険性を高める「もんじゅ」等の原子力発電開発関係の予算は凍結する必要があります。

 不要・不急な公共事業予算の震災復興費へのシフトがなされないまま、大量の国債を発行したり、増税を行ったり、国民生活に直結する予算を削減したりすることには、国民が理解を与えません。

 私たちは、国民の代表たる国会と内閣の主導によって、公共事業2011年度予算を緊急度の視点で徹底精査し、そこで捻出された予算額を震災復興費へとシフトさせることを、求めます。

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