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『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

故 砂場 徹さんの原稿*バックナンバーのアップ始めます

2013年05月26日 | 日記

 砂場徹さんは、「阪神間道路問題ネットワーク」の立ち上げを、その中心になって進められた人です。そして、初代の代表世話人でもありました。残念ながら2009年1月7日、84歳の誕生日を目前にお亡くなりになりました。氏の経歴や活動については、『みちしるべ』第56号(2009年2月)が追悼特集になっておりますので、ブログアップは何時の事やら……ですが、そちらに委ねることとしたいと思います。

 とりあえずは、著者別カテゴリーのトップとして、砂場徹さんの原稿をアップします。何分、デジタル記録が無くなっているモノばかりで、苦労しております。印刷物をスキャンし、自動読み取りを行っております。多少時間が必要となりますので、ご容赦のほどを。

 最後の原稿は『みちしるべ』第39号(2006年1月)となっております。その後は体調も良くなく、末筆となってしまっています。意外と投稿が少なく、全部で22稿しかありません。振り返ってみると、意外でした。

 かなり以前の文章ですので、時代感覚のズレもあろうかと思います。しかしながら、時代を戻してみるのも、また新鮮なものかもしれません。乾坤一擲(けんこんいってき)というのが、氏の生き様のように思います。信じるところを、いつも、伸るか反るかの大勝負に賭ける。そんな大胆さを感じています。

編集長代理(ブログ管理者) 藤井隆幸

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『みちしるべ』ラヂオチックな生活**<2013.5. Vol.78>

2013年05月23日 | 藤井隆幸

ラヂオチックな生活

藤井隆幸

 TVの地デジ化(と言うよりアナログ電波の停波が正しい)になって、騒々しかった賛否両論も影をひそめてしまった。低所得者向けに、総務省がコンバータを無料提供したこともある。そもそも集合住宅で共聴アンテナの所は、引き続きアナログ波も配信しているようだ。

 家電メーカーによるTV販促の謀略とも言われた。が、謀略であったとしたら、目論見は完全に失敗というところか? とりあえずは、プラズマ陣営が完敗したようだ。パナソニック尼崎プラズマ工場の撤退は、そのことを反映している。液晶の大型化実現で、液晶に軍配が上がったかに見えた。しかし、液晶が売物のシャープの経営不振は、何だったのか?

 商品に占める人件費の削減で、ボロ儲けをしてきたのであるが、国内市場の消費低迷を起こしてしまった。家電メーカーは、その分、輸出市場に賭けていたが、世界経済の後退で、それもうまくゆかない。“アベノミックス”で円安が実現し、輸出に弾みがつくかに見えたが……。今後の原材料輸入の高騰が効いてきて、製造単価の上昇で帳消しと言うところか?

 事ほど左様に、日本政財界の無能ぶりが露骨に表れ始めた。世界制覇していたかに見えたアメリカは、地球上で一番深刻な財政危機の真っ最中。日本の借金は国内で消化しているので、徳政令(借金棒引き法)を国会で通せば、翌日には国債残高ゼロが実現する。が、アメリカはそうは行かない。16兆ドルの借金の内、最大貸付国の中国と、二番手の日本に、それぞれ1割を借りている。日本の指導者だけが、馬鹿やってんじゃないんだ。世界の指導者も……。

 さて、前置きが長きに過ぎてしまったが、我が家にはTVというものが無い。20年以上もであるから、気にならなくなっている。また、新聞も10年近くも前から購読していない。ロビンソンクルーソーかと言えば、確かに芸能界のことは全く判らなくなっている。が、インターネットという代物のおかげで、なに不自由してはいない。

 ところで、地震や災害時には、パソコンも停電で見られなくなってしまうかも。イアホンのみで聞けるAM(中波)ラジオがあったが、ある人物に提供してしまっていた。ある時、ホームセンターで980円のラジオを見つけた。聞いた事もない会社であるが、日本製であることが気に入って、衝動買いをしてしまった。

 一応、FM(超短波)もAMも聞けるのである。単一乾電池2本を入れるというのも、気に入ったところだ。数か月、ほぼ毎日数時間かけているが、未だにしっかり聞ける。5cmスピーカーも付いてはいるが、深夜に聞くことが多いので、電子ピアノ用に買っていた、これまた980円のヘッドホンで聞くことが多い。ラジオはモノラルではあるが、ヘッドホンでは低音も良く聞こえる。気に入っている。

 ただ、高架高速と高架鉄道に挟まれた居住地では、電波状況が大変悪い。AMは何ら支障なく聞けるので、災害時にはOKだ。しかし、私の好みはFMで音楽を聴くことである。何とも電波の入りが悪い。アンテナ端子があれば、TVアンテナ(共聴ケーブル)のコンセントにつなげばよいのだが。そこは980円の代物で、端子はない。

 ネットで調べたが、良いアドバイスは見つからなかった。ラジオについているロッドアンテナは、1/2サイズであることが判った。どんなコンパクトラジオのロッドアンテナも、長さは同じである。では、波長に同調しやすいように、針金で倍に長くしてみた。これが大正解で、非常に快適に聴くことができている。

 ところで、西宮市が設置にかかわっている「さくらFM」と言う放送局がある。色々の番組はあるのだが、殆どの時間は「お聴きの放送はJOZZ7ANFM、78.7MHz、さくらFMです。只今は音楽番組を放送しています。引き続き、さくらFMの放送でお楽しみください。」とアナウンスが流れます。そして、モダンジャズが、ずっと流れています。

 高校時代の良き青春時代。友人がモダンジャズ好きで、その影響を受けていた。いまだに聞くことが好きだ。普通の番組だと、二宮尊徳ではないので、作業がはかどらない。ところが、モダンジャズを聴きながらだと、結構、うまく行っている。今も、聞きながらキーボードを打っているというのだが……。

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2013年5月例会のご案内

2013年05月14日 | 月例会案内

阪神間道路問題ネットワーク
2013年5月例会のご案内

2013年5月25日(土)1:30~3:30p.m.
塚口さんさんタウン小集会室

暖かい季節になり、過ごしやすくなりました。ご案内が遅くなりましたが、例会の場所が決まりましたのでお知らせいたします。この会場の使用は初めてになりますが、分り易いと思います▼さて、今年の「道路全国連・全国交流集会」の日程と場所が決まりました。11月9~10日(土~日)に東京経済大学で行われます。大学で行われますので、学術会議という形式になっています。阪神間からは遠いので、多数の参加とは行かないのですが。8月頃に全国実行委員会が、名古屋で行われる予定です。具体化されましたら、また、ご連絡します▼先月の例会では、西宮の山手幹線の皆さんにお世話になりましたが、西宮と芦屋の山手幹線からのご参加。川西自然教室や尼崎からのご参加がありました。日程の重なったところも多かったようで、参加者も少なかったので、道路問題から社会一般の話になったように思います。参院選を7月に迎えますが、憲法改訂など、どうなるのか?デフレ志向論議がありますが、庶民生活は悪化の一途で、期待と不安があります▼最後に『みちしるべ』5月号ですが、最後の予定原稿が5/20になります。もうしばらくお待ちください。7月号の原稿もよろしくお願いします。(F)

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『みちしるべ』パリの挨拶**<2013.5. Vol.78>

2013年05月04日 | パリ&東京&沖縄より

パリの挨拶

Yamanba.mako.

いつでもどこでもボンジュール

 アパートの22階(日本式に言えば21階)からエレベーターに乗ると、ふだんは無人だが、通勤時間にぶつかると、結構いっぱい。口々に「ボンジュール」と乗ってる人も乗ってくる人も。こちらも急いで「ボンジュール」。それが各階ごとに、人が乗ってくるたびに、繰り返される。割と無表情のまま機械的に。朝と昼間はこれ一色。夕方は、「ボンスワール」も時々混じるが、面倒だったら、四六時中「ボンジュール」ですませられる。英語より簡単では?日本でも時間を気にしながらの「おはようさん」だし、「あらもう、そんな?」の「こんばんは」。刻々時間を見計らいながらの「ご挨拶」はなかなか細やかでいいが、外国人にとっては簡単なのが一番。

 エレベーターから吐き出されて、皆スタスタとバス停へ。パリの冬の8時半はまだ薄暗い。この限りでは、ここも「暗いうちから職場に向かう働き蜂」の群れには違いない。バス停の囲いからはみ出している結構なラッシュだが、ここでは「ボンジュール」が飛び交うことはない。アパートの中の「同じ屋根の下」同士は挨拶する仲間で、街頭に出れば「知らんぷり」同士なのかしら?

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『みちしるべ』東日本2年目の追悼つどい(その1)**<2013.5. Vol.78>

2013年05月04日 | 山川泰宏

東日本2年目の追悼つどい(その1)

山川泰宏(甲ネット事務局)

 東日本大震災から2年目の追悼の集いの開催に、ひょうごボランテアプラザの支援バスに加わり、宮城県名取市閖上地区と仙台市青葉区勾当台公園で開催の、震災2年目(3回忌)の追悼行事に神戸・市民交流会からも竹灯篭を持参して参加させていただきました。
行程は……

3月9日(土)17:00~

  • 神戸駅クリスタルタワー1階ロビー集合
  • 大型観光バス 3台
  • 募集市民ボランテア 54名 (スタッフ8名、神戸・市民交流会6名、一般募集ボランテア40名)

17:30~出発式

  • 摩耶埠頭公園神戸・市民交流会事務所
  • 竹灯篭他積み込み
  • 一路名取市閖上に向けてのバスの旅の始まり

3月10日(日)

  • 3台の大型観光バスに分乗した参加者に竹灯篭の謂れを説明
  • サービスエリアでトイレ休憩をしつつ

9:00宮城県名取市閖上中学校到

 主催 名取市観光物産協会
 会場 日和山公園から旧閖上中学校
 参加 ひょうご、早稲田大学、多くのボランテア参加で準備作業

 折からの強風で道路上に飾る絵燈籠や校庭に飾る絆の竹灯篭は、強風のため一部を除いて中止になりました。閖上の絵燈籠で飾る光の回路は、津波が襲来した15:55に日和山公園から閖上中学校の校舎に避難した多くの市民が、津波に巻き込まれ犠牲となったところです。

 その中に閖上中学校卒業生で東北大学在学中の吹奏楽部の女子大生が、アルバイトでためた30万円で購入した大切なトランペットを背負い犠牲になりました。数日後、トランペットを背負い遺体となって発見されたと、涙を浮かべつつ悲しみの実行委員長が語る言葉に震災で亡くした命を愛しみ目頭の奥が熱くなりました。

 多くの犠牲者が津波から逃れようと懸命に逃げた、日和山公園から閖上中学校まで、亡くなった多くの犠牲者の魂を導く光の回路で飾るべく計画しました。強風で叶わなかったのですが、犠牲者の魂に光が届けられたと信じます。また、東北大学吹奏楽部の6人の仲間のトランペットの吹鳴の黙祷で、希望の灯りから分灯された、竹灯篭に手を合わせる多くの市民に復興の思いが届けられたと信じます。

 竹灯篭へ灯したのは、3月7日に神戸市東遊園地の希望の灯りから分灯したものです。火を絆と並べた竹灯篭に点火させて、式は厳かに灯されたのを見て、参加してよかったと心から感じました。式典は悪天候の中で18:00過ぎに終了、後片付けをして宿舎に着いたのは20:00を過ぎていました。宿舎の浴場にて強風で汚れた砂埃を洗いながし、遅めの夕食をとり、翌日に備え休みました。

 翌日、訪れた宮城県若林区荒浜に建立された、観音様の開眼式の前に皆で犠牲者を悼み、黙祷を捧げて次の目的地の仙台市青葉区勾当台公園に向かいました。

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『みちしるべ』早春の北帰行**<2013.5. Vol.78>

2013年05月04日 | 山川泰宏

早春の北帰行

神戸・市民交流会       
1.17つどい実行委員会
甲ネット事務局          
山川 泰宏 

 2011年4月24日死去した母ヨシエ(享年95歳)の3回忌の法要で5人の兄弟姉妹が2013年4月20日、函館に集結することになりました。

 遠い北海道の函館まで飛行機を利用すれば楽なのは知っていますが、このたびも関西から函館まで新幹線利用の旅を計画しました。

 行程の往路は4月20日出発、そして帰路は途中下車での寄り道がない4月22日の強行軍での旅でした。

 東海道新幹線 新大阪発 08:10 ~ 東京着    10:43  のぞみ112号
 東北新幹線    東京発    10:56 ~ 新青森着 14:30  はやて31号
 海峡線特急    新青森発 14:40 ~ 函館着    17:01  特急白鳥23号

※ 参考までに旅費 乗車券及び特急券 往復42,510円/大人1名(但しジパング会員)

 航空機と違い、新幹線の旅の楽しみは車中のビールと駅弁の味を堪能する、途中下車の楽しみでもあります。

 東京駅で乗り換えの10分間で選んだのは、駅弁、東京名物「深川めし」でした。1食850円。茶飯の中に深川煮(アサリ、油上げ、牛蒡)煮穴子、玉子焼き、コンニャク煮、人参、いんげん、そして漬物はべったらと小茄子の漬物と色とりどりに少しづつ、小さめの容器に入っていました。

 江戸前の食材が使われた駅弁を旅の車中で食べる何とも言えない美味しさ。味付けは関西人にはなじみの薄い、少し濃い味付けで関東や東北そして北海道人には懐かしい駅弁でした。

 池波正太郎が書く、剣客商売の主人公「秋山小衛」の隠宅、大川(隅田川)辺の其処此処へ出てくる人々が食べる庶民の味が彷彿と浮かんでまいりました。

 航空機の旅とは違い、時間がかかるのんびりした旅は毎日が日曜日の後期高齢者、のんびり、ゆったりの列車の旅も捨てがたい味わいでもあるのではないでしょうか。乗客の中に旅ツアーを楽しむ団体さんも多くみられます。

 新幹線の車窓から仙台付近では桜の満開が見られましたが、津軽海峡を越えた函館市内は寒く、桜の開花には1週間先のような状況でした。函館市内の街路樹も山々の木々の梢は寒々とした姿と、所々に残る残雪に、新緑の春は遠いと感じました。

 法事を終え、故郷のお墓詣りに訪れた墓所のあちこちに、沢山の蕗の薹が花を咲かせ、久しぶりに見る春の訪れを知らせてくれる自然の恵みを味わい、これこそ北国の春を実感したのです。

 墓参りの後、道立自然公園『新日本百名山』の一つの恵山(618m)にある、HOTEL恵風(けいぷう)に宿泊しました。

 恵山について書き記しますと、祈りの山、蝦夷三霊山:有珠善光寺、大成太田山と並び「蝦夷三霊山」。花の山、恵山の植物は692種類。内60種類あまりの高山植物が全山を彩り、多くの鳥たちが訪れます。エゾヤマツツジの群落(5~6月)が山腹を紅色に染める景色の季節に訪問したいものです。

 函館駅で時間待ちの間、函館駅前の朝市をぶらり散歩してみる。観光客の多くは東南アジアからの観光客ばかりが見られ、市場内は閑散と売り場の売り声も寂しげに函館駅前の賑わいにも昔の面影さえ見いだされない風景が存在しています。街中の商店街もシャッターで締め出された不況感が、北洋船団の賑わいや青函連絡船の乗客で賑った遠い昔の想い出の中に埋もれていました。

 2015年新青森から函館迄(旧渡島大野=北斗市)開通する予定ですがどれだけの賑わいが取り戻せるのか、あまり期待が持てないようです。新幹線の旅が大幅に短縮されるので、航空機の旅より良くなるのかとも期待したいものです。

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『みちしるべ』「≪居住の権利≫とくらし」**<2013.5. Vol.78>

2013年05月02日 | 神崎敏則

「『居住の権利』とくらし」
(家正治編集代表・藤原書店出版)を読んで

神崎敏則

 本書は3部で構成されている。第Ⅰ部は、居住問題・住居の権利を震災との関連でとらえている。また世界の居住運動も紹介され、読み進むにつれて興味の対象がどんどん広がっていく。

 第Ⅱ部は、被差別と居住権と題して、住宅明け渡し裁判をめぐる問題を掘り下げている。

 第Ⅲ部は、それぞれに現場の運動にかかわってこられた方たちが書かれたコラム集となっている。

第Ⅰ部 震災と居住問題

 日本の国会でつくられた法律には、「居住の権利」という言葉は存在しない。しかし、日本政府が1979年に批准した「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際人権条約」(略して社会権条約)11条は、すべての人に「居住の権利」を保障している。

 ご存知のように、批准された条約は国内法としての効力をもつ。しかも、条約は法律に優先するから、条約に違反する法律は無効となる。日本政府は「居住の権利」を保障しなければならない。

 編者のひとり熊野勝之弁護士は「居住の権利」は、福島第一原発事故で避難した住民に①「元の場所に戻る権利」、②「原状回復を求める権利」を保障し、③日本政府には「避難させる義務」を課している。そして、そもそも原発を住居から22km(この数値の根拠は読み取れなかった)の範囲内に建設させることは許されなかったと主張する。

 伊方原発訴訟では、「炉心から敷地境界までが700m」しかないとの原告の主張に対して、被告側は、原発はそもそも事故を起こさないし、「万々一」の事故でも半径700mの外に有害な放射能が出ることはないと豪語した。熊野弁護士によれば、「居住の権利」が確立できるかどうかが、原発政策の分岐点のようである。これ程重要な権利でありながら、その存在は意図的に隠されてきた。

六法全書の透き間から「居住の権利」が発見された

 「居住の権利」は、1995年1月17日の阪神淡路大震災によって「発見」された権利である。

 阪神淡路大震災で、一挙に多数の人が住居を失い、公式の避難所へ入れなかった人々は公園や学校に住まざるを得なかった。神戸市は山奥の仮設住宅に追い込もうとしたが、その仮設住宅の建設戸数は、厚生省事務次官から都道府県知事あて通知により「全焼全壊住宅の最大限3割以内」に制限されていた。学校や公園に住み続けた被災者は、ある朝突然「不法占拠になるから出ていけ」と言われても、行き場がない。その時、六法全書の透き間から社会権条約11条1項「居住の権利」が発見された。

 この発見は、被災者を救済したのだろうか。

 阪神淡路大震災では、国連NGOの調査団を招き、また政府報告書審査に合わせてカウンターレポートを国連へ提出するなど運動と相まって、公園など不法占拠と決めつけられていた場所に「住み続ける権利」が、一定程度確保された。

 また、京都府下ウトロの在日朝鮮人の集落は、判決で負けながらも、運動と相まって「住み続ける権利」が確保されつつある。

 被災者が仮設住宅で孤独死を招いたことの反省から、山古志村などのその後の震災では、被災者がコミュニティーを維持する上で一定の役割を果たした。

 第Ⅰ部の3番目の執筆者である早川和男さんの文章が鋭く、厳しい。

 1974年神戸市が委託した、大阪市立大学理学部と京都大学防災研究所による報告書には、「神戸周辺では都市直下型の地震発生の可能性があり、(中略)壊滅的な被害を受けることは間違いない」と明記され、『神戸新聞』も1面全頁を使って報じたが、宮崎神戸市長は無視した。

 1979年には三東哲夫・神戸大学教授は兵庫県への報告書に「六甲山系西南西~東北東方面に並走している多くの活断層の再活動はそう遠くなく、規模も大きいことが予想される」と記した。

 更に85年には京大防災研究所の佃為成さんが「兵庫県下など近畿地方にはM7クラスを超える大地震が発生してもおかしくない条件がそろっている」と警告した。これらの警告を行政側はことごとく無視した。

 「『阪神』での地震による直接の犠牲者5502人の88%は家屋の倒壊による圧死・窒息死、10%は零細密集住宅地での焼死、2%の大部分は落下物によるものであった。阪神淡路大震災は明らかに『住宅災害』で、市場原理・自助努力による住宅政策の結末」だと断じている。そしてその犠牲者は、高齢者、障害者、低所得者、在日外国人、被差別住人など、日常から住居差別を受けている人たちに多かったことをデータで示している。
震災の犠牲者が社会的弱者と言われる人たちに偏在しただけではない。復興でも偏在した。仮設住宅は、居住地から離れたところに建てられ、生活再建が厳しい人から入居したことにより、それまでのコミュニティーが寸断され、独居老人の孤独死が大きな問題となった。「地代は要らないから仮設住宅を自分の私有地に建て、自分と他の人たちと一緒に住みたい、という申し出を行政は拒否した。私有地に建てると後で権利関係が錯綜するというのが主な理由であった」。

 一方、山古志村の取り組みを経て「東日本」では、民間賃貸住宅を仮設住宅とする「見なし仮設」の制度ができた。大きな前進面のようだ。2008年現在、全国で800万戸近くの空き家があり、「見なし仮設」のように、家賃補助、住宅の耐震化、障害者対応その他によって社会的活用が本格的に図られるべきだと、早川さんは主張する。

第Ⅱ部 被差別と居住権

 1996年公営住宅法の改正により、応能応益方式に変更され、一定の収入がある世帯は公営住宅への申し込みをできなくする一方、すでに公営住宅に入居している世帯に対しては、収入に応じて家賃を高額化することで、公営住宅から追い出そうとした。例えば奈良市F地区では、1万円余りだった家賃が最高で10万円を超え、寝屋川市K地区では17倍もの値上げとなった。

 これに対し、住宅家賃値上げ反対全国連絡協議会(以下、同住連)は、98年5月、応能応益家賃制度を撤廃させることを目的に、全国で18の地域、約1000名の住民によって結成され、福岡県、山口県、広島県、兵庫県、大阪府、奈良県下の15地区で家賃を供託し、市を相手に11年にわたる裁判を闘ってきた。

 判決は、家賃支払い請求についてはすべて住民が敗訴したが、市が住宅の明け渡しを求めた裁判では、西宮市などの一部を除いて、ほぼ住民の勝訴が確定した。

 住宅家賃値上げ反対運動のキーワードはアファーマティブアクションである。

 そもそも地区の平均収入が他と比べて明らかに低額なので、その是正措置として住宅家賃が低額に設定されていた。1997年、政府は「格差が是正された」ことを理由に、同和対策事業を打ち切り、住宅家賃値上げをおこなったが、その認識が間違っている。下表が格差の存在を明確に示している。

地区と全国平均世帯収入の比較

失業率

 

全国平均

地区

収入比較

全国平均

地区

1990

527万円

303万円

58%

3.1%

3.2%

2000

617万円

320万円

52%

4.8%

9.5%

 吉田徳夫・関西大学教授は、問題の歴史をさかのぼり、特に、明治政府のナショナリズムと排外主義と差別裁判の関係性を論じている。執筆者の論旨を理解できていないのだが、深い問題がそこに広がっていた。現在も直面している課題、それは「個人を尊重すること」である。

 とても刺激的な書籍でした。

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『みちしるべ』≪死の淵を見た男≫**<2013.5. Vol.78>

2013年05月01日 | 神崎敏則

『死の淵を見た男』
(門田隆将著・PHP出版)を読んで

神崎敏則

69名が死を覚悟して免震重要棟に残った

 事故から4日目の3月14日午後、2号機の格納容器の圧力が再び上昇し始め、22時50分原災法15条に基づく通報がなされたことが東京本店から発表された。この時、吉田所長は格納容器爆発という最悪の事態を想定した。協力企業の人たちに帰ってもらうことを決意し「いまやっている作業に直接、かかわりのない方は、一旦お帰りいただいて結構です。本当に今までありがとうございました」と大きな声で叫んだ。その場にいる周囲の誰もが、最期が近づいていることを肝に銘じた。吉田は「こいつなら死んでくれる、こいつも死んでくれるだろう。」と、それぞれの顔を思い浮かべていた。

 翌15日朝6時過ぎ、2号機のサブレッションチャンバーの圧力が0になった。何らかの損傷を起こしたことは間違いない。吉田は「各班は、最小人数を残して退避!」と指示した。およそ600人が退避して、免震重要棟に残ったのが69人だった。

 私たちは彼らに感謝しなければならない。福島第一原発の今回の事故は、彼ら69人によって最悪の事態を回避することができたのだ。

北海道と西日本しか住めなくなるぎりぎりの状態だった

 吉田昌郎は東京電力の執行役員で福島第一原発の所長を担っていた。東京電力の役員会議でもずけずけ本音で物を言うと評判だった。

 吉田は事故から8か月後、突然食道がんの宣告を受けた。2012年2月に食道がんの手術を受けた。退院して治療に専念していたが、7月に脳内出血を起こし2度の開頭手術と1度のカテーテル手術を受けた。

 著者は脳内出血を起こす前の吉田にインタビューしている。吉田は、「最悪の事態」を「格納容器が爆発すると、(中略)人間がもうアプローチできなくなる。福島第一原発に近づけなくなりますから、(中略)単純に考えても“チェルノブイリ×10”という数字が出てくる」想定していたとしみじみと語った。

 著者は吉田のこの話を斑目春樹・原子力安全委員会委員長(当時)に伝えると、「福島第一が制御できなくなれば、福島第二だけではなく、茨木の東海第二発電所もアウトになったでしょう。(中略)汚染によって住めなくなった地域と、それ以外の北海道や西日本の三つに(中略)分かれるぎりぎりの状態だったかもしれないと、私は思っています」と語った。

 繰り返すが、15日の朝免震重要棟に残った69人に本当に感謝している。彼らが死を賭して事故にあたらなければ、少なくとも東海地方から青森に至るまで、壊滅していた。しかし、事業者である東京電力は、あるいはほかの電力会社はこの事実をどう受け止めているのか?

 二度と同じことを繰り返さない、労働者を死の淵に追いやらないと、まずは宣言すべきではないか。その決意の表明もないままに、原発を再稼働させることは許されない。再稼働そのものにあくまで反対だが、無理やり再稼働させるからには最低限の条件として、二度と一人の労働者も死の淵に追いやらないと決意表明する義務がある。事業者としての最低限の義務だ。労働者の死を前提にした事業などあってはならない。

 安全対策を徹底的におこなう。仮にその経費が莫大なので安全対策ができないと判断するのであれば、その時点で原子力発電から撤退する。電力会社が選択できるのは、この二つのどちらかしかない。安全と経費が天秤にかけられてはならない。安全が優先出来ないのであれば、原子力事業からの撤退しか選択肢は残されていないのだ。安全が優先できないけれども事業を展開するということは、いざという時は現場の労働者が犠牲的精神を発揮して死を覚悟して事故にあたるだろうと、想定していることと同じだ。福島第一原発の今回の事故は、制御できなくなった原発はそれほどに暴走することを世界中に知らしめたのだ。

 さて、安全対策についてもこの本の中にヒントが一つあった。

海水をかぶっても運転できるポンプをバックアップとして備えるべき

 非番の当直長・平野は、地震発生直後に車で駆けつけた。その平野ら3人は電源を必要としない消火ポンプを運転して冷却しようと試みている。実際に消火ポンプ室に行き、エンジンを起動させた。エンジンはセルモーターで起動させる構造だ。そのセルモーターはポンプの横にある小型バッテリーで起動し、ポンプを運転できたのだ。

 冷却水ポンプのバックアップ用に、電源を必要としないエンジンで運転するポンプを常設すべきだ。小型バッテリーはもちろん装備はするが、併せて、手引きでも始動できるように起動用のワイヤーも装備する。エンジンが起動すれば、最初はポンプを回すのではなく、配管の途中に取り付けられているバルブをエンジン動力で開操作できるように、ギアを取り付けておけば、短時間でエンジンポンプによる注水が可能となるだろう。

不屈の精神を持ち合わせていた現場労働者に依存するのは止めよう

 吉田昌郎所長は素晴らしい快男児だ。高校時代、般若心境をそらで覚えていた。座右の書は道元の『正法眼蔵』で免震重要棟にももち込んでいた。若い頃から仏教を精神的なよりどころとしていた。どんな困難からも逃げ出さない、その不屈の精神は宗教を通じて培ったのだろう。彼なくして、事故を現在の規模に抑え込むことはできなかったのかもしれない。

 くど過ぎるかもしれないが、吉田所長や免震重要棟に残った69名の労働者たちの誠実さや勇敢さや義務感に依存するのは止めよう。私たちは彼らを尊敬するし、深く感謝するが、それを前提にした原子力事業などまっぴらだ。

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