『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』横断車道(66)**<2012.9. Vol.74>

2012年09月05日 | 横断車道

回虫・サナダ虫などと聞くと、快く思う人は少ないだろう。でも、アトピーや花粉症に効果があるとか、かつてモデルは飼っていたとか。実際に寄生虫研究者で、サナダ虫を腸に飼っている人もいる。その効果は定かでなく、推奨はしないが。寄生虫にとって、宿主であるヒトが衰弱すると、自らの命運も共にする。寄生虫の遺伝子には、宿主を衰弱させてはならないという、何らかの仕組みがあるとも言われている▼さて、発達した資本主義は、金融寡頭制(銀行支配)が徹底されると言われてきた。事実、地球規模で、その頂点にあるのがアメリカの巨大銀行といえる。日本のメガバンクなど、桁がいくつも小さい。第二次大戦後、唯一戦場にならなかった大国で、一貫してリーダーシップを握ってきた。ここにきて、中南米の離反。ユーロ圏の首脳が「金融課税」と言い出した。そもそも、ロシアや中国は、国家経済の統制をしいていて、金融制度放任はない。巨大銀行の落日の影が…▼アメリカの巨大銀行は、庶民から預金を集め、企業に貸し付けて金利を稼ぐような、チマチマしたことはやらない。ヘッジファンドという、マネーゲームをする連中に投資し、短期で巨額の利益を稼ぐ。マネーゲームとは、株・証券・為替・先物などを駆使し、利益を得る金融テクノロジー。ゼロ・サム・ゲームとも言い、総ての取引を相殺すると、ゼロになる。誰かが損をしないと、利益は出てこない。損をしないためには、軍事力行使や軍事情報の利用、CIAの謀略など、手段はえらばない▼では、誰が損をしているのかだ。ところで、日本がマネーゲームの草刈り場になっていることをご存知か。中国に抜かれたとはいえ、地球上で第三位の経済大国。アメリカの指令とあれば、日本政府はアカンと判っていても、何でも聞き入れる。これほど、マネーゲームで儲かる国は、地球上どこにもない。して、勤労者の所得は制度として切り詰められている▼TOB(株式公開買付け)M&A(企業合併買収)が、必要性もなく頻繁である。これらの企業再編の際には、膨大な株取引などが行われ、短期に巨額の利益が上げられる。企業が払うように見えるが、結局は人件費の削減で埋め合わせる。働くほど暮らしは落ち込む。経済の最大部分である消費は落ち込み、実態経済は収縮してゆく。マネーゲームはコンピュータの中の信号が変化するだけで、実態は何にもない架空経済。しかし、実態経済から利益を吸い上げる▼マネーゲームは実態経済を宿主とする、寄生虫なのだ。ところが、実際の寄生虫のように、宿主を弱らせない遺伝子を持たない。ヒトの欲望という因子を遺伝子にしていることで、実態経済を死に至らしめるまで止まらない。が、崩壊に至る前に、それを防止するのがヒトの理性ではないか▼脱原発運動は、日本人の心になった。これが原動力で、ガン遺伝子を理性免疫細胞が、駆逐する変革を信じている(コラムX)

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『みちしるべ』斑猫独語(51)**REX8**<2012.9. Vol.74>

2012年09月04日 | 斑猫独語

<REX 8>

澤山輝彦

 オーストリアを知らない人はまあいないだろう。芸術文化の国だ。美術史、音楽史をひもとけばこの国からはキラ星がいっぱい出ているし、世界史上にも様々な足跡を残した国だ。もう一つの大国なのである。だが、この国、今回のロンドンオリンピックでメダルを取った国の中にないのだ。オーストリアがどのように今回のオリンピックと関わったかは知らないが、銅メタル一つないのである。(丁寧に見たつもりですが、もし見落としていたら、ごめんですませてくださいねオーストリアの皆さん)まあ、メダルメダルとがつがつしなかったんだろう。日本では、なでしこなでしことそれしかないのかというような絶叫ぶりと、メタルが取れて当然なのにどうした、という報道ばかりで、それに比べるとオーストリアは清々しい。このへんがちがうのだなあ。まあ、これはメダルの数ゼロから下した私の判断で、オリンピックにオーストリアがどう取り組んだかわからないから言えたものではあるが。

 そんなオーストリアだが、一般観光案内などに紹介されることのない場所、また現地住民にとってもあそこは一寸という所もたくさんあるはずだ。そんな所が出でくるテレビドラマを有線テレビで見つけた。REX8という題のウイーンを舞台にした警察物推理ドラマで、コミックな面もあり、なかでも題名の元になったレックスというシェパードの警察犬が活躍するのが犬好きの私にはなによりで、愛視聴したのである。このドラマに先に書いたウイーンのあんな所、こんな所というのであろう場所が犯罪の場としてよく使われたのである。例えば鉄道の操車場が出てきた。日本ではもう遠の昔に無くなってしまったものだ。そこにこれはロシアから来た貨車だというのが出てきたりする。陸続きのヨーロッパ大陸ならではの舞台である。ウイーンといえばドナウ川だろうか。そこに海港に匹敵するクレーンやコンテナがならぶ港があったのだ。もちろん市内を走るトラムカー(路面電車※)はよくあらわれた。ドラマで垣間見ただけでの判断ではどうかとも思うが、操車場が今もあるということはヨーロッパではまだ鉄道貨物輸送が行われているのだ。市街地交通にトラムカーが堂々と走っている。これらは日本が捨てたものである。この人達は遅れているのだろうか。彼等は貧弱な文明の下で生活しているのだろうか。

 警察ものだから犯罪者や被害者の家、関係する建物などが当然出てきた。ロケではなく、撮影所のセットもあったかもしれないが、人々の生活の場と見ていいだろう。そこに見たのは、壁を飾る絵画の豊富なことと、そのほとんどが抽象画であったことだ。まさに芸術の都ウイーンという言葉がぴったりであった。操車場、トラムカー、日本から見れば旧式とも思われる交通環境を見て、そんなあたりに住む人々が現代的な抽象画を日常に取り入れている、この洗練された精神はどうだ。私達が捨てたもの、それが進歩だと思ってきたことが私達に達成感を与え、華麗な精神を持たせたか。今一度考える必要があるのではないか。
REX8はREX9まで続いて終った寂しい。

※ 日本でもまだ路面電車が走っているところはあります

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『みちしるべ』赤い夕陽(3)**青い表紙の文庫本**<2012.9. Vol.74>

2012年09月03日 | 赤い夕陽

青い表紙の文庫本(赤い夕陽 3)

三橋雅子

 1945年8月。日本は戦争に負けた。当時、旧満州の首都・新京(現・長春)にいた者にとって、この、日本の生命線と言われた満州が今や戦勝国の手中にあって、どんな扱いを受けるのかさっぱり分からなかったに違いない。頼みの綱であった「最強」の関東軍は、9日のソ連の宣戦布告後、無条件降伏の敗戦宣言を待たずに同胞を棄民してこっそり逃げてしまった。戦勝国ソ連とは、一体どんな格好で進駐してきて、どんなことをするのだろう?「負けたことがない日本」はまったく分からない。恐怖と、好奇心が拮抗していたようである。

 その進駐の様子で真っ先に驚いたのは、ソ連兵が真夏とはいえ肌が見える、軍服とはいえないぼろぼろの、ほとんど裸に近いナリだったこと。その、垂れ下がるぼろの軍服の破片が何色だったかは覚えがない。日本のそれのカ-キー色ではなく、グリーン系であったように思うが、それもダークだか、ライトだか汚れきってぶら下がっているのだから、そもそも元を知れるわけはない。記憶はあいまいなもの、特に色の記憶は、と言われるし。

 彼らはドイツ戦線からその年5月のドイツ敗北後、駐留軍として留まり、そのまま帰国途上、満州に寄らされた部隊だという。もう身も心も着る物も、ただただボロボロだったらしい。あれが戦勝国?とその恰好はなんとも滑稽な風景だったと大人たちは笑った。

 先ず最初に現れたのは囚人部隊。傀儡国家、満州国の首都、新京に進駐して来るには、どんな応戦が待っているか?「泣く子も黙る」関東軍が、それなりの抵抗を試みることが予想されたのかもしれない(現に北満では些細ながら交戦があった)。サッサと逃げてくれたのが、新京を戦禍に巻き込まなかった、という結果をもって、関東軍は賢かった、という人がいるが、私は許さない。そういう意図があったなら、なぜ我々をだまし討ち同然の態で混乱のるつぼに放り出し、こそこそと自分たちの保全だけを図り、しかも自分らの財産の守りだけはしっかりやって、同胞を棄民したのか、許せない。

 その「戦勝国」ソ連の、裸同然の部隊が瞬く間にバリッとしたぴかぴかの軍服姿に変わった。何となく袖もズボンもツンツルテンでおかしいのは、日本の関東軍被服庫ですべてを賄ったらしいと、大人たちは笑った。しかしそんな風景を笑っていられたのはつかの間のこと。前にも挙げた半藤一利の『ソ連が満州に侵攻した夏』に「戦争史上稀にみる残忍非道な戦勝国の暴虐」と書かれている情景がまもなく繰り広げられる。

 始めは街頭で追剥に遭うくらいのものだった。散歩好きで何かと外の様子を見に出かける父は、始終身ぐるみ剥がれてステテコ一枚で帰ってきた。知人は娘を連れて行くと良いと言う。剥がれそうになったら娘がギャーッと泣く、イッパツでロスケは解放してくれるよ、と。子供には弱いのだ。4年生の私は、そのお嬢さんより小さいからもってこいだ、と外出のお供をすることになった。向こうから何か物色しながらソ連兵が近づいてきて、指をヒコヒコさせると、父のポケットをまさぐり始める。今だ、と思うが私は泣き声が出なかった。恐怖でではない。なんだ、無礼なやつ!と思い切り蹴飛ばしたくなるが、ウェーンと嘘泣きをすることができない。今度は演技ができるかな?と数回試みたが、どうしても私は泣いて「こわいよー」という振りをしたり、慈悲を乞うことができなかった。しかし一人の時より明らかに凶暴さが違うらしくて、父はこれでいいんだ、いいんだ、と言って相変わらず私を外出のお供にした。命には別条なくても、被害は受けるのである。子供ごころに不甲斐なかった。

 ふと、書庫の隅から、兄が使ったのか、青い表紙の「ロシヤ語会話」と言う本を見つけた。めくってみると、さっぱり見たこともない、おかしな形のロシア文字らしいが、いちいち片仮名が振ってある。これだ!と嬉しくなって、外出のお供にした。向こうからソ連兵が、きょろきょろと物欲しげな視線を泳がせて近づいてくる。父に向かい合った時、今だ!と私は「こんにちは」のところに書いてある「ズドラーストヴイチェ」を、一音づつ区切るように声に出した。聞いたこともない言葉である。片仮名の通り読むしかない。ソ連兵は戸惑った風に、ちょっと怪訝な面持ちをしたが、すぐに「ダ、ダ(yes,yes)、ズドラースチェ」と軽やかに言って、にっこり笑いそのまま立ち去った。なるほど、そういう風に発音するんだな、と私は「役に立った」ことより、「通じた」こと、こちらの発信に何らかの反応を示してくれた、と言うことが嬉しくて嬉しくて「ズドラースチェ」を真似して繰り返した。それからは「楽しい散歩」である。出かけるたびに私は、「ズドラースチェ」で相手をにっこりさせ、「スパシーボ」「ダ・スビダーニヤ」と新しい単語を試してみた。スパシーボは、何も被害を受けなかったことへのお礼のつもりのthank you。ダ・スビダーニヤは、つかの間の接触とはいえ手を振って、「またね」とは決して思わないけどgood-bye。効果の程は、ほぼばっちり、向こうも正々堂々でやっている行為ではない、出鼻をくじかれると、大体は未遂の放免だった。こちらがかなわないのは、たいていは喜んで抱き上げられ、やたらその辺にキスをされて顔中べとべとになることだったが、この位なら我慢できる範囲だ。泣き真似よりましだった。まして、私のロシヤ語まがいの前で追剥が展開されることはなかった。かくて、この青い表紙の文庫版の冊子は、後々まで私の肌身離さずの貴重品となる。

 この時期あたりまでは、まだまだ「戦争史上稀にみる残忍非道な戦勝国の暴虐」には至らなかった。大人たちが抱える「この先どうなる?」の不安はひしひしと伝わってはきたが、まだ、沈んでいく真っ赤な太陽を屈託なく眺めることができた。

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『みちしるべ』東北に寄り添って 今を生きる**<2012.9. Vol.74>

2012年09月02日 | 前川協子

東北に寄り添って 今を生きる

前川 協子

 太平洋戦争中に小学校時代を過ごし、戦後も学制改革による有為転変があったせいか、私は「地理」という教科を習った覚えが無い。

 多分、それは戦時下で、地理や地図が軍の機密だったのと、戦後の世界的な動乱下では国や国境が定まらなかったせいもあったのだろう。

 ともあれ歳月を経て住民運動に携わるようになった私は、国土研に入会後のある日のこと、何気なく「地図を見る」と言った時に、先輩会員が「地図は見るものじゃなくて読むものだよ」と教えて下さったことがある。

 その時、私は新鮮な感動を覚えた。未知な分野への目覚めであった。

 しかし、その後も不勉強だった私は、つい近年まで国内でも“東北”とは余りに遠い存在でしかなかった。

 ところが5~6年前のこと、何故か私は急に東北へ行きたくなって続けざまに3度の旅をしたことがある。

 いずれも夏から秋の終わりにかけてであったが、その時目の当たりにした厳しい気象の変化と同時に季節の移ろいの見事さ、美しさに驚き、そんな大地に根付いて生きる人々の素朴で逞しい生活力や伝承文化に、かけがえの無い日本の底力を感じた。

 そこで改めて再認識したのが、宮沢賢治の真髄である。

 彼の類稀なる感性と豊かな発想力、そして優れた人間愛と社会奉仕の精神は、あの、神秘的な極限の大自然に育まれ、宇宙の真理に目覚めたものであろう…と。

 そんな思いから、私が東北の真価に目覚めたところへ、思いがけない3・11が起きたのである。

 テレビでリアルタイムに見つめた被災状況とその悲劇には為す術も無く、悶々と半年を過ごし、漸く昨秋のエキスカーションで現地に赴くことが叶った。

 被災半年後の現地はまだ生々しさが残る惨状で、これでもか、これでもかと私たちに追い打ちをかけるように迫ってきた。

 まさに「言葉を失う」としか言いようが無かった。

 だが、そんな追体験にショックを受ける私達を、陸前高田の会員をはじめとする被災者の方々は、実に健気におおらかに出迎えて下さり、大変な被災状況の中をきめ細かに適切に案内して下さった。

 おまけに夜の懇親会では思いがけなくも大鍋の郷土料理でおもてなし頂く等、その行き届いた温かい気配りや胆力には改めて心からの敬意と御礼を申し上げたい。

 翌日も広いエリアヘの見聞が増すにつれ、被災者の心労と生活の負担、将来への危惧がひしひしと伝わってきた。

 それは差し当たって生業の漁業や防潮堤のことであり、新しい居住地や住宅再建、まちづくりからダムに至る迄、枚挙にいとまが無い。

 そんな尽きぬ課題を抱えた被災者達の苦悩と将来への不安を、私達はどれだけ理解し支えて行くことができるのだろうか。

 無力感に苛まれ乍らも現地の方々とお別れして早半年が過ぎた。

 しかし、まだ復興には程遠く、又、行政の復興計画とは乖離があると伝え聞く。

 人々の思いや如何にと心が痛む。

 せめてもの私の思いは、被災地の方々に寄り添い、同じ時代に生きる者として、この実態を世に伝え、広めて行くことである。

 既に日本は地震活動期に入っているとされ、災害列島を自覚せざるを得ない。

 されば東北に学び、今、何を為すべきか、どうあるべきかを共に考え、防災力や地域力を高めるために努力し、励まし合う仲間でありたいと願う。

MY HOME

 エキスカーション最初の夕方は、秋のつるべ落としにせかされて、東松島の新興(?)住宅地を訪れた。そこからは遥かに船のマストや煙突が見え、何事も無ければさぞかしの快適な住環境であったのだろう。

 しかし、現実の一帯は見る影も無い液状化で地盤沈下の浸水や、言うまでも無い津波の直撃と、近くの川からの遡上波もあったと思われ、川や池と見まがうばかりの浸水地域であった。

 見渡す限りの荒廃地には枯れ草が生い茂り、放置された瓦礫が散乱して異臭を放っている。その異臭の元は、津波が海底から攫ってきた汚泥のせいだと聞いた。

 そんな異様な風景の中で、一見近代工法の真新しい大きな家がポツンポツンと残っていた。しかし、言うまでも無く家の中はカラッポで家財道具は波に攫われて跡形も無い。

 その中に一軒、ひときわ目を引く童話のような家屋があった。

 三階建ての壁面総てに色とりどりの花丸が描かれ、大きな丸文字でMY HOMEと書かれていた。それは全く、周囲の状況からかけ離れて意表をつく楽しさと誇りに満ちていた。あとで聞くと、そこは幼稚園だったらしい。きっと無邪気な幼児達と未来を育む保母さん達の楽園だったのだろう。その無念を思うと、心から幼稚園の再起と幼児達の幸を祈らずにはおられない。

 ところが、はかなく目を転じた地先には、池かと見まがう程の大きな水溜りがあり、そこでは白い水鳥が一羽、悠然と浮かんでいるではないか。

 一体、ここは自然界の天国なのか、それとも自然に背いた人間の地獄なのかと問い直さずにはおられなかった。

 片や真摯な同行者達は真理の探究に余念が無く、それぞれの思いに散って中々集合体に戻れない。やおら一人の先生が水際の土壌を削って見せて下さった地層には、くっきりと黒と茶色の縞模様が幾層にも現れ、それはこの度の地震による津波が、行きつ戻りつ、幾度か繰り返された痕跡であると教えて下さった。

 やがて辺りは暮れなずみ、無残な被災地の彼方には真っ赤な太陽が沈みかけていた。その、この世のものとは思えない荘厳な夕陽があたりを映し出す様は、かつて阪神・淡路大震災の夜に見た、真っ赤で異様に大きい満月を想起させた。

 どうして神と自然は、このような非情極まりない時に、かくも美しい風景を演出するのだろうか…と不思議に思わざるを得ない。

 それは死者への鎮魂の故であろうか。
 それとも生者への励ましであろうか。

つなみてんでんこと防災対策

 東北大震災のお陰で全国的に流布されたのが“つなみてんでんこ”の話であろう。

 しかし、最初のうちでこそ「さもあるべき」「かくありたし」と思っていたが、日を経て後日談を色々聞くうちに、そうとばかりは言っておられないことに気がついた。

 果たして“てんでんこ”だけで良いのか。その精神は活かすとしても、やはり基本は行政の防災対策と、官民あげてのまちづくりビジョンや参画と協働の実践がないと絵空事になりかねない危うさがある。

 此の際、改めて原発問題と同様に、事実の検証と再考の必要があると思った。

 即ち、東北震災では、各地で前途ある有能な職員が、職務に忠実な余り命を落とし、又、自主的に避難誘導を助けた地域の人材が多く犠牲になっている。

 一方では、日ごろから“てんでんこ”の防災教育が充分にできていた学校や地域の防災会が機能をしていた所は、成功例もあったと聞くが、やはりー般的には少子・高齢化の時代に至難の業であろう。

 例えば、私の住む西宮市でも高度経済成長期の時代に海を埋め立てた海岸沿いには、いくつもの学校や事業所、住宅地がある。

 しかし、阪神大震災時には縄文時代の海岸線まで液状化による甚大な被害を受けて、架橋も機能不全に陥った実績がある。

 ましてや大津波ともなれば…思うだに怖い。

 それは一つの学校や地域だけの問題では済まないはずだ。

 根底にあるのは自治体のビジョンや市民との合意によるまちづくりであり、その根元を成すのが都市計画だと思うと、今の開発行政は間違っていると思わざるを得ない。

 ましてや、行政の便利な下請け的に結成された防災会が自治会とは表裏一体で、しかも避難所や何の装備も持たぬ侭、日ごろの訓練も無しに突然、“てんでんこ”等と放置されては「棄民」に等しい。

 公共施設も不充分な町の中で、災害時に私達は何を信じて、いつを目処にどこに避難すれば良いのだろう。

 此の際、東北の被害状況を克明に検証して、明日はわが身として学び、安全・安心なコミュニティに築き上げて行かねば、街に未来は無い。

 それが、今まで経てきた住民・市民運動の結実となれば、こんな嬉しいことはない。そこで、今思いつく、具体的な今後の課題と目当てを以下に記してみた。

1. 行政の課題

  • 都市計画の適正化
  • 時代に適した法や条例に改正(町壊しから防災へ)
  • 基盤整備の確立(避難所の確保が最優先)
  • ハザードマップ表示の危険地帯には標識を掲示
  • 土地の特性や文化を尊重し、地歴に不整合な開発は許さない
  • 法令順守と情報開示
  • 警察・消防署・消防団・防災会等の意思疎通を計る
  • 市民・住民の意見をボトムアップ
  • 各種審議会には公募委員を加える
  • 災害がれきの処理は被災地の意向を尊重する
  • 学校における防災教育

2. 市民の役割

  • 市民の意見表明や政策提案を積極的に行う
  • 行政のパブリックコメントには積極的に応募し、民意を伝える
  • 首長や議会へ市民代表を選出し、チェック機能を果たす
  • 行政の下請けに甘んじず、住民自治を育て、ネットワークを築く
  • 東北の居久根(屋敷林)に匹敵するような、身近な里山や緑を守る
  • 耐震補強を心がける(防災の基本は自助)
  • 情報難民に陥らぬよう弱者避難への配慮が課題

あとがき

 東北震災後には、恥ずべき想定外の原発事故のこともあって、脱日本の外国人も多かったのに、「あくまで日本を信じる」とUターンしてまで日本国籍を取得した「鬼怒鳴門」さんに恥ずかしくないような日本再生を国民として心がけたいと思う。

 それが、世界中から寄せられた暖かい支援と、地元東北人の心意気に応える私達のせめてもの志であろう。

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 これは前川協子氏が、所属する「国土問題研究所」の刊行物に寄稿したものです。ご本人の承諾を得て、転載させて頂いたものです。

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『みちしるべ』**第38回 全国交流集会 IN ヒロシマ**<2012.9. Vol.74>

2012年09月01日 | 道路全国連

第38回 全国交流集会 IN ヒロシマ

現地広島実行委員会
道路全国連

日 程 2012年11月24日(土)13:00~26日(月)15:00
        ただし26日は自由参加で広島県知事・広島市長要請行動
         
+原爆遺跡見学≪オプショナルツアー(ガイド付)≫

会 場 広島市まちづくり市民交流プラザ
         (マルチメディアスタジオ:120名収容)

参加費 県外2,000円 現地1,000円 現地視察(2,000円) 懇親会(5,000円)
        26日オプショナルツアー
         
(自家用車分乗ガソリン代+駐車料金をプール計算)

宿 泊 ホテル法華クラブ広島(シングル・朝食付 ?????円)
         広島市中区中町7-7 TEL 082-248-3371

スケジュール

現地視察(バス)広島駅新幹線口出発 13:10~15:50

広島高速5号線『二葉山トンネル』西坑口周辺および牛田東地区トンネル直上住宅団地一帯『二葉山トンネル』東坑口予定地同1号線『福木トンネル』地盤沈下現場同3号線(中区吉島:広島南道路建設現場)一帯国道2号線高架道路延伸予定地一帯(中区観音)市民交流プラザ着(中区袋町)

(第1日目)市民交流プラザ   16:00~19:00 (準備・撤収時間を含む)

  • 開会あいさつ(実行委員長)     16:30~16:35
  • 映像で見る広島のたたかい(現地取材および資料映像編集) 16:35~17:05
  • 現地報告(広島市域)     17:05~18:25
    ① 国道2号線広島市内『高架延伸』反対運動
    ② 広島高速1号線『福木トンネル』地盤沈下被害補償運動
    ③ 広島高速5号線『二葉山トンネル』反対運動
    以下の議員・学者・法律家も①②③に係るパートで発言をお願いする
    広島県議会蒲原敏博議員 同辻つねお議員  広島市議会村上厚子市議 中根周歩広島大学名誉教授 比治山学園越智秀二教諭 山田廣延弁護士 足立修一弁護士 池上忍弁護士
  • 懇親会およびホテルのご案内(法華クラブ)   18:25

      ※ 第1日目終了  18:30
      ※ 会場閉鎖 19:00厳守のこと(遅延すると追徴金発生)
      ※ 懇親会(貸切:50~60名・マイクあり)
                     
会場は宿泊ホテルと同一場所で調整中

(第2日目)市民交流プラザ   9:00~17:00 (準備・撤収時間を含む)

  • 基調報告 橋本良仁(道路全国連事務局長)   09:30~10:00
  • 特別報告 鞆の浦『埋立・架橋』反対運動(   )  10:00~10:30
  • 記念講演 関島保雄(高尾山天狗裁判弁護団事務局長) 10:30~11:30
  • 昼食    法華クラブ 1F バイキング 1,200円

≪昼休に旧袋町国民学校校舎見学(ガイド:高橋信雄さん)≫

  • 全国のたたかい報告および質疑   13:00~16:00
        福山道路(国道2号線)ほか県外全国の報告
  • 大会宣言採択      16:00~16:10
  • 次回開催予定地公表       16:10~16:20
  • 閉会のあいさつ(道路全国連)    16:20~16:30

(第3日目)自由参加

  • 広島県庁集合   09:00
  • 広島県知事要請行動   09:10~
    ≪広島クリスタルビルに移動≫
  • 広島高速道路公社理事長要請行動 10:00~
    ≪広島市役所に移動≫
  • 広島市長要請行動   10:40~
  • 広島市役所から原爆遺跡探訪ツアーに出発(ガイド:高橋信雄さん)
    広島日赤病院・広島陸軍病院原爆ドーム・元大正屋呉服店→島外科病院跡(爆心地)→広島城内地下指令室→京橋(京橋川河岸屋外レストランで昼食)→多聞院・頼山陽記念館→広島被服廠→広島東照宮→広島駅新幹線口で解散

現地実行委員会

広島高速5号線『二葉山トンネル』を考える市民連絡協議会
福木トンネル地盤沈下被害対策協議会(広島市東区)
国道2号線沿道の環境を守る会(広島市中区)
福山バイパスと区画整理を考える会(福山市多冶米町)
NPO法人「鞆まちづくり工房」(福山市鞆町)
原爆遺跡保存運動懇談会(広島市)
細見谷渓畔林(大規模林道計画反対)?
岩国大竹道路トンネル反対住民運動?
猿猴川河岸工事地盤沈下被害者運動?
二葉山を守る会? 広島名水研究会?
二葉の里に桜並木を復活させる会? 東照宮?

実行委員会人事

委 員 長  澤田良平(広島高速R-⑤二葉山トンネル)
副委員長  信野光伸(R-2福山バイパス)那須幸夫(広島高速R-①福木トンネル)
鍛冶川俊二(R-2広島市内高架延伸)
事務局長  阿部京子(広島市)
事務局員  竹村文昭 坂田和子 土井迫潔 他

宿泊費等、未定の部分は「みちしるべ」表紙の事務局まで、お問合せ下さい。

第38回道路全国連全国交流集会参加申込み書

(1人1枚ずつご記入ください)

道路団体名

 

 お名前

 

 住所

 

 TEL
 FAX

 

E-mail

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参加行事に、〇をお付けください。

現地見学(11/24)

(    )参加します

¥2000

全体集会

(    )参加します

¥2000(広島県以外の参加者)

¥1000(広島県からの参加者)

懇親会(11/24)

(    )参加します

¥5000

昼食(11/25)

(    )申込みます

¥1200

合計

 

宿泊(11/24)
   (11/25)

(    )宿泊します
(    )宿泊します

※)注

※)宿泊手配はいたしますが、宿泊費は当日各自のご精算でお願いします。
※)26日オプション企画に(  参加  不参加 )いずれかに〇印を
<参加申込み> 10月31日(水)必着でお願いします。
郵送 第38回 道路公害反対運動全国交流集会実行委員会事務局
<振込み先> 参加行事の合計金額を11月16日(金)までに御振込み下さい。
振込銀行 郵貯銀行 口座名義 =省略=

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