私の住民運動(19)
山幹の環境を守る市民の会
山本すまこ
平成10年8月に入ると、詳細設計図による説明をしたいと言って来た。8月28日、29日(金、土)にした。しかしその間には、ネットワークの会も毎月場所をかえて開催した。また、北町の問題(駅前の不法駐輪)の対策をと町内会として市に要望を出したりもした。企業の所有地を借り上げて駐輪所を設置するようにとのことでした。
説明会は8月29日、30日に変更してください。市は28、29、30日の三日間開催すると返事した。なぜか瓦木公民館で開催するという。瓦木公民館周辺の地域は架橋、拡幅事業の地元から離れている地域であり、我々の意見とは少なからず違うのである。市はそう言う人たちを集めて声高に賛成の意見を取りたいという魂胆に違いない。だんだんこっちも勘ぐりが働いてくる。スムーズに説明させるわけにいかない。
8月16日市民の会で相談会を開いた。意見はまちまちでした。流会すべき。いや流会は意味がない。真っ向反対の意見。市長から対策の保証を取って欲しい。まだまだ十分質疑応答がなされていない。等々。
三日間の結集を促すためにビラを作り8町会の広い範囲に配布した。チラシには今までの経過説明もした。詳細設計図で説明するということは、まだ住民が納得していないのに裁判にかけてまで住民の意思を無視し、強行に調査をし、工事を着工しようとの暴挙である。すでに寿町では二車線供用を約束していた。どうしてこの地域が四車線なのか。
当局は案の定、住民の分断を謀ってきた。8月20日である。マンションだけの要望を聞かせて欲しい。すぐに連絡が入った。私たちはまだ団結も固く分裂していなかった。部長に「何ということをするのか」と抗議した。すぐに抗議することで市当局は勝手な動きをしても無駄だとしらせる。今後同じことをさせない為である。
8月28、29、30日の会では連日100名を越す人たちが参加した。とにかく市に嘘の説明をさせてはならないと結集して反論した。最後の日曜日の午後の会では、もうこれ以上必要なしと説明を中止させたが一部数人は残っていた。
8月30日の説明会で市は業者との契約はしていないと局長は答弁しました。嘘なら辞めてもらいますがいいですか。首をかけて、9月の本会議で承認を得てから契約をする。入札もしていないと。ところが9月3日仮契約をしたことがわかりました。私たちの怒りは当然です。9月7日市長に抗議に行きました。助役が出てきた。
どうしてこのような手品のような早業が出来るのか。入札もなしで仮契約ができるとは、いわゆる世間でいう談合と解釈せざるを得ない。市民を愚弄するもはなはだしい。ますます行政への不信が募るものです。
9月25日には議会で橋脚部分の工事予算案を承認した。私たちはどうしても納得がいかないと9月5日より各自が署名用紙を持って走り回り署名を集めた。市庁舎の前でも集めた。9月27日には皆で集まって提出時の対応を相談した。9月28日県知事には書留にて要望書を送った。今までの市当局の対応、そして私たち住民の思いを重ねて訴えた。市を指導して下さいと。
西宮市には市長面会を求めて4695名の署名とともに「拡幅、架橋されても環境を守れる道路であると市は住民に明言されている通り、市長名で文書で確約をすること。」又「事業実施後も定期的に環境調査を行う」この二点を確約するならば、具体的な協議をもやぶさかではない。というものでした。
10月2日には回答してきた。将来予測に対して、低騒音舗装、遮音壁の設置等で環境保全目標を守れるものである。また、整備後環境調査を実施し、報告し、目標を超えていた場合は速やかに対策を講じる。そして、いままでの説明会において説明した内容については責任を持って履行する。と約束をしてきた。
10月4日、市民の会は近隣のマンションのホールで市当局からの回答及び経過を報告した。次回説明会の開催が10月18日に決まった。住民への徹底のため、市政ニュースで知らせるよう伝えた。
回答書については住民と良く協議するよう部長に申し入れた。18日の説明会は小学校の体育館で行われた。しかし、内容は8月の三日間に行われた説明と変わりなかった。
10月25日、住民との協議会を開催。市が回答してきた具体的な条件について、詰めた。二見交番以西も低騒音舗装を、二車線供用を固定する。ゼブラゾーンだけではダメだ。測定所を設置し生データを開示すること。交通量を増やさないため、大型車が通行したくないような方式を考える。環境調査方法を信頼できる会社に依頼する。その他の測定の不安など。交通規制については公安局と協議する必要がある。
市も必死である。25日の協議に対して28日住民の要求のそれぞれの項目をほぼ呑んで回答書を届けてきた。この回答書が市長名で公式に出されるとなれば、我々も考えざるを得ないもとになる。
10月30日、住民は集会を持った。40名が集まった。平成8年からずっと座り込みやパトロールのローテーションを組んでよくぞここまで頑張って来たと思う。暑い日、寒風の中での河川敷での座り込み、テントを張っての見張り当番等々。しかし、住民側にとってはここで白旗を揚げるのかと思うと、それぞれ思いは複雑だ。でも、現実は厳しいものがあった。市が戸別訪問をしたことで、実際には活動に参加する人が目に見えて減ったのである。
- 「もっと参加者が増えて欲しい。」
- 「市が環境を守るというが、本当に守ってくれるのか。」
- 「やっぱり橋は反対だ。」
- 「止める方法はないのか。」
- 「公害を抑えるという一筆があれば、工事に入ってもよい。」
- 「どのように反対すればいいのか。もう力がおよばないのかなあ。」
- 「条件に入らないと、あきらめ?」
- 「橋がつけば後では何も出来ないのでは。」
- 「条件をつけても後々果たして効力はあるのか。」
- 「責任者が変わっても効力はあるのか。」
- 「今のままであってほしい。」
- 「条件を勝ち取ったほうがいい。真っ向反対はもう出来ない。」
- 「反対だ。人数を200~300集めて、」
- 「談合がわかれば……」
- 「新井組も斜陽だ。」
- 「橋脚はやらせてもいいが、文書に対して反論していく。」
- 「本工事には入らせない。人数をあつめて、パワーをみせたらどうだ。」
- 「市が出した文書は評価するが、担保がない。」
- 「現実に工事に対して実力行使は出来ない。」
- 「大型車の規制を具体的に。せっかくの文書を確約させる。」
- 「町会長の立場で参加してきたが、長期の戦いに疲れて参加者が半減してきた。これ以上体を張ってやることはもう無理ではないか。」
- 「環境を守っていくように強く言う。」
- 「確約がとれるまで実力行使をやるべき。」
- 「回答(2)が問題。回答(2)は『大型車の規制は現在の交通量では必要ない。公安と今後相談する。』」
- 「橋が完成しても貫通しないと計画の全体の完成とはいえない。」
- 「いつまで、どんなサイクルで市と協議していくかを約束することが大事。」
- 「条件に入るから座り込みが出来ないということはない。」
- 「常設の測定所が出来るまで実力行使する。」
- 「回答書を詰める。」
このようにみんなの意見は反対はしたいけれど、過去の座り込みを再び同じように出来るかといえば、もう無理だ。との気持がおおかたでした。結論は人数が少なくなっている現実のなかでの座り込みはもっと一人ひとりの負担が増える。そのことについて確認をした。出来ないという答えが多かった。心情は複雑であった。悔しい思い。もっと反対したい思い。思いは交錯した。
10月31日、橋脚工事の説明会が持たれた。しかし担当社の新井組の考えは甘かった。資料が不備ということで一時間あまりで流会となった。後日改めてということになった。
11月3日、市との話し合いを持った。局長は協議内容に入りたい。先日の工事説明については11月7日に再度行うと資料のみ配布した。その日、住民は10月28日に市当局より出された内容の詰めの要求を出した。
- 最終的な公的な文書について市政ニュースにて告知してもらいたい。5団体だけでなく、広く市民に知らせて欲しい。局長は即答は出来ないとの返事だった。
- 協議していくとの表現について、はっきりとした文言にして欲しい。
- 右岸線の対策について。
- 大気の対策について。
- 観測所の設置について。
緑地帯の設置にいついて。などであった。
11月5日、部長より以上の質問の回答は7日には無理であることを承知して欲しいと言ってきた。
11月7日、橋梁橋脚工事の説明会が開催された。市道路課と新井組である。設計と手順についての説明があった。説明の間にも住民からはまだ取り掛かってもらいたくないという思いが強く、今までと同じような質問も繰り返された。川の中の工事であって、まだ山手幹線道路の本工事に入った訳ではないと思いたかったのである。具体的な質問、たとえば作業の時間は? 作業日は? 休日は? などと訊けば、「今日はそんな話訊くことない」との意見が間髪いれずに出された。
平成10年11月26日に、11月3日の質問等に対しての回答が届いた。すでに回答されている10月28日付けのものから環境調査については常時観測所の設置を検討していくとの一文が追加されると共に大気浄化について、環境保全目標が達成されていない場合は新しい技術が実用化された段階で環境保全対策の一つとして取り組んでいく旨が追加されていた。
この回答に対して、12月6日、住民は再度検討会を開催。次に市に要求する内容が次のようなものになった。
- 二見交番以西の舗装について、低騒音を事業区間の工事と同時にさせること。
- 観測所の設置を明言する。どこに作るのか。山手幹線供用時点で観測されている状態であること。
- 対応部署をはっきり明示すること。
具体的な条件が出てきたのは事実である。とはいえ、煮詰まっていく事に複雑な思いは否めなかった。例えば住民と共生出来る全国にモデルとなるような道を市と協力(したくないが)して発想の転換をしていくのがいいのかなあ、とも思ったりします。低騒音舗装の効果はあるようだ。協議、取り組んでいくなどのあいまいな文章に不安である。協定書を市と交わす。文書の表題?
芦屋が開通するまで2車線でというのはいかがなものか。それはだめだ。芦屋が出来れば4車線でよいということになる。
その他 橋がついて他市と繋がると、防犯の面でも警察の管轄が違うために、犯罪が増加するのは明らかである。その対策は如何してくれるのか。道路が拡大して通過道路になれば、必ずその地域の住民が今までにない被害を蒙ることになる。このような意見が間違っていない現実が、必ず近い将来望まない結果として実証されるに違いない。
平成10年12月13日、市当局との話し合いの場を持った。まず市民の会の代表が話し合いに先立って釘をさした。市から11月3日の話し合いでの回答が、11月26日付けできている。河川敷での工事が始まっているが、全面的に住民が工事を許したわけではない。川の中に限ってのことであり、今後の回答いかんでは実力での阻止もありうる。このことを前提に今日の話し合いに入りたいと。部長より前回と今回の回答の進歩について、概略の説明があった。住民側から今回の住民の要望として、
- 二車線での供用、
- 常時測定所の設置、
- 二見交番より中津浜線までの舗装については事業区間同様低騒音舗装とする、
- 対策の窓口(責任部署)を明らかにする。これらに付随する問題については住民との協議会にてその都度協議する。
当日の回答は常設の測定所について、現在西宮市では国道2号線・171号線・176号線があるが、常設観測しているところは限られている。市道二車線での観測所は非常に難しく、直ちにとは無理である。事業区間以外の舗装にいついては、騒音調査を行い数値が超えていれば、舗装をする。責任窓口は道路部である。と回答した。
しかし、住民側は11月26日の回答が最終で、今後一歩も住民の要求を積み上げられないのなら、今までの話し合いはぶち壊しであるが、持ち帰って再度回答を出す気持はあるのかと迫った。局長は前回お聞きしたことは26日に回答したというのみであった。
12月16日、市より助役が会うといってきた。12月25日午前、28日午後のいずれかと伝えてきたので、住民たちに確認を行い12月28日に決まった。
平成10年も押し迫った12月28日午後、住民17名の代表が市役所に、2時から面談がはじまりました。市当局からは助役、土木局長、部長、課長、係長であった。まず住民の代表は12月13日の話し合いでの席上で出した三項目について解答願いたい。
- 固定測定所、
- 二車線供用を明確化する、
- 事業区間以外の中津浜線まで低騒音舗装、をこの事業と工事にする。
助役の回答は、
- については現在西宮市では国道に5箇所あるが、山手幹線については今の時点では無理、今後の課題としたい。無視はしていない。測定方法について、皆さんの理解を得られるような方法でやりたい。供用後は調査の回数を増やす。
- については二車線供用といたします。
- については低騒音舗装を実施します。平成12年度に実施します。
以上のように住民の要望にたいして、常設の測定所の設置以外は環境保全目標についても、市が今までに出してきた基準の数値を守る。超えたときは対策を講じるとの一文も入れた。(現実には対策は難しいが約束をしたことは意味があると思う。)
平成11年1月に入って、1月9日、住民が集まって10年12月28日の席上で助役が約束をしたことを報告するとともに、みんなの意見、感想を出し合った。市民の会として言い続けてきたことは、環境を守れる道路にするということを文書で約束するならばということでした。
- 市が約束をしたからと言って理想と現実はちがう。
- 一番の原点である、環境基準を市がクリアーするという約束を、守らせていくことが大事。
- 前のようなことをいつまでもやっていたら笑いものになる。
- 人が減っているのが現実であり問題です。
- 過激にやっても、答えがでているのに、無駄です。
- 市に対して、人をだますようなことはするな。約束は守れという。
色々な意見のおおかたである。今後は市が約束をしたことを如何に守らせていくかが大切であり、より一層結束をしていくことが大事であるということを確認しあった。
この夜、市の工事説明会が開催された。橋脚の工事に伴い、迂回路を作る説明であった。家屋調査を行うことや、防音壁防音シートの設置などを要望。通常の工事中の対策であった。
平成11年1月10日、【山手幹線拡幅架橋に反対する会】として、平成3年10月結成して以来、考えもしなかった住民運動を展開してきた。この日、市民の会として重大な決断をしなければならなかった。ことここに至ったのであった。各人の思いはさまざまであることは当然でしたが、50数名が集まった。
- 測定所、常設が無理なら、通年観測でもよい。同じことだから。
- この回答が最終でよい。
- 中身のことをはっきりとした言葉で協定書に盛り込む。
- この回答がこれで良いのなら、市民の会の名称を変更した方がいい。
ここで同席して下さっていた尼崎の砂場さん(阪神間道路問題ネットワーク代表世話人=当時)が、お言葉を下さった。今日までの住民運動、闘いを外からずっと見守って下さっていた立場から、この日の心境やいかばかりかと、私たちの心を理解し、一人ひとりの思いを代弁してくださった。ここまで結束して、ながきに渡り、時には冷静に、又、激しく市との攻防を成し遂げてきた市民の会に対して、決して負けたのではないと慰めてくださいました。
全くの住民だけで権力に立ち向かい、行政としては絶対にしたくない文書での約束を取り付けたことは天晴れであると評価してくださった。ありがたいお言葉でした。ここで12月28日の回答書を了承するかどうかの決議がなされた。そして協定書に盛り込む内容を決めた。