『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』斑猫独語(37)**<2009.7. Vol.59>

2009年07月07日 | 斑猫独語

澤山輝彦

<キャデラックは今>

 子供の頃、自動車が好きだった。中学生の頃がその絶頂だっただろう。自動車を見ながら飽きることなくぶらぶら町を歩いて、帰りが遅いと叱られたことも度々あった。大阪市福島区の国道2号線の出入橋あたりから福島西通り近くまでは、自動車街と呼ばれて、当時の日本人にとっては高嶺の花であった高級外国車の販売代理店からオートバイや自動車部品商などが軒を連ねていたのである。そのあたりに住む自動車が好きな少年一人と仲の良い友達になった。一緒に町を歩いて自動車の名前あてをしたり、雑誌や何かで得た知識のひけらかしあいをしたりした。

 そんな時代の日本の乗用車は、外国車、なかでもアメリカの車と比べると、敗戦後ということもあっただろうが、それはみじめな姿をしていた。性能も劣っていただろう。その形はおよそデザインという考え方など無いに等しく、まさに、貧すれば鈍する、の言葉を地でいく物であった。アメリカ車はラジエーターグリルやバンパーが大きくぴかぴか輝いていて、フォードやシボレーという大衆車でさえ豪華であった。高級車キャデラックなんかを見た日には、どんな不愉快なことがあった日でも、気分が良くなった。同じように高級車として知られていたリンカーンやクライスラーは見る機会がすくなかった。パッカード、ハドソン、ナッシュ、スチュードベーカーなど、いわゆるBIG3以外の車もまだ健在だった。それらは各々個性的なデザインの車であった。少年時代の幼稚な感覚は、アメリカ車のデザインはかっこいいものであり、どれもこれも素晴らしかった。これらを批判の対象にするには、それから数十年を要したのである。

 かのキャデラックを生産していた、ゼネラルモーターズが倒産し米政府の管理下に入ったのはつい最近のニュースで報道されたから皆さんご存じだろう。おごれるものはひさしからず、この言葉、平家物語の世界だけのものではないのだ。インターナショナルに通じるのである。ではGMを倒したもの、それは何なんだろう、そいつはおごりたかぶっていないのか、資本主義のありかたは考え直さなければならないと思う。

 昨今の日本の乗用車はもうどこに出しても遜色のないものになった。どんどん輸出される。だが今、アメリカの経済不況で輸出は陰りが出だしたし、国内も不況不況で車の生産は伸び悩んでいる。新車の登録台数も下り下りである。だが我々はこれを良い機会としてとらえるべきなのだ。車だけが増え続けていく社会はいびつなもので、決して豊かさを証明しているわけではない。自然環境、伝統文化それらと融和、調和した車社会、一つの豊かさを示すものだと考える。今がそれへのまたとない足がかり、機会なのだ。そんなことに目もくれず、エコカーだとかエコカー還元だとか言って、車を売りまくろうとする(電化製品にも言える)、一度壊れてしまいそれに馴れきった心は修復されることなく、破滅するまで突っ走らねばならないのか、悲しいことである。

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『みちしるべ』**水間鉄道の旅**<2009.7. Vol.59>

2009年07月06日 | 藤井隆幸

水間鉄道の旅

藤井隆幸

【仕事で泉州・貝塚市へ】

 旅といっても、遊びに行ったわけではありません。仕事で貝塚市の奥深くを訪ねるために、水間鉄道を利用しただけの話です。以前はマイカーで仕事をしていたので、岸和田・貝塚・泉佐野・熊取・阪南辺りも、よく訪れていたものです。月に5~7万円も消費するマイカーを維持するほど、仕事量もなくなったので、脱車社会に乗り換えました。そうすると、この辺りの仕事は敬遠せざるを得ませんでした。

 ところがお客さんの方から電話で依頼があり、貝塚市の沿岸部から相当な奥深い田舎に行くことになりました。インターネットで電車の乗り継ぎを確認し、マイカーならいい加減に行くところが、地図もネットでシッカリと見定めて行きました。

 マイカー時代から水間鉄道の存在は知っていましたので、一度、乗ってみなければと思っていました。しかし、マイカーに頼っていると、電車に乗ることは全くなく、そのチャンスはありませんでした。水間鉄道の経営が厳しくなって、廃止されるのを地元住民が署名を集めたりして、何とか存続させたという話を聞いたのが、乗ってみたくなったキッカケでした。

【水間鉄道とは?】

 水間鉄道(株)は1924年(大正13年)4月17日 の設立で、1925年(大正14年)12月24日 に水間線を開業した鉄道会社です。関西空港の開業によって、南海本線にラピッドという、“漫画の鉄人28号”に似た電車が走り、関空の手前の貝塚駅が知られるようになりました。しかし、その駅から単線の水間線が、山深い水間観音駅まで延びていることは、未だに無名な存在です。

 この水間鉄道は南海電気鉄道との関係が強く、かつては南海が筆頭株主でした。それでも南海の傘下やグループ企業とならず、独立系のままだったのが、阪急電鉄と能勢電鉄との関係とは違っていて興味深いところです。南海電鉄の利益誘導からか、水間線はJR阪和線とクロスするのですが、その東貝塚駅と和泉橋本駅の真ん中で交差し、接続していないのです。そのことが水間鉄道には、今になって痛手とは残念です。

 水間観音の参拝客を運ぶために水間鉄道は開通しました。水間観音とは天台宗別格本山の寺で、山号を龍谷山と称し、本尊は聖観世音菩薩です。天平年間(729年~749年)に聖武天皇の勅願により行基が開創し、江戸時代には岸和田藩主岡部氏の帰依を受け隆盛したと伝えられ、現在の建物は江戸時代後期に再建されたものです。

 残念ながら仕事で訪れたので、駅から600m先の水間観音には参拝せずじまいでした。同じ電車に乗ったご婦人達から、参拝ルートを訊かれたのですが、「ご一緒しましょうか?」とも言えず、残念至極でした。一時は参拝客で賑わい、高収益の水間鉄道でしたが、バブルの崩壊などで2005年(平成17年)4月30日、大阪地裁に会社更生法の適用を申請、経営破綻。同年6月30日に外食チェーンのグルメ『杵屋』が支援、同社の下で再建が進められ、翌年6月16日に会社更生計画が終結し、新生会社として再出発しています。

 

 【ローカル色の濃い電車】

 その新しい水間鉄道ですが、南海貝塚駅からお隣の水間貝塚駅に移動すると、もう珍しいことだらけ。券売機は南海と同じ最新式ですが、改札機はなく、旧式な改札口があるだけで、通過するのに、駅員は常時居ず素通りをします。何と、ワンマンバスと同じように、電車の乗り口にITカードをタッチする機械があります。2両編成なのですが、中間の8駅は総て無人駅。ホームと屋根だけで改札もありません。前の車両しかドアは開かず、運転室に近いところに、運賃箱があるのです。まさに大型のワンマンバスそのものでした。

 また、貝塚駅にはホームの両方に1番線と2番線がありました。1番線に電車が止まっていたので、運良く発車時間に間に合ったかと思ったのは誤解でした。車両の一番手前のドアは、大型ディスプレーが通せん坊。その次のドアは閉まったままで、「売切れ閉店」の貼り紙! 次の車両のドアの前で、これは運行車両ではなく、待合室に使われているものとわかりました。

 運がよければ、売店で泉州名産の水茄子が買えたことがわかりました。何とも南海貝塚駅の隣に、優雅なローカル駅が存在するミスマッチに、思わず笑顔がこぼれました。その気で行った旅でもなかったのですが、デジカメを取り出して撮影してしまいました。


【ちょっと脱線のお話】

 知人とドライブで、和歌山県北端の加太にある淡島神社に行ったことがあります。話は脱線しますが、この神社はひな祭りに際して、“人形流し”で有名です。捨て辛い人形というモノを受け入れ、瀬戸物の人形などは神社の境内に並べてあります。雛人形などを船に山積みし、ひな祭りの際に、海に流して供養してくれるというので、人形が集るのです。環境問題で昨今は、船で沖に曳いてゆくのですが、後に陸揚げして火葬に附しているそうです。

 この神社の営業科目は“子供の授かり”です。御神体は巨大な男性のシンボルです。その御神体のお堂の周りに、子供の欲しい女性の下着を吊るすのが習わしになっているようです。たいていはレジ袋に入れてありますが、わりと透明な袋に入れた派手目の色の下着もあり、何とも恥ずかしいのですが。知人に唆されて、レジ袋の吊るしてある間から、窓越しに男性のシンボルを覗いた経験があります。

 話は元に戻して、このドライブ帰りに、泉州路を走る中で「水茄子」のことを、知人から教えてもらいました。

【泉州名産の水茄子】

 単線の超スローな電車は、周りの景色を楽しむのに便利です。比較的真っ直ぐなレールは、市街地開発の進む前からの鉄道であることを示していました。窓から手を出せば、沿線の家の軒に手が届くと思われるところもあり、そんな場所は特に超スローに走ります。沿線には田畑も多く、丁度、水茄子の畑も見られました。電車の真近くにもかかわらず、超スローであるので、充分に写真が撮れました。

 普通のナスは灰汁(あく)が強く、生で食べるのには適しません。が、水茄子は灰汁が少ないのです。普通の茄子が細長いのに比べ、ズングリ丸々としているのも特徴です。全国的に生産できるようですが、特に泉州の水茄子が有名です。

 仕事に行ったのですが、電車でお伺いしたことがわかると、ご主人が呑んで行けとビールを勧めてくれました。奥さんが手料理で、水茄子と海老の煮つけを出してくれ、大変美味しく頂きました。焼肉など、ビールの当てというより、しっかりと夕食をよばれてしまいました。ご飯も勧められたのですが、ビールでおなか一杯になって、少しだけ頂きました。とにかく、泉州名物の水茄子を堪能できたことは、大変満足の行く旅となりました。

【しっかりと生活の足となっている鉄道】

 貝塚駅で待っていると来た電車からは、15人しか降りてきませんでした。私と共に乗車したのは20人。途中の乗降客も10人前後だったと思います。これでは阪神間のバスと一緒で、とても採算ベースではないと思われました。

 帰りに水間観音駅に到着した電車から、降り立った乗客は30人余り。私も含めて乗車したのも同じくらいでした。ところが、貝塚駅に到着した時に待っていた乗客は70~100人に及び、午後8時頃の通勤通学の足になっていることが理解できました。

 休日の状況がわからないのですが、観光客が多ければ充分な採算の見込める鉄道ではないかと考えます。平日に、そこそこの観光客があれば、将来に不安を残すことも無いように思えます。USJも良いのですが、気楽な水間鉄道に乗って水間観音の観光も、都会の生活に飽きた熟年には、結構、穴場と思うのですが。


 ところで、お客さんの家の近くに、相当規模の住宅開発計画があると聞きました。水間鉄道が潤っても、田舎の風情が失われるのは、何ともシックリと行かない話しです。かつての(私が小学生時分)能勢電鉄は木製車両で、裸電球がともり、発信時には一瞬の明かるさがありました。両側のシートに人が座ると、膝と膝の間が狭く、通路に立つのも狭かったように覚えています。そんな能勢電鉄も今は、梅田駅~日生中央間に“通勤エキスプレス”が走ります。昔の面影は、やたらと高い山岳鉄道並みの運賃だけです。

 水間鉄道には、同じ轍を踏んで欲しくないと思うのです。狭い線路を無理やり複線化し、南海電車の払い下げ大型車両のワンマンカーを走らせ、自動改札機では味がない。バブルの崩壊後も続く借金と倒産の繰り返しの開発。付けを行政の負債として蓄積させる、そんな政策はお終にして欲しい。そんな風潮が、山深い水間観音に及ばないことを望むばかりです。

 そのためにも、皆さん、情緒たっぷりの水間鉄道に、たまにはマイカーでなく、電車で行ってみませんか?

【蛇足の一文】

 阪神難波線が開通しました。阪神電鉄に走る車両は、実にカラフルです。阪神電鉄そのものも、新旧各停・新旧特急行・ステンレスカー・難波線車両など、7種類あまりの車両があります。山陽電鉄の直通特急や近鉄乗り入れの3種類の車両。阪神難波線開通で、  お年寄りなどは、何に乗ったらよいのかわからないそうです。

 ともかく、奈良への直通電車は便利です。奈良の観光業者の鼻息もともかく、神戸の観光業者も意気込んでいます。近鉄は伊勢や名古屋にも通じており、私などは名古屋での道路公害反対運動全国実行委員会開催に、近鉄急行利用をS画伯に奨められています。

 ところで、阪神難波駅と南海難波駅のアクセスが誤解されているようです。インターネットの「乗り換え案内」で検索すると、阪神と南海の乗り換えは案内されません。そんな訳で、『水間鉄道の旅』の行きは地下鉄御堂筋線経由でした。帰りはネットの案内を無視して、南海難波駅から阪神(近鉄)難波駅まで歩いてみました。3~400mほどの距離で、エスカレーターも整備されており、問題なく利用できました。全行程は地下通路で、運賃も安く時間も短縮でき、混雑も少ないように思えました。

 阪神難波線の通勤定期が伸びないような報道もありました。地下鉄御堂筋線から歩くことと比較して、僅かばかり増える歩行を過大に評価しているようです。マイカー族の弱点の感覚を再認識する必要が、今後の脱車社会には必要なのかとも思います。

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『みちしるべ』街を往く(其の二)**この街に来たことのいわれ**<2009.7. Vol.59>

2009年07月05日 | 街を往く

街を歩く(其の二) この街に来たことのいわれ

藤井新造

 前回書き忘れたが、この街に住みつくまでの経過を簡単に書いておきたい。

 若い時、私は西宮市で3年間下宿していたが隣の芦屋市に足を踏みいれた記憶はない。 芦屋市についてあまり感心を持っていず、どちらかと言えば車谷長吉の『赤見四十八瀧心中未遂』の本に書いている文言に近いものを抱いていた。少し長くなるが引用する。

 「駅は芦屋川の川の上にあった。川の両岸は閑静な、見知らぬ高級住宅街である。川沿いの道を歩いて行った。………毛のふさふさした白い犬を連れた、様子のいい奥さんとすれちがった。だしぬけにこんなところに住んでいる人の生活は最低の生活だと、思うた。しかし、会社の同僚たちはみな『中流の生活』を目指していた。あんな生活のどこがよくて。ピアノの上のシクラメンの花が飾ってあって、毛のふさふさした犬がいる贋物西洋生活。ゴルフ。テニス。洋食。音楽。自家用車。虫酸が走る。あんな最低の生活。私の中の『中流生活』への嫌悪感」。

 この車谷の書いている芦屋市民に対する嫌悪感は一面的でしかもあまりにも独断に偏する気持ちが現れている。しかし、この街の人に対し他の市民より時には羨望と怨嗟の標的になる。このことについては後日書くことにし、私がこの街にきた(転居)のは事情が違う。

 42年前に共同住宅を建て、そこに保育所を作るためであった。場所は、岩園小学校の手前(正門)から左折して市民プールの方向へ、そしてその道は芦有道路へと通じるのだが、左折してすぐ左側に宮川へ流れる小さな河川と河川の間に挟まれた土地であった。周辺は在日朝鮮人の人が多く住んでいた。

 まだ、朝日ヶ丘幼稚園、小学校もできていなく、近辺の家屋も少なく、コーポの前の道路は舗装されておらず、雨の降る日など道はぬかるみ、長靴を履いて通勤したものだ。まだ朝日ヶ丘町は開発途上の町であった。芦屋でもこんなに昔のままの道路が残っているのかと驚いたものである。コーポの建築中にここへ何回か足を運んでいたが、雨の降る日に来たことがなかったので、そんなことがわからなかった。

 そして、コーポ(朝日ヶ丘コーポと名づける)に住んでみたものの、仕事が忙しく家と駅の間の15分間往復するのみで、この街についてのことは何一つ知らなかった。何年か経ち、近くに朝日ヶ丘ゴルフ練習場ができる案が地主の中田さんより周辺へ知らせるチラシが入った。この時、騒音がひどくなるので、近隣の人約50人と設営反対運動を起こし、半年余の交渉の末、テニスコート場へと転換させた。このテニスコートが、阪神大震災の直後、学生の仮設住宅として提供されることになろうとは想像だにしなかった。

 また話が飛ぶが、芦屋に転居する前に吹田市で5年余そこで生活をしていた。この街は大阪駅に比較的近く、共稼ぎの両者の勤務地への通勤時間が同じ位であった。それより何より3ヶ月の子供を保育してくれる仏教系の保育園がみつかったからである。この保育園探しは半年近く時間を要した。当初3ヶ月の子供を預かったことはないので入園を断られた。でも6ヶ月の子供を預かった経験があると、園長の姉さんが、私たちの窮状をみかねて、入園をサポートしてくれた。0才児保育園を探して、大阪府内を歩く。

 当時1960年頃、大阪府内でも0才児を保育している保育園は少なかった。私は大阪市の福祉課の人と相談し協力方をお願いした。幸いにも協力的で、いくつかの保育園を丁寧に教えてくれた。数は少なくて一つ一つ訪ねて行った。

 最初は中津の済生会に行き、次に十三のミード教会、あと一つ東野田にあった施設であった。済生会では、「あなたのように子供を育てることが困難な親のためかわりに子供を養育します。但し、子供との面会は月1回にして下さい。」と言われた。同じようにミード教会では週1回の面会にして下さいである。また東野田の民間施設の保育所では、0才児は入園しておらずそれらしい設備もなかった。

 そこで上述したように、吹田市の仏教系の私立保育園の園長の姉(保母さん)に泣きつき入園許可を得ることができた。だから入園できる保育園が見つかったと言うより、強引に頼みこんだと言うのが正しいかも知れない。入園許可を得てさっそく吹田市に転居した。

 またまた話はもとに戻るが、吹田市に移転する前には門真市に住んでいた。結婚してすぐに住んだ街である。ここを撰んだのは、大阪駅を中心にコンパスで円を描き等距離で家賃が1番安い土地であることがわかったからである。その理由の真偽はわからないが、松下電器(現パナソニック)の大きい工場があり、市民税が安いとの噂のあったのを信じた。私が転居した当時の門真市は、蓮根畑が次から次へと宅地として造成され、文化住宅がいくつも建ちかけていた時代である。

 この街で忘れられない経験をした。台風襲来である。長男が誕生したのが1961年6月末で、台風が9月に襲来、直撃である。この時、門真市では建築中の家が倒れ、たまたまその様子を見にきていた大工さんが亡くなったと、翌日の新聞で知った。それほど大型台風なのであった。安普請のせいか文化住宅の屋根瓦は飛び住宅全体がぐらぐらと大揺れし、天上から雨がもり出し、私はこれは危険と思い一家4人が毛布を身体に巻いて外に出ようと様子をみたが、出られる状況ではなかった。台風はますます激しくなり風雨は増し、畳の上に土砂まじりの雨が降ってくる。そして文化住宅の揺れはとまらない。その時、日頃全然会話も交わしたこともない、顔をろくに会わしたこともない、隣人たちが協力し合った。廊下の壁が吹き飛ばされそうになったので、各々が部屋の畳をはがし廊下に立て、防ぐことができた。そんな忘れられない怖い想い出をこの市で経験した。

 台風と言えば、私が幼い時、小さい河といっても河口なので河幅50mはあったと思うが、氾濫しそうになった。この時、村中の者が総出で堤防の上に土のうを積み上げる作業を一生懸命にやっていたのを側でみていて、早く家に帰るように言われた。この時は土のうのすきまより水が吹き出し、今にも堤防が決壊しそうな時、男達が遑しく働き田畑に水が入るのを防いでいたのを想い出した

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『みちしるべ』**金仙寺湖からのたより**<2009.7. Vol.59>

2009年07月04日 | 北部水源池問題連絡会

北六甲台自治会環境委員会

 金仙寺湖上に高速道路ができ、車が走り出してはや6年になろうとしています。その間、私たちは飲み水である湖の水質への影響を心配し、その変動を阪神高速道路㈱とともにチェックしてまいりました。また、約束どおり道路の維持管理が行われているかの確認を行ってまいりました。今のところ、水質に影響するような、道路上の大きな事故、渋滞なども起こっておらず、定められた水質検査項目には大きな変動は見られていないという結果になっています。だからといって、今の水に安心できるのでしょうか。道路から降り注ぐアスファルト・排ガス・タイヤの粉塵が浄水過程でどのような変化をするのか、細かい粒子は取り除けているのかなど、科学的知見のない心配の種は尽きません。北部水源池問題連絡会では、今後も子々孫々まで安全でおいしい水を飲めるよう、水質の確認や水源上流域の清掃活動、水に関する講演会など積極的な水質保全活動を継続していくことを、参加自治会一致のもと再確認しました。

 何よりも、原水をきれいにすることが、おいしくて安全で安価な水道水に繋がるのですから。

 ちなみに、西宮市水道局は、現在の金仙寺湖の水質を「循環装置(間欠空気揚水塔式)の運転により水質は比較的安定しており、富栄養化につながる窒素、リンの濃度も比較的低いレベルにある。しかし、最近では各地のため池や貯水池等で、冬期にかび臭物質が検出されており、金仙寺湖でも微量であるが検出されている。また、自然由来のフミン質によりトリハロメタン生成能がやや高い傾向にある。」と認識しているようです。

 話は変わりますが、バーチャルウォーターという言葉をご存知でしょうか。食物の輸入による換算水輸入量のことです。昨年、小麦、大豆などの穀物価格が高騰し食料品の値上がりが続きました。食料の輸出を禁止した国もあったと聞きます。あらためて食料の自給について考えられた方も多かったのではないでしょうか。日本の現在の食料自給率は、カロリーベースでほぼ40%です。この40%を得るために使われる日本国内の年間農業用水量は590億トンになります。穀物1kg作るのに、米では2700kg、小麦1200kg、大豆2300kg、とうもろこし450kgの水が、これらを飼料として与えて作る牛肉では16000kg、豚肉5900kg、とり肉2800kg、卵4700kg、チーズ5300kgの水が必要です。これらの農産物を残りの60%輸入することによるバーチャルウォーターは、640億トンにも及んでいます。日本は、農産物の輸入により水資源を節約できたことになり、輸出国は栽培のために水が消費されたことになります。

 今後、地球人口の増加に伴う食料不足に備え、自給率アップは必定となってくるでしょう。そのため農業用水の確保は当然重要な問題となってきます。現在、私たちが飲んでいる金仙寺湖の水もー庫ダムの水も一部が農業用水として使われています。食料増産のために、飲料用の水にしわ寄せがくることは十分に予想できます。

 世界では、安全な水を飲めない人は5億人から10億人と、5人に1人がきれいな水を飲めないと言われています。水には恵まれていると思われる日本ですが、今後はそうでもなくなるのかも。

 私たちのできることは節水、原水の汚染の防止、食料の地産地消の推進、廃棄食物の減少など限られたことかもしれません。皆様にも、いま一度、子供や孫のために、水について考えていただけたらと思っています。

北六甲台自治会環境委員会

 11月22日、北部水源地問題連絡会(※注1)はコミュニティーセンターにて講演会「北部地域の水事情」を開催しました。西宮市水道局施設部長、水質試験所長、北部水道事業所長の3人の方を招き、あらかじめ提出していた質問を踏まえたお話をしていただきました。

 この講演会のハイライトは水の飲み較べ。用意した水は ① 船坂川を水源とする丸山浄水場の水、② 猪名川水系(一庫ダム)を水源とする多田上水場の水、③ この二種をブレンドした、現在北部で使用している水道水、④ 西宮南部で使用している阪神水道事業団の水、そして⑥ ミネラルウオーターの5種類。種類をかくして参加のみなさんに飲んでいただき、一番おいしいと思った水を複数回答で挙手していただきました。

 その結果、1位は何と、いま私たちが飲んでいる北部の水道水でした。2位はミネラルウオーター、3位は高度浄水処理をした南部の水道水であったのも意外な結果でした。5種類とも、カルキ臭やかび臭はありませんでした。

 水道局としては、水の安全供給に力をそそいでおり、丸山ダムの老朽化に伴い耐震化や落雷による停電防止などの改修が行われるそうです。また、渇水危機管理体制として神戸市・宝塚市と強調体制を進めているということです。

 気になるゴルフ場対策ですが、ゴルフ場内に主として農薬の成分を除去する浄水設備を置き、浄水された水は金仙寺湖に流さずパイプで直接ダムの下手の船坂川に流しています。また、ゴルフ場には年二回の報告を義務付けるとともに兵庫県が聞き取り調査をしています。しかし、これで万全であるのか、抜き打ち調査などが必要ではないかという疑問は残りました。船坂川流域の3地点では水道局と環境局が共同で水質チェックをおこなっています。高速道路による水質変化は今のところ見られないということです。

 生きていく上でなくてはならない水ですが、地球温暖化による水への影響など、水の環境は危険にさらされています。水に恵まれた日本の環境をそこなうことなく、将来にわたって安全な水が供給されるよう願ってやみません。

 水質保全の一番重要なことは住民が関心を持ち続けることです。水道局のホームページでもいろいろなデータを閲覧できます。このような機会をとらえて大いに関心を持っていただきたいところです。

(※注1)北部水源地問題連絡会
 北六甲台、新中野、名塩赤坂、緑が丘、西宮すみれ台の5自治会で活動しています。

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『みちしるべ』私の住民運動(19)**<2009.7. Vol.59>

2009年07月03日 | 私の住民運動

私の住民運動(19)

山幹の環境を守る市民の会
山本すまこ

 平成10年8月に入ると、詳細設計図による説明をしたいと言って来た。8月28日、29日(金、土)にした。しかしその間には、ネットワークの会も毎月場所をかえて開催した。また、北町の問題(駅前の不法駐輪)の対策をと町内会として市に要望を出したりもした。企業の所有地を借り上げて駐輪所を設置するようにとのことでした。

 説明会は8月29日、30日に変更してください。市は28、29、30日の三日間開催すると返事した。なぜか瓦木公民館で開催するという。瓦木公民館周辺の地域は架橋、拡幅事業の地元から離れている地域であり、我々の意見とは少なからず違うのである。市はそう言う人たちを集めて声高に賛成の意見を取りたいという魂胆に違いない。だんだんこっちも勘ぐりが働いてくる。スムーズに説明させるわけにいかない。

 8月16日市民の会で相談会を開いた。意見はまちまちでした。流会すべき。いや流会は意味がない。真っ向反対の意見。市長から対策の保証を取って欲しい。まだまだ十分質疑応答がなされていない。等々。

 三日間の結集を促すためにビラを作り8町会の広い範囲に配布した。チラシには今までの経過説明もした。詳細設計図で説明するということは、まだ住民が納得していないのに裁判にかけてまで住民の意思を無視し、強行に調査をし、工事を着工しようとの暴挙である。すでに寿町では二車線供用を約束していた。どうしてこの地域が四車線なのか。

 当局は案の定、住民の分断を謀ってきた。8月20日である。マンションだけの要望を聞かせて欲しい。すぐに連絡が入った。私たちはまだ団結も固く分裂していなかった。部長に「何ということをするのか」と抗議した。すぐに抗議することで市当局は勝手な動きをしても無駄だとしらせる。今後同じことをさせない為である。

 8月28、29、30日の会では連日100名を越す人たちが参加した。とにかく市に嘘の説明をさせてはならないと結集して反論した。最後の日曜日の午後の会では、もうこれ以上必要なしと説明を中止させたが一部数人は残っていた。

 8月30日の説明会で市は業者との契約はしていないと局長は答弁しました。嘘なら辞めてもらいますがいいですか。首をかけて、9月の本会議で承認を得てから契約をする。入札もしていないと。ところが9月3日仮契約をしたことがわかりました。私たちの怒りは当然です。9月7日市長に抗議に行きました。助役が出てきた。

 どうしてこのような手品のような早業が出来るのか。入札もなしで仮契約ができるとは、いわゆる世間でいう談合と解釈せざるを得ない。市民を愚弄するもはなはだしい。ますます行政への不信が募るものです。

 9月25日には議会で橋脚部分の工事予算案を承認した。私たちはどうしても納得がいかないと9月5日より各自が署名用紙を持って走り回り署名を集めた。市庁舎の前でも集めた。9月27日には皆で集まって提出時の対応を相談した。9月28日県知事には書留にて要望書を送った。今までの市当局の対応、そして私たち住民の思いを重ねて訴えた。市を指導して下さいと。

 西宮市には市長面会を求めて4695名の署名とともに「拡幅、架橋されても環境を守れる道路であると市は住民に明言されている通り、市長名で文書で確約をすること。」又「事業実施後も定期的に環境調査を行う」この二点を確約するならば、具体的な協議をもやぶさかではない。というものでした。

 10月2日には回答してきた。将来予測に対して、低騒音舗装、遮音壁の設置等で環境保全目標を守れるものである。また、整備後環境調査を実施し、報告し、目標を超えていた場合は速やかに対策を講じる。そして、いままでの説明会において説明した内容については責任を持って履行する。と約束をしてきた。

 10月4日、市民の会は近隣のマンションのホールで市当局からの回答及び経過を報告した。次回説明会の開催が10月18日に決まった。住民への徹底のため、市政ニュースで知らせるよう伝えた。

 回答書については住民と良く協議するよう部長に申し入れた。18日の説明会は小学校の体育館で行われた。しかし、内容は8月の三日間に行われた説明と変わりなかった。

 10月25日、住民との協議会を開催。市が回答してきた具体的な条件について、詰めた。二見交番以西も低騒音舗装を、二車線供用を固定する。ゼブラゾーンだけではダメだ。測定所を設置し生データを開示すること。交通量を増やさないため、大型車が通行したくないような方式を考える。環境調査方法を信頼できる会社に依頼する。その他の測定の不安など。交通規制については公安局と協議する必要がある。

 市も必死である。25日の協議に対して28日住民の要求のそれぞれの項目をほぼ呑んで回答書を届けてきた。この回答書が市長名で公式に出されるとなれば、我々も考えざるを得ないもとになる。

 10月30日、住民は集会を持った。40名が集まった。平成8年からずっと座り込みやパトロールのローテーションを組んでよくぞここまで頑張って来たと思う。暑い日、寒風の中での河川敷での座り込み、テントを張っての見張り当番等々。しかし、住民側にとってはここで白旗を揚げるのかと思うと、それぞれ思いは複雑だ。でも、現実は厳しいものがあった。市が戸別訪問をしたことで、実際には活動に参加する人が目に見えて減ったのである。

  • 「もっと参加者が増えて欲しい。」
  • 「市が環境を守るというが、本当に守ってくれるのか。」
  • 「やっぱり橋は反対だ。」
  • 「止める方法はないのか。」
  • 「公害を抑えるという一筆があれば、工事に入ってもよい。」
  • 「どのように反対すればいいのか。もう力がおよばないのかなあ。」
  • 「条件に入らないと、あきらめ?」
  • 「橋がつけば後では何も出来ないのでは。」
  • 「条件をつけても後々果たして効力はあるのか。」
  • 「責任者が変わっても効力はあるのか。」
  • 「今のままであってほしい。」
  • 「条件を勝ち取ったほうがいい。真っ向反対はもう出来ない。」
  • 「反対だ。人数を200~300集めて、」
  • 「談合がわかれば……」
  • 「新井組も斜陽だ。」
  • 「橋脚はやらせてもいいが、文書に対して反論していく。」
  • 「本工事には入らせない。人数をあつめて、パワーをみせたらどうだ。」
  • 「市が出した文書は評価するが、担保がない。」
  • 「現実に工事に対して実力行使は出来ない。」
  • 「大型車の規制を具体的に。せっかくの文書を確約させる。」
  • 「町会長の立場で参加してきたが、長期の戦いに疲れて参加者が半減してきた。これ以上体を張ってやることはもう無理ではないか。」
  • 「環境を守っていくように強く言う。」
  • 「確約がとれるまで実力行使をやるべき。」
  • 「回答(2)が問題。回答(2)は『大型車の規制は現在の交通量では必要ない。公安と今後相談する。』」
  • 「橋が完成しても貫通しないと計画の全体の完成とはいえない。」
  • 「いつまで、どんなサイクルで市と協議していくかを約束することが大事。」
  • 「条件に入るから座り込みが出来ないということはない。」
  • 「常設の測定所が出来るまで実力行使する。」
  • 「回答書を詰める。」

 このようにみんなの意見は反対はしたいけれど、過去の座り込みを再び同じように出来るかといえば、もう無理だ。との気持がおおかたでした。結論は人数が少なくなっている現実のなかでの座り込みはもっと一人ひとりの負担が増える。そのことについて確認をした。出来ないという答えが多かった。心情は複雑であった。悔しい思い。もっと反対したい思い。思いは交錯した。

 10月31日、橋脚工事の説明会が持たれた。しかし担当社の新井組の考えは甘かった。資料が不備ということで一時間あまりで流会となった。後日改めてということになった。

 11月3日、市との話し合いを持った。局長は協議内容に入りたい。先日の工事説明については11月7日に再度行うと資料のみ配布した。その日、住民は10月28日に市当局より出された内容の詰めの要求を出した。

  1. 最終的な公的な文書について市政ニュースにて告知してもらいたい。5団体だけでなく、広く市民に知らせて欲しい。局長は即答は出来ないとの返事だった。
  2. 協議していくとの表現について、はっきりとした文言にして欲しい。
  3. 右岸線の対策について。
  4. 大気の対策について。
  5. 観測所の設置について。

緑地帯の設置にいついて。などであった。

 11月5日、部長より以上の質問の回答は7日には無理であることを承知して欲しいと言ってきた。

 11月7日、橋梁橋脚工事の説明会が開催された。市道路課と新井組である。設計と手順についての説明があった。説明の間にも住民からはまだ取り掛かってもらいたくないという思いが強く、今までと同じような質問も繰り返された。川の中の工事であって、まだ山手幹線道路の本工事に入った訳ではないと思いたかったのである。具体的な質問、たとえば作業の時間は? 作業日は? 休日は? などと訊けば、「今日はそんな話訊くことない」との意見が間髪いれずに出された。

 平成10年11月26日に、11月3日の質問等に対しての回答が届いた。すでに回答されている10月28日付けのものから環境調査については常時観測所の設置を検討していくとの一文が追加されると共に大気浄化について、環境保全目標が達成されていない場合は新しい技術が実用化された段階で環境保全対策の一つとして取り組んでいく旨が追加されていた。

 この回答に対して、12月6日、住民は再度検討会を開催。次に市に要求する内容が次のようなものになった。

  1. 二見交番以西の舗装について、低騒音を事業区間の工事と同時にさせること。
  2. 観測所の設置を明言する。どこに作るのか。山手幹線供用時点で観測されている状態であること。
  3. 対応部署をはっきり明示すること。

 具体的な条件が出てきたのは事実である。とはいえ、煮詰まっていく事に複雑な思いは否めなかった。例えば住民と共生出来る全国にモデルとなるような道を市と協力(したくないが)して発想の転換をしていくのがいいのかなあ、とも思ったりします。低騒音舗装の効果はあるようだ。協議、取り組んでいくなどのあいまいな文章に不安である。協定書を市と交わす。文書の表題?

 芦屋が開通するまで2車線でというのはいかがなものか。それはだめだ。芦屋が出来れば4車線でよいということになる。

 その他 橋がついて他市と繋がると、防犯の面でも警察の管轄が違うために、犯罪が増加するのは明らかである。その対策は如何してくれるのか。道路が拡大して通過道路になれば、必ずその地域の住民が今までにない被害を蒙ることになる。このような意見が間違っていない現実が、必ず近い将来望まない結果として実証されるに違いない。

 平成10年12月13日、市当局との話し合いの場を持った。まず市民の会の代表が話し合いに先立って釘をさした。市から11月3日の話し合いでの回答が、11月26日付けできている。河川敷での工事が始まっているが、全面的に住民が工事を許したわけではない。川の中に限ってのことであり、今後の回答いかんでは実力での阻止もありうる。このことを前提に今日の話し合いに入りたいと。部長より前回と今回の回答の進歩について、概略の説明があった。住民側から今回の住民の要望として、

  1. 二車線での供用、
  2. 常時測定所の設置、
  3. 二見交番より中津浜線までの舗装については事業区間同様低騒音舗装とする、
  4. 対策の窓口(責任部署)を明らかにする。これらに付随する問題については住民との協議会にてその都度協議する。

 当日の回答は常設の測定所について、現在西宮市では国道2号線・171号線・176号線があるが、常設観測しているところは限られている。市道二車線での観測所は非常に難しく、直ちにとは無理である。事業区間以外の舗装にいついては、騒音調査を行い数値が超えていれば、舗装をする。責任窓口は道路部である。と回答した。

 しかし、住民側は11月26日の回答が最終で、今後一歩も住民の要求を積み上げられないのなら、今までの話し合いはぶち壊しであるが、持ち帰って再度回答を出す気持はあるのかと迫った。局長は前回お聞きしたことは26日に回答したというのみであった。

 12月16日、市より助役が会うといってきた。12月25日午前、28日午後のいずれかと伝えてきたので、住民たちに確認を行い12月28日に決まった。

 平成10年も押し迫った12月28日午後、住民17名の代表が市役所に、2時から面談がはじまりました。市当局からは助役、土木局長、部長、課長、係長であった。まず住民の代表は12月13日の話し合いでの席上で出した三項目について解答願いたい。

  1. 固定測定所、
  2. 二車線供用を明確化する、
  3. 事業区間以外の中津浜線まで低騒音舗装、をこの事業と工事にする。

 助役の回答は、

  1. については現在西宮市では国道に5箇所あるが、山手幹線については今の時点では無理、今後の課題としたい。無視はしていない。測定方法について、皆さんの理解を得られるような方法でやりたい。供用後は調査の回数を増やす。
  2. については二車線供用といたします。
  3. については低騒音舗装を実施します。平成12年度に実施します。

 以上のように住民の要望にたいして、常設の測定所の設置以外は環境保全目標についても、市が今までに出してきた基準の数値を守る。超えたときは対策を講じるとの一文も入れた。(現実には対策は難しいが約束をしたことは意味があると思う。)

 平成11年1月に入って、1月9日、住民が集まって10年12月28日の席上で助役が約束をしたことを報告するとともに、みんなの意見、感想を出し合った。市民の会として言い続けてきたことは、環境を守れる道路にするということを文書で約束するならばということでした。

  • 市が約束をしたからと言って理想と現実はちがう。
  • 一番の原点である、環境基準を市がクリアーするという約束を、守らせていくことが大事。
  • 前のようなことをいつまでもやっていたら笑いものになる。
  • 人が減っているのが現実であり問題です。
  • 過激にやっても、答えがでているのに、無駄です。
  • 市に対して、人をだますようなことはするな。約束は守れという。

 色々な意見のおおかたである。今後は市が約束をしたことを如何に守らせていくかが大切であり、より一層結束をしていくことが大事であるということを確認しあった。

 この夜、市の工事説明会が開催された。橋脚の工事に伴い、迂回路を作る説明であった。家屋調査を行うことや、防音壁防音シートの設置などを要望。通常の工事中の対策であった。

 平成11年1月10日、【山手幹線拡幅架橋に反対する会】として、平成3年10月結成して以来、考えもしなかった住民運動を展開してきた。この日、市民の会として重大な決断をしなければならなかった。ことここに至ったのであった。各人の思いはさまざまであることは当然でしたが、50数名が集まった。

  • 測定所、常設が無理なら、通年観測でもよい。同じことだから。
  • この回答が最終でよい。
  • 中身のことをはっきりとした言葉で協定書に盛り込む。
  • この回答がこれで良いのなら、市民の会の名称を変更した方がいい。

 ここで同席して下さっていた尼崎の砂場さん(阪神間道路問題ネットワーク代表世話人=当時)が、お言葉を下さった。今日までの住民運動、闘いを外からずっと見守って下さっていた立場から、この日の心境やいかばかりかと、私たちの心を理解し、一人ひとりの思いを代弁してくださった。ここまで結束して、ながきに渡り、時には冷静に、又、激しく市との攻防を成し遂げてきた市民の会に対して、決して負けたのではないと慰めてくださいました。

 全くの住民だけで権力に立ち向かい、行政としては絶対にしたくない文書での約束を取り付けたことは天晴れであると評価してくださった。ありがたいお言葉でした。ここで12月28日の回答書を了承するかどうかの決議がなされた。そして協定書に盛り込む内容を決めた。

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『みちしるべ』**韓国のバス事情に学ぶ**<2009.7. Vol.59>

2009年07月02日 | 藤井隆幸

韓国のバス事情に学ぶ

世話人 藤井隆幸

  全国商工団体連合会(民商)は『月刊民商』を発行しています。その2009/No.584(7月号)に、興味深い記事がありましたので、その内容を紹介します。

発想転換のまちづくり政策講座(第10回)
21世紀型の新たな地域政策を考える
《バスの準公営化策を進める韓国》

奈良女子大学大学院準教授  中山 徹

 韓国のバス事情は日本の規制緩和とは、逆の方向に進んでいるようです。日本では2002年に「道路運送法」が規制緩和の方向で改訂され、バス路線の「許可制」が「届出制」になりました。結果は路線の新設どころか赤字路線の廃止が進み、公共交通の過疎地が一気に増えてしまいました。

 一方の韓国のバス事情は、そもそも民間が勝手気ままに運営している状態があったそうです。別会社路線との乗継がなかったり、重複路線があったりで、経営の安定性もなかったようです。何より空白地域も多かったようです。

 そこで、行政によるバスの準公営化が行なわれたようです。路線は市が設定し、運行は民間バス会社が行うというのだそうです。路線ごとに標準運行価格が決められ、運賃収入は収入金共同管理機構に納められます。バス会社は標準運行価格が安定して受けられるので、経営は安定して路線が定着します。収入金共同管理機構に入る収入の不足分を、市が補填するというシステムです。

 バス路線は「広域急行路線」「幹線路線」「循環路線」「支線路線」に分けられ、重複路線の統合、非効率な長距離路線の短縮化、交通空白地の解消、公営である地下鉄との連携強化などが行なわれているようです。バスの車体に端末機を装置し、BMS(Bus Management System)の導入で、運行管理を強化するとともに、便利なITカードシステムを採用し、利用状況の把握に役立てているそうです。バス専用レーンの設置、系統別に車体の色分け、低床バスや天然ガス車の導入も進めているとのこと。

 ソウル市の中心部の高速道路を撤去し、清渓川(チョンゲチョン)の清流と景観を取り戻したことは有名です。しかし、その背景にマイカーを規制し、公共交通を強化する韓国の発想は、日本では遠い将来の課題であるかの如くです。日本の後進性を実感せざるを得ません。これは韓国だけのことではなく、先進国の国際的傾向でもあります。

 日本では高齢化社会に突入し、現実に公共交通の強化が求められています。格差社会の深刻化で、特に若い世代の車離れの傾向が強まっています。そもそも、マイカーの必要性というものが、過度に強められた背景があり、今後の社会変化で崩壊が進みかねません。お米屋さんや酒屋さんが配達するのではなく、消費者が大店舗にマイカーで買いに行く流通形態の変更。また、遠い郊外にしか、良好な住宅環境が残せない過密都市周辺では、マイカーを手放すと暮らせなくなる。過疎と過密を究極まで進行させて、人間が産業に従属させられる社会。『規制緩和』という経済界のメタボリック症候群によって、総てを歪曲してきた制度の反省が求められているのではないでしょうか。

 

釜山市でのバスと地下鉄の利用者の増加
(07年5月から準公営化の開始)

 

バス(人/日)

地下鉄(人/日)

合計(人/日)

準公営化前(1年前)

1,408,000

477,000

1,885,000

   〃  後

1,594,000

531,000

2,125,000

増加率(%)

113.2%

111.3%

112.7%

 

韓国のバス路線の一元化と運賃の統一

 

面積(km2)

人口
(万人)

準公営化
実施時期

公共交通機関
(路線数)

料金割引

ソウル市

605

1035

2004年6月

地下鉄(4路線)
バス(500路線)

距離比例割引

釜山市

763

371

2007年5月

地下鉄(3路線)
バス(284路線)

市内バス
乗り換え無料

大田市

539

143

2005年7月

地下鉄(1路線)
バス( 93路線)

乗り換え無料

大邱市

885

254

2006年2月

地下鉄(1路線)
バス(104路線)

乗り換え無料

光州市

501

140

2006年12月

地下鉄(1路線)
バス( 86路線)

乗り換え無料

 

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『みちしるべ』高速道路建設の原動力となったJAPIC**<2009.7. Vol.59>

2009年07月01日 | 神崎敏則

『クルマと道路の経済学』の書籍紹介
高速道路建設の原動力となったJAPIC

神崎 敏則

 道路問題について原稿を書く際に、とても参考になった一冊を今回紹介したい。柴田徳衛、中西啓之編、大月書店出版の『クルマと道路の経済学』は、発行が1999年なので掲載されているデータが古いものが少なくないのは残念だが、様々な角度からクルマと道路について鋭く分析している。

ヨーロッパの総額に匹敵する日本の道路建設支出

 総務庁統計局の『世界の統計一九九八』から引用して、「ヨーロッパ全体の道路関連支出は、857億4800万米ドル、これに対して日本はそれにほぼ匹敵する755億4500万米ドルを支出している(95年)」また、「日本の1平方キロメートル当たりの道路延長は、3.03kmであり」、「いかに日本の道路密度が高いかがわかる」(図①参照)

 「さらに諸外国では最近道路整備事業費が減少している。イギリスで65年水準である。つまり30年近く道路整備事業費は増加していない。ドイツは60年水準、フランスも多少は増えているがそれでも90年で65年水準の1.5倍、アメリカも92年で70年水準である(計量計画研究所による「欧米における交通施策の動向」『道路交通経済』(1996年4月)。しかも各国とも高速道路の整備を年々減らしている。これに対してわが国の総道路投資は、65年の6991億円が93年には15兆585億円、なんと21.5倍程度にも急増している」という。

モータリーゼーションの促進=政府の自動車残業への育成策

 藤井隆幸さんから何度かご教示いただいたように、わが国の道路行政の基本的枠組みができたのは1950年代であった。道路法の全面改正、道路整備特別措置法の制定によって有料道路が創設された。また53年には道路整備費の財源等に関する臨時措置法が制定され、道路特定財源制度が創設された。この制度はユーザーに揮発油税などを課し、それによって得た財源をもっぱら道路投資にあてるものであった。そして54年に第1次道路整備5カ年計画が策定される。さらに地方道路税、軽油引取税などが創設され、地方の道路財源にあてられた。その後日本道路公団が設立され、有料高速道路建設が本格化するのである。モータリーゼーションの促進は政府の自動車産業への育成策によってもたらされた。

東京湾横断道路建設推進の原動力

 東京湾横断道路=アクアラインは、千葉県木更津市と神奈川県川崎市を結ぶ総延長15km、建設費約1兆4400億円を投下して97年に開通した。計画当初1日6万代と予想されていた利用台数は、完成直前に3万3千台と下方修正されたものの、供用後は8千~1万4千台と惨憺たるものだった。2車線と4車線の混在する尼宝線でも1日交通量が2万5千台といわれているので、過大な税金投下ぶりが多くの識者から糾弾されてきた。このアクアラインの生みの親についても、本書は詳細に綴っている。

 「1996年10月、東京大手町のパレスホテルに経団連幹部、千葉、神奈川、東京、埼玉の経済同友会、商工会議所などの財界人、建設省の伴事務次官(当時)など国、地方の行政関係者、自民党東京湾開発委員会委員長・中村正三郎代議士などが次々と乗りつけた。鉄鋼、金融、建設などの業界が集まって巨大プロジェクトを構想しそれを実現するために活動をおこなうJAPIC(日本プロジェクト産業協議会)が中心となって準備を進めてきた、東京湾状・湾口道路整備促進協議会の設立総会と披露パーティーに出席するためだ。ゼネコン団体である日本建設業団体連合会の会長前田又兵衛氏ら大手ゼネコン代表も顔を出している。主催者代表の田中敬・神奈川経済同友会代表幹事は『このような国家的プロジェクトを(推進するために―筆者注)19の民間団体が結束した意義は大きい』と各地の経済同友会、商工会議所、JAPICなど民間団体が結集したことを高く評価した。また伴・建設事務次官も『道路特定財源の堅持が至上命題』とこの巨大プロジェクトにゴーサインを出す上で、もっぱら道路財源にふりむけられ、それへの投資を特化させるガソリン税等の道路特定財源の死守を条件に都市計画決定を急ぐと約束した。中村自民党代議士も(いままで―筆者注)『民間の盛り上がりが欠けていた』が協議会が発足したので、計画の実現に見通しができたと満足の笑顔で乾杯の音頭をとった。そして先に指摘したように五全総でこのプロジェクト構想が具体的に書き込まれたのであった。“功を奏した”といっても過言ではない。」

 ――以上は、『JAPIC、93年11月』からの引用文だ。おらが春を謳歌するような政官財の癒着ぶりだ。

 そして政官財癒着構造は、小泉構造改革で打ち上げられた「無駄な高速道路は一本もつくらない」というアドバルーンも木っ端みじんに粉砕してしまった。この粉砕劇の中で、JAPICがどのような役割を果たしたのか、調べたいのだが資料にありつけていない。読者諸氏の助言をいただきたい。ともかく、政官財癒着構造に粉砕されたはずの小泉首相は、負けたことをうやむやにして、国民の期待をいつまでも抱かせたままだった。

 ここで、小泉首相の奇術師としての腕前を評論するつもりはない。私たちが直面している課題は、(高速)道路建設問題を国民の主権下に取り戻すことだ。

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