『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』横断車道(41)**<2006.7. Vol.42>

2006年07月07日 | 横断車道

ゴミ収集の有料化について、賛否それぞれ意見がある。環境問題に取り組む市民団体は、概ね賛成が多い。ゴミの減量化に有効というのが、その中心的意見だ。一方、消費者団体は反対という意見も多い。資源保護という人類問題の根本を、末端の消費者にだけしわ寄せするというのが、主な理由だ。大量消費誘導を儲けの中心戦略にした生産者に、何ら負担を求めない政策であることも事実だ▼六月から改正道路交通法により、駐車違反の取締りが圧倒的に強化された。イタチゴッコをしていた駐車違反の解消が現実になり、迷惑を被った人々には朗報だろう。方や運送集配業者は、死活問題と「駐車禁止対象除外」を求めて、運動が巻き起こしている。改正道交法の裏で、警察OBの天下り先が民間監視会社の80%を占めており、何のための改正かと疑問の声も出ている▼同じことが、排ガス規制でもあった。まだ使えるトラックが、規制に適合しないから買い換えざるを得ない。運送業者にとって、多くが中小零細業者なので、資産の大半をトラックが占めている。まだ営業活動によって資産補填できていないトラックを買い換えれば、大きな赤字を生じることになる。低利融資をしてもらっても、負債の増大に変りはない。ここでも欠陥トラックを製造した、メーカーの負担は皆無であった。むしろ新車販売の勢いがついた▼本来、車は路上駐車するものである。出発地に駐車場はあっても、行き先に駐車場がなくてはならないのなら、車に乗れる機会は少ない。地方に行った際、繁華街・幹線道路以外は駐車禁止などの制約はない。何故なら、車の保有量が地域のスペースに対して、まだまだ少ないから駐車禁止にする必要性がないのである。問題なのは、必要以上に車の保有量を増大させたことである▼大手メーカーの営業マンは「消費者のニーズは我々が与えるものである」と豪語しており、実際にそうである。車が必要と感じて買う人など、余り無いのである。ステータスとか「みんなが持っているから」というのが、大方の理由である。あったら便利な側面はあるが、保有することによって生じる負の課題など、誰も考えない。実際に必要な人がいることを否定するものではないが▼世界と日本の産業界にとって、自動車業界は大きな地位を占めている。そんな状況下、彼等の儲けの為に、都市計画の本来の在り方をなおざりにしては来なかったか。人口と車の集中の状況を、ここまで放置しておいて、中小零細運送業者にだけ負担を強いるのは、何か釈然としないのである▼行政には駐車問題の根本である、車の都市集中問題に如何なる戦略があるのか。道路公害問題と共通するものがある。 (コラムX)

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『みちしるべ』斑猫独語(26)**<2006.7. Vol.42>

2006年07月06日 | 斑猫独語

澤山輝彦

<雨に歩けば>

 もう梅雨明けであっていいはずなのに、7月の末になっても各地に大雨を降らしている今年の梅雨はおかしいのである。阪神間の雨は大したことはないようだけれども、本当によく降り続く。

 犬にとっても雨は苦手なようだが、それでも散歩には行きたがる。大小便を我慢しているのだから、連れて行ってやらねばならない。傘をさしての散歩はめんどうなものである。そんな散歩の途中で私が楽しみにしている場所がある。キセルガイが出る所だ。

 川西市大和は山を切り拓いて造成した宅地だから、道路沿いなど切り通しのようになっている所が石積の壁になっている。そんな壁の続きに隙間があり、そこにキセルガイが住んでいるのだ。といってもそんな所ならどこにでもキセルガイがいるかと言えばそうではない。ある一ヵ所そんな場があるのだ。小降りから雨上がりになるとキセルガイが出てくるのだ。石の表面についた藻類やコケ類が雨でやわらかくなったところを、食べに出るのではないかな、と私は考えている。その数がこれまでで一番多かったのは7月21日に数えた46匹だった。

 貝は、海や池や川など水の中に住んでいると考えるのが普通だろうが、水から離れた陸地に住む貝もいるのだ。カタツムリと聞けばああそうだ、あれは陸生だな、と納得されるだろう。キセルガイもそんな陸生貝の一種なのだ。キセルガイを見つけるには雨後の寺社林へ行けば木の幹などにはっているのをみつけることが出来るかもしれない。キセルガイはこれを研究対象にする人とつきあう以外、人とかかわっていることはないだろう。私達川西自然教室の仲間は陸生のホタル、ヒメボタルの幼生の餌になる、ということでこれを知っている。初夏の風物持と言われるホタルもその幼生時にはヒメボタルがキセルガイを食い、ケンジボタルやヘイケボタルはカワニナを食うなど肉食だ。なかなかすごいのである。

 私が見つけるキセルガイは大体3〜4cmぐらいのものが多い。小さい物もいるが、それを見つけるには立ち止まって注意深く調べる必要がある。キセルガイは殻口のひだとふたの形で分類をするそうだ。穀口を調べればハゲキセル、シリオレトノサマギセル、ホソヒメギセル、ナミギセル、コンボウギセル、コシボソギセル等の名前がわかるのだが私はそこまでする気はないので、いつまでたってもただキセルガイとだけしか言えないでいる。それでいいのだ。

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『みちしるべ』熊野より(20)**<2006.7. Vol.42>

2006年07月05日 | 熊野より

三橋雅子

<蜜蜂住宅事情>

 ある晴れた日、気持ちのいい午睡を突然の異様な物音で中断された。ガーンガーンガーンガーンとけたたましく、さては火事?いや、いつかの山火事の時はこんなのではなかった、ちゃんと「〇〇で山火事発生」と広報のアナウンスが入ったもの。何が起こったかわからぬまま、連れ合いが音のする方、お隣さんへ走る。やがて帰ってきた彼は、一輪車の舟をはずして鉄パイプでガンガン叩き出した。私にも同じようにやれ、と目で合図をする。なんなの?何が起こったの?といっても、首を振って、俺にも分らん、とにかくやるんだ、と言う。やれったって…仕方なくそこらの金物を深して、古バケツと鉄棒の切れっ端でがんがんやり出した。何がなんだか分らないまま、しかしガンガン音を立てるというのは、なかなか楽しいものだ。別に解消させるほとのストレスがあるわけではないけれど、物音を気遣うのでなく、思い切り、でかい音をどんどん立てろというのだから、これは愉快。ええ調子でガンガンやっていたが、物の10数分も経たぬうちに、たちまち腕が疲れてきた。ボロンボロンとなると、もっとしっかりガンガンやらんか、とけしかけられる。ああ、もうしんど、それにしても、お隣さんは何ということだろう、目を覚まされた時からもう何10分もぶっ続けに、リズムを乱すことなく打ち続けている。すこい持続力に尊敬してしまう。

 やがて音も小止みになったので様子を見に行くと、音出しの張本人は「もうあかんな」と空を見上げている。尾根に向かって、空には真っ黒な塊が移動している。蜜蜂の大群である。こんな天気のいい日には、蜂が巣別れをして飛び立っていくのだという。次なる新しい巣に向かって行く蜂の群れを、自分が仕掛けた巣に呼び寄せるための音出しだったのだ。遠くに行こうとするのを、物音で脅かして諦めさせ手近に引き寄せるというのだ。尾根を越えてしまっては、もうダメというが、彼の眼光は突然鋭くなって「おう、いけるかも」とキッと黒い集団を見据えている。こちらには何の変化も見あたらないが、尾根を越える寸前にUターンして舞い戻る気配だと言う。ややあって、ほんとに黒い塊はこちらに向かって下降し始めた。ガンガンの脅しが功を奏して尾根越えを諦めたのだと言うが、シロウト考えでは物音に脅えれば、急いで尾根を越えてのがれようとするのではないかと思うが。現に舞い戻ってきているのは、危険を感じて飛行を続けるより、先ずは古巣へ退避!とボスが命じるのか?それは蜂に訊いて見なければ分らないが先ずはめでたし。お隣さんも、ようやく「おおきに」と笑顔を見せた。しかし果たして彼がしつらえた巣に入ってくれるかどうかは分らない。そこら中、木をくり抜いて作られた蜂の家があちこちの木の下に点在しているのだ。しかしまた、仮に他人の巣に入ったとしても、諦めるのは早い。しばらく様子を見て、居心地が悪いとまた飛立っていくのだと言う。ということは自分の巣に入っても安心は出来ない。お気に召さず、他所を求めて何時その巣を後にしないとも限らない。何せ蜂にとっては、これだけ選り取り見どりで好きな家が選べるのだから、ぜいたくな住宅供給過剰なのである。何を急いで、最初の物件で即決することがあろうか。それにしても、ごく一部の蜂達が、おさおさ怠りなく絶えず、よりよき住宅を求めて、あちこちの物件を偵察に行っているらしいという。スワあそこに移動するぞ!とか、せっかく引っ避してきたけど、ここはダメだ、また別件を探そう、などの重大決断を下すのは何蜂?それより何より、巣立ちの途中に危険を察知した時の、進むべきか退却すべきか、などのとっさの状況判断をするのは誰なのか?女王蜂はただ「よしなに」というだけで連れられるままなのか。連れ合いは「女王様、新居はお気に召されたでしょうか?それとも別件を探しましょうか?」くらいのお伺いは立てるじゃろう、ウン、とうなづいたり首を振るくらいの意思表示は…などと勝手な妄想に耽っている。それにしても、協議制でなく厳密な役割分担が整っているのかしら?蜜蜂の社会構造は奥が深いようだ。

 人間向けの住宅は、となるとそうはいかない。空き家は至る所、そのままにしておいて朽ちさせるのはもったいない、と思うようなのが蜂の家に劣らずあるのだけれど、他人を入れたり、人手に渡すことは滅多にない。盆暮れに帰ってくるのも事実だが、もうとうに、そういう往来が耐えて久しいのに、何時の日か帰るやも知れない、あるいは子供や孫達がいつ何時、UターンまたはIターンして来るかも知れない、という望みを託してのことだろうか。その望みを断ち切るのと引き換えの売値が、あまりにも低いということでもあろう。我が家の終の棲家が簡単に手に入ったのは幸運としかいえない。

 やがて古巣に舞い戻った蜂の軍団は、我々の眼前でブンブンウワーンウワーンと話し声も聞き取れぬくらいの騒音で飛び回っている。「刺されない?」と訊けば、「今それどころではないから、人間なんか構ってられない」とますます顔を近づけ、「その代わりチョッカイ出したら総攻撃に会うぞ!」と怒鳴る。またしても人間は無視されっぱなしか。無視といえば、ぼさぼさの裏山を掃除していると、連れ合いが蛇や鳥は平気で俺に寄って来る、それも綺麗にした後、した後を追って、と慕われたかのように喜んでいる。実はこうして下草を取り除いて土が見えると、ミミズなとの虫が出てきたり突っつきやすくなるので、後を追って寄って来るらしい。単に怖くない相手と無視されているだけなのだ。

 こうして蓄えたほんものの「山の蜂蜜」は貴重で、我が家もちょっと舐めさせてもらった。濃厚というか、山の味と言おうか、ガーンと五官こたえるような蜜である。高値で流通するようだが、ほんのちょっぴり舐めれば事足りる感じ。ちなみに「これ、もし分けてもらうとしたら、一体いくら?」と余計なことを訊いてしまった。向こうを向いて聞こえたのか聞こえないのか黙ったまま。無視されたか?ややあって、「キロ2万円」。これが相場で、それを思い出すのに時間を要したのか、これ位だったら我が家は手を出さないだろう、とその値踏みにかったのか、詮索する気もないが、商談はめでたく成立しなかった。猪肉の時もそうだった。お隣さんの差し入れに味をしめて帰った息子が、友人が食べたがっているから、送ってもらうのに値段を訊いてくれ、と言ってきたので、気が進まなかったがおそるおそる訊くと、やはり暫しの沈黙。ややあって、「キロ5千円」とポツリ。国産牛のヒレとやらに舌鼓を打つ趣味もない我が家はもちろん、東京の金欠若者に手が届くはずもなく後日断りに行ったが、食べるんならこれ、と1キロ近い塊を軽々とよこしてくれた。我が家とは金銭取引はしない、と言う意思表示と受け取ったのに、またドジをしてしまった。

 蜜蜂の巣立ちや黒き夏の雲

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『みちしるべ』私の住民運動(16)**<2006.7. Vol.42>

2006年07月04日 | 私の住民運動

わたしの住民運動(16)

山幹を守る市民の会
山本すまこ

 平成9年4月1日、仮処分決定が下りたあと、市はそれを盾に強引に測量を実施してきた。私たちはなおも座り込みを続けるので、話し合いの場を持たざるを得なくなった。4月20日、話し合いがなされたが、相変わらず前向きの回答が出されないので、決裂となった。

 市当局とのかけ引きが続く。住民もいっそう緊張が続く。5月1日、再度要求書を提出した。5月の連休も過ぎた9日夕、部長・局長が揃って回答書を届けて来た。とにかく、「最大限の努力をする。」というものだった。相変わらずだなと気にもしなかった。

 あけて5月12日夕方、部長から5月9日付けの書面の回答を待っていたが、「もう次のステップに行かざるを得ない。話し合いの糸口を見出したいと思ったが。」という。

 5月13日火曜日、二時ごろA新聞の記者から電話があり、3時30分から市がレクチュアするという。市が何か企んでいる。あわてて申し入れ書を作成し、代表のチェックを受け、4時40分、局長にファックスする。記者に頼んで市のレクチュアのコピーをもらう。

 裁判所に出した申し立て書だった。間接強制申し立て書、および、不作為義務違反物除去等申し立てである。間接強制には測量を邪魔したら、一日遅れるたびに、町内会長と市民の会代表のそれぞれに、一日30万円の罰金を取るというものでした。

 夜7時30分、K会長宅に電話があって、部長・局長が新会長に挨拶をしたいと言ってきたそうです。翌14日、会長が返事した。「会うのは迷惑です。」と。

 朝10時、弁護士さんに間接強制とは?不作為義務違反?どういうことですか。「一体、何を置いているんですか?」「執行官が来れば、ものは除去出来る。人は排除できないが、邪魔をする人を警察を頼んで排除したり、逮捕もできる。」座り込みは?「邪魔をしていると見なしたら、罰金の対象となる。」不作為義務違反とは?「測量に邪魔になるものを撤去するのに、裁判所が頼んだ運送代や保管料まで請求される。」いやはや、なんちゅうこった。こんなこと黙ってられん。

 午後1時駅集合!!25人ほど集まった。1時45分、秘書室前で市長・助役をと。職員が部屋に入ってと言うが、「市長・助役が来ないなら入らない、ここで持つ。」とねばる。部長・局長が飛んできた。「二人には用はない。」2時10分、助役現れる。部屋に入って抗議する。助役は「周辺の環境にマッチした道路を、皆さんの意見を取り入れていきたい。」などとすかされた感じがした。

 3時、仮処分裁判に対する監査請求をしていたが、補正書類をCさんと届けた。

 5月16日、神戸地裁尼崎支部に電話して、一方的に申し立てをしたほうが有利なんですか?審尋はありますか?などと尋ねる。今後、反論するんでしたら、弁護士に相談してください。

 パトロール中の河川敷にトラックが入ってきたので緊張した。マラソンがあるので整備のためにきたのだった。

 弁護士さんに電話したところ、基本的に阻止することは無理。払うのか、払わないのか、どちらかを決めること。裁判所は国が相手だから、甘く見たらダメですよ。今、裁判にかけることも意味がない。ことごとくつれない返事です。

 夕方6時ごろ、監査委員会から二人が来訪し、監査請求が受理された旨の書面を届けてきた。補正のための署名11人、再度必要とのこと。一時間で全員署名して頂いた。皆の協力を感謝です。

 翌日5月17日、監査委員の議員に訊ねる。受理されたが、予想される結果は、①住民の言い分が通れば市長に支払い命令。②全面的に却下。③60日過ぎれば合議が整わず。のいずれかになるそうだ。

 5月18日、市民の会が集会した。弁護士先生から厳しいことを言われたので、どこまで座り込みを続けるかを相談した。このまま引き下がるのもしゃくなので、せめて3日から5日は座り込みをやろう。一日60万円だから 300万円をどう工面するか?会費を積み立てる?支払日をできるだけ引き伸ばして、誰か無利子で貸してくれないかな?65人くらいが、月2000円づつ貯めればどうかな?二年で返せる?みんな色々と悩む。

 仮に市当局が6日目に測量が達成できれば、住民に請求する?しないだろうか?また、執行官が今から行くと言われれば、少し時間をくれと言って、マスコミに市当局の汚いやりかたを訴える。という案など。具体的に執行官が来た時の座り方を検討。現場の看板や敷物を整理し、シートの端に2人づつ座る。執行官がどけさせるときに、少し触っても公務執行妨害などと言われたりする。住民も一度退いたら、元の場所に戻るのはむつかしいからどう座ったらいいか?

 とにかくお金を出せといわれて、止めるというのはどうかと思う。環境を守ることが、この運動の目的の筈。裁判という言葉でさっそく引いた人もでてきた。当番の時間が3時間では長いので、考えてほしい……。強制されてする運動ではない。自分が困るからすることです。できる人がすればいい。条件を出してはという意見もあったが、ひとつしかない。「環境を守れる道路とする」これしかない。 4車線でもいいが、架橋はダメということは、言ってみることは出来るが、市は架橋が最終目的である。このように皆、真剣に、そして、活発に意見が交わされた。裁判所から知らせがくるまでバトロールは休むことにしては?

 裁判所からの書類を、弁護士に相談してから、再度集まって相談することになった。明日から、裁判所からの書類が届くまで、河川敷での見張りは休止することにした。また、尼崎市のなかでは、武庫川架橋を急ぐ必要はないという声が、少しづつ出ているそうなので、阪神間道路問題ネットワークとして、5月28日、西宮市に申し入れを行ってくれることになった。

 5月19日も20日も、みんな色々と知恵を絞ってくれた。マスコミにもっと知らせて応援を、環境庁に電話してくれる人。とにかく市当局に保障してくれる文書をもらえば、などなどであった。

 5月21日10時、監査委員会に臨んだ。委員は一人の議員を含む4名、住民側は5人参加した。一番最初に私が請求するに至った理曲、住民の気持を述べた。C氏はデータを示して説明をした。10時08分から10時45分。その後、参加者全員が陳述した。11時32分終わった。相手が色々尋れてくれて、話すのはやさしいが、一方的に聞かれているだけという場合は、話しにくいものだった。終了後、サンTVの取材を受けた。「言いたいことは言いました。

 午後3時、裁判所尼崎支部より、間接強制の申し立ての書類が届いた。

  1. 西宮市が計画している事業の、ボーリング調査などの土質調査、測量業務を妨害してはならない。
  2. 前項に関係する土地に立ち入ってはならない。
  3. 債務者らは決定以後、一日につき各自(町内会長および市民の会代表の二名)30万円の金員を支払え。

というものでした。

 5月21日朝、M弁護士さんヘファックスで書類を送る。そして、神戸地裁尼崎支部にも電話で、住民に出来ることを尋ねました。保全に関しては仮処分不服申し立て、取り消し申し立て、異議申し立てができますとのこと。意見に制限はない。などと裁判所としての事務的な手続きを説明された。

 住民にとっては、晴天の霹靂である。市民を当局が訴えるなど、前代未聞の恥ずベき行為といわざるを得まい。しかしながら、書額は一人歩きを始めたのである。「罰金を支払うのはもったいないので、河川敷においてあるものを全部とり除いたほうがいいのでは?作業が出来なければ、差し押さえをしてくる可能性もあるよ。」との助言もあった。でも自分たちの手でそれはやりたくない。訴えられたから、即そうですかと引けない。住民の意地があった。

 23日、やっと忙しい弁護士さんとお話が出来た。訴えに対して、住民側としての反論を準備しておく必要がある、と。色々話していただきましたが、要は住民としては、市当局の異例な申し立てが、住民運動を抑圧している等の非難はできても、法的には反論の機会は与えられても、その後すぐに決定が出てしまう。住民が負けるということ、だと。河川敷に妨害物を置いておく意味があるのか?自分たちで取り除きなさい。あくまでも市の行為は、警察を入れる口実を作っているのだ、とも。話し合い持つように申し入れて、協力を???お金を払うのはどぶに捨てるようなものだ。さらに、話し合いをするのであれば、力で対抗しないとの意見統一をとも言われた。なんだか、気の抜ける話ばかりである。勢いよく張り合ってきた、今までの住民の気持をすっかり萎えさえられる言葉ばかりでした。とにかく29日午後、弁護士さんに会う約束をとった。

 河川敷には相変わらず、市が写真を取りに来ている。裁判にかけられたから、罰金額が高いから、との理由で運動の腰が折れてはと、山本さんの思うように出来るようにと、多額のカンパを届けて下さった方がおられました。感激しました。そのお心に元気を頂きました。もちろんお金は戴くことは出来ませんでした。みんなで頑張らないと。

 5月29日朝一番、市の部長から電話があり、会長が出たあとなので、と。「このままの状況ではいかんと思うので、三役だけでも話し合いたい。」「なにをいまさら、5月はじめに連休明けにも話し合いのたたき台をと言っておきながら、突然法的手段をとったんではないか。」住民は皆、市民から金員を取ろうとしている西宮市に、かんかんに怒っているんだ。市がその気なら、徹底的に対抗する。金を払えというならあるという人もいます。話し合いたいというなら、条件はまず、この申し立てをとりさげてからのことです。そう市長に伝えてください。

 話し合うとしても、一方でこのような申し立ての命令を盾に脅かしながらというのではダメです。とにかく今回の市の行動には、運動に関わっていない人たちまでも、汚いやり方だと非難している。謝罪をしてもらわないと、話し合えないと伝えてください。

 「今日、部長からこんな電話をもらおうとは思ってもみなかった。我々は市に対しての対応はしていくと決めている。」そして、一時間ほどして、市議会議長からの電話が入った。部長のことは知らなかったとのこと。あまりにもタイミングがよいので、申し合わせていたのかと。議会としてもこのままでいいのかと思っている。市民を追い込むような市のやり方、司法の判断に任せていいのか。議会の中にも考え方は色々あります。とにかく一度、住民の話しを直接聞きたい。「住民に相談して返事します。」と切った。

 翌5月30日午後、局長と部長が話し合いの申し入れ書を届けてきた。また、夜にはネットワーク代表より、西宮市長との話し合いを申し入れて下さった旨の連絡をいただいた。心づよく感じた。

 31日には、全国の住民運動の団体に、市の横暴なやり方に抗議していただくよう、お願いのファックスを送った。債務者として訴えられている町内会の会長(陳述書)と、市民の会代表(意見書)の二人も、それぞれの作成におおわらわでした。とにかくまわりの住民を教唆しているとの訴えに、あくまでも地域の住環境の悪化を懸念して、また、市当局の強行なやり方に強い怒りをもって、自らの思いでこの運動にやむに止まれぬ気持で自発的に参加しているのである、と。決して煽動されて参加しているのではないこと、むしろ住民が自らの意思で参加しようとすることを無視することは、住民に対しての冒涜であると考えます、とした。また、このころ裁判ざたになって来たことで、早く条件をと思う人も、ちらほら出てきました。しかしよく話し合えば解っていただけました。

 とにかく今、市当局に対して、住民が分裂している様子を見せたくはなかった。市民の会として、ひとつで市にぶつかりあっていかなければ、いつの日か交わさなければならない文書の中身が、うすっぺらなものになるだろう。

 6月1日、5月30日に受け取った、市からの話し合いの申し入れをどうするかを、市民の会で話し合った。45人ほど集まってくれた。まず市との話し合いをどのようにもつか、代表10人が発言する場について、あとは傍聴形式はどうか。というのは市が代表とだけ話したいとの意向であり、市民の会はいついかなるときも、交渉はガラス張りがモットーであったので、双方の条件がみたされているのでは。代表の発言については事前に言ってもらいたいことは伝えておけばよいのでは。そして、議会代表との面会についても、参加可能な代表が、5~6人で行くことになった。

 現在までに、すでに市長室に抗議の電話をかけてもらった人もいます。テレビ局にも「訴えられる住民」と題して送る。他のマスコミにも意見書など送る。

 6月2日朝、部長に話し合いの内容について電話をする。ただし、仮処分の決定をもって、圧力をかけながらの話し合いならやりません。今までにない話し合いにしたい。「環境基準を守る道路に……ついて」詰めたい、と伝えた。

 2時、尼崎支部(裁判所)に会長たちの意見書を提出に行く。6月5日、朝から堺大和川線の代表の方から、電話で激励をもらった。6月6日、議長さんほかの方たちとの面会は、6月10日2時と決まった。また、市当局との話し合いも、6月8日7時、上甲子園サービスセンターでと決まった。

 市にとっても、住民にとっても、瀬戸際の鬩ぎ合いであります。いかがなりますか。

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『みちしるべ』道路交通工学を考える*道路交通容量について④**<2006.7. Vol.42>

2006年07月03日 | 基礎知識シリーズ

道路交通工学を考える

道路交通容量について④

世話人 藤井隆幸

5-1 交通需要マネージメントとは

 渋滞が起こるか否かは、僅かな交通量の差であることは説明しました。それは道路やその地域の交通容量の限界を越えたものが、渋滞の数となって現れるということでした。極端な渋滞といえども、時間交通容量の数割、日交通量の数パーセントに過ぎないのです。

 自動車交通に対して、日本の行政当局はコントロールする気もないし、能力もないことが問題となっています。盆と正月とゴールデンウイークの前に、渋滞予測を発表して、交通量を分散させようということくらいです。しかし、これは毎回失敗に終っています。何が問題なのでしょうか。

 本来自動車交通は無政府的なものです。公共交通と違って、それをコントロールする機能はないのです。各ドライバーの意思に任されているのです。とは言うものの、個々のドライバーが全体の交通に影響を与えられるものではありません。従って、自動車交通は市場経済原理に翻弄されなければなりません。耐えがたい渋滞で、公共交通を利用した方がましだと思うドライバーが発生して、その交通量が減り、渋滞が緩和されるのです。

 自動車は必要だから増えるのではなく、メーカーが儲けたいという欲望の為に、消費者のマインドコントロールをしているから増えるのです。多少の渋滞で自動車を買ってくれないのは困るわけです。テレビCMはもちろん、車内に様々な装置を付け加え、快適空間を創造することで自動車離れを克服しています。エアコンはもちろん、カーナビで抜け道を案内し、歩行者を蹴散らして少しでも渋滞を迂回させます。しかし、殆ど役にたちませんので、渋滞中はカーナビがテレビに変身し、渋滞時間を娯楽時間に変えて、自動車離れを食い止めています。

 さて、メーカーの悪口はその程度にして、本当に自動車交通はコントロールできないものでしょうか。その課題に、日本以外の国の道路行政府は既に取り組んでいます。また、かなりの確率で成功を収めているのも事実です。車の都心乗り入れ規制など、海外のニュースが多少伝わっていますので、皆さんもご承知のとおりです。それが交通需要マネージメントというものです。

 しかし、日本の行政庁でも自動車交通のコントロールのベテランが存在するのをご存知でしょうか。意外でもあり当然のことですが、国土交通省の所管ではないのです。それは警視庁の警備部門なのです。

5-2 警視庁の交通需要マネージメント

 警視庁というのは警察庁とは違います。国の国家公安委員会に属する警察庁とは違って、東京都に所属するお役所です。兵庫県では県警に当たる組織です。しかし、首都をあずかるだけに、県警とは格が違っています。

 首都圏には世界の要人が常に訪問します。その警備に自動車交通のコントロールは不可欠です。要人は都内で公共交通を使うことはありません。警備が難しいというのが、その理由です。しかし、要人の車が渋滞に巻き込まれてはなりません。時間のロスが許されないのと、渋滞では警備が困難になるからです。だからと言って、カーナビで裏道ガイドをするわけにも行きません。必ず幹線道路だけを通過することは、警備上不可欠です。

 そこで警視庁は要人の通過する路線と時間帯で、その幹線道路の交通需要マネージメントをする必要があったのです。それは高度経済成長期から今日まで、長い歴史のあるテクニックで、しかも日常的に行われているものなのです。また、国土交通省のように常に失敗しているようなわけに行きません。一度として失敗が許されないのです。

 古い話ですが、大阪でサミットが開かれた時には、大阪市内の自動車交通はガラガラ状態になりました。天皇が各地を訪問する時も、渋滞など発生することは絶対にありえません。実は各都道府県警察に警視庁の特別チームが、そのノウハウを事前に伝授して実行されるからです。

 その方法論とは、コントロールしたい幹線道路に流入する総ての道で、検問をすることです。検問がされるところの後はかなり渋滞しますが、その先は交通量が検問時間の範囲で減ることになります。渋滞時間帯における数割の交通量の削減だけで良いのですから、要人の通過の一時間前から流入する道路の総てで検問を開始すればよいのです。要するに検問とは名ばかりの、交通量の制限なのです。

 交通渋滞を発生させる交通量というのが、とんでもない渋滞でも時間交通容量の数割しかなく、一般的にイライラする程度の渋滞は数パーセントに過ぎません。その数倍の交通量を減らせば完璧ですから、ダラダラと検問をして、一台の検問時間をコントロールすればよいのです。

 しかしながら、警視庁のやり方は要人の走る幹線道路の渋滞を、そこに流入する道路へ移動させるだけのものです。日常の一般都市での渋滞対策として、庶民の納得をえられるかどうかは疑問です。とは言うものの、東京に行くと機動隊のバスをよく見かけます。いつでも検問を開始できる状態にはありますが、検問を開始することはまれだそうです。首都圏の交通事情をよく知るドライバー、特にタクシー運転手などは、要人情報がなくとも機動隊の姿を観察し、その路線を迂回する為に渋滞が自然となくなってしまうのです。

 日常的に権力的な交通規制を受けている首都圏では、機動隊の動きと日常的なドライバーの阿吽の呼吸だけで、渋滞が発生しないのです。これは私達としても参考にする必要がありそうです。

5-3 交通需要マネージメントの手法

 警視庁の権力的方法に、私個人としましては反対するつもりはありません。何故なら、自動車は移動手段としては少数派なのに、多数派である公共交通利用者(歩行者)に、多大な損失を与えなければ役にたたない存在だからです。信号機は歩行者には不要で、ドン臭い車のためだけにあるものです。しかし、歩行者も信号待ちをしなければなりません。立体交差を必要とするのは、総て車だけです。そのために歩行者が駅への上り下りを強いられるのです。このような存在の車に対して、警察権力がある程度の介入をしても、理由はあると思われます。

 とは言うものの、欧米や日本は権力的やり方には否定的です。非常に強い社会主義的な傾向があります。自動車交通は市場経済原理で無軌道に走るものです。したがって、行政庁はそれに計画性(社会主義政策)を導入します。

 お隣の韓国ではソウルオリンピックの際に、流入規制を行いました。シンガポール等も行っていますが、ナンバープレートの偶数のものは偶数日にしか、その都市に乗り入れできないというものです。お金持ちは偶数と奇数のナンバープレートの車を所有するなど、効果を半減させています。

 そこでイギリスのロンドンなどでは、課徴金を取るようにしています。支払を証明するステッカーのない車はロンドン中心部に乗り入れできないというものです。シンガポールでは車の所有許可がなければ、車を所有できません。その所有権が500万円ほどで売買されているそうです。

 その他に有料道路制度もあります。日本のように道路を造るための財源策としての有料用道路ではありません。カナダのトロント等のようにお金を支払いたくない人は、車の利用を諦めるといった効果が期待されています。ロサンゼルスのようにダウンタウンにビルを建設する際には、郊外にそれに見合う駐車場を整備するのが条件という都市もあります。そして駐車場とビルの間に、シャトルバスの運行を義務づけています。

 ドイツでは複数車線の内、1車線を潰して路面電車を走らせる政策が進んでいます。フランスのストラスブールではトランジットモールといって、市街地のメインストリートから車を締め出し、路面電車を走らせるという政策を推進しています。当初、商店主などが反対していたのですが、売上げが増え『百利あって一害なし』ということで歓迎されています。

 アルプスを走る列車が自動車を載せて走る風景はよく見かけます。ヨーロッパでは自転車が多用され、公共交通機関に持ち込めるのが普通のようです。車離れ策としても有効ですが、環境問題からも自動車交通削減へ向かっているのも事実です。スイスのツェルマットでは馬車と電気自動車しか走れません。それが魅力で観光客も増えているとか。

 日本でも地方自治体が知恵を出して、自動車依存から脱皮する施策が多く行われています。紙面の都合上、今回は割愛させていただきます。

5-4 阪神間での交通需要マネージメント

 世界の交通需要マネージメントを簡単に紹介しましたが、私たちの阪神間で考えられることはないのか。最近は長引く不況の為に、交通量は減少傾向にあります。原油やガソリンの先物取引(マネーゲーム)が原因で、値上がりが続いています。7月からは駐車禁止の取締りが強化されました。幸か不幸か交通量が増える余地は少なくなってきました。渋滞を問題にするには、多少無理があるのかもしれません。

 さすれば環境問題からの視点で、交通需要の削減策という課題に取り組まなければならないでしょう。また、20年後には日本の人口が半減するといった政府が、昨年の人口減少率を大きく外しました。人口半減期は意外に早くくるかもしれません。その際の生活のあり方が、果たして車依存社会であるか否か、疑問があります。その時期のコミュニティーのあり方は……。

 今でも高速道路保有機構が抱える負債は40兆円を越えます。小泉改革は予定通りに総ての高速道路を造ることを決定しています。ドサクサに紛れて地方高規格幹線道(事実上の高速道路)を1000kmから2000kmに増やして、総てを造ることにしました。先の40兆円の負債は、国鉄清算事業団(設立時24兆円→終了時36兆円)の二の舞は間違いありません。

 阪神間における交通需要の在り方を、国の政策に先駆けて、今、地方自治は何をしなければならないのか。具体的に考えてみたいと思います。次回はその辺の政策的研究について、書きたいと思います。

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『みちしるべ』夢はクルマ優先社会を転換すること**<2006.7 Vol.42>

2006年07月02日 | 神崎敏則

尼宝線(武庫工区)拡輻整備問題の途中経過
夢はクルマ優先社会を転換すること

みちと環境の会 神崎敏則

 以下は、尼宝線武庫工区の拡幅工事問題の途中経遇を、あくまで神崎の個人的な立場からまとめたものです。読者諸氏のご指摘をいただくことができましたら幸いです。

 5月に西宮土木事務所から突然連絡がありました。尼宝線拡幅整備の担当課長が移動して大山課長が着任したこと、2月に提出された要望書へは口頭での回答であったが文書で改めて回答したい、直接会って話をしたい、との主旨でした。尼宝市場の段差の問題を抱えておられる市場の住民の方と共に、5月31日西宮土木事務所を訪ねました。

県は、住民の要望を受け入れる方向に

 尼宝市場は尼宝線の車道面よりも約1.5mも低いために、この部分の歩道は特殊な構造になっています。まず歩道と車道との間の植え込み部分で約20cmの段差が設けられ、さらに歩道の尼宝市場よりに4段の段差が設けられています。

 今回の拡幅整備で、仮に車道と同じ高さで歩道も整備されると、市場の西面と歩道とが完全に遮断されてしまい、荷物の出し入れや非常時の避難経路も断たれることになります。この段差がどうなるのか尼宝市場のみなさんにとってとても大きな問題でした。

 当日、担当課長に率直にお伺いしたところ、住民の意向に沿って整備する主旨を話されました。もちろん整備の方法を尼宝市場のみなさん全員が了解することが前提条件となりますので、これから尼宝市場の中での話し合いが丁寧に何度もなされるでしょう。そして、その話し合いの結果を県は受け入れることになりそうです。

「武庫工区」以南の歩道の整備も

 武庫之郷交差点以南は既に4車線化されています。今回整備されなければ、歩道が危険なまま放置されかねません。「武庫工区」では電線を理設して電柱を取り除くと表明していますので、同時にこの以南の歩道の整備も2月の要望書で求めていました。

 今回の回答書で、西宮土木事務所は19年度事業の予算を求めると明記していました。122名の連名で提出したことが、担当課を動かしたと言えます。

 もっとも、出先の土木事務所が要求した予算を本庁側がそのまま受け入れる可能性は低いかもしれません。場合によっては、この件だけで署名を取り組まざるをえない可能性もあります。もちろんその際には住民がそれぞれ動き回って署名を集める側になっていただきたいものです。住民の主体性を最大限活かしたいものですが、そこに誘導する側の作業は半端ではありません。楽しくもあり、大変でもある大仕事になりそうです。

透光性遮音壁の設置を求める

 尼宝線「武庫工区」では、現状でも騒音の環境基準を超えており、4車線になって大型車がバンバン走行するようになると今以上に騒音が深刻になることを住民のみなさんが深刻に受けとめています。これまで騒音対策の必要性を何度も訴えてきましたが、少し抽象的だったかもしれません。

 尼宝線の沿道のほとんどは商店や事務所などが並んでいますが、住宅が多い地域が一部あります。その限られた地域で「この地域への設置をあなたは望みますか」と題して、透光性遮音壁の設置を吹っかけてみました。お会いしたみなさんはどなたも「これができるんだったらありがたい」という反応でした。「この件も話し合いますので、ぜひ次の沿道住民の集いに参加してください」と念押ししましたが、結果は初めて参加した方1名のみでした。反応がよかっただけに残念でなりません。でも参加しなかった人も「ぜひ設置して欲しい」と思っているのも事実でしょう。人の心をつかむとか、引っ張るとか、表現するのは簡単です。でも、実現させるために一緒に何ができるかを探ることから始めるしかありません。これも楽しくて、大変な作業の一つです。

非力だけど無力ではありません

 尼宝線の拡幅整備問題を取り組みはじめた頃思っていたことがあります。この運動で、ある程度の運動の成果は獲得できるだろう。でもクルマ優先社会そのものを転換する運動を住民と共有することはむずかしいだろう。だけど拡幅整備問題が終わった段階が、住民にとってのクルマ優先社会を転換する運動のスタートラインになるんだろう、と勝手にしていました。

 今思うに、自分の甘さが骨身にしみます。そんな簡単にはいきません。でも、夢をあきらめたわけでもありません。

 沿道住民の集いに参加されている住民の主力は、今や尼宝市場の方たちです。ご高齢(?)ながら、県庁まで足を運び、市役所にも出向き、西宮土木には最寄駅の西宮駅から歩きました。その行動力には感服します。

 また、ある自営業者は、ビルの1階で営業しているが店の前の植え込みはどうなるのか、出っ張っている看板は、今は私有地内だけど仮に都市計画線にかかっていたら取り外さないといけないのか、など具体的な問題を深刻に話され、「やっばりきちんと把握しておきたいので西宮土木事務所に行きます」と言われました。その翌日西宮土本に電話すると、「いま来ていただいても、まだ詳細図面ができていないのでアバウトなことしか言えません」との返事なので、その内容をそのまま連絡しました。相手の自営業者は、感謝の気持ちを言っておられました。たいしたことをしたわけではないのですが、信頼度は増したと思います。

 くどいですが、夢はクルマ優先社会を転換することを住民と共有することです。でもそこにたどりつくためには、住民一人ひとりの要求の実現に向けて精一杯取り組むことだと思います。目の前の具体的な運動を共有することが、最良の近道だと勝手に思っています。

 お互い非力だけど頑張りましょうか。けっして無力ではありませんから。

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『みちしるべ』**常に生きがいを求めて**<2006.7. Vol.42>

2006年07月01日 | 芦屋道路問題ネットワーク

常に生きがいを求めて

芦屋市 三木悦子

 阪神淡路大震災のあとすぐ芦屋道路問題ネットワークそして、地域環境を守る会の一員また翠ヶ丘町の住民として山手幹線事業計画反対の活動をしてきました。

 芦屋市長に対しては、震災直後発表された都市計画道路建設に反対の意見書、要望書、請願、その他様々の行動を展開し、日夜忙しい日々を遇ごし、周辺からは過激だと批判を受けても止めることなく前進していました。

 こんなエネルギーはどこから出たのかなー?自分自身不思議な位でした。思い起こせば40数年前、芦屋市は内海清市長の時代です。何の前触れもなく市から突然翠ケ丘町各戸にはがきが届き驚きました。稲荷山線道路建設事業の説明会を翠ヶ丘集会所で開催の通達です。翠ヶ丘町民は怒りに震え、当夜集会所は満席、廊下にはみだし入れろ入れないで大混乱、説明会が始まっても怒号と野次で話の内容は伝わりません、仕方なく流会となりました。

 当時翠ヶ丘は名の通りみどりいっぱいの町でした。鴬や百舌鳥の鳴き声を聞き、若葉の香りで森林浴に浸り、美しい紅葉、自然が季節を教えてくれる環境に住まいする人々同じ想いで一堂に会したのでしょう。その当時の追力は忘れることは出来ません。その直後から10数名が住民運動の会を発足させました。市当局も手こずっていたのでしょうか進捗状況は伝わってきません、住民側の結束も希薄になり数名が他地区同志の連絡会に出席し学習程度の参加活動に終始していました。平和な日々が続くうち、何か刺激を求めていたのでしょう、消費者運動に力を傾け食べ物の安全性を求め、日本各地駆け巡り生産者と交流し、農業疲弊を憂い日本の食料自給率の低さを出来るだけ多くの人々に知ってもらう運動を続け、わが家の食料すべて安全な材料で手作りに満足、家族一同健康で幸せでした。

 平成7年1月17日思いがけない大震災に芦屋市も大被害を受けました。幸い自宅は倒壊を免れ、当時自治会の副会長の役目で大忙し、全国から援助物資を頂き感謝、感謝の毎日でした。特に交流のあった各地生産者は道なき道を駆け巡り軽トラックに氷上の美味しい水を大きなタンタに入れ温かいご飯を重箱に入れて届けて下さった方。遠方から車中で寝泊りしながら援助物資届けて下さった生産者の方々、10年経っても有難い感謝の気持ちは変わりません。

 震災で家屋倒壊、死者多数、怪我人続出、集団避難生活、情緒不安定の最中、行政は家屋の倒壊をばねに50年前に計画し眠っていた道路を絶好のチャンスとばかりに再浮上させてきました。市民の怒りは最高潮に達し、市庁舎に押しかけ委員会の傍聴を要求しましたが拒否され閉ざされたドアを壊し暴挙にかわりマスコミの全国版になった程です。私も一員として参加していました。その後組織をつぐり活動開始し現在に至って、山手幹線道路は全線買収完了、工事も着々と進み、反対運動ではなく、条件闘争の形に変化しています。沿道の方々が行政との話し合いに努方しておられます。

 翠ヶ丘町の唯一緑深い公園、子供たちも大勢遊びにきます、ある日、二人の男性が立ち木を指しながら話しているのを見て一緒に遊んでいた小学4年生の男の子が「あの人、道造る人?」と私に聞き「僕言ってくる」と言ったのです。二人の男性に「僕たちこの公園なくなったら困るんです壊さないで下さい」と言ったのです。二人の行政マンはどんな気持ちで開いていたのでしょうか?唯笑っているだけで、何も答えませんでした。答えられなかったのでしょう。正しい判断力、積極的な意見発表、あの子が大人になるのが楽しみです。名前を聞くのを忘れましたが。

 楠や銀杏の木は百年以上経った大木です、夏は日陰をつくり冬ぼ防風林の役目をして静かなたたずまいの憩いの場所でした。現在は樹木は全部取り払われ赤土の荒野です。私はこの公園で週2回ペタンクの練習をしていました。この公園がなくなり仕方なく朝日ヶ丘北公園、西浜公園等、北谷南に単車で走っています。ペタンク初めて16年兵庫県代表で全国大会出場3回、昨年は兵庫県で優勝して県代表として北海道早来市に参加、今年はつい先日6月25日の日曜日雨の中、北淡路市の兵庫県予選で3位でした。今年もすれすれで全国大会の出場権をいただきました。

 出場者の年齢差は3世代に互り、まさに孫とばあさんの戦いです。体力の劣る分は作戦と技術で補うしかありません。これは何事にも通じる事でしょうが、好奇心旺盛の性格は何年経っても変わりません。周辺の興味ある物事にのめりこみ体力の限界を忘れます。医者をはじめ友人、家族にも「無理をしないで」と言われます。傍から眺めると哀れに見えるのでしょうか、私は命ある限り常に生きがいを求めて充実した毎日でありたいと願っています。

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