『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』横断車道(75)**<2014.7. Vol.85>

2014年07月26日 | 横断車道

スーパーで買物の際、レジのお姉さんは、必ず挨拶する。こちらも「こんにちは」あるいは、「こんばんは」。清算が終ったら、「ありがとう」と挨拶している。でも、無言の客が多いことが気になる。バスに乗った際も、前払いだと「よろしくお願いします」ないし「お世話になります」。後払いだと「有難うございました」。▼何も道徳教育ではない。社会性の欠乏の現れに、懸念しているのだ。人は高度な文明と豊かさを得るために、社会を構成し、分業という方法を選択したのだ。ロビンソンクルーソーだって、社会人に違いはない。事故で社会から隔離されたにすぎない。人類は社会的動物という選択を、太古から遺伝子的に決定しているのだ▼レジのお姉さんも、バスの運転手さんも、その社会の一員として働いているし、皆さんも同じように働いている。職種に差はあっても、単に分業しているということに変わりはない。その意味では、働く仲間であるから、客だからと横柄になったりしないで、挨拶するのが当たり前だ▼熊野から沖縄にとんだヤマンバさんも、パリや沖縄の「挨拶」に触れている。そもそも挨拶とは、「私はあなたと敵対しません」という表明から来ている。江戸時代の任侠では、仁義を切るということが行われた。フーテンの寅さんがやっていた、「帝釈天で産湯につかり……」というやつである。それをしなければ、バッサリ切られるのだ。現代日本では、挨拶しなければ切り殺されることはない▼が……、である。働く者の連帯感が希薄とは感じないか?分断されてきたというのが実態ではある。歩き煙草のポイ捨て。100円の携帯灰皿を持てば解決する簡単なこと。町内のお掃除世話人さんの努力との、労力衡量を考慮すれば、当たり前のことではある。が、何とポイ捨て煙草の多いことか。これも社会性の欠落である▼愚痴を言って、社会性の欠乏について、事を矮小化してはならない。本来、富は平等に分けなければならない。それが社会性である。男女差はいけないし、国力による偏重もだめ。力のあるモノが、自らに有利に制度化し、富の一極集中が進んでいる。地球は狭くなって、グローバル化を言いだした。結局のところ、個人では一生どころか、一万回生まれ代わっても、使いきれない収奪をする者どもが発生している▼規模が大きくなってくると、個人では見渡せなくなる。そこで社会性の欠落を指摘しなければならない。現代の若者は、生まれた時から景気後退期にあった。バブルの崩壊は1990年のことである。寝るとき以外は働かなければ、食えないと感じている。結婚や、まして子供を産むと、生活が成り立たないと思っている。そして、それは「自分が悪いから」と、錯覚しているのだ▼そうではないと、団塊の世代は知らせる義務がある。社会性の欠落を教える義務を、墓場まで持ち越すことは許されない  (コラムX)

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『みちしるべ』かもしれない(斑猫独語 61)**<2014.7. Vol.85>

2014年07月26日 | 斑猫独語

かもしれない(斑猫独語 61)

澤山輝彦

 かもしれない【かも知れない】断定はできないが、そうなる(する)見込みが有ることを表す。〔「かも分からない」はこの語から類推して作られた新しい言い方〕「新明解国語辞典」によればかもしれないはこう説明してある。

 もう一つ大辞林をみると文法的解説が加わっている。たった六字の言葉がこのように解剖されている。かもしれない〔副助詞「か」に係助詞「も」の付いた「かも」に、動詞「知れる」の未然形「知れ」、助動詞「ない」の連なったもの。〕と。日ごろ文法などまったく意識せずに使っている日本語だが、我々はこんなに複雑な文法にのっとって言葉を発しているのだ。現代日本語文法というものをあまり詳しく勉強した覚えはないが、古典による文法、品詞分解は面白くない授業だったということをよく憶えている。

 長い前書きになった。机の上がすぐ乱雑になってしまう。読んで積み重ねた本は元へ戻せばいいが、切り取った新聞記事や、コピーしたもの、書き散らかしたものなどが結構たまる。それを、いつかいるかもしれない、必要な時があるかもしれない、と思うものだから、どんどんたまる。そんな物を今日(7月3日)処分しながらこのタイトルを考えついたのである。

 こんな物のたまり具合など、心配事にはならない。気にしなければそのまま何年もほうって置けるかもしれないのだ。だが、安倍内閣が「かもしれない」と言い出して手を打った集団的自衛権行使についての閣議決定などは、これから先とんでもない事になるかもしれないのだ。これだけ世間に反対、批判の声があふれているのに強行してしまう、安倍という人は「あほかもしれない」いやここは断定してもいいかもしれない。かもしれないは結構遊べるなあ。

 気象予報の長期予報など、過去のデータを集め分析解析して発表するのだろうが、今年はエルニーニョの発生を予測している。これなど科学的裏づけのある物であっても予報は予報、はずれることがあるかもしれないのだ。気象予報については、責任逃れという言葉は適切ではないかもしれないが、どうも最近は悪い状況を強調しすぎる予報が多い、と私は感じている。竜巻の発生と被害が大きかった年があった、あの頃からこの調子が強くなったようだ。でもまあ、まったく気にせずにいて被害にあって泣くより、それ相応の対策、気構えだけでもしておけば、もし被害にあっても、ある程度気楽な対応ができるかもしれない。

 この記事の載る号は早ければ7月中、遅くとも8月には印刷発行されるだろう。私は印刷時には猫の手より一寸ましだけの手を出す手伝いに行く。その時、通り道にある二軒のブックオフへ寄るのが楽しみなのだ。元図書館員、本好きの業とも言えよう。「耕衣自伝」――わが俳句人生――<永田耕衣;著・平成4年・沖積社刊・3,500円・箱付き>がたったの105円で買えたりするのだから、またそんなことがあるかもしれないと、私はブックオフへ寄り道するのである。

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『みちしるべ』ゲットウの花咲く慰霊の日**<2014.7. Vol.85>

2014年07月26日 | パリ&東京&沖縄より

ゲットウの花咲く慰霊の日

三橋雅子

 6月末の『琉球新報』を、どさりと手にして(まとめて、もらってきたのを見る。)愕然。一瞬、最近大事故が起こったのかと……。6月24日の紙面は全頁「23日、太平洋戦争末期の沖縄戦が終結してから、68年目の『慰霊の日』を迎えた」の記事一色。どのページも、各地での『慰霊の日』の映像。慰霊碑の前にぬかずき、当時を思い出して泣き崩れ、その悲しさ、悔しさを語っている。それは二度とこんな思いを子孫にさせてはならない、いう悲願に繋がっている。

 どう見ても一瞬、ごく最近の大事故の悲しみ冷めやらぬ光景と思うではないか。半世紀を優に越し、いまだに号泣が聞こえてきそうな、悔しさ悲しさがほとばしる映像の中で、安倍総理以下、神妙そうな仮面の、中央のえらいさんたち。「慰霊」の意味がチラッとでもよぎりましたか? 靖国に意地張って足を運びたいのは、こういう「慰霊」とはあまりにも遠く、そらぞらしいと実感しました? この悲しみと怒りを前に、「どう見たって戦争への道」を突っ走りたいあなた達、正直、よくもイケシャアシャアと……。この神妙を装う面持ちはどうにも場違い。沖縄の「慰霊」のどこに、軍人の霊をまつろうなどという気持などあろうか。この地の人々が辛い経験で学んだのは、「軍は決して国民を守ってくれはしない、絶対に!」という教訓の筈。

 どうにもならない、68年前の悲しさ、悔しさ、辛かった、辛かったろうとの思いが迫ってくるような、時が痛みを和らげるのでなく、逆に時が経つほどに、その思いは凝縮されて募ってくるような迫力。直接の体験者は減っていきつつあるのに、はっきりと、おじいやおばあから、また、それをじかに聞いた父母、兄弟からのナマの辛い声が……。「一歳の妹を目の前でみすみす死なしてしまった」、「動けなくなった老婆の差し出す『もう要らないからこの金もって行け』を『金など役立たねえ』と振り切って逃げた」。詫びや後悔……、子供たちに臨場感を追体験させているのが、そうやって号泣し涙をぬぐいつつ悔やんで悲しむ、身近な人々の姿、墓前の様子だということが伺える。物心のつかないうちから、墓前で泣き崩れる大人たちを見て育った環境。きっと、先祖の慰霊をことのほか大切にする、この地の賜物なのかもしれない。歴史を伝えるとはどういうことなのか? 先祖の墓参もサボりがちな、自分の墓など不要などと軽々しく口にしているわが身を振り返ってしまう。

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 ある詩人は「ゲットウの花がきれいね」と言う友人の言葉に驚いたという。「今まで一度もきれいだなんて思わなかったから」「小学生のころ、六月になると必ず、沖縄戦の悲しみや切なさを強く感じさせる『ゲットウの花』を歌ったから」だという。「きれい……と言われて見れば、素敵な、きれいな花なのだ」という文章に胸が詰まる。

 家賃を持っていくと、大家さんが「この本、東京の友達に送るんだけど、その前に見る?」と何気なく絵本を貸してくれた。『ゲットウの花咲く時』。彼女に「何も知らない内地人を啓発しよう」なんて気分はみじんもない。が、ページを繰りながら、沖縄戦時の残酷さ、おぞましさ、悲しさ、痛み……それが『ゲットウの花の咲く時』なのだ。私は滂沱(ぼうだ=涙がとめどなく流れる意)の涙で、借り物を汚さない気遣いに追われた。

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 中央に寄り添い、おたおたの仲井真弘多知事の「平和宣言」に、今年の当初、この3年間盛り込まれている「普天間の県外移設要求」の文言が削除されていた、と言う。驚くことに。与党からの「再考要求」に応じて復活させ、何とか「3年連続で」の体裁になったが、「県外移設」の文言が「普天間飛行場の機能を削減し」の部分にだけかかって、偽装、詐術の恐れも……とは『琉球新報』の「社説」の指摘である。確かに危うい。

 今年の沖縄全戦没者追悼式(糸満市摩文仁の平和祈念公園・県主催)の出席者には、安倍首相のほか防衛相と外相(この役職の出席は式典開催以来初めて)、米駐日大使の出席も18年ぶり2度目だそう(「日経新聞」)。へーっ? 時期が時期だから? 何とわざとらしい……。でも、彼らに対する反感のデモや、「帰れ帰れ……」などのコールもないらしい。そこが「沖縄」。そういえば、ケネディ大使の初来沖のときも、「ジュゴンの住むきれいな海をよごささないで!」という訴えだけで、激しいデモも「帰れ!」のコールもなかったようだ。

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 1945年、第32軍牛島満大将司令官をはじめとする司令部が自決した日をもって、組織的戦闘が終結したとして、その6月23日を慰霊の日と定めた(日付の設定については異論多々)。1962年から、この日には沖縄県が主催する沖縄全戦没者慰霊祭が行なわれ、沖縄戦犠牲者の遺族・子孫らが集まり、正午には黙祷が捧げられる。

 ところが10年後、1972年の本土復帰後は日本の法律が適用となり、慰霊の日は休日としての法的根拠を失った。おかしいのでは? 本土こそ、本土上陸を阻む盾となって、集中的な犠牲を払わされた沖縄を忘れないために、この日を国の祭日にすべきだったのでは? 起源あやふやな「紀元節」に基づく「建国の日」など退けて。

 更に20年後1991年に沖縄県が自治体として、休日条例で慰霊の日を休日と定めた。よって再び正式な休日となり、「国の機関以外」の役所・学校等は休みになる。地方限定の公休日だから国の機関は休みでない。これだけでも「国は知らんよ・関係ないよ」の意思表示にみえて情けない。せめて沖縄だけでも、国家公務員こそ、この日には襟を正して日本国家の、本土決戦、上陸を食い止めてくれた犠牲の重みに深く思いを致すべきではないのか? 今、曲がりなりにも、安泰のお蔭大きい日本全土の国民が、心に留めなければならないはず。しかしどれだけの国民が、この沖縄の『悔しさの日』に犠牲者の冥福を深く祈っているだろうか? 私を含めて。

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 県外での生活体験者が「慰霊の日」の本土の冷たさを書いている。昼休み、「糸満市での『戦没者追悼式典』の中継」を真剣に見ていると、「知ってる人でも出ているの?」と怪訝な顔、子どもが平和の詩を読むと、「言わされてるんじゃないの?」との声があちこちから……と。この冷たい温度差……。一人、黙って真剣に見入る先輩がいて、聞くと、高校卒業後に戦争のことを学んだからだと。われわれを取り巻く、あまりにも貧相、と言うより意図的な歴史教育の現状。

 今年の糸満市では、小3生が「空はつながっている」という自作の詩を読んだ。「空はつながっているのにどうしてかな」と世界各地の戦争を疑問に思い、「きっとせかいは手をつなぎあえる、青い空が広がってるように」と世界平和の希望を詠んだそうだ。大人は、この心に応えなければならない。必死で。

 「ひめゆりの塔」に号泣した中学生の私。60年安保に、組合結成の日に、メーデーに、「沖縄を返せ!」を叫んでいた私。70代最後の誕生日を目前にし、今、沖縄とは!「沖縄の豊かさ」と「日本で一番放射線の少ない」を「享受」しつつ複雑な思いで。

 すでに24時間を過ぎて尚ますます、すさまじい沖縄の台風8号の猛威を初体験しつつ、私はゲットウの葉をお茶に煎じている(整腸、健胃の効とか、私には無用だが、やや甘い香りがいい)。ここでは、この葉でくるんだ餅、ムーチーを食べるそう。ちまきのように。

幾年も慰霊の涙見守りしか楚々とうつむく月桃の花

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『みちしるべ』C調言葉に御用心**<2014.7. Vol.85>

2014年07月26日 | 藤井隆幸

C調言葉に御用心

藤井隆幸

 表題はサザンオールスターズが歌う、桑田佳祐さんの作詞作曲の歌の題名です。「ちょいと、C調ことばにだまされ、泣いた女の涙も……」という一節があります。

 音楽をする人の中では、「C調」は♯も♭も付かない、≪ド≫から始まる読みやすい楽譜の≪調≫で、「調子がいい」という意味になります。「シーチョウ」とか「チェイチョウ」とか言いますが、この曲の場合は「シーチョウ」です。

 さて、政治の世界では、C調言葉のなんと多いことでしょうか。今年4月から、消費税が8%にアップされました。消費税が施行された平成元年頃は、「福祉目的税」と言われましたが……。福祉は切り捨てられる一方ではなかったでしょうか?

 消費税施行以来、集められた消費税は200数十兆円。この間、法人税(法人三税=法人税+法人住民税+事業税)が、ほぼ同額の減税になっています。利益の出ていない中小業者は、法人税はかかりませんから、大もうけした企業の減税財源だったことに。

 「大型間接税」「売上税」などなど、呼び方はいろいろありましたが、結局「消費税」に納まりました。そもそも、この税制が考えられたのは、戦前のことです。戦費調達が目的でした。戦争をするということは、莫大な財政出費になります。平時の防衛予算の10倍は下らないでしょうね。そして、戦時体制になると、所得税や法人税は徴収できるはずもありません。所得や利益なんかなくなるのですから。それでも、お金が動くところ、「消費税」は必ず徴収できる税制です。

 秘密保護法(=治安維持法)や集団的自衛権(=他国の戦争に参入)を、強行する安倍政権が、今後20%にまでアップする計画の「消費税」です。まさに≪戦争税制≫です。「泣いた女の涙……」では済みそうにもありません。

 以下に、私の知り合いの弁護士の方が、面白い文章を書かれていますので、紹介しておきます。或る弁護士事務所の、「友の会」のような組織の会報に載っていました。先に若手弁護士のもの、そして中堅弁護士のもの。

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「●●言葉」に御用心!? 【Y.I.弁護士】

 5月21日に福丼地裁が大飯原発の再稼働を差止める判決を下したことは、皆様ご存知だと思います。この判決は、人格権は憲法13条及び25条に基づく権利であり、「我が国の法制下においてはこれを超える価値を見出すことはできない」と明確に述べました。まさに「人権の最後の砦」という裁判所の役割を果たす気高い言葉に溢れた美しい判決です。

 さて、これに対して現政権が使う言葉はどうでしょう…。「特定」秘密保護法、集団的自衛権の「限定」容認論など、実を見ればほとんど何も特定されておらず、限定もされていないのに、「特定されているから大丈夫」「限定してるからいいでしょ」と言わんばかりに小手先の言葉を並べているだけです。「積極的」平和主義などという、もはやイミフメイなものも存在します。

 我々弁護士は言葉を扱う仕事をしています。言い方が少し違うだけで、全く意味の異なった言葉になってしまうことも多く、言葉の使い方には非常に気を遣っています。皆様も現政権の言葉のマジックに少し気をつけてみてください。

 今も昔も、「C調(調子いい)言葉に御用心」(byサザンオールスターズ)です。

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酒と戦争と必要最小限 【H.M.弁護士】

 「お酒飲む人花ならつぼみ、今日もさけさけ、明日もさけ」という都々逸があります。酒飲みに「適量」だけ飲めというのは所詮無理な話。先日も人間ドックで医者は私に「酒は適量。ほどほどにね」と言いました。私は「はい、はい」と言いながら、頭の中では昨晩酒を抜いたから今晩どこで飲もうかと考えています。酒の好きな人に「適量」だけ飲まそうと思えば「禁酒」を言い渡さなければ無理です。さて、最近、新聞やテレビで「必要最小限」なることばをしばしば目にします。集団的自衛権を認めても、戦争に参加するのは「必要最小限」に限定するというのです。私は、これは最初から守るつもりがない約束だと思っています。どこの政治家が、「不必要最大限度」に戦争に参加する、などといいますか。酒飲みが、「酒を飲んでもほどほどにします」と言っているのと同じですね。酒飲みなら精々健康を害するだけでしょうが、戦争を「ほどほど」にするなら、多くの人命が失われます。禁酒=憲法9条の歯止めが必要です。

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『みちしるべ』徳本上人名号碑**<2014.7. Vol.85>

2014年07月26日 | 川西自然教室

徳本上人名号碑

井上道博

 川西市山下の戦国時代 山下城跡の上り口に、文政10年(1828)建立の「南無阿弥陀仏」と刻された徳本上人の名号碑が立っています。蔦文字と言う独特の文字で、一度見たら忘れられないものです。

 先日、思い切って神戸東灘区住吉にある徳本寺を探しに行きました。阪急御影駅から山側東の坂を上り20分ほど、白鶴美術館の西隣りにありました。入口に「徳本上人遺跡」とあり、石段の上に高さ182cm六角形の巨大な名号碑が立っていました。徳本上人を紀州からこの地(赤塚山)に迎えたのは住吉村の旧家吉田喜平治で、寛政10年(1798)のことで上人はここに草庵をつくり行場としていました。毎月15日、遠近からの信者が参詣して一万遍名号を授かったという。そしてここに3年間とどまって住民を教化したようです。私は行かなかったのですが西の坂の上に上人の坐禅石が残っているそうです。なお上人を迎えた吉田家は南北朝の公卿吉田定房の子孫といいます。

 徳本上人は、宝暦8年(1758)和歌山日高の生まれ、幼名を三之亟といい、4歳の時隣家の子供の急死に無常を感じ、9歳で出家を志したが許されず、18歳で父の死にあい、27歳で出家したという。父が死んで以来「常坐不臥」すなわち常に坐禅し夜も横にならない生活を一生続けた。一日1合の豆粉・麦粉を口にするだけで念仏を唱えた。故郷の日高では、断崖絶壁の岩上で約3年、千日苦行を行った。その後全国を木喰戒をしながら歩き、念仏を広めたといい、その壮絶な生き様が我々の心を打ちます。

 晩年には、法然上人に憧れて享和元年(1801)から文化11年(1814)、西国23番札所勝尾寺の松林庵に迎えられた。文政元年(1818)、江戸小石川の一行院で入寂、61歳であった。

 川西山下に建っているのは、年号から見ると上人の死後村人が上人をしのんで建てられたもののようです。全国には徳本名号碑が千基近くもあるそうです。江戸時代にはこんなすごい人がいたのですね。皆さんの近くにもひっそり徳本碑がありませんか。

一万億 何遠からん 一声ごとにいき通りなり

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『みちしるべ』【映画・『もういいかい』を観て・・・】**<2014.7. Vol.85>

2014年07月26日 | 平出正人

【映画・『もういいかい』を観て・・・】

平出 正人

 皆さん、ハンセン病をご存じでしょうか。

 ハンセン病と聞いて「らい」「癩」「らい病」(すべて差別用語)と発想された方は、高年齢の方ではないかと思います。ハンセン病と改められたのは、強い偏見と差別の歴史から、正しい理解と認識を持ってほしいというハンセン病を患った患者たちの強い願望から、“らい菌л”の発見者であるハンセン博士の名をとったのです。この映画は、ハンセン病問題の真実を、多くの証言に基づいて追っていきます。三つの法律をもとに展開された絶対隔離政策によって、療養所で何が行われ、入所者がどのような生活を強いられてきたのか、その仕組みと実態を検証し、百年にわたるハンセン病の歴史を描いた作品です。

 『そこは療養所ではなく、収容所のようだった』映画の冒頭で語る国立のハンセン病療養所である長島愛生園の入所者の言葉に私は胸が詰まる思いでした。

 この映画は、①「癩予防ニ関スル件」(1907年) ②旧「癩予防法」(1931年) ③新「らい予防法」(1953年) の三つの法律のもとで国がハンセン病患者に何を行ってきたのかを、多くの人たちの証言を基に検証しています。「絶対隔離、絶滅政策」のもとで、断種や堕胎、過酷な労働、懲戒検束など想像を絶することが、療養所内で平然と行われていたことについて大きな衝撃を受けました。特に女性たちの証言にはショックと共に強い怒り&憤りを抑えることができませんでした。そこでは、女性たちの意思も人権も全てが奪いとられているのです。まさに女性に対する暴力そのものです。「ハンセン病患者をすべて強制隔離し、たとえ治癒しても社会に帰ることを許さない」、国がとったこの政策こそが今日のハンセン病問題すべての根源ではないでしょうか。3つ目の法律が廃止されたのは1996年です。1907年から89年間続いた人間としての誇りと尊厳をズタズタに切り裂いた隔離政策。今もハンセン病については、国民の多くが病名として認識しつつも、患者・家族の実態、経緯、問題点について十分な理解が得られないまま、偏見や差別が現存し続けています。映画の中で語られる事は、私にはほとんどが知らないことばかりでした。しかし、決して過去の物語りではなく、知らなかった、で済まされる問題ではないと思います。ハンセン病に対する「偏見と差別」をもたらしたのは一体誰だったのでしょうか。国なのか、国の情報を鵜呑みにした人たちだったのか、真実を知ろうとしなかった私たちなのか。しっかりと考えなければならないと思うと同時に、個人として社会として難病患者にどう向き合っていくべきか改めて考えさせられる映画でした。映画の題名でもある、「もういいかい」の言葉が今も私の胸に鋭く突き刺さっています。

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『みちしるべ』届け 竹灯りの歌**<2014.7. Vol.85>

2014年07月25日 | 山川泰宏

『みちしるべ』84号(前号)にも投稿いただいた山川泰宏さんが、東北支援の詩を書かれ、それがCDになりました。そのことが毎日新聞に掲載されました。ここに記事を転載し、また、詞をご紹介します。

届け 竹灯りの歌
退去要求 名取の仮設住民にエール
神戸の団体 自作CD贈る

 東日本大震災の仮設住宅に住む避難者が立ち退きを迫られ、不安が広がっている宮城県名取市の「愛島(めでしま)東部仮設住宅」。その住民を励ます歌が神戸で作られ、CDが贈られた。ボランティア団体「神戸・市民交流会」事務局長の山川泰宏さん(76)=兵庫県西宮市=がつづった詩に、京都市在住のシンガー・ソングライター、堀内圭三さん(54)が補作詞し、作曲した。2人は「少しでも心が安らぎ、前を向いて歩けるともしびになれば」と話す。

 歌は「竹灯(あか)りの歌(愛島に捧ぐ!)」。

 名取市の閖上(ゆりあげ)地区では約800人が死亡・行方不明となった。仮設住宅には同地区の被災者322人が入居する。東日本大震災から3年の今年3月11日、山川さんらボランティア約60人は仮設の追悼行事に参加し、神戸から運んだ竹灯籠(とうろう)約300本をともした。夕闇に「3・11」の文字が浮かび上がると、被災者とボランティアが手をつないでともしびを囲み、黙とうした。歌は二つの被災地が結び合ったその光景がもとになっている。

 ♪風よ凪いでくれ 竹に灯(とも)した希望の灯りを消さないでくれ 竹灯りに込めたこの祈りが 天の魂に届くように (抜粋)

 現地では今、用地所有者との賃借契約期限が迫っているとして、市が住民に立ち退きを求めている。計画では住民らは別々の仮設への移転を求められる。堀内さんらは「住民はようやく前へ向かって歩き出したところだったのに」と心配する。ライブで歌を披露しながら、問題を伝えていくつもりだ。

 住民らは、同じ場所に公営住宅を建設するよう市に要望している。自治会役員の長沼俊幸さん(51)は「寄り添ってもらい、一人じゃないという思いが勇気となる。歌は住民皆で聴いて、励みにしていただきたい」と話す。CDなどの問い合わせは堀内さん(090-8520-3906)。

【桜井由紀治】

 「竹灯りの歌」(愛島に捧ぐ!)

               作詞;山川泰宏・堀内圭三
               作曲;堀内圭三

☆風よ凪いでくれ
 竹に灯(とも)した 希望の灯りを消さないでくれ
 竹灯(あか)りに込めたこの祈りが 天の魂に届くように

 あの日を思う寒空の下
 集いし多くの同胞(なかま)達よ
 この地で共に 生きた日を偲び
 竹に心の火を灯す

 愛する命を奪った海の恐ろしさを
 忘れることなど出来ないけど

 ☆(REPERAT)

 この街で生まれ この街で育ち
 いつかこの街を 旅立っていく
 だからずっと この愛島で
 私は生きていたい

 いつか私も 天に還(かえ)るその日にきっと
 あなたともう一度 会えることだけを信じて

 風よ凪いでくれ
 竹に灯(とも)した 絆の灯りを消さないでくれ
 竹灯(あか)りの火が 天高くの
 あの人からも見えるように

 ☆(REPEAT)

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『みちしるべ』平出正人の【迷惑通信】6/30号外より**<2014.7. Vol.85>

2014年07月24日 | 平出正人

平出正人の【迷惑通信】6/30号外より

平出正人

みなさま

 安倍政権は、7月1日、集団的自衛権の行使を含む閣議決定を強行しようとしています。6月30日(月)17時~19時、自民党大阪府連前でおこなわれた抗議行動の写真を添付していますので御覧になって下さい。閣議決定を許すな! の声をあげましょう。

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『みちしるべ』集団的自衛権に私たちは反対します**<2014.7. Vol.85>

2014年07月23日 | 神崎敏則

集団的自衛権に私たちは反対します

神崎敏則

 今、安倍政権は、与党内での合意を取り付けて、集団的自衛権の行使を容認しようとしています。与党の公明党はこれに対して、朝鮮半島有事など極めて狭い範囲に限定することを求めていると言われています。しかし、そもそも集団的自衛権を限定的に行使するということ自体が論理矛盾に陥っているのではないでしょうか。

 集団的自衛権をいったん行使すれば、それはすなわち戦争に参加することになります。日本が限定的に行使したつもりでも、相手国から見れば、敵国以外の何物でもなくなります。日本国内が直接攻撃の対象にさらされる危険性が高まります。

 そして、公明党が要求するように、「国民の権利を根底から覆す事態」という限定を厳格にすれば、それは個別的自衛権の範囲に収まります。公明党は集団的自衛権を実質的に認めないとしたいのでしょう。その思いの一定は評価したいのですが、安倍首相は「集団的自衛権の容認」に執着し、看板だけを書き換える、いわば既成事実づくりに協力させようとしています。よく言われる例えですが、小さく生んで大きく育てる。その意味で、安倍政権は限定的行使を突破口にして、今後大きく育てることを目論んでいます。

 私たちは、今こそ公明党に、平和を党是とする結党の精神を貫いていただきたいと切に要望します。

2.そして、集団的自衛権の行使を、憲法解釈の変更という手法でおこなうこと自体が大問題です。

 これは、立憲主義の否定にほかなりません。憲法とは、そもそも権力を縛るためのものです。立憲主義を否定することは、国民主権を否定することです。そして政府は今、憲法解釈の変更を先に閣議決定しておいて、その上で、関連法案を国会で審議させようとしていますが、これは重大な国会軽視です。これもまた、主権者である国民軽視にほかなりません。

 これまで歴代の内閣法制局は集団的自衛権を違憲としてきました。その国会答弁は充分な議論の下に、国会内でも国民の認識においてもしっかりと定着していました。このような経過を無視して、安倍首相は「国政の責任者である私が判断する」と暴走を続けています。

 百歩譲って、集団的自衛権の行使が必要な時代背景が今あるのだとすれば、それは、解釈改憲ではなく、憲法そのものを変える手続きを踏むべきです。国会内でも、国民間でも十分な議論を経て、おこなうべき事柄です。

 もう一点、憲法解釈に関して指摘しなくてはなりません。集団的自衛権が違憲なのか、解釈改憲の範囲で収まることなのかを決めるのは、「国政の責任者である」首相ではありません。政治ではなく、司法の場で決めることです。小学校の社会で教わるような当たり前のことを、無視しないでください。安倍首相がたとえ無視してこのまま暴走をつづけても、多くの国民や市民団体が司法に訴えることは間違いありません。

3.集団的自衛権の行使の容認は、平和国家日本の基本政策を大きく変質させることになります。1994年大江健三郎さんがノーベル文学賞を受賞した際の演説を要約します。

 1990年イラクがクエートに軍事侵攻し、「湾岸戦争」がはじまりました。国連安保理決議に基づいて日本にも自衛隊を出せとアメリカは強く要求してきました。当時の自民党単独政権は、自衛隊をイラク制裁のPKFに派遣すると言う法律、いわゆる「国連平和協力法」を国会へ提出しましたが、内閣法制局長が憲法9条違反である国会答弁をしたこともあり、廃案になり、自衛隊は出ていきませんでした。

 この出来事に世界中の人々が驚いたのです。そして各国のマス・メディアが、日本には憲法9条があって、その規定によれば軍隊はもってはいけないことになっており、自衛隊は、だれが見ても軍隊だが、実は軍隊ではなかったのだ、ということを一斉に報道しました。日本は軍事大国だと思っていたけれども、海外派兵を憲法が禁じている、すごい憲法をもっている、アメリカの逆だと、世界中の人が注目しました。

 とりわけ、アジアの人々が驚き、日本が軍事大国でないことを認識しました。また、中東の人たちも衝撃を受け、日本を高く評価しました。

 逆にアメリカは烈火のごとく怒りました。自衛隊をアジアにおける傭兵として使おうとしていたのに、軍隊でないことが、世界中の人々に明らかになったのです。

 平和国家日本とは、長年人道支援を続けているNGOのグループにとってよりどころとなっています。そればかりか外交上の大きな資産ともいえるのです。

 このように、安保条約を結んでいるアメリカとすら一線を画し、日本の平和憲法は燦然(さんぜん)と輝いてきたのです。それを放棄し、あるいは、路線を全く切替えるのであれば、当然、国民的議論が熟したうえで、改憲の手続きを取るべきです。

4.集団的自衛権の本質は、戦争に参加するということにほかなりません。たとえ「限定的」であれ、集団的自衛権を容認すれば、アメリカがおこなう戦闘で自衛官が死傷し、相手国の兵士や住民を殺傷するリスクが飛躍的に高まります。そうした任務に自衛官を送り出すというのであれば、政府や国会はもとより、国民全体でその覚悟が問われることになります。

 1950年、朝鮮戦争において、朝鮮半島沖に仕掛けられた機雷を除去する極秘任務に海上保安庁の21歳の仲谷坂太郎さんが派遣され、機雷に接触して「戦死」しました。その兄の中谷藤市さんは「国民不在のまま、理屈だけで話が進んでいる。戦死者が出るだけではなく、自衛隊が海外で人を殺すことになるかも知れないという覚悟が全ての日本人にあるのでしょうか」と語っています。

 今朝の朝日新聞には、1990年代に専守防衛を転換したドイツでは、後方支援のドイツ軍がアフガニスタンで55名もの死者を出したことが報じられています。集団的自衛権の行使が、自衛隊員の犠牲を出すこと、そのリアリティーを議論すべきです。

 イラク戦争でイギリス軍は数百人規模の死者を出しています。しかも2005年のロンドン同時爆破事件で50名以上が、スペインでは2004年のマドリード列車爆破で190名以上が犠牲となりました。戦争に加担するということは、テロの反撃を受けるリスクを引き寄せることを意味します。

 このようなリスクについて議論されないことは、無責任であり、許されないことです。

  • 私たちは、集団的自衛権の行使容認に断固として反対します。
  • 本日この集会にご参加いただいたみなさんの後ろには、多くの尼崎市民がいます。
  • 残業代を支払わなくてもよいような労働法制に危機感をもつ、多くの労働者がいます。
  • 堅実であるべきはずの年金運用を株式市場に投入できる枠を倍にして、株高を目論んで、国民生活など一顧だにしない政府に怒っている市民がいます。
  • 原発の再稼働や海外への原発輸出を強引に進めようとする政府に敢然と反対する住民がいます。
  • 消費税を引き上げたとたん、法人税を20%台に引き下げることを公言する政府に抗議する市民がいます。
  • 消費税が引き上げられたにもかかわらず、介護保険も医療保険も切り捨てられようとする動きに警鐘を鳴らす人々がいます。
  • TPP交渉でアメリカの要求を受け入れて、農業も医療も保険も全てアメリカに売り渡す政府に怒り震える仲間がいます。
  • 派遣という雇用形態や、ブラック企業で働かざるを得ない若者や家族がいます。
  • 差別と闘う仲間がいます。
  • 障がい者と共生するスペースを営々と運営するグループがいます。
  • 私たちは多くの仲間とつながっています。
  • 私たちの後ろには沢山の尼崎市民がいます。
  • 私たちは日本中の仲間と連帯しています。
  • それらを糧に、集団的自衛権の行使容認を阻止しましょう。
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『みちしるべ』空気の汚れ測定に参加して!**<2014.7. Vol.85>

2014年07月23日 | 山川泰宏

空気の汚れ測定に参加して!

2014(平成26)年6月14日

甲陽線地下化を考える市民ネットワーク
事務局 山川泰宏

 梅雨空の陽気ですが、恒例の空気の汚れ濃度測定(二酸化窒素)の依頼が届けられたのが4月頃でした。この地道な活動に参加したのが2007(平成19)年6月の、まだまだ私も60代後半の頃でした。

 あの年から、8年間の永い期間には、多くの支援協力者がいました。しかし高齢化の波は多くの参加者の辞退になり、この3年有余は、一人孤軍奮闘の状況です。新しい参加協力者を願いながらも、一人で活動を続ける事になり、カプセル購入の費用調達にも苦労が付きまといます。

 大気汚染の指針となる二酸化窒素濃度の測定参加の動機は、阪急甲陽線の県道大沢(おおぞ)西宮線<=建石線>の苦楽園駅の北鉄橋付近から、甲陽園水道道路踏切までの阪急甲陽線の鉄道の地下化工事の計画が持ち上がったからです。地下化により、夙川の松や桜などの樹木が伐採され、桜100選の景観が失われます。また、夙川学園前の道路(通称緑のトンネル)の緑地帯撤去による、大気汚染の指針として参加しました。此の地下化計画<兵庫県・西宮市の道路計画>は、5年前から中断(計画撤回)され、今日にいたっています。

 しかし今、中核都市として、文教都市・環境都市の西宮市は、震災後の急激な宅地開発が押し寄せています。甲山の山麓、甲陽園地区は住宅開発の波に襲われています。

 2000年当時の西宮市甲陽園西山町は、カソリック大司教館の広大な里山があり、朝夕、小鳥の鳴き声や多くの野鳥の住む環境の良い住宅地でした。反面、沢山の鳩の糞害もありましたが。今は住宅地に高層マンション、また日本料亭<はり半>の壮大な里山も、低層マンション3棟に変貌しました。其処をねぐらとしたイノシシや、多くの鳥類、清らかな水の流れるせせらぎも、地下に隠されてしまいました。

 最近、ゲリラ豪雨に見舞われますが、山麓の古くからの住宅地への影響のないことを願うばかりです。年々、少なくなる里山の緑、甲陽園地区からも緑の空間がなくなり、夙川学園のテニスコートや運動場が民間業者に売却され、無機質なコンクリート造りのマンションに変貌しています。住宅開発による道路の整備で、地下化工事廃止により失われるのを免れたものが、いつしか道路拡幅により緑のトンネル部分の工事で、樹木が伐採されようとしています。環境都市西宮にはもっと緑地帯を残してほしいと願います。

測定までの準備を記させていただき皆様の参考にして頂ければ幸いです。

  • 測定期間:6月12日(木)17:00~翌日13日(金)17:00の24時間測定。
  • 毎年、この季節に実施しています。
  • 主催団体:空気の汚れ測定兵庫県実行委員会(ひょうごECOクラブ内)

① 測定カプセル取付:9日~10日の両日予め40ヶ所にカプセル設置。
② 測定開始の12日15:00~17:00までカプセルの蓋を回収、測定開始。
③ 13日15:00~17:00までに全数カプセル密閉蓋装着しながら回収。
④ 測定場所:

  • 西宮市甲陽園本庄町地区を中心に南は西宮市結繕町(県道大沢西宮線=建石線)。
  • 北は大師道の丹兵橋。
  • 東は広田神社バス停(みたらし道路)西は苦楽園駅前までの広範囲の測定箇所。

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