『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

2023年12月例会のご案内

2023年11月30日 | 月例会案内

 

阪神間道路問題ネットワーク
12月例会のご案内

2023年12月15日(金) 13:30~15:00
西宮市立勤労会館 第6会議室(3F)

いよいよ師走に突入。今年は夏から秋を通り越し、冬になったことで、「秋が無い」→「商いの歳」と言われています。でも、10月から消費税のインボイス制度が始まり、商いには最悪の歳。イスラエル極右政権によるパレスチナ人のジェノサイドも起こり、不安な年の瀬になりました▼12月例会は上記の通りです。何時もより半時間縮小して、有志でファミレスに移動。忘年会ならぬ「砂場流の望年会」を行います。「心」を亡くすのではなく、「月」の夜を「日」の出の明るさを取り戻し、支配者の「王」を追い出して民の世にする。そんな会にしたいと思います▼11月例会は箕面公園(大滝)に紅葉狩りに出かけました。お猿さんはおらず、小鹿に遭遇。例年を知らないのですが、夏が暑すぎたせいか、もう一つダイナミズムに欠けていたのかも。が、「わっ、奇麗!!」の歓声が連続して聞かれました。S画伯、「川西自然」T代表、「みち環」H代表とYさん、名湾線Fさん、それに私の6人の参加でした▼最後に何時もの事ながら、『みちしるべ』118冬季号の原稿をお願いします。(F)

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『みちしるべ』**横断車道 (113)**≪2023.秋季号 Vol.117≫

2023年11月17日 | 横断車道

横断車道(113)

日本が独立国か否か、議論はあるが。植民地、或いは属国なら、その宗主国は米国。吉田茂・中曽根康弘ら首相は、CIAのエージェントであったとも。日本の政策は、日米合同委員会で決まるとも▼田中角栄はお伺いを立てず、日中国交回復をしたので、ロッキード事件で追放。鈴木宗男はロシアと近すぎたので、訴追・有罪となった。ヒラリーが来日し、自民党幹事長に会いたいと言ったのに、小沢一郎は無視。西松事件で訴追されたが、東京地検検事の証言改竄が明るみになり、無罪にはなった▼日本が外交をしてはならない査証。歴代首相の検証は、紙数が足りない。安倍晋三・岸田文雄の対照的首相について考察する▼第二次安倍内閣の時、トランプ大統領。対して、現在の岸田内閣は、バイデンが大統領。この差が、両首相の特徴を鮮明している▼米国は中国とロシア(ソ連)が犬猿の仲であることを望んでいる。100歳のキッシンジャーが、最近、中国を訪問し、習近平主席と会った。彼こそ、ニクソン大統領の国務長官で、中国とソ連の仲違いを画策した人物▼さて、トランプはロシア寄りの政策をしていた。半面、中国バッシングは激しかった。彼が二期目の大統領をしていたら、ウクライナ戦争はなかった。安倍首相もプーチン大統領とは懇意であった▼オバマ政権時、バイデンは副大統領で、ウクライナ対策を担当。麻薬中毒の次男坊、ハンター・バイデンはウクライナの最大企業ブリスマから、巨額の報酬を受け取っていた。当時、国務次官補であったビクトリア・ヌーランドがCIAを主導して、2014年のウクライナ暴力クーデターを起こしたと言われている。そのヌーランドが、バイデン政権で昇格しているのは特筆すべき。また、バイデン一族が、中国から多額のコンサル料を受け取っていると、最近、米国下院で証言があった▼第二次大戦後の殆どの戦争・紛争は、米国が絡んでいる。ウクライナ戦争は、明らかにロシア崩壊を目論む米国策略。トランプは大統領に復帰したら、24時間で停戦させると言っているのは、そのような事情ではあろう▼岸田政権が、バイデン政権のご都合政策を強行。属国が宗主国の命令で動くということ。米国の凋落はドンドンと進んでいるようだ。トランプがロシア寄りであったのが、バイデンになって中国寄りに変更され、混乱が起こっているのは明らか▼世界で最大の米国武器の輸入国、サウジアラビアが米国と距離を置き出した。その隙に中国が乗り出したのは注目。サウジアラビアが米国武器を買わない分、岸田内閣が買わなければ。ウクライナは戦争と汚職財政破綻で、米国の戦略の犠牲国。日本も台湾有事で、同じ目に合わないのか▼日本の与党は勿論、野党も米国の動向を論じる政党がない。マスメディアもそうだから、傀儡の糸を操っている根本が語られない。そこが気になるところだ。   (コラムX)

【投稿日 2023.8.5.】

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『みちしるべ』**木を伐る**≪2023.秋季号 Vol.117≫

2023年11月17日 | 澤山輝彦

木を伐る

   澤山輝彦

 神宮外苑の再開発に伴う樹木の伐採は、全国区的問題になり私達も話題にした。阪神間道路問題ネットワークでは、阪神タイガース二軍球場が大物に移転する、その先の公園樹木の伐採(移植)が問題になった。この事は『みちしるべ』116号で取り上げた。つい最近ではビッグモーター社による、除草剤の散布で枯れた街路樹の伐採が問題になっている。

 良い環境の下での生活が大事とする市民意識が浸透してきた証である。環境を問題とする意識の無かった時代にも、木は大切なものだとして、景勝地の並木・巨樹、神社・仏閣の森、等々が大事に育てられていたのは、私達のよく知るところ。鎮守の森の木を伐採する政策に、南方熊楠が反対した運動はよくしられている。(明治政府の進めた神社合祀に反対した運動)

 太平洋戦争も終わりに近く、日本の旗色は悪くなるばかり。艦船は米軍のレーダー探知による攻撃で、ボコボコ沈められていった。日本にはもう鉄の船を造る力はなく、木造船に目を向けるしかない。木が要る、戦争が巨木を要求したのだ。「戦争が巨木を伐った――太平洋戦争と供木運動・木造船」こんなタイトルの本を偶然図書館で見つけて読んだ。

 太平洋戦争でガダルカナル島からの撤退に始まり、日本軍は守勢にならざるをえなかった。南太平洋、西太平洋と広がった戦線への人材、大量の物資を運ぶ船が必要だった。だが鋼鉄船は補修中が多く使えない、資材不足で造れない。そこで考え付いたのが木造船であり、そのための木材調達の手として、「軍需造船供木運動」というものを考え付いた。

 この運動と言う言葉の使い方に意味があるのだ。政府が上から命令するのではなく、大政翼賛会がやる国民運動にする。国民が自主的に木を供出する、そう言う機運を盛り上げていく、なかなか上手いやり方である。国有林や民有林の木を伐るのはお上の仕事、運動の必要はない。狙いの木は「特殊材」と呼んだ、平地林・社寺林・道路並木・屋敷林、等の「けやき」「かし」の長く大きな木であった。

 この運動の先頭に立ったのが大政翼賛会の実践部隊、大日本翼賛壮年団だから、大体どんな展開をした運動であったか見当が付くだろう。メディア、文化人のあおり、あの智恵子抄の高村光太郎も「軍需造船 供木の言葉」という26行の詩を書いている。(光太郎は戦後日本芸術院会員に推挙されたが辞退している)

 戦時下の大日本翼賛壮年団の運動だから、全てスムーズに行ったかといえば、やはり問題はあったようで、伐った木の横流しが問題になったりもした。面白いのは日光杉並木が守られたのは、翼賛壮年団の中で伐木反対の意見が出た。その結果、論争は中央まで巻き込んだのだが、杉並木は残った。箱根の杉並木もある一人の人間の知恵と勇気で守られている。静岡県のある屋敷の杉は、陸軍が目を付けて伐りにきたが、その家の老婆が「伐るなら自分を切ってからにしてくれ」と、まるで現代でもドラマ仕立てになるようなやりかたで伐木を止めている。武蔵野の一端のある寺院も禅の修行には木が大事と、伐木を止めさせ武蔵野を守る一助になった。書中、木造船の記述も詳しくあるが、伐木の部分にとどめた。

 さて、戦後何十年もたった今、情勢はどうだろう。為政者は結構強引になっている。こちら側はどうだろう。正確な情報が読めないイラつきもある。テレビは相も変わらず一億総白痴化の片棒を担いでいる。立秋も近いのに暑いなあ頭でも冷やそうか。

【投稿日 2023.8.6.】

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『みちしるべ』**「雑」のいろいろ 斑猫独語(89) **≪2023.秋季号 Vol.117≫

2023年11月17日 | 斑猫独語

「雑」のいろいろ 斑猫独語(89) 

澤山輝彦

 植物など全く無関心だという人を除けば、彼岸花(曼珠沙華とも呼ばれる)を知らない人は無いだろう。名前のとおり秋の彼岸ころには必ず咲き、群がり咲く姿は、この時期の新聞やテレビに秋の風物詩として、必ず紹介されるのをご存知だろう。私が住むUR団地にも何箇所か数本だが彼岸花の咲く所があり、毎年楽しみにしているが、今年それを見ることは出来るだろうか、つい最近除草作業があったからだ。

 UR団地では、全ての芝生、樹木などの植栽はURの管理下にあり、その管理下に無い植物は原則的には雑草、雑木であり、年に二度か三度除草、剪定作業の対象になる。個人の土地ではないのだから、この作業、管理者の仕事として当然であり、勝手に生えた(過去に誰かが植えたのかもしれないが)彼岸花も雑草にすぎないから刈られる。でも除草当日、まだ花をつける茎は出ていなかったようだから、彼岸の頃には花を見ることができるかもしれない。

 このような管理下にあるとは言え、居住棟の周辺わずかな部分に小さな花や小木を植えることぐらいは、目をつむってくれているようだし、自治会等との話し合いで小さな花壇は許可されているようだ。そんな所では除草作業の通知があると、刈られないようにテープなどで目印をすれば、そこは残してくれる。私の部屋の窓の下にあった三本のオシロイバナは、結構大きな株になっていて花も咲いていたので刈られないだろうと思っていたが、刈らないでほしいとの目印もしていなかったので刈られてしまった。仕方がないが一寸寂しい。

 NHKの朝ドラで牧野富太郎への注目が高まった。その牧野先生の言葉「雑草と言う草は無い」はよく知られている。この言葉「世の中に雑草と言う草は無い。どんな草にだってちゃんと名前がついている」と言ったのが元になっている。そして、もう一人あのお方の口から、この言葉が出たものだから世に知れ渡る言葉になったのだ。とは言え雑草とはもう誰もが使う日本語の一つになっているし、植物学か農学の用語として、雑草学という用例もある。ここまでくれば、「雑草と言う草は無い」といちいちの発言に対して言っていると、それはもうお笑い、ギャグだ。

 草木に雑草、雑木と言う言い方があれば、虫にはどうか、雑虫と言う言葉はない。人にとって益なら益虫、害あれば害虫と言う。魚はどうか、雑魚(ざこ)と言う言葉がある。いろいろな種類の小魚をそう呼ぶのだ。日本国語大辞典には雑魚の説明第二例に、地位の低い者、つまらない者をたとえていうとある。これは、並ではない者を自称他称で大物と呼ぶ時、相手を見下した言葉である。いい言葉ではない。鳥にも雑鳥はない。益鳥と害鳥か、あまり害鳥は使わないな。食い物でも穀物には米麦以外を雑穀と呼ぶ。世話にならなくてはならない食い物にも雑を付けているのだ。でも雑煮はどうだろう。これはもう言い変えの出来ない言葉になってしまっている。雑炊もあるが、これは“おじや”とも言う。私など雑炊より“おじや”と言う言葉のなかで育ったのだ。草木魚鳥食い物の他にも雑の付くものはいっぱいある。

 雑貨と呼ばれる物器具などは別にして、生命あるものとして生まれてきたものに何の罪もないのに、人の利益、エゴによって「雑」をつけたのだ。こういう「雑」上手く付き合う、ここが大事、そこに人間の知恵があるのだ。

【投稿日 2023.9.14.】

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『みちしるべ』**終戦?敗戦?その報道で気になること**≪2023.秋季号 Vol.117≫

2023年11月17日 | 藤井隆幸

終戦?敗戦?その報道で気になること

藤井隆幸

 ♪夏がく~れば想いだす~ 遥かな尾瀬~♪ でもないのだが、夏の定番報道。戦争の悲惨さ、原爆や大空襲。南太平洋や沖縄での玉砕、シベリア抑留などなど。アジア侵略での、現地の人々へ与えた大量の被害。悲惨さを語継ぎ、次世代へ伝え続けるのは大切な事であることは、否定するものではない。

 気になることは、戦争が何故起こったのか? その歴史的背景は、殆ど語られることの無い日本の報道である。戦争が再び起こらないためには、その真相を充分に検証すべきではないのか? 日本の軍国主義だけが、太平洋戦争になったという、単純なものではあるまい。

 年末になれば「忠臣蔵」がTV番組での定番になる。まっ、TVを見ない生活が数十年になり、時代劇や西部劇が時代遅れになった今日、「忠臣蔵」が年末の定番でなくなっているのかもしれない……。

 「忠臣蔵」が今日に伝えられるのは、江戸末期に「仮名手本忠臣蔵」という歌舞伎が流行したものが走りだと言われている。当時は江戸幕府体制下で、史実であった浅野内匠頭の切腹と、吉良家への討ち入りは、そのまま演じることはできなかった。時代を鎌倉幕府に置き換えたものだそうだ。「仮名」というのは、いろはにほへと……は47音で、討入の志士が47士であったことの隠語であるらしい。

 史実はさておき、松の廊下の刃傷事件が、一方的な裁きになったことがテーマのようだ。当時の喧嘩両成敗という原則に違ったということか。徳川体制が崩れ出す時代に、幕府への反発が、「仮名手本忠臣蔵」の流行になったものと思われる。

 さて、太平洋戦争は真珠湾攻撃とインドシナ半島進駐に始まる。日本の軍国主義が、単に侵略を進めたというのは、余りにも単純化しすぎではなかろうか。忠臣蔵を良しとするならば、帝国日本を無謀な進攻に追い込んだ背景にも触れなければ、歴史に忠実とは言えないのではないか。

 日本の軍国主義・帝国主義を擁護するつもりは毛頭ない。日本との戦争を可能とするために、アメリカは如何なる手続きを行っていたのか。アメリカ国民を戦争に駆り立てるために、為政者のしたことは何か。

 「勝てば官軍(戦勝国)」で、広島・長崎の原爆投下や大都市の絨毯爆撃が正当化されている。非戦闘員の無差別殺傷は、戦後のジュネーブ条約改定で禁止されている。日本の報道は触れていないのだが、世界の大半の国々は、批判的報道もしている。敗戦国であっても、言うべきことは言うべきだと思うのだ。

 現在、ウクライナで戦争が行われている。この報道でも、客観的な報道は一切ないと言っても過言ではない。日本人でウクライナ情勢を正確に知っている人は、どれほどいるのだろうか。国営放送も含めて、マスコミはNATO側からの報道しか一切しない。それを信じている人が殆どであろう。それってプロパガンダそのものだろう。

 戦後、70以上のアメリカが気に入らない政権が、破壊工作を受けている。ベトナムはもとより、イラク・アフガニスタン・シリア・リビアなどは、最近の出来事だ。アメリカの「民主主義」という説教は、アメリカに従属すべきということ。正義とか平等という価値観からは、とんでもなくかけ離れている。

 戦後の日本は、アメリカナイズされてきた。知らず知らずの間に、アメリカの都合がまかり通るようになっている。そのアメリカが、とんでもない状況に陥っている。出口が見えずに暴走しだすかも知れないと思う。

 戦後も急速に発展してきた日本を、アメリカは危険視していたのだと考える。隣国の中国や韓国と仲良くなるのを、懸念してきたように思う。その為に、様々な画策をしてきたのだろう。ところが、ここへ来て日韓関係の修復に熱心である。アメリカの暴走に都合よく、日韓同盟を利用しようとしているのではないか。

 8月の暑い夏、終戦・敗戦報道の中で、益々暑くなる夏と、益々きな臭さが匂う日本情勢に懸念している。マスコミがいよいよアメリカのプロパガンダ一色になることが、非常に懸念材料である。

【投稿日 2023.8.26.】

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『みちしるべ』**国立ハンセン病療養所・長島愛生園を訪問して**≪2023.秋季号 Vol.117≫

2023年11月17日 | 平出正人

国立ハンセン病療養所・長島愛生園を訪問して

平出 正人

 1988年5月9日、強制隔離という大きな壁を超えるために、ひとつの橋が架けられました。療養所のある長島と対岸を結ぶ小さな橋、邑久長島大橋、別名「人間回復の橋」です。この橋を渡った先に長島愛生園があります。そこは、潮騒と緑の木々に囲まれた瀬戸内の美しい島です。と同時に長島は困難と闘った人たちの歴史を伝える島でもあります。島から対岸まではわずか30メートル。しかし、それは簡単に超えられる距離ではありませんでした。

 今年の6月20日、私が関わっている地域の人権研修で岡山県の長島愛生園を訪問しました。療養所内の歴史館を見学し、収容桟橋跡、監房跡、納骨堂などのフィールドワークも行いました。「ここは療養所とは名ばかりで強制収容所以外のなにものでもない。国が行った強制隔離政策は入所者から大切な家族やふるさとを奪った」と、歴史館やフィールドワ-クで知った事実が私の胸に深く突き刺さりました。

 ハンセン病は、「らい菌」が原因で末梢神経が麻痺する感染症。感染力は低いにも関わらず国は法律をつくり、患者を各地の療養所に強制的に隔離しました。たとえ回復しても、ハンセン病に対する根強い差別と偏見の残る社会に帰る場所はありませんでした。

 その後、特効薬が開発され病気は完治するようになったものの、法律が廃止されたのは1996年のことです。人間としての誇りと尊厳をズタズタに切り裂いた強制隔離政策が89年間(1907年~1996年)も続いたのです。その間、断種や堕胎、過酷な労働、懲戒検束など想像を絶することが療養所内で平然と行われていたことに私は大きな衝撃を受けました。

 国の誤った強制隔離政策により今なお続く差別と偏見。そのため、家族もまた人生のあらゆる場面で深刻な被害を受け、家族関係が破壊されるなど、人格権や個人の尊厳が冒され、極めて深刻な「人生被害」を受けてきました。ハンセン病に対する差別と偏見をもたらしたのは一体誰だったのか。国なのか、国の誤った政策を鵜呑みにした人たちだったのか、真実を知ろうとしなかった私たちなのかをしっかりと見極めなければいけないと改めて思いました。

 大切なのは“真実を見極め、正しく理解し伝えること!そして、“一番怖いのは沈黙と無関心!”、だと思っていた私。ある研究者の方の「差別をなくすには知識を伝えるだけでなく、当事者に共感し、受け入れる姿勢が欠かせない。当事者が思いや体験を語れる環境をつくることが重要。」という言葉が忘れられません。当事者との『出会い、ふれあい、語らい』の積み重ね、交流を通じた啓発が大事だと!

 いろんな思いを胸に、「瀬戸内に浮かぶ美しい島」長島をまた訪れたいと思っています。

【投稿日 2023年10月16日】

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『みちしるべ』**故 神崎敏則さんの追悼特集⑦**≪2023年秋季号 Vol.117≫

2023年11月11日 | 単独記事

神崎さんとの想いで

            大江和夫

 神崎さんとは阪神医生協で知り合ったと思いますが、その想いでは殆どありません。

 最初に浮かんでくるのは、「テニスを教えてほしい」という事でした。まず高架下の広場で練習をしたのですが、彼はラケットを持ってきてやる気満々でした。テニスは見た目には簡単なようですがボールが思うように飛んでくれません。それでも彼は首をかしげながらも熱心に挑んできました。私もあまりうまくなかったのですが、彼には文武両道は難しいなと思いました。そして彼も気づいたのか4~5回練習したところで、次回の練習日を言っても返事がなくなり自然消滅しました。

 さらに想い出すのは、彼は「道と環境の会」で活動していました。周辺地域にアンケートを取るという事で地道に地域に足を運んでいたとのこと。ある日、彼が運転する車の中での会話。「私『散髪いったん』神崎『うん』。私は1000円以下の散髪しか行ってないので気楽に『いくらやったん』と聞いたら『3000円(?)』と言います。私は驚き『どっ、どこ?』と聞くと『アンケートを取った時、色々と協力していただいた散髪屋さんにお世話になったんやねん。その散髪屋さんが店をたたむというので最後のお別れに』と言います。」彼の住まいは園田、散髪屋さんは武庫之荘。尼崎の端から端です。ずーと通い続けていたのです。その時、私は地道に活動をし、一期一会を大切にする人やなあ、改めて彼の顔を見ました。

 最後になりますが、神崎さんは長年「戦争・原発・貧困・差別を許さない尼崎共同行動」を立ち上げ、共に闘ってきました。会議に行くと彼はいつも私より早く来ていて、静かに「世界」という機関誌を呼んでいました。「本が好きやねん」と言い、国語の先生になりたかったと聞いたことがあります。会議では常に造詣の深いアドバイスをいただき、集会などを成功裏に収めてきました。

 神崎さん。私より早く逝くなんて………。

 はにかんだ笑顔が目に浮かびます。ありがとうございました。安らかに。

【投稿日 2023.10.25.】

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『みちしるべ』**故 神崎敏則さんの追悼特集⑥**≪2023年秋季号 Vol.117≫

2023年11月11日 | 単独記事

神崎さんとの思い出

                  よっしー

 神崎さんとは「みちと環境の会」で知り合いました。その後、私が「阪神間道路問題ネットワーク」の会合に参加するようになり、そちらでも顔をあわせるようになりました。とても精力的に活動をしているイメージがありました。

 尼崎市や、おそらく伊丹市・川西市での集まりでも会っていたように記憶しています。もしかしたら大阪の集会でも一緒になった事があるかもしれません。また、元市会議員だった酒井さんの事務所でも何度も話しました。

 「みちと環境の会」では、会合の後の交流会でも同席しました。――居酒屋・カラオケとか……。お酒はそこそこ強かったように思います。カラオケではどんな歌を歌っていただろう……。フォーク?ポップス?はたまた演歌? うーん、思い出せません。ごめんなさい。ぺこり。

 一番印象に残っているのは、酒井事務所関係の人たちで、一泊二日で泊ったことです。京都の美山にある酒井さん所有(お連れ合いと二人で)の古民家です。とても居心地のいいところでした。

 神崎さんは料理が上手なのです! 古民家に着く前に色々買い物。最後のお店で、今で言う「ジビエ」と言うのでしょうか、鹿の肉を買いました。ポトフを鍋一杯に作ってくれました。多分、生まれて初めて食べたポトフです。あれって、ロシア料理やったような……知らんけど。めっちゃおいしかった! 鹿肉もうまかった!

 参加者は、酒井さん・大江さん・笹部さんとトイプードルのクッキー・平出さん・神崎さん・わたくし“よっしー”の6人と1匹です。ワゴン1台で行きました。神崎さんも車を運転してくれました。初めて神崎さん運転の車に乗り――「あっ、けっこう荒いんや」とわかりました。普段はにこにことしていて、とても温厚なのにドライバーになると……。「へんしんっ!!」(仮面ライダーのごとく)なのです。いや大将(酒井さん)も、けっこう荒いので慣れとります。神崎さんOKやで~~。

 わたし5~6年前の事のように――いやもっと前とわかってたけど――思っていて、平出さんに「2013年9月2日(土)~3日(日)」と教えてもらい、そおかもう10年前になるんや。と、時の経つのは早いと、しみじみと言うか、しんみりしました。

 神戸大に行っている時、甲子園球場でボール拾い?って言うのが、ベンチの横とライト・レフトのアルプス席のとこ(グラウンド)にいて、グローブ持ってボール飛んできたら、そのボール拾ったり預かったりして、後でまとめて球場の中(ダッグアウト)に持っていくやつ……ボールボーイ? じゃないよな。ユニホーム着てヘルメットかぶって。「えっ、高校の時、野球部やったん?」と聞くと、「いいや」と。大学にアルバイト募集が来て、野球してなくてもいいとのことだったとか。思わず「いいなぁー」と言ったのを覚えています。(学生だった頃の話やけど、うらやましいー。)

 神崎さんといつ会ったのが最後だったのか、思い出せません。コロナ禍で私自身が、この3年間、仕事以外でどこかへ出かける事をしていなかったので、今、浦島の心境でもあります。

 今年になり、「阪神間道路問題ネットワーク」に参加できるようになり嬉しいですが、今後、神崎さんと会う事は叶いません。もしも天国があるなら――こおゆう時はあってほしい――たくさんの人と飲んで食べて歌って、いっぱい議論して、いっぱい笑ってほしいです。

 神崎さん お元気で。

【投稿日 2023.10.20.】

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『みちしるべ』**故 神崎敏則さんの追悼特集⑤**≪2023年秋季号 Vol.117≫

2023年11月11日 | 単独記事

地味だが丁寧に組合員さんの声を聴き、コツコツと仕事をこなす努力タイプ。 

弘中 信正

 阪神医療生協の第一診療所常光寺支部の地域担当として、兵庫土建専従から転職採用された神崎敏則さん。彼に対する支部組合員さんの共通した人物評価でした。

 当時の私は、阪神医療生協傘下の阪神中国医学研究所付属鍼灸院の院長として、神崎さんとは同僚として出会うことになります。鍼灸にも興味と関心を持ってもらい、常光寺支部時代には、健康のための鍼灸講座も企画をしてくれました。

 その後に、当時の専務理事との意見の相違もあり、退職の意思があったのを同僚たちが引き留めて鍼灸院と同じ建物内にあった「職域健診部」に配属移動となりました。このとき、月に数回診療所の当直をしていた神崎さんと、通勤時間の負担を軽減するため、帰宅せずに週2回は治療院のベッドで寝ていた私とは、よく勤務後の夜に雑談の機会を持ちました。

 彼からは、時たま故郷の五島列島の話を断片で聞かされて、顔貌の色黒さが瀬戸内育ちの私には、どこか懐かしいものを感じました。

 思い出と言えば、当時はノートパソコンが主流でない時代。手持ちワープロでしたが、彼は個人用を職場に持ち込んでいました。気さくで嫌がることもなく、彼のワープロを良く貸してもらいました。シェア感のある人物でした。

 物事の本質を深く掘り下げるタイプなのでしょう。医療生協の健診部を退職したかと思うと、ひまわり生協の事務長に転職。選挙の挨拶にも快く応じてくれました。その後は、大阪市役所前で早朝に何度か出くわしました。ビル管理会社に勤務しているとのことでした。

  再び、生協には園田支部長としてもどってきてくれて、組合員の代表でもある常務理事の要職について才能を発揮してくれると思った矢先に、九州方面に転勤。今回の悲報を聞きました。

 ここ1年。65歳手前にしての知人や友人と別れることが幾度かありました。振り返ると、現役時代に頑張った分だけ、息切れがあったのかもしれません。6年先輩として、彼の分まで1日1日を大切にしながら道を刻みたいと思います。

【投稿日 2023.10.17.】

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『みちしるべ』**故 神崎敏則さんの追悼特集④**≪2023年秋季号 Vol.117≫

2023年11月11日 | 平出正人

神崎敏則さんってどんな人!

         平出正人

 私と同じ1959年生まれ、物静かで真面目な人でした。

 地道にコツコツとやる人。理論立てて自分の考えをしっかりとまとめてから発言、行動する人。でも胸の内にはグツグツと煮えたぎる熱いものを持っておられた。

 ある一面では頑固でかたくなに自分の意思を曲げない人。

 一緒に酒を飲んでもいつも冷静沈着・理路整然、話しをしていて勉強にはなる人。けど、羽目を外し乱れることが無いので、私から見るとある意味面白くない人。

 最後に、車のハンドルを握ると性格が変貌(荒々しく闘争本能むき出し)する人!

 思いつくままに神崎さんの人となりを私なりに綴ってみました。

 あまりにも早すぎる別れに胸が痛みます。私はあなたの事を決して忘れません。

 神崎さん、沢山の思い出を残してくれて本当にありがとうございました。

【投稿日 2023.10.16.】

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