友情
みちと環境の会 砂場 徹
本格的な冬がやってきて、赤、黄色と鮮やかだった公園の紅葉もいつのまにか元の立木にかえってしまった。
そんなある朝、市営住宅のおばさんたちが「Aさんの家にゆうベホームレスが泊まったらしい」と騒ぎだした。空き缶を集めた大袋を積んだ自転車が住宅の入り口に置かれているのだから証拠は歴然だ。そのとおリホームレスがAさんの家に泊まったのは確かだ。次の日も空き缶を積んだ自転車が置いてあった。騒ぎはもっと大きくなった。「棟長は話にならんからSさん(連合自治会長)に言いに行こう」とか。この人たちはなぜか直接会って話そうとはしないのだ。それにしても大半のひとは無関心か、無関心をよそおっているのが気になる。
私は腹をたてていた。「友達のホームレスが泊まったらなぜいかんのや。ホームレスを友達にしてはいけない法律でもあるのか。あんた達は高級車に乗ってパリッとしたスーツを着た紳士がAさんのところに泊まっても同じように騒ぐのか」と。それをどこで、いつぶつけてやろうかと躊躇しているまに2、3日つづいたこの事件は消えてしまった。Aさんとホームレスは、黙って合宿をやめたのだ。
ホームレスのおっちゃんの長いあいだの「住みか」は、近くの新幹線の線路下にある公園のベンチを借用したひと隅だ。この公園は私の家から見える紅葉が映える大きい公園とは別の、ブランコが二つと滑り台が一つと、形だけの砂場しかない公園である。ここで遊ぶ子供を見かけることは殆どない。これまでにもホームレスを排除するために市役所に苦情を持ち込んだ人は居るようだが、市の係は「見物」には来るが何も変わらないそうだ。今の行政の力ではどうにもしようがないのだ。ホームレスの存在をこの広い地域の人達がどのように思っているかは定かではないが、善くも悪しくも長年の実績である。
この「住みか」、夏は快適だがテントを張っているわけでもなし、何かで囲いをしているわけでもないので冬はとても人の住めるところではない。防寒の敷物を敷いてボロくずのような毛布と布団を何枚も纏っている、その小さいかたまりの側を通るたびに私は目を伏せてしまう。今、この宿は雑品を残したまま夜は無人だ。おっちゃんは、どこか、よりましな所に居るのだろう。
生活保護のAさんは60歳前後だろうが、足に重度の障害がある。この人は、元は理髪師で自分の店を持っていた。だが、母親が亡くなって人が変わったようになった。とうとう奥さんが家を出てしまった。そのうちに難病にかかって理髪の仕事も出来なくなり、いまは生活保護を受ける身だ。
高架下の公園は、杖をついてヨタヨタと歩くAさんの運動コースの一つの目標で、ベンチがゴール地点だ。そのうちにホームレスのおっちゃんと二人でそのベンチでコップ酒を呑むのを見かけるようになった。Aさんは健康な頃は大の酒好きで仕事を終わると必ず寄る店があった。元気だった頃のAさんを思い出して私はその姿を微笑ましく思っていた。だがそれを決く思わない人がいた。彼、彼女らは「あの二人昼間から酒を呑んどる」「生活保護のくせに酒のんどる」と怒っているのだ。Aさんの家にホームレスが泊まったといって騒ぎをつくりだしたのはこの人たちだ。
小泉内閣は徹底した金持ち優遇である。取りやすいところから税金を引き上げ、そのうえ生活保護費は削減した。この露骨な庶民いじめはなんだろう。この国の大臣たちにとっては低所得者の生活状態などに関心を持つこと自体、政治ではないのだ。彼らにとってゴミのような存在であるこの人たちの生活再建にカネをかけるはずはない。
地方自治体にそれを埋める力はない。尼崎市にはホームレスを収容する施設とかその他の対策のための規則などもない。市内のテントの数は増える一方だ。
小泉は所得差拡大を防ぐことに力を入れるどころか、所得差拡大を強引に進めている。このときに、低所得者の集合住宅で、生活保護者が差別視されホームレスが排斥されている。最も団結しなくてはならない、最も団結できる条件下にあるところでの出来事である。
地方自治体の多くが、予算がないからと着工を見合わせていた道路、ダムなどの公共事業が動きはじめている。第二東名道路の建設も現実のものになろうとしている。自治体の陳情に、細かい地域的改良が必ずある。各種の委員会がこれに対処するのだが、ほとんどが地域ボスと議員と行政の合意で処理される。ゴタゴタは大から小まで、質もさまざまだが、市民には分からない。また知ろうとしない。「〇〇先生がやって下さった」だけが残る。ホームレスのことなど問題にもならないのも、このような風潮のなかで流されてしまっているのだ。つまり主人公は議員先生なのだ。
国政次元の問題で、正義と公平を失いつつある現実にメスをいれねばならないという声が上がりはじめている。それに比べると、街の片隅で不正義、不公平を正そうとする市民の声は小さい。戦争を防ぐ闘いもホームレスや生活保護者が「人として」生きるための万策を尽くすのも一つの問題ではないだろうか。団結。足元をもっと見つめねばと思う。
そう言う私はどうも尻のすわり具合が悪い。ホームレス排斥の動きを見過ごしたのだから。今年1年、恥多き人生だが、最後にチクりと痛い悔いを残してしまった。