『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』横断車道(62)**<2011.1. Vol.67>

2011年01月06日 | 横断車道

“マイカー族”を脱して久しい。ドライバーの視点から、道路交通を見なくなったが。「渋滞」が減少していることは確かなようだ▼“道路族”の建設免罪符に、「渋滞緩和」といってきた。が、新設するたびに、「渋滞」は深刻になった。道路交通工学の立場から、新設により「渋滞」が増えるのは常識だが▼昨今の「渋滞」減少は、経済不況が原因。悩ましい問題だ。戦後、14万台しかなかった自動車が、一貫して増え続け、9000万台にせまった。それが、2007年から減少に転じた▼団塊の世代の青春は、車を買う夢があった。現代の青春には、そんな夢は存在しない。大卒の初任給が20万円。30年来、変らない。20代の勤労者の過半数が非正規。その過半数が、年収200万円以下のワーキングプア。これでは、マイホームどころか、マイカーなど考えない▼経済不況という側面のほか、車を必要としない社会の進行もあるのでは。人々の移動手段として、個人的自由・無政府的に、車移動が発達した。それを必要としない社会の進行も考えられる。インターネットの普及は、実際に行く必要性を少なくしている。反論も多いとは思うが▼さて、今の日本、一体如何なってんねん! 世界的に経済が滞っている。が、中国の昨年の経済成長は10%を越えた。インドなど、新興国は軒並み、GDP(国内総生産)が年間10%程度伸びている。欧米でも、この10年では、数割の伸び。日本だけがゼロである。成長しない国。“失われた10年”どころか“20年”である▼国民生活が厳しいのは実感するところ。では、大企業はといえば、毎期(四半期・3ヵ月毎)利益・率ともに伸びている。内部留保も年間11兆円を増やし、244兆円に。国際競争力というが、日本の大企業のように競争力のある企業は、世界に存在しない▼はて? 企業に国籍なんかあったか? そのうちトヨタはアメリカ企業。パナソニックは中国企業ということに。国民の得るべき所得分配を、給与でも、税金でも、社会保障でも、大企業に譲ってきた。だから、国際競争力も世界一。でも、国内市場が壊滅し、海外に出てゆくしかなくなっている▼企業に莫大な資金があるのに、国民が疲弊して市場が縮小。国内では投資ができない。使えなければ、使ってやる。遠慮しなければよい! そうすれば、日本市場が活性化し、大企業も国内投資ができて、儲けられるのに▼話は飛躍しすぎたが、経済不況で道路建設は縮小し、道路交通も激減し、道路公害も小さくなりつつある。めでたし、めでたし、とゆかないのが悩ましい。政治が変化して、経済活性化が望め、また道路公害で丁々発止とやる時代が来るのか?▼それはないと思う。ネット社会の進化は、思いがけない変化を呼ぶ。閉塞した日本社会の変化も、そうした新しい風が、呼ぶもののように思う。それに気がつかない向きは、結構多いが(コラムX)

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『みちしるべ』斑猫独語(43)**<2011.1. Vol.67>

2011年01月05日 | 斑猫独語

澤山輝彦

<イルミネーションは美しいか>

 表題は12月12日の毎日新聞投書欄に載った投書の題である。私も大和でイルミネーションが始まった時、そう言った覚えがあるが、今年イルミネーシヨンを見て考えを少し変えた。この投書に出会ったのを機会に、今一度このことにこだわってみた。

 イルミネーションだが、(以後、イルミネーションは電飾と書く)今年も大和平木谷公園の一角に“大和夢ナリエ”と名付けられた電飾がきらめきだした。12月4日から来年1月15日まで、午後5時から10時まで夜の街角を賑やかにする。この催しは、神戸で始まったルミナリエに想を得たもので、当初私はこれを美しいと見ることに疑問を持ち、毒づいたのだった。公園だけではなく、派手な電飾をする家もあちこちに出て、ミニコミ紙がまるで芸術扱いで、コンクールをするなど、馬鹿げたことだと怒っていたのだった。

 今年、老犬太郎は夜の散歩にこの公園をコースに入れ、私は太郎と電飾の下を歩くことになった。そしてそこで私が見たものは、寒い中を歓声あげて走り回る子供達であり、親子が会話をしながら電飾を眺める姿であり、家族で写真を撮る姿や、子連れ家族が圧倒的に多い中、若者の姿もちらほら見える、などであった。そんな人達を見ていると、電飾公園はこの寒い冬の夜に戸外でたとえわずかな時間であれ親子が楽しく過ごせる、若者は友達と語り合う、そんな場になっているのだ。これは良いではないか。私は過去に電飾公園を“美しくない”からと全てを否定したが、今、全否定は取り消す心境になった。電飾公園で見た人間模様が私の情に訴えるものがあったからである。では、視覚的にとらえた電飾について美しくないと言ったことはまだそのままなのか、と問われれば、情によって新しくなった電飾に関する情報は、過去に記憶した否定的な情報を脳内で部分的に書き換えたようである。あまり意識してはいなかったはずなのに、視覚的感覚は情の感覚と連動してしまったようで、大声で確信を持って電飾は美しいものだとは言わないが、寒い闇の中にきらめく光の様々を美しいと思うようにはなったのだ。たんに、物理的な光を受けた網膜からの信号に基づく反応だけではなく、知恵や感性が作用してしまった情報反応、少々あまいがこれは人間的と言えるのではないか。毎日新聞への投書者は「イルミネーションが年末のイベントになって久しいが、私は素直に美しいとは思えない」と書き出している。彼は天の川などの綺麗な星空より電飾が美しいか、と言うのだが、人工の物と天然の物を同じレベルで比べることは、間違っていることに気がつかねばならないのだ。

 自然の物であれ、人工の物であれぱっと見て、綺麗だなあ、美しいなあ、と思うものは大体美しい。ほとんどの人がそう思うのだ。それはそれで良い。ぱっと見は、どうかなあ、と思う物これが問題である。置かれた場、位置、それを見る側にも時間などいろいろ異なる条件がある、そんなことを十分考え合わせて、美しい、と感じることになるものもあるし、先人の言や、心情をゆさぶる説得などが、それは美しい物だ、とするものもある。美の判定など、基準は無いのだから、最終的には個々人が判断すればいいのである。

 投書者は綺麗な星空と言い、星空に美を見いだし、美しい星空を見えなくしている明るすぎる屋外照明を規制しようと言うのだ。そして、そこに電飾も入れてしまったのである。きっと投書者のみた電飾はそうとう大きく明るく、光を夜空に放散させ、星空を邪魔していたのだろう。大和の電飾は夜空を明るくするという規模ではない。明るさでは街路灯に負けている。その場を少し離れて見る上空は暗い。星空を邪魔するものではない。

 夜間の屋外照明が明るすぎ、星空を見えなくしている、これには私も同感だ。

 以前「夜は暗くてはいけないか」という本を読み、これについて書いたことがある。川西市北部は山地が多く暗い夜空があったのに、最近郊外型店舗が進出しだして、その強い照明のために夜空が明るくなってきている。パチンコ屋やガソリンスタンドの明かりは必要以上である。時には遠目に火事のように空が赤く見える所があったりする。箕面森町が開発され出来上がり、街の機能を発揮しだすと同時に、私の住む所からは以前暗かったその方向の夜空がぼんやり明るく見えるようになった。無秩序な屋外照明を制限しろと投書者は書いており、環境省が定めた「光害対策ガイドライン」による制限に期待している。だが、この光害という言葉は動植物に与える悪影響を定儀して生まれた言葉であるから、美しい星空が見えることを望むということに、このガイドラインが、はたして運用出来るのか、確かなことは分からないが、これがあるならここから何らかの手を打っていく、というのがこれからの環境行政の力の見せ所になるのである。とにかく、美しい星空が見える場が減ることは防がねばならない。

 投書者は最後に「イルミネーションやライトアップ、高台から見る夜景などの人工の光より、星空の方が美しいと思う人が一人でも多く増え、天の川が見られる場所が少しでも増えることを切に願う」と結んでいる。先に述べたが、これら人工物は星空に比べ美しくない、と投書者は考えてこう書くのだが、これは独断偏見である。独裁者の美学が産んだ国の美術を顧みよ、さびしいものがある、あったではないか。屋外施設にある照明の程度、光量を問題にすればいいのだ。

 美しい天の川をみて過ごしている人が、都会に出て高台から見た都会の夜景に美を感じてはいけないのだろうか。天の川も綺麗だが、夜景もきれいだなあ、と言うことはあり得る、と私は思う。

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『みちしるべ』熊野より(33)**<2011.1. Vol.67>

2011年01月04日 | 熊野より

三橋雅子

<本宮の大逆事件②>「マグマ、熊野川を遡る?」

 私はあれほど全国を震撼させた事件で、なぜ本宮から成石兄弟二人の検挙者を出すほどに、この地が「進歩的」であったのか腑に落ちなかった。(大逆事件で検挙され、死刑宣告を受けたのは24人、そのうち紀州組が6人、翌日半数が無期に減刑され、刑死者は12人となるが、うち紀州組が2人、新宮の大石誠之助と本宮の成石兵四郎である。)本宮は紀州組の中心である新宮とは、熊野川町(最近新宮市と合併)を隔てて隣接していなかったし、交通も今の国道もなく、水路、熊野川を下るのに、行きしなはともかく帰りは大変な難儀だったという。

 佐藤春夫は父の代から新宮の住人になったが、それまでは那智勝浦で代々医業を営む祖父椿山が懸泉堂という私塾も主宰していた。その佐藤家の家訓が「政治のことには決して口を挟んではならない。本はひたすら読書に沈潜せよ。」であったと言う。「実行動に移してはならない」のである。その由来は1837年の大塩平八郎の乱にある、という。大坂町奉行の元与力、平八郎は、豪商達の米買占めによる暴利や奉行所の汚職、不正に対し片や困窮する民衆の悲惨な生活を見かねて再三の民衆救援を提言したが拒否される。陽明学者として主宰する塾の塾生達と遂に武装蜂起を企てたが内通され、幕府軍によって徹底的に壊滅させられる。とはいえこの決起には、近隣農民、町民も合わせて300人程の勢力になったというから幕府を震え上がらせるに足る事件だった。黒船来航(1853年)の16年前、維新まで30年、激動の明治末期の「輝かしい」蜂起であったはず。この塾に学ぶものの中に、紀伊勝浦地方出身の若者達もいた。しかし彼らはこの決起には反対で、事件の勃発時には熊野勢は不参加組として郷里に帰っていたという。にもかかわらず、この事件への懲罰はことのほか厳しく、塾生の縁者の隅々、末端に至るまで、「白い眼」のまなざしはおろか、公職を解かれ(学校教師が多かったという)生活苦に追い込まれるなど、深く、広範囲に亘る悲惨の波紋はすさまじかった。これを目の当たりにした佐藤春夫の祖父の、自ら塾で教えを説く者の責任(?)として、例の家訓を厳命せざるを得なかったのか。

 私にとって、大塩平八郎の乱といえば遥か江戸時代の昔々の話、直接「今」に結びつくもの、とは思えなかった。しかし1837年といえば、大逆事件を遡ること73年、今、かの太平洋戦争終結から66年しか経っていないことを思えば、事件の痛み、教訓が生々しく伝えられ、「教訓」として戒められていても不思議はないことに気づく。

 エネルギーと言うのはマグマのようにどこかに通り道を求めるものなのだろうか?新宮で起こった新しい時代への胎動、おかしい世の中への批判や変えようとする欲求とそのエネルギーは、その土壌があるはずの勝浦方面へは固い「教訓」の地盤に阻まれていた。結果マグマは、反対方向に向かって熊野川を遡り本宮に到ったのか?本宮に飛び火した系図を、「熊野川を遡る新思想」と辻本は説く。(南紀州新聞連載)

 ようやく、この保守色の濃い本宮という地域から、偶然性もある不運な冤罪とはいえ、なぜ大逆事件の中枢に関わりを持つ二者を出すに到ったのか、いくらか納得のいく境地に到った。それは黒船が沖合いを通過する「異様な」時代の風が、波乱を予告して通り過ぎていく風景を目の当たりにする、南紀と言う地域の「歴史への関わり方」の一面だったのだろうか。

 新宮には、昔から東京の流行が京都、大阪を跳び越して直接入ってくる、と言われたそうだが、それはファッションの世界ばかりではない、思想の流れにも同じことが言えるのかと改めて感じる。しかし「首謀者」大石がモデルの『許されざるもの』(辻原登著、毎日新聞連載)は、彼ドクトル(毒取る)がアメリカから帰国する場面から始まるが、その土産には、アメリカの新しい文明の利器と共に、自由、平等の新しい思想も詰まっていたことが記され、すでに官憲は鋭く目をつけて警戒の標的にしていたらしい。東京から、どころか当時はまだまだ若々しい自由の国を謳歌していたアメリカからの直輸入だったのかもしれない。

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『みちしるべ』焦る、ただそれだけでスピード優先になってしまう**<2011.1. Vol.67>

2011年01月03日 | 神崎敏則

焦る、ただそれだけでスピード優先になってしまう

神崎 敏則

 12月29日寝る前に、翌朝の新大阪発のぞみ99号の乗車券で発車時刻8時21分を再確認した。荷物の準備はまだだが、身軽なので翌朝にすれば良いと気安く考えていた。翌朝4時ごろ目が覚めて、布団の中に入ったままテレビのリモコンでスイッチを入れた。2009年3月に九州朝日放送が放映された番組の再放送は、たまたま僕が生まれ育った小さな島が舞台だった。眠りによどんでいた頭が少し覚醒してきた。そのまま布団の中からテレビを見ていると、伯父伯母夫婦が登場した。

 夫婦ともカネミ油症で苦しみながら治療を受けていた。伯母は、主治医から手術を勧められているが手術だけは受けたくない、手術を受けなくても済むように理学療法を頑張って受けている、と訴えていた。ベッドの上で関節を伸ばさせられて、顔は苦痛にゆがんでいた。伯父はカネミ油症に認定され、治療費は公費負担となっているが、伯母は、血液検査でPCB濃度が基準値に満たないので認定されていないという。同じ食べ物を食べてきた夫婦が、共に症状があるにもかかわらず、血液検査の基準値に達するか達しないかで片や認定、片や未認定となっている不条理を番組は告発していた。伯父伯母がそんなことになっていることをその番組を見るまで全く知らなかった。番組が終わっても布団の中でぼんやりと考えていた。

 ふと気がつくと6時30だ。あわてて風呂に入って、歯を磨いて、あわや7時まえだ。でもいつもと同じ朝食は食べたい。ゆで卵、ドリップ式コーヒー、牛乳コップ1杯、キューイフルーツ1個とヨーグルトをスプーン山盛り3杯、トースト1枚の準備が完了したのが7時10分ごろ。朝食を摂りながら、この後の行程を考えた。

 やばいなぁ、阪急園田駅まで徒歩17分。家を7時40分に出たとして、阪急園田駅に着くのが8時前。待ち時間最大10分で、とてものぞみ99号の発車時刻に間に合いそうにない。自転車で駅まで行けば10分は短縮できるけど、1月2日までの4日分×150円=600円の駐輪代を払うのは気が進まないし、そもそもキャリーバックを自転車に積むには無理があるなぁ。バスか、タクシーに乗って駅に向かうしかないか。

 朝食を食べ終わって食器と鍋を洗い終わったのが7時20分ごろ。急いでキャリーバッグを収納庫から取り出して、着替えや整髪料、シェイバーセット、折りたたみ傘、読みかけの新書2冊と欲張ってもう1冊等などを詰め込んで家のドアを出たのが7時35分。とりあえず最寄りのバス停で時間を確認したら、次のバスはあと10分後だ。しょうがないので、途中でタクシーを拾うことにして、とりあえず駅に向かって歩きはじめた。がなかなかタクシーが来ない。7、8分歩いたところでやっとタクシーが向こうから走ってきた。ここでタクシーを止めたら約5分の短縮にはなるけど、1メータ乗車は申し訳ない。ええい、そのまま歩け。半ばやけくそになって阪急園田駅に着いたのが7時55分。次の梅田行きは7時57分だ。ひとつ前が47分発だから、あと10分早く起きていたらと後悔この上ない。ともかく57分発に乗るしかない。梅田に着くのが8時7分。乗り換えでJR大阪駅に行くのに約5分、電車待ちに約2~7分、新大阪駅に着くのがおそらく8時18分~23分になるかぁ。あ~ぁダメだ。指定券のない新幹線に乗って博多まで約2時間半立って行って、博多からまた2時間立ち続けるのはつらいなぁ。何とかならないかなぁ。

 出口が見えないまま57分発の阪急電車に乗った。乗った瞬間にひらめいた。ひょっとしたら阪急十三駅で降りて、そこからタクシーで新大阪駅に向かえば、間に合う可能性があるかも。自信はないが、このままあきらめるよりはこれに賭けよう。十三駅には、第七芸術劇場に映画を見に行くのに何度か利用していた。南出口に出たらタクシーはすぐに拾えるだろうが、新大阪駅には遠回りのはずだ。ここは一度も利用したことのない北出口に向かうべきだろう。ヨシッと思って十三駅のホームで北出口を探すと、「東出口」との表示だった。あっそうか、頭の中では、阪急神戸線は東西に走っているから梅田に向かって左手は北だと思っていたけど、この辺りの線路は南に向かってカーブしているから左手は東なのか、と感心しながら東出口を出て、短い商店街を抜けてタクシーに乗ったのが8時4分。運転手に「新大阪まで何分かかりますか」と訊くと「10分以内」との答え。今朝から初めてホッと一息ついた。

 予定通りと言うべきか、予定外にうまく事が運んでと言うべきか、ともかく指定券の8時21分発のぞみ99号に乗車して、コートを窓側のフックに掛けていたとき、のぞみが音もなく動き始めた、が途端に停止した。窓の外を見ると景色は動いていない。発車の音も急停車の音もしないので、発車したこと自体が勘違いかとも思ったが、前方で立っていた乗客がパントマイムの如くに前につんのめっていたので、やっぱり発車してすぐに停止したのだろう。まあ、こんなこともあるか。バッグから本を取り出して読み始めた。しばらくしてまた音もなくのぞみが動き着始めた。携帯を見ると8時28分だった。同時に車内放送が流れた。

 車内放送によれば、発車時に、ホームの客がのぞみの閉じた扉に向かって走ってきたので緊急停車し、その後安全を再確認した上で発車したので7分の遅れとなった、との趣旨だった。へぇ~、この後JRはどおすんのやろ、少し興味がわいてきた。途中停車駅は、新神戸、岡山、広島、新山口、小倉、そして終点博多だ。途中の駅の停車時間を短くして時間を稼ぐのだろうか、それとも普段の走行速度を更に上げて突っ走るのだろうか。JRよ、スピードよりも安全優先でやってくれ、と思ったとたんに自分の中で少し引っかかってしまった。

 まてよ、このまま7分遅れのまま博多駅に着いたら、乗り換え時間がなくなるな。本来は博多駅10時51分着で、乗り継ぎのかもめ18号は11時01分だから、乗り継ぎ時間10分が3分に短縮されてしまい、かもめ18号にはとても間に合わない。今日の昼食は、13時過ぎに長崎駅前の中華料理店でちゃんぽんか皿うどんを食べる予定をたてていた。3泊4日の帰省に往復割引で2万7千円の交通費がかかっても、何とかあきらめがつくのは長崎でちゃんぽんか皿うどんを食べることができると思ってのことだ。

 気持の中では、優先順位がガラガラと入れ替わり、安全運転を蹴散らして、ちゃんぽん・皿うどん組がトップに躍り出た。

 話を戻そう。新神戸駅を出て間もなく車内放送が流れた。新大阪駅でのアクシデントを説明し、新神戸駅も同じく7分遅れで発車したことに続けて、岡山駅で★▼■線乗り換えの乗客は巡回する車掌に知らせてほしいとのことだった。どうやら乗り継ぎ電車の発車時間を遅らせるつもりらしい。その後、岡山、広島、新山口に計ったように7分遅れで着いた。新山口駅を出て間もなく、車内放送で、博多駅でかもめ18号に乗り継ぐ乗客は巡回する車掌に連絡してほしいと案内された。小倉駅を出て間もなく、車内放送でかもめ18号の発車時間を13時05分に調整しますと案内された。8分の乗り継ぎ時間が確保されたことになる。やれやれと思うものの、やはり乗り継ぎは俊敏にしたい。

 博多到着5分ほど前から荷物を持ってデッキに立っていたら、車内放送が流れた。「7分遅れで博多駅に到着しますので、かもめ18号への乗り継ぎ時間を確保するためにかもめ18号の発車時刻を調整しましたが、いつもより乗り継ぎ時間は短くなっておりますので、少々急いで※◎ホームに向かってください」と繰り返し放送が流れた。隣にいた若いカップルの男性が「少々はいらないだろう」と苛立っていた。いやJRにとってはその「少々」が大事なんだ、JRに急げと言われて階段でこけてけがをしたと言われないように予防線を張っているんだ、と心の中でつぶやいた。そう思った途端に、自分の行動を振り返り、恥ずかしくなってきた。

 JRにはスピードよりも安全優先を求めるのに、自分は昼食の予定をずらすことが受け入れられない。急いで乗り換えようとする苛立った青年には、(心の中で)講釈を垂れるが、自分自身も同じ行動をしている。こんなにみんなが焦っている時こそ、お年寄りや子供ずれの乗客が降りるのをまってから、自分が降りていくべきではなかったのか。

 焦る、ただそれだけのことで頭の中では全否定していたはずのスピード優先が、自分の中から次から次に湧いて出てくる。いやはやJRや他人のことをとやかく言っている場合ではない。これはちょっと性根を入れなおそう、と深く反省した年末だった。

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『みちしるべ』**金仙寺湖からのたより**<2011.1. Vol.67>

2011年01月02日 | 北部水源池問題連絡会

金仙寺湖からのたより                   

北六甲台自治会環境委員会

  今回は、原水・船坂川クリーンキャンペーン、金仙寺湖オイルフェンス伸張訓練及び阪神高速道路(株)による一年間の阪神高速七号北神戸線金仙寺湖上付近の交通状況報告についてご報告します。

 十月十六日、恒例の第八回「原水(船坂川源流)クリーンキャンペーン」を実施しました。船坂第二堰堤を中心に、一昨年に続いて特別参加のボーイスカウト二六名を含む総勢五一名が四班に別れて一斉清掃を行いました。その結果、燃えるゴミや瓶・空き缶など三二袋及びタイヤ、廃材などの産業廃棄物も多数収集しました。昼食時には恒例の焼き芋大会を。そして今回新たにゲームやサプライズのお楽しみお菓子袋のジャンケン大会を加え、大人・子供たちが楽しく交流しました。私たちの飲み水の源である緑がいっぱいのこの素晴らしい自然を汚すまいと参加者全員が認識を新たにした一日でした。

 十一月二十五日午前十時より、金仙寺湖緊急時オイルフェンス伸張訓練が、西宮市(消防署、水道局、土木局、災害対策本部)、阪神高速道路(株)、阪神高速道路技術(株)によって行われ、今年もこの訓練に立ち合いました。訓練の目的は、金仙寺湖上を通る高速道路での事故等により落下した油状物質の湖面への拡散と水道取水口への流入を防ぐためのもので、北部水源池問題連絡会(註)<以下、連絡会>が提言し毎年実施されているものです。

 今回は連絡会の五名を含む約六十名の参加があり、金仙寺橋横のオイルフェンス格納庫の開錠・開庫、同フェンスの取り付けが参加三団体で順次行われ、最後に同フェンスの伸張(約百八十m)が交代でなされました。この後、残る二カ所のオイルフェンス設置場所に移動し、同フェンスの伸張を除く全訓練工程が実施され、午前十一時に終了しました。

  この後、阪神高速道路(株)より金仙寺湖付近の一年間(H21.9~H22.8)の通行台数、渋滞発生状況、事故発生状況の報告を受けました。この報告によると、通行台数は一日平均約一万五千台で一年前と変わらず。渋滞発生はゼロ。事故発生はトンネル内側壁接触二件、落下物接触一件の計三件で、この一年間の監視対象区間内での金仙寺湖の水質に与える特段の影響変化はないものと思われます。

  一方、今年六月に僅か先の西宮山口料金所直前の畑山トンネル出口付近で、二七台が絡む追突・接触事故が発生。六年前のH16年5月にも同じ場所で九台が絡む同様の事故が発生していることと、連絡会との監視対象区域外ではあるものの近接していることから、再発防止策を要求しました。改善計画ができ次第連絡会に提示するとの回答を得ました。

 また、この席上で、本日のオイルフェンス伸張訓練時に、迅速性を要求される伸張作業にもかかわらず、同フェンスへのロープ接続フック掛けに時間を要していたことから、異なるフック構造の使用を提案しました。

 なお、以上の活動は、近隣五自治会で構成する北部水源池問題連絡会の一員として参加したものです。

 **********************************

(註)北部水源池問題連絡会: 北六甲台、西宮すみれ台、新中野、名塩赤坂、緑が丘の五自治会で構成しています。

※ この記事は、『北部水源池問題連絡会』に参加する北六甲台自治会、その機関紙『とんがりぼうし』に掲載されたものです。

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『みちしるべ』**「くるま社会からの転換を」出版案内**<2011.1. Vol.67>

2011年01月01日 | 道路全国連

「道路住民運動全国連絡会」からのお知らせ
「くるま社会からの転換を」出版案内
道路住民運動35年のあゆみと【運動の手引き】

道路住民運動全国連絡会;編著  文理閣 \2400+消費税

 道路住民運動全国連絡会(道路全国連)は、毎年秋に、全国持ち回りで集会を開催し、道路公害被害を受ける住民が知恵を出し合ってきました。

 昨年の第35回を記念して、その成果をまとめて上記の本を出版しました。かつて、第15回と25回の際にも、出版してきた経緯があり、その土台の上に積み上げられた住民運動の記録であり、知恵袋です。

 名古屋と東京で行われた全国幹事会(実行委員会)と、メールでの全国を飛び交う論議。主として、首都圏の仲間のみなさんに実務をお願いしました。とりわけ、橋本事務局長の献身的編集には、敬意を表するものです。

 紙数の制約もあり、兵庫(阪神間)の記事は一本のみとなっていますが、震災以降の運動を総まとめにしてあります。他の地域での運動の成果も、今後に役立つものと考えます。兵庫(阪神間)の仲間のみなさん、是非、購読いただけるよう目次を紹介します。

 ご注文は、「阪神間道路問題ネットワーク」の世話人の方、各団体の世話人の方にしていただければ幸いです。直接、担当の下記まで、ご注文いただいても結構です。出版社の文理閣でも、書店等に下ろしていると思います。

ブログ版ですので担当は省略します。
かわりに、道路全国連HPのお問合せページをお示しします。
http://www14.atpages.jp/roadnet/?page_id=145


******************  Contents  ******************

第1章 21世紀の道路問題

36年間の運動で見えてきたもの ……………………………………………8
シンポジウム 第27回道路公害反対運動全国交流集会(2001年11月10日)……10
道路問題緊急シンポジウム(2010年6月19日) …………………………14
声明(2008年4月26日 道路公害反対連動全国連絡会)………………20
全国公害被害者総行動………………………………………………………26
道路全国連活動報告…………………………………………………………27
要請書 国土交通大臣殿(2010年6月3日)……………………………31
国土交通省要請行動の報告………………………………………………36
大気汚染公害裁判と環境再生の取り組み…………………………………45
みんなの力でかちとったPM2.5環境基準…………………………………55
NO2の環境基準は達成されたか…………………………………………59
公害裁判の原告になって……………………………………………………65
道路公害裁判の前進と課題…………………………………………………71
道路建設における費用便益比(B/C)問題…………………………………77

第2章 全国の道路住民運動

 1 強引に進められる北見道路
      北見ももんが裁判(公金支出差止請求事件)始まる……………86
 2 東京の都市計画道路問題………………………………………………92
 3 国分寺328号線事業認可取消訴訟……………………………………98
 4 都市計画道路西東京3・2・6(旧保谷3・4・6)号調布保谷線…………105
 5 防災上役立たず! 水没する北西部幹線道路…………………………112
 6 44年目を迎えた束京外環道路反対運動………………………………119
 7 東京外かく環状道路(練馬大泉~世田谷宇奈根区間16km)の現状…128
 8 東京外環千葉県区間 「守ろう、わが町」40年の運動……………………134
 9 高速横浜環状道路南線計画と沿線住民運動……………………………140
10 高速横浜環状南線(金沢~戸塚)の反対運動……………………………149
11 高速川崎縦貫道……………………………………………………………156
12 高尾山をめぐる圏央道建設の現状と課題………………………………160
13 執行停止を勝ち取った「圏央道・あきる野」の闘い………………………160
14  秦野市における第二東名反対の市民運動………………………………175
15  新山梨環状道路北部区間の反対運動……………………………………180
16 名古屋市相生山緑地の自然破壊道路  建設中止を求めて10年………187
17 名古屋環状2号線、この10年の運動……………………………………194
18 「アセスにおける事後調査」の意味に思う  名古屋都市高速の事例……199
19 京都におけるまちづくりと交通の運動  その到達点と課題………………202
20 大阪における道路公害反対運動の経緯…………………………………210
21 第2京阪国道の公害反対運動……………………………………………216
22 第2京阪道路
      全面供用開始による沿道二酸化窒素濃度の増加について………221

23 中津コーポ住民運動40年間のたたかい…………………………………224
24 高速道路「大阪泉北線」廃止から「風かおる〝みち″へ!
      より便利に人に優しく安全で安心できる阪和線高架に……………231
25 第2名神道路のアクセス道路
      牧野~高槻線の路線変更を実現したたたかい……………………234
26  「阪神間道格闘題ネットワーク」この10年間の経過……………………236
27  高速道路から世界遺産・平城宮(京)跡を守る運動……………………240
28  福山道路等幹線道路網事業
      数々のルール無視に抗した闘いの成果と課題……………………248

29  広島都市高速道路のトンネル建設問題…………………………………253
30  広島国道2号線・沿道住民が第一蕃判決で勝訴………………………263
31  四国横断自動車道建設の現状と課題……………………………………271

第3章  全国交流集会(二五~三五回)

第二五回  高尾………………………………………………………………280
第二六回  大阪………………………………………………………………284
第二七回  横浜 構造改革の名の下の都市再生
               道路政策と真っ向から対決…………………………287

第二八回  京都 道路公共事業を問う!……………………………………292
第二九回  名古屋 くるま優先から人間優先の道路…………………………297
第三〇回  市川…………………………………………………………………302
第三一回  鞆の浦 公共事業見直しの流れを道路事業へ……………………308
第三二回  東京 道路行政の民主的転換を求めて……………………………313
第三三回  東京 道路行政の民主的転換を求めて……………………………319
第三四回  大阪 「21世紀の道路行政と健康・環境を考える」………………324
第三五回  横浜 政権交代と新道路政策………………………………………329

資料………………………………………………………………………………335
執筆者一覧………………………………………………………………………349

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