『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』砂場さんを偲んで**<2009.2. Vol.56>

2009年02月01日 | 大橋 昭

砂場さんを偲んで

代表世話人 大橋 昭

 昨夏の異常な猛暑のさなか、奥様から砂場さんの体調がすぐれないとお聞きしていましたので、そのうちに一度お伺いしなければと、気になりつつもやっと実現したのは暑さも落ち着きかけた11月中旬ごろでした。その日は幸い体調も良いと、ベッドから起きて来られ久ぶりにしばらく話し込んでしまいました。早速「みちと環境の会」の運営委員会で第10回の定期総会が12月7日に決まったことをお知らせしたところ「今度の総会には是非行きたいのだが」と言われたので、無理のないようにご検討下さいと申し上げ、ついでに「砂場さんもうすぐ正月ですね。それまで元気にしていてくださいよ。地域の仲間が集りたいと言っていますから、また、大いに賑やかにやりましょう。楽しみにしていてくださいよ」と、つい調子に乗ってしまい申し上げたところ、いつものように「よっしゃ」と言われうんうんとうなずいておられたお姿が今も目に焼きついています。

 年が明けた1月4日、体調を崩され関西労災病院に入院されたことを知り心配しておりましたところ、1月7日夜に至り容態の急変を聞き驚き急遽病室へ駆けつけました。病床にある砂場さんの、その余りの変わりように一瞬、言葉を失ってしまいました。苦しい呼吸を続けながらも、最後の力を振り絞って必死に病魔と闘う砂場さんに奥さんやご親戚の方々の懸命の励ましと、急を聞いて病室に駆けつけた地域の大勢の仲間たちの声に、砂場さんは生への力一杯の執念を表し応えてくれました。しかし天は無情でした。1月7日午後10時19分薬石の効無く遂に、84歳のお誕生日の目前にあの元気な砂場さんが、こんなに早く私たちと永久の別れをお告げになろうとは…今でも信じられません。

 想えば砂場さんが尼崎に来られてからもう25年の歳月が経過したのですね。最初お目にかかったのは確か1986年秋、大阪の市岡にある毛沢東思想学院主催の「社会問題研究会」でした。当時、鉄鋼会社の現場労働者として働いていた私のところに「鉄鋼合理化と職場の状態と労務管理」をテーマにした職場報告をとの依頼が舞い込み、非力を省みず拙い報告をさせて頂いたことや「大阪哲学学校」でのこともありました。「社会問題研究会」のときでしたか、報告も終わりホッとしている私のところに、それまで全く一面識もなかった砂場さんが来られ、「あなたの今の報告は良かったよ」と、お声を掛けて頂いたときが、忘れられない砂場さんとの出会いでした。恥ずかしい話ですがお褒めの言葉に、一瞬驚きと望外の嬉しさを感じたのを昨日のように想い出します。

 散会後、偶然にも帰る方向が同じということで、鉄鋼の労働職場のことなど話題にしながら、武庫之荘駅に着くまでの、短い時間でしたがそのときもお話ししました。砂場さんの鉄鋼への関心の広さと熱心なご質問にタジタジでしたが、私も興にのり恥も外聞もなくまるで旧知の仲と勘違いするほどの親しみを覚えました。あのとき以来、砂場さんは物静でにこやかに、終始年齢の差など意識させず、相手への配慮を忘れない、親しみを込めた暖かい態度で接して下さいました。砂場さんとお話するごとに私の中では、広い心の持ち主でありスケールの大きい尊敬すべき人だという印象を抱き、内外情勢の話題では鋭い分析や評論が時の経つのを忘れさせてくれました。もし初対面の場で砂場さんから、あの一言を掛けて頂かなかったら、その後の永いお付き合いも、砂場さんから多くのことを学ばして頂く機会もなかったでしょう。

 砂場さんが尼崎に於いて多方面にご活躍され、その功績は枚挙に暇がないほどですが、その中でも1992年に始まる「阪神間南北高速道路建設」反対運動に大きな役割を担われたことは、協働した地域住民の誇りでした。当時、国道43号線の道路公害は全国にあまねく知られ、そこに住む人たちの自動車排気ガスに苦しむ姿を眼前に、私たちはもうこれ以上「尼崎の空を汚染させるな」「子供たちに青空を」を合言葉に尼宝線沿道の住民に建設反対を呼びかけ、翌年11月武庫公民館ホールに、自らの力で住環境を守ろうと決意した建設反対住民組織の結成大会に300名近い人たちが結集されたのには、正直その関心強さに本当に驚きました。そのとき反対運動の代表に砂場さんが選出され、以後、幾多の困難にも屈せず、かたくなに一切の情報を封印する、兵庫県と尼崎市に対して、果敢に住民側の論理を掲げ闘いました。

 砂場さんは炎暑酷寒を厭わずあらゆる抗議行動の先頭に立ち、行政の住民無視の姿勢に対し一貫して「情報公開と住民参加」を前面に掲げ、住民への資金カンパや独自の啓蒙パンフの作成など住民を主体にした反対運動の指導に、卓越したリーダーシップを発揮され、全員参加と全員による決定の原則を守る姿勢を貫かれました。その中でも特筆すべきは自治体選挙に出馬する候補者への「阪神間南北高速道路建設」賛否のアンケートの実施という砂場さんアイデアです。年々低下する投票率も問題でしたが、現下の「道路建設」に立候補者がどんな見解をお持ちなのかを問うたことでした。その結果を「青空だより」に掲載したところ、地域の住民の方々からは大変参考になると喜んでもらえました。

 そんな時あの大震災でした。想像を絶する事態を前に砂場さんは、ご自分のことは後回しにされ、何よりも会員や被災者への迅速な情報伝達と反対運動の防衛のためにいち早く、「青空だより」の発行を指示され、手分けし全力で取り組みました。なによりも地域住民へ正確な情報提供を最優先だと主張され、大混乱の中で、原稿を書き印刷手段もままならぬ中での「青空だより」作りは、印刷手段も持たない事態の中で困難を極めましたが、地域の仲間のご支援に頼って東奔西走し、やっと印刷を終えたときの感動は格別でした。混乱時の情報がいかに大切かを実践された、砂場さんのご慧眼とご判断には今も敬服しています。

 1996年初夏、砂場さんが古希をお迎えになられたのを機に、ご夫婦をお招きしみんなでお祝いしようということになり、みなさんに呼びかけたところ30名近くの仲間たちが駆けつけてくれました。席上ご夫婦で合唱された、静かなロシア民謡は今も耳に残っています。地震から一年余、まだ日々の生活が安定しない中に多くの仲間が集い、砂場さんご夫婦のご健勝と一層の交流を確認し合えた意義は今も生きています。

 その後、地域住民の粘りと団結力は、1998年3月、行政側をして「阪神間南北高速道路建設」問題は「建設費・環境問題・住民の反対」を理由に「計画中断」という、歴史的状況を生み出し、予期せぬ大成果を収めました。あの時はみんなで小躍りしてこの吉報をかみ締めたことが本当に昨日のように想い出されます。

 砂場さんはこの成果を「住民の団結力」と評価され、決して自らは前面に出ることはなく、一貫して謙虚な姿勢でおられました。その後、この成果の上に立ってこれからの闘いをどう進めるかでずいぶん、激しい議論が行われましたが、砂場さんは、いつも発言者の意見を静かに聞きながら、すべては住民の意向を優先しようと、全会員へのアンケートを実施しその結果を尊重しようということで収まりました。それは、今後「行政側の道路建設の動向を引き続き監視しつつ、自動車公害から地域住民の生活を守って行く」運動方向の確認とで、同時に「阪神間南北高速道路の建設に反対する会」から、名称も現在の「みちと環境の会」へと改称まで適確にリードされました。本当にいろんな出来事に遭遇して来ましが、住民の力を信頼し団結と連帯で民主的組織運営の原則を堅持し、選択した結論はそれ以後の運動にとって正しい選択だったと信じています。

 そして、砂場さんは市民不在の矛盾した道路問題の根底に存在する「歪められた政治」の変革を絶えず、日常普段の言葉で語られ、意見の相違があればとことん話し合い、個人の意見を尊重し住民運動にとって、人間関係の重要性を繰り返し説かれ私たちを勇気づけつつ、自らの信念に全情熱を賭した勇姿は忘れられません。

 しかし、砂場さんはこれに満足することなく、次の目標を目指されました。それはあの大地震の混乱の中で、各地の行政がこれ幸いとばかりに、住民不在の都市計画を随所で強行し始めたことに対する怒りの反撃でした。被災者住民の要求は「道路よりも水や食料だ」を掲げ、行政の震災に乗じた理不尽な都市計画を糾弾しつつ、その中から砂場さんは阪神間の被災地に点在する有志に、住民自らの力で生活の復興と自動車公害のない住環境の確立を共通課題に「阪神間道路ネットワーク」の結成を呼びかけられました。その過程で阪神間を中心に行政の理不尽な対応と苦闘する各地の住民運動団体・組織(西宮・芦屋・川西・北六甲・須磨・尼崎)が結集した意義は、被災地住民のみならず、あの状況下に行政から見捨てられた人たちに大きな希望を与えてくれました。

 以来、砂場さんは「阪神間道路ネットワーク」の代表も兼ねられつつ、実に多忙な活動を担われてきました。そして、ここでも砂場さんは絶えず「道路を造るか造らないかを決めるのはわれわれ住民だ」を繰り返し強調され、主権者である住民を無視した蜜室での非民主的な道路政策が、この国の癌だと言われ、膨大な公共事業を支える政治のあり方にも絶えず、鋭い批判を投げかけられ、住民による主体的な反対運動の重要性を繰り返し強調され続けられました。

 こんな砂場さんも、込み入った難しい会議や集会の後には、一転して本来の陽気な砂場さんに返られるのです。花見やカラオケなどでは、直立不動でマイクを持たれ、楽しい気分で歌われ、「早春譜」や「ロシア民謡」の数々は青春の過ぎし日への回想を込め、味わい深いソフトバリトンの調べに私たちは魅了し、決して中途半端な内容ではではありませんでした。飲むほどに酔うほどに生来の楽天さのバブルは全面展開し、社会時評・戦争体験・文化芸術・青春時代のエピソードなどいつ果てるとも知れない交流の中で、その博覧強記の記憶力に感服したものでした。

 お元気だった2年前にご自分の戦争体験をまとめられ、『私のシベリヤ物語』を私費出版され多くの人たちに感銘を与えてくれました。人間が想像すら出来ない極寒のシベリヤの大地での捕らわれの体験は読む者の胸を打ちました。砂場さんのこの筆舌に尽くせぬ過酷なご体験が、帰国後の反戦平和運動の土台となり、常に頭から去らないシベリヤの悠久の大地への限りなき愛着を、その後の人生のエネルギーにされたのではと想像してしまいます。『私のシベリヤ物語』で、天皇制軍隊の不条理と非人間性への弾劾を活写されていますが、いまでは遺作となってしまいましたが、戦争を知らない世代への大きな贈り物です。

 戦後帰国された後、最愛の奥様とかっての戦場であった「旧満州・佳木斯(じゃむす)」を訪ねられたときに奥様が、

若き日に捕虜となりたるシベリアへ 共に往かんと夫はいざなう

と一首詠まれているのを想い出し、ここに転載させて頂きます。砂場さんご夫婦は私たちの前ではよく口論らしき様子をみせましたが、それは全くの見せ掛けで、その内実は共に苦難を乗り切って来られた自負と傍目もうらやむ相思相愛のご夫妻仲は私たちの間でも周知のことで、そのことは私たちの鏡でした。

 砂場さんはご自分の立場から、日本や世界の動向への関心を絶えず私たちに語りかけ、その重要性を話してくれました。身近な自動車公害問題と地球環境問題特に温暖化というグローバルな問題にも積極的な鋭い発言や、とりわけ社会の「変革」を熱い想いで語られる言葉は、いつも心の琴線に響いて余りありました。本当にどんなことにもぶれることなく、しかも自らに溺れることなく常に主体性を持ちつつ、いつも周囲の仲間たちを気遣い、周囲の人たちを励ましながら、堂々と真直ぐに正面を見つめながら発言されたお姿は、私たちに限りなき勇気と力を与えて下さいました。

 砂場さん、今私たちはアメリカ発の世界同時不況と地球環境破壊の進行という大変な激動に直面し、明日への不安をつのらせています。これからの世界を考えるとき私たちはきわめて困難な選択を迫られています。しかし、ご安心下さい。私たちは砂場さんが繰り返し強調された、「人が人として生きて往ける社会」と「絶対に戦争をしない、させない平和な国づくり」をめざし前進してゆきます。
 そして、人間の尊厳を目指し安易な妥協を排し、世界中の人びとの連帯を求め、次世代への配慮をも怠らず、未来への希望を失わず砂場さんのご遺志を継承してゆく所存です。
 砂場さん  今、どこにおられますか。遥かかなたのシベリヤの大地ですか。また、きっとどこかでお会いするのを楽しみにしています。本当に永い間ありがとうございました。どうかごゆっくりお休み下さい。

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『みちしるべ』“汚染米”が問うもの**<2008.9. Vol.54>

2008年09月01日 | 大橋 昭

“汚染米”が問うもの

代表世話人 大橋 昭

 世間を騒がせる三笠フーズなる悪徳、拝金業者による汚染米の不正流通事件は、過去の米国産牛肉輸入事件を想起させ、日本の食管理行政がいかに甘く杜撰であるかを改めて暴露した。

 人は生命を維持し生きてゆくためには、毎日食物を摂取しなければならない。しかし、このところ「毒ギョーザ」や「メラミン」事件に続く汚染米の禍々しい事件の連続に、食の安全が揺らぎ生命の危機すら感じるなかで、一体何を信じ何を食べればよいのか、ふと疑心暗鬼に陥ってしまう。とりわけ汚染米が悪徳業者を経て学校、幼稚園から老人ホーム、病院、障害者施設へ無差別に流通したことは言語道断で、食の持つ重大さを無視した罪は万死に値する。幸い今のところ毒米の人体への影響なしと言われているが、役人たちの言い訳を信じるめでたい消費者はいないし、一連の犯罪的行為に監督、防止を怠り平然とデタラメな管理業務をして来た農水省の大臣から平役人たちに血税で飯を食べさせていることが空しい。

 役人と業者の癒着などは珍しいことではないが、許せないのは汚染米の流通を未然に防止せず、日常の管理点検を怠った職務怠慢だけではなく、業者への立ち入り検査前に事前通告するなどの失態を犯し、検査時の手抜きや見落としがまかり通る実態などは検査に値いしない。しかも事後の汚染米の処分の行方を点検せずカネさえ手にすればよしとする業者任せで、後は野となれ山となれの我関せずとする無責任な対応には開いた口が塞がらぬ。今回のような農水省汚染米事件や社会保験庁の年金改ざん、C型肝炎事故などの不祥事を引き起こし、助長する役所体質は同じであり、ここには憲法15条に掲げる「官僚や政治家は国民の利益を守る奉仕者である」ことを無視し、憲法遵守精神を蔑ろにし、何事にも事なかれ主義で臨み、自己保身と雀益確保を優先の官僚主義の当然の帰結が見られる。

 農水省は消費者への救済策を第一に考えるべき責務を忘れ、あろうことか件の汚染米で損害をこうむった業者への救済を云々し、消費者を置き去りにしようとしていることも許せない。今こそ、なぜこんな事態を招いたのかの徹底解明と政治家や官僚が隠しているすべての情部を開示させることが先決であり、それを通じて事件の全容解明を急ぎ事件を風化させないためにも、行政官僚の責任の所在を明確にしておくことが肝心だ。そもそもカネを出してまで汚染米(輸入米・ミニマムアクセス米)を買い、その安全管理をサボリ保管費が嵩むという理由から、経営モラルなき悪徳業者に放出した無謀は責められるべきであり、日本の「米」の安定供給に大きな役割りを果たしてきた「食糧管理法」を自由経済主義と規制緩和の名の下に撤廃に追い込み、それまで維持されてきた「米」の販売秩序を破壊した失政と今回の汚染米は無縁ではない。

 その一方で米価の安定化と称して滅反政策を強行し、多くの休耕田を発生させて貴重な自然環境をも破壊したことも見逃せない。

 こうした減反政策やミニマムアクセス米が日本の農家が作った安全な米の流通を妨げ、その間隙を縫うように汚染米の横行を許し、架空の伝票操作だけで1kg9円の汚染米が最終的に1kg370円に化けると言う、現代版「錬金術」を生む土壌を作った責任をだれに問えばいいのか。

 しかし今、汚染米事件の原因に根本的なメスを入れず、事件の反省とその対策を欠いたまま、主権者たる消費者抜きで新たに「消費者庁」設置なるものが、国会の政治的混迷に紛れ込んで画策されている。ここには一連の不祥事の責任を不問にし、消費者生活の安定に活かす視点を欠いたまま、狡智に長けた各省庁の官僚たちが失敗の教訓に学ばず、政治家や有識者を巻き込み、結局は自分たちの都合よい「天下り先」を作る意図が見え見えだ。そもそも官僚や政治家の作る法案など「ザル法」に等しく、自分たちの免罪用に作られるものといっても過言ではない。

 私たちは今回の汚染米事件の教訓を活かし、輸入食品をはじめすべて食品を対象とした安全への検査体制を早急に構築させ、検査結果の迅速な全面公開と消費者の参画のもとに悪徳業者の駆逐と厳罰化への法改正を要求し、併せて役人任せでなく消費者の目線から現行「食品衛生管理法」の不備を正すことに声をあげるときだ。

 周知のように国内の食糧生産を担うべき農村は、農業従事者の急激な高齢化と、後継者不足で田畑は荒廃し崩壊の危機に直面している。今こそ「食」の安全と安定供給のために地産地消を実践し、国の基盤である農業の活性化に向け、休耕田の活用で食糧自給率向上をめざし、人生に希望と生甲斐を求める若者たちにこの国の農業を担ってもらい、そのことにこそ血税は有効に使われるべきだ。

 農業従事者と消費者がこの国の農業ビジョンをどう創り上げてゆくのか。これまでのビジョンなき農業政策と食物輸入自由化政策に決別し、何よりも食糧自給率39%からの脱却を根本命題に据え、次世代の生存をも保障してゆく政策が求められている。

 地球温暖化による気候変動の影響が食料輸入に依存する私たちの前途に大きな影を落とす中で、今、私たちの生命を左右する食糧を初め「水」や「エネルギー」資源の枯渇にどう備えるのか。

 “汚染米”事件は主権者としてこの国の民主主義を問い直し、政界、財界、官僚支配の社会システムをどう変革して行くのか問いかけて止まない。

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『みちるべ』道路特定財源は安全な道路の整備に使え**<2008.3. Vol.51>

2008年03月01日 | 大橋 昭

道路特定財源は安全な道路の整備に使え

代表世話人 大橋 昭

 このところの地球温暖化への関心の高まりや、運動不足解消と健康増進ブームに加え、急激なガソリンの高騰で自動車を敬遠する動きにも影響され、自転車の保有台数は今や全国的には8000万台を越え、自転車は手軽で便利な移動手段として私たちの生活に欠かせないものとなっています。

 ここ阪神間でも尼崎市や伊丹市などは、地形的にも坂道の少ない平坦な道が幸いしていることもあって、自動車運転免許を持たない者にとって、自転車は日常生活の必需品の位置を占めています。

 ただ、手軽で便利な自転車の急速な増加で、電車の各駅やスーパー周辺の歩道には放置自転車が溢れ、乗り手の無秩序な使い方などが往々にして街の生活環境を乱してしまう短所もあることも確かです。

 最近、自転車の走行時のルール違反やマナーの悪さが思わぬ重大事故を誘発し、便利な乗り物が一転して自動車事故にも匹敵する恐ろしい凶器にもなる事例があとを絶ちません。自動車依存からの脱却と地球温暖化防止に役立つ自転車ですが、時には高齢者、幼児にとって安全を脅かす障害物に転化してしまうことは残念です。その改善には多くの課題が横たわり、解決を急ぐべき大きな社会問題化していることも忘れてはなりません。

 増加する自転車事故に警察庁は30年振りに道交法を改正し、6月から施行しようとしています。そのポイントは(1)携帯電話を通話・操作しながらの運転(2)ヘッドホンを使って外部の音が聞こえない状況での運転(3)雨の日に傘を差したり、傘立てを使ったりする運転を禁止するというものです。

 現実の自転車のルール違反例を見てみますと、①無灯火②二人乗り③携帯電話の使用④並列運転⑤スピードの出し過ぎ⑥信号無視⑦一時不停止③飲酒運転などが目立ちます。

 また、ある調査では自転車について危険を感じた時はどんな時ですかとの質問に①猛スピードで脇をすり抜けられた時②急に飛び出して来られた時③後ろでベルを鳴らされた時④いきなりぶつけられた時などという答をしています。

 こうして見れば自転車利用者にも安全問題について、反省と更なる意識の改革が当然ですが、ただ従来から何度も「道路交通法」の改正がなされながら依然、自転車事故は一向に減少の気配を見せていません。

 この理由は現実の交通実態を十分把握せず、ルール違反者への罰則を強化すればよしとする行政側の曖昧さと無責任さにあります。つまり規制強化だけでなんら代替手段を考えず自転車がダメな人は自動車を使えという、今日の環境保護に逆行するような考え方しか持たず、また自転車を日々の生活の重要な手段とする人々の事情を考慮せずに「何よりも自動車優先」という一貫した、この国の道路管理行政の貧しい思想が災いしていることにほかなりません。

 私が毎日のように利用している県道尼崎宝塚線は自動車中心の幹線道路ですが、人と自転車は完全に狭い歩道に追いやられ大変危険です。特に武庫之郷周辺の歩行者道は道幅が狭い中を、対向してくる人や自転車を避けるのに本当に命がけです。現在、この県道は拡幅計画中ですが、これからの道路整備開発は歩行者や自転車の安全を中心に据え、最低限「人と自転車の専用レーン」を設け、同時に電柱、広告物をはじめ道路上にある諸々の障害物をすべて撤去し、電柱などは地中に埋め歩行者や自転車利用者の安全性を確保させることが課題です。

 今、国会ではガソリン税などの道路特定財源の一般財源化が大きな焦点になっています。しかし、その使い道には多くの疑問があります。現実に国土交通省の管轄する財団法人なるものが、国民の知らぬことを良いことに道路とは無縁の職員旅行や健康器具なるものに血税を使い、肝心の日々の生活の中で本当に必要とするもの、例えば学童たちの通学道路の安全化や、一日中電車がひっきりなしに通るいわゆる開かずの踏み切りの改善、格差と貧困に苦しむ多くの社会的弱者に生きがいを与える政策にこそ、この貴重な血税は使われるべきです。

 道路特定財源を官僚や族議員の利権や恣意的な処分に委ねる時代に終止符を打ち、主権者の立場からすべて国民生活の向上に充てるべきだという発信をしてゆく姿勢が問われています。

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『みちしるべ』現状に屈せず人が大切にされる社会を!**<2008.1. Vol.50>

2008年01月01日 | 大橋 昭

現状に屈せず人が大切にされる社会を!

代表世話人 大橋 昭

 皆さん明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 「今年こそはよい年を」の願いをよそに2008年は原油、穀物の高騰、円高、株価の暴落など、内外の不安な経済情勢が私たちの生活に大きな影を落とす幕開けとなりました。

 既に昨年末からガソリン、食品の諸物価の値上がりが日常生活を直撃するという状況の中で、唯一「C型肝炎薬害患者」救済の朗報もありましたが、少子高齢化の加速と格差、貧困の拡大は加速し、福祉の低下、医療崩壊、教育崩壊、農村の疲弊、税金負担増、雇用の不安定化など重苦しい事態に依然明るい兆しが見えてきません。

 これらの社会不安を除去し国民に幸福と安心をもたらすべき、政治の原点「経世済民」を忘れた、今日の政治家や官僚、企業家たちに「偽」の名を付したことは当然の帰結です。まさに私利私欲と自己保身と情報隠しに終始し、無能、無策、無責任にまみれたその存在に国民の怒りは頂点に達した感があります。

 昨夏、参議院選挙で大敗を喫した自・公政権が、なおもアメリカの戦争政策に追随し、「ねじれ国会」をよいことに主権者不在の中で生活に関わる多くの重要法案をよそに「新テロ法案」を強行可決しました。これからは戦争という暴力ではなにも解決しないという認識の欠如は、国際貢献という名のもと戦争を放棄した平和憲法9条に反し、日本の外交戦略の脆弱さを暴露して余りあります。また汚職まみれの防衛族を依然手厚く保護し、莫大な血税を無駄使いする防衛政策政治は、世界平和の願いに逆行する看過できない暴挙です。一方、小泉、安倍、福田政権にまたがる構造改革という名の収奪は、一層の社会的弱者の切捨と格差、貧困を拡大させ、生存権を保証する平和憲法25条を形骸化し、生活の基盤である人と人の関係をバラバラにし、社会の安心と安全を崩壊させました。とりわけ社会の基本を支える働く者への労働法規の規制緩和「派遣法」は、働けども働けども人間らしく生きてゆけないまでに人間の尊厳を奪い、現況は生きる希望を砕いて余りあります 。

 今、私たちには弱肉強食の猛獣資本主義に決別し、安全で豊かな社会をめざし、不条理極まりない政治に対抗する主権者としての自覚と自立が緊要です。

 同時にすべての国、とりわけアジア近隣諸国との平和共存の実現と、あとがない地球環境は子孫からの預かり物の視点を失わず、あらゆる機会により多くの人達と交流連帯し、モノ・カネに囚われない価値観に立ち、日常の中から「共生と協働」の実践を通じ、現状に屈しない、人間として尊重され、生きて行ける社会への変革運動が急務であることを訴え新年のご挨拶とします。

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『みちしるべ』与力大塩平八郎展を観て**<2007.11. Vol.49>

2007年11月04日 | 大橋 昭

与力大塩平八郎展を観て

代表世話人 大橋 昭

 かねてから近世江戸時代の民衆の一揆(世直し)について学ぶ機会を期していたところ、今秋伊丹市立博物館で開催中の秋季企画展・「大塩平八郎の乱と伊丹」を観る機会に恵まれ早速でかけてみた。

 周知のように江戸時代の四大飢饉には、寛永・享保・天明と江戸後期の天保の大飢饉が特筆され、天保の飢饉も例外なく洪水や冷害を原因とし、その影響が米の不作をもたらし、米価の急騰が庶民の生活を直撃、各地に百姓一揆や打ちこわしが頻発したことは歴史の示すところである。

 今回の催し展は今年が天保の「乱」(大塩らによる反幕府革命蜂起)から数えて170年を迎えるのを機に、飢饉と「乱」との因果関係を探り、これらを単なる過去の出来事として風化させてしまうのではなく、改めて「乱」の今日的意義を見直す意欲的な企画は、時代考証も当時をリアルに再現する数々の展示物によく整備され充実した内容であった。

 先ず会場入り口には「乱」に際して掲げた「救民」の旗が目を引く。また「乱」の全容(蜂起にいたる経過や顛末まで)を理解しやすいように作られたVTRの活用や、有名な「四海困窮」に始まる中国の古典を出典にした、民衆への蜂起を呼びかける檄文の現代語訳などの文献が展示され、この「乱」が幕藩体制崩壊の引き金となった歴史の内実を再現し今を生きる私たちに日頃忘れがちな先人たちの義挙を思想的精神面からも単なる回顧の次元に終わらせず、理もれかける近世史の熱い歴史にスポットライトを当て「温故知新」を実感させてくれる意義深いものを感じることが出来た。

 大塩平人郎は江戸後期の大坂東町奉行与力。江戸時代の大坂の統治は東西奉行所が掌握し、その配下で東西各30騎の与力と50人の同心が警務を担う。「乱」の首謀者大塩は陽明学者としても名を知られ、その主張や行いは「知行合一(先ずその言を行い而して後にこれに従う)」を信奉する儒学者で、彼の清廉潔白はつとに知られ周りからの信望も厚く、また伊丹との関係が深かった国学者・頼山陽との深い交わりもあった。

 大塩は度々伊丹に出かけては商人や農民に陽明学の出前講座を行ったという記録も遺されている。38歳で養子格之助に家督を譲り隠居。

 時に天保2年(1831)摂津国川辺郡(今の伊丹付近)で流行していた豊年祝いの神踊り(お蔭踊り)とは裏腹に、その後の天候不順は人々に想像を絶する飢餓地獄をもたらす。歴史に言う「天保の飢饉」の始まりである。

 しかし、多くの窮民や餓死者をよそに役人たちは町人からの付け届けや賄賂で私腹を肥やし、市中に餓死者の出る惨状に有効な対策を立てずに放置、この事態を看過できないと考えた大塩はすぐさま町奉行に窮民の救済策を上申するも事態の解決には至らず、鴻池などの豪商にも救済を訴えるが思わしくいかず、無為無策の幕府権力・町奉行・豪商の対応に激怒する。

 ここに至り大塩は信奉する儒教の教えに従い、飢餓に苦しむ窮民の救済には自ら所有する書籍を売却し(当時の価格で620両ともいわれる大金)、これを救済金に当て多くの庶民を救済し、また「武装蜂起」の準備資金に当て、同時にこの日までに近隣四方に「檄文(呼びかけ文)」を発し蜂起の正当性を訴え、市中見回り途中の町奉行を襲撃する予定であったが、直前の寝返りに遭ったために予定よりも早い天保8年(1887)2月19日午前8時、20余名の門弟と共に自宅に火を放ち決起する。蜂起隊は「窮民」「天照皇太神官」の旗や幟を先頭に掲げ、豪商の屋敷などを焼き払いつつ蜂起は決行された。その主力は与力時代から陽明学の講義を通じて開いた私塾「洗心洞」(封建社会の矛盾を説き、天下の政道のあり方を教え「知行合一」の哲理の実践をめざす)塾生や、近郷近在の町民や農民や下級武士の他に、大坂奉行所の与力や同心、摂津や北河内などの豪商も塾に学んだことが知られている。「檄文」を読み蜂起に加わった人数は100余名であったという。

 市中の豪商宅に当時としては異色であった種々の火器(大筒・棒火矢・炮碌)による攻撃を加えたことで大坂の町は約5分の1も焼失し、約3400戸の家屋も焼失する大火をもたらしたが、庶民はこれを「大塩焼」と語り非難する者はいなかったという。

 しかし峰起側に利あらず、僅か8時間後には鎮圧されるという悲劇的な結末を迎え、幕府による蜂起参加者への探索は夜を日に執拗に行われ、死罪を含む苛烈な処断で多くの命が奪われた。蜂起の衝撃波はしかし、遠く越後や備後に伝播、飛び火し、燎原の火のごとく燃え広がり、各地での一揆や打ちこわしが続く。

 支配階級内部からの反乱に幕府・諸幕の動揺は収まらず、これが後に「天保改革」を生む契機となるも、大塩は蜂起に先立って幕府首脳へ不正の調査報告を送っていたことが近年の研究で昭かにされている。

 遠い天保の昔に世の不正を許さず、命を賭して民衆のため「乱」を起こした義人たちの、早すぎた革命がやがて徳川藩幕体制から近代明治維新への導火線となって行く歴史の激変に息を呑む思いをする。

 翻って今日、私たちの周りの政治家に民衆を思う誠なく、私利私欲を追う官僚どもの汚職、信用よりも嘘・偽りで金儲けに狂う商人の横溢、際限なき格差社会の矛盾に世も末かと嘆きたくなるような世相だが、「大塩平八郎の乱」の燦然と輝く歴史に触れ、「世直し」へ「造反有理」の必然を意識した。

記述には展覧会パンフ等を参考にした

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『みちしるべ』G8サミット雑感**<2007.7.Vol.47>

2007年07月01日 | 大橋 昭

G8サミット雑感

代表世話人 大橋 昭

 今年6月ドイツ・ハイリゲンダムで開催されたG8サミット(先進主要8ヵ国首脳会議)はこれまでのサミットから大きな様変わりを見せた。

 その背景にはこれまでサミットでの主要課題であった「9.11テロ」対策中心から、深刻化して行く地球環境問題(温暖化対策)が、もはや避けて通ることが出来ないという認識が支配したことが大きい。

 一昨年アメリカ南部を襲ったハリケーンの猛威やゴア元副大統領製作の記録映画「不都合な真実」が与えた様々な影響は、先進国もここに来て「経済と環境の両立」という難問に真正面から取り組まざるをえない状況に追い込まれた。

 G8サミット直前に米国ブッシュ大統領は昨秋の中間選挙敗北後の支持率低下を挽回せんものと、全米向けラジオ演説を行った。その中身はイラク戦争で傷ついた人達への謝罪や、長年にわたる温室ガス排出に反対してきた姿勢への反省もなく、代わりに米国は社会の貧困を救い世界中の「混乱と苦痛を緩和する」努力を強調するに至ってはその傲慢さは絶品だ。皮肉なことにG8サミットの会場周辺では反グローバル運動、エイズや貧困撲滅運動活動家の大規模なデモが展開された。また、米国のイラク戦争への抗議デモ、ガソリンに代わるバイオ燃料ブームヘの転換で、原料の穀物の高騰はこれらの穀物を主食とする人々の苦しみへの反発には全くの沈黙だ。

 安倍首相も国内の支持率低下を意識しつつ、この会議に向け温暖化をもたらす温室効果ガスの排出を世界全体で2050年までに現在の半分に減らす長期目標を掲げはしたものの、肝心の日本の現実を見たとき、既に決められた京都議定書の削減目標すら未達の現状への対策は棚上げで、国内の排出ガスは増加の一方である。産業界は目先だけの掛け声で、本音では環境問題よりも、国際経済競争の覇者たらんと史上最高の利潤拡大路線に余念がない。

 G8サミットでは何とか地球温暖化ガスの削減が緊急かつ焦眉のテーマとして一致をみたが、参加各国の世界景気の先行き不安や産業界の思惑の絡みの中で、とりわけ中国、インドなど自国経済発展の停滞を懸念したことなどが重なり、多くの期待をよそに画期的な温暖化ガスの削減の合意には至らなかった。

 G8サミットの首脳が本気で21世紀の地球温暖化問題に取り組むのであれば、各国の膨大な軍事費を地球環境保全に振り替え、脱原発、脱石油社会を目指し各国は太陽光、風力、地熱など天然エネルギー開発への転換と、「環境税」の創設政策の具体化にむけなければならない。我々の生き方も問われていることを強く求めたG8サミットであった。

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『みちしるべ』失われた40年の重み**<2007.3. Vol.45>

2007年03月01日 | 大橋 昭

失われた40年の重み

代表世話人 大橋 昭

 今年は4年目のエルニーニョの発生と地球温暖化の関係もあってか、記録破りの暖冬である。しかし、現在の異常気象や地球環境の異変への予測は、今から40年前の1970年、イタリア・ローマに於いて既に行われていた。

 折から深刻化しつつあった天然資源の枯渇化、環境汚染の進行、開発途上国における爆発的な人口増加、大規模な軍事的破壊力の脅威による人類の危機に対して、地球の有限性を共通テーマに当時の世界中の最高の英知を集めた、危機回避のシナリオが通称「ローマクラブ」により探索され、その成果は世界を震撼させた「成長の限界」に遺された。

 しかし、この人類の存亡を問う地球環境破壊を警告した「成長の限界」は、先進諸国による近代科学技術を駆使した地球への際限なき収奪を止めるには至らなかった。人類の欲望とエゴのおもむくままの大量生産・大量消費・大量廃棄のもとで、経済成長と利便性向上を追求して来たその帰結が今日の地球環境破壊である。

 この時期に高度経済成長期にあった日本も、資本の利潤第一主義による公害垂れ流しと自然破壊を生み、地域住民の健康や労働者の職場環境など歯牙にもかけず、労働災害を頻発させ、全国各地に公害反対闘争が巻き起こった。それら4大公害病「水俣病、第二水俣病(新鴻水俣病)四日市ぜんそく、イタイイタイ病」の顕在化は国に「公害国会」を開催させた。

 しかし、本格的な公害防止施策の実現には産業優先を掲げる行政の全体的姿勢を越えるまでに至らず、この時「ローマクラブ」の警鐘を主体的に提え、活かして行く方途が確立されていれば、以後の運動の内実も、大きく変わっていただろう。また、このころは「地球環境問題」なる言葉はまだ存在しなかった。

 2007年2月1日、マスコミはICCP(気象変動に関する政府間パネル)によって、地球温暖化の科学的根拠を「人間活動の仕業」とする注目すべきニュースを報じた。

 このまま化石燃料に依存し高度経済成長を続ければ、自然変動(火山噴火など)を外しても温室効果ガス増加による温暖化は加速し続けその影響は全地球規模に及ぶと言う。

 また、この報告とは別に出されたイギリス政府の諮問機関「スターン報告(気象変動の経済影響)」では、地球温暖化の速度を摂氏1度から5度の段階に区分し、地球温度が今よりも5度上昇した場合を想定した危機シナリオを作成した。二つの報告書は「今すぐ確固たる対策を採れば、悪影響を避ける時間は残されている」とし、その時間は10年から20年という衝撃的な報告を提出した。

 私たちが40年前に出された「ローマクラブ」の警告に真摯に耳を傾け、地球の有限な天然資源の枯渇、環境汚染に目を向け、人口増加と工業投資の加速度を抑える適切な政策を実現していれば、事態はここまで深刻化しなかっただろう。

 経済成長著しい中国、インド、ブラジルなど発展途上諸国の環境対策の不在と、アメリカのための経済のグローバル化が際限なき地球温暖化と環境汚染を拡大している時、今回のICCPやスターン報告を深刻に受け止めることなく、これまで通りの豊かさを追求して行くならば、人類は近い将来に必ず破滅の危機を迎えようとする中で、異常気象は地球温暖化が原因という警告は無視すべきではないと思う。

 今、私たちに求められるのは自らが「カネとモノ」の呪縛を解き放ち「足る」を知ることの意味を問い直し、人としての生き方と国のありようを、経済と環境とエネルギーの視点から見直す勇気だ。そして、一人ひとりがすぐに出来るエネルギー消費抑制への行動と、京都議定書の目標達成にむけたライフスタイルヘの転換と、地球環境危機の克服に立脚する政治への転換を促し、早急に国際的な視野から「地球環境税」創設に主体的に取り組む努力だ。

 急速に政治が右傾化してゆく中で、なによりも平和と生命の大切さを掲げ、地球は子孫からの預かり物であるという価値観に立って、危機に瀕する地球環境に対し、すべてにおいて大胆な変革を急がなくてはならない時だ。

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『みちしるべ』環境・命・平和――悔いなき年に向けて――**<2007.1. Vol.44>

2007年01月01日 | 大橋 昭

環境・命・平和――悔いなき年に向けて――

代表世話人 大橋 昭

 新年明けましておめでとうございます。各位には健やかな新年をお迎えになられたことと存じます。旧年中の物心両面のご支援に心からお礼申しあげ、併せて本年も何卒よろしくお願い申しあげます。

 昨年は明るい話題の少なかった年だけに、今年こそは誰もが希望に満ちた穏やかな一年をと願いましたが早々からの禍々しい陰惨な事件の多発や、食品メーカーの不正事件や鳥インフルエンザ騒ぎなど、安心と安全を裏切られる不安なスタートになってしまいました。

 正月三が日はまずまずの天候でしたが、年初から異常な暖かさが続いています。このことと地球温暖化を即座に結び付けることは出来ませんが近年、地球的規模での異常気象の発生と無関係とは言い切れないものを感じます。地球温暖化の原因についてはすでに多くの問題が指摘されていますが、根本的には有限なエネルギーに依拠し「大量生産・浪費・廃棄」を繰り返しながら、利便性と快適性を追求する私たちのライフスタイルに起因することは否めず、地球温暖化を始め自然生態系へ修復不可能なまでのダメージを与えています。このことは毎年、地球のどこかで発生する異常気象として現れ、現実には世界各地に集中豪雨や千ばつなどをもたらしています。とりわけ水資源・農業への影響(食料危機)やマラリアなど伝染病の流行の予兆は、急速に具体化しつつあり、人類が初めて直面する危機故に、その影響が懸念されるところです。いうまでもないことですが、深刻化する温暖化対策に特効薬はなく、これにブレーキをかけ得るのは私たち自身が、自ずからのライフスタイルを真剣に変革することです。

 「資源枯渇」「環境汚染」の進行に対して、化石燃料エネルギー依存からの脱却をメーンに自然エネルギーの活用など、地球環境に負荷を掛けない代替エネルギーヘの転換が急がれるところです。

 一方、新年早々の一月四日、安倍首相は年頭の記者会見で「現在の憲法が時代に合わない」「今夏の参議院選挙で改憲の信を問う」と表明し、同時に憲法第9条の戦争放棄の条項の見直しを自らの政治課題と明言しました。また一月八日には戦争放棄を定める平和憲法との関係で、半世紀の間存在した防衛「庁」を「省」として独立させました。

 その記念式典で首相は「戦後体制から脱却し、新たな国造り(美しい国)への第一歩」と語り、今後集団自衛権行使の研究の推進を表明し、日本の防衛政策の根幹である専守防衛や非核三原則の見直しヘゴーサインを出し、この国の誤った過去の歴史に真摯に向き合おうとしない姿勢は、やらせ付き教育基本法「改正」でも如実に暴露しました。

 これら一連の動きを通じて、この国があの忌まわしい戦前の暗い時代に逆戻りしているのを感じます。安倍内閣の首相をはじめとして戦争を知らない戦後生まれの為政者たちは、アジア民衆に多大な犠牲を強いた侵略戦争への総括もせず、しかもまだ従軍慰安婦・強制連行・シベリア抑留・中国残留孤児・被爆者問題等、解決が急がれる戦後責任を放置し、あの戦争の惨禍の教訓から目をそらし、これらを生んだ責任を不問にしたままです。

 そして、今また対米追随を堅持し内戦化するイラク戦争に支持・加担し、北朝鮮敵視政策で戦争の危機を煽り、「核保有」を公然と言い放ち「いつでも戦争できる体制ヘの再編」を意図する姿勢は、国内のみならずアジアの人々にも大きな不安感を与えています。

 今、大切なことはいのちと生活のすべてを破壊し尽くす危険な戦争政策よりも、働いても働いても食えない若年者たちに仕事を保障し、福祉切り捨てで生存が脅かされる状況におかれている高齢者・障害者・生活保護者に、生きてゆく勇気と希望を与える政策の実行です。私たちには規制緩和と競争一辺倒を押し付ける政治の在り方を見直し、格差と差別のない人が人として尊重され、正義の通用する社会への大胆な方向転換が急務です。

 日々、地球を席巻し進行するグローバル化は政治・経済・環境・軍事のすべてを飲み込みつつ、この国をも戦後最大の曲がり角に立たせています。私たちはそれぞれの考え方や価値観の違いを大切に、平和といのちと環境を守り、日々の生活を大切にする人々との連帯を強め、一切の軍備を持たず「戦争をしないさせない国」つくりに向けた市民の団結が求められるところです。

 愚かな人間が行う戦争の加担者になることを拒否し、閉塞した社会の打開に向け悔いなき年にしたいものです。

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『みちしるべ』奈良平城京跡と文化遣産(木簡)を見学して**<2006.5. Vol.41>

2006年05月03日 | 大橋 昭

奈良平城京跡と文化遣産(木簡)を見学して

代表世話人 大橋 昭

 去る3月26日「阪神間道路問題ネットワーク」と「みちと環境の会」は、初めての試みとして共同で、古都奈良に建設されようとしている京奈和高速道路の現地見学を行った。

 これは、昨年夏の道路ネットワーク主催の道路問題学習会に京奈和高速道路建設に反対する市民組織「高速道路から世界遺産・平城京を守る会」事務局長の小井さんをお招きした縁をきっかけに以後交流が進み今回の運びとなった。

 当日は幸い天侯にも恵まれ、総勢11名は春の日射しをうけながら、古都奈良を平城京跡から「奈良町」まで、市民組織の小井、浜田両氏から懇切丁寧なる案内と解説をしていただく。

 市民組織「守る会」は2000年12月に京奈和高速道路建設反対を掲げて結成され、世界遣産として登録されている、奈良時代の木簡(地下水によって守られている)が京奈和高速道路(渋滞緩和を理由)を地下トンネル方式で建設されようとしていることにより、損傷をうけることに危機感を強め現在も国際的な世論の喚起と広がりを求めて、宣伝活動を活発に展開されている。

 周知のごとく、平城京跡は1998年世界文化遺産に登録され、1300年前の奈良平城京と今もそこに貴重な歴史遣産(本簡)が眠る。平城京跡に立てば先ずその壮大さに釘付けとなる。「なぜこんな素晴らしい景観のところに高速道路?しかもこの地中には木簡という希少価値のある文化遺産が存在するのに。・・・」という疑問がわいて来る。

 日本には古都の奈良・京都を中心に歴史的遺跡・建築物が多数現存し、とりわけ神社・仏閣には貴重な古代の金属文化財の材料として、銀・銅・鉛が多用されている。これ以上の新しい高速道路の建設は大気汚染をより深刻化させ、人の健康破壊と金属文化財の腐食を進行させ、理蔵物まで破壊されようとしていることは看過できない。

 建設推進の官僚や政治家たちによる環境破壊をもたらすだけの高速道路建設よりも、貴重な建設費(我々の税金)で古都を樹木で埋めれば、多くの重要な文化遺産は保全される、という発想の不在が情けない。

 特に道路建設によって失われようとしている、この時代の国家の統治に欠かせない、情報の伝達に木簡(細長い木片の物が多く発掘されている)の存在は日本の古代研究に欠かせないもので、紙が貴重品であった時代に木片に墨書したものは、国家運営の重要な情報伝達に用いられ、租税のがれなどの荷札や物品の請求書、役所の公文書などに多用され、文献資料を補うとともに遺跡の性格や年代を知る手がかりとして極めて重要な価値を持っている。本簡のみならず、未発掘の木器、金属器、ガラス、動植物遺体、人骨などに秘められた歴史を解明して行く過程を知ることに限りない興味がわいてくる。

 そんな折り。3月29日の新聞各紙に「徳島県の木簡出土」を見て、木簡の持つ歴史的重要性を改めて学ぶことが出来た。

 記事では奈良時代、朝廷の地方行政機関「阿波国府」に所在したと言われる徳島県国府町の観音寺遺跡で、身元照会の手続き「勘籍(かんじゃく)」が記された8世紀の木簡が初めて出土。国内では最大級の木簡で文字数約150字も異例とされる。朝廷への回答の下書きとみられ、専門家は「律令国家による地方支配の詳細を解明する上で貴重な史料と語っていた。

 京奈和高速道路が出来れば古都奈良の景観も環境も台なしになるし、何よりもかけがえのない貴重な世界文化遺産である地下の本簡は、ことごとく破損されてしまうと言う。

 8世紀日本文化に多大な影響を与えた、中国、朝鮮半島との文化的関わりを示す建造物や芸術品が多く、政治的、文化的に重要であった平城京。これらは未来に向け遺して行かねばならない人類共有の宝物である。

 今回の交流会では次世代のためにも貴重な世界文化遣産の伝承と言う、共通の責務を痛感した現地見学でした。お世話していただいた「守る会」の両氏に厚く御礼もうしあげます。

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『みちしるべ』戦争を話り継ぐ営みを**<2006.3. Vol.40>

2006年03月01日 | 大橋 昭

戦争を話り継ぐ営みを
―― 砂場 徹 著『私のシベリア物語』発刊によせて――

代表世話人 大橋 昭

 昨年は太平洋戦争終戦60周年と言う節目にあたり、8月15日をピークに全国各地で反戦・平和の行事が開催された。しかし残念ながら多くのこうした行事は一過性に終わるものが多く、戦争体験を継承してゆく営みは、遅々として国民的課題となっていない。

 その証拠の一つに1941年12月8日、太平洋戦争開戦の地、アメリカ合衆国ハワイの真珠湾はどこかと問われた日本の若者の一人は『三重県」と答え話題となって久しい。

 戦争体験の有無に関わらず、世代を超えこの60年の間、あの戦争を記憶し語り記録する営みは果たして、十全であったのかと自問せざるを得ない歴史認識が存在している。

 想記されるのは、日本と同じ敗戦国のドイツは自国の戦争責任に関して、日本より高い国際的信用を回復しているのは、第二次世界大戦の真摯な反省と行動が持続されていることであると言われる。

 非戦の営みは毎年夏には自国の青少年たちを、ナチス・ドイツによるユダヤ人600万人の虐殺行為のあった、ポーランドのアウシュビッツ収容所などに派遣し、戦争加害者の立場からの歴史学習を繰り返し、戦争を忘れさせまいとする歴代大統領の姿勢であり、ドイツの『負の遣産」として自らの誤りを直視する教育実践が行われていることである。

 また教育現場では「君たちに戦争責任はないが、二度と戦争を起こさないために、戦争を知る責任がある」ことを徹底して教えるという。ここに同じ侵略戦争を遂行し敗北を喫した両国の戦争責任と平和についての取り組みに温度差を感じる。

 周知の如く日本でも年々戦争体験者が減少して行き、既に戦争を知らない世代が人口の7割を越え、戦争体験の風化が深刻だ。

 こんな時、今年1月に阪神間道路問題ネットワークの前代表の砂場徹さんが、ご自身の戦争体験とシベリア抑留の4年有余の体験を『私のシベリア物語』として上梓された。私たち戦場を知らない世代のためにも、真に時宜に叶った快挙だ。

 『私のシベリア物語』では1945年4月の日本帝国陸軍に入隊され、その出征前夜の家族の壮行会の中で、父親が生還を期しがたい砂場さんに、敗色濃厚の中で非国民呼ばわりの非難も恐れず「徹、死んだらあかんで」と明日戦場に赴く我が息子に語る一言は圧巻だ。戦争の非情さと家族の絆の素晴らしさに感動させられる。

 入隊後の軍隊生活では初年兵を人間として認めず、徹底的に人間性を破壊し戦争のためにのみ役立つ人間への改造過程と、軍隊(内務班)の赤裸々な実態にもショックを受ける。日本帝国の敗北直後から始まる逃避行の中にも軍隊支配秩序が連綿と脈打つおぞましさに、改めて軍隊の正体を見る思いがする。

 そして4年半に及ぶシベジア抑留体験の記録は、理不尽な戦争に翻弄され、幾度も帰国の願望を裏切られた日々の中で、飢えと寒さと重労働に耐えつつ、ロシアの異文化に触れながらシベリアの人々との暖かい交流の描写に癒される心を淡々と語られている。

 これまで上梓された多くのシベリア関連の出版物にない、全編を貫く戦争のない平和な生活への真摯な希求は、「昭和」と言う現代史の貴重な証言としても是非とも多くの若い人に読んで貰いたいと思う一冊だ。

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