原発反対は風評被害につながるか?
田中 廉
原発に反対することは、――福島での風評被害を助長し、『科学的に安全が証明されている』海産物・農産物の販売を阻害し、福島の人を苦しめている――と主張する人が、たまたま近くにいたので、その人への反論です。福島第一原発の汚染水処理(特にトリチウム)について話題になったのでその点について少し詳しく書きました。
海岸に立地している原発が爆発し、そのとき大量の放射性物質をまき散らしたのだから、多くの国民が原発に強く汚染された地域の農作物、魚類など食べ物について、慎重になるのは当然のことです。
自分の仕事に誇りを持つ生産者も、汚染された食べ物を売ることはありませんでした。信用を回復するために、生産者は、時間をかけ土壌の改良を行い、海では汚染水の海洋流出が止まり放射性物質の影響が低下し、現在は放射線の測定を行っても健康に問題がないだろうという状態にまで回復した状況だと思います。
福島は安全性アピ-ルの為に、たぶん非常に丁寧に放射能の測定を行い出荷するでしょうから、もし、ス-パ-で福島産の魚や野菜が売られていたら、私は気にせず買います。
しかし、今まで政府、企業は不利なデ-タ-は隠し、うそをついてきた過去があるので、政府や行政の数値をそのまま信用できないという人や、できるだけ放射能の影響の少ないものを、特に子供に食べさせたいと思う人がいても自然です。これは個人の自由です。このことにとやかく言うのは失礼です。
今、風評被害はあるだろうと思います。これには、放射能の測定を行い安全基準以下であることを明記するなどの、時間をかけ丁寧に説明を重ねて解消してゆくものです。「科学的に安全性が立証されているのだから、文句を言うな」というのでは、権威主義的で反発を招くだけです。
内容についていくつか、指摘したいことがあります。
1.風評被害
現在、福島の魚は風評被害で全然売れないという状態ではありません。地道な努力で現在は震災前の15%ほどまで回復しています。2017年には福島の漁港でセリが始まり、魚種によっては高い値が付いたそうです。今年2月には全魚種が出荷できるようになりました。
豊洲市場の水産会社との交渉も進められ、安定的な供給が見込めれば、市場で取り扱いができ、販路も確保できるとこが分かったそうです。2018年より、イオンが東京・埼玉などの8店で「福島鮮魚便」コーナーを設け、昨年は好評なので10店に増やしています。そして今年は、千葉・名古屋・大阪でも特設会場で販売をしています。反応もよく、思っていたような風評被害は無かったようです。
今後、出荷量は紆余曲折があっても、伸びてゆくだろうというのが現在の状況ではないかと思います。ただ、アルプス処理した放射性物質を含む汚染水を海に流せば、今までの福島の努力は水の泡になります。いくら基準値以下だといっても消費者は納得しないでしょう。
風評被害とは「根も葉もない噂により経済的な被害を受けること」です。原発汚染水、また、安全とされるトリチウムの危険性について、疑問や意見を述べることは、根も葉もないうわさ話ではありません。多様な選択肢を認め合い、各人が自由にものを言えることは、憲法に保障された権利で民主主義の一番の基礎です。
2.科学的に問題がない?
これほど誤解を招く言葉はありません。科学に絶対はありません。「科学的に問題がない」から、それに反対するのは無知で「風評をあおる」などというのは、科学を知らない人の言葉です。
規制値は、現時点で我々が持つ知見と、その値が社会に与える影響を、政治的に配慮して決められています。私たちは、自然界のいろいろな事象のほんの一部しか知りません。今後、研究や経験が積み重なってゆけば、判断の基礎になった知見は変化します。それは、規制が厳しくなることもあれば、ゆるくなることもあります。
「政治的に配慮」とは、規制によって生じるコスト、技術的問題、実施団体(今回は東電)への経済的負担、水産業などへの影響を考えることです。規制値は、純粋に安全性だけを基に決められているものではありません。「現時点で我々が持つ知見に基づく安全性」と「政治的に配慮」のバランスの上に作られています。
「科学的なデーターに基づく」と言われる規制値は、たいがいの場合、会社の負担(コスト)が少なくなるよう、また、原発内での作業がしやすいように、緩和される傾向にあります。ですから、決して今の規制値が「科学的」根拠だけで作られているのではないのです。
それゆえ、政府・企業の言う「科学的に安全」に不信感を持つ人がいても自然なのです。そして、その不信感を主張することは、「科学的に安全である」と主張するのと同じように、根拠があり表現の自由で守られるべきことです。
政府のやることに監視の目を光らせている人たちがいることで、政府や企業が不正や不合理、非科学的なことをする予防になり、それは国民の利益にもかない、長い目で見ると政府や企業の利益にもなります。すべての人が、お上のいうことを素直に信じているのではないのです。
3.福島第一原発の汚染水処理(特にトリチウム)について
資源エネルギ-庁によれば、2019年10月末の汚染水の貯蔵量は約117万㎥で、トリチウム量は約856兆ベクレルです。日本のトリチウムの排水基準は60万ベクレル/ℓで、年間の放出管理基準値(総量規制値)は22兆ベクレルです。(この値は、国内で最初に稼働した福島の原発のトリチウムの年間排出量が20兆ベクレルなので、福島原発の排出量が先にあり、それに合わせて基準を決めたと疑われる。)
政府はアルプス処理水を、基準値以下に薄めて海洋投棄しようとしています。トリチウム以外の放射性物質の総量規制は、全部合わせて2200億ベクレルで、トリチウムの1%です。
政府は、トリチウムの崩壊電離エネルギ-が非常に微弱であること、人体に取り込まれても速やかに排出され蓄積しないこと、生物濃縮がないことなどを理由に、人体への影響が他の放射性物質と比べ極めて低いと、大量に放出しても問題はないとの判断です。
問題はいくつかあります。
① 希釈して海洋に放出する案
トリチウムの総量規制は年間22兆ベクレルしか海洋投棄できないので、今あるアルプス処理水(約856兆ベクレル)をゼロにするには39年ほどかかります。今でも毎年100~150㎥の汚染水が発生しているので、さらに時間がかかるでしょう。
たぶん、政府・東電は基準値を大幅に緩和してもっと短期間で海洋投棄を行うのではないかと危惧されています。その場合は、今までの規制値や、その基となった科学的根拠はいったい何だったのかという疑問が生じます。
規制値は安全だと合理的に判断される値に、更に安全係数を掛けて厳しい値に定められます。それを経済的な理由で安易に変更すべきではありません。もし、規制値以下であれば海洋投棄してもよいとなれば、薄める海水は無尽蔵にあるのだから、なんでも海に捨てることができるようになります。
一度特例を認めれば、堤防が決壊して洪水になるように、他の場合でも同じようなことが行われ、海は核のゴミ捨て場になります。
また、東電が2018年に認めていますが、アルプスの処理能力を超えた汚染水を処理したため、現在のアルプス処理水の80%が、トリチウム以外の本来除去されるべき放射性物質が規制値以上、場合によれば何万倍も高い濃度で存在しています。これも再処理せずに希釈して流せることになります。(一応東電は再浄化するといっています)
② トリチウムの生物への影響および生物濃縮について
政府・東電の説明:「トリチウムは自然界にも広く存在し、生物への影響は微々たるもので危険性はほとんどない。」という説明でした。その根拠は以下の3点です。
- トリチウムは自然界に普通に存在し、毎年、宇宙線と大気の反応により大量に作られ、私たちの体内(体重60㎏として)には50ベクレル程度、日本の水には1ベクレル程度存在すること。
- トリチウムが出す放射線はベーター(β)線ですが、そのエネルギ-は非常に弱く紙1枚で防ぐことができ、進む距離も非常に短く、その人体に与える影響は、他の核種に比べて桁違いに低いこと。
- そのため外部被ばくは無視でき、問題とされるのは内部被ばくです。
トリチウムは水素の同位体なので水素と同じ働きをします。(厳密には極々少し重い)汚染水ではトリチウム水(HTO=水素原子1個+トリチウム原子1個+酸素原子1個)として存在し、水(H2O=水素原子2個+酸素原子1個)と同じ挙動をします。トリチウム水は体内では通常の水と同じように約10日で排出され、特定の臓器に蓄積されることはなく、また、生物濃縮を起こすことは確認されていない。
- 反論:環境中のトリチウムは、ほとんどがトリチウム水(HTOと称す)として存在しますが、一定量が有機結合型トリチウム(OBTと称す)になります。OBTは、主として光合成によって形成され、海中では植物プランクトンや藻類により形成され、植物連鎖の中に取り込まれます。
人間が経口摂取したOBTは、その50%がトリチウム水として短期間で排出されますが、ごく一部のOBTは生物半減期が1年となり長く体内にとどまり続けます。英国プリストル海峡で、二枚貝やカレイに高濃度のトリチウムが蓄積されているという論文が2001年に発表され、それに対し、測定方法などに問題があるとの反論も出されました。
英国食料基準庁のガイドラインに従い1997年から10年間、毎年調査し続けた結果では、海水のトリチウムが5~50ベクレル/ℓであったのに対し、ヒラメは4000~50000ベクレル/㎏、二枚貝のイガイは2000~40000ベクレル/㎏で、夫々平均3000倍と2300倍の濃縮率でした。
また、トリチウム水で育てた海藻を二枚貝のイガイに与えた実験では、投与量に比例してトリチウムが蓄積していることが確認されています。以上のように、生物濃縮については、従来とは異なる実験結果もあり、生物濃縮の有無については合意されていないのが実情だと思います。
③ トリチウムの内部被ばく
一番の問題は、トリチウムは水素と同じ挙動をするために遺伝子の水素原子が、トリチウム原子に置換されることです。トリチウム原子が崩壊しヘリウム原子に変化する時に、それによって原子の結合が切れ、またベーター線により、周囲の遺伝子を傷つけ、癌などのリスクが高まる危険性があると言われています。
これに対しては、遺伝子は様々な要因でいつも損傷を受けており、「修復酵素」の働きによって修復されており、また、異常な細胞を排除するシステムを人間は持っているので問題がないという人もいます。
④ トリチウムの安全性
トリチウムそのものの毒性は他の放射性物質に較べて、極めて低いが、福島の汚染水のトリチウムの量は桁違いに多く、総量は最終的には「兆」のレベルではなく、「京」のレベルになるだろうと思われます。
これを海洋投棄するのは、環境に対する負荷が大きいのではないかと思います。前述の5~50ベクレルの海水で育てたカレイやイガイの生物濃縮のことを考えると、回遊魚でない底魚や貝などでは問題が生じる可能性を排除できません。
よって、希釈して海洋投棄することには反対です。近畿大学では特殊なフィルター、京都大学では吸着剤を用いてトリチウムを除去することに成功したと報道されています。まだ、実験室段階ですが、研究を続ければ効率的、経済的にトリチウムを除去する実用的な技術が開発される可能性があります。国・東電は、海洋投棄一辺倒でなく、こちらの技術開発にもっと資金を投入し、力を入れるべきだと考えます。