鉱山と神社に関して、香春地区はかなり関連のある伝承や神社があり、その関係が十分に汲み取れる。
それに対し長登地区はどんなものであろう?
明らかに鉱山に関係している神社として、長登地区に位置する山神社があるが、どーもこの神社、勧請、設置されたのは江戸時代であり、
鉱山の繁栄と作業の安全を祈って大山祇命を祀っており、奈良時代、大仏に関連する神社ではなさそうである。
とすれば、どこか近くに神社等ないか調べてみる。
資料(長登鉱山Ⅱ)には、いろいろこの種の報告があり、仁寿元年(851)の文徳天皇実録に長門国四神として
「鹿集福賀磨能峯壬生」が挙げられている。
一般には鹿・集福・賀磨能峯・壬生と分ける解釈で各々を地名として、その地に位置する神社を当てている。
その結果、鹿には下領八幡宮、集福には渋木八幡宮、賀磨能峯は花尾山権現社、壬生には壬生神社が位置し、鉱山との関連を示唆している。
これらの神社の勧請時期(勧請地)をみて見ると、下領八幡宮は鎌倉時代(石清水)、渋木八幡宮は不明(鶴岡)、
花尾山権現社は祭神として鉄治業の守護神の金山彦神を祀っており、壬生神社は、大同2年(808)に神功皇后を合祀と、
奈良時代より新しいものや勧請地もいろいろと、果たして長登鉱山との関係は如何にとの思いはあるが、
神社周辺には長登鉱山と同時代の鉱山や鉱山を支持する伝承等もある。
これ以外にも長登鉱山北域にあたる赤郷地区にある赤郷八幡宮は、称徳天皇己酉年(769)頃宇佐八幡宮から勧請したとの伝えがあり、
この域にある八幡宮の中でもかなり古い時期の勧請時期と金属神との関連も推察できる。
またこの付近には木間と呼ばれる地名があり、高麗との繋がりも垣間見られる。
いろいろな資料は、神社との結びつきについて、必ずしも香春地区と比較して強くはないが、
全くない訳でもないため、長い時間の経過や閉山による祭礼の喪失により、徐々にその関連が見えなくなったとも考えられる。
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