先ずはこれから検討しましょう!
1. 過去の文献からの香春鉱山の銅採掘に関する可能性
いろいろ文献ありますね。
最も有名なのがこれか!
香春の銅山ってことではないが、銅鉱石の発見が世の中に関与した出来事。
それを記述している文献は「続日本紀」巻四になります。
現在の埼玉県秩父市黒谷(武蔵国秩父郡)から和銅(ニギアカガネ)と呼ばれる銅塊が発見され、朝廷に献上された。
それを祝い年号が慶雲から和銅に改められ(708年)、その年に作られた銅銭が「和同開珎」?である。
あまりに出来すぎな感、実際いろいろ意見もあるし、それ以外、それ以前の銅銭に関する文献もある様です。
実際この文献には「和同開珎」の名はなく、銅銭=和同開珎かは?の点も。
その時代、どんな文献があるか、年代順に並べてみましょう。
あれこれ調べようと思ったら、先日購入の資料にしっかり論文ありました。
郷土史誌 かわら 第86集 「日本における銅生産の始まり ー文献史料・考古資料・鉛同位体比分析の総合化」 亀田修一
上記史料より古い7世紀末(650~700)に、最も古い銅等の鉱物生産に関する史料がある様です。
その中から山口、福岡県に関する文献史料を抜粋してみます。
698 「続日本紀」文武天皇2年9月壬午(25)条 「周芳国献銅鉱。」
710 「続日本紀」和銅3年春正月丙寅(15日)条 「大宰府献銅銭。」
713 「豊前国風土記」逸文(和銅6年編纂命令) 「田河郡 鹿春郷・・・第二峯有銅・・・。」
730 「続日本紀」天平2年3月丁酉(13日)条 「周防国熊毛郡牛島西汀・・所出銅・・以充長門鋳銭。」
7~8世紀にかけて、ほぼ同時期に福岡・山口の銅や銭に関する史料がある。
これらから7世紀末ころから、日本で銅が生産され始めたことが推測される。としています。
全国的には因幡、周防、武蔵、豊前、長門が生産国として挙げられ、9世紀以降の史料では石見、山城、備中、備後、美作、備前、摂津の国がある。(計12ヶ国)
上記史料や同時期に出現する「鋳銭司」や「催鋳銭司」と云う単語がある。
「鋳銭司」:貨幣鋳造を専業とする宮司で、持統・文武朝よりみられる。
「催鋳銭司」:大宰府や国司が行う鋳銭事業を監督し催促する宮司と考えられる。
これらから大宰府で銅銭を鋳造、献上した?とも考えられ、大宰府での銅銭の原料供給地として豊前の香春を充ててもおかしくはない。
ただ残念ながら大宰府と鋳銭所が結びつく史料は見当たりません。
現時点で判明している鋳銭司(鋳造所)は、中国地方以西では山口県の長門・周防のみの様です。
さらにあれこれネットで見ていると、いろいろ面白い論文、ブログありました。
先ずは「古代採鉱民族の構成 ー長門・周防・豊前を中心にー」 井上孝夫
正にドンピシャ、こっちが探してる内容の文献?です。
緒言の文章、チョイ問題ある感ですが、問題の豊前に関しどう纏めているか?が問題。
次回、この文献中心に、銅採掘に関する史料を纏めてみましょう。
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