帆船模型で遊ぼう!!

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三つのチョンボ!

2023-08-27 16:05:51 | 歴史

こんな記事を1週間前にみつけた。

 

              

 

県立博物館でそれなりの考古博やってるらしいが、なかなか足伸ばせません。

近くの市民館でそれに関連する講演会が、しかも無料で。

それほど知識はないが、興味あるため、参加したい気持ちは十分です。

記事読んで、電話申し込みだけは理解、

読んだ日、金曜日そー市関連なら土、日休みで電話無理か!と。

月曜日に掛けようとカレンダーに記入!

月曜掛けると、誰もでません!

あれっ何で? と再度詳細に記事確認!

んっ、どーも連絡先は歴史民俗資料館、そー大体この種の施設は月曜休館、

逆に土、日開館、土、日掛けても問題なかった感。

先ずはここで、電話先への連絡ミスのチョンボ(①チョンボ)です。

 

火曜日、電話掛けると、「講演会すでに定員一杯で参加不可」との返事!

電話ミスがここにも繋がる参加できない? 大きなチョンボ(②チョンボ)。

係の人が云うには、「予定者が不参加の連絡時には参加受け付けます。」 と。

普通この種の講演会、わざわざ参加できない等の不参加連絡する人いないだろう? との思い。

とはいえ連絡先を伝え、出席希望をお願いします。ついでに「待ちの希望者何名?」の質問も。

「おたくで3人目!」との回答、うーん、多い少ない?

うまくいけば参加可能? 多分に無理か!の予想。

思ったことは、会場にもよるが参加希望がさらに10人程度増加なら何とか入れる工夫してくれないか?と、

声なき不満です。自分のミスはさておいて・・・・

 

講演会前日まで連絡なしでやっぱ無理だったか、残念!!

当日9時過ぎ、連絡あり、「参加の可否?」を。

当然用事もないため、即出席回答、参加希望伝えます。

午後開始で駐車場もそれなりに停まってます。(写真は帰りだが・・・)

 

              

 

どこで開催?掲示板見ると、2階の講義室らしい。

 

              

 

これ見ると、講義室あんまりない様で、収容人員予想、変更なかなか難しいかな?

何とか出席チェック完了、一番前の席確保!

スクリーンには、こんなパワーポイントが表示されています。

 

              

 

内容なかなか興味あるもので、古墳の県内分布こんな様子。

 

               

 

概ね瀬戸内海側に集中、大きな勢力西(長門)と東(周防)にあったらしく、それを中心に古墳の分布が広がっている。

時代的にはこんな流れが、

 

              

 

西よりも東が中心で発達した感じです。まー地形、平野の広さからもその状況予想できます。

講演終了、少し時間があるらしく質問時間が設けられます。

 

こっちも不勉強ながら先日あったTVのNHK特集での疑問を質問!

「日本海側に装飾古墳があったらしいが、その状況、知見を教えて欲しい!」

回答、「そんな古墳はありません。」

出席者からも

「県内あちこちの古墳見学しているが、装飾古墳は見たことない!」

どーもこっちのTV図面の解釈ミスだった様で、大きなチョンボ(③チョンボ)です。

いろんなチョンボあったが、アレコレ新知見得れたこと、それはそれで勉強になりました。

 

帰り際に、出席者状況をパチリ!

 

              

 

やっぱ参加者、同年齢以上、若い人にはこの種の興味なかなかか!!

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資料収集!

2023-08-13 17:45:45 | 歴史

地方紙読んでいると、こんな記事が。

 

                 

 

図書館の貨幣展で「皇朝十二銭」の展示が!

ブログでいろいろ書いた「和同開珎」、その原点貨幣!

こりゃー見学して、上手くいけば関係者からいろんな資料も得れるかも? と。

 

朝やる事終わらせ、図書館に向かいます。

この日が最後と云うことで、主催者メンバーが多く集まっています。

いろんな貨幣が展示されていますが、こっちの目的はこの「皇朝十二銭」のみ!

先ずは会員らしき方に「写真撮りたいのですが・・」と撮影許可をお願いします。

「良いですよ!いくら撮っても!!」と、色よい返事貰えました。

 

「皇朝十二銭」の展示コーナーに向かい、カメラ向けます。

実物みるのは初めて、も少し上手く撮れば良かったが、先ずは撮ることと、頭回りません。

結果、撮れた写真はこの程度!

 

                    

 

十二銭を1枚に収める術すら思いつきません。

と、云うより近接撮影に重きを置いていたんだが、カメラの性能これが精一杯!

右上の貨幣が「和同開珎」、時代が経つにつれ貨幣小さくなっているのが分かります。

後で聴くと、この「和同開珎」、やっぱ「新和同」、「古和同」はなかなか得るのが大変な様です。 

こんな資料も、貨幣周辺に展示されています。

 

                         

 

読んでみる限りは、大したこと書いていない様です。

展示コーナーの一番下に書かれている資料、

 

                 

 

皇朝銭の製作時期と、中国のモデル貨幣の様です。

 

写真撮り終わり、縁に座ってる方にチョイ質問を、

「皇朝十二銭に関して少し質問あるんですが、どなたか分かる方にお願いしたいのですが・・」

それならば、この方でしょうと、中央に座ってる貫禄十分な方を紹介されます。

「皇朝十二銭に関する資料あれば、教えて欲しいのですが・・・」

「こっちは貨幣はいろいろ詳しいが、それ以外はあんまり、図書館司書に質問した方が・・」

「それに関しては、すでにいろいろ資料お願いしていますので、それ以外あればの気持ちで・・」

と、残念ながらこっちの望む資料を得られません。

やはり、この貨幣に関する文献資料ってあまりない様です。

残念!!

    

 

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あれこれ検討?(その9)

2023-07-14 07:15:02 | 歴史

今回入手した各種資料、チョイ読んだだけでも目から涙ならぬウロコが・・・

そーなんだ!の如何に浅薄な知識、涙、涙で寂しい限りです。

こっちの知識、長登鉱山奈良時代の開山ってのは知っていたが、

その後も連綿と続き、閉山は昭和時代と思っていた。

 

資料では、奈良~平安時代、皇朝十二銭の時代以降、完全に鉱山廃れ、江戸時代に再開発、昭和までと2分。

そこで分かった、長登の謂れ、噂!「奈良登りが訛って長登になったんだ」とする伝承。

鉱山開発が奈良時代まで遡るとは、昭和40年代まで思ってもいなかった。それが今では です。

これと同様なことが、あっちの香春岳にもあれば良いが、資料を見てる限りじゃ期待薄!

しかし、思いは同じ、あってもおかしくない!! 筈?!

 

ってことはさておいて、こんな問題どう考える?

1.考古学資料がある鋳銭所

長門、周防、山城

2. 史料からの貨幣献上国

近江、大宰府、播磨   銅銭を鋳造して献上(続日本紀)

3. 鋳銭司等の名称のある場所

長門鋳銭司 :考古学資料と一致(和同開珎)

周防鋳銭司 :考古学資料と一致(8種類が製造されたとするが、現在発見は3種類の鋳損じ銭、承和昌宝他)

岡田鋳銭司 :考古学資料と一致(山城)(和同開珎)

田原鋳銭司 :仁藤説による鋳銭司で、岡田鋳銭司の異説に当る

葛野鋳銭所 :後期の皇朝十二銭の鋳造場所?

河内鋳銭司 :銀銭の鋳造を行っていた可能性がある

和同開珎は大きく分けると、古和同と新和同に区分でき、古和同の原料、各地にあるが、新和同に関しては長登鉱山が主体らしい?

と云っても、長門鋳銭司で発見された和同開珎は1枚のみ?

皇朝十二銭に関して、周防鋳銭司での鋳銭だが、鋳型等の発見まだ少ない感?

うーん?まだまだ謎多き鉱山背景、貨幣鋳銭についてもか!

 

ただこれらもこっちの調査不足の可能性も・・・

今後も新たな資料が見つかれば、修正等も含め資料追加も進めていこう。

思った以上に資料少なく、皇朝十二銭の実物あるのに実際どーなのかな?

 

 

 

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あれこれ検討?(その8)

2023-07-05 18:57:54 | 歴史

銅銭と云いながらも実際は銅のみでなく、いろんな原料で出来ている様です。

今一度銭貨の原料に関し、確認してみます。

この皇朝十二銭、各銭貨で原料の違いがあります。

ここでは、初期の和同開珎主体に述べますが・・・

銭貨の化学分析に関し、以下の2種類が主要な方法らしい。

・金属組成分析

・鉛同位体比分析

ということで、前回この鉛同位体比分析での解析を示しました。

銭貨に関し、どれも概ね同様と思っていましたが、時期によって鋳造にいろんな努力?変化があったらしい。

 

銭貨の主要な成分は、銅、スズ、鉛の3元素。

初期の4銭貨は、スズが数%以上含まれるものが多い。

5番目の富寿神宝以降はスズが1%以下となる。

時代が下がるほど銭貨に鉛含有量が増え、初期の3種類では鉛が数%含まれている。

副成分として、鉄、ヒ素、アンチモン、イオウが含まれる。

和同開珎の一部には鉛、スズよりアンチモンの多い銭貨がある。

アンチモンの量比は銭貨により差があり、問題、課題がいろいろ指摘されている。

なお、銅での原料供給地を調査するのは、難しい様です。そのため鉛の同位体が前回述べた様に俎上に上がったわけですが・・・

ただ、和同開珎も1ヶ所で鋳造されてはいないので、実際いろいろな解析大変とは思いますが・・・

資料によれば、鋳造場所は5ヶ所、近江、山城、河内、武蔵、平城京と・・・。

鋳造所で確認されている唯一の場所がこの下関市の長門鋳銭司の様です。

 

今一度長門鋳銭司、和同開珎の時代的な流れを追ってみましょう。

・長門鋳銭司(下関市長府)

730年(天平2年)  開設?

825年(天長2年)  閉所、周防鋳銭司(防府市鋳銭司)に移設

・皇朝十二銭

 ・708年(和同元年)    和同開珎

 ・760年(天平宝字4年)   萬年通宝

 ・765年(天平神護元年)    神功開宝

 ・796年(延暦15年)     隆平永宝

 ・818年(弘仁9年)     富寿神宝

   ・835年(承和2年)     承和昌宝

以下略

長門鋳銭司が稼働していた時代(730~825年)の製造貨幣は、和同開珎含め5種類の貨幣となる。

鋳銭司が長門(下関市)から周防(防府市)に移設、周防での鋳貨は「富寿神宝」からの様です。

となれば、長門鋳銭司での製造貨幣は和同開珎以外にもある可能性も・・・。

ただ、ここで見つかっている貨幣は和同開珎のみ?だが、これについてもいろいろ問題ある様です。

この辺りの史料、何かないかとあれこれ検索!

黒川古文化研究所HPに、こんな記事や写真が。

 

                       

             和同開珎銭笵12点(伝長門国鋳銭司出土)

 

和同開珎を鋳造した銭笵(鋳型)のかけらで、「和同開珎」の文字をとどめる銭面側の鋳型5個体分、背面側4個体分が含まれます。

そのうち7点は、「覚苑禅寺 和同開珎鋳型」と書いた箱に納められています。

蓋裏には大正元年(1912)十一月に長門の法輪山(覚苑寺:山口県下関市長府町)の境内で発見されたと記され、

方印から住職であった進藤瑞堂による記録である。

平城京でも和同開珎の鋳型や精良な「母銭」が出土しており、各地の鋳銭司では中央で複製された種銭の供給を受けて鋳型をつくり、

和同開珎の量産を行った可能性が指摘されています。

しかし、平城京出土の鋳型と当研究所の鋳型はどちらも母銭と同じく銭径(銭部分の直径)約2.6㎝で、

くりかえし鋳型を起こす工程で生じる収縮が認められません。

生産や流通についての謎は、まだまだ残されています。

真贋の手段は持ってませんが、まだまだ奥が深いってことだけは分かります。

 

ってところで、さらに調べたお寺や遺跡。

メインは下関市史に。

他に無いかと当たっていると、市の考古学博物館の発行資料(2012)にモロあります。

研究紀要 第16号 長門鉱山跡と長門鋳銭司【講演録】  池田善文

注文すると丁寧な回答!

そこでさらに図々しくこの寺他の資料を問い合わせると、

ここの館長さんが近年の長門鋳銭司発掘の資料(2021年発行)を作成しているとの情報。

学芸員さんが、注文資料以外のその種の資料も館長さんから預かり、同封してくれるとのこと。

こんな題目

長門鋳銭所跡の調査  ー近年の発掘調査成果からー     濱崎真二

 

                  

 

まだまだ読み終えていないため、自分なりの新たな資料があるかは?ですが、いろいろ勉強になります。

 

 

 

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あれこれ検討?(その7)

2023-07-01 06:58:55 | 歴史

3番目の問題を検討してみましょう!

3. 銅銭や銅鉱石からの化学分析結果による同鉱山鉱石使用の可能性

これに関しても、いろいろ論文あります。

下記論文が銅銭等の分析にもっとも詳しい論文らしく、その後いろいろな研究者の参考資料に活用されています。

斎藤務他:古代銭貨に関する理化学的研究  IMES Discussion Paper Series 2002-J-30

結論としては、各銭貨でいろんな産地や鉱石原料の違い等がある様です。

かなりの分量(約50P)なため、必要部分(主に要旨・結語)のみ端折って読みます。

そのため誤読等も生じているかも知れませんが、まっ良いか!?ってところで纏めます。

 

この論文は、奈良~平安時代に鋳造・発行された12種類の銅銭(いわゆる皇朝十二銭)に関する各種分析結果を総合的に検討しています。

ここでは香春岳と和同開珎に的を絞って述べます。長門鋳銭司で製造された銭貨は和同開珎らしい。

分析結果からいろいろ指摘されていますが、上記の香春岳と和同開珎に関しての点は下記の様です。

・十二銭の最初の銭貨、和同開珎のいわゆる「古和同」に関して、鉛同位体比分析から長門の長登鉱山産の鉛やそれ以外の産地の可能性が高い。

・それらの産地として、長門の於福鉱山や豊前の香春岳などの可能性が考えられる。

分析結果に関する香春岳関係の資料を示します。

 

                                        

 

香春岳周辺の各種試料に関する鉛同位体比の測定結果(A式図)は、かなりバラけている感です。

 

                     

 

同様の測定結果(B式図)でも広がりが見られます。

結果的に、日本における一般的な鉱床鉛の鉛同位体比の範囲からはずれるものも確認できる様です。

これらの結果からは、貨幣の原材料として豊前産鉛の占める割合は極めて小さいらしい。

ただ他の文献史料との整合性等いろいろ問題もあり、今後の課題として残されています。

 

以上の結果から、それなりに香春岳の原材料が和同開珎作製の早い段階で、使用されていた可能性はあると云える様です。

                

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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