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あれこれ検討?(その9)

2023-07-14 07:15:02 | 歴史

今回入手した各種資料、チョイ読んだだけでも目から涙ならぬウロコが・・・

そーなんだ!の如何に浅薄な知識、涙、涙で寂しい限りです。

こっちの知識、長登鉱山奈良時代の開山ってのは知っていたが、

その後も連綿と続き、閉山は昭和時代と思っていた。

 

資料では、奈良~平安時代、皇朝十二銭の時代以降、完全に鉱山廃れ、江戸時代に再開発、昭和までと2分。

そこで分かった、長登の謂れ、噂!「奈良登りが訛って長登になったんだ」とする伝承。

鉱山開発が奈良時代まで遡るとは、昭和40年代まで思ってもいなかった。それが今では です。

これと同様なことが、あっちの香春岳にもあれば良いが、資料を見てる限りじゃ期待薄!

しかし、思いは同じ、あってもおかしくない!! 筈?!

 

ってことはさておいて、こんな問題どう考える?

1.考古学資料がある鋳銭所

長門、周防、山城

2. 史料からの貨幣献上国

近江、大宰府、播磨   銅銭を鋳造して献上(続日本紀)

3. 鋳銭司等の名称のある場所

長門鋳銭司 :考古学資料と一致(和同開珎)

周防鋳銭司 :考古学資料と一致(8種類が製造されたとするが、現在発見は3種類の鋳損じ銭、承和昌宝他)

岡田鋳銭司 :考古学資料と一致(山城)(和同開珎)

田原鋳銭司 :仁藤説による鋳銭司で、岡田鋳銭司の異説に当る

葛野鋳銭所 :後期の皇朝十二銭の鋳造場所?

河内鋳銭司 :銀銭の鋳造を行っていた可能性がある

和同開珎は大きく分けると、古和同と新和同に区分でき、古和同の原料、各地にあるが、新和同に関しては長登鉱山が主体らしい?

と云っても、長門鋳銭司で発見された和同開珎は1枚のみ?

皇朝十二銭に関して、周防鋳銭司での鋳銭だが、鋳型等の発見まだ少ない感?

うーん?まだまだ謎多き鉱山背景、貨幣鋳銭についてもか!

 

ただこれらもこっちの調査不足の可能性も・・・

今後も新たな資料が見つかれば、修正等も含め資料追加も進めていこう。

思った以上に資料少なく、皇朝十二銭の実物あるのに実際どーなのかな?

 

 

 

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