今年も早一ヶ月、それでなくても日々変化が少ない毎日、あっと云う間に今年も過ぎるのか!と。
そのため新たなテーマで向かいます。
今年は何を?
予算を掛けずに、健康促進を兼ねるとなれば、やはりこれしかありません。
地域を歩いて、新たな手間ならぬ、テーマを見つけて脳を活性。
そーこの地に住んで・十年、とはいえこの地の歴史ほとんど知りません。
先ずはどんな歴史があるか、いろいろ探ってみようと、新たなチャレンジ。
云うは易く、行うは・・・と、活字からの受け売りで歴史を紐解いていきましょう。
この地にある、見た目は古い平凡な灯篭、調べてみると(他人がですが)結構由緒あるものらしい。
こんな灯篭、
近くで見ると、
やっぱ平凡です。
表面に書かれている文字 「天保十一年 庚子 高嶺大神宮 十一月吉日日参講中」
この灯篭、伊勢神宮の遥拝所と呼ばれており、ここのところは非凡です。
そー、その昔伊勢神宮にお参りに行けない人が、その代りとしてこの場所へお参りを行う施設とのことです。
にもかかわらず、伊勢ではなく高嶺(こうのみねと読む)と刻んだ理由、ここにも深い意味がある様です。
この高嶺大神宮、伊勢と関わりがあり、今から600年前の戦国期に伊勢神宮から分霊、永正17(1520)年に勧請されています。
当時伊勢神宮を勧請した事例はなく、明治期までこの大神宮が唯一の伊勢神宮の分霊だったため、江戸時代には「西のお伊勢さま」と呼ばれ
九州方面からも大勢の参宮者が、この大神宮にお参りに来ていた様です。
「日参講中」とは、地元の人が高嶺大神宮さらには伊勢神宮への参宮の願いを果たすために刻んだ文字で、講という組織を設け、講に入った誰かが
日替わりで、この灯篭を伊勢神宮として遥拝、お参りしたと見られます。
何故こんな所に?と思いますが、今も昔も変わりません。
伊勢に行くには莫大な費用、日数が掛かります、その代用がこの場所で、伊勢どころか高嶺すらもお参りに行けない人の参拝する場所です。
今では観光に行けないための手軽なツール、DVD等の観光案内がありますが、行った気分にもさせるそんなツールとしての役割もあったのかな?
今でもこの周辺、こんな環境ですが、建設当時はもっと辺鄙な場所だったんだろうな!
この時期に建設したのは、何か意味があるのか?は、まだまだ歴史に疎いおらっちゃ、分かりませんが、
幕末に向かうこの時期、だんだん物騒な事件も発生し始めています。
そんな事件、世の中との関わりと云うより、この地の住民、農業、漁業を営む人々の中で伊勢信仰が広がり、
豊作、大漁への祈願がこの遥拝所を建設した理由の様です。