帆船模型で遊ぼう!!

1から始める木造帆船

はてさてどこか?(その21)

2020-09-28 12:17:23 | 歴史

この辺りからは、国の統治方法や歴史が主体に・・・

「女王国より以北は、特に一大率を置き検察し、諸国はこれを畏憚す。常に伊都国に治す。国中に於ける刺史の如く有り。

王が使を遣わし、京都、帯方郡、諸韓国に詣らす、及び郡が倭国に使するに、皆、津に臨みて捜露す。

文書、賜遺の物を伝送し女王に詣らすに、差錯するを得ず。

下戸、大人と道路に相逢えば、逡巡して草に入る。辞を伝え、事を説くには、或いは蹲り、或いは跪き、両手は地に拠る。

これが恭敬を為す。対応の声は噫と曰う。比して然諾の如し。

その国、本は亦、男子を以って王と為す。住むこと七、八十年。倭国は乱れ、相攻伐すること歴年、乃ち一女子を共立して王と為す。

名は卑弥呼と曰う。鬼道に事え能く衆を惑わす。年すでに長大。夫婿なく、男弟ありて、佐(たす)けて国を治める。

王と為りてより以来、見有る者少なし。婢千人を以(もち)い、おのずから侍る。ただ、男子一人有りて、飲食を給し、

辞を伝え、居所に出入りす。宮室、楼観、城柵が厳設され、常に人有りて兵を持ち守衛す。」

 

伊都国との関係、それほど地理的には遠くない書き方の様に思うのは判官びいき?

伊都国は邪馬台国の北にあると読めるはオラッチャ一人?

そのため、やっぱ伊都国の位置も大事です。

身分制度もしっかりしているらしく、下戸、大人の区別、その際の対応方法、教育もしっかりされているって事の様です。

卑弥呼の前に男王、70年近く統治、その後いろいろ乱れて卑弥呼登場、独身、弟がいたとの説明。

そこで国の平定、卑弥呼の日常、国の風景描写。

吉野ヶ里遺跡とほぼ同じ形態が描写されています。

やっぱり距離的にも近いのか、吉野ヶ里と邪馬台国、若干時代の差はある様だが?

 

 

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夏の終わり(その2)

2020-09-25 06:38:00 | 

玄関先のちっちゃな庭?

完全に終わりました、夏の風物詩「ヒマワリ」

頭を垂れて佇んでいます。

ちょいみっともないか!! と。

 

                  

 

昨年はこれからタネを採って、次回に挑戦と、目論みましたが、あえなく挫折!!

今年は、その考え改め、しっかり伐採!!

 

                  

 

柵に絡まるアサガオさんはまだまだ元気に花を。

これが枯れるまでは、もう暫らくこのまま放置、秋以降の植え付け考えます。

その前に、他の土作り等いろいろ作業あり、その準備も大変です。

 

    

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はてさてどこか?(その20)

2020-09-22 06:50:45 | 歴史

まだまだ倭、邪馬台国の環境描写続いています。

「真珠、青玉を出す。その山には丹有り。その木には枏、杼、橡、樟、楺櫪、投橿、烏號、楓香有り。

その竹は篠、簳、桃支。薑、橘、椒、襄荷有り。以って滋味と為すを知らず。獮猴、黒雉有り。

その俗、挙事行来、云為する所有れば、すなわち骨を灼いて卜し、以って吉凶を占う。先に卜する所を告げる。その辞は令亀法の如し。

火坼を視て兆しを占う。

その会同、坐起では、父子、男女は別無し。人性は酒を嗜む。

魏略(*)いわく、その習俗では正月(陰暦)や四節を知らない。ただ春に耕し、秋に収穫したことを数えて年紀としている。

《*/「魏略」…魏の歴史を記した書、現存しない》

大人を見て敬する所は、ただ搏手し、以って跪拝に当てる。その人は寿考、或いは百年、或いは八、九十年。

その俗、国の大人は、皆、四、五婦。下戸は或いは、二、三婦。婦人は淫せず、妬忌せず。盗窃せず、諍訟少なし。

その法を犯すに、軽者はその妻子を没し、重者はその門戸、宗族を没す。尊卑は各(それぞれ)差序有りて、相臣服するに足る。

租賦を収め、邸閣有り。国国は市有りて、有無を交易す。大倭をして之を監せしむ。」

 

今度はこれって倭国、九州?っての記述。

真珠はまーアコヤ貝が有名、この貝対馬や五島列島でも獲れます。とすればその中で上手くいけば真珠も採取可能。

次の青玉、これはうーん?

多分にサファイアの可能性、となると、九州ではなかなか採取難しい、いや日本でも。

現時点では、奈良や岐阜県で発見されてはいるが、サンプル的な採取で、継続的にとなると果たして当時どーだったのか?

それともこの青、他の文章でも書いたが、緑ってことも?

緑、これはヒスイ、これも場所とすれば九州ではなく、新潟県糸魚川市、すでに縄文時代に勾玉として利用されおり、日本固有のモノとしても有名です。

また、これとは違うが、長崎ヒスイとして、ちょい特殊な石(玉)も産出しています。これを青玉と云えないこともない?

丹、これもいろいろ問題あります。一般には丹→丹砂→硫化水銀、簡単には産出しません。

西日本では四国~近畿地方を走る中央構造線沿いに、水銀鉱山発達していた様です。

空海、弘法大師が四国山中を行脚したのも、これを探査していたのでは との説あります。

それとも丹=赤土、ベンガラと呼ばれる赤土(酸化第二鉄)であれば、九州各地の山中で採取可能です。

果たしてどーだったのか、いろいろ意見ある様ですが、九州説なら強引にベンガラで正解か!!

ただ水銀鉱山、中央構造線上に位置しており、この構造線、大分・熊本県にも繋がっており、鉱山もあります。

樹木として、枏(ほおのき)、杼(くぬぎ)、橡(くすのき)、樟(くろもじ)、楺櫪(さくら・くぬぎ)、投橿(すぎ・かし)、烏號(やなぎ)、楓香(かえで)有り。

これらの樹木、概ね照葉樹林、落葉広葉樹林に分布、とすれば九州山地での植生、特に問題なし。

その竹は篠(しのだけ、ササ)、簳(矢を作る竹)、桃支(トウ竹)。薑(ショウガ)、橘(タチバナ)、椒(サンショウ)、襄荷(ミョウガ)有り。

こっちも概ね山腹斜面に自生か!

以って滋味と為すを知らず。当然こんな訳か、食料として滋味なることこの上ない ってことでしょう!!

獮猴(日本ザル)、黒雉(日本キジ)有り。

サルにキジ、これも特別な動物ではない。

これ以下の文章、概ね家庭環境、倭国に関する記述として、問題ないかな?で、省略。

 

 

 

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いろいろ挑戦!!

2020-09-19 06:57:50 | その他

終活兼ねて、部屋の片付け。

というより、月1回の紙ゴミ廃棄の日、「棄てといて!!」 とのお達し!!

こんな古本です、段ボールに3箱、多分に50~60冊はあるかな?

 

                 

 

こりゃーあそこに持って行けば少しは小遣いに と皮算用!!

こっそり倉庫に運び、折りを見てお店へ、果たして、どーか?

ここの店、買い取れない本についても、持ち帰りなしで、引き取って廃棄して貰えます。

結果はこんな感じで。

 

                    

 

なんとか、半分以上は安いなりにも買い取って貰えました。

何冊かは、そこそこの値段、後は数で稼ぎます。

この資金を原資に次の店へ。

その店の前に広い駐車場と見慣れる建物が。

 

                 

 

この10月にオープンらしいが、コロナ禍の影響でどーなるかな?

この種のクラブ、この地でも各所にオープン。

とはいえ、小さなモノが多いか?

ここまでのモノ、あんまりです。

今が流行りか、今後の高齢化に備えての健康寿命を延ばす準備、今からは当り前の施設になるのか、

今後の推移見守っていきましょう!!

 

そーいや「岸部四郎」さん、あっちの世界へ行くにはまだまだ早過ぎますが・・・。

いろいろ大病患ったとはいえ、そーならないために、いろんな運動大事なのかな?

 

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はてさてどこか?(その19)

2020-09-16 07:11:51 | 歴史

さらに続くこんな文章、

「倭地は温暖にして、冬夏生菜を食す。皆、徒跣。屋室有り。父母、兄弟は異所に臥息す。朱丹を以ってその身体に塗る。

中国の紛を用いるが如し。食、飲には籩豆を用い、手食す。

その死には、棺有りて槨無し。土で封じ冢を作る。始め、死して喪にとどまること十余日。当時は肉を食さず、喪主は哭泣し、

他人は歌舞、飲酒に就く。已に葬るや、家を挙げて水中に詣(いた)り澡浴す。以って練沐の如し。

その行来、渡海し中国に詣るに、恒に一人をして、頭を梳らず、蟣蝨を去らず、衣服は垢汚し、肉を食らわず、婦人を近づけず、

喪人の如くせしむ。これを名づけて持衰と為す。若し、行く者に吉善ならば、共にその生口、財物を顧す。

若し、疾病が有り、暴害に遭うならば、便(すなわ)ち、これを殺さんと欲す。その持衰が謹まずと謂う。」

これも概ね邪馬台国の生活環境、風俗の表示か!

特にどーだこーだ云う内容ではない様ですが、珍しい風習としては「持衰」一種の生贄を船に乗せて航海したと云うことか!

それほど玄界灘を航海すると云うことは、命がけだった様です。

海の航海と云っても、東にいけば当然内海の瀬戸内海も穏やかとはいえ、やはり海、荒れる場合や潮の速い域もあります。

瀬戸内海から玄界灘に抜ける関門海峡、ここも汐待等で航海大変です。

そんな描写全然ありません、端から海は玄海、邪馬台国一歩も九州からは出ません。

 

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