帆船模型で遊ぼう!!

1から始める木造帆船

街を歩く(その5)

2017-10-30 07:17:45 | 歴史

いよいよ一山越えて、出発点に戻ります。

当時のくねくねした旧道を通ります。

道幅は当然当時より拡幅されている様ですが、

当時と位置的には、ほぼ同様の道です。

一部には、そのままの道も残っています。

そんな道は、現在ほとんど使われておらず、案内者も完全探索できず、終点まで行けるかも不明とのこと。

こんな様子で残っています。

 

                                  

 

左写真の真ん中に川が走っており、それを渡って左写真へと続いています。

左写真の左上方へと続く山道が、当時の近隣村への主要な里道だった様で、今はもうやぶ状態です。

その当時、どんな川を渡って通っていたかが分かる施設が残っています。

先ずは現状河川から、現在は3面張りの小河川です。

 

                               

 

この程度でもやはり川を渡るというのは、一大難事だった様で、こんな立派な石橋を建設しています。

花崗岩の1枚岩で、かなり遠方から運んできたとのこと。

石の側面も台形に加工し、それなりに苦心の跡が見られます。

 

                               

 

さー今日最後の史跡です。

当時、神社の前を流れる川にはこんな立派な橋が架かっていました。

 

                                  

 

その後、交通手段が 馬車、自動車に変化するに従い、この橋の役目も終わった様です。

橋の変遷を表す遺物がこれ。

馬車時代における橋幅だった石柱。

                               

 

確かに幅広になっていますが、今では中途半端な長さです。

 

次回は11月、今回とは反対の神社西側を巡るウォーキングとのこと。

寒くなるため、真面目に参加できるかは??です。

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街を歩く(その4)

2017-10-26 09:04:34 | 歴史

いよいよ最後の関門、

時間、場所的にそー思うだけですが・・・

ここは始めて、こんなお寺があるとは、「あっと驚く、・・・・!!」

こんなお寺です。お寺の裏のお寺と、2軒続けてのお寺??

拝観の際、住職が来られ、皆に院史を配布されます。

読むと、寺の起源は鎌倉の初期、真言宗として開創とのこと。

江戸時代に改宗し、浄土宗へ。

すなわち、自力難行の道から専修念仏へと、大きく転換。

いろんな紆余曲折があったんだろうが、その後約400年続いて

現在に至っているとのこと、結果は正解?

 

                                                                                    

 

そこでの秘仏が、この日、特別に開帳、こんな御仏です。

 

                                 

 

この方の冊子もくれました。

標題は「・・月大姉さまのこと」

それによると、江戸時代の初期、明歴3年(1657)に没しています。

ここのお寺の名もこの方にちなんだ名です。

そーこの方をお祀りするお寺と云うことらしい。

「んっ?!」

上と下で文章、今一繋がりません。

ホートーどーなんでしょうね?

もう少し勉強して、結論出しましょう。

 

 

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街を歩く(その3)

2017-10-21 12:07:47 | 歴史

本格的に旧道探索、この道がかっての国道、メインロードだったらしい。

 

              

 

といっても、当然当時はもっと狭い道路で、拡幅後です、この幅は。

証拠の道標が、これ。

 

              

 

西へはあそこ、東にどこ と書いています、距離まではありませんが。

かって、この通りが、ここの繁華街だったらしい。

旅館に、商店、役所もあった様です。

いわゆる門前町で、この背後にこの街一番のお寺が建っています。

昨年かな、改修し、その費用が・・億、檀家は大変だったらしい。

 

               

 

その隣にある、高等学校、その昔は役場だったらしい。

 

              

 

まだまだ道半ば、息は上がるが、意気は下がります。

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街を歩く(その2)

2017-10-16 09:34:48 | 歴史

いよいよホンマもんの史跡へ。

ここです!!

 

               

 

「何が??」

どーやらこの地を治めていたお殿さまの屋敷跡らしい。

史跡と云うより史跡跡といった風情の林の中。

前の建物は、史跡というより単なる東屋だったかな?

あまり詳しく解説聴いてないおらっちゃでした。

この屋敷状況を詳しく説明してくれています案内者、後で聞くとやっぱ学校の先生だったとか、話し方が上手です。

少しは屋敷の広さ、体感できるかな?

 

               

 

右手の上に微かに写る金網、ここに井戸があった様で、当時は貴重な真水の湧く井戸だった。

前回の地図で示した様にこの周辺、海岸だったとのこと、そーすればやはり掘っても出るのは塩水、水の確保が一番です。

次の写真は、最も史跡らしいものですが、他所からの縮小模写の門らしい。

 

               

 

まーこんな門が屋敷の入口にあったということで、史跡巡りが一段落。

 

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街を歩く(その1)

2017-10-12 09:53:10 | 歴史

新聞を読んでいると、こんな記事が。

「古地図を片手にまちを歩こう」

市主催のウォークイベント、しかも無料。

日曜日、約2時間の散歩コース、家からも近い、天気は良い(これは結果でしたが)

と、3拍子、4拍子揃った健康兼ねた催しです。

即、申し込み、その日に備えました。

当日、朝の10時に集合、家から車で5分の場所です。

人によっては、2時間かけて参加している人もいたとのこと。

集合状況はこんな感じ。

 

              

 

分かりますね、参加者ほとんどが・・・・。

まーそんなものでしょう、こんなのに興味ある、休みに時間が取れる人達ってのは。

歩く前、ストレッチを十分やって、スタートです。

その前にいろいろレクチャー、この地の生立ち、道の歴史を。

先ずはこんな地図から

 

              

 

何やら三次元の地図で、いろいろ加工しているとのこと。

現在地がその昔、どんな状況だったかを分かり易く説明。

そー色から分かる様に、海がかなり内陸まで入り込んでいた様です。

「うーん? 本当?」との疑問起こりますが、さしたる証拠はありません。

とはいえ、いろんな状況からも、当時(江戸時代初期)はこんな様子だったんだろうな!!との思いも。

レクチャーおわり、出発です。

先ずはこの川沿いを。

 

              

 

古地図からいくと、この川はその頃はなかった様です。

そー、すでにここは海岸、海の中です、その後の埋立、干拓で平地が形成され、

水田へと変化、今は住宅地へと。

 

 

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