帆船模型で遊ぼう!!

1から始める木造帆船

頑張っても頑張っても・・・

2016-09-29 15:49:26 | アウトドア

先日、やっと無理して時間がとれました。

事前調査じゃ、ちょっと水位が高いかな?との思いがあったが、まー何とかやれるだろう!!と。

現場について、やっぱ「アチャー!!」です。

こんな感じで水が流れています。前週の雨の影響結構強く、いろいろ遊ぶにゃちょっと厳しい。

 

                       

 

今回のターゲットはここですが、水位が高いため、今一目的地に近づけません。

その周辺で悪戦苦闘、やっぱダメです。

 

                       

 

仕方ないので、別のターゲット狙いますが、どーもうまくいきません。

最後の最後、この地の集積場としているここで頑張ります。

 

                       

 

当然ここも水位が高く、思う様にはいきません。

とはいえ、やっぱりこの地の集積場、1投目から取りあえず持ち帰りOKのお宝ゲット!!

これでのんびり遊べます。

アップで伸ばしてもこの程度ですが、煌めき伝わるかな?

 

                        

 

最後は何とか集めたお宝、これで締めましょう!!

最大粒径2.0㎜+といったところです。

 

                          

 

もっともっとと、引き伸ばすと

 

                        

 

ここまで伸ばすと大塊です。

表面の輝き何とも云えません。

 

 

何とかできるうちに、最初のターゲットを狙いたいものですが、寒くなるとなーで、10月以降どーなるかな?

 

 

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気持ちは晴天?!

2016-09-27 19:41:45 | 病気

先日書いた病気症状。

大学病院では、「よそで検査して!!早期障害としてはちょっと早すぎるなー?」と、あまり放射線の影響はない見解であった。

そのため、近くのガン検診を行っている病院に行き、検査日の予約と血液検査。

本日、その検査日、ここの病院その検査は代診というか、その専門医が診察するシステムの様で、

今日はその検査日ということで、専門医のみが診察しています。

朝からその準備のための下剤に飲用水、およそ2Lを1時間かけて飲み干し、腸内の洗浄を行います。

予約時間前に訪れたが、前の予約患者の診察が早く終了したということで、即検査開始です。

10年前?か一度検査受けているので、勝手知ったる検査方法、と思っていたが、機材の進歩か、胃カメラよりも簡単です。

なんせ、麻酔もなしにカメラを挿入、腹の中でグチュグチュコチョコチョかき回される感じで、検査が進みます。

モニター見ながら「ここが直腸の右壁です、この血管は正常な血管です。問題あればもっと赤く膨れるとか、色の変化が見られます。」

等々云いながらおよそ10分程度で、大腸と小腸の境界域までカメラが挿入。その境に突起状の膨らみがあり、逆流防止の弁みたいなものとの説明で、

帰路は、反対側の大腸、直腸の壁を診察、無事に完了、「特に問題ないようですね、何故健診で引っ掛かったのかなー?

出口の痔瘻が原因かな?」と、「治療中にちょっと痔の症状が・・・」と、当時の状況説明。

検査終了後、診断でも「問題ありませんし、前回の血液検査での腫瘍マーカーも正常値の範囲です。痔が心配なら、またその時通院してくれば対応しましょう!!」

「PSAとの関係は?」と、この初期の原因と思える質問すると、

「そーですね、PSAは非常に敏感な腫瘍マーカーです。それに比べればこれらの値は、かなり感度は低いですね。

前立腺に関してはこの値はかなり症状が進んで高くなりますが、それに比べてPSAはホートー敏感です!!」

まー他の消化器系に関しては今のところ、安心できる状態の様です。

この検査、以前書いた同期が云っていた腫瘍マーカーのことか!

と、彼はこの値が多分高くて、それから3年経たずに逝きました。

その時、どんな値だったかは、当時知識もなかったため、そんな検査があるんだ程度の認識だった。

だんだんこの種の知識が増えると云うこと、徐々に健康が損なわれていくことと、比例しています。

知らないことは健康な体で、財布にも優しいことなのかと、

あちこち症状ある身で、・・円の検査費用払って、健康って大事なんだな!!と、今更ながら思った今日この頃です。

 

 

せっかくなので、ここまで読んでくれた読者にプレゼント。

おらっちゃの知らなかった初めての検査、こんな血液検査です。

・プロトロンビン時間(正常値10.0~13.0sec)

  出血が始まってから肝臓でプロトロンビン(血液凝固因子)がつくられるまでの時間を測定する検査。

  肝硬変や肝臓がんなどの肝機能障害がみられると、時間は長くなるので、肝機能検査の一つとしても測定される。

・PT活性値(正常値80.0~120.0%)

  正常者のPT活性値を100%としたときの被検者のPT活性値を%で表現したPT%、および国際標準比(PT-INR)で表現される。  

  外因系に関与する凝固因子は肝臓で生成されるため、肝臓の蛋白合成能を反映する。

・PT-INR(正常値0.90~1.13)

  プロトロンビンが血液凝固に至るまでの時間を、国際的に標準化した数値に置き換えたもの。

・CEA(正常値5.0ng/ml以下)

  CEAは胃がんや大腸がんの腫瘍マーカーとして知られているが、進行胃がんの30~40%にしか検出されない。肝臓がん、胆道がんにも用いられる。     

  ただし、胆管がんでは必ず上昇するとは限らず、胆のうがんではCA19-9ほど顕著には上昇しない。

  膵臓がんの場合は、スクリーニング検査としては不十分で、治療効果の特定に有効。

  消化器系がん以外のがんでも広く陽性を示す反面、臓器特異性は低いので、この検査だけでは診断はできない。

  また、陽性になるのは進行がんが多く、早期がんの診断には適さないので注意が必要。

・CA19-9(正常値37.0U/ml以下)

  CA19-9は消化器がんの中でも、とくに膵臓がんに特異性の高い腫瘍マーカーである。

  早期発見に関しては有用性が低いが、治療効果を調べる場合などに役立つ。

  膵臓がん、胆道がんで80~90%の高い陽性率を示すほか、胃がん、大腸がん、肝臓がんでは30~60%が基準値を超える。

  また、肺がん、乳がん、卵巣がんなどでも高値を示す。   

  そのほか、糖尿病、慢性肝炎、胆石症、胆嚢炎、慢性膵炎、子宮筋腫、良性卵巣腫瘍などでも陽性となる。

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今日も天気!!

2016-09-25 10:33:31 | 市内彫刻

天気の良い日が続きます。

こんなものが、校内に展示されています。

 

                                            

 

題名と実物、うーんです。3番目の試作品?

    松本 薫 「Cycle-90° 「風の予感」Ⅲ」

またまた、街中に戻って撮影です。

 

                                           

 

前作品に比べれば、少しは分かり易いが・・・・。

   富樫 一 「王と王妃」

 

                                           

 

題名と形からみると、ひょっとしたらモチーフは日本独特のあれかな?

   澄川喜一  「そりのあるかたち」

 

                                           

 

ちょっと哲学的な題名なのかな?

    番浦有爾  「風」

 

                                           

 

どこがやねん!と題名の文句がでます。

    菊竹清文  「Heartiful  Communication」 

               

 

               

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歴史考(その7)

2016-09-23 06:14:18 | 歴史

鉱山から離れて少し周辺の金属施設をみてみる。

当時は鉱山で採鉱された鉱石は現地にて製錬され、都や周辺の加工施設へ運ばれた様である。

鉱石のままの運搬はなかった様で、長登鉱山の域にも製錬施設が発掘されている。

周辺で発掘された7世紀の中村、国秀遺跡を始めとするその他各地の遺跡(上ノ山・鳴滝・平原第Ⅱ・近光遺跡)にも孔雀石・銅塊・からみが検出され、

七世紀中頃の統一新羅系土器が共伴して、渡来人と金属 生産の関係が示唆される。

その延長線上に長登鉱山を始めとするその他の鉱山が位置し、この一帯は当時金属生産にかかわる一大鉱工業地帯であった。

長登鉱山に一番関係の深そうな役職(施設)は、鋳銭司であろう。

この役職、全国で近江、山城、周防、長門など各地に置かれ、いわゆる皇朝12銭が鋳造された。

この近辺では、長門、周防、大宰府に鋳造所があった。これらの施設に関する由来、歴史をみて見よう。

 

大宰府鋳銭司

『続日本紀』に「和銅3年丙寅、大宰府銅銭を献る」とある。その址は糸島郡習船寺にあるという。

どーも遺跡は発見されていない様であるため、いろいろな考証は困難である。

 

長門鋳銭司

『続日本紀』天平2年(730)「周防国熊毛郡牛島に西汀、吉敷郡達理山の銅を長門の鋳銭に充てる」旨の記載があり、

遅くとも730年にはこの地で鋳銭が始まっていたみられる。

その位置は、豊浦郡長府村(下関市長府・覚苑寺境内を含む一帯)にあった。

これらの位置関係でみると、この地やや遠い感じがするが、当時この地は長門の国府であり、国分寺も建設されており、要衝の地であった。

実際遺跡も発見されており、間違いなくこの地にその施設はあったものの、何故鉱山から遠隔地のこの地にと云ったところに問題も残るが、

香春の銅との関連を考えれば、ひょっとしたらこの地に香春の銅が運ばれ、その供給地として香春があったとしても何らおかしくない。

その後、長門国鋳銭司は一時廃止されるが、弘仁9年(818)に復活し、富寿神宝の鋳銭を行っている。

しかし天長2年(825)には事業は縮小され、翌年に銅の輸送が中止され、天長4年(827)に鋳銭司は周防国に移される。

 

周防鋳銭司

吉敷郡陶村字司家にあり、天平9年(737)の設置以来、天慶3年(940)までの約200年にわたって国内唯一の鋳銭所として

中国、四国、九州などから送られてきた料銅により、承和昌宝、長年大宝、饒益神宝、貞観永宝、寛平大宝、延喜通宝、乾元大宝が鋳造された。

んっ、資料の時代にちょっと疑問もあるが、どーなんだろう?

周防国も長門鋳銭司の下部組織としてあったならおかしくないが・・・・。

早い時期に長門から周防への生産拠点が移されたと考えればさほど問題ないが、

長門での鋳銭司、実際は思った以上に短命だったのかな?

 

香春地区でのこの種の資料は、現在探しきれておらず、せいぜい銅鏡が香春の清祀殿で

製造された記録程度である。

ただ、この資料もいろいろ問題がある様である。

清祀殿は江戸時代に書かれた長光家文書に宇佐八幡宮奉納鏡を鋳造したことが書かれており、

実際清祀殿周辺に滓が散布しているため、資料的にはそれを裏付けている。

問題はその時期であり、従来宇佐八幡宮に清祀殿で造った鏡を奉納したのは古代からと考えられている。

この文書には勅使が着いた港を今井津としている。豊前国の古代の港は草野津であり、今井津が使われ始めたのは14世紀からと考えられるため、

奉納用鏡の鋳造が始まったのは中世以降と考えられる。

高速道路に伴う延永ヤヨミ園遺跡の発掘調査では、弥生時代の終末から古墳時代にかけての導水施設や、600軒を超える数多くの竪穴住居跡が出土し、

船の舳先(へさき)や船着場などが発見され、豊前最大の古代港町として栄えた草野津ではないかと推測されている。

古墳時代の豊前海の海岸線は、現在の行橋市草野地区より内陸部の延永ヤヨミ遺跡付近まで入り込んでいたが、

遠浅の海岸が土砂の堆積によってだんだんと海側に移動し、中世には今井津が、江戸時代には沓尾が主要な港として利用されるようになった。

 

実際に古代その種の神事があったのか、いろいろ問題もある様である。この問題に関しては、資料「宇佐八幡と古代神鏡の謎」(田村円澄)が上梓されており、

後日資料を読んでまた検討してみたい。

 

そーおらっちゃとしては、香春の銅と大仏、長門鋳銭司の関係を探ってみたい。

香春については各地で製錬跡は発見されているが、奈良時代やそれ以前のものは長登と違い、未だ発見されていない様である。

 

時代は違うが香春町史に次のような記事があった。

細川忠利が元和10年(1624)に、香春町に鋳銭奉行を置き鋳銭所を作って銅銭を製造した。

香春町を選んだのは、隣村の採銅所に銅を産することにあったが、実際には採銅所の産量は少なく、藩内から銅を集めたり山口方面からも買い入れたという。

この時代には香春での銅採鉱は枯渇していたが、長登ではまだまだ採鉱されていたのか?

 

 

 

 

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歴史考(その6)

2016-09-21 20:49:45 | 歴史

鉱山と神社に関して、香春地区はかなり関連のある伝承や神社があり、その関係が十分に汲み取れる。

それに対し長登地区はどんなものであろう?

明らかに鉱山に関係している神社として、長登地区に位置する山神社があるが、どーもこの神社、勧請、設置されたのは江戸時代であり、

鉱山の繁栄と作業の安全を祈って大山祇命を祀っており、奈良時代、大仏に関連する神社ではなさそうである。

とすれば、どこか近くに神社等ないか調べてみる。

 

資料(長登鉱山Ⅱ)には、いろいろこの種の報告があり、仁寿元年(851)の文徳天皇実録に長門国四神として

「鹿集福賀磨能峯壬生」が挙げられている。

一般には鹿・集福・賀磨能峯・壬生と分ける解釈で各々を地名として、その地に位置する神社を当てている。

その結果、鹿には下領八幡宮、集福には渋木八幡宮、賀磨能峯は花尾山権現社、壬生には壬生神社が位置し、鉱山との関連を示唆している。

これらの神社の勧請時期(勧請地)をみて見ると、下領八幡宮は鎌倉時代(石清水)、渋木八幡宮は不明(鶴岡)、

花尾山権現社は祭神として鉄治業の守護神の金山彦神を祀っており、壬生神社は、大同2年(808)に神功皇后を合祀と、

奈良時代より新しいものや勧請地もいろいろと、果たして長登鉱山との関係は如何にとの思いはあるが、

神社周辺には長登鉱山と同時代の鉱山や鉱山を支持する伝承等もある。

 

これ以外にも長登鉱山北域にあたる赤郷地区にある赤郷八幡宮は、称徳天皇己酉年(769)頃宇佐八幡宮から勧請したとの伝えがあり、

この域にある八幡宮の中でもかなり古い時期の勧請時期と金属神との関連も推察できる。

またこの付近には木間と呼ばれる地名があり、高麗との繋がりも垣間見られる。

 

いろいろな資料は、神社との結びつきについて、必ずしも香春地区と比較して強くはないが、

全くない訳でもないため、長い時間の経過や閉山による祭礼の喪失により、徐々にその関連が見えなくなったとも考えられる。

 

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