帆船模型で遊ぼう!!

1から始める木造帆船

補修(その5)

2020-06-30 06:50:17 | 環境

以前の補修、そこそこ成功、こんな感じ!

 

               

 

と思っていたら、端の部分はどーも違います。

 

               

 

近接すると、

 

               

 

そー、隙間に埋めたパテの間から、またまたニョキニョキ伸びています。

葉っぱを除けると、

 

               

 

パテの接着力より、下から這い出る植物の力の強さが勝っています。

綺麗に掃除すると、こんな様子。

 

               

 

さらに清掃続けます。

 

               

 

ここでも近接すると、

 

               

 

そこそこ綺麗になってはいるが、隙間に生えている茎は、なかなか完全には・・・

これが限度というところで、出来る範囲で前回よりちょっと深く、グルーガンの銃口を隙間に押し込み、パテを埋め込みます。

 

               

 

一度埋めて、その上位をさらにカバーする形で表面整えます。

結果は、2度塗り?こんな風に。

 

               

 

これで何時までもつか、今後の展開また変化します。

 

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はてさてどこか?(その6)

2020-06-27 10:20:23 | 歴史

さー最後の大御所、あの森浩一氏です。

この方の著作、なかなかブックオフ等では入手出来ません。先の古田邦彦氏も同様ですが、・・

読む人少ないのか、読んでも出す人少ないのか、新刊買えばと思うでしょうが、そこはそれ、

簡単に手に入るのと、苦労して入手するの、どっちが思い入れ大きいか?

そんなに急いで手に と思うこともあるため、のんびりと です。

新刊に比べりゃ、当然・・分の以下でと云うのも、小遣い少ない身には必須ですが・・・

この方、思うに現地実証主義、文献でなく、現地でどーだ? って感じの方。(と思っています)

幼少期の頃から、大阪の古墳を眺めて育っている純粋培養のお方、

それが近畿でなく、九州説、文献でなく古墳・遺跡の生活現場からの思いです。

この方のいろいろ書かれた文献、やっぱその当時の生活、現地に基づかなきゃ書けません。

その方が押す「九州説」間違いないでしょう!!

と、思っていたら、この方かなり手厳しい批判を。

批判として、その1~11までと、かなり詳しく述べられています。それを纏めた文がこんなところです。

「森氏の主張がいかにデータから外れているか、こまごまと指摘してきた。氏は倭人伝を正確に読もうとするのではなく、自らが作ったイメージに合わせるための無理読みをしている。

検証やら裏付けというものなしに勝手にきめて書きすすめるのだから、これほど楽なことはない。松本清張氏の真似をして想像に走るのは小説の手法であって歴史の叙述ではない。

それでも専門学者らしく、さまざまなデータをお持ちであった。この本からの収穫は三点。


一つは、国邑とは国と集落という意味ではなく、首都的な集落を表すということ。これは韓伝の「国邑は主帥ありといえども、邑落は雑居してよく相制御することができない。」という記述から裏付けられる。

中国北方には国邑というべきものを持たない遊牧民国家が展開する。その対比として中国人にはよく理解できる意味のある言葉だったのだろう。


一つは、近畿の古墳時代にみられる鏡の副葬や水銀朱の使用が、近畿の弥生古墳にはみられず、北九州から伝来したらしいこと。要するに、古墳時代の権力者が北九州の影響下にある。

北九州勢力が近畿に入ったと考えられること。これは出雲、北九州連合が大和に侵入した時の戦乱が倭国大乱だとする私の主張を補強してくれる資料となる。

卑弥呼の一代前のできごとにすぎず、近畿の弥生古墳からはほとんど見つからないだろう。卑弥呼の時代はすでに前期古墳時代に分類されている。


三つ目は、張政という日本に渡来した帯方郡使が張撫夷と名を変え、帯方太守に昇進して、その陵墓が発見されていること。「夷を撫した」事実がなければこれはありえない。

張政は親魏倭王を授けられた女王国を保護するという任務をみごと果たし、その結果として撫夷という名を与えられ、使君と通称されたのであろう。

魏志には張政だから、改名と帯方太守就任は晋代と思われる。漁陽という北京よりさらに北方の出身なので、日本は暑く、特に夏のむし暑さは耐え難く感じたであろう。

日本を亜熱帯、熱帯の国と誤認したことも当然と思われる。」

こんな感じの批判や感想です。

各氏、また批判するこの方、皆それぞれ文献を読み解き?、結論を出しています。それに反し、大してこれらも読まずに人の意見でその位置探そうと考えているオラッチャ、内容知れています。

しかし、それでも見つからない邪馬台国、多分に永遠に場所の特定難しいのかな?

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補修(その4)

2020-06-24 07:06:15 | 環境

コロナの影響で自宅で過ごす日が多く、何かやらねば との思いが・・・

うちんちからの要望と云うか、まー指示、命令ですね。

「玄関先の屋外灯、何とかならない?」

見ると、こんな感じ。

 

                           

 

確かに塗装が剥げて、かなり状態悪化しています。

その昔、一度塗り直した記憶あるため、補修はさほど の感。

先ずは、上のガラス、電燈外します。

近くで見ると、かなり剥げています。うーん、前回の補修、何時?

多分に10年以上は昔?

 

                          

 

ガラス部分はこんな様子。

 

                           

 

先ずは土台の塗料を剥がします。

基礎部のネジを緩めて、土台周辺の塗装部もしっかり剥がします。

 

                          

 

剥がして、磨いた状況、こんな様子です。

 

                           

 

はてさて、補修前の同系色のペンキで再塗装を と考えていると・・・。

うちんち、宣います。

「そのままで良いんじゃない、このシルバー色の方が見映えする!!」

まー塗らずに仕上げられるので、こっちも一石二鳥、その分早く作業完了します。

ガラス部分のキャップは、こんな状態。

 

                          

 

これもヤスリで、せっせこ塗装を落とそうと努力しますが、なかなか落ちません。

まーあんまり目立つ部位でもないため、そこそこで終わらせます。

 

                          

 

最終的にはこんな仕上がりと。

〆て延べ2日、作業量では丸1日か!

 

                                    

 

まーまーの出来かな!!

 

             

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はてさてどこか?(その5)

2020-06-21 08:00:20 | 歴史

次に挙げるのは、やっと読み終えた古田武彦氏への批評文。

こっちは『「邪馬台国」はなかった』を読んで、なるほどと感心、正解、不正解は?ですが、一理あるのかな と。

 

この方、こっちの手元にある第一作はよんでおらず、その後に書かれた文献からの批評の様です。

長文になるため、その一部を示します。ただ、後に書かれた文献のため、こっちの方がより詳細かも知れません。

「古田武彦氏の代表作は「邪馬臺国はなかった」かな、と古本屋で探したのですが、見つかりません。これで手を打つかと選んだのが「邪馬一国への道標」です。・・・・・・」

こんな出だしで始まっています。

古田氏の書かれた文章から、いろんな例や文献挙げて反論しています。

それらへの賛否、知識がないと当然出来ません。結果、オラッチャそんな事が云えるんだ 的なことしか。

 

その中での古田氏への批評、こんなところかな?と思う部分を抜粋です。

「自らのアイデアに酔い猪突猛進。漢文データを大量にまぶし、データに忠実なように装いますが、実は使っていない。

自らの情念を語っているだけで、データは、安物ケーキの上の食えないロウ細工の如く、人目をくらますデコレーションとして用いられています。梅原猛氏と同じ臭いを感じました。

真実を探求する歴史書ではなく、知的お遊びとして読めばよろしい。というのが私の評価です。

この人の論法をみれば、資料に基づいて論理的に構成、修正という形は望めず、他の著作も同じようなものでしょう。」

まーこんなところかな?で、批評を締めましょう。

 

確かに古田氏の第一作、いろんな漢文データ、これだけ読めば正しいかな? の思いあります。

梅原猛氏も同様との意見、そこにも賛同かな、オラッチャとしては。

まー実際の遺跡が発見されない以上は、何を云ってもどちらが正解、云えません。

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今が見頃!!

2020-06-18 09:35:01 | 

写真はちょっと早い時期の撮影(1週間前)ですが、そこそこ咲いています。

今ならも少し満開、それとも・・・

こんな感じ、ただ今年はコロナの影響で、祭は中止、残念ですね!!

 

                                

 

取りあえ咲いてる花を愛でましょう!!

先ずは定番、紫系

 

                                

 

これ以外にもあった筈だが、撮った写真はこれだけでした。

続いてこれがこの花で一番合う色かな、紫、薄紫、白のコラボ。

この系統がやっぱ一番多い様です。

 

                          

 

                                

 

これらは白系、うーんな感じ?

 

                          

 

最後にこれらと一線隔てる黄色系

 

                          

 

大体こんな感じで、いろんな品種が。

名前と色、マニアでも憶えるの、大変そう!!        

 

        

 

 

 

 

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